憲法調査会統治機構のあり方に関する調査小委員会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
三月二十三日
木下厚君同日小委員長辞任につき、その補欠として鈴木克昌君が会長の指名で小委員長に選任された。
平成十六年四月一日(木曜日)
午後四時五分開議
出席小委員
小委員長 鈴木 克昌君
岩永 峯一君 衛藤征士郎君
永岡 洋治君 二田 孝治君
古屋 圭司君 森山 眞弓君
鹿野 道彦君 玄葉光一郎君
津村 啓介君 斉藤 鉄夫君
山口 富男君 土井たか子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
参考人
(東京大学大学院法学政治学研究科教授) 碓井 光明君
参考人
(千葉大学法経学部教授) 広井 良典君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
四月一日
小委員永岡洋治君三月二十三日委員辞任につき、その補欠として永岡洋治君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員土井たか子君三月二十五日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員木下厚君同日委員辞任につき、その補欠として津村啓介君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員津村啓介君同日委員辞任につき、その補欠として木下厚君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
統治機構のあり方に関する件(財政)
————◇—————
この発言だけを見る →木下厚君同日小委員長辞任につき、その補欠として鈴木克昌君が会長の指名で小委員長に選任された。
平成十六年四月一日(木曜日)
午後四時五分開議
出席小委員
小委員長 鈴木 克昌君
岩永 峯一君 衛藤征士郎君
永岡 洋治君 二田 孝治君
古屋 圭司君 森山 眞弓君
鹿野 道彦君 玄葉光一郎君
津村 啓介君 斉藤 鉄夫君
山口 富男君 土井たか子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
参考人
(東京大学大学院法学政治学研究科教授) 碓井 光明君
参考人
(千葉大学法経学部教授) 広井 良典君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
四月一日
小委員永岡洋治君三月二十三日委員辞任につき、その補欠として永岡洋治君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員土井たか子君三月二十五日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員木下厚君同日委員辞任につき、その補欠として津村啓介君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員津村啓介君同日委員辞任につき、その補欠として木下厚君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
統治機構のあり方に関する件(財政)
————◇—————
鈴
鈴木克昌#1
○鈴木小委員長 これより会議を開きます。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました鈴木克昌でございます。
小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いをいたします。拍手
統治機構のあり方に関する件、特に財政について調査を進めます。
本日は、参考人として東京大学大学院法学政治学研究科教授碓井光明君及び千葉大学法経学部教授広井良典君に御出席をいただいております。
この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
財政について、まず、碓井参考人には国会による財政統制の視点から、広井参考人には国民負担率の問題を含む社会保障の財源問題の視点から、それぞれ三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
それでは、まず碓井参考人からお願いいたします。
この発言だけを見る →この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました鈴木克昌でございます。
小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願いをいたします。拍手
統治機構のあり方に関する件、特に財政について調査を進めます。
本日は、参考人として東京大学大学院法学政治学研究科教授碓井光明君及び千葉大学法経学部教授広井良典君に御出席をいただいております。
この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じます。
本日の議事の順序について申し上げます。
財政について、まず、碓井参考人には国会による財政統制の視点から、広井参考人には国民負担率の問題を含む社会保障の財源問題の視点から、それぞれ三十分以内で御意見をお述べいただき、その後、小委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
それでは、まず碓井参考人からお願いいたします。
碓
碓井光明#2
○碓井参考人 ただいま御紹介をいただきました東京大学の碓井と申します。
本日は、このような参考人としての発言の機会を与えられましたことに感謝申し上げたいと存じます。
私は、この十年ほど、東京大学の法学部で財政法という科目を担当しております。こういう科目が大学の学部で開設されているということはそんなに多くないわけでございますが、その成果の一部をきょうは披露させていただきたいと思います。
国会による財政統制を中心にした財政のあり方ということについてお話ししたいと思いますけれども、何と言っても財政運営の基本というのは、私は、国民財政主義ということになければならないと思っています。それはある意味で、民主主義というものを財政の側面においてどう実現するかというときに、リンカーンの言葉に学ぶまでもなく、バイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープルというのは基本になるはずであります。
国民財政主義をどのようにして実現していくかということについてでございますが、これについては多様な方式が考えられるわけでございます。その際に最も活用しやすいのが国会を通じたコントロール、統制でございまして、これを一応財政民主主義というふうに呼んでおくことにしたいと思います。
しかしながら、国会による統制が十分に機能するためには、国民に対する財政情報の提供というものが極めて重要であると考えられるわけであります。
ところで、私ども国民、それぞれ生身の人間でございますが、国民の意思にも分裂状況がございます。納税者という立場においては、どのようにしたら税金が少なくて済むかということを懸命に考えますし、また歳出については、このような施策を講じてもらいたいという要望を持ちます。一人の人間にとりましても分裂状況があるわけでございます。そういう中で、これまで痛みを伴わない仕組みというのが活用されてきたのではないかというのが私の実感でございます。
それは、公債の発行もそれですし、財政投融資制度という、今は制度が移行期にございますけれども、郵便貯金等で集めた資金を原資として統一的な資金、かつての資金運用部でありますが、そこから特殊法人に行く、あるいはまた地方公共団体にも行くという形で、痛みを伴わないで大きな財政運営ができたわけであります。また、このところ問題になっている地方交付税もその一つでございまして、地方公共団体は直接には痛みを伴わないで、国からの資金を当てにしてきた面が否定できません。
こういった今までの痛みを伴わない仕組みを、国民が実感できるような仕組みに転換する必要があるというのが今後の財政を考える上では出発点になるべきだと私は考えています。そこで、そのような方向を進めるためには、最低限、国会の意思決定前に、国民に正確な財政情報が提供される必要があると考えるわけです。
実は、国会議員の先生方は毎年予算審議のときに、きょうは一部だけを持ってきたわけですが、予算が内閣から国会に提案されたときに、何点セットと申しますか、大部なものがあると思います。
今、政府刊行物サービス・センターに行きますと、この平成十五年度のものが売られているだけでございまして、平成十六年度のものはまだ売られていないわけであります。その売られていない理由については私は存じませんが。ですから、そういう状況ですから、私はかつてはそのことを問題にして教室でも説いてまいりましたが、ITに弱い私の弱みがありまして、この本日の参考人として意見を述べさせていただくのに合わせて調べましたところ、既に現在ではこの予算書が、予算が国会に提出されるときに合わせて、予算書も財務省のホームページに載せられているということでございました。
ということで、私が申し上げました財政情報の提供というのは、IT化の推進に伴って大きく変容しつつあると思います。ですから、ホームページ等が十分に活用されるならば、この点は大いに改善される余地があるというふうに私は思っています。
また、情報公開制度というものが実質的に大きな統制機能を発揮すると考えられます。三月三十一日の内閣府の情報公開審査会では、外務省報償費の執行基準の一部について、公開するようにという答申を出したというふうに報じられております。このようなことが進みますと、今まで隠れていた部分が情報公開という形で国民の目に触れて、統制機能が働くと考えられます。
会計検査院のことについては後に述べますが、国民の代理人としての検査の位置づけも可能であります。
また、国民が直接に能動的に財政統制に乗り出す仕組みも考えられるわけでありますが、これについても後に述べます。
次に、財政をめぐる憲法と法律との関係についてでありますが、その前に、憲法というときに、憲法学の最初の講義の時間あたりに、形式的意味の憲法と実質的意味の憲法という言葉が出てまいります。国家の根本統治にかかわるという意味では、憲法典、日本国憲法のことですが、憲法典に規定のない事柄であっても、実質的な意味の憲法に当たるものが幾らもあるわけでございますが、例えば現在で言えば健全財政主義がそれに当たるかもしれません。しかし、以下で憲法と言うときには、形式的意味の憲法、憲法典という意味に使わせていただきます。
そのような憲法典自体にどの程度財政に関する規定を置くのが望ましいかということが問題になります。私はこれは、多くを立法府の裁量にゆだねてよいのではないかと考えております。例えば複数年度にまたがる財政計画あるいはバランスシートの作成といったようなことは、法律による対応で十分ではないかというふうに考えております。ただ、憲法八十九条については、別にお話をさせていただきます。
現在、最もむなしく感ずるのは、健全財政主義ということでありまして、これは財政法四条がうたっていることでありますが、憲法上の原則ではないために、特例法を制定すれば赤字公債の発行も可能な仕組みになっています。しかし、このようなむなしさにもかかわらず、憲法によって縛りをかけるということはできないでありましょう。もちろん、法律による縛りということが考えられるわけでありまして、財政構造改革法はそのような試みであったわけですが、これもなかなか難しいということが言えます。
