憲法調査会安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
平成十六年三月二十五日(木曜日)
午後二時一分開議
出席小委員
小委員長 近藤 基彦君
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 渡海紀三朗君
中谷 元君 平井 卓也君
伊藤 忠治君 大出 彰君
楠田 大蔵君 田中眞紀子君
松本 剛明君 福島 豊君
山口 富男君 東門美津子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 仙谷 由人君
参考人
(岩手県立大学総合政策学部教授) 小針 司君
参考人
(防衛大学校助教授) 松浦 一夫君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
三月二十五日
小委員土井たか子君同月十一日委員辞任につき、その補欠として東門美津子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員武正公一君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員松本剛明君及び東門美津子君同日委員辞任につき、その補欠として武正公一君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
安全保障及び国際協力等に関する件(非常事態と憲法)
————◇—————
この発言だけを見る →午後二時一分開議
出席小委員
小委員長 近藤 基彦君
伊藤 公介君 大村 秀章君
河野 太郎君 渡海紀三朗君
中谷 元君 平井 卓也君
伊藤 忠治君 大出 彰君
楠田 大蔵君 田中眞紀子君
松本 剛明君 福島 豊君
山口 富男君 東門美津子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 仙谷 由人君
参考人
(岩手県立大学総合政策学部教授) 小針 司君
参考人
(防衛大学校助教授) 松浦 一夫君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
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三月二十五日
小委員土井たか子君同月十一日委員辞任につき、その補欠として東門美津子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員武正公一君同日委員辞任につき、その補欠として松本剛明君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員松本剛明君及び東門美津子君同日委員辞任につき、その補欠として武正公一君及び土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
安全保障及び国際協力等に関する件(非常事態と憲法)
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近
近藤基彦#1
○近藤小委員長 これより会議を開きます。
安全保障及び国際協力等に関する件、特に、非常事態と憲法について調査を進めます。
本日は、参考人として岩手県立大学総合政策学部教授小針司君及び防衛大学校助教授松浦一夫君に御出席をいただいております。
この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、小針参考人、松浦参考人の順序で、非常事態と憲法について、国民保護法制についても含め、お一人三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際にはその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず小針参考人からお願いいたします。
この発言だけを見る →安全保障及び国際協力等に関する件、特に、非常事態と憲法について調査を進めます。
本日は、参考人として岩手県立大学総合政策学部教授小針司君及び防衛大学校助教授松浦一夫君に御出席をいただいております。
この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
まず、小針参考人、松浦参考人の順序で、非常事態と憲法について、国民保護法制についても含め、お一人三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際にはその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず小針参考人からお願いいたします。
小
小針司#2
○小針参考人 それでは、私の方から陳述いたします。
皆さんのお手元には私のレジュメが行き届いているかと思いますけれども、それを確認していただきたいと思います。
まず、はじめにということでありますけれども、明治憲法と現行憲法の対比ということで、明治憲法と現行憲法における非常事態法制、どう違うのかというふうな点について簡単に触れておきたいと思います。
まず、明治憲法についてですけれども、明治憲法におきましては、御存じのように、憲法典上、四カ条にわたる非常事態、以下、文脈に応じまして有事と言う場合もございます、に関する規定を設けていたわけであります。八条、十四条、三十一条それから七十条がそれであります。
また、緊急命令権と緊急財政処分の帝国議会に係る要件上の違いも認められますので、それにつきましては、簡単ながら、レジュメの方を参照していただければと思います。
明治憲法の特色につき触れますと、十四条の戒厳大権以外にも、三十一条に非常大権が規定されておりまして、しかも、極めて包括的であって、非常事態対処への強い傾斜が見られます。
これに対しまして、現行憲法につきましては、憲法典上、少なくとも明治憲法的な非常事態の規定は見られません。ただ、その五十四条二項におきましては参議院緊急集会の定めが見られますけれども、これは一時的に国会の機能を参議院に代行させるものでありまして、参議院に国会を超えた非常事態に対する特別な権限を認めたものとは解しがたいわけであります。
その意味で、現行憲法は、明治憲法に比べまして、非常事態に対しては、極めて謙抑的であり、沈黙しているとすら言えるわけであります。なお、このたび、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律、以下国民保護法案と言うことにいたしますけれども、これは、本則百九十四条、附則十七条から成る大部な法案ができ上がっております。
現行憲法が、今申し上げましたように、非常事態に対して特別な措置規定というものは持っていないということがどんなことを意味するかという点につきましては、今問題になっております非常事態、有事法制が憲法典上明文の根拠規範に依拠することなく専ら立法権行使の所産にとどまることを意味するというふうに私は解しております。このようにして、非常事態法制の憲法上の根拠をめぐる問題、すなわち、非常事態の一言をもって何ゆえに平時、通常時とは異なる国会制定法上の法制、人権に関連づけていいますと、平時を超えた厳しい人権制限に国民は服さなければならないのか、こういった問題が常に存在し続けることになろうかと思います。
端的に申し上げまして、平時と有事における法制の異質性はどこに存在するのかというふうに問われるならば、差し当たり私は、一つの例えでありますけれども、赤信号でとまるのが平時、赤信号でも渡るのが有事であるというふうに答えておきたいと思います。
あとは、平時から有事への移行プロセス、それから有事の状態、有事から平時へのまたこれは回帰のプロセス、そういうふうなプロセス的な思考というものについてもここに触れておきました。
それから、有事における法関係というものが、では、有事が終わって平時に戻ったならば直ちにそれで速やかに消滅するのかというと、必ずしもそうではないのではないかというようなところがなきにしもあらずであります。
私がいただいた衆議院の憲法資料集の第四十五号に「非常事態と憲法(国民保護法制を含む)に関する基礎的資料」というのがございますけれども、その二十九ページなどを見ましても、イギリスの例を取り上げまして、防衛に関する緊急事態法は、第二次世界大戦後廃止されたけれども、一九四〇年緊急権法に基づき制定された防衛令、ディフェンスレギュレーションズの一部が、一九六四年緊急権法の中に組み入れられたというふうなことも語られております。ですから、緊急事態法制というものが、緊急事態がやめば直ちに消滅するかどうなのか、そこらあたりが一つの問題点になろうかと思います。
それから、事例考察ということで、現行憲法が一体非常事態に遭遇したことはないのかどうかという点につきまして、簡単ながら、これはちょっと違った文脈かもしれませんけれども、占領統治というものをちょっと取り上げまして、触れてございます。
それで、占領統治下における現行憲法のありようというものを考えた場合に、ポツダム緊急勅令というものの存在を無視することはできないわけです。占領統治というのは、要するに、我が国の対外的独立性という意味での主権の喪失、すなわち終戦後の占領であったわけです。この終戦後占領期間中にポツダム緊急勅令というものが発せられまして、その罰則委任の包括性が憲法上問題となりまして、当該緊急勅令の違憲性が争われた事件がございました。
昭和二十七年の四月二十八日、我が国は独立回復したわけですけれども、その翌年の四月八日に、最高裁大法廷は次のように判示したわけです。この勅令、つまりポツダム緊急勅令というのは、連合国最高司令官のなす要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。こういうことで、占領統治という極めて異常な事態でのことであったわけですけれども、日本の一国の国内法制にあって、国内法としての憲法典の持つ最高法規性にも、ある状況下では限界があることを示唆する点で、このポツダム緊急勅令の持つ問題は興味深い事例だというふうに言えるかと思います。
次の二番目の方に移りますけれども、非常権とその類型というふうなことについて申し上げておきたいと思います。
国家緊急権と非常措置権との区別の相対性ということなんですが、非常事態に対処する権限をひとまず非常権と呼びますと、この非常権は超実定法的なそれとしての国家緊急権と、実定法的なそれとしての非常措置権との二つに二分されるわけです。ただ、この区分は相対的なものにすぎません。例えば、よく耳にする戒厳も、実定法化されなければ、これは超実定法的非常権、つまり国家緊急権の一つということになろうし、実定法をもって定めれば、これは非常措置権の一つとされるからであります。
さて、憲法典の、ないしは、もう少し正確に言うと憲法典の効力の停止という憲法典の効力の視点から非常事態のありようを眺めてみることにしたいと思います。
まず、憲法典の効力の停止ということなんでありますけれども、そもそも通常法の効力の停止というのは何であるかといえば、私なりに解釈いたしますと、不特定多数のケースに対する通常法の一般的な不適用を意味するというふうに理解しております。ここに憲法の停止とは、したがって、その妥当領域における憲法典の一般的な不適用を意味するということになります。しかしながら、このような憲法典そのものの停止が果たして法理論的に思考可能なものであるかは、私自身いろいろ考えましたところ、すこぶる疑問であるという結論を得ているところであります。といいますのも、憲法典がおよそ全体として停止されますならば、憲法典にその根拠を置く非常措置権もまた停止してしまうからなわけです。これはまさしく、私なりに名づけたところでありますけれども、憲法典停止のパラドックスと言うべきであろうかと思います。
したがって、憲法典の停止とはいうものの、実は停止を可能とする非常措置権の根拠規範及びそれと密接にかかわる組織規範、例えば非常措置権の保持者を定める規範は、停止されることなく、依然として一般的に適用され続けると考えなければならないというふうに考えます。
ところで、比較憲法的に見ていきますと、場所的、時間的に限定された憲法典の停止の例も見られるわけです。その場合、当該場所、時間はおよそ憲法典のらち外に置かれることとなりまして、人権のみならず統治機構の側面においても憲法典とはおよそ無縁の法状況が生ずるというふうに解されます。
このような規定を盛り込んだ憲法といたしましては、一七九九年の十二月十三日、フランス憲法の九十二条を挙げることができようかと思います。武装反乱または国家の安全を脅かす騒擾がある場合、法律は、時、場所を定めて、憲法の効力、アンピールというふうにこれはなっておりまして、帝国とか支配力となっているんですけれども、私の場合はこれは効力というふうに訳しております、憲法の効力を停止することができるというふうになっているわけです。
ただ、ここで指摘しておきたいのは、憲法の効力の停止でありますけれども、これはあくまでも時及び所を定めてという限定がなされていることなわけです。その点を指摘しておきたいと思います。
次に、憲法典そのものというよりも、憲法典列挙条文の停止というところにいきたいと思います。
ここに憲法典列挙条文の停止というのは何であるかというと、明示の宣言によりまして自己及び他の権限官庁のため、時、所を限りまして、列挙条文の適用を一般的に排除して、もって公権力の制約を排除し、公権力の活動範囲を拡大する作用と解されます。
通常、これらの条文は人権規定でありますので、結局、これらの人権規定による縛りから公権力を解き放つことを意味する。特定の人権規定の適用が一般的に排除される以上、そこに人権を語ることができない。したがって人権侵害の問題は成立する余地はないというふうに考えられます。
ただしながら、非常措置権といえども、目的といったようなものがあるわけですので、そういう非常措置権の目的とか、そういったものの縛りというのは、これはあって、公権力に対するそういう縛りによって、これは義務の反射としての反射的利益を個々の国民が受けることが考えられ得るわけです。しかしながら、これはあくまでも義務の反射としての反射利益ですから、権利というふうには言えないわけです。公権力の介入が、要するに非常措置の目的からして抑制を受ける。その結果として規制されない状況が生まれるにとどまるということになろうかと思います。
列挙条文の停止という形をとっているのが、一九五〇年一月三十一日、プロイセン憲法の百十一条ということになります。紛争または騒擾の場合にということで、公共の安全に対する差し迫った危険があるときは、憲法典の五条等々の条文は、時及び所を限って、その効力を停止することができるというような規定になっております。
それから、3なんでありますけれども、憲法典上のいかなる条文も停止しないものの、憲法典上の非常措置権によりまして変容をこうむる場合、特に人権の制限の度合いが強くなる場合。これは私が想定したケースでございます。この場合は、人権規定は存続し続けるわけですから、問題は、非常事態に伴う非常措置の要請にどこまで人権が譲歩しなければならないか、こういうことになろうかと思います。
つまり、互いに対立関係に立つ二つの憲法典上の法益の考量、調整の必要が生ずる。結局、人権規定が停止されることなく、他方で憲法典上の非常措置権が行使される場合には、人権と当該措置権との緊張関係が生じ、究極的には法益考量の問題となりまして、両法益の調整というものが必要となってくる。ただ、人権規定が停止されない以上は、人権はゼロではないわけです。また、この場合、非常事態対処規定が憲法に存在するわけですから、当該対処の憲法典上の根拠問題は成立する余地も、これはないわけです。問題は、いかなる人権がどの程度、非常事態対処のために制限されることとなるのかということになります。憲法典のバランス感覚が鋭く問われるゆえんと言えるでしょう。
4でありますが、これは、憲法典上、何らの非常事態対処規定を欠くにもかかわらず、非常事態に対処する必要がある場合、現行憲法がこれに該当するのではないかというふうに考えられます。この場合には、非常事態対処の憲法典上の根拠が明文化されていないわけですから、常に対処立法の合憲性が、その憲法典上の根拠も含めて問われることとなるわけです。
我が国の現行憲法のあり方がこれでありまして、立法権の配分規定である四十一条に立法の根拠を求めることは可能でありますけれども、人権制約の法理は差し当たり公共の福祉に見出すほかないわけです。といたしますと、この公共の福祉は、平時と非常時、有事という、その性質を異にする法状況に応じまして異なる意味内容を持つことになるのではないか。したがって、実質的には二つの相異なる公共の福祉、すなわち平時の公共の福祉と有事の公共の福祉が生じてしまうということになるのではないかというふうに考えます。
国民保護法案について若干触れさせていただきますと、国民保護法案の四条には次のような規定が見られるわけです。第四条「国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」二項「前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」この規定は、憲法十八条、特にその後段を配慮したものと解されます。すなわち、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」がこれであります。
あと、違法、免責か権限付与、違法かという点、ちょっと触れたいところもあるわけですけれども、時間の制約もありますので、このあたりは簡単に済ませておきたいと思います。
実は、イギリスにおいてはマーシャルローというような非常事態の対処法というのがあるわけですけれども、このマーシャルローにおきましては、そこでとられた行為は原則的に違法な行為とされまして、それに対して、いわば免責法を制定することによって責任を免らせるというあり方を採用しているところであります。
