広井良典の発言 (憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会)
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○広井参考人 御紹介いただきました広井でございます。
このような機会を与えていただきましたこと、大変光栄に感じております。
それでは、私のお話は、お手元にございますかと思いますが、「日本の社会保障をめぐる課題」というレジュメに沿ってお話を簡潔にさせていただければと思います。
社会保障ということでございますけれども、きょうも年金の審議が始まったということで、この社会保障ということが、今、国民にとっての非常に大きな関心事になっているわけでございます。年金の問題を考えるに当たっても、社会保障全体といいますか、社会保障の全体像をどのようにするかという視点がやはり非常に重要ではないかと思いまして、そのような社会保障全般についてどのように考えるかということについてお話をさせていただければと思います。
最初に、これはイントロ的なことでございますが、社会保障というのは、もともと英語でソーシャルセキュリティーという言葉があるわけでございますけれども、このセキュリティーというのは、もともと語源的には、ラテン語のセクーラという言葉があるようでございまして、これは、ウイズアウトケア、ケアという言葉の原義といいますか、憂いとか心配とか不安という意味でございますけれども、そういった憂いや心配がないこと、これがセキュリティー。言いかえますと、リスクに対する備えがなされていることというような意味のようでございます。
したがいまして、さまざまな生活上のリスクに対してどのように備えをするかということが課題になるわけでありますが、そうした方法に幾つかがあり得るわけでございます。個人で対応できるさまざまなリスクへの対処、民間保険ですとか自助といいますか、個人あるいは市場で対応するべき次元。一方、家族ですとか地域共同体ですとか、そういったレベルで行われるべきリスクへの対応もあろうかと思います。しかし、それではやはり不十分であるわけでございまして、政府レベル、公的部門でなされるべきリスクへの対応、これが社会保障ということになるわけでございます。
言いかえますと、社会保障の課題というのは、さまざまな生活の中で生起するリスクに対して、個人と家族や共同体と政府、このいわば役割分担といいますか、これをどのように考えるか。どのような部分は政府が担うべきか、あるいは国家ないし地方自治体が担うべきか、それが社会保障をめぐる基本的な課題というふうに言ってよいかと思います。
まず、日本の社会保障の特徴ということをごく簡潔に確認させていただきますと、形式的に言いますと、一九六一年に成立しました国民皆保険・皆年金をベースにして、いわゆる社会保険制度を中心とするシステムということになるわけでございます。
これを少し国際的な比較の中で見ますと、前後して恐縮でございますが、資料の七ページをお開きいただければ幸いでございます。
「社会保障給付費の国際比較」というのがそこにお示ししてございますが、これは社会保障の規模の対GDP比、国内総生産比を他国と比較したものでございます。いわゆる北欧諸国、スウェーデンなどが最も社会保障の規模が大きくて、大陸ヨーロッパといいますか、ドイツやフランスがその後に次いで、ヨーロッパの中ではイギリスが相対的に小規模、低い規模である。先進諸国の中では、日本はいわばアメリカと並んで社会保障の規模という意味では最も低いということがまず見てとれるかと存じます。
それと並んで社会保障の内訳に目を転じますと、これはちょっと印刷が見にくくて恐縮でございますが、右から医療、年金、福祉その他。福祉その他というのは、高齢者や障害者、子供の福祉に加えて生活保護ですとか失業保険といったものが含まれておりますけれども、日本の特徴といたしましては、この福祉その他の比重が非常に小さい。逆に、スウェーデンやヨーロッパの国々はこの部分がかなり大きい。片や、年金の社会保障全体に占める比重が先進諸国の中では日本は最も高い。これが、年金の成熟化の中で、今後こういった傾向がさらに強くなっているということが指摘できるかと存じます。
もう一度レジュメの一ページに戻らせていただければと思います。