次に、予算制度についてでございますが、予算の役割は主として支出の授権と債務負担の授権とにあると思います。予算単年度主義という言葉が複数の意味で使われているように思われるわけですが、ここでは一応、一年を単位として、毎年、歳入歳出予算を編成して国会が議決する、このことを予算単年度主義というふうに呼ばせていただきます。私はこれは、健全な財政を確保するためにやはり必要な原則であるというふうに考えています。
継続費というものがございますが、これは、部分的に複数年の予算を規律するものでありますが、予算単年度主義の原則については例外をなしておると考えられるわけであります。継続費の違憲論というのが日本国憲法施行後しばらくの間よく闘わされたわけでありますが、もし可能であるならば憲法改正で明らかにすることが望ましいということになります。しかし、御承知のとおり、継続費を入れなかったことの理由としては、軍事費と連動している継続費は望ましいという判断があったとされておりますし、むしろ、明示しないで、解釈により縛りをかけて、ごく例外的にこれを許容するという方が望ましいという考え方もあり得るわけであります。
また、継続費というものは、後年度の歳入を当てにするものでありますけれども、当年度の歳入を財源として、債務負担及び支出の双方を複数年にまたがって許容する制度もあり得るわけであります。現在、繰越明許費というのがございますが、これは二年にわたる支出の授権でありまして、財源をあわせて繰り越す限りは財政の健全性を損なうことはないというふうに考えられます。
次に、会計年度独立主義というのが、予算単年度主義というときに会計年度独立主義ということをあらわすのに使われていることもありますが、ここでは、ある年度の経費は、その年度の歳入をもって支弁しなければならないこと、そういう財政法の規定に従っておきたいと思います。
ある年度に支出を授権された経費を翌年度に繰り越して使用するということは、会計年度独立主義に反すると考えられているわけであります。会計年度独立主義というものは、憲法の直接に命ずるところではございませんけれども、歳入と歳出とを対応させた財政統制ができなくなるような運用というのは、予算制度の根幹を揺るがすことになるものとして許されるべきではないと考えます。現行法では、繰越明許費のほか、継続費の年割額の繰り越しや事故繰り越しというものがございまして、例外があるわけですが、この程度であれば、予算制度の根幹を揺るがすとは言えないように思われます。
そこで、予算単年度主義の弊害ということについてでありますが、この意味の実質は、授権された支出を翌年度に繰り越すことが難しい、それで年度末近くに無理な予算執行を行わざるを得ないという点にあると思われます。会計年度独立主義の一内容として歳出予算の繰越禁止ということが言われるわけでありますが、最も禁止あるいは抑制されるべきものは、財源の繰り越しを伴わない、すなわち後年度の歳入を当てにした、歳出のみの繰り越しであると考えられます。反対に、財源とともに繰り越すことは、財政の健全性を損なうものではないと考えられます。
現行制度における問題は、あらかじめ繰越明許費として計上しておかなければならないということ、及び、翌年度使用について財務大臣の承認が必要でありまして、そのためには大変な手続を要する、時間もかかるという点であります。その結果、年度末近くになりますと、もはや繰越明許費の扱いをするゆとりはないということになるわけであります。一般的に会計処理について言えることですけれども、現場に行けば行くほど、面倒な手続を回避したくなる傾向がございます。これは、例えば項目間の移用、流用の場合についても財務大臣の承認が必要とされておりますが、その場合にも、手続を回避したくなるのが現場の感覚であります。
いずれにいたしましても、このような現場感覚から、例えば繰り越しの可能な経費でありましても、手っ取り早く随意契約等によって契約を締結して、施工することのできる工事箇所を探して予算執行を行ってしまおうということになりやすいわけであります。
そこで、私の提案は、経費の性質に応じて、繰越明許費とは別に、歳出予算の一定割合については財務大臣の承認を要せずに繰り越すことを認める制度にすべきではないか。つまり、繰り越しの弾力化ということを提案したいと思っているわけであります。
次に、使途を緩やかに特定した予備費のことについてでございますが、これは、数年前に公共事業等予備費というものが計上されておりましたが、それに関する私の意見でございます。
予算編成時に既に必要性がわかっている、そういう経費について、つまり、予見されているにもかかわらず、その執行の発動を予備費の形式で内閣にゆだねるということになりますと、それにはやはり憲法の予定する予備費の範囲を逸脱している可能性があるように私には思われるわけであります。もちろん、そのような予備費としてではなくて、あらかじめ計上した上で財政法に規定を置いて、内閣における執行留保を認めるという制度を創設するというのであれば、それはまた別問題であります。
また、景気対策的な予算執行を可能にするシステムの可能性ということについても検討する必要があろうと思います。
一九九九年にジュリストという雑誌に載せました公共事業等予備費という論文の中で述べておりますように、いろいろな対策が考えられるわけでありますが、使途を緩やかに特定した、そういう費目を設けたとしても、直ちに憲法違反になるわけではない、予算の使途特定原則に反するものではないというふうに考えております。ですから、例えば景気対策公共事業費というようなものがあったと仮定しても、それはよいのではないかと思います。
ただ、その公共事業費という場合の特定の仕方が問題でありまして、余りに雑多な費用を想定するというのは使途の特定がなされているとは言えないわけでありまして、数種類の目的の費用を掲げるという程度のことになる、その程度のものなら許されるのではないかと思います。
次に、予算不成立の事態に対する制度でございますが、現行憲法には、次年度の予算が成立しなかった場合にどのようにするかということの対処策は用意されていません。したがって、暫定予算というものを大急ぎで編成し、国会の議決を経なければならないことになっているわけであります。
この点について、そういう非常事態に備えた基金を設けるべきである、そのような基金こそが憲法の想定している予備費であるという小嶋和司先生の見解もあるわけでございますが、私は、現在の運用の仕方というのは、むしろ国会における予算審議の促進機能を持っているのではないかというふうに考えております。三月一日までに次年度予算が成立しなくても心配することはないということになりますと、いつまで予算の成立が延びるかわからないという不安定な状態に陥るように思われます。ですから、大災害等の緊急事態に対する支出を授権する法律を制定しておくことで足りるのではないかというふうに考えております。
次に、財政に関する章の中では最も問題とされてきたのが、恐らく憲法八十九条ではないかと思います。「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」の部分は、もし憲法改正の機会があれば、削除あるいは改正を検討する必要があるというふうに私は考えております。
もっとも、この点について、憲法学者はさまざまな努力をしてきております。例えば後段の部分も、前段の政教分離を補強するための規定であるというふうに限定解釈するという手法や、公の支配ということの意味を、だれに対しても開かれている事業である、しかも情報開示がなされていることで足りるのだ、こういう見解などがありまして、こういう憲法学の努力の成果があるときにあえて改正する必要はないという意見ももちろん承知しております。また、現行憲法下の方が緊張感があってよいのではないかという見解もございます。
このような多様な見解がありますけれども、私自身は、機会があれば改正の対象にすべきであると思っています。
次に、会計検査院等についてでございます。
国会以外の財政統制の機関として、行政自身による統制、会計検査院による統制あるいは裁判所による統制等を考えることができるわけでございます。
まず、行政自身による統制の機関として、財政を所管しております財務省の役割というものが大変大きいわけであります。さらにまた、各省庁の内部監査組織も存在しております。この点については、会計検査院が検査報告で報告したことがあったかと記憶しております。
しかし、この内部監査組織というものは、組織ぐるみでなされている不適正な処理についてはうまく機能しないわけでありまして、えてして、いかにしたらそういう組織ぐるみの不適正な処理が表面化しないようにできるかということに腐心することに陥りやすいというふうに私は推測しているわけでございます。つまり、その組織としても容認できないような不正の摘発にはもちろん積極的であるけれども、組織の幹部も含めて、組織ぐるみでの不適正なことについては無力であるというふうに私は思います。
次に、会計検査院のことについてであります。
会計検査院につきましては憲法上の位置づけが問題になります。その場合に、現行憲法下における位置づけの考え方と、今後、憲法のあるべき姿としての位置づけをどうするかという二つをもちろん区別する必要があります。
現行憲法下におきまして、国会の附属機関とする考え方もあり得るようであります。私自身も、かつてこの点について肯定的に考えていた時期があるわけですが、現在では憲法九十条一項というものを根拠にいたしまして、私は、国会の附属機関にすることは想定されていないというふうに考えております。
何か、条文解釈をここで申し上げるのは大変失礼かとは存じますが、あえて細かいことを申し上げさせていただきますと、憲法九十条の一項というのは、「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」となっているわけですが、もし国会に附属する機関であるというならば、内閣経由で出すというのではなくて、いきなりみずからが所属している国会に出すのが筋でありまして、ですから、現行憲法は考えていないのではないかというふうに考えを改めるに至ったわけであります。
ところで、現在は、したがって憲法上も会計検査院は第四権のような位置づけを与えられていると考えてよいのではないかと思いますが、ただ、会計検査院自身も、三年とか五年ごとに外部監査を受ける必要があるのではないかというふうに思います。これは、アングロサクソン系の国では、監査を行う機関も監査を受けるということは当たり前のことだというふうに位置づけられておりまして、そういう絶対のものを置かないというのがどうも考え方のようでありまして、この点は検討に値する事柄かと思います。
会計検査院の役割に期待する場合におきまして、会計検査院の権限につき、現行のように決算の検査のみを憲法に定めて、それ以外を法律に委任する方式でよいのかどうかということは一つの検討課題であります。例えば、弁償責任の検定とか利害関係人の要求による審査判定といったような裁判的な役割をより強化するという場合には、憲法上そのような権限を明示しておく必要があるかもしれないという気がいたします。