ただ、このような違法免責というようなアプローチ、手法といいましょうか、こういうやり方を現行憲法において採用するということになりますと、例えば、本来であれば憲法十七条におきまして国家賠償請求権が認められる場合であるにもかかわらず、違法免責法、違法に対して免責法が制定されることによって国家賠償請求権というものが結局行使できない、こういう問題が生じるのではないかというふうに私としては考えております。そういうふうな点では、平成十四年に最高裁によって下されました郵便法損害賠償免責・制限規定違憲判決が参考に値するのではないかというふうに考えます。
そういう視点からいくと、違法免責というような手法というのは、我が国の現行憲法に照らしますと、ちょっと私としてはなじまないというふうに考えております。
それから、三番目のところですけれども、非常事態と人権保障、そしてゲリラとテロリスト、高度に発達した民主主義国家における人権保障のあり方というふうなことなんですけれども、(1)として、何かちょっとこれは場違いではないかと思われるかもしれませんけれども、輸血による救命は病者・負傷者何人にとっても権利救済となるのか。自己決定とパターナリズムという副題をつけておきました。
事案は結局どういうことなのかというと、事前説明なく患者の自己決定権を奪い、その宗教上の信念に反してなされた輸血を人権侵害とした最高裁判例というのがあるわけですね。こういった考え方を非常事態に当てはめてみますと、避難者が、自己の主義、信条に反するといたしまして、避難を拒否するような意思決定をする権利というものがそもそも認められるか否か、認められるとすれば、これもまた人格権の一内容をなすものとして尊重されなければならず、その意思を尊重することなく強制的に避難させた場合、果たして人格権侵害を語ることができるのか否か、こういう問題が成立するんじゃないかということであります。
非常事態時の公権力の避難誘導は何人にとっても救命行為となり、いかなる意味でも権利侵害とならないのか、それとも、ここで死にたいと主張する主義、信条の持ち主にとっては余計なお世話であり、自己の生のあり方に関する自己決定権の侵害となるのか。人権の充満する国家社会における人権保障のあり方の多様かつ複雑な法状況が今日生じているわけです。まさに、非常事態法制はこうした法状況をも踏まえて構築されなければならない。このことを、上記の輸血に絡む損害賠償請求事件の最高裁判所の判例は我々に教えてくれるのではないかというふうに考えております。
このように、高度に発達した民主主義社会は、討論と合意の政治であるだけに、十分な権利保障がなされる反面、ある種の脆弱さも抱えているということです。
(2)として、非常事態をもたらすもの、ゲリラ・コマンドーによるゲリラ攻撃とテロリストによるテロリズムというふうなことで、ここでは、第一追加議定書などを取り上げて、ゲリラ・コマンドーとテロリストとの違い、その違いに応じた対応の違いというものについても若干触れてございます。
簡単に言ってしまえば、ゲリラ・コマンドーというのも、これまた戦闘員の資格というのは一定の要件で認められるわけです。その点についていえば、レジュメの四ページから五ページあたりに1から4ということで、戦闘員としての資格が認められるための要件というものを掲げておきました。1から2、3、4とあるわけですが、ただ、この四つの要件をゲリラ・コマンドーに対してそのまま当てはめようとすると、これは無理であります。ゲリラ戦を展開するということからいたしますと、そのとおり満たすことはできない。
それで、ゲリラ・コマンドーについて申し上げますと、ゲリラが戦闘員であるための要件といたしましては、二つの要件、つまり、遠方から認識することのできる固着の特殊標識を有すること、それから、公然と武器を携行していることの二要件、この緩和は行われているわけです、第一追加議定書でですね。ただし、部下について責任を負う一人の者が指揮していること、及び、戦争の法規及び慣例に従って行動していることという他の二要件の緩和は認められておりません。
そういう点からいたしますと、一体テロリストというものがこのような二つの要件を充足することができるのかどうか。仮に、緩和された形でも武器の公然携行を求めるにしても、テロリストに対してこれはそもそも無理ではないかというふうに考えられます。このような二つの緩和された要件を充足するような形でのテロリズムというのはそもそも行いがたいということになりますと、テロリストに対して戦闘員の地位を認めることは元来できないということになります。
したがって、テロリストは単なる犯罪者と解するほかはありません。よって、国内刑事法をもって処断されるべきということになりまして、この点で、不正規部隊の構成員であるにせよ、戦闘員とされ敵国の権力内に陥った場合に、捕虜として処遇されるゲリラとは決定的に異なると言わなければならないわけであります。
要するに、原則的には、対テロリズム対処は国内の警察作用、治安維持作用であり、適用法規は国内法であるが、対ゲリラ戦は、不正規戦とはいえ、それが対外的防衛作用である以上、適用法規も、今日、国際人道法とか武力紛争法とか呼ばれておりますけれども、かつての戦時国際法の一内容をなした交戦法規である。このように、彼我の違い、つまり、ゲリラとテロリストとの違いは、やはりその対処作用及び適用法規の性質的違いに端的に立ちあらわれているのではないかというふうに考えます。
大規模テロリズムあるいは国際的なテロリズムにつきましてもちょっと検討しているところでありますけれども、この点に関しましては、私自身、今現在、確固たる解釈学説を提示できる状態にはありません。
ただ、解釈というものを考えた場合に、その解釈の連続性、漸次の変化という要素というものが解釈に求められるとすると、大規模テロリズム、国際的なテロリズムをもって直ちに自衛権発動の要件の一つとされる武力攻撃に該当する、そういう解釈を導き出すことは、しばし私としてはちゅうちょせざるを得ない、もう少し解釈の連続性、漸次の変化といったようなものも考慮に入れて検討しなければならないのではないかというふうに考えております。
それから、四番目でありますけれども、非常事態法制の根源をなすものということでありますが、非常事態法制は、立憲主義を守る非常手段的憲法保障とも言われております。
立憲主義を一言で申し上げますと、権力抑制原理と語ることができるわけです。近代的な個をその中核とする近代立憲主義に限って申し上げますと、個人の権利、自由を確保すべく成立した憲法原理であるというふうに解されます。
そういうふうなことをかんがみ、そして現行憲法に目をやりますと、現行憲法の十三条前段は「すべて国民は、個人として尊重される。」というふうに定めまして、個人主義的世界観を表明しております。個人主義的世界観といっても、個人主義自体が多義的でありますから、多様な解釈の余地があることは否定できないところであります。けれども、個人主義は、各人は本来何者にもまさって尊重されるべきである、すなわち、初めに個人ありきというイデオロギーととらえることができるわけです。
このような個人主義的理解に立ってみれば、まさに社会契約論というのは、個人主義を前提としての個人に対する国家支配の正当化論と位置づけられることとなるわけです。かくして、国家は、個人の生命、身体、財産を保護してこそ、その支配の正当性を主張することができるのであるというふうに考えます。
してみますと、国家の大義とは何であるかというと、国民個々の生命、身体及び財産を保護することにあるのだ、個人としての尊重というのは、少なくとも個人が物扱いされないことを意味するというふうに解されます。
終わりに当たりまして、ちょっと一言、時間が来てしまったんですけれども、このたびの一連の有事関連法の成立によりまして、実質的なインナーキャビネット、閣内内閣の創出、それから地方公共団体の長に対する機関委任事務の復活など、統治機構レベルにも変容が見られますけれども、非常事態対処や防衛という問題を考えるに当たりまして、私は、今日、視座の転換が必要ではないかと考えております。
すなわち、国、都道府県、市町村、国民・個人という流れから、個々の国民・個人、市町村、都道府県、国へという流れに転換してみたらばどうかということです。この考え方は、我が身、我が家族、我が郷土、そして我が祖国の共同防衛はいかにあるべきかといった防衛観の反映でもあり、現行憲法の採用する個人主義的世界観に立脚するものであると考えます。私のささやかな提言というものも、憲法が採用する個人主義的世界観といったようなものに配慮したものであるわけです。
武器のさなかにあって法は沈黙する、インテル・アルマ・シレント・レーゲスというローマ法の法諺がありますけれども、にもかかわらず、そのときこそ、非常事態、有事法制はその効果を遺憾なく発揮し、国民個々の生命、身体、財産を保護し、国民の政治的統一体としての国家の安全を確保しなければならない。そのためにも、非常事態対処の根拠規範はやはり憲法典に確固たる形で盛り込まれるべきである。それが憲法典を否定するものとは考えがたい。さもなければ、国家の不文の法理の名のもとに、憲法典が無視され、葬り去られる危険性があるのではないかというふうに考えております。
危機にたわみ、危険が去れば復元する、さながら柳に風のようなしなやかなイギリスの軟性憲法のあり方にも意を払いまして、憲法典の復元力とは何かを考慮しつつ、本日のテーマは探求していくべきものと考えております。
国家と個人の共生は、言うはやすく行いがたいところがございます。この難問の解答を求め、模索し続ける宿命を負う者、それが憲法学者であり、防衛法学者であると私は考えております。
時間をちょっとオーバーしましたけれども、以上で私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございます。拍手
この発言だけを見る →皆さんのお手元には私のレジュメが行き届いているかと思いますけれども、それを確認していただきたいと思います。
まず、はじめにということでありますけれども、明治憲法と現行憲法の対比ということで、明治憲法と現行憲法における非常事態法制、どう違うのかというふうな点について簡単に触れておきたいと思います。
まず、明治憲法についてですけれども、明治憲法におきましては、御存じのように、憲法典上、四カ条にわたる非常事態、以下、文脈に応じまして有事と言う場合もございます、に関する規定を設けていたわけであります。八条、十四条、三十一条それから七十条がそれであります。
また、緊急命令権と緊急財政処分の帝国議会に係る要件上の違いも認められますので、それにつきましては、簡単ながら、レジュメの方を参照していただければと思います。
明治憲法の特色につき触れますと、十四条の戒厳大権以外にも、三十一条に非常大権が規定されておりまして、しかも、極めて包括的であって、非常事態対処への強い傾斜が見られます。
これに対しまして、現行憲法につきましては、憲法典上、少なくとも明治憲法的な非常事態の規定は見られません。ただ、その五十四条二項におきましては参議院緊急集会の定めが見られますけれども、これは一時的に国会の機能を参議院に代行させるものでありまして、参議院に国会を超えた非常事態に対する特別な権限を認めたものとは解しがたいわけであります。
その意味で、現行憲法は、明治憲法に比べまして、非常事態に対しては、極めて謙抑的であり、沈黙しているとすら言えるわけであります。なお、このたび、武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律、以下国民保護法案と言うことにいたしますけれども、これは、本則百九十四条、附則十七条から成る大部な法案ができ上がっております。
現行憲法が、今申し上げましたように、非常事態に対して特別な措置規定というものは持っていないということがどんなことを意味するかという点につきましては、今問題になっております非常事態、有事法制が憲法典上明文の根拠規範に依拠することなく専ら立法権行使の所産にとどまることを意味するというふうに私は解しております。このようにして、非常事態法制の憲法上の根拠をめぐる問題、すなわち、非常事態の一言をもって何ゆえに平時、通常時とは異なる国会制定法上の法制、人権に関連づけていいますと、平時を超えた厳しい人権制限に国民は服さなければならないのか、こういった問題が常に存在し続けることになろうかと思います。
端的に申し上げまして、平時と有事における法制の異質性はどこに存在するのかというふうに問われるならば、差し当たり私は、一つの例えでありますけれども、赤信号でとまるのが平時、赤信号でも渡るのが有事であるというふうに答えておきたいと思います。
あとは、平時から有事への移行プロセス、それから有事の状態、有事から平時へのまたこれは回帰のプロセス、そういうふうなプロセス的な思考というものについてもここに触れておきました。
それから、有事における法関係というものが、では、有事が終わって平時に戻ったならば直ちにそれで速やかに消滅するのかというと、必ずしもそうではないのではないかというようなところがなきにしもあらずであります。
私がいただいた衆議院の憲法資料集の第四十五号に「非常事態と憲法(国民保護法制を含む)に関する基礎的資料」というのがございますけれども、その二十九ページなどを見ましても、イギリスの例を取り上げまして、防衛に関する緊急事態法は、第二次世界大戦後廃止されたけれども、一九四〇年緊急権法に基づき制定された防衛令、ディフェンスレギュレーションズの一部が、一九六四年緊急権法の中に組み入れられたというふうなことも語られております。ですから、緊急事態法制というものが、緊急事態がやめば直ちに消滅するかどうなのか、そこらあたりが一つの問題点になろうかと思います。
それから、事例考察ということで、現行憲法が一体非常事態に遭遇したことはないのかどうかという点につきまして、簡単ながら、これはちょっと違った文脈かもしれませんけれども、占領統治というものをちょっと取り上げまして、触れてございます。
それで、占領統治下における現行憲法のありようというものを考えた場合に、ポツダム緊急勅令というものの存在を無視することはできないわけです。占領統治というのは、要するに、我が国の対外的独立性という意味での主権の喪失、すなわち終戦後の占領であったわけです。この終戦後占領期間中にポツダム緊急勅令というものが発せられまして、その罰則委任の包括性が憲法上問題となりまして、当該緊急勅令の違憲性が争われた事件がございました。
昭和二十七年の四月二十八日、我が国は独立回復したわけですけれども、その翌年の四月八日に、最高裁大法廷は次のように判示したわけです。この勅令、つまりポツダム緊急勅令というのは、連合国最高司令官のなす要求に係る事項を実施する必要上制定されたものであるから、日本国憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならない。こういうことで、占領統治という極めて異常な事態でのことであったわけですけれども、日本の一国の国内法制にあって、国内法としての憲法典の持つ最高法規性にも、ある状況下では限界があることを示唆する点で、このポツダム緊急勅令の持つ問題は興味深い事例だというふうに言えるかと思います。
次の二番目の方に移りますけれども、非常権とその類型というふうなことについて申し上げておきたいと思います。
国家緊急権と非常措置権との区別の相対性ということなんですが、非常事態に対処する権限をひとまず非常権と呼びますと、この非常権は超実定法的なそれとしての国家緊急権と、実定法的なそれとしての非常措置権との二つに二分されるわけです。ただ、この区分は相対的なものにすぎません。例えば、よく耳にする戒厳も、実定法化されなければ、これは超実定法的非常権、つまり国家緊急権の一つということになろうし、実定法をもって定めれば、これは非常措置権の一つとされるからであります。
さて、憲法典の、ないしは、もう少し正確に言うと憲法典の効力の停止という憲法典の効力の視点から非常事態のありようを眺めてみることにしたいと思います。
まず、憲法典の効力の停止ということなんでありますけれども、そもそも通常法の効力の停止というのは何であるかといえば、私なりに解釈いたしますと、不特定多数のケースに対する通常法の一般的な不適用を意味するというふうに理解しております。ここに憲法の停止とは、したがって、その妥当領域における憲法典の一般的な不適用を意味するということになります。しかしながら、このような憲法典そのものの停止が果たして法理論的に思考可能なものであるかは、私自身いろいろ考えましたところ、すこぶる疑問であるという結論を得ているところであります。といいますのも、憲法典がおよそ全体として停止されますならば、憲法典にその根拠を置く非常措置権もまた停止してしまうからなわけです。これはまさしく、私なりに名づけたところでありますけれども、憲法典停止のパラドックスと言うべきであろうかと思います。
したがって、憲法典の停止とはいうものの、実は停止を可能とする非常措置権の根拠規範及びそれと密接にかかわる組織規範、例えば非常措置権の保持者を定める規範は、停止されることなく、依然として一般的に適用され続けると考えなければならないというふうに考えます。
ところで、比較憲法的に見ていきますと、場所的、時間的に限定された憲法典の停止の例も見られるわけです。その場合、当該場所、時間はおよそ憲法典のらち外に置かれることとなりまして、人権のみならず統治機構の側面においても憲法典とはおよそ無縁の法状況が生ずるというふうに解されます。
このような規定を盛り込んだ憲法といたしましては、一七九九年の十二月十三日、フランス憲法の九十二条を挙げることができようかと思います。武装反乱または国家の安全を脅かす騒擾がある場合、法律は、時、場所を定めて、憲法の効力、アンピールというふうにこれはなっておりまして、帝国とか支配力となっているんですけれども、私の場合はこれは効力というふうに訳しております、憲法の効力を停止することができるというふうになっているわけです。
ただ、ここで指摘しておきたいのは、憲法の効力の停止でありますけれども、これはあくまでも時及び所を定めてという限定がなされていることなわけです。その点を指摘しておきたいと思います。
