2004-03-25
衆議院
竹崎博允
憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会
竹崎博允の発言 (憲法調査会最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会)
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○竹崎最高裁判所当局者 最高裁判所事務総長の竹崎でございます。
本日は、当憲法調査会での説明の機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。
本日御説明いたします事項につきましては、お手元に項目だけお配りしてございますが、これはあらかじめ事務局を通じまして当調査会の御要望を伺ったところに従って準備したものでございます。やや話が細切れになろうかと思いますけれども、御容赦いただきたいと思います。
まず一番最初に、最高裁判所の事件処理の実情について少し御説明申し上げたいと思います。
最高裁判所の裁判官は多忙であるというのが一般的な認識でございまして、また、過去に裁判官を経験した何人かの方が、多忙のゆえに憲法問題等について十分検討する時間的余裕がなかったといった趣旨の話がなされたこともございます。
最高裁判所に提起されます事件数は、平成十五年の統計で申しますと、民事・行政事件が三千百九十件、刑事事件が二千六百七十五件、合計五千八百六十五件に及んでおります。最高裁判所は、一定の場合には大法廷で審理することが必要とされておりますが、通常は五人の裁判官によって構成される三つの小法廷で事件を審理することとされておりまして、先ほど申し上げた事件数を三つの合議体で審理するわけでございますから、一人当たり年間二千件近くもの事件に関与するわけでありまして、多忙であることは否定できないと思われます。
憲法判断かどうかという点はさておきましても、重要な判断により集中できるような態勢がとられることが望ましいことは言うまでもありません。そこで、これまでにも、最高裁判事の負担を軽減するため、さまざまな改革案が検討されてまいりました。
その一つのアプローチの方法は、最高裁は憲法のもとで、大きく言って二つの機能を果たすことが求められている。一つは、従来の大審院以来果たしてきた、三審制のもとでの最終審として下級裁判所の判断をチェックして法令解釈の統一を図るという機能でございまして、もう一つは、憲法で与えられた法令の憲法適合性を判断するという機能でございます。最高裁判所に提起される事件の大多数はこの前者の類型の事件でありまして、その処理が裁判官にとって大きな負担となっているのであるから、この大審院的機能を果たす部門と憲法判断の問題を扱う部門とを分離してはどうかという観点からのアプローチでございます。
ところが、平成十年の民事訴訟法の改正はこれらとは視点を変えまして、最高裁判所に提起されております民事事件の多くが、極めて緩やかな上告理由のもとで、どちらかといえば安易な上訴が行われており、しかも、そのすべてに対して重い判決という形式で対応することを求められていることが裁判官に必要以上の負担を強いることになっているのではないか、そういう認識のもとに、次のような改正を行ったわけであります。
第一点は、上告理由を、憲法違反を理由とするほかは、例えば裁判所の構成が法律に従っていなかったときなどの重大な六種類の手続上の違法に制限をするということ。第二点は、上告理由が明らかにそのいずれにも該当しない場合には、決定で上告を棄却することができるとすること。第三点は、従来、上告理由とされていた単なる法令違反の主張については、最高裁が法令の解釈に関する重要な事項を含むとして上告受理の決定をしたときのみ判断を示せば足り、そうでないときは不受理決定で事件が終局するという三点の改正でございます。これによりまして、大多数の事件は軽い決定で処理されることになりました。
資料の一をお配りしてございますが、ちょっとごらんいただきたいと思います。これによりますと、法改正前の平成九年というところをごらんいただきたいと思いますが、上の欄でございます。終局事由として判決終局が二千九百七十三件ということになっておりまして、これを上告の理由で見ますと、憲法違反という上告理由に対するものが十件、それから憲法違反の主張がされてはいるけれども、実質上は憲法違反に当たらないと判断されたものが三百三十六件でございます。それから、単なる法令違反が二千七百十六件、合計三千六十二件で、基本的にはこの大半が判決で処理をされていたということになるわけであります。