確認いたしますと、日本の社会保障の国際的に見た特徴としましては、規模は、今申しましたように、先進諸国の中ではアメリカと並んで最も低い。内容は、年金の比重が大きく福祉の比重が小さい、とりわけ子供関係や失業関係などが低いということが特徴として指摘できます。それから財源は、先ほど社会保険中心ということを申しましたけれども、この中に、かなり複雑な形で、保険と税がまざり合うような形で入っております。その結果、かなり日本の社会保障は複雑でわかりにくいといいますか、そういった面が多々あるという側面を一部持っているわけでございます。
例えば基礎年金、これは、三分の一は税で三分の二は社会保険料というふうになっておりますけれども、なぜ税は三分の一であるのか、この制度の趣旨はどういうものであるのかというのが少しわかりにくいものになっている。国民健康保険、医療の方ですけれども、二分の一は税金、二分の一は保険料、これはなぜこういうものなのか。この制度の趣旨がなかなか、必ずしも、歴史的経緯によるような形で、十分合理的とは言えない部分を含んでいるということが指摘できるかと思います。
二ページ目に進ませていただきたいと思います。
しかし、全般として見た場合に、日本の社会保障というのは、先ほど申しましたように先進諸国の中では財政規模としては低いわけでございますけれども、なぜ低くて済んだのかという問いが立てられるわけでございます。恐らく、これに関しては、二つ主要な理由があるのではないかと考えられます。
一つは、見えない社会保障、インフォーマルな社会保障というふうに書いてございますけれども、これは具体的には会社や核家族、家族のことでございまして、こうしたものが実質上、社会保障的な機能を果たしてきた。会社は、終身雇用、かつ、社員のみならず家族の生活も生涯にわたって保障する。家族は、介護や子育てといったものは家族の中で行うということで、他の国であれば失業保障でありますとか公的な社会保障として行われていた部分のかなりの部分をこのような形で対応してきた。このこと自体は必ずしもマイナスということでは言えないわけでございますけれども、最近、ここ数年に至りまして、そうした終身雇用とか家族のあり方というものが非常に流動化する中で、これにかわる社会保障の対応ということを考えていかなければいけない、そういう時期に来ているかと存じます。
それから、もう一つは、公共事業型社会保障というふうに、ちょっとここではそういう言葉を使っておりますが、特に七〇年代ごろから顕著になってきた傾向であろうかと思いますけれども、日本の場合、公共事業が事実上の社会保障的な機能を果たしてきた。ヨーロッパなどではこのころから公共事業の比率が下がると同時に失業率が上がってくるわけですけれども、日本は比較的最近まで、公共事業が職の提供を通じた生活保障という、他国であれば社会保障として提供されるような機能を実質的に果たしてきた。これに関しても、一時期までは一定機能した面があったと言えるわけでございますけれども、さまざまな弊害も見えるようになってきているわけでございまして、こういったあたりも含めて社会保障としての再編成ということを考えていかなければならない時期に来ていると言えるかと思います。
では、これからの社会保障はどのような方向を考えるべきかということに入る前に、少しここで、ごく簡潔に社会保障の国際比較ということを見てみたいと存じます。
社会保障というのは、およそその国の社会構造ですとか価値観あるいは文化、ひいては歴史等といったものを非常に反映したものにならざるを得ないわけでございますけれども、大きな歴史的な展開といたしましては、もともとは、産業化といいますか都市化が進む中で、まず都市労働者を中心に整備され、それが徐々に自営業や農業従事者等にも拡大されていったという経緯がございます。
とりわけ、社会保障というものが大きく飛躍的に発展しましたのは第二次大戦後の時期でございまして、福祉国家ということが言われるようになって、特にヨーロッパでございますけれども、国が積極的な財政政策、ケインズ政策と呼ばれるような財政政策を行い、その中で社会保障についての給付も拡大していく、さらにそれが需要の拡大にもつながって、いわば社会保障と経済成長の相乗効果というような時期が七〇年代ぐらいまで続いたと言えるわけでございます。