次に、憲法典そのものというよりも、憲法典列挙条文の停止というところにいきたいと思います。
ここに憲法典列挙条文の停止というのは何であるかというと、明示の宣言によりまして自己及び他の権限官庁のため、時、所を限りまして、列挙条文の適用を一般的に排除して、もって公権力の制約を排除し、公権力の活動範囲を拡大する作用と解されます。
通常、これらの条文は人権規定でありますので、結局、これらの人権規定による縛りから公権力を解き放つことを意味する。特定の人権規定の適用が一般的に排除される以上、そこに人権を語ることができない。したがって人権侵害の問題は成立する余地はないというふうに考えられます。
ただしながら、非常措置権といえども、目的といったようなものがあるわけですので、そういう非常措置権の目的とか、そういったものの縛りというのは、これはあって、公権力に対するそういう縛りによって、これは義務の反射としての反射的利益を個々の国民が受けることが考えられ得るわけです。しかしながら、これはあくまでも義務の反射としての反射利益ですから、権利というふうには言えないわけです。公権力の介入が、要するに非常措置の目的からして抑制を受ける。その結果として規制されない状況が生まれるにとどまるということになろうかと思います。
列挙条文の停止という形をとっているのが、一九五〇年一月三十一日、プロイセン憲法の百十一条ということになります。紛争または騒擾の場合にということで、公共の安全に対する差し迫った危険があるときは、憲法典の五条等々の条文は、時及び所を限って、その効力を停止することができるというような規定になっております。
それから、3なんでありますけれども、憲法典上のいかなる条文も停止しないものの、憲法典上の非常措置権によりまして変容をこうむる場合、特に人権の制限の度合いが強くなる場合。これは私が想定したケースでございます。この場合は、人権規定は存続し続けるわけですから、問題は、非常事態に伴う非常措置の要請にどこまで人権が譲歩しなければならないか、こういうことになろうかと思います。
つまり、互いに対立関係に立つ二つの憲法典上の法益の考量、調整の必要が生ずる。結局、人権規定が停止されることなく、他方で憲法典上の非常措置権が行使される場合には、人権と当該措置権との緊張関係が生じ、究極的には法益考量の問題となりまして、両法益の調整というものが必要となってくる。ただ、人権規定が停止されない以上は、人権はゼロではないわけです。また、この場合、非常事態対処規定が憲法に存在するわけですから、当該対処の憲法典上の根拠問題は成立する余地も、これはないわけです。問題は、いかなる人権がどの程度、非常事態対処のために制限されることとなるのかということになります。憲法典のバランス感覚が鋭く問われるゆえんと言えるでしょう。
4でありますが、これは、憲法典上、何らの非常事態対処規定を欠くにもかかわらず、非常事態に対処する必要がある場合、現行憲法がこれに該当するのではないかというふうに考えられます。この場合には、非常事態対処の憲法典上の根拠が明文化されていないわけですから、常に対処立法の合憲性が、その憲法典上の根拠も含めて問われることとなるわけです。
我が国の現行憲法のあり方がこれでありまして、立法権の配分規定である四十一条に立法の根拠を求めることは可能でありますけれども、人権制約の法理は差し当たり公共の福祉に見出すほかないわけです。といたしますと、この公共の福祉は、平時と非常時、有事という、その性質を異にする法状況に応じまして異なる意味内容を持つことになるのではないか。したがって、実質的には二つの相異なる公共の福祉、すなわち平時の公共の福祉と有事の公共の福祉が生じてしまうということになるのではないかというふうに考えます。
国民保護法案について若干触れさせていただきますと、国民保護法案の四条には次のような規定が見られるわけです。第四条「国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」二項「前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」この規定は、憲法十八条、特にその後段を配慮したものと解されます。すなわち、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」がこれであります。
あと、違法、免責か権限付与、違法かという点、ちょっと触れたいところもあるわけですけれども、時間の制約もありますので、このあたりは簡単に済ませておきたいと思います。
実は、イギリスにおいてはマーシャルローというような非常事態の対処法というのがあるわけですけれども、このマーシャルローにおきましては、そこでとられた行為は原則的に違法な行為とされまして、それに対して、いわば免責法を制定することによって責任を免らせるというあり方を採用しているところであります。
ただ、このような違法免責というようなアプローチ、手法といいましょうか、こういうやり方を現行憲法において採用するということになりますと、例えば、本来であれば憲法十七条におきまして国家賠償請求権が認められる場合であるにもかかわらず、違法免責法、違法に対して免責法が制定されることによって国家賠償請求権というものが結局行使できない、こういう問題が生じるのではないかというふうに私としては考えております。そういうふうな点では、平成十四年に最高裁によって下されました郵便法損害賠償免責・制限規定違憲判決が参考に値するのではないかというふうに考えます。
そういう視点からいくと、違法免責というような手法というのは、我が国の現行憲法に照らしますと、ちょっと私としてはなじまないというふうに考えております。
それから、三番目のところですけれども、非常事態と人権保障、そしてゲリラとテロリスト、高度に発達した民主主義国家における人権保障のあり方というふうなことなんですけれども、(1)として、何かちょっとこれは場違いではないかと思われるかもしれませんけれども、輸血による救命は病者・負傷者何人にとっても権利救済となるのか。自己決定とパターナリズムという副題をつけておきました。
事案は結局どういうことなのかというと、事前説明なく患者の自己決定権を奪い、その宗教上の信念に反してなされた輸血を人権侵害とした最高裁判例というのがあるわけですね。こういった考え方を非常事態に当てはめてみますと、避難者が、自己の主義、信条に反するといたしまして、避難を拒否するような意思決定をする権利というものがそもそも認められるか否か、認められるとすれば、これもまた人格権の一内容をなすものとして尊重されなければならず、その意思を尊重することなく強制的に避難させた場合、果たして人格権侵害を語ることができるのか否か、こういう問題が成立するんじゃないかということであります。
非常事態時の公権力の避難誘導は何人にとっても救命行為となり、いかなる意味でも権利侵害とならないのか、それとも、ここで死にたいと主張する主義、信条の持ち主にとっては余計なお世話であり、自己の生のあり方に関する自己決定権の侵害となるのか。人権の充満する国家社会における人権保障のあり方の多様かつ複雑な法状況が今日生じているわけです。まさに、非常事態法制はこうした法状況をも踏まえて構築されなければならない。このことを、上記の輸血に絡む損害賠償請求事件の最高裁判所の判例は我々に教えてくれるのではないかというふうに考えております。
このように、高度に発達した民主主義社会は、討論と合意の政治であるだけに、十分な権利保障がなされる反面、ある種の脆弱さも抱えているということです。
(2)として、非常事態をもたらすもの、ゲリラ・コマンドーによるゲリラ攻撃とテロリストによるテロリズムというふうなことで、ここでは、第一追加議定書などを取り上げて、ゲリラ・コマンドーとテロリストとの違い、その違いに応じた対応の違いというものについても若干触れてございます。
簡単に言ってしまえば、ゲリラ・コマンドーというのも、これまた戦闘員の資格というのは一定の要件で認められるわけです。その点についていえば、レジュメの四ページから五ページあたりに1から4ということで、戦闘員としての資格が認められるための要件というものを掲げておきました。1から2、3、4とあるわけですが、ただ、この四つの要件をゲリラ・コマンドーに対してそのまま当てはめようとすると、これは無理であります。ゲリラ戦を展開するということからいたしますと、そのとおり満たすことはできない。
それで、ゲリラ・コマンドーについて申し上げますと、ゲリラが戦闘員であるための要件といたしましては、二つの要件、つまり、遠方から認識することのできる固着の特殊標識を有すること、それから、公然と武器を携行していることの二要件、この緩和は行われているわけです、第一追加議定書でですね。ただし、部下について責任を負う一人の者が指揮していること、及び、戦争の法規及び慣例に従って行動していることという他の二要件の緩和は認められておりません。
そういう点からいたしますと、一体テロリストというものがこのような二つの要件を充足することができるのかどうか。仮に、緩和された形でも武器の公然携行を求めるにしても、テロリストに対してこれはそもそも無理ではないかというふうに考えられます。このような二つの緩和された要件を充足するような形でのテロリズムというのはそもそも行いがたいということになりますと、テロリストに対して戦闘員の地位を認めることは元来できないということになります。
したがって、テロリストは単なる犯罪者と解するほかはありません。よって、国内刑事法をもって処断されるべきということになりまして、この点で、不正規部隊の構成員であるにせよ、戦闘員とされ敵国の権力内に陥った場合に、捕虜として処遇されるゲリラとは決定的に異なると言わなければならないわけであります。
要するに、原則的には、対テロリズム対処は国内の警察作用、治安維持作用であり、適用法規は国内法であるが、対ゲリラ戦は、不正規戦とはいえ、それが対外的防衛作用である以上、適用法規も、今日、国際人道法とか武力紛争法とか呼ばれておりますけれども、かつての戦時国際法の一内容をなした交戦法規である。このように、彼我の違い、つまり、ゲリラとテロリストとの違いは、やはりその対処作用及び適用法規の性質的違いに端的に立ちあらわれているのではないかというふうに考えます。
大規模テロリズムあるいは国際的なテロリズムにつきましてもちょっと検討しているところでありますけれども、この点に関しましては、私自身、今現在、確固たる解釈学説を提示できる状態にはありません。
ただ、解釈というものを考えた場合に、その解釈の連続性、漸次の変化という要素というものが解釈に求められるとすると、大規模テロリズム、国際的なテロリズムをもって直ちに自衛権発動の要件の一つとされる武力攻撃に該当する、そういう解釈を導き出すことは、しばし私としてはちゅうちょせざるを得ない、もう少し解釈の連続性、漸次の変化といったようなものも考慮に入れて検討しなければならないのではないかというふうに考えております。
それから、四番目でありますけれども、非常事態法制の根源をなすものということでありますが、非常事態法制は、立憲主義を守る非常手段的憲法保障とも言われております。
立憲主義を一言で申し上げますと、権力抑制原理と語ることができるわけです。近代的な個をその中核とする近代立憲主義に限って申し上げますと、個人の権利、自由を確保すべく成立した憲法原理であるというふうに解されます。
そういうふうなことをかんがみ、そして現行憲法に目をやりますと、現行憲法の十三条前段は「すべて国民は、個人として尊重される。」というふうに定めまして、個人主義的世界観を表明しております。個人主義的世界観といっても、個人主義自体が多義的でありますから、多様な解釈の余地があることは否定できないところであります。けれども、個人主義は、各人は本来何者にもまさって尊重されるべきである、すなわち、初めに個人ありきというイデオロギーととらえることができるわけです。
このような個人主義的理解に立ってみれば、まさに社会契約論というのは、個人主義を前提としての個人に対する国家支配の正当化論と位置づけられることとなるわけです。かくして、国家は、個人の生命、身体、財産を保護してこそ、その支配の正当性を主張することができるのであるというふうに考えます。
してみますと、国家の大義とは何であるかというと、国民個々の生命、身体及び財産を保護することにあるのだ、個人としての尊重というのは、少なくとも個人が物扱いされないことを意味するというふうに解されます。
終わりに当たりまして、ちょっと一言、時間が来てしまったんですけれども、このたびの一連の有事関連法の成立によりまして、実質的なインナーキャビネット、閣内内閣の創出、それから地方公共団体の長に対する機関委任事務の復活など、統治機構レベルにも変容が見られますけれども、非常事態対処や防衛という問題を考えるに当たりまして、私は、今日、視座の転換が必要ではないかと考えております。
すなわち、国、都道府県、市町村、国民・個人という流れから、個々の国民・個人、市町村、都道府県、国へという流れに転換してみたらばどうかということです。この考え方は、我が身、我が家族、我が郷土、そして我が祖国の共同防衛はいかにあるべきかといった防衛観の反映でもあり、現行憲法の採用する個人主義的世界観に立脚するものであると考えます。私のささやかな提言というものも、憲法が採用する個人主義的世界観といったようなものに配慮したものであるわけです。
武器のさなかにあって法は沈黙する、インテル・アルマ・シレント・レーゲスというローマ法の法諺がありますけれども、にもかかわらず、そのときこそ、非常事態、有事法制はその効果を遺憾なく発揮し、国民個々の生命、身体、財産を保護し、国民の政治的統一体としての国家の安全を確保しなければならない。そのためにも、非常事態対処の根拠規範はやはり憲法典に確固たる形で盛り込まれるべきである。それが憲法典を否定するものとは考えがたい。さもなければ、国家の不文の法理の名のもとに、憲法典が無視され、葬り去られる危険性があるのではないかというふうに考えております。
危機にたわみ、危険が去れば復元する、さながら柳に風のようなしなやかなイギリスの軟性憲法のあり方にも意を払いまして、憲法典の復元力とは何かを考慮しつつ、本日のテーマは探求していくべきものと考えております。
国家と個人の共生は、言うはやすく行いがたいところがございます。この難問の解答を求め、模索し続ける宿命を負う者、それが憲法学者であり、防衛法学者であると私は考えております。
時間をちょっとオーバーしましたけれども、以上で私の陳述を終わらせていただきます。
ありがとうございます。拍手
近
松
松浦一夫#4
○松浦参考人 防衛大学校の松浦でございます。
本日は、お招きいただきましてありがとうございます。
私に課せられたテーマでございますが、諸外国の国民保護法制ということでテーマをいただいております。諸外国と非常に広い範囲を指定されましたのですが、私も、いろいろな国について新しいところまですべてフォローしているわけでございませんで、特にドイツのことを中心に勉強してまいりました。そういうことで、諸外国とありますが、特にドイツの国民保護法制、これを中心に、これまでの制定の経緯と、それから、特に九・一一の米国テロ事件以降の新しい動向、こうしたものを踏まえましてお話をさせていただきたいと思います。レジュメをお配りしてありますが、おおむねこれに従ってお話をいたします。
各国国民保護法制の概説ということで最初にございますが、衆憲資料第四十五号ということで、こちらでつくられた資料がございまして、これが非常によくできておりまして、これ以上のことをお話しするようなこともないのでありますが、後半述べますドイツの法制の特徴を際立たせる意味で、ほかの国についても若干御説明をいたしたいと思います。
よく、緊急事態法制を分類する場合に、英米法系と、それから大陸法系というような区別をされる論者が多いわけでありますが、これは、一般的に二つに分けられるということは確かに類型として言えるのかもしれません。
先ほど小針参考人の方からも言及がありました英国に関しましては、成文憲法を持たず、またコモンローの国ということで、この緊急事態法制に関しましても、いわゆるマーシャルロー、マーシャルルールというものに基づきまして、必要性の原則に従って緊急時に必要な対処権限というものを広く国王に授権するという方法をとる。その際、法に仮に反した場合に、違法な措置であっても免責法という形でこれを事後的に合法化するというような手続をとるということがあります。
ただ、これも、第一次大戦のころから第二次大戦にかけまして幾つかの成文法ができております。これらは、一九一四年の国土防衛法であるとか、あるいは緊急権法、こういった法律がそれであります。これらは、今日我々が、あるいは日本において、あるいはドイツの法制に照らしてみて、いずれもいわゆる授権法というものでありまして、緊急措置権を包括的に授権できる分野を列挙したにすぎない程度のものでありまして、内容的には、要するに授権を行政立法に委任するための法律というような側面を持っております。とはいえ、こうした実定法上の枠組みというものができ始めたのが第一次大戦のころからということになります。
国民保護法制といいますものは、やはり第一次大戦のころから戦争の形態というものが変わってきまして、一般の非戦闘員を巻き込む非常に大きな戦争災害を招くようになったのがこのころからでありました。国家総力戦の中で非常に多くの一般市民の犠牲者が出るということが前提にあったわけでありまして、これにどう対処するかということでさまざまな法律ができてまいります。イギリスでも、空襲警報法、あるいは民間防衛法といったようなものがさまざまできてまいります。
また、戦後になりまして、一九六四年に国家緊急権法というものができております。これに基づき、広く民間防衛に関しましてもカバーできるという体制をとっております。さらに、イギリスの場合には特にテロ対策というものにつきましてもかなり前から立法がなされておりまして、二〇〇〇年にテロ対策法というものができております。