先ほどの改正後、これは昨年の数値でございますが、下の段、平成十五年の段をごらんいただきたいと思います。四千七百五十三件終局しておりますが、そのうち判決で処理をされたものが百四十七件で、四千五百二十五件は軽い決定という形式で処理をされたわけでございます。これは、判決で処理されたものが、憲法違反についていいますと二十五件ということになるわけでありますが、この数値に照らしましても、実質的な判断を必要としない事件がいかに多数最高裁に提起されているかということがおわかりいただけるのではないかというふうに思うわけであります。
判決で処理をするということになりますと、どうしても一つ一つの論点に対して答えなければならないということで、相当の手間を必要とするわけでありますが、決定で取り上げないという判断をすることになりますと、非常に簡易な処理ができるということで、残った実質的な判断を要する部分に精力を集中できるということになるわけであります。この改正の意義は、最高裁判事にとりまして非常に大きな意味があるというように受けとめられているようであります。
これは民事事件についての改正でございますが、このような傾向は刑事事件についても同様でありまして、刑事事件の上告理由は憲法違反と判例違反に限られておりまして、例外として、法令違反等であっても原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは職権で原判決を破棄することができるとされているわけですが、実質的な判断の対象とされているのは、全事件のうちの約二%程度であるというふうに言われております。
ただ、それにしましても、判決で応答するか、あるいは決定で処理するかというような点につきましては、全裁判官が合議をして判断しなければならない。そういう意味では、負担が重いことは否定できませんし、それからまた、事件数は今後さらに増加することが予想されます。既に刑事事件につきましては、地裁レベルでは終戦直後の混乱期を除いて過去最高となっておりますが、最高裁でもこれを受けて新受事件が急増しつつあります。最高裁判事の負担につきましては、常時検討を加えていく必要があるというように考えられます。
ただ、一言つけ加えさせていただきますと、いかに最高裁判事が多忙でございましても、そのゆえに必要な憲法問題の判断が不可能であるということはないというのが、現在の最高裁判事の大方の意見ではなかろうかというように思っております。事柄の重大性からして、最も重要なことに必要な精力を傾けるのは当然のことだからでございます。
それでは、過去に、多忙であるがゆえに憲法問題等の判断になかなか取り組めなかったという発言があるわけでございますが、それはどうしてかという点があるわけです。この点は個々人の判断の問題でございまして、何とも言いかねる点がございますが、例えば学者出身の裁判官の方などについていうと、憲法判断を行うに足りる、言うならば納得がいくだけの自分としての調査研究がなかなか尽くせなかったという心情を述べておられるのではなかろうかという思いもするわけでございます。
以上が、第一点の最高裁における事件処理の実情についての御説明でございます。
次に、最高裁判所裁判官の選任について御説明したいと思います。ただ、この問題は、申し上げるまでもなく、内閣の専権に属する事柄でございまして、裁判所側で御説明できますのは、これに関係する一部の事実でしかないということをまずお断りしておきたいと思います。
最高裁判所裁判官の任免につきましては、最高裁判所長官は内閣の指名に基づき天皇が任命し、その他の裁判官は内閣が任命するとされ、その任命の要件としては、裁判所法上、識見の高い、法律の素養のある年齢四十年以上の者の中から任命することとされ、うち少なくとも十人は、十年以上高裁長官もしくは判事の職にあった者、または二十年以上これらの者を含む法曹の職にあった者であることが必要とされております。
法がこのような任命要件を定めましたのは、最高裁が法令の憲法適合性を審査する終審裁判所であることから、識見が高く、法律の素養のある人物であれば、法律家でない者がその一員に加わっていることはその権能を果たす上で望ましいと考えられると同時に、先ほど申し上げましたように、最高裁判所が法令解釈の統一を図る上告裁判所としての機能を果たすという面では、相当数の法律家が必要であるというふうに考えられたからであろうと思われます。