それが、八〇年代前後から、経済の構造的な低成長や高齢化、ひいては少子化の進展という中で、望ましい公私の役割分担というものはどのようなものかということを改めて考え直すべき、そういった時期になって現在に至っていると言えるかと思います。
そのような各国の社会保障を大まかに分類してみますと、おおよそ三つぐらいのグループに分けられることが可能で、こういった研究分野でも、ほぼ、こうした三つぐらいの分類が一般的になされております。
A、B、Cというふうにしてございますけれども、普遍主義モデルという最初のものは、イメージとしては、北欧などに代表されるもので、基本的に社会保障給付費が大きい、とりわけ福祉サービスの比重が大きい。全住民をひとしく対象とする。それから、財源は税が中心という形の社会保障になっております。理念としては、右の欄でございますけれども、いわば公助といいますか、自立した個人をベースに公共性といったことに軸足を置くような社会保障の姿と言えようかと思います。
二番目は、社会保険モデルということでございまして、これは、文字どおり、社会保険を中心とした社会保障の形でございます。拠出に応じた給付、特に年金に顕著でございますけれども、高い保険料を払ったことに応じて、それに応じた年金の給付がなされるという内容でございます。それから、被雇用者といいますか、サラリーマンが中心の制度になっている。財源は、今申したとおりでございます。国の例としては、ドイツ、フランス、大陸ヨーロッパといいますか、これが基本になっております。理念としては、共助といいますか相互扶助、家族、共同体の相互扶助をベースに置きながら、それを公的な形で制度化した姿という理念と言えようかと思います。
それから最後は、市場型モデルということで、これはアメリカに典型的な姿と言えようかと思います。社会保障の規模としては最も小さい。民間保険あるいは個人の自立自助やボランティアといったものを最大限活用するということで、公的な社会保障としては最低限の、ミニマムのものにする。理念としては、自助、自立した個人をベースにした考えというふうに言えようかと思います。
次のページに進ませていただければと思います。
以上の三つの分類に即して言いますと、A、普遍主義モデルとしたものほどいわば公的な原理が強く、後の市場型モデルほど私的原理が強くなるとも言い得ますし、自由と平等ということに関して言えば、より平等に軸足を置くか、個人の自由ということに比重を置くか、そういった価値観の違いから分岐するモデルというふうにも言えるかと思います。
日本の位置づけにつきましては、これはいわば折衷型あるいは混合型とでも言えるような姿ではないかと思います。当初はドイツの社会保険をモデルにして出発したわけでありますけれども、基礎年金制度といったものはもともと北欧やイギリスに見られる普遍主義モデルの、先ほど申しました一つの典型的な形でございますので、そういう普遍主義モデルの要素も取り入れておりますし、そうかと思いますと、他方で、社会保障の規模から見ると、冒頭で確認しましたように、むしろアメリカと同じような水準ということで市場型モデルに近いということで、折衷型的な要素を持っている。
その上で、今後どのように考えていくかということでございますけれども、各国についてもう一つ確認いたしますと、今、三つのモデルと申しましたけれども、近年では、これらが相互に接近しているという傾向が指摘できるかと思います。その趣旨は、ドイツ、フランスなどの社会保険グループも最近では税の財源を拡大している傾向が指摘できますし、逆に、厚い社会保障でやってきました北欧、スウェーデンなども市場原理を一定活用するというような形で、相互に接近しているという傾向が指摘できようかと思います。
なお、各国の消費税水準ということを、幾つかの例をそこに、アメリカは州によって違いますので、概して低水準ではありますが、入れてございませんが、消費税水準ということを示しておりますのと、それからもう一つは、各国の所得格差の状況、これは資料の十二ページをちょっとお開きいただければ幸いでございますが、「所得再分配効果の国際比較」ということで示してございます。