それから、フランスに関しましても、これもやはり第一次大戦のころから、消極的防衛という名称、分類でありますが、工業力や建造物の保全であるとか、あるいは国民に対する毒ガス攻撃などに対処する法制というようなものができてまいります。一九四四年、第二次大戦の終わりのころに国防省から内務省に移管して、現在は民間防衛・安全保障局というところが、内務省の中でこれを担当しているということであります。
それから、スイスに関しましては、民間防衛と申しますのはスイスは非常に発達しておることは御承知のとおりであります。スイスは永世中立国でありますから、これは自国の国土を戦闘の場にせざるを得ない状況にあるわけでありまして、そういう中で、国民保護をどう考えるかということは特に、ほかの国以上に重要な問題であります。民間防衛、これはドイツと共通するところがあるのですが、総合防衛という原則のもとに、軍事防衛、精神的国防、これとともに民間防衛という柱、この三本柱によって総合防衛というものを構築しているわけであります。
民間防衛に関しましては、特に一九九九年の憲法の六十一条にその明文規定が置かれておりまして、憲法上も詳しくこれが規定されているというところに特徴があります。
韓国に関しましては、これは言うまでもなく北の脅威というものを前提にいたしまして、早い時期から、これは朝鮮戦争のころからでありますけれども、国民保護というものについては非常に重きを置いてまいりました。憲法上、大統領に緊急措置権、緊急命令権でありますとか緊急財政・経済命令権あるいは戒厳宣布権といったようなものが憲法上の規定として置かれております。
民間防衛に関しましても、一九五一年の三月に防空法というものが制定されております。また、七五年の八月には民防衛基本法というものが制定されました。現在、この法律が民間防衛の基本法ということになっております。同年十二月には民防衛隊というものが組織されまして、二十歳から四十五歳までの男子あるいは志願した女子というものから、非常に大規模な民防衛隊の組織というものが維持されておるということでございます。
アメリカに関しましては、これは、特に九・一一以降、こうした分野について省庁の再編等がございまして、最近の動きというものがかなり活発でありますが、当初は、一九五〇年のころから民間防衛法というものが制定されてはおりましたが、これは特に、米ソの対立が厳しい時代、核攻撃の危機というもの、これを前提にした法制がまず構築されていったわけであります。
災害に関しましても法律がございますが、これは一次的には各州が対応するものであります。これが一九七九年の三月にFEMA、連邦緊急事態管理庁というものによりまして、連邦一元的な危機管理体制というものが確立してまいります。州知事の要請とFEMAの長官の勧告によって大統領が緊急事態宣言、これは大規模なテロであるとか核攻撃などの場合は要請は必要ございませんけれども、大統領の緊急事態宣言というものを行うという形になっております。これが、二〇〇三年の一月に国土安全保障省の設置に伴って、その一局として統合されるという経緯をたどっております。
いずれにしましても、こうした諸外国の民間防衛あるいは国民保護法制というものを見てまいりますと、軍事的な防衛というものとそれから平時の災害救助、こうした法制とを結びつける一つの法分野というようなことが言えるかと思います。
さて、本題の方のドイツの国民保護法制に関してここから御説明をいたしますが、ドイツの緊急事態法制、これにつきましては、この小委員会の中でも参考人が何度か触れられております。それについてまた改めて説明する必要もなかろうと思いますので、憲法上、市民保護、国民保護というものがどのような形で規定されているかということだけを御説明いたしたいと思います。
ドイツの条文を見ますと、防衛に関する規定というのが幾つかございます。その中で、特に防衛という言葉を単独で用いることなく、一般住民、一般市民の保護を含む防衛という言葉がたびたび使われております。
レジュメに列記いたしましたように、基本法の十二a条三項、これは兵役あるいは代替役務に徴用されない防衛役務義務者の非軍事的役務に関する規定でありますけれども、ここにおきましても、防衛という言葉がこう書いてあります。国防義務者に対しては、防衛事態において、法律によってまたは法律の根拠に基づいて、一般住民の保護を含む防衛の目的のため、非軍事的役務の義務を課すことができるというふうな条文を置いておるわけであります。
これ以外にも、十七a条の二項、これは、防衛に関する法律による移転、居住移転の自由であるとか居住の不可侵の制限でありますが、ここで言う防衛に関する法律というものの中にも、一般住民を含む防衛という言葉が使われております。
さらには、七十三条の一号、これは連邦の専属的立法権限に関する規定でありますけれども、これも、一般住民を含む防衛に関して連邦が立法権限を有するという条文になっております。
つまり、ドイツの憲法の中では、防衛、通常我々が想定しますのは軍事的な防衛を意味するわけでありますが、それとワンセットで国民の保護、一般住民の保護というものを常に考えるという姿勢がこの憲法の条文の中からも読み取れるということが言えると思います。
つまり、国防の任務というものがもちろん国の役割であることは間違いございませんが、国民に多くの被害を与えて、あるいは国民の安全というものをないがしろにして国防というのはあり得ないわけでありますから、国を守るということと国民の安全を守るということが常にワンセットであるということを意識する意味で、こうした条文の規定のあり方というのは有意義であろうと思います。
そうしたことで、憲法上、軍事的防衛と国民保護というもの、これが常に並列関係で規定されているということでありますが、ここから、では実際、国民保護というものがどのような形でドイツの防衛構想の中に位置づけられているかということを御説明したいと思います。
これは、先ほどスイスのところでも申しましたが、総合防衛という考え方をドイツはとっております。これはきょう参考資料としてお分けしました私の論文の中でも図式化しておりますけれども、「総合防衛のための一般指針 総合防衛ガイドライン」というものがドイツにはございます。これは一九八九年の一月十日に決定されたガイドライン文書であります。
ここではどういうことが書かれておるかといいますと、NATOとそれからドイツの国家機関、ドイツはNATO加盟国であります。特に冷戦時代、東西ドイツに分かれまして、西ドイツはワルシャワ条約軍に対して前線にあったわけでありまして、非常に有事というものを常に想定した安全保障政策というものをする。そういう中で、この防衛構想というもの、これはNATOとドイツの国家機関との関係というものが問題になります。さらに、ドイツは連邦国家でありますから、連邦政府と州政府、地方機関、こうしたものとの関係がどうあるべきか、あるいは民間の災害救助団体、こうしたものとの関係がどうあるべきかということで、非常に複雑な関係の中で有事法制というものを運用しなければいけないという立場にございました。そういうことから、有事法制、これはドイツの場合には実定法としてたくさんございますが、これを統一的にそごなく運用するための一般指針として書かれたものであります。
この総合防衛といいますものは、軍事防衛、それから非軍事防衛という二つの分野に分けられております。軍事防衛というのは、国防省、連邦軍が担当する防衛分野であります。これに対しまして非軍事防衛といいますものは、軍事防衛以外の防衛に関係する分野、つまり文民機関が担当する防衛分野ということであります。こういう中で、国民保護、ドイツの場合には市民保護と言っておりますが、市民保護というものが非軍事防衛の中に含まれる。連邦内務省、それから各州の内務省の管轄で行われております。
この市民保護のために、ドイツはさまざまな連邦法をこれまで制定してきたわけでありますが、現行法は一九九七年の三月二十五日の法律であります。この九七年三月二十五日の法律というものは、正式名称は市民保護再編法という法律でありまして、それまで多く制定されてきた市民保護関係の連邦法を再構成するという意味を持っておりました。
この市民保護に関しての法律というものをたどってまいりますと、再軍備直後の一九五七年の十月九日に市民保護のための措置に関する第一法律というものがございます。
これが市民保護関係の法律の先駆けとなったものでありますが、この中には既に、市民保護、これは民防空と言っておりますが、連邦の任務であるということ、それから、この民防空に関する費用というものは連邦が負担するということが定められております。また、防空を担当する機関として、連邦防空警戒庁というものを内務省の中に置くというようなことも定められておりましたし、また、空襲時に発生する人的、物的災害、こういったものを予防しまたは除去する任務を持ちます防空救助隊というものの設置、これもこの段階でもう既に行われております。これ以外にも、例えば工業、食糧産業、ガス、水道、電気、こうした生活上重要な施設、防空施設を整備する措置、こういうものを定めておりますし、さらには、文化財の保護あるいは医療品の備蓄等の規定もこの段階でもう既に規定されております。
これが基本法になりまして、個々の分野につきまして個別法ができてまいります。
一九六五年の八月十二日に市民防護隊に関する法律というものができまして、武力攻撃の危機や被害から住民を守るための組織としまして、国際法上、救済団体としての地位を有する組織が設置されます。これは、招集された兵役義務者あるいは職業隊員、志願による任期採用隊員から構成される点で、連邦軍、軍隊と同じような組織をとっております。
さらに、一九六五年の九月九日になりますと、防護建築法という法律ができます。この防護建築法というのはシェルターの建設にかかわる法律でありまして、先ほど申しました第一法律の中の第五章に防護措置に関する規定がありました。これを補充する法律であります。建築物を新築する場合、その住民やそこで働く労働者の安全のためにシェルターの建設を義務づけるという規定が置かれましたり、あるいは病院、学校、宿泊施設、こうしたものに収容人員に見合ったシェルターを建設するというようなことがこれに書かれております。
それから、六五年の九月九日、同じ日でありますが、自己防護法というものもできております。
有事の際の国民保護といいますものは、確かに、公的な機関、国や自治体の住民の保護ということが重要であることは言うまでもありません。そのための法律でありますが、それ以前に、被害が発生した初期の段階でだれが自分を助けるかといえば、自分自身あるいは隣人であるわけであります。こうした住民の自己防護あるいは隣保救助というものの義務、これを定めたのがこの法律でありました。
ドイツでは、現行法でも、この自己防護というものに非常に重きを置いております。戦時においては、各地で同時多発的に被害が生じますから、国や自治体の機関がこれを救助するといいましても、無理が生じます。やはり、その初期の段階でこれを救うためには、自分で自分の身を守る、あるいは隣人を助けるということが重要になってまいりまして、この自己防護ということについて法律を設けたのが六五年でありました。
ただ、こうした法律、幾つかできておりますが、これは、当初は西ドイツの財政難から施行が大分延期されまして、十分にこれが効果を発揮したとまでは言えない部分がございました。とはいえ、この法律によって国民保護法制が一応完備したということが言えると思います。
その後、災害防護の拡張に関する法律というものができております、六八年の七月九日であります。この法律というのは、平時の自然災害や大事故に対する救助活動を行う組織、これはドイツの場合には連邦技術救助団というものがございます、あるいは連邦技術支援隊というように訳しているものもあります。これは内務省管轄の連邦機関でありますが、ボランティアが中心で組織されております。あるいは地方の消防隊でありますとか赤十字機関、あるいは、これはドイツ特有であるかもしれませんが、修道会、教会、こういったところが救済団を組織いたしまして、事故の救助などに当たっております。
こうした平時の災害救助組織というものと有事の市民防護組織、これが別々に運用されていたということから、組織上合理的でない、また、隊員も両方に重複して登録しているというケースが多くありまして、これを一本化する必要があるということで、平時の災害救助組織が有事の際にも活動するということで、組織的な一体化がなされたのがこの法律であります。
その後、そこに書かれておりますように、七六年に、第一法律が改正されて、市民保護に関する法律というものができました。最終的には、九七年、これは冷戦が終わった後でありますが、市民保護の再編に関する法律という現行法ができまして、それまでの法律がこの法律に一本化されて、非常に簡素かつ非常に合理的な法律にまとめられております。
時間がございませんので、現在の市民保護法に関して、簡単にその項目を列記いたしますが、市民保護に関しては七つの柱、分野がございます。先ほど申しました自己防護というのがその第一に書かれております。第二が、住民への警報に関する規定であります。三番目が、防護建築、先ほど言ったシェルターの維持管理。第四としまして、滞在規制。第五番目に、市民保護における防災組織の位置づけ。六番目に、健康保護措置。それから七番目に、文化財の保護措置というものがございます。
これらはいずれも、この市民保護再編法、現行法ができる前に幾つかの法律の中で既に定まっていたものでありますが、自己防護、これがその第一条に掲げられております。先ほど申しましたように、災害救助における自己防護というものの重要性をまずうたっておりました。自己防護というのは市民保護の基礎である、官庁による市民保護措置はこの自己防護というものを補完するものであるという位置づけがなされておりました。
それから、住民への警報に関しましては、危険の把握といいますものは連邦の責務であるということになっておりまして、ドイツでは各地に市民保護連絡所というものが設けられておりまして、防空に関する危険情報はここから上げられます。それから、放射能に関しては、全国に観測所が設けられておりまして、連邦放射能防護庁本部というものが設けられて、ここで情報収集、分析がなされることになっております。連邦レベルでこうした危険の把握を行うわけであります。
警報の発令というものも連邦が指示を出すわけでありますが、連邦の委任によって、ラント、各州の防災警報を担当する機関がこれを行うということになります。防災の器材等に不備がある、不足がある場合には、これは連邦の予算によって警報器材等の補充をするということになっております。
防護建築、シェルターの建築に関しましては、冷戦時代、もう既に多くのシェルターが建造されております。その維持というのは市町村に任されております。市町村は、平時、維持管理するかわりに、平時にはシェルターとして利用されておりませんで、ほかの別目的、例えば地下駐車場でありますとか、こうしたものに利用されておるわけですけれども、そこから得られた収入というものも市町村に帰属するということで、維持管理の責任と同時に、そうした収益にも結びつくというような合理的なシステムになっているようであります。
また、自家シェルター、これは個人あるいは企業などが設けたシェルターでありますけれども、これも連邦予算から補助金が出たり、あるいは税制上の優遇措置がとられておりまして、一定の義務を伴います。例えば、自分だけではなくて、ほかの人も同時にここに収容しなければいけないというような義務でありますとか、シェルターとしての機能に支障になるような改造、こういったものをしてはならないとか、こういった義務も同時に規定をされております。
それから、四番の滞在規制です。
滞在規制、これは日本では避難誘導というような言い方がされておりますけれども、必ずしも避難誘導というだけではございませんで、これはドイツだけではなくてNATO諸国すべて共通していると思いますが、滞在規制、つまり動いてはならないという指示もこの中に含まれます。
戦時においては、特に、いろいろな情報が錯綜しまして、一般住民が右往左往するということも考えられます。そうした場合に、住民が無秩序に移動するということになりますと、交通の障害にもなりますし、特に戦闘地域に近い地域では、部隊の移動とこの住民の避難というものの調整をどうするかというのは非常に難しい問題がございます。そういったことから、特に危険度が少ない地域におきましては、一般住民はそこにとどまれ、滞在場所を許可なく退去することが許されないという指示を出すこともできるようになっております。ただ、戦闘地域に近いところでありますとか、防衛上の重要施設があるところに居住している住民に関しましては、やはり避難誘導あるいはシェルターへの収容といったようなものがなされることになっております。
それから、市民保護における防災組織ということでありますが、先ほど申しましたように、平時の防災組織が有事においても市民保護に当たります。
これはドイツの特徴でありますが、これは後の方で説明するつもりでございましたが、ついでに説明いたしますと、ドイツでは、非常にボランティア組織というものが重要な役割を果たしております。消防団の志願隊員というのは全国で百三十万人おります。それから、そのほかにも代表的なボランティア組織が五つございまして、ドイツ赤十字社、それから労働者サマリア人連盟というのがありまして、これは労働組合系の救済団体、救助団体であります。それからドイツ救命社、それからヨハネ騎士修道会事故救済団、マルタ騎士修道会救助団といったようなものがございまして、これらに五十万人のボランティアが登録されております。こうしたボランティア組織あるいは消防団といったようなものが、連邦やラント、州の国民保護措置、これを助けることになっているわけであります。
これに加えまして、連邦技術救助団、これにも七万五千人が登録しておりまして、これは平時の災害救助のみならず、有事においても連邦やラント機関と連携をとりながら国民保護に当たる形になっております。
日本におきましても、これは、ボランティア団体との連携というものを、一応、国民保護法制、国民保護法の中に規定しております。第四条だったと思いますが。ただ、それの関係につきましては、ボランティア団体を支援する、協力関係をとるといいましても、具体的にどのような形になるのかということにつきましては、はっきりとはしておりません。この辺のところ、ドイツの連携のあり方、これが参考になるのではないかと考えております。