会計検査院と言うときに、例えばフランスなどは裁判所という位置づけになっている。日本では会計検査院と一律に訳してしまいますけれども。そういう機関と、オーディット・オフィスとかアメリカのゼネラル・アカウンティング・オフィスとかというところとは、やや根っこのところは違っているように思うんですね。もっとも、アメリカにおきましても、例えば入札に関する不服のことなどはこのゼネラル・アカウンティング・オフィスがやはり処理しているわけでございまして、根っこは多分違うと思いますが、両者の制度的な歩み寄りというのは大いに見られるところであります。
次に、裁判的統制として最も検討に値するのは、現在、地方公共団体に認められております住民訴訟に相当する国民訴訟という制度でありましょう。ただし、最も心配されるのは乱訴ということでありまして、その中には、政治的な目的に利用する、ある特定の政治家の失脚のために訴訟を利用する、そういう利用の仕方も乱訴の一つに含まれるでありましょう。
この点、例えばアメリカ合衆国におきましては、フォールス・クレームズ・アクトという連邦の法律がございまして、政府が締結している政府契約について、相手方が政府に不正な請求をしているということに気づいた人は、その不正な請求をしている業者を相手にして訴訟を起こすことができるという、クイッタム・アクションの一つなんですが、認められておりまして、それはしかも、報奨金といいますかそれが支払われるものですから、それで財を築いて安心して暮らすという人までいるというふうに報じられております。
そういうのを認めることがいいかどうかはともかくといたしまして、国民訴訟というのは検討に値するのではないかと思います。
ただし、公務員個人の損害賠償責任を追及することを認めるということは、公務員の萎縮効果を招きかねないわけでありまして、その点に十分注意する必要があろうかと思います。当面は、会計検査院に対する審査の要求をなし得る者の範囲を、現行の利害関係人よりも拡大するということが現実的な解決かもしれません。
これに関連しまして、一つだけ言及させていただきたいのは、現在、法案化が進んで、あるいはもう提案されたのかどうか存じませんけれども、公益通報者保護法という法案のことを私も聞いておりますが、その通報対象事実というものには、どうも私の読んだ限りでは、政府資金の不正使用というようなものは含まれていないようであります。
これは、今回も鶏のことで大変世の中を騒がせておりますように、消費者保護というか、そういうことがメーンで現在進んでいる作業でありますから当然といえば当然のことですが、その内閣府の検討の資料の中にもありますように、外国には、むしろ政府資金の不正使用についての内部告発を保護するという意味でこの法律をつくっているところも多いわけでありまして、今回のこういう法律に拡充させるのがいいかどうかはともかく、つまり、別の財政関係の法律で対処するという方法も検討に値するのではないかと思います。
最後に、先生方に大変失礼なことをおわりにのところで書かせていただいておりまして、失礼の段はお許しいただきたいと思いますが、この国会自身も財政統制の制度的なあり方を継続的に検討して報告書を公表するように努力されたいというのが私の要望であります。
これは、もし現在もやっておられるのであれば私の認識不足として容赦いただきたいのでありますが、まさにこの憲法調査会が動いておるのと同じように、何年かのサイクルで重要テーマを取り上げて、国会が優秀なスタッフの協力を得て報告書をまとめて報告されるようにということを期待したいと思います。
大変不十分な内容の意見でございますが、後の質疑のときに補充をさせていただければと存じます。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、このような参考人としての発言の機会を与えられましたことに感謝申し上げたいと存じます。
私は、この十年ほど、東京大学の法学部で財政法という科目を担当しております。こういう科目が大学の学部で開設されているということはそんなに多くないわけでございますが、その成果の一部をきょうは披露させていただきたいと思います。
国会による財政統制を中心にした財政のあり方ということについてお話ししたいと思いますけれども、何と言っても財政運営の基本というのは、私は、国民財政主義ということになければならないと思っています。それはある意味で、民主主義というものを財政の側面においてどう実現するかというときに、リンカーンの言葉に学ぶまでもなく、バイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープルというのは基本になるはずであります。
国民財政主義をどのようにして実現していくかということについてでございますが、これについては多様な方式が考えられるわけでございます。その際に最も活用しやすいのが国会を通じたコントロール、統制でございまして、これを一応財政民主主義というふうに呼んでおくことにしたいと思います。
しかしながら、国会による統制が十分に機能するためには、国民に対する財政情報の提供というものが極めて重要であると考えられるわけであります。
ところで、私ども国民、それぞれ生身の人間でございますが、国民の意思にも分裂状況がございます。納税者という立場においては、どのようにしたら税金が少なくて済むかということを懸命に考えますし、また歳出については、このような施策を講じてもらいたいという要望を持ちます。一人の人間にとりましても分裂状況があるわけでございます。そういう中で、これまで痛みを伴わない仕組みというのが活用されてきたのではないかというのが私の実感でございます。
それは、公債の発行もそれですし、財政投融資制度という、今は制度が移行期にございますけれども、郵便貯金等で集めた資金を原資として統一的な資金、かつての資金運用部でありますが、そこから特殊法人に行く、あるいはまた地方公共団体にも行くという形で、痛みを伴わないで大きな財政運営ができたわけであります。また、このところ問題になっている地方交付税もその一つでございまして、地方公共団体は直接には痛みを伴わないで、国からの資金を当てにしてきた面が否定できません。
こういった今までの痛みを伴わない仕組みを、国民が実感できるような仕組みに転換する必要があるというのが今後の財政を考える上では出発点になるべきだと私は考えています。そこで、そのような方向を進めるためには、最低限、国会の意思決定前に、国民に正確な財政情報が提供される必要があると考えるわけです。
実は、国会議員の先生方は毎年予算審議のときに、きょうは一部だけを持ってきたわけですが、予算が内閣から国会に提案されたときに、何点セットと申しますか、大部なものがあると思います。
今、政府刊行物サービス・センターに行きますと、この平成十五年度のものが売られているだけでございまして、平成十六年度のものはまだ売られていないわけであります。その売られていない理由については私は存じませんが。ですから、そういう状況ですから、私はかつてはそのことを問題にして教室でも説いてまいりましたが、ITに弱い私の弱みがありまして、この本日の参考人として意見を述べさせていただくのに合わせて調べましたところ、既に現在ではこの予算書が、予算が国会に提出されるときに合わせて、予算書も財務省のホームページに載せられているということでございました。
ということで、私が申し上げました財政情報の提供というのは、IT化の推進に伴って大きく変容しつつあると思います。ですから、ホームページ等が十分に活用されるならば、この点は大いに改善される余地があるというふうに私は思っています。
また、情報公開制度というものが実質的に大きな統制機能を発揮すると考えられます。三月三十一日の内閣府の情報公開審査会では、外務省報償費の執行基準の一部について、公開するようにという答申を出したというふうに報じられております。このようなことが進みますと、今まで隠れていた部分が情報公開という形で国民の目に触れて、統制機能が働くと考えられます。
会計検査院のことについては後に述べますが、国民の代理人としての検査の位置づけも可能であります。
また、国民が直接に能動的に財政統制に乗り出す仕組みも考えられるわけでありますが、これについても後に述べます。
次に、財政をめぐる憲法と法律との関係についてでありますが、その前に、憲法というときに、憲法学の最初の講義の時間あたりに、形式的意味の憲法と実質的意味の憲法という言葉が出てまいります。国家の根本統治にかかわるという意味では、憲法典、日本国憲法のことですが、憲法典に規定のない事柄であっても、実質的な意味の憲法に当たるものが幾らもあるわけでございますが、例えば現在で言えば健全財政主義がそれに当たるかもしれません。しかし、以下で憲法と言うときには、形式的意味の憲法、憲法典という意味に使わせていただきます。
そのような憲法典自体にどの程度財政に関する規定を置くのが望ましいかということが問題になります。私はこれは、多くを立法府の裁量にゆだねてよいのではないかと考えております。例えば複数年度にまたがる財政計画あるいはバランスシートの作成といったようなことは、法律による対応で十分ではないかというふうに考えております。ただ、憲法八十九条については、別にお話をさせていただきます。
現在、最もむなしく感ずるのは、健全財政主義ということでありまして、これは財政法四条がうたっていることでありますが、憲法上の原則ではないために、特例法を制定すれば赤字公債の発行も可能な仕組みになっています。しかし、このようなむなしさにもかかわらず、憲法によって縛りをかけるということはできないでありましょう。もちろん、法律による縛りということが考えられるわけでありまして、財政構造改革法はそのような試みであったわけですが、これもなかなか難しいということが言えます。
次に、予算制度についてでございますが、予算の役割は主として支出の授権と債務負担の授権とにあると思います。予算単年度主義という言葉が複数の意味で使われているように思われるわけですが、ここでは一応、一年を単位として、毎年、歳入歳出予算を編成して国会が議決する、このことを予算単年度主義というふうに呼ばせていただきます。私はこれは、健全な財政を確保するためにやはり必要な原則であるというふうに考えています。
継続費というものがございますが、これは、部分的に複数年の予算を規律するものでありますが、予算単年度主義の原則については例外をなしておると考えられるわけであります。継続費の違憲論というのが日本国憲法施行後しばらくの間よく闘わされたわけでありますが、もし可能であるならば憲法改正で明らかにすることが望ましいということになります。しかし、御承知のとおり、継続費を入れなかったことの理由としては、軍事費と連動している継続費は望ましいという判断があったとされておりますし、むしろ、明示しないで、解釈により縛りをかけて、ごく例外的にこれを許容するという方が望ましいという考え方もあり得るわけであります。
また、継続費というものは、後年度の歳入を当てにするものでありますけれども、当年度の歳入を財源として、債務負担及び支出の双方を複数年にまたがって許容する制度もあり得るわけであります。現在、繰越明許費というのがございますが、これは二年にわたる支出の授権でありまして、財源をあわせて繰り越す限りは財政の健全性を損なうことはないというふうに考えられます。
次に、会計年度独立主義というのが、予算単年度主義というときに会計年度独立主義ということをあらわすのに使われていることもありますが、ここでは、ある年度の経費は、その年度の歳入をもって支弁しなければならないこと、そういう財政法の規定に従っておきたいと思います。