実際の任命におきましても任命前の職業が考慮されているようでございまして、欠員が生じた場合の後任者の任命に際しましては、その出身母体に応じて、裁判官、弁護士、学識者と三つのカテゴリーが意識されているようでございます。裁判官といいますのは、下級裁判所の裁判官出身者と見られる者でありまして、現在は六人でございます。弁護士出身者は四人、残り五人が学識者ということでございまして、これには大学教授、検察官出身者、行政官、外交官出身者などが含まれております。
任命は内閣の専権でございますが、最高裁判所がその機能を十全に果たすためには各小法廷の人的構成がいずれもバランスのとれたものとなっていることが必要であり、そのため、任命が行われる際には、各小法廷の事件処理の状況やその構成など、最高裁判所の実情を踏まえて、最高裁長官が総理大臣に直接面会し、こうした状況を御説明し、後任の候補者の出身分野、最高裁判事としての適格性などについて意見を述べることが慣例となっております。
その際、最高裁長官は、裁判官、検察官、弁護士出身者などにつきましては相応の情報を持っていることが少なくないわけでありまして、そうした候補者の場合には、任命が内閣の専権に属することを踏まえつつ、必要な限度で候補者の人物等について説明をされているということのようでございます。
次に、裁判所の人的、物的態勢ということで、司法予算について御説明申し上げます。
我が国では、司法予算が国家予算の〇・四%しかなく、そのため司法が十分に機能し得ていないとか、あるいはこれと逆に、司法予算が少ないことが司法が十分に機能し得ていないあらわれであるといった議論をなされることが少なくございません。
そこで、まず、主要国の全予算、国家予算に対する司法予算の比率を比較してみたいと思います。
資料の二番目をごらんいただきたいと思います。これは、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの各国につきまして、わかり得る範囲で国の予算総額と裁判所あるいは司法に関する予算額とを対比したものでございます。
これは二〇〇三年度の数値でございますが、ドイツのみ二〇〇二年度の数値です。日本は〇・三九%ということですが、ちなみに、ほかと比較する上で、便宜、法務省予算も加えた比率で見ますと、一・一四%ということになっております。
アメリカの場合、これは連邦と州と双方で運営されておりますのでなかなか比較ができないんですが、連邦予算だけの関係で見ますと、連邦予算二百六十二兆余りのうち、裁判所関係予算が六千六百九十七億ということで〇・二五%、司法省も含めた比率でいいますと一・二九%ということになります。
それから、イギリスは〇・六七%でございますが、イギリスは非常に高いようでございますが、実は裁判所関係予算のうちの四五%は法律扶助関係予算でございまして、この法律扶助関係予算を除きますと、その他の運営関係は〇・三%ということになるようでございます。
ドイツ及びフランスは、いずれも裁判所予算は司法省の所管のもとにありまして、この中には司法省関係予算が含まれております。それを含めて、ドイツでは連邦が〇・一五%、もっともドイツの場合は州の予算もございますので、これで全体を評価することは難しいと思います。フランスの場合は一・八%ということになっております。
司法制度を予算面から諸外国と対比して見ていくということは一つのアプローチの方法であろうと思うわけでありますが、制度が非常に異なる上に、データの同質性も問題であって、現状では必ずしも有効な方法とは言えないように思われるわけであります。司法制度の機能は、私どもとしては、やはり一つ一つの事柄について法の要請が十分に果たされているかどうかという分析的な検討が不可欠であろうというように考えているわけでございます。
これとの関係もございますが、二割司法という点について、一言御説明させていただきたいと思います。