それから、六番目の健康保護措置というものですが、これは、特に有事の際には医療、衛生物資、これが不足いたします。これを平時から備蓄しておくということを、薬品会社でありますとか卸売業者、あるいは薬局、こうしたところに命じるという制度を整えております。
それから、文化財保護措置に関しましては、ドイツは、武力紛争における文化財の保護に関するハーグ条約に加入しております。六七年の四月十一日に、その批准法の中で、外務省、内務省それから国防省の所管分野に関しまして、この規定を置いております。
日本でも、文化財の保護に関しましては、国民保護法制の中で幾つか規定が置かれております。
時間がございませんので、最近の動向につきまして、若干御説明をいたします。
九・一一のテロ事件まで、特に冷戦下の、つまりドイツに対する武力攻撃というものを前提にした武力攻撃事態における国民保護ということが中心で検討されてまいりましたが、特に九・一一テロ事件以降、こうしたテロに対する対処というものも考えていかなければいけないということで、二〇〇二年の六月に、内務大臣会議、これは連邦内務大臣と各州の内務大臣の会議でありますが、新戦略というものが決定されまして、これに従いましてさまざまな改善がなされております。
幾つか項目がございますが、連邦市民保護・災害救助庁というものが新設されまして、それまで市民保護本部というものが担当しておりました部分をこれが引き継ぎまして、特に連邦、ラント、それから民間団体の連携というものに意を用いております。
それから、連邦・ラント合同通報・対策本部というものも設けられました。これが、特に不足物資の管理や要員、機材の調整などを行う対策本部として機能をいたします。
それから、deNISと言っておりますが、ドイツ緊急事態準備情報システムというインターネットを利用したデータバンクを立ち上げております。これは既に二〇〇二年の五月から運用が始まっておりますけれども、これは一般国民向けと関係者の内部のネットと二つございまして、一般向けのサイトにおいては、防災関係について二千以上のリンクが張られておりまして、市民保護に関するさまざまな情報の提供に充てられております。また、内部のネットに関しましては、防災関係機関、連邦、州、それから民間団体の間の情報交換でありますとか要員の融通、あるいは物資の配給、こういったものについての調整を行う情報データバンクとなっております。
これ以外にもさまざまな改善がなされておりますが、時間の関係上、省略をさせていただきます。
最後にもう一つ、テロと市民保護という視点から注目すべき動きといたしましては、航空保安法という法律ができつつあります。これはまだ、今現在、連邦議会の第一読会を通過したところまで確認しておりますが、日本でも若干、報道がなされております。これは、九・一一のテロの場合に、民間航空機をハイジャックしてこれを武器として使用するというような非常に残忍な行為が行われたのですが、こういったことがもしドイツであったらどうするんだということから話が始まりました。
さらに、二〇〇三年の一月五日でありますが、フランクフルトでちょっとした事件がございました。小型航空機を操縦する、ちょっと精神病を患った経緯のある者が高層ビルのあたりを飛び回っておるということで、これは危険であるということで、九・一一のテロの記憶がよみがえったというような事件がございました。こうしたことを反映いたしまして、民間航空機のようなものが乗っ取られて、例えば原子力発電所に突っ込むであるとか高層ビルに突っ込む、こういったことがなされた場合にどう対処するかということで、制定されつつある法律であります。
特に問題になりましたのは、この十四条の中で連邦軍の出動を規定していることであります。空軍機によって、強制着陸とか排除に従わない場合、威嚇射撃をしてもさらにこれに従わないということになりますと、最終的に武器の使用を認めているという点であります。民間航空機でありますから、当然これは一般の乗客も乗っているわけでありまして、これに対して武器を使用するということは、撃墜を意味するということになる。そうした一般住民を巻き込んだような措置が許されるのか、仮に二千人の人命を救うために二十人の人間を殺していいのかというような議論もございます。
これに関しましては、現在法案審議中でありますし、どうなるかはわかりませんが、一部には、基本法三十五条、災害時における連邦軍の出動規定、あるいは第二条、生命身体を害されない権利というものが規定されておりまして、こうしたものとの関連から、違憲の疑いありということで、批判も出ております。
ただ、連邦政府がそれを承知でこういった法律を出したといいますのは、やはり、自爆テロというのは自分の命をもう捨てるつもりでやっておるわけでありまして、そうしたテロリストに対して絶対にそれを成功させないという決意を示すためには、これぐらいのことは連邦政府は考えておるんだぞというところを示したかったのではないかと思います。
実際のところ、先ほども申しましたような、極限状況において連邦国防大臣がこの決断をする、つまり民間航空機を撃墜するというような決断ができるかといえば、非常に難しい。政治的に非常に大きな責任を伴いますから、決断は難しいだろうと思います。実際、オットー・シリー内務大臣は、この法案の説明の中でも、具体的にどういう状況でこうした武器使用を行うかということについての要件をはっきりしないということも言っております。ですので、実際には撃墜命令を出すというふうなことは難しいとは思いますが、ただ、法制上、そういうことも含めて政府は考えておるんだという決然たる態度を示すということで、自爆テロのようなものを防ぐという姿勢のあらわれではないかと私は考えております。
もう時間が過ぎておりますので、このぐらいにいたしまして、甚だ雑駁な発表になってしまいましたけれども、御不明な点がございましたら、また質疑応答の中でお答えしたいと思います。拍手
この発言だけを見る →本日は、お招きいただきましてありがとうございます。
私に課せられたテーマでございますが、諸外国の国民保護法制ということでテーマをいただいております。諸外国と非常に広い範囲を指定されましたのですが、私も、いろいろな国について新しいところまですべてフォローしているわけでございませんで、特にドイツのことを中心に勉強してまいりました。そういうことで、諸外国とありますが、特にドイツの国民保護法制、これを中心に、これまでの制定の経緯と、それから、特に九・一一の米国テロ事件以降の新しい動向、こうしたものを踏まえましてお話をさせていただきたいと思います。レジュメをお配りしてありますが、おおむねこれに従ってお話をいたします。
各国国民保護法制の概説ということで最初にございますが、衆憲資料第四十五号ということで、こちらでつくられた資料がございまして、これが非常によくできておりまして、これ以上のことをお話しするようなこともないのでありますが、後半述べますドイツの法制の特徴を際立たせる意味で、ほかの国についても若干御説明をいたしたいと思います。
よく、緊急事態法制を分類する場合に、英米法系と、それから大陸法系というような区別をされる論者が多いわけでありますが、これは、一般的に二つに分けられるということは確かに類型として言えるのかもしれません。
先ほど小針参考人の方からも言及がありました英国に関しましては、成文憲法を持たず、またコモンローの国ということで、この緊急事態法制に関しましても、いわゆるマーシャルロー、マーシャルルールというものに基づきまして、必要性の原則に従って緊急時に必要な対処権限というものを広く国王に授権するという方法をとる。その際、法に仮に反した場合に、違法な措置であっても免責法という形でこれを事後的に合法化するというような手続をとるということがあります。
ただ、これも、第一次大戦のころから第二次大戦にかけまして幾つかの成文法ができております。これらは、一九一四年の国土防衛法であるとか、あるいは緊急権法、こういった法律がそれであります。これらは、今日我々が、あるいは日本において、あるいはドイツの法制に照らしてみて、いずれもいわゆる授権法というものでありまして、緊急措置権を包括的に授権できる分野を列挙したにすぎない程度のものでありまして、内容的には、要するに授権を行政立法に委任するための法律というような側面を持っております。とはいえ、こうした実定法上の枠組みというものができ始めたのが第一次大戦のころからということになります。
国民保護法制といいますものは、やはり第一次大戦のころから戦争の形態というものが変わってきまして、一般の非戦闘員を巻き込む非常に大きな戦争災害を招くようになったのがこのころからでありました。国家総力戦の中で非常に多くの一般市民の犠牲者が出るということが前提にあったわけでありまして、これにどう対処するかということでさまざまな法律ができてまいります。イギリスでも、空襲警報法、あるいは民間防衛法といったようなものがさまざまできてまいります。
また、戦後になりまして、一九六四年に国家緊急権法というものができております。これに基づき、広く民間防衛に関しましてもカバーできるという体制をとっております。さらに、イギリスの場合には特にテロ対策というものにつきましてもかなり前から立法がなされておりまして、二〇〇〇年にテロ対策法というものができております。
それから、フランスに関しましても、これもやはり第一次大戦のころから、消極的防衛という名称、分類でありますが、工業力や建造物の保全であるとか、あるいは国民に対する毒ガス攻撃などに対処する法制というようなものができてまいります。一九四四年、第二次大戦の終わりのころに国防省から内務省に移管して、現在は民間防衛・安全保障局というところが、内務省の中でこれを担当しているということであります。
それから、スイスに関しましては、民間防衛と申しますのはスイスは非常に発達しておることは御承知のとおりであります。スイスは永世中立国でありますから、これは自国の国土を戦闘の場にせざるを得ない状況にあるわけでありまして、そういう中で、国民保護をどう考えるかということは特に、ほかの国以上に重要な問題であります。民間防衛、これはドイツと共通するところがあるのですが、総合防衛という原則のもとに、軍事防衛、精神的国防、これとともに民間防衛という柱、この三本柱によって総合防衛というものを構築しているわけであります。
民間防衛に関しましては、特に一九九九年の憲法の六十一条にその明文規定が置かれておりまして、憲法上も詳しくこれが規定されているというところに特徴があります。
韓国に関しましては、これは言うまでもなく北の脅威というものを前提にいたしまして、早い時期から、これは朝鮮戦争のころからでありますけれども、国民保護というものについては非常に重きを置いてまいりました。憲法上、大統領に緊急措置権、緊急命令権でありますとか緊急財政・経済命令権あるいは戒厳宣布権といったようなものが憲法上の規定として置かれております。
民間防衛に関しましても、一九五一年の三月に防空法というものが制定されております。また、七五年の八月には民防衛基本法というものが制定されました。現在、この法律が民間防衛の基本法ということになっております。同年十二月には民防衛隊というものが組織されまして、二十歳から四十五歳までの男子あるいは志願した女子というものから、非常に大規模な民防衛隊の組織というものが維持されておるということでございます。
アメリカに関しましては、これは、特に九・一一以降、こうした分野について省庁の再編等がございまして、最近の動きというものがかなり活発でありますが、当初は、一九五〇年のころから民間防衛法というものが制定されてはおりましたが、これは特に、米ソの対立が厳しい時代、核攻撃の危機というもの、これを前提にした法制がまず構築されていったわけであります。
災害に関しましても法律がございますが、これは一次的には各州が対応するものであります。これが一九七九年の三月にFEMA、連邦緊急事態管理庁というものによりまして、連邦一元的な危機管理体制というものが確立してまいります。州知事の要請とFEMAの長官の勧告によって大統領が緊急事態宣言、これは大規模なテロであるとか核攻撃などの場合は要請は必要ございませんけれども、大統領の緊急事態宣言というものを行うという形になっております。これが、二〇〇三年の一月に国土安全保障省の設置に伴って、その一局として統合されるという経緯をたどっております。
いずれにしましても、こうした諸外国の民間防衛あるいは国民保護法制というものを見てまいりますと、軍事的な防衛というものとそれから平時の災害救助、こうした法制とを結びつける一つの法分野というようなことが言えるかと思います。
さて、本題の方のドイツの国民保護法制に関してここから御説明をいたしますが、ドイツの緊急事態法制、これにつきましては、この小委員会の中でも参考人が何度か触れられております。それについてまた改めて説明する必要もなかろうと思いますので、憲法上、市民保護、国民保護というものがどのような形で規定されているかということだけを御説明いたしたいと思います。
ドイツの条文を見ますと、防衛に関する規定というのが幾つかございます。その中で、特に防衛という言葉を単独で用いることなく、一般住民、一般市民の保護を含む防衛という言葉がたびたび使われております。
レジュメに列記いたしましたように、基本法の十二a条三項、これは兵役あるいは代替役務に徴用されない防衛役務義務者の非軍事的役務に関する規定でありますけれども、ここにおきましても、防衛という言葉がこう書いてあります。国防義務者に対しては、防衛事態において、法律によってまたは法律の根拠に基づいて、一般住民の保護を含む防衛の目的のため、非軍事的役務の義務を課すことができるというふうな条文を置いておるわけであります。
これ以外にも、十七a条の二項、これは、防衛に関する法律による移転、居住移転の自由であるとか居住の不可侵の制限でありますが、ここで言う防衛に関する法律というものの中にも、一般住民を含む防衛という言葉が使われております。
さらには、七十三条の一号、これは連邦の専属的立法権限に関する規定でありますけれども、これも、一般住民を含む防衛に関して連邦が立法権限を有するという条文になっております。
つまり、ドイツの憲法の中では、防衛、通常我々が想定しますのは軍事的な防衛を意味するわけでありますが、それとワンセットで国民の保護、一般住民の保護というものを常に考えるという姿勢がこの憲法の条文の中からも読み取れるということが言えると思います。
つまり、国防の任務というものがもちろん国の役割であることは間違いございませんが、国民に多くの被害を与えて、あるいは国民の安全というものをないがしろにして国防というのはあり得ないわけでありますから、国を守るということと国民の安全を守るということが常にワンセットであるということを意識する意味で、こうした条文の規定のあり方というのは有意義であろうと思います。
そうしたことで、憲法上、軍事的防衛と国民保護というもの、これが常に並列関係で規定されているということでありますが、ここから、では実際、国民保護というものがどのような形でドイツの防衛構想の中に位置づけられているかということを御説明したいと思います。
これは、先ほどスイスのところでも申しましたが、総合防衛という考え方をドイツはとっております。これはきょう参考資料としてお分けしました私の論文の中でも図式化しておりますけれども、「総合防衛のための一般指針 総合防衛ガイドライン」というものがドイツにはございます。これは一九八九年の一月十日に決定されたガイドライン文書であります。
ここではどういうことが書かれておるかといいますと、NATOとそれからドイツの国家機関、ドイツはNATO加盟国であります。特に冷戦時代、東西ドイツに分かれまして、西ドイツはワルシャワ条約軍に対して前線にあったわけでありまして、非常に有事というものを常に想定した安全保障政策というものをする。そういう中で、この防衛構想というもの、これはNATOとドイツの国家機関との関係というものが問題になります。さらに、ドイツは連邦国家でありますから、連邦政府と州政府、地方機関、こうしたものとの関係がどうあるべきか、あるいは民間の災害救助団体、こうしたものとの関係がどうあるべきかということで、非常に複雑な関係の中で有事法制というものを運用しなければいけないという立場にございました。そういうことから、有事法制、これはドイツの場合には実定法としてたくさんございますが、これを統一的にそごなく運用するための一般指針として書かれたものであります。
この総合防衛といいますものは、軍事防衛、それから非軍事防衛という二つの分野に分けられております。軍事防衛というのは、国防省、連邦軍が担当する防衛分野であります。これに対しまして非軍事防衛といいますものは、軍事防衛以外の防衛に関係する分野、つまり文民機関が担当する防衛分野ということであります。こういう中で、国民保護、ドイツの場合には市民保護と言っておりますが、市民保護というものが非軍事防衛の中に含まれる。連邦内務省、それから各州の内務省の管轄で行われております。
この市民保護のために、ドイツはさまざまな連邦法をこれまで制定してきたわけでありますが、現行法は一九九七年の三月二十五日の法律であります。この九七年三月二十五日の法律というものは、正式名称は市民保護再編法という法律でありまして、それまで多く制定されてきた市民保護関係の連邦法を再構成するという意味を持っておりました。
この市民保護に関しての法律というものをたどってまいりますと、再軍備直後の一九五七年の十月九日に市民保護のための措置に関する第一法律というものがございます。