ある年度に支出を授権された経費を翌年度に繰り越して使用するということは、会計年度独立主義に反すると考えられているわけであります。会計年度独立主義というものは、憲法の直接に命ずるところではございませんけれども、歳入と歳出とを対応させた財政統制ができなくなるような運用というのは、予算制度の根幹を揺るがすことになるものとして許されるべきではないと考えます。現行法では、繰越明許費のほか、継続費の年割額の繰り越しや事故繰り越しというものがございまして、例外があるわけですが、この程度であれば、予算制度の根幹を揺るがすとは言えないように思われます。
そこで、予算単年度主義の弊害ということについてでありますが、この意味の実質は、授権された支出を翌年度に繰り越すことが難しい、それで年度末近くに無理な予算執行を行わざるを得ないという点にあると思われます。会計年度独立主義の一内容として歳出予算の繰越禁止ということが言われるわけでありますが、最も禁止あるいは抑制されるべきものは、財源の繰り越しを伴わない、すなわち後年度の歳入を当てにした、歳出のみの繰り越しであると考えられます。反対に、財源とともに繰り越すことは、財政の健全性を損なうものではないと考えられます。
現行制度における問題は、あらかじめ繰越明許費として計上しておかなければならないということ、及び、翌年度使用について財務大臣の承認が必要でありまして、そのためには大変な手続を要する、時間もかかるという点であります。その結果、年度末近くになりますと、もはや繰越明許費の扱いをするゆとりはないということになるわけであります。一般的に会計処理について言えることですけれども、現場に行けば行くほど、面倒な手続を回避したくなる傾向がございます。これは、例えば項目間の移用、流用の場合についても財務大臣の承認が必要とされておりますが、その場合にも、手続を回避したくなるのが現場の感覚であります。
いずれにいたしましても、このような現場感覚から、例えば繰り越しの可能な経費でありましても、手っ取り早く随意契約等によって契約を締結して、施工することのできる工事箇所を探して予算執行を行ってしまおうということになりやすいわけであります。
そこで、私の提案は、経費の性質に応じて、繰越明許費とは別に、歳出予算の一定割合については財務大臣の承認を要せずに繰り越すことを認める制度にすべきではないか。つまり、繰り越しの弾力化ということを提案したいと思っているわけであります。
次に、使途を緩やかに特定した予備費のことについてでございますが、これは、数年前に公共事業等予備費というものが計上されておりましたが、それに関する私の意見でございます。
予算編成時に既に必要性がわかっている、そういう経費について、つまり、予見されているにもかかわらず、その執行の発動を予備費の形式で内閣にゆだねるということになりますと、それにはやはり憲法の予定する予備費の範囲を逸脱している可能性があるように私には思われるわけであります。もちろん、そのような予備費としてではなくて、あらかじめ計上した上で財政法に規定を置いて、内閣における執行留保を認めるという制度を創設するというのであれば、それはまた別問題であります。
また、景気対策的な予算執行を可能にするシステムの可能性ということについても検討する必要があろうと思います。
一九九九年にジュリストという雑誌に載せました公共事業等予備費という論文の中で述べておりますように、いろいろな対策が考えられるわけでありますが、使途を緩やかに特定した、そういう費目を設けたとしても、直ちに憲法違反になるわけではない、予算の使途特定原則に反するものではないというふうに考えております。ですから、例えば景気対策公共事業費というようなものがあったと仮定しても、それはよいのではないかと思います。
ただ、その公共事業費という場合の特定の仕方が問題でありまして、余りに雑多な費用を想定するというのは使途の特定がなされているとは言えないわけでありまして、数種類の目的の費用を掲げるという程度のことになる、その程度のものなら許されるのではないかと思います。
次に、予算不成立の事態に対する制度でございますが、現行憲法には、次年度の予算が成立しなかった場合にどのようにするかということの対処策は用意されていません。したがって、暫定予算というものを大急ぎで編成し、国会の議決を経なければならないことになっているわけであります。
この点について、そういう非常事態に備えた基金を設けるべきである、そのような基金こそが憲法の想定している予備費であるという小嶋和司先生の見解もあるわけでございますが、私は、現在の運用の仕方というのは、むしろ国会における予算審議の促進機能を持っているのではないかというふうに考えております。三月一日までに次年度予算が成立しなくても心配することはないということになりますと、いつまで予算の成立が延びるかわからないという不安定な状態に陥るように思われます。ですから、大災害等の緊急事態に対する支出を授権する法律を制定しておくことで足りるのではないかというふうに考えております。
次に、財政に関する章の中では最も問題とされてきたのが、恐らく憲法八十九条ではないかと思います。「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」の部分は、もし憲法改正の機会があれば、削除あるいは改正を検討する必要があるというふうに私は考えております。
もっとも、この点について、憲法学者はさまざまな努力をしてきております。例えば後段の部分も、前段の政教分離を補強するための規定であるというふうに限定解釈するという手法や、公の支配ということの意味を、だれに対しても開かれている事業である、しかも情報開示がなされていることで足りるのだ、こういう見解などがありまして、こういう憲法学の努力の成果があるときにあえて改正する必要はないという意見ももちろん承知しております。また、現行憲法下の方が緊張感があってよいのではないかという見解もございます。
このような多様な見解がありますけれども、私自身は、機会があれば改正の対象にすべきであると思っています。
次に、会計検査院等についてでございます。
国会以外の財政統制の機関として、行政自身による統制、会計検査院による統制あるいは裁判所による統制等を考えることができるわけでございます。
まず、行政自身による統制の機関として、財政を所管しております財務省の役割というものが大変大きいわけであります。さらにまた、各省庁の内部監査組織も存在しております。この点については、会計検査院が検査報告で報告したことがあったかと記憶しております。
しかし、この内部監査組織というものは、組織ぐるみでなされている不適正な処理についてはうまく機能しないわけでありまして、えてして、いかにしたらそういう組織ぐるみの不適正な処理が表面化しないようにできるかということに腐心することに陥りやすいというふうに私は推測しているわけでございます。つまり、その組織としても容認できないような不正の摘発にはもちろん積極的であるけれども、組織の幹部も含めて、組織ぐるみでの不適正なことについては無力であるというふうに私は思います。
次に、会計検査院のことについてであります。
会計検査院につきましては憲法上の位置づけが問題になります。その場合に、現行憲法下における位置づけの考え方と、今後、憲法のあるべき姿としての位置づけをどうするかという二つをもちろん区別する必要があります。
現行憲法下におきまして、国会の附属機関とする考え方もあり得るようであります。私自身も、かつてこの点について肯定的に考えていた時期があるわけですが、現在では憲法九十条一項というものを根拠にいたしまして、私は、国会の附属機関にすることは想定されていないというふうに考えております。
何か、条文解釈をここで申し上げるのは大変失礼かとは存じますが、あえて細かいことを申し上げさせていただきますと、憲法九十条の一項というのは、「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。」となっているわけですが、もし国会に附属する機関であるというならば、内閣経由で出すというのではなくて、いきなりみずからが所属している国会に出すのが筋でありまして、ですから、現行憲法は考えていないのではないかというふうに考えを改めるに至ったわけであります。
ところで、現在は、したがって憲法上も会計検査院は第四権のような位置づけを与えられていると考えてよいのではないかと思いますが、ただ、会計検査院自身も、三年とか五年ごとに外部監査を受ける必要があるのではないかというふうに思います。これは、アングロサクソン系の国では、監査を行う機関も監査を受けるということは当たり前のことだというふうに位置づけられておりまして、そういう絶対のものを置かないというのがどうも考え方のようでありまして、この点は検討に値する事柄かと思います。
会計検査院の役割に期待する場合におきまして、会計検査院の権限につき、現行のように決算の検査のみを憲法に定めて、それ以外を法律に委任する方式でよいのかどうかということは一つの検討課題であります。例えば、弁償責任の検定とか利害関係人の要求による審査判定といったような裁判的な役割をより強化するという場合には、憲法上そのような権限を明示しておく必要があるかもしれないという気がいたします。
会計検査院と言うときに、例えばフランスなどは裁判所という位置づけになっている。日本では会計検査院と一律に訳してしまいますけれども。そういう機関と、オーディット・オフィスとかアメリカのゼネラル・アカウンティング・オフィスとかというところとは、やや根っこのところは違っているように思うんですね。もっとも、アメリカにおきましても、例えば入札に関する不服のことなどはこのゼネラル・アカウンティング・オフィスがやはり処理しているわけでございまして、根っこは多分違うと思いますが、両者の制度的な歩み寄りというのは大いに見られるところであります。
次に、裁判的統制として最も検討に値するのは、現在、地方公共団体に認められております住民訴訟に相当する国民訴訟という制度でありましょう。ただし、最も心配されるのは乱訴ということでありまして、その中には、政治的な目的に利用する、ある特定の政治家の失脚のために訴訟を利用する、そういう利用の仕方も乱訴の一つに含まれるでありましょう。
この点、例えばアメリカ合衆国におきましては、フォールス・クレームズ・アクトという連邦の法律がございまして、政府が締結している政府契約について、相手方が政府に不正な請求をしているということに気づいた人は、その不正な請求をしている業者を相手にして訴訟を起こすことができるという、クイッタム・アクションの一つなんですが、認められておりまして、それはしかも、報奨金といいますかそれが支払われるものですから、それで財を築いて安心して暮らすという人までいるというふうに報じられております。
そういうのを認めることがいいかどうかはともかくといたしまして、国民訴訟というのは検討に値するのではないかと思います。
ただし、公務員個人の損害賠償責任を追及することを認めるということは、公務員の萎縮効果を招きかねないわけでありまして、その点に十分注意する必要があろうかと思います。当面は、会計検査院に対する審査の要求をなし得る者の範囲を、現行の利害関係人よりも拡大するということが現実的な解決かもしれません。