これはいささか実証性の乏しい議論ではないかというように私どもは思っているわけであります。二割司法という言葉、これが使われるようになったいきさつは必ずしもはっきりいたしませんが、もともとは、報道機関の一部で、国民の二割程度しか一生のうちに司法制度と関係を持つことがないのではないかという趣旨で使われたことがあったようでございますが、平成五、六年ごろ、司法試験制度の見直しが検討されている中で行われたアンケート調査の結果、法的紛争が起こった場合に弁護士に相談した人の割合を調べましたところ、これが二割程度であったという結果から、法曹人口の不足を端的に表現する言葉として用いられ、これが、さらに司法制度改革の過程で、本来、法的に解決されるべき紛争の二割しか適切に解決されていないのではないかといった用法に拡大され、この言葉の出どころとなった調査とは離れたものとなっていったように思われるわけであります。
したがって、この用語に余り厳格にとらわれることは必ずしも適当ではなくて、むしろ紛争解決の手段としての司法作用の充実強化の必要性を指摘するものとして理解すべきではないかというように私どもは受けとめているわけでございます。
いずれにしましても、司法制度を国民がより利用しやすく頼りがいのあるものとするため充実強化を図らなければならないということは、今回の司法制度改革を支える大きな思想でございまして、この観点から、真に国民のためになる改革を実現していく必要があると考えております。
そのための大きな方向として、一つは、司法に関与する人的態勢を強化すること。そのため、法科大学院の設置を初めとする法曹養成制度を見直し、また、裁判所にとっては裁判官の給源を拡大し、多様な人材を確保すること。二番目は、裁判迅速化法の制定に象徴されるような、より迅速で適切な裁判制度を実現すること。三番目は、国民の司法への参加を進めること。この三つが重要であろうと考えているわけであります。
この関係で一言つけ加えさせていただきたいと思います。司法、とりわけ訴訟による問題の解決は、ある意味ではかたい解決方法でございまして、より国民が利用しやすい司法制度を実現するという観点から、このかたい司法手続を中心に置きつつ、その周辺部により簡易で柔軟な方法を用意していくということが必要であろうと思われます。
既に、裁判所では一部このような試みを進めているところでございますが、例えば、訴訟手続の簡易化ということから簡易裁判所に導入された少額訴訟制度は、従来のように期日を重ねるのではなくて、一度の審理で判決まで終えることとしておりますが、これまでのところ利用者には非常に好評でありまして、事件数も増加しております。
また、平成十四年度には、初めて民事及び家事の調停事件総数が訴訟事件総数を超えたことからもうかがわれますように、同じ裁判所の手続でも、より柔軟な調停がますます活用されてきていると言うことができるように思われます。
さらに、司法制度改革の過程でもADRの活用の推進が検討されておりますが、今後、裁判との適切な連携を保ちつつADRの活用が図られれば、全体としての司法的解決の枠組みを大きく広げることになるであろうと思います。
また、もう一方で、各種の手続への裁判所の関与が積極的に進められているという点も申し上げておきたいと思います。
裁判所は、本来は司法機能を果たすべき機構でございますが、近時、例えばDV法あるいは触法精神障害者に対する医療措置といった司法以外の事務に対しましても、裁判所の関与が求められるケースが増加してきております。純粋な司法作用だけでなく、事柄によっては、手続の合理性あるいは透明性、さらには双方の関係者の利害の公平な判断といった裁判所の持つ特質がその関与を求める理由となっているのではないかと思われるわけであります。
裁判所としては、今後、現在の司法機能を一層充実させていくとともに、このような新たなニーズに対応し得る態勢を築いていかなければならないと考えているわけであります。裁判官の採用や養成の過程を見直し、また裁判員制の導入等を図っていくのも、そのような多様なニーズに対応する多様な人材を確保していくという観点から、すべて関連し合っている事柄であろうというように受けとめているところでございます。
最後に、裁判官の独立に対する憲法の保障と裁判官の報酬の引き下げの問題について御説明申し上げたいと思います。
裁判官は、憲法上、良心に従い独立してその職権を行使し、憲法及び法律にのみ拘束されると、極めて重い自律性が課せられているわけでございます。裁判が常に相対立する双方の言い分を聞くことから成り立っているということを考えますと、裁判官の中立公正が強く求められ、当事者から見ますと、裁判官が公平に自分の主張に耳を傾け、ただ、その主張するところの真実か否かのみを判断してもらいたいと考えるのは当然でありまして、公平公正こそ裁判の基盤でございます。