これが市民保護関係の法律の先駆けとなったものでありますが、この中には既に、市民保護、これは民防空と言っておりますが、連邦の任務であるということ、それから、この民防空に関する費用というものは連邦が負担するということが定められております。また、防空を担当する機関として、連邦防空警戒庁というものを内務省の中に置くというようなことも定められておりましたし、また、空襲時に発生する人的、物的災害、こういったものを予防しまたは除去する任務を持ちます防空救助隊というものの設置、これもこの段階でもう既に行われております。これ以外にも、例えば工業、食糧産業、ガス、水道、電気、こうした生活上重要な施設、防空施設を整備する措置、こういうものを定めておりますし、さらには、文化財の保護あるいは医療品の備蓄等の規定もこの段階でもう既に規定されております。
これが基本法になりまして、個々の分野につきまして個別法ができてまいります。
一九六五年の八月十二日に市民防護隊に関する法律というものができまして、武力攻撃の危機や被害から住民を守るための組織としまして、国際法上、救済団体としての地位を有する組織が設置されます。これは、招集された兵役義務者あるいは職業隊員、志願による任期採用隊員から構成される点で、連邦軍、軍隊と同じような組織をとっております。
さらに、一九六五年の九月九日になりますと、防護建築法という法律ができます。この防護建築法というのはシェルターの建設にかかわる法律でありまして、先ほど申しました第一法律の中の第五章に防護措置に関する規定がありました。これを補充する法律であります。建築物を新築する場合、その住民やそこで働く労働者の安全のためにシェルターの建設を義務づけるという規定が置かれましたり、あるいは病院、学校、宿泊施設、こうしたものに収容人員に見合ったシェルターを建設するというようなことがこれに書かれております。
それから、六五年の九月九日、同じ日でありますが、自己防護法というものもできております。
有事の際の国民保護といいますものは、確かに、公的な機関、国や自治体の住民の保護ということが重要であることは言うまでもありません。そのための法律でありますが、それ以前に、被害が発生した初期の段階でだれが自分を助けるかといえば、自分自身あるいは隣人であるわけであります。こうした住民の自己防護あるいは隣保救助というものの義務、これを定めたのがこの法律でありました。
ドイツでは、現行法でも、この自己防護というものに非常に重きを置いております。戦時においては、各地で同時多発的に被害が生じますから、国や自治体の機関がこれを救助するといいましても、無理が生じます。やはり、その初期の段階でこれを救うためには、自分で自分の身を守る、あるいは隣人を助けるということが重要になってまいりまして、この自己防護ということについて法律を設けたのが六五年でありました。
ただ、こうした法律、幾つかできておりますが、これは、当初は西ドイツの財政難から施行が大分延期されまして、十分にこれが効果を発揮したとまでは言えない部分がございました。とはいえ、この法律によって国民保護法制が一応完備したということが言えると思います。
その後、災害防護の拡張に関する法律というものができております、六八年の七月九日であります。この法律というのは、平時の自然災害や大事故に対する救助活動を行う組織、これはドイツの場合には連邦技術救助団というものがございます、あるいは連邦技術支援隊というように訳しているものもあります。これは内務省管轄の連邦機関でありますが、ボランティアが中心で組織されております。あるいは地方の消防隊でありますとか赤十字機関、あるいは、これはドイツ特有であるかもしれませんが、修道会、教会、こういったところが救済団を組織いたしまして、事故の救助などに当たっております。
こうした平時の災害救助組織というものと有事の市民防護組織、これが別々に運用されていたということから、組織上合理的でない、また、隊員も両方に重複して登録しているというケースが多くありまして、これを一本化する必要があるということで、平時の災害救助組織が有事の際にも活動するということで、組織的な一体化がなされたのがこの法律であります。
その後、そこに書かれておりますように、七六年に、第一法律が改正されて、市民保護に関する法律というものができました。最終的には、九七年、これは冷戦が終わった後でありますが、市民保護の再編に関する法律という現行法ができまして、それまでの法律がこの法律に一本化されて、非常に簡素かつ非常に合理的な法律にまとめられております。
時間がございませんので、現在の市民保護法に関して、簡単にその項目を列記いたしますが、市民保護に関しては七つの柱、分野がございます。先ほど申しました自己防護というのがその第一に書かれております。第二が、住民への警報に関する規定であります。三番目が、防護建築、先ほど言ったシェルターの維持管理。第四としまして、滞在規制。第五番目に、市民保護における防災組織の位置づけ。六番目に、健康保護措置。それから七番目に、文化財の保護措置というものがございます。
これらはいずれも、この市民保護再編法、現行法ができる前に幾つかの法律の中で既に定まっていたものでありますが、自己防護、これがその第一条に掲げられております。先ほど申しましたように、災害救助における自己防護というものの重要性をまずうたっておりました。自己防護というのは市民保護の基礎である、官庁による市民保護措置はこの自己防護というものを補完するものであるという位置づけがなされておりました。
それから、住民への警報に関しましては、危険の把握といいますものは連邦の責務であるということになっておりまして、ドイツでは各地に市民保護連絡所というものが設けられておりまして、防空に関する危険情報はここから上げられます。それから、放射能に関しては、全国に観測所が設けられておりまして、連邦放射能防護庁本部というものが設けられて、ここで情報収集、分析がなされることになっております。連邦レベルでこうした危険の把握を行うわけであります。
警報の発令というものも連邦が指示を出すわけでありますが、連邦の委任によって、ラント、各州の防災警報を担当する機関がこれを行うということになります。防災の器材等に不備がある、不足がある場合には、これは連邦の予算によって警報器材等の補充をするということになっております。
防護建築、シェルターの建築に関しましては、冷戦時代、もう既に多くのシェルターが建造されております。その維持というのは市町村に任されております。市町村は、平時、維持管理するかわりに、平時にはシェルターとして利用されておりませんで、ほかの別目的、例えば地下駐車場でありますとか、こうしたものに利用されておるわけですけれども、そこから得られた収入というものも市町村に帰属するということで、維持管理の責任と同時に、そうした収益にも結びつくというような合理的なシステムになっているようであります。
また、自家シェルター、これは個人あるいは企業などが設けたシェルターでありますけれども、これも連邦予算から補助金が出たり、あるいは税制上の優遇措置がとられておりまして、一定の義務を伴います。例えば、自分だけではなくて、ほかの人も同時にここに収容しなければいけないというような義務でありますとか、シェルターとしての機能に支障になるような改造、こういったものをしてはならないとか、こういった義務も同時に規定をされております。
それから、四番の滞在規制です。
滞在規制、これは日本では避難誘導というような言い方がされておりますけれども、必ずしも避難誘導というだけではございませんで、これはドイツだけではなくてNATO諸国すべて共通していると思いますが、滞在規制、つまり動いてはならないという指示もこの中に含まれます。
戦時においては、特に、いろいろな情報が錯綜しまして、一般住民が右往左往するということも考えられます。そうした場合に、住民が無秩序に移動するということになりますと、交通の障害にもなりますし、特に戦闘地域に近い地域では、部隊の移動とこの住民の避難というものの調整をどうするかというのは非常に難しい問題がございます。そういったことから、特に危険度が少ない地域におきましては、一般住民はそこにとどまれ、滞在場所を許可なく退去することが許されないという指示を出すこともできるようになっております。ただ、戦闘地域に近いところでありますとか、防衛上の重要施設があるところに居住している住民に関しましては、やはり避難誘導あるいはシェルターへの収容といったようなものがなされることになっております。
それから、市民保護における防災組織ということでありますが、先ほど申しましたように、平時の防災組織が有事においても市民保護に当たります。
これはドイツの特徴でありますが、これは後の方で説明するつもりでございましたが、ついでに説明いたしますと、ドイツでは、非常にボランティア組織というものが重要な役割を果たしております。消防団の志願隊員というのは全国で百三十万人おります。それから、そのほかにも代表的なボランティア組織が五つございまして、ドイツ赤十字社、それから労働者サマリア人連盟というのがありまして、これは労働組合系の救済団体、救助団体であります。それからドイツ救命社、それからヨハネ騎士修道会事故救済団、マルタ騎士修道会救助団といったようなものがございまして、これらに五十万人のボランティアが登録されております。こうしたボランティア組織あるいは消防団といったようなものが、連邦やラント、州の国民保護措置、これを助けることになっているわけであります。
これに加えまして、連邦技術救助団、これにも七万五千人が登録しておりまして、これは平時の災害救助のみならず、有事においても連邦やラント機関と連携をとりながら国民保護に当たる形になっております。
日本におきましても、これは、ボランティア団体との連携というものを、一応、国民保護法制、国民保護法の中に規定しております。第四条だったと思いますが。ただ、それの関係につきましては、ボランティア団体を支援する、協力関係をとるといいましても、具体的にどのような形になるのかということにつきましては、はっきりとはしておりません。この辺のところ、ドイツの連携のあり方、これが参考になるのではないかと考えております。
それから、六番目の健康保護措置というものですが、これは、特に有事の際には医療、衛生物資、これが不足いたします。これを平時から備蓄しておくということを、薬品会社でありますとか卸売業者、あるいは薬局、こうしたところに命じるという制度を整えております。
それから、文化財保護措置に関しましては、ドイツは、武力紛争における文化財の保護に関するハーグ条約に加入しております。六七年の四月十一日に、その批准法の中で、外務省、内務省それから国防省の所管分野に関しまして、この規定を置いております。
日本でも、文化財の保護に関しましては、国民保護法制の中で幾つか規定が置かれております。
時間がございませんので、最近の動向につきまして、若干御説明をいたします。
九・一一のテロ事件まで、特に冷戦下の、つまりドイツに対する武力攻撃というものを前提にした武力攻撃事態における国民保護ということが中心で検討されてまいりましたが、特に九・一一テロ事件以降、こうしたテロに対する対処というものも考えていかなければいけないということで、二〇〇二年の六月に、内務大臣会議、これは連邦内務大臣と各州の内務大臣の会議でありますが、新戦略というものが決定されまして、これに従いましてさまざまな改善がなされております。
幾つか項目がございますが、連邦市民保護・災害救助庁というものが新設されまして、それまで市民保護本部というものが担当しておりました部分をこれが引き継ぎまして、特に連邦、ラント、それから民間団体の連携というものに意を用いております。
それから、連邦・ラント合同通報・対策本部というものも設けられました。これが、特に不足物資の管理や要員、機材の調整などを行う対策本部として機能をいたします。
それから、deNISと言っておりますが、ドイツ緊急事態準備情報システムというインターネットを利用したデータバンクを立ち上げております。これは既に二〇〇二年の五月から運用が始まっておりますけれども、これは一般国民向けと関係者の内部のネットと二つございまして、一般向けのサイトにおいては、防災関係について二千以上のリンクが張られておりまして、市民保護に関するさまざまな情報の提供に充てられております。また、内部のネットに関しましては、防災関係機関、連邦、州、それから民間団体の間の情報交換でありますとか要員の融通、あるいは物資の配給、こういったものについての調整を行う情報データバンクとなっております。
これ以外にもさまざまな改善がなされておりますが、時間の関係上、省略をさせていただきます。
最後にもう一つ、テロと市民保護という視点から注目すべき動きといたしましては、航空保安法という法律ができつつあります。これはまだ、今現在、連邦議会の第一読会を通過したところまで確認しておりますが、日本でも若干、報道がなされております。これは、九・一一のテロの場合に、民間航空機をハイジャックしてこれを武器として使用するというような非常に残忍な行為が行われたのですが、こういったことがもしドイツであったらどうするんだということから話が始まりました。
さらに、二〇〇三年の一月五日でありますが、フランクフルトでちょっとした事件がございました。小型航空機を操縦する、ちょっと精神病を患った経緯のある者が高層ビルのあたりを飛び回っておるということで、これは危険であるということで、九・一一のテロの記憶がよみがえったというような事件がございました。こうしたことを反映いたしまして、民間航空機のようなものが乗っ取られて、例えば原子力発電所に突っ込むであるとか高層ビルに突っ込む、こういったことがなされた場合にどう対処するかということで、制定されつつある法律であります。
特に問題になりましたのは、この十四条の中で連邦軍の出動を規定していることであります。空軍機によって、強制着陸とか排除に従わない場合、威嚇射撃をしてもさらにこれに従わないということになりますと、最終的に武器の使用を認めているという点であります。民間航空機でありますから、当然これは一般の乗客も乗っているわけでありまして、これに対して武器を使用するということは、撃墜を意味するということになる。そうした一般住民を巻き込んだような措置が許されるのか、仮に二千人の人命を救うために二十人の人間を殺していいのかというような議論もございます。
これに関しましては、現在法案審議中でありますし、どうなるかはわかりませんが、一部には、基本法三十五条、災害時における連邦軍の出動規定、あるいは第二条、生命身体を害されない権利というものが規定されておりまして、こうしたものとの関連から、違憲の疑いありということで、批判も出ております。
ただ、連邦政府がそれを承知でこういった法律を出したといいますのは、やはり、自爆テロというのは自分の命をもう捨てるつもりでやっておるわけでありまして、そうしたテロリストに対して絶対にそれを成功させないという決意を示すためには、これぐらいのことは連邦政府は考えておるんだぞというところを示したかったのではないかと思います。
実際のところ、先ほども申しましたような、極限状況において連邦国防大臣がこの決断をする、つまり民間航空機を撃墜するというような決断ができるかといえば、非常に難しい。政治的に非常に大きな責任を伴いますから、決断は難しいだろうと思います。実際、オットー・シリー内務大臣は、この法案の説明の中でも、具体的にどういう状況でこうした武器使用を行うかということについての要件をはっきりしないということも言っております。ですので、実際には撃墜命令を出すというふうなことは難しいとは思いますが、ただ、法制上、そういうことも含めて政府は考えておるんだという決然たる態度を示すということで、自爆テロのようなものを防ぐという姿勢のあらわれではないかと私は考えております。
もう時間が過ぎておりますので、このぐらいにいたしまして、甚だ雑駁な発表になってしまいましたけれども、御不明な点がございましたら、また質疑応答の中でお答えしたいと思います。拍手
近
近
伊
伊藤公介#7
○伊藤(公)小委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
きょうは、両参考人から大変参考になる御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。
まず、緊急権の規定を憲法に設けるべきであるかどうかという点などについて、御質問したいと思います。
私ども国会は、かつて福田内閣のもとで有事法制の研究が開始をされて以来、国際情勢の大きな変化の中で、特に最近は、テロや大量破壊兵器の拡散、あるいは、特に我が国周辺において北朝鮮の弾道ミサイルや不審船などが生じて、私たちの国会でも有事法制の整備が進んで、特に小泉内閣では、武力攻撃等対処法など、非常事態に対応する法整備が進んでいるところでもございます。
そこで、特にきょうは憲法とのかかわり合いについてでありますが、国家緊急権に関する規定がないということで、憲法に明文の規定を設けるべきであるという見解がある一方で、規定の不存在というのは、戦前の旧体制の遺物を払拭して、いわゆる平和主義や民主主義を徹底するためであるとして、規定の不存在をむしろ積極的に解する見解もございます。
参考人の両先生は、国家の緊急事態への対応を憲法上明記すべきであるとお考えになられるかどうか。先生方からも少しそのことに触れられた点もございますが、考え方を整理するという点も含めて、もう一度伺っておきたいと思います。
現行の憲法の枠内において措置できる事項であれば、憲法改正によらないで、有事あるいは災害、テロなど非常事態全般への対処を規定する、いわゆる国家安全保障基本法のような基本法を制定するということで足りるとお考えになられるのか、両先生からお考えを伺いたいと思います。
この発言だけを見る →きょうは、両参考人から大変参考になる御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。
まず、緊急権の規定を憲法に設けるべきであるかどうかという点などについて、御質問したいと思います。
私ども国会は、かつて福田内閣のもとで有事法制の研究が開始をされて以来、国際情勢の大きな変化の中で、特に最近は、テロや大量破壊兵器の拡散、あるいは、特に我が国周辺において北朝鮮の弾道ミサイルや不審船などが生じて、私たちの国会でも有事法制の整備が進んで、特に小泉内閣では、武力攻撃等対処法など、非常事態に対応する法整備が進んでいるところでもございます。