これに関連しまして、一つだけ言及させていただきたいのは、現在、法案化が進んで、あるいはもう提案されたのかどうか存じませんけれども、公益通報者保護法という法案のことを私も聞いておりますが、その通報対象事実というものには、どうも私の読んだ限りでは、政府資金の不正使用というようなものは含まれていないようであります。
これは、今回も鶏のことで大変世の中を騒がせておりますように、消費者保護というか、そういうことがメーンで現在進んでいる作業でありますから当然といえば当然のことですが、その内閣府の検討の資料の中にもありますように、外国には、むしろ政府資金の不正使用についての内部告発を保護するという意味でこの法律をつくっているところも多いわけでありまして、今回のこういう法律に拡充させるのがいいかどうかはともかく、つまり、別の財政関係の法律で対処するという方法も検討に値するのではないかと思います。
最後に、先生方に大変失礼なことをおわりにのところで書かせていただいておりまして、失礼の段はお許しいただきたいと思いますが、この国会自身も財政統制の制度的なあり方を継続的に検討して報告書を公表するように努力されたいというのが私の要望であります。
これは、もし現在もやっておられるのであれば私の認識不足として容赦いただきたいのでありますが、まさにこの憲法調査会が動いておるのと同じように、何年かのサイクルで重要テーマを取り上げて、国会が優秀なスタッフの協力を得て報告書をまとめて報告されるようにということを期待したいと思います。
大変不十分な内容の意見でございますが、後の質疑のときに補充をさせていただければと存じます。
ありがとうございました。拍手
鈴
広
広井良典#4
○広井参考人 御紹介いただきました広井でございます。
このような機会を与えていただきましたこと、大変光栄に感じております。
それでは、私のお話は、お手元にございますかと思いますが、「日本の社会保障をめぐる課題」というレジュメに沿ってお話を簡潔にさせていただければと思います。
社会保障ということでございますけれども、きょうも年金の審議が始まったということで、この社会保障ということが、今、国民にとっての非常に大きな関心事になっているわけでございます。年金の問題を考えるに当たっても、社会保障全体といいますか、社会保障の全体像をどのようにするかという視点がやはり非常に重要ではないかと思いまして、そのような社会保障全般についてどのように考えるかということについてお話をさせていただければと思います。
最初に、これはイントロ的なことでございますが、社会保障というのは、もともと英語でソーシャルセキュリティーという言葉があるわけでございますけれども、このセキュリティーというのは、もともと語源的には、ラテン語のセクーラという言葉があるようでございまして、これは、ウイズアウトケア、ケアという言葉の原義といいますか、憂いとか心配とか不安という意味でございますけれども、そういった憂いや心配がないこと、これがセキュリティー。言いかえますと、リスクに対する備えがなされていることというような意味のようでございます。
したがいまして、さまざまな生活上のリスクに対してどのように備えをするかということが課題になるわけでありますが、そうした方法に幾つかがあり得るわけでございます。個人で対応できるさまざまなリスクへの対処、民間保険ですとか自助といいますか、個人あるいは市場で対応するべき次元。一方、家族ですとか地域共同体ですとか、そういったレベルで行われるべきリスクへの対応もあろうかと思います。しかし、それではやはり不十分であるわけでございまして、政府レベル、公的部門でなされるべきリスクへの対応、これが社会保障ということになるわけでございます。
言いかえますと、社会保障の課題というのは、さまざまな生活の中で生起するリスクに対して、個人と家族や共同体と政府、このいわば役割分担といいますか、これをどのように考えるか。どのような部分は政府が担うべきか、あるいは国家ないし地方自治体が担うべきか、それが社会保障をめぐる基本的な課題というふうに言ってよいかと思います。
まず、日本の社会保障の特徴ということをごく簡潔に確認させていただきますと、形式的に言いますと、一九六一年に成立しました国民皆保険・皆年金をベースにして、いわゆる社会保険制度を中心とするシステムということになるわけでございます。
これを少し国際的な比較の中で見ますと、前後して恐縮でございますが、資料の七ページをお開きいただければ幸いでございます。
「社会保障給付費の国際比較」というのがそこにお示ししてございますが、これは社会保障の規模の対GDP比、国内総生産比を他国と比較したものでございます。いわゆる北欧諸国、スウェーデンなどが最も社会保障の規模が大きくて、大陸ヨーロッパといいますか、ドイツやフランスがその後に次いで、ヨーロッパの中ではイギリスが相対的に小規模、低い規模である。先進諸国の中では、日本はいわばアメリカと並んで社会保障の規模という意味では最も低いということがまず見てとれるかと存じます。
それと並んで社会保障の内訳に目を転じますと、これはちょっと印刷が見にくくて恐縮でございますが、右から医療、年金、福祉その他。福祉その他というのは、高齢者や障害者、子供の福祉に加えて生活保護ですとか失業保険といったものが含まれておりますけれども、日本の特徴といたしましては、この福祉その他の比重が非常に小さい。逆に、スウェーデンやヨーロッパの国々はこの部分がかなり大きい。片や、年金の社会保障全体に占める比重が先進諸国の中では日本は最も高い。これが、年金の成熟化の中で、今後こういった傾向がさらに強くなっているということが指摘できるかと存じます。
もう一度レジュメの一ページに戻らせていただければと思います。
確認いたしますと、日本の社会保障の国際的に見た特徴としましては、規模は、今申しましたように、先進諸国の中ではアメリカと並んで最も低い。内容は、年金の比重が大きく福祉の比重が小さい、とりわけ子供関係や失業関係などが低いということが特徴として指摘できます。それから財源は、先ほど社会保険中心ということを申しましたけれども、この中に、かなり複雑な形で、保険と税がまざり合うような形で入っております。その結果、かなり日本の社会保障は複雑でわかりにくいといいますか、そういった面が多々あるという側面を一部持っているわけでございます。
例えば基礎年金、これは、三分の一は税で三分の二は社会保険料というふうになっておりますけれども、なぜ税は三分の一であるのか、この制度の趣旨はどういうものであるのかというのが少しわかりにくいものになっている。国民健康保険、医療の方ですけれども、二分の一は税金、二分の一は保険料、これはなぜこういうものなのか。この制度の趣旨がなかなか、必ずしも、歴史的経緯によるような形で、十分合理的とは言えない部分を含んでいるということが指摘できるかと思います。
二ページ目に進ませていただきたいと思います。
しかし、全般として見た場合に、日本の社会保障というのは、先ほど申しましたように先進諸国の中では財政規模としては低いわけでございますけれども、なぜ低くて済んだのかという問いが立てられるわけでございます。恐らく、これに関しては、二つ主要な理由があるのではないかと考えられます。
一つは、見えない社会保障、インフォーマルな社会保障というふうに書いてございますけれども、これは具体的には会社や核家族、家族のことでございまして、こうしたものが実質上、社会保障的な機能を果たしてきた。会社は、終身雇用、かつ、社員のみならず家族の生活も生涯にわたって保障する。家族は、介護や子育てといったものは家族の中で行うということで、他の国であれば失業保障でありますとか公的な社会保障として行われていた部分のかなりの部分をこのような形で対応してきた。このこと自体は必ずしもマイナスということでは言えないわけでございますけれども、最近、ここ数年に至りまして、そうした終身雇用とか家族のあり方というものが非常に流動化する中で、これにかわる社会保障の対応ということを考えていかなければいけない、そういう時期に来ているかと存じます。
それから、もう一つは、公共事業型社会保障というふうに、ちょっとここではそういう言葉を使っておりますが、特に七〇年代ごろから顕著になってきた傾向であろうかと思いますけれども、日本の場合、公共事業が事実上の社会保障的な機能を果たしてきた。ヨーロッパなどではこのころから公共事業の比率が下がると同時に失業率が上がってくるわけですけれども、日本は比較的最近まで、公共事業が職の提供を通じた生活保障という、他国であれば社会保障として提供されるような機能を実質的に果たしてきた。これに関しても、一時期までは一定機能した面があったと言えるわけでございますけれども、さまざまな弊害も見えるようになってきているわけでございまして、こういったあたりも含めて社会保障としての再編成ということを考えていかなければならない時期に来ていると言えるかと思います。
では、これからの社会保障はどのような方向を考えるべきかということに入る前に、少しここで、ごく簡潔に社会保障の国際比較ということを見てみたいと存じます。
社会保障というのは、およそその国の社会構造ですとか価値観あるいは文化、ひいては歴史等といったものを非常に反映したものにならざるを得ないわけでございますけれども、大きな歴史的な展開といたしましては、もともとは、産業化といいますか都市化が進む中で、まず都市労働者を中心に整備され、それが徐々に自営業や農業従事者等にも拡大されていったという経緯がございます。
とりわけ、社会保障というものが大きく飛躍的に発展しましたのは第二次大戦後の時期でございまして、福祉国家ということが言われるようになって、特にヨーロッパでございますけれども、国が積極的な財政政策、ケインズ政策と呼ばれるような財政政策を行い、その中で社会保障についての給付も拡大していく、さらにそれが需要の拡大にもつながって、いわば社会保障と経済成長の相乗効果というような時期が七〇年代ぐらいまで続いたと言えるわけでございます。
それが、八〇年代前後から、経済の構造的な低成長や高齢化、ひいては少子化の進展という中で、望ましい公私の役割分担というものはどのようなものかということを改めて考え直すべき、そういった時期になって現在に至っていると言えるかと思います。
そのような各国の社会保障を大まかに分類してみますと、おおよそ三つぐらいのグループに分けられることが可能で、こういった研究分野でも、ほぼ、こうした三つぐらいの分類が一般的になされております。
A、B、Cというふうにしてございますけれども、普遍主義モデルという最初のものは、イメージとしては、北欧などに代表されるもので、基本的に社会保障給付費が大きい、とりわけ福祉サービスの比重が大きい。全住民をひとしく対象とする。それから、財源は税が中心という形の社会保障になっております。理念としては、右の欄でございますけれども、いわば公助といいますか、自立した個人をベースに公共性といったことに軸足を置くような社会保障の姿と言えようかと思います。
二番目は、社会保険モデルということでございまして、これは、文字どおり、社会保険を中心とした社会保障の形でございます。拠出に応じた給付、特に年金に顕著でございますけれども、高い保険料を払ったことに応じて、それに応じた年金の給付がなされるという内容でございます。それから、被雇用者といいますか、サラリーマンが中心の制度になっている。財源は、今申したとおりでございます。国の例としては、ドイツ、フランス、大陸ヨーロッパといいますか、これが基本になっております。理念としては、共助といいますか相互扶助、家族、共同体の相互扶助をベースに置きながら、それを公的な形で制度化した姿という理念と言えようかと思います。