これは、いわゆる所得格差の度合いがどの程度のものかということで、左のグラフがそれを示したものでございますけれども、所得格差の度合いを示すジニ係数という指数がございまして、これは大きいほど経済格差が大きいということになるわけですが、日本は、中位か、特に近年ではややこの所得格差が大きく拡大している傾向がある。右は社会保障による再分配効果ということでございますけれども、日本は社会保障による分は余り大きくないということがございまして、こういった経済格差、社会保障による再分配ということをどのように考えていくかということも、今後の議論していくべき検討課題の一つと言えようかと思います。
恐縮ですが、また三ページの方に戻らせていただきます。
以上を踏まえた上で、社会保障のこれからの姿を若干憲法との関係も踏まえてお話し申し上げたいと思いますが、社会保障の価値原理ということでございます。
社会保障を考える場合に、やはりどうしても自由と平等という、先ほど来も少し出てきた基本的な理念がポイントになるかと思いますけれども、自由と平等というのは、概して、いわば対立するものといいますかトレードオフといいますか、どちらを優先するかという対立するものとして考えられることが一般的であろうかと思います。
しかしながら、自由という言葉の意味を、単なる自由放任とか干渉しないという意味の自由ということではなくて、将来の選択肢の幅といいますか、自分の、例えば中学生や高校生が将来の選択肢の幅としてどのような選択があるか、そういった意味として自由という言葉の意味を理解し直しますと、他方で平等ということを、チャンスが平等に与えられる、機会の平等というふうに考えてみますと、自由と平等という概念はかなり相重なり合う概念になると言えるかと思います。
そのように考えますと、社会保障の基本理念として、各個人が人生のさまざまな段階において実質的な機会、チャンスの平等を得られることの保障、そういうふうに考えますと、今申しました将来の選択肢の幅という意味での自由の保障というふうに重なり合っていく。そういう意味では、個人の自由あるいは自己実現の機会を保障する制度としての社会保障という理解が可能になってくるわけで、そのように考えますと、憲法との直接的な、一義的な関係ではございませんけれども、憲法十三条にございますような個人の幸福追求権、そういったものの一つの制度的な保障として社会保障ということが考え得るのではないかと言えようかと思います。
続きまして、これからの社会保障の方向ということについて簡潔に触れさせていただければと思います。
四ページでございますけれども、基本的には、社会保障の姿としては強化が必要な面が多々あろうかと思います。それは、先ほどお話し申しました、日本での低い社会保障を支えてきたインフォーマルな社会保障、終身雇用とか家族とか、そういったものが多様化して、公共事業型社会保障といったこともなかなか維持が難しくなっている中では、社会保障の一定の役割の強化が必要になってくる。
ただし、低成長の時代にあって、社会保障のあらゆる分野を公的にということはなかなか困難なわけでございまして、これからの社会保障の大まかな選択肢としては、四つほどの選択肢が考えられるのではないかと思います。そこに示してございますけれども、全分野重点型、医療、福祉、年金も公的に厚く。それから年金重点型、年金はかなり厚くして、医療、福祉は個人の負担を拡大する。それから医療・福祉重点型、医療、福祉は厚く、逆に年金は私的なものを拡大する。それから市場型、これはアメリカ的な姿で、医療、福祉、年金、いずれも私的なものを中心にという形でございます。
これは全くの私見でございますけれども、私自身は、これからの社会保障としては医療・福祉重点型の社会保障というような姿が妥当ではないか。
医療や福祉の分野というのはなかなかリスクの予測が困難で、どれぐらいの医療費がかかるか、いつ病気になるか、予測が困難で個人差が大きい。こういった分野は公的な保障をしっかりとする必要性が大きいかと思います。諸外国と比べても、医療保険の患者負担というのは既に日本はかなり高い水準になっているわけでございまして、こういった部分はむしろ公的な保障をしっかりとするべきではないか。
逆に、年金につきましては、これは老後の生活費であり、予測でき、個人差も小さいということで、むしろ公的年金というのは、所得再分配機能、つまり、すべての高齢者に一定以上の所得を平等に保障するという基礎年金主体のものとするべきではないか。