そこで、特にきょうは憲法とのかかわり合いについてでありますが、国家緊急権に関する規定がないということで、憲法に明文の規定を設けるべきであるという見解がある一方で、規定の不存在というのは、戦前の旧体制の遺物を払拭して、いわゆる平和主義や民主主義を徹底するためであるとして、規定の不存在をむしろ積極的に解する見解もございます。
参考人の両先生は、国家の緊急事態への対応を憲法上明記すべきであるとお考えになられるかどうか。先生方からも少しそのことに触れられた点もございますが、考え方を整理するという点も含めて、もう一度伺っておきたいと思います。
現行の憲法の枠内において措置できる事項であれば、憲法改正によらないで、有事あるいは災害、テロなど非常事態全般への対処を規定する、いわゆる国家安全保障基本法のような基本法を制定するということで足りるとお考えになられるのか、両先生からお考えを伺いたいと思います。
小
小針司#8
○小針参考人 私の見解は先ほど申し上げましたけれども、簡単に申し上げますと、今言ったように、実定法化された非常権の乱用の危険性というのが一方に指摘されております。それから、恣意的な超法規的対処の危険性も、これまた他方において指摘されているところであります。私としては、やはり憲法というのは憲法典としての価値を持たせるということからいたしまして、どこまで規定されるかは非常に難しいところがありますけれども、非常対処の規定については、根拠規範は憲法典の中に置くべきだ、こういう考え方でおります。
この発言だけを見る →松
松浦一夫#9
○松浦参考人 私も、基本的には、憲法の中に緊急事態における措置を定める原則規定、これを置くべきであると思われます。
特に、権力分立、三権分立の原則に反するといいますか、その例外を設けるような場合、あるいは、平時における制限以上に大幅に人権を制限するというような措置がもし必要であるということであるならば、やはり憲法の中に例外規定として置くべきであると考えます。
ただ、この三権分立の例外、あるいは人権制限を平時並みに置くという前提に立つならば、現行憲法でもそうでありますが、特に憲法の中に設けることなく、一般の法律で対処できる範囲もあるかと思います。ただ、徹底した緊急措置というものを実現するためには、憲法の中に規定を設けるということが必要であろうと考えます。
この発言だけを見る →特に、権力分立、三権分立の原則に反するといいますか、その例外を設けるような場合、あるいは、平時における制限以上に大幅に人権を制限するというような措置がもし必要であるということであるならば、やはり憲法の中に例外規定として置くべきであると考えます。
ただ、この三権分立の例外、あるいは人権制限を平時並みに置くという前提に立つならば、現行憲法でもそうでありますが、特に憲法の中に設けることなく、一般の法律で対処できる範囲もあるかと思います。ただ、徹底した緊急措置というものを実現するためには、憲法の中に規定を設けるということが必要であろうと考えます。
伊
伊藤公介#10
○伊藤(公)小委員 両先生から緊急権についてのお考えを伺いました。
そこで、緊急権の規定を憲法に設ける場合の規定の仕方について伺いたいと思いますが、先ほど参考人からも、ドイツの詳細な緊急事態規定についても御説明がございました。これは大変参考になる点がございますけれども、しかし、ドイツの場合には非常に規定を細かくしているわけですね。しかし、その規定以外の事態が起きたときはむしろ対応が困難になるというデメリットも一方ではあるんじゃないかというふうに私は思います。
また、フランスのように、大統領の非常に広範な緊急措置権を認める国もあります。憲法上に緊急権の規定を設けるともしした場合に、我が国の政治制度、あるいはまた、政治の置かれている状況、事態を踏まえて、どのような規定がふさわしいとお考えになられるか、お伺いができればと思います。
この発言だけを見る →そこで、緊急権の規定を憲法に設ける場合の規定の仕方について伺いたいと思いますが、先ほど参考人からも、ドイツの詳細な緊急事態規定についても御説明がございました。これは大変参考になる点がございますけれども、しかし、ドイツの場合には非常に規定を細かくしているわけですね。しかし、その規定以外の事態が起きたときはむしろ対応が困難になるというデメリットも一方ではあるんじゃないかというふうに私は思います。
また、フランスのように、大統領の非常に広範な緊急措置権を認める国もあります。憲法上に緊急権の規定を設けるともしした場合に、我が国の政治制度、あるいはまた、政治の置かれている状況、事態を踏まえて、どのような規定がふさわしいとお考えになられるか、お伺いができればと思います。
松
松浦一夫#11
○松浦参考人 お答えいたします。
ドイツの場合、おっしゃいましたように、憲法レベルで非常に多くの規定を設けております。ただ、具体的な措置に関しましては、これは個別的緊急事態法というものが幾つかございまして、例えば経済確保法であるとか、水の確保であるとか、労役の確保であるとか、個々の連邦法で定められております。しかしながら、この連邦法レベルでもさらに法規命令に委任をされておりまして、必要措置というものは法規命令のレベルで大分決まっていくものであります。
憲法のレベルでどこまで定めるべきか。ドイツの場合には、これは特に、ワイマール時代の憲法、四十八条で大統領に非常措置権を広く認めてしまった。それが非常事態措置の乱用を生み、民主憲法の崩壊というものをみずから招いてしまったという反省がございまして、憲法の中で包括的な授権をするということについての非常に抵抗があった。そういうことから、憲法レベルでもなるべく細かく決めておき、また法律をあらかじめつくっておこうという傾向にあったわけであります。
日本においてどこまでやるべきかということにつきましては、私は、ドイツほど細かく規定する必要はないんではないか、法律で定める部分についてはその法律に任せてよろしい。ただ、やはりフランス憲法、第五共和制憲法の十六条であるとか、ワイマール憲法の四十八条のような包括的な委任というのは乱用の危険がございますので、それほど包括的なものであっても困るというところで、難しいところだと思っております。
この発言だけを見る →ドイツの場合、おっしゃいましたように、憲法レベルで非常に多くの規定を設けております。ただ、具体的な措置に関しましては、これは個別的緊急事態法というものが幾つかございまして、例えば経済確保法であるとか、水の確保であるとか、労役の確保であるとか、個々の連邦法で定められております。しかしながら、この連邦法レベルでもさらに法規命令に委任をされておりまして、必要措置というものは法規命令のレベルで大分決まっていくものであります。
憲法のレベルでどこまで定めるべきか。ドイツの場合には、これは特に、ワイマール時代の憲法、四十八条で大統領に非常措置権を広く認めてしまった。それが非常事態措置の乱用を生み、民主憲法の崩壊というものをみずから招いてしまったという反省がございまして、憲法の中で包括的な授権をするということについての非常に抵抗があった。そういうことから、憲法レベルでもなるべく細かく決めておき、また法律をあらかじめつくっておこうという傾向にあったわけであります。
日本においてどこまでやるべきかということにつきましては、私は、ドイツほど細かく規定する必要はないんではないか、法律で定める部分についてはその法律に任せてよろしい。ただ、やはりフランス憲法、第五共和制憲法の十六条であるとか、ワイマール憲法の四十八条のような包括的な委任というのは乱用の危険がございますので、それほど包括的なものであっても困るというところで、難しいところだと思っております。
伊
伊藤公介#12
○伊藤(公)小委員 ありがとうございました。
それでは、もう一問、日本の緊急事態の対処体制のあり方について伺いたいと思います。
現在、私たちの国は、緊急事態に対して、内閣官房に安全保障会議、あるいは内閣危機管理監が設置をされていて、いわゆる内閣官房を中心とした体制が構築されているわけですけれども、例えばアメリカでは、同時多発テロを契機として、テロ対策に係る体制を一元化していくべきだということで、国土安全保障省が設置をされて、いわゆるテロ対策だけではなくて、災害対策を含めた緊急事態に対応するための組織ができているわけです。
先ほど、たしか松浦先生の御報告の中にも、ドイツの九・一一以後の対応も御報告がございました。テロへの対応というものは、防衛とか、警察、外交、情報など非常に多岐にわたって調整をしていく。あるいは関係行政機関の総合的な調整ということが必要であろうというふうに思います。我が国においても、一元的な組織の設置を検討してもよいのではないかというふうに私は思います。
我が国におけるテロ、災害などを含む緊急事態の対処体制のあり方の評価、あるいは国土安全保障省のような一元的な組織の必要性について、両参考人の御意見を伺っておきたいと思います。
この発言だけを見る →それでは、もう一問、日本の緊急事態の対処体制のあり方について伺いたいと思います。
現在、私たちの国は、緊急事態に対して、内閣官房に安全保障会議、あるいは内閣危機管理監が設置をされていて、いわゆる内閣官房を中心とした体制が構築されているわけですけれども、例えばアメリカでは、同時多発テロを契機として、テロ対策に係る体制を一元化していくべきだということで、国土安全保障省が設置をされて、いわゆるテロ対策だけではなくて、災害対策を含めた緊急事態に対応するための組織ができているわけです。
先ほど、たしか松浦先生の御報告の中にも、ドイツの九・一一以後の対応も御報告がございました。テロへの対応というものは、防衛とか、警察、外交、情報など非常に多岐にわたって調整をしていく。あるいは関係行政機関の総合的な調整ということが必要であろうというふうに思います。我が国においても、一元的な組織の設置を検討してもよいのではないかというふうに私は思います。
我が国におけるテロ、災害などを含む緊急事態の対処体制のあり方の評価、あるいは国土安全保障省のような一元的な組織の必要性について、両参考人の御意見を伺っておきたいと思います。
小
小針司#13
○小針参考人 その点について言えば、私も十分に検討したことは余りないんですけれども、さっきもテロリズムというものはどういうものなのかというふうなことをお話ししましたけれども、私としては、犯罪の問題としてこれはとらえておるわけですね。
あと、それを総合化するかどうかということにつきましては、我が国の現行の、いわば国家の行政組織をもう少し見通した上でないと、ちょっと今の段階では結論は出せないというところであります。
この発言だけを見る →あと、それを総合化するかどうかということにつきましては、我が国の現行の、いわば国家の行政組織をもう少し見通した上でないと、ちょっと今の段階では結論は出せないというところであります。
松
松浦一夫#14
○松浦参考人 私もまだ具体的なイメージというのはわかないのでありますが、ドイツのことについて申しますと、先ほど申し上げましたように、ドイツの場合には、総合防衛ということでありまして、軍事防衛とそれ以外の非軍事的な分野の防衛というものの二本柱でやっております。その中で国民保護というものも位置づけられているわけなんですが、それは、基本的には軍事防衛に関しては国防省、それから国民保護に関しては内務省という、主務官庁がそれぞれ異なるわけであります。ただ、総合的な運用というものにおいて、しっかりしたプログラムといいますか、そういったものが用意されている。個々の法律の運用というものが統合的に運用できるような体制をとっておる。
そのために、独立した官庁が必要であるかどうかということでありますが、ドイツの場合では、連邦安全保障会議というものがございますが、官庁としてそうしたトータルなものをつくるかどうかということについては、まだアメリカがとったようなアプローチというものはないんだろうと思います。
日本においてそうしたものがどういう形でつくられるかということについては、今は具体的にはちょっと頭に思い浮かびません。
この発言だけを見る →そのために、独立した官庁が必要であるかどうかということでありますが、ドイツの場合では、連邦安全保障会議というものがございますが、官庁としてそうしたトータルなものをつくるかどうかということについては、まだアメリカがとったようなアプローチというものはないんだろうと思います。
日本においてそうしたものがどういう形でつくられるかということについては、今は具体的にはちょっと頭に思い浮かびません。
伊
近
松
松本剛明#17
○松本(剛)小委員 民主党・無所属クラブの松本剛明でございます。
小針参考人、そして松浦参考人、お忙しいところ本当にありがとうございました。
今、伊藤議員の方からも質問がございました。基本法の設定、また危機管理庁構想、昨年から私たち民主党が鋭意申し上げてきたことでもあるわけでありますけれども、緊急のこの状況の中で国民の保護も必要であるということで、今国会に国民の保護法制が上程をされております。昨年の有事法制の整備に当たって、早急に国民の保護法制が必要である、これも私たち民主党・無所属クラブから申し上げてきたことでありますので、この国会でもしっかり審議をいたしたいと思っておるんです。
その中で、ただいまも緊急時の緊急権というんでしょうか、国家緊急権の規定が必要であるかどうかという伊藤議員の問いに対して、両参考人とも、必要ではないか、こういう御指摘であったかというふうに思います。
しかし、現在、我々は、憲法改正がなされていない中で、この国民保護法制、有事法制の整備を進めているところでございまして、両参考人にお伺いをいたしたいと思うんですが、諸外国の国民、市民保護の法制に比べれば、我が国の今回の国民の保護法制は、さまざまな国民、市民に対する強制の要素というのが大変薄いものであろうというふうに思いますが、やはり土地建物の一時使用であるとか、医療提供者に対する従事を命ずるであるとか、また、食品や医薬品などの物資の提供を命ずる収用ができるといったような、言うなれば、主権の、国民の権利義務の制限がこの国民の保護法制の中に含まれていることは御案内のとおりでございます。
こういった緊急時の主権の制限を行うことの根拠を憲法上、今の憲法からしてどのように求めて、どのように解釈をしていくのか。先ほど小針参考人の中には、公共の福祉に求める以外ないのではないかといったようなニュアンスも御発言であったかのように思いますが、一方で、松浦先生の論文の中にも、そもそも自然法的な国家緊急権といったような言葉もあったかと思います。これをそのまま認めると立憲主義上いろいろな問題があるという言葉も伴ってでありますけれども。我が国のように、非常時、緊急時の規定がない中で、そして、今現在、法整備を進めていくとすればどこに根拠を求めていくべきなのか、それぞれ両参考人の御意見を承りたいと思います。
〔小委員長退席、平井小委員長代理着席〕
この発言だけを見る →小針参考人、そして松浦参考人、お忙しいところ本当にありがとうございました。
今、伊藤議員の方からも質問がございました。基本法の設定、また危機管理庁構想、昨年から私たち民主党が鋭意申し上げてきたことでもあるわけでありますけれども、緊急のこの状況の中で国民の保護も必要であるということで、今国会に国民の保護法制が上程をされております。昨年の有事法制の整備に当たって、早急に国民の保護法制が必要である、これも私たち民主党・無所属クラブから申し上げてきたことでありますので、この国会でもしっかり審議をいたしたいと思っておるんです。
その中で、ただいまも緊急時の緊急権というんでしょうか、国家緊急権の規定が必要であるかどうかという伊藤議員の問いに対して、両参考人とも、必要ではないか、こういう御指摘であったかというふうに思います。
しかし、現在、我々は、憲法改正がなされていない中で、この国民保護法制、有事法制の整備を進めているところでございまして、両参考人にお伺いをいたしたいと思うんですが、諸外国の国民、市民保護の法制に比べれば、我が国の今回の国民の保護法制は、さまざまな国民、市民に対する強制の要素というのが大変薄いものであろうというふうに思いますが、やはり土地建物の一時使用であるとか、医療提供者に対する従事を命ずるであるとか、また、食品や医薬品などの物資の提供を命ずる収用ができるといったような、言うなれば、主権の、国民の権利義務の制限がこの国民の保護法制の中に含まれていることは御案内のとおりでございます。
こういった緊急時の主権の制限を行うことの根拠を憲法上、今の憲法からしてどのように求めて、どのように解釈をしていくのか。先ほど小針参考人の中には、公共の福祉に求める以外ないのではないかといったようなニュアンスも御発言であったかのように思いますが、一方で、松浦先生の論文の中にも、そもそも自然法的な国家緊急権といったような言葉もあったかと思います。これをそのまま認めると立憲主義上いろいろな問題があるという言葉も伴ってでありますけれども。我が国のように、非常時、緊急時の規定がない中で、そして、今現在、法整備を進めていくとすればどこに根拠を求めていくべきなのか、それぞれ両参考人の御意見を承りたいと思います。
〔小委員長退席、平井小委員長代理着席〕
小
小針司#18
○小針参考人 先ほども私申し上げましたけれども、結局同じような結論になるんだろうと思うんです。つまり、憲法典上、何らその非常措置権についての定めというのはないわけですから、そうすると、解釈上としては、やはり公共の福祉というものを使って、そして有事における公共の福祉というのはこういうものだというふうなことで根拠づけていくほかない。
それで、今松本先生の方からお話がありましたけれども、今回の国民保護法というのは非常に控え目なところがあるわけです。これは、現行憲法のもとにあっては、第一歩というようなことを考えていくとやむを得ないものではないのかな、義務規定は余り出さないで、そしてそれを刑罰でもって制裁を、裏打ちをしない、これが一歩としてはぎりぎりのところで今進めてきているのかなというふうに私としては受けとめております。