それから最後は、市場型モデルということで、これはアメリカに典型的な姿と言えようかと思います。社会保障の規模としては最も小さい。民間保険あるいは個人の自立自助やボランティアといったものを最大限活用するということで、公的な社会保障としては最低限の、ミニマムのものにする。理念としては、自助、自立した個人をベースにした考えというふうに言えようかと思います。
次のページに進ませていただければと思います。
以上の三つの分類に即して言いますと、A、普遍主義モデルとしたものほどいわば公的な原理が強く、後の市場型モデルほど私的原理が強くなるとも言い得ますし、自由と平等ということに関して言えば、より平等に軸足を置くか、個人の自由ということに比重を置くか、そういった価値観の違いから分岐するモデルというふうにも言えるかと思います。
日本の位置づけにつきましては、これはいわば折衷型あるいは混合型とでも言えるような姿ではないかと思います。当初はドイツの社会保険をモデルにして出発したわけでありますけれども、基礎年金制度といったものはもともと北欧やイギリスに見られる普遍主義モデルの、先ほど申しました一つの典型的な形でございますので、そういう普遍主義モデルの要素も取り入れておりますし、そうかと思いますと、他方で、社会保障の規模から見ると、冒頭で確認しましたように、むしろアメリカと同じような水準ということで市場型モデルに近いということで、折衷型的な要素を持っている。
その上で、今後どのように考えていくかということでございますけれども、各国についてもう一つ確認いたしますと、今、三つのモデルと申しましたけれども、近年では、これらが相互に接近しているという傾向が指摘できるかと思います。その趣旨は、ドイツ、フランスなどの社会保険グループも最近では税の財源を拡大している傾向が指摘できますし、逆に、厚い社会保障でやってきました北欧、スウェーデンなども市場原理を一定活用するというような形で、相互に接近しているという傾向が指摘できようかと思います。
なお、各国の消費税水準ということを、幾つかの例をそこに、アメリカは州によって違いますので、概して低水準ではありますが、入れてございませんが、消費税水準ということを示しておりますのと、それからもう一つは、各国の所得格差の状況、これは資料の十二ページをちょっとお開きいただければ幸いでございますが、「所得再分配効果の国際比較」ということで示してございます。
これは、いわゆる所得格差の度合いがどの程度のものかということで、左のグラフがそれを示したものでございますけれども、所得格差の度合いを示すジニ係数という指数がございまして、これは大きいほど経済格差が大きいということになるわけですが、日本は、中位か、特に近年ではややこの所得格差が大きく拡大している傾向がある。右は社会保障による再分配効果ということでございますけれども、日本は社会保障による分は余り大きくないということがございまして、こういった経済格差、社会保障による再分配ということをどのように考えていくかということも、今後の議論していくべき検討課題の一つと言えようかと思います。
恐縮ですが、また三ページの方に戻らせていただきます。
以上を踏まえた上で、社会保障のこれからの姿を若干憲法との関係も踏まえてお話し申し上げたいと思いますが、社会保障の価値原理ということでございます。
社会保障を考える場合に、やはりどうしても自由と平等という、先ほど来も少し出てきた基本的な理念がポイントになるかと思いますけれども、自由と平等というのは、概して、いわば対立するものといいますかトレードオフといいますか、どちらを優先するかという対立するものとして考えられることが一般的であろうかと思います。
しかしながら、自由という言葉の意味を、単なる自由放任とか干渉しないという意味の自由ということではなくて、将来の選択肢の幅といいますか、自分の、例えば中学生や高校生が将来の選択肢の幅としてどのような選択があるか、そういった意味として自由という言葉の意味を理解し直しますと、他方で平等ということを、チャンスが平等に与えられる、機会の平等というふうに考えてみますと、自由と平等という概念はかなり相重なり合う概念になると言えるかと思います。
そのように考えますと、社会保障の基本理念として、各個人が人生のさまざまな段階において実質的な機会、チャンスの平等を得られることの保障、そういうふうに考えますと、今申しました将来の選択肢の幅という意味での自由の保障というふうに重なり合っていく。そういう意味では、個人の自由あるいは自己実現の機会を保障する制度としての社会保障という理解が可能になってくるわけで、そのように考えますと、憲法との直接的な、一義的な関係ではございませんけれども、憲法十三条にございますような個人の幸福追求権、そういったものの一つの制度的な保障として社会保障ということが考え得るのではないかと言えようかと思います。
続きまして、これからの社会保障の方向ということについて簡潔に触れさせていただければと思います。
四ページでございますけれども、基本的には、社会保障の姿としては強化が必要な面が多々あろうかと思います。それは、先ほどお話し申しました、日本での低い社会保障を支えてきたインフォーマルな社会保障、終身雇用とか家族とか、そういったものが多様化して、公共事業型社会保障といったこともなかなか維持が難しくなっている中では、社会保障の一定の役割の強化が必要になってくる。
ただし、低成長の時代にあって、社会保障のあらゆる分野を公的にということはなかなか困難なわけでございまして、これからの社会保障の大まかな選択肢としては、四つほどの選択肢が考えられるのではないかと思います。そこに示してございますけれども、全分野重点型、医療、福祉、年金も公的に厚く。それから年金重点型、年金はかなり厚くして、医療、福祉は個人の負担を拡大する。それから医療・福祉重点型、医療、福祉は厚く、逆に年金は私的なものを拡大する。それから市場型、これはアメリカ的な姿で、医療、福祉、年金、いずれも私的なものを中心にという形でございます。
これは全くの私見でございますけれども、私自身は、これからの社会保障としては医療・福祉重点型の社会保障というような姿が妥当ではないか。
医療や福祉の分野というのはなかなかリスクの予測が困難で、どれぐらいの医療費がかかるか、いつ病気になるか、予測が困難で個人差が大きい。こういった分野は公的な保障をしっかりとする必要性が大きいかと思います。諸外国と比べても、医療保険の患者負担というのは既に日本はかなり高い水準になっているわけでございまして、こういった部分はむしろ公的な保障をしっかりとするべきではないか。
逆に、年金につきましては、これは老後の生活費であり、予測でき、個人差も小さいということで、むしろ公的年金というのは、所得再分配機能、つまり、すべての高齢者に一定以上の所得を平等に保障するという基礎年金主体のものとするべきではないか。
現状を見ますと、相当な高額な年金、月三十万に至るような年金を受けている層がいるかと思うと、四万円前後かそれ以下の国民年金という層も多く存在するわけでございまして、むしろ、平等な一定以上の生活の保障というところに公的年金は軸足を据えるべきではないか。そういった意味では、厚目の基礎年金主体といいますか、そういったものに再編成して、それを超えた所得比例部分、高い所得の人は高い年金を受けるというような部分は、むしろある程度民営化を進めていく。強制加入の社会保険という形とは別の姿を考えるべきではないかと思います。
なお、基礎年金の財源というのは、一定以上の生活保障という観点から考えますと、税というものを基本的な財源とするのが妥当ではないかと思います。
次の五ページ、最後の部分でございますけれども、時間の関係で、ここは確認にとどめたいと思います。
いずれにしましても、公的部門、それから共助の部分、私的な部分の役割分担のあり方ということを考えていく必要があるということ。
それから、財源につきましては、高齢化が進展していく中で、拠出と負担を均衡させるという保険の原理がなかなかなじみにくい層が増加しているということで、先ほど、社会保険グループの国も税の部分の比重が拡大しているということを申しましたけれども、ある程度税の部分の役割を拡大せざるを得ないのではないか。具体的には、基礎年金、高齢者医療、介護、子供といった所得再分配的な傾向が強いものは税の比重を高めていく必要性が高まっているのではなかろうかと思います。
検討されるべき税財源といたしましては、そこに、消費税、相続税、それから環境税ということについて簡潔に示しております。
相続税ということについて触れておりますのは、先ほどもちょっと触れましたように、所得格差や資産格差が拡大する中で、個人が生まれた時点でいわば共通のスタートラインに立てる、こういうことの保障が今若干揺らいでいる面がある。そういったことを考えますと、相続税を一定強化し、それを社会保障に充当する中で、個人の機会の平等を保障するという必要性が高まっている。
それから、環境税というのは、社会保障の中で言及するのはやや唐突な印象があろうかと存じますけれども、ドイツなどが、環境税を導入して、それを社会保障に充てて年金の保険料を下げるという改革を数年前に行っております。これは、環境の負荷を抑制しながら福祉の水準を維持し、しかも、企業にとっての社会保険の負担を軽減して、失業の上昇を抑えると同時に、国際競争力の強化にも資するという非常に複合的な効果をねらった政策で、こういった、環境や経済成長のあり方ということもにらんだ総合的な政策というものを考えていく時期になっているのではないかと存じます。
次の六ページ、最後のページになりますが、以上、社会保障に関します現状や国際比較、今後の方向についてお話しさせていただいてまいりましたけれども、まとめといたしましては、社会保障の具体的な設計については、やはり政策的な判断あるいはその基礎をなす政治理念、あるいはそれを支える国民の選択やコンセンサスに依拠する部分が大きいと思いますので、憲法が一義的な回答を与えるものでは必ずしもないだろうかと思います。
ただ、社会構造が非常に大きく変化する中で、先ほど来触れてまいりましたような、個人の自由と平等の意味でありますとか、公共性の担い手としての国家、あるいは公的部門、共助の部分、自助の部分の役割分担、ひいては環境と調和した社会システムといった、かなり社会の基本的な骨格に関します再検討が求められているわけで、そうした大きな視野の中で社会保障のあり方を考えていく必要性が高まっているかと思います。
基本的な認識といたしましては、経済が成熟化して、個人が社会の基本的な活動の単位となっていく中で、社会保障を中心とする公的部門の役割は相対的には大きくならざるを得ない。そのような中で、環境との調和も視野に入れながら、いわば理念としましては、持続可能な福祉国家あるいは福祉社会、そういった社会の姿を考えていくことが基本的な課題ではないか、そのようなことが基本として指摘できるのではなかろうかと思います。
非常に雑駁な話となりましたけれども、以上をもちまして、私の報告とさせていただきます。拍手
この発言だけを見る →このような機会を与えていただきましたこと、大変光栄に感じております。
それでは、私のお話は、お手元にございますかと思いますが、「日本の社会保障をめぐる課題」というレジュメに沿ってお話を簡潔にさせていただければと思います。