現状を見ますと、相当な高額な年金、月三十万に至るような年金を受けている層がいるかと思うと、四万円前後かそれ以下の国民年金という層も多く存在するわけでございまして、むしろ、平等な一定以上の生活の保障というところに公的年金は軸足を据えるべきではないか。そういった意味では、厚目の基礎年金主体といいますか、そういったものに再編成して、それを超えた所得比例部分、高い所得の人は高い年金を受けるというような部分は、むしろある程度民営化を進めていく。強制加入の社会保険という形とは別の姿を考えるべきではないかと思います。
なお、基礎年金の財源というのは、一定以上の生活保障という観点から考えますと、税というものを基本的な財源とするのが妥当ではないかと思います。
次の五ページ、最後の部分でございますけれども、時間の関係で、ここは確認にとどめたいと思います。
いずれにしましても、公的部門、それから共助の部分、私的な部分の役割分担のあり方ということを考えていく必要があるということ。
それから、財源につきましては、高齢化が進展していく中で、拠出と負担を均衡させるという保険の原理がなかなかなじみにくい層が増加しているということで、先ほど、社会保険グループの国も税の部分の比重が拡大しているということを申しましたけれども、ある程度税の部分の役割を拡大せざるを得ないのではないか。具体的には、基礎年金、高齢者医療、介護、子供といった所得再分配的な傾向が強いものは税の比重を高めていく必要性が高まっているのではなかろうかと思います。
検討されるべき税財源といたしましては、そこに、消費税、相続税、それから環境税ということについて簡潔に示しております。
相続税ということについて触れておりますのは、先ほどもちょっと触れましたように、所得格差や資産格差が拡大する中で、個人が生まれた時点でいわば共通のスタートラインに立てる、こういうことの保障が今若干揺らいでいる面がある。そういったことを考えますと、相続税を一定強化し、それを社会保障に充当する中で、個人の機会の平等を保障するという必要性が高まっている。
それから、環境税というのは、社会保障の中で言及するのはやや唐突な印象があろうかと存じますけれども、ドイツなどが、環境税を導入して、それを社会保障に充てて年金の保険料を下げるという改革を数年前に行っております。これは、環境の負荷を抑制しながら福祉の水準を維持し、しかも、企業にとっての社会保険の負担を軽減して、失業の上昇を抑えると同時に、国際競争力の強化にも資するという非常に複合的な効果をねらった政策で、こういった、環境や経済成長のあり方ということもにらんだ総合的な政策というものを考えていく時期になっているのではないかと存じます。
次の六ページ、最後のページになりますが、以上、社会保障に関します現状や国際比較、今後の方向についてお話しさせていただいてまいりましたけれども、まとめといたしましては、社会保障の具体的な設計については、やはり政策的な判断あるいはその基礎をなす政治理念、あるいはそれを支える国民の選択やコンセンサスに依拠する部分が大きいと思いますので、憲法が一義的な回答を与えるものでは必ずしもないだろうかと思います。
ただ、社会構造が非常に大きく変化する中で、先ほど来触れてまいりましたような、個人の自由と平等の意味でありますとか、公共性の担い手としての国家、あるいは公的部門、共助の部分、自助の部分の役割分担、ひいては環境と調和した社会システムといった、かなり社会の基本的な骨格に関します再検討が求められているわけで、そうした大きな視野の中で社会保障のあり方を考えていく必要性が高まっているかと思います。
基本的な認識といたしましては、経済が成熟化して、個人が社会の基本的な活動の単位となっていく中で、社会保障を中心とする公的部門の役割は相対的には大きくならざるを得ない。そのような中で、環境との調和も視野に入れながら、いわば理念としましては、持続可能な福祉国家あるいは福祉社会、そういった社会の姿を考えていくことが基本的な課題ではないか、そのようなことが基本として指摘できるのではなかろうかと思います。
非常に雑駁な話となりましたけれども、以上をもちまして、私の報告とさせていただきます。(拍手)