答えにはならないと思いますけれども、財産権の保障の二十九条でも、公共の福祉というのもありますから、そういったところと結局観念づけて理論構成する以外に私としてはないんじゃないか。だから、先ほど申し上げましたように、公共の福祉となってくると、有事の公共の福祉と平時の公共の福祉ということで、結局、二分化するようなものを現行憲法のもとにおいては統合した形で、一つのものとして扱って対処していく、そういうふうなスタンスをとらざるを得ない状況にあるのではないかというふうに私としては受けとめております。
この発言だけを見る →それで、今松本先生の方からお話がありましたけれども、今回の国民保護法というのは非常に控え目なところがあるわけです。これは、現行憲法のもとにあっては、第一歩というようなことを考えていくとやむを得ないものではないのかな、義務規定は余り出さないで、そしてそれを刑罰でもって制裁を、裏打ちをしない、これが一歩としてはぎりぎりのところで今進めてきているのかなというふうに私としては受けとめております。
答えにはならないと思いますけれども、財産権の保障の二十九条でも、公共の福祉というのもありますから、そういったところと結局観念づけて理論構成する以外に私としてはないんじゃないか。だから、先ほど申し上げましたように、公共の福祉となってくると、有事の公共の福祉と平時の公共の福祉ということで、結局、二分化するようなものを現行憲法のもとにおいては統合した形で、一つのものとして扱って対処していく、そういうふうなスタンスをとらざるを得ない状況にあるのではないかというふうに私としては受けとめております。
松
松浦一夫#19
○松浦参考人 私も、基本的に同じでありまして、現行憲法上、根拠を求めるとすれば、公共の福祉によるほかないと思われます。
有事の際、あるいは国家緊急事態において、例えば業務従事命令であるとか、あるいは財産権の制限、これを平時以上に制限するということになりますと、やはりいろいろな憲法上の根拠を別に置くということになると思いますけれども、国際的なレベルからすれば、これは、市民的及び政治的権利に関する国際規約というものがございます。この中で、「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。」ということがありまして、例えば強制労働の禁止といったようなものを定めているわけですけれども、有事の際のそうした役務の賦課というようなものは強制労働には該当しない、兵役ももちろん該当しないというふうな国際的な基準もございます。
あくまで、これは日本国憲法を、現在の政府見解を前提にして、徴兵制は十八条に反するというのが政府見解でございますから、そうしたものを前提にして立案したのが今回の国民保護法制であろうと思われます。ですから、ほかの諸国の考え方以上に抑制的な法律にならざるを得ないということであろうと思います。
この発言だけを見る →有事の際、あるいは国家緊急事態において、例えば業務従事命令であるとか、あるいは財産権の制限、これを平時以上に制限するということになりますと、やはりいろいろな憲法上の根拠を別に置くということになると思いますけれども、国際的なレベルからすれば、これは、市民的及び政治的権利に関する国際規約というものがございます。この中で、「国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に宣言されているときは、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。」ということがありまして、例えば強制労働の禁止といったようなものを定めているわけですけれども、有事の際のそうした役務の賦課というようなものは強制労働には該当しない、兵役ももちろん該当しないというふうな国際的な基準もございます。
あくまで、これは日本国憲法を、現在の政府見解を前提にして、徴兵制は十八条に反するというのが政府見解でございますから、そうしたものを前提にして立案したのが今回の国民保護法制であろうと思われます。ですから、ほかの諸国の考え方以上に抑制的な法律にならざるを得ないということであろうと思います。
松
松本剛明#20
○松本(剛)小委員 ありがとうございました。
私自身は、前回のこの小委員会では、実は、国連による国際協力の業務についての議論を行ったときも、日本国憲法にはこれに関する規定はむしろないと考えるべきではないのかな、九条の部分についてですが、という議論を申し上げたことがありました。
将来の緊急権の規定をすることを考えると、むしろ既存の規定の公共の福祉の中に含めることが適当なのかどうかということは、今から議論をしておく必要があるんではないかなというふうに思うわけであります。今おっしゃったように、現行憲法の規定がない状態、これは規定がない部分は何でもできるとおっしゃる方と、規定がないから抑制的に考えるべきだとおっしゃる方、規定がないから何もできないと言われる方と、いろいろな考え方が恐らくあるんだろうというふうに思いますが、今の憲法のもとでは、逆に申し上げれば、一件一件を細かく申し上げるつもりはありませんが、おおむね今の強制の程度が恐らく限度であろうという認識でよろしいんでしょうか。両参考人にお伺いをしたいと思います。
この発言だけを見る →私自身は、前回のこの小委員会では、実は、国連による国際協力の業務についての議論を行ったときも、日本国憲法にはこれに関する規定はむしろないと考えるべきではないのかな、九条の部分についてですが、という議論を申し上げたことがありました。
将来の緊急権の規定をすることを考えると、むしろ既存の規定の公共の福祉の中に含めることが適当なのかどうかということは、今から議論をしておく必要があるんではないかなというふうに思うわけであります。今おっしゃったように、現行憲法の規定がない状態、これは規定がない部分は何でもできるとおっしゃる方と、規定がないから抑制的に考えるべきだとおっしゃる方、規定がないから何もできないと言われる方と、いろいろな考え方が恐らくあるんだろうというふうに思いますが、今の憲法のもとでは、逆に申し上げれば、一件一件を細かく申し上げるつもりはありませんが、おおむね今の強制の程度が恐らく限度であろうという認識でよろしいんでしょうか。両参考人にお伺いをしたいと思います。
小
小針司#21
○小針参考人 私としても、今の憲法を前提にする限りは、ぎりぎりのところじゃないかなと。これ以上いわば制裁を加えるような形で持っていくということになると、憲法の十八条、意に反する苦役、やはりこれとの抵触関係というのは当然出てくるだろうというふうに考えますので、それをかわすというふうな形で現行法というのは一応成り立っているだろうというふうに理解しております。
この発言だけを見る →松
松浦一夫#22
○松浦参考人 先ほども小針参考人から言及がありました国民保護法案の第四条でありますが、「国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。」努力義務はあるんですが、制裁はない。これで、実施に国民の協力が得られない場合どうするかというような問題は必ず出てまいります。
先ほど、ドイツの場合でも、ボランティアが国民保護に当たっていて、非常に重要な役割を果たしている。確かに、ボランティアですから自発的ではあるんですが、しかし、これにはいろいろな条件がございまして、ドイツの場合には義務兵役制をとっております。兵役につくかわりに、こうした防災ボランティアに参加することによって兵役期間を免除されるというような制度もございまして、一概に、日本の自発的な防災組織というようなものとはちょっとレベルが違うのであります。
また、自発的なボランティアによって要員が不足した場合には、これは労役確保法というものがございまして、強制力をもって罰則を伴った役務の賦課というものが行われる形になっております。ですので、日本の場合、やはりほかの国とはちょっと違うということであります。
ただ、十八条の意に反する苦役というものをどう解釈するかによるんだろうと思います。これについて小針参考人は、今のところがぎりぎりであるということでありますが、解釈によってはその意味をもう少し緩和することはできようかとも思います。ただ、憲法学説上、これは非常に制限的に解釈するのが一般的であろうと思いますので、学説との関係でも難しいところはあると思います。
この発言だけを見る →先ほど、ドイツの場合でも、ボランティアが国民保護に当たっていて、非常に重要な役割を果たしている。確かに、ボランティアですから自発的ではあるんですが、しかし、これにはいろいろな条件がございまして、ドイツの場合には義務兵役制をとっております。兵役につくかわりに、こうした防災ボランティアに参加することによって兵役期間を免除されるというような制度もございまして、一概に、日本の自発的な防災組織というようなものとはちょっとレベルが違うのであります。
また、自発的なボランティアによって要員が不足した場合には、これは労役確保法というものがございまして、強制力をもって罰則を伴った役務の賦課というものが行われる形になっております。ですので、日本の場合、やはりほかの国とはちょっと違うということであります。
ただ、十八条の意に反する苦役というものをどう解釈するかによるんだろうと思います。これについて小針参考人は、今のところがぎりぎりであるということでありますが、解釈によってはその意味をもう少し緩和することはできようかとも思います。ただ、憲法学説上、これは非常に制限的に解釈するのが一般的であろうと思いますので、学説との関係でも難しいところはあると思います。
松
松本剛明#23
○松本(剛)小委員 ありがとうございました。
国民保護を実効的に行うために、法制、体制、運用を我々も検討していく必要があるというふうに思っております。
あと、実は地方自治体との関係、ドイツは連邦制ですので、ちょっとその辺も含めてお聞きしたかったんですが、私の持ち時間は終了したようですので、また後ほどの質問者に譲らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →国民保護を実効的に行うために、法制、体制、運用を我々も検討していく必要があるというふうに思っております。
あと、実は地方自治体との関係、ドイツは連邦制ですので、ちょっとその辺も含めてお聞きしたかったんですが、私の持ち時間は終了したようですので、また後ほどの質問者に譲らせていただきたいと思います。
ありがとうございました。
平
福
福島豊#25
○福島小委員 本日は、両参考人には大変貴重な御意見をお聞かせいただいて、ありがとうございます。
両参考人は、憲法の中に緊急事態の規定を置くべきであるという御意見でございます。私も、明確に示した方がいいのではないかと個人的には思うんですが、一方で、不文の原理、書かないという考え方が英米法系の諸国においては一般的である。
ここのところを両先生にお聞きしたいんですけれども、書かないといっても、例えば、アメリカでも、不都合があるというわけではないわけですよね。どこが本質的に違うんだろうか。日本国憲法においても、そもそもは両方の考え方があるわけですよね。あるんだけれども書いていないというのと、そもそも憲法が不備だという二つの考え方がある。どう違うのか、もう一度御説明いただけるとありがたいのです。
この発言だけを見る →両参考人は、憲法の中に緊急事態の規定を置くべきであるという御意見でございます。私も、明確に示した方がいいのではないかと個人的には思うんですが、一方で、不文の原理、書かないという考え方が英米法系の諸国においては一般的である。
ここのところを両先生にお聞きしたいんですけれども、書かないといっても、例えば、アメリカでも、不都合があるというわけではないわけですよね。どこが本質的に違うんだろうか。日本国憲法においても、そもそもは両方の考え方があるわけですよね。あるんだけれども書いていないというのと、そもそも憲法が不備だという二つの考え方がある。どう違うのか、もう一度御説明いただけるとありがたいのです。
小
小針司#26
○小針参考人 私から言わせれば、英米法関係というのは、やはり不文法の国ですから、例えば、イギリスであればコモンローで国王大権みたいなのがある。それから、アメリカについていえば、どう違うんだろうというお話ですけれども、アメリカ合衆国憲法においては、軍事に関しては、議会の宣戦布告権とか、あるいはアメリカ大統領の最高司令官としての地位規定というのがあるわけです。そういうところもやはり日本国憲法と決定的に違うわけですね。
そういった法制度、法の伝統のあり方というのもやはり違いますから、我が国の場合、明治憲法期以来、やはりヨーロッパ諸国の、成文法国の法伝統というものを積み重ねて今日に至っているわけですので、そこに勢い、何というんでしょうか、慣習法というか不文法を伝統にしたそういう国のあり方を持ってくるということは、私はちょっとなじまないのではないかというふうに考えます。それは、法伝統の違いというのが一つあるんじゃないかというふうに私としては受けとめております。
大ざっぱな回答ですけれども、一点指摘しておきたいと思います。
〔平井小委員長代理退席、小委員長着席〕
この発言だけを見る →そういった法制度、法の伝統のあり方というのもやはり違いますから、我が国の場合、明治憲法期以来、やはりヨーロッパ諸国の、成文法国の法伝統というものを積み重ねて今日に至っているわけですので、そこに勢い、何というんでしょうか、慣習法というか不文法を伝統にしたそういう国のあり方を持ってくるということは、私はちょっとなじまないのではないかというふうに考えます。それは、法伝統の違いというのが一つあるんじゃないかというふうに私としては受けとめております。
大ざっぱな回答ですけれども、一点指摘しておきたいと思います。
〔平井小委員長代理退席、小委員長着席〕
松
松浦一夫#27
○松浦参考人 私も同じ考えでございまして、憲法上非常事態に関する規定が例えばアメリカ合衆国憲法にはないといいましても、今お話しになりましたように、最高司令官の権限の中にそうした非常措置権というものを読み込む、それで大統領命令によって措置するという形式をとるわけでありまして、憲法上全く根拠がないというわけではございませんし、またイギリスの場合、これはもう特異な例でありまして、成文憲法を持たない国の法慣習というものを参考にして日本の憲法条文の解釈をする、あるいは憲法改正論議をするというのは、ちょっと飛躍があるのではないかと思われます。
どの程度の規定を憲法の中に置くかということについて大小いろいろ議論はあっていいと思いますけれども、いずれにしましても、憲法上の規定というものを置くべきであるというように考えます。
この発言だけを見る →どの程度の規定を憲法の中に置くかということについて大小いろいろ議論はあっていいと思いますけれども、いずれにしましても、憲法上の規定というものを置くべきであるというように考えます。
福
福島豊#28
○福島小委員 よくわかりました。
それで、どこまで書くのかという話ですね。先ほどドイツの話で、ワイマール憲法下でナチス・ドイツが台頭してきたではないか、したがってより細かく書き込みました、こういう話があるわけですが、私は、どちらが卵でどちらが鶏かな、こういうふうに思うんですね。
憲法がそういう憲法であったからナチス・ドイツが台頭してきたのかと言われると、歴史的にはそういう時系列になっていても、そういうことでもないんだろう。ただ一方で、乱用ということを懸念する方にとってはそれをきちっとそうではないということを示さなきゃいけませんから、このあたりのバランスなのかなというふうに思うんですけれども、再度このあたりも御説明いただけますでしょうか。
この発言だけを見る →それで、どこまで書くのかという話ですね。先ほどドイツの話で、ワイマール憲法下でナチス・ドイツが台頭してきたではないか、したがってより細かく書き込みました、こういう話があるわけですが、私は、どちらが卵でどちらが鶏かな、こういうふうに思うんですね。
憲法がそういう憲法であったからナチス・ドイツが台頭してきたのかと言われると、歴史的にはそういう時系列になっていても、そういうことでもないんだろう。ただ一方で、乱用ということを懸念する方にとってはそれをきちっとそうではないということを示さなきゃいけませんから、このあたりのバランスなのかなというふうに思うんですけれども、再度このあたりも御説明いただけますでしょうか。
小
小針司#29
○小針参考人 それでは、私が御報告をさせていただいたところでもちょっと触れましたけれども、憲法の停止と憲法列挙条文の停止、この問題に観念づけまして、いかなる憲法の条文も停止しない形で、他方、非常措置について憲法上の規定を置くというような私なりの想定というものを示したわけですね。そうすると、結局どうなるかというと、非常措置で問題になって、非常措置に対して対応するということでの憲法上の法益、それから人権の規定というのは停止されませんから人権規定のいわば法益、これを憲法典レベルでいわば法益考量させるというのが私なりの考え方なんです。
これは一方において、人権規定が停止しますよとなると、理論的には、人権規定が働きませんからそこの部分は、人権のところは空白になるわけですね。そうなっちゃうと乱用の問題とかいろいろ出てくるでしょうから、私の考え方としては、いわば人権規定は人権規定として生かしながら、他方、非常事態への対処は対処としてこれも対応して、非常事態の程度に応じてどちらの法益をある時点において優先させていくかという、法益間のいわば比較考量というような考え方でこれは考えてみたらどうかという素朴な私の一つの考え方を示させていただいた、こういうことです。
この発言だけを見る →これは一方において、人権規定が停止しますよとなると、理論的には、人権規定が働きませんからそこの部分は、人権のところは空白になるわけですね。そうなっちゃうと乱用の問題とかいろいろ出てくるでしょうから、私の考え方としては、いわば人権規定は人権規定として生かしながら、他方、非常事態への対処は対処としてこれも対応して、非常事態の程度に応じてどちらの法益をある時点において優先させていくかという、法益間のいわば比較考量というような考え方でこれは考えてみたらどうかという素朴な私の一つの考え方を示させていただいた、こういうことです。