社会保障ということでございますけれども、きょうも年金の審議が始まったということで、この社会保障ということが、今、国民にとっての非常に大きな関心事になっているわけでございます。年金の問題を考えるに当たっても、社会保障全体といいますか、社会保障の全体像をどのようにするかという視点がやはり非常に重要ではないかと思いまして、そのような社会保障全般についてどのように考えるかということについてお話をさせていただければと思います。
最初に、これはイントロ的なことでございますが、社会保障というのは、もともと英語でソーシャルセキュリティーという言葉があるわけでございますけれども、このセキュリティーというのは、もともと語源的には、ラテン語のセクーラという言葉があるようでございまして、これは、ウイズアウトケア、ケアという言葉の原義といいますか、憂いとか心配とか不安という意味でございますけれども、そういった憂いや心配がないこと、これがセキュリティー。言いかえますと、リスクに対する備えがなされていることというような意味のようでございます。
したがいまして、さまざまな生活上のリスクに対してどのように備えをするかということが課題になるわけでありますが、そうした方法に幾つかがあり得るわけでございます。個人で対応できるさまざまなリスクへの対処、民間保険ですとか自助といいますか、個人あるいは市場で対応するべき次元。一方、家族ですとか地域共同体ですとか、そういったレベルで行われるべきリスクへの対応もあろうかと思います。しかし、それではやはり不十分であるわけでございまして、政府レベル、公的部門でなされるべきリスクへの対応、これが社会保障ということになるわけでございます。
言いかえますと、社会保障の課題というのは、さまざまな生活の中で生起するリスクに対して、個人と家族や共同体と政府、このいわば役割分担といいますか、これをどのように考えるか。どのような部分は政府が担うべきか、あるいは国家ないし地方自治体が担うべきか、それが社会保障をめぐる基本的な課題というふうに言ってよいかと思います。
まず、日本の社会保障の特徴ということをごく簡潔に確認させていただきますと、形式的に言いますと、一九六一年に成立しました国民皆保険・皆年金をベースにして、いわゆる社会保険制度を中心とするシステムということになるわけでございます。
これを少し国際的な比較の中で見ますと、前後して恐縮でございますが、資料の七ページをお開きいただければ幸いでございます。
「社会保障給付費の国際比較」というのがそこにお示ししてございますが、これは社会保障の規模の対GDP比、国内総生産比を他国と比較したものでございます。いわゆる北欧諸国、スウェーデンなどが最も社会保障の規模が大きくて、大陸ヨーロッパといいますか、ドイツやフランスがその後に次いで、ヨーロッパの中ではイギリスが相対的に小規模、低い規模である。先進諸国の中では、日本はいわばアメリカと並んで社会保障の規模という意味では最も低いということがまず見てとれるかと存じます。
それと並んで社会保障の内訳に目を転じますと、これはちょっと印刷が見にくくて恐縮でございますが、右から医療、年金、福祉その他。福祉その他というのは、高齢者や障害者、子供の福祉に加えて生活保護ですとか失業保険といったものが含まれておりますけれども、日本の特徴といたしましては、この福祉その他の比重が非常に小さい。逆に、スウェーデンやヨーロッパの国々はこの部分がかなり大きい。片や、年金の社会保障全体に占める比重が先進諸国の中では日本は最も高い。これが、年金の成熟化の中で、今後こういった傾向がさらに強くなっているということが指摘できるかと存じます。
もう一度レジュメの一ページに戻らせていただければと思います。
確認いたしますと、日本の社会保障の国際的に見た特徴としましては、規模は、今申しましたように、先進諸国の中ではアメリカと並んで最も低い。内容は、年金の比重が大きく福祉の比重が小さい、とりわけ子供関係や失業関係などが低いということが特徴として指摘できます。それから財源は、先ほど社会保険中心ということを申しましたけれども、この中に、かなり複雑な形で、保険と税がまざり合うような形で入っております。その結果、かなり日本の社会保障は複雑でわかりにくいといいますか、そういった面が多々あるという側面を一部持っているわけでございます。
例えば基礎年金、これは、三分の一は税で三分の二は社会保険料というふうになっておりますけれども、なぜ税は三分の一であるのか、この制度の趣旨はどういうものであるのかというのが少しわかりにくいものになっている。国民健康保険、医療の方ですけれども、二分の一は税金、二分の一は保険料、これはなぜこういうものなのか。この制度の趣旨がなかなか、必ずしも、歴史的経緯によるような形で、十分合理的とは言えない部分を含んでいるということが指摘できるかと思います。
二ページ目に進ませていただきたいと思います。
しかし、全般として見た場合に、日本の社会保障というのは、先ほど申しましたように先進諸国の中では財政規模としては低いわけでございますけれども、なぜ低くて済んだのかという問いが立てられるわけでございます。恐らく、これに関しては、二つ主要な理由があるのではないかと考えられます。
一つは、見えない社会保障、インフォーマルな社会保障というふうに書いてございますけれども、これは具体的には会社や核家族、家族のことでございまして、こうしたものが実質上、社会保障的な機能を果たしてきた。会社は、終身雇用、かつ、社員のみならず家族の生活も生涯にわたって保障する。家族は、介護や子育てといったものは家族の中で行うということで、他の国であれば失業保障でありますとか公的な社会保障として行われていた部分のかなりの部分をこのような形で対応してきた。このこと自体は必ずしもマイナスということでは言えないわけでございますけれども、最近、ここ数年に至りまして、そうした終身雇用とか家族のあり方というものが非常に流動化する中で、これにかわる社会保障の対応ということを考えていかなければいけない、そういう時期に来ているかと存じます。
それから、もう一つは、公共事業型社会保障というふうに、ちょっとここではそういう言葉を使っておりますが、特に七〇年代ごろから顕著になってきた傾向であろうかと思いますけれども、日本の場合、公共事業が事実上の社会保障的な機能を果たしてきた。ヨーロッパなどではこのころから公共事業の比率が下がると同時に失業率が上がってくるわけですけれども、日本は比較的最近まで、公共事業が職の提供を通じた生活保障という、他国であれば社会保障として提供されるような機能を実質的に果たしてきた。これに関しても、一時期までは一定機能した面があったと言えるわけでございますけれども、さまざまな弊害も見えるようになってきているわけでございまして、こういったあたりも含めて社会保障としての再編成ということを考えていかなければならない時期に来ていると言えるかと思います。
では、これからの社会保障はどのような方向を考えるべきかということに入る前に、少しここで、ごく簡潔に社会保障の国際比較ということを見てみたいと存じます。
社会保障というのは、およそその国の社会構造ですとか価値観あるいは文化、ひいては歴史等といったものを非常に反映したものにならざるを得ないわけでございますけれども、大きな歴史的な展開といたしましては、もともとは、産業化といいますか都市化が進む中で、まず都市労働者を中心に整備され、それが徐々に自営業や農業従事者等にも拡大されていったという経緯がございます。
とりわけ、社会保障というものが大きく飛躍的に発展しましたのは第二次大戦後の時期でございまして、福祉国家ということが言われるようになって、特にヨーロッパでございますけれども、国が積極的な財政政策、ケインズ政策と呼ばれるような財政政策を行い、その中で社会保障についての給付も拡大していく、さらにそれが需要の拡大にもつながって、いわば社会保障と経済成長の相乗効果というような時期が七〇年代ぐらいまで続いたと言えるわけでございます。
それが、八〇年代前後から、経済の構造的な低成長や高齢化、ひいては少子化の進展という中で、望ましい公私の役割分担というものはどのようなものかということを改めて考え直すべき、そういった時期になって現在に至っていると言えるかと思います。
そのような各国の社会保障を大まかに分類してみますと、おおよそ三つぐらいのグループに分けられることが可能で、こういった研究分野でも、ほぼ、こうした三つぐらいの分類が一般的になされております。
A、B、Cというふうにしてございますけれども、普遍主義モデルという最初のものは、イメージとしては、北欧などに代表されるもので、基本的に社会保障給付費が大きい、とりわけ福祉サービスの比重が大きい。全住民をひとしく対象とする。それから、財源は税が中心という形の社会保障になっております。理念としては、右の欄でございますけれども、いわば公助といいますか、自立した個人をベースに公共性といったことに軸足を置くような社会保障の姿と言えようかと思います。
二番目は、社会保険モデルということでございまして、これは、文字どおり、社会保険を中心とした社会保障の形でございます。拠出に応じた給付、特に年金に顕著でございますけれども、高い保険料を払ったことに応じて、それに応じた年金の給付がなされるという内容でございます。それから、被雇用者といいますか、サラリーマンが中心の制度になっている。財源は、今申したとおりでございます。国の例としては、ドイツ、フランス、大陸ヨーロッパといいますか、これが基本になっております。理念としては、共助といいますか相互扶助、家族、共同体の相互扶助をベースに置きながら、それを公的な形で制度化した姿という理念と言えようかと思います。
それから最後は、市場型モデルということで、これはアメリカに典型的な姿と言えようかと思います。社会保障の規模としては最も小さい。民間保険あるいは個人の自立自助やボランティアといったものを最大限活用するということで、公的な社会保障としては最低限の、ミニマムのものにする。理念としては、自助、自立した個人をベースにした考えというふうに言えようかと思います。
次のページに進ませていただければと思います。
以上の三つの分類に即して言いますと、A、普遍主義モデルとしたものほどいわば公的な原理が強く、後の市場型モデルほど私的原理が強くなるとも言い得ますし、自由と平等ということに関して言えば、より平等に軸足を置くか、個人の自由ということに比重を置くか、そういった価値観の違いから分岐するモデルというふうにも言えるかと思います。
日本の位置づけにつきましては、これはいわば折衷型あるいは混合型とでも言えるような姿ではないかと思います。当初はドイツの社会保険をモデルにして出発したわけでありますけれども、基礎年金制度といったものはもともと北欧やイギリスに見られる普遍主義モデルの、先ほど申しました一つの典型的な形でございますので、そういう普遍主義モデルの要素も取り入れておりますし、そうかと思いますと、他方で、社会保障の規模から見ると、冒頭で確認しましたように、むしろアメリカと同じような水準ということで市場型モデルに近いということで、折衷型的な要素を持っている。
その上で、今後どのように考えていくかということでございますけれども、各国についてもう一つ確認いたしますと、今、三つのモデルと申しましたけれども、近年では、これらが相互に接近しているという傾向が指摘できるかと思います。その趣旨は、ドイツ、フランスなどの社会保険グループも最近では税の財源を拡大している傾向が指摘できますし、逆に、厚い社会保障でやってきました北欧、スウェーデンなども市場原理を一定活用するというような形で、相互に接近しているという傾向が指摘できようかと思います。