ただ、そのことは必ずしも容易なことではないわけでありまして、最終的には一人一人の裁判官の資質、これは、常に自分の信ずるところに従って判断をするという勇気と、それを支えるだけの平素の自己研さんに帰着する問題であろうと思うわけであります。裁判官はその良心に従って判断しなければならないというのは、そういう意味での最終的な裁判官個人の問題であるという問題の核心を示すものであろうと思うわけであります。
この最終的な裁判官個人の独立を制度的に保障するものとして、裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務をとることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関が行うことはできないと、まず基盤となる身分に対する保障を行い、さらに、裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することはできないと、報酬についても手厚い保障が行われているわけであります。さらに、その周辺部が、司法行政の独立という面で保障が担保されているわけでございます。
ところで、平成十四年、十五年と二度にわたり裁判官の報酬が減額されました。これは、憲法七十九条六項、八十条二項が禁止していることではないのかという疑問が当然生ずることであろうと思うわけであります。
裁判官の報酬につきましては、現在、裁判官報酬法で定められているわけでありますが、その基本的な構造は、裁判官の経験年数に応じた段階的な給与システムをとり、国家公務員の給与にスライドする方式がとられてきました。裁判官も国家公務員であり、職務の特殊性はございますが、基本的にはこれに沿った給与体系が望ましいと考えられてきたわけでございます。その意味で、憲法の母国であるアメリカのように、裁判官の給与をポストを考慮しつつ固定したものとし、昇給という概念が基本的にはないといった制度とは大きく異なっているところでございます。このようなシステムをとっているため、毎年の人事院勧告によって公務員の給与の引き上げが図られる場合には、これに応じて裁判官報酬法の改正を行ってきたわけでございます。
その場合の手続といたしましては、裁判所は内閣の構成員ではございませんし、閣議にも出席いたしませんため、独自の法案提出権がございませんので、裁判所に関する立法は法務省に法改正を依頼するという形式で行っておりますが、この立法依頼は重要な司法行政上の事務でございますので、毎年、裁判官会議の議を経てなされているわけでございます。そこで、これらの両年につきましても、人事院勧告に沿った減額の立法依頼をすることの適否が裁判官会議に諮られたわけでございます。
裁判官の報酬について、今回のような形で引き下げが問題となったことはありませんで、学説の上での考え方も、このような場合であっても裁判官の報酬を引き下げることは憲法に違反するという考え方と、裁判官に対する報酬の保障も裁判官の地位及び独立を確保するために設けられたものであって、今回のような人事院勧告という制度にのっとって国家公務員全体について給与の引き下げがなされるような場合には、司法あるいは裁判官の地位ないし独立とは関係がないから減額しても問題とならないという二つの考え方があるわけでございますが、裁判官会議でも、その憲法適合性について慎重に議論した結果、今回のような場合には、裁判官の地位ないし独立にかかわる問題ではなく、減額改正の立法を依頼することはやむを得ないという結論に達したので、これに沿った措置をとったということでございます。
裁判官会議のこの方針は、いわば立法依頼を行うための司法行政上の判断でございまして、仮に、これに対して例えば裁判官の一部から憲法違反を理由とする訴えがなされた場合には、最終的には司法権の最終判断者として最高裁判所で議論されることがあるのはもとよりでございますが、その場合、司法権の主体としての判断が先行する行政判断に拘束されるものでないということも当然でございます。ただ、裁判官の構成メンバーが同じでございますと、同じ結論となる確率が高いであろうというように思われるわけでございます。
以上、簡単ではございますが、御関心のおありの事項と思われる点について、一応の御説明をさせていただきました。