なお、各国の消費税水準ということを、幾つかの例をそこに、アメリカは州によって違いますので、概して低水準ではありますが、入れてございませんが、消費税水準ということを示しておりますのと、それからもう一つは、各国の所得格差の状況、これは資料の十二ページをちょっとお開きいただければ幸いでございますが、「所得再分配効果の国際比較」ということで示してございます。
これは、いわゆる所得格差の度合いがどの程度のものかということで、左のグラフがそれを示したものでございますけれども、所得格差の度合いを示すジニ係数という指数がございまして、これは大きいほど経済格差が大きいということになるわけですが、日本は、中位か、特に近年ではややこの所得格差が大きく拡大している傾向がある。右は社会保障による再分配効果ということでございますけれども、日本は社会保障による分は余り大きくないということがございまして、こういった経済格差、社会保障による再分配ということをどのように考えていくかということも、今後の議論していくべき検討課題の一つと言えようかと思います。
恐縮ですが、また三ページの方に戻らせていただきます。
以上を踏まえた上で、社会保障のこれからの姿を若干憲法との関係も踏まえてお話し申し上げたいと思いますが、社会保障の価値原理ということでございます。
社会保障を考える場合に、やはりどうしても自由と平等という、先ほど来も少し出てきた基本的な理念がポイントになるかと思いますけれども、自由と平等というのは、概して、いわば対立するものといいますかトレードオフといいますか、どちらを優先するかという対立するものとして考えられることが一般的であろうかと思います。
しかしながら、自由という言葉の意味を、単なる自由放任とか干渉しないという意味の自由ということではなくて、将来の選択肢の幅といいますか、自分の、例えば中学生や高校生が将来の選択肢の幅としてどのような選択があるか、そういった意味として自由という言葉の意味を理解し直しますと、他方で平等ということを、チャンスが平等に与えられる、機会の平等というふうに考えてみますと、自由と平等という概念はかなり相重なり合う概念になると言えるかと思います。
そのように考えますと、社会保障の基本理念として、各個人が人生のさまざまな段階において実質的な機会、チャンスの平等を得られることの保障、そういうふうに考えますと、今申しました将来の選択肢の幅という意味での自由の保障というふうに重なり合っていく。そういう意味では、個人の自由あるいは自己実現の機会を保障する制度としての社会保障という理解が可能になってくるわけで、そのように考えますと、憲法との直接的な、一義的な関係ではございませんけれども、憲法十三条にございますような個人の幸福追求権、そういったものの一つの制度的な保障として社会保障ということが考え得るのではないかと言えようかと思います。
続きまして、これからの社会保障の方向ということについて簡潔に触れさせていただければと思います。
四ページでございますけれども、基本的には、社会保障の姿としては強化が必要な面が多々あろうかと思います。それは、先ほどお話し申しました、日本での低い社会保障を支えてきたインフォーマルな社会保障、終身雇用とか家族とか、そういったものが多様化して、公共事業型社会保障といったこともなかなか維持が難しくなっている中では、社会保障の一定の役割の強化が必要になってくる。
ただし、低成長の時代にあって、社会保障のあらゆる分野を公的にということはなかなか困難なわけでございまして、これからの社会保障の大まかな選択肢としては、四つほどの選択肢が考えられるのではないかと思います。そこに示してございますけれども、全分野重点型、医療、福祉、年金も公的に厚く。それから年金重点型、年金はかなり厚くして、医療、福祉は個人の負担を拡大する。それから医療・福祉重点型、医療、福祉は厚く、逆に年金は私的なものを拡大する。それから市場型、これはアメリカ的な姿で、医療、福祉、年金、いずれも私的なものを中心にという形でございます。
これは全くの私見でございますけれども、私自身は、これからの社会保障としては医療・福祉重点型の社会保障というような姿が妥当ではないか。
医療や福祉の分野というのはなかなかリスクの予測が困難で、どれぐらいの医療費がかかるか、いつ病気になるか、予測が困難で個人差が大きい。こういった分野は公的な保障をしっかりとする必要性が大きいかと思います。諸外国と比べても、医療保険の患者負担というのは既に日本はかなり高い水準になっているわけでございまして、こういった部分はむしろ公的な保障をしっかりとするべきではないか。
逆に、年金につきましては、これは老後の生活費であり、予測でき、個人差も小さいということで、むしろ公的年金というのは、所得再分配機能、つまり、すべての高齢者に一定以上の所得を平等に保障するという基礎年金主体のものとするべきではないか。
現状を見ますと、相当な高額な年金、月三十万に至るような年金を受けている層がいるかと思うと、四万円前後かそれ以下の国民年金という層も多く存在するわけでございまして、むしろ、平等な一定以上の生活の保障というところに公的年金は軸足を据えるべきではないか。そういった意味では、厚目の基礎年金主体といいますか、そういったものに再編成して、それを超えた所得比例部分、高い所得の人は高い年金を受けるというような部分は、むしろある程度民営化を進めていく。強制加入の社会保険という形とは別の姿を考えるべきではないかと思います。
なお、基礎年金の財源というのは、一定以上の生活保障という観点から考えますと、税というものを基本的な財源とするのが妥当ではないかと思います。
次の五ページ、最後の部分でございますけれども、時間の関係で、ここは確認にとどめたいと思います。
いずれにしましても、公的部門、それから共助の部分、私的な部分の役割分担のあり方ということを考えていく必要があるということ。
それから、財源につきましては、高齢化が進展していく中で、拠出と負担を均衡させるという保険の原理がなかなかなじみにくい層が増加しているということで、先ほど、社会保険グループの国も税の部分の比重が拡大しているということを申しましたけれども、ある程度税の部分の役割を拡大せざるを得ないのではないか。具体的には、基礎年金、高齢者医療、介護、子供といった所得再分配的な傾向が強いものは税の比重を高めていく必要性が高まっているのではなかろうかと思います。
検討されるべき税財源といたしましては、そこに、消費税、相続税、それから環境税ということについて簡潔に示しております。
相続税ということについて触れておりますのは、先ほどもちょっと触れましたように、所得格差や資産格差が拡大する中で、個人が生まれた時点でいわば共通のスタートラインに立てる、こういうことの保障が今若干揺らいでいる面がある。そういったことを考えますと、相続税を一定強化し、それを社会保障に充当する中で、個人の機会の平等を保障するという必要性が高まっている。
それから、環境税というのは、社会保障の中で言及するのはやや唐突な印象があろうかと存じますけれども、ドイツなどが、環境税を導入して、それを社会保障に充てて年金の保険料を下げるという改革を数年前に行っております。これは、環境の負荷を抑制しながら福祉の水準を維持し、しかも、企業にとっての社会保険の負担を軽減して、失業の上昇を抑えると同時に、国際競争力の強化にも資するという非常に複合的な効果をねらった政策で、こういった、環境や経済成長のあり方ということもにらんだ総合的な政策というものを考えていく時期になっているのではないかと存じます。
次の六ページ、最後のページになりますが、以上、社会保障に関します現状や国際比較、今後の方向についてお話しさせていただいてまいりましたけれども、まとめといたしましては、社会保障の具体的な設計については、やはり政策的な判断あるいはその基礎をなす政治理念、あるいはそれを支える国民の選択やコンセンサスに依拠する部分が大きいと思いますので、憲法が一義的な回答を与えるものでは必ずしもないだろうかと思います。
ただ、社会構造が非常に大きく変化する中で、先ほど来触れてまいりましたような、個人の自由と平等の意味でありますとか、公共性の担い手としての国家、あるいは公的部門、共助の部分、自助の部分の役割分担、ひいては環境と調和した社会システムといった、かなり社会の基本的な骨格に関します再検討が求められているわけで、そうした大きな視野の中で社会保障のあり方を考えていく必要性が高まっているかと思います。
基本的な認識といたしましては、経済が成熟化して、個人が社会の基本的な活動の単位となっていく中で、社会保障を中心とする公的部門の役割は相対的には大きくならざるを得ない。そのような中で、環境との調和も視野に入れながら、いわば理念としましては、持続可能な福祉国家あるいは福祉社会、そういった社会の姿を考えていくことが基本的な課題ではないか、そのようなことが基本として指摘できるのではなかろうかと思います。
非常に雑駁な話となりましたけれども、以上をもちまして、私の報告とさせていただきます。拍手
鈴
鈴
永
永岡洋治#7
○永岡小委員 自民党の永岡洋治でございます。
きょうは両先生から貴重なお話を伺いまして、まことにありがとうございます。それぞれ二、三点、質問をさせていただきたいと思います。
まず、碓井先生につきましては、シュンペーターという有名な学者が、国民の財政史はその国の歴史一般の本質的な部分であると言っているように、財政の仕組みの問題というのは非常に重要な問題だという認識を新たにした次第であります。情報の提供というのが極めて重要だという御指摘がありまして、私もまことにそうだと思います。
その中で、まず予算単年度主義の原則につきまして言及がございました。私は今いろいろな問題が出てきていると考えておりまして、例えば、財務省の査定というものが前年度の実績を考慮した硬直的なものになっているという問題、それから、先ほども御指摘ありましたが、年度末に、予算の消化ということで、非常に無理をして予算を消化しているというような問題、それから景気対策も頭に置いた形で、年度末に補正予算を組んで、十五カ月予算とか年度をまたがる予算を組んでいるというようなことが事実として行われてきております。こういうことを考えますと、複数年度予算というものを実態的に考えていく必要性があるんではないかと私は考える次第であります。
実は、大分前にアメリカでPPBSというシステムが導入されました。ケネディ、ジョンソン大統領という時代でありますけれども、残念ながら短期間で停止になりましたけれども、あの考え方というのは、五カ年程度の実行計画を作成するプログラムをつくって、それを単年度ごとに消化していく、こういう考え方だったと思います。我が国としても、こういう制度を今考えていく必要があるんではないかと思うんですが、このことについて、改めて御意見をお尋ねしたいと思います。
この発言だけを見る →きょうは両先生から貴重なお話を伺いまして、まことにありがとうございます。それぞれ二、三点、質問をさせていただきたいと思います。
まず、碓井先生につきましては、シュンペーターという有名な学者が、国民の財政史はその国の歴史一般の本質的な部分であると言っているように、財政の仕組みの問題というのは非常に重要な問題だという認識を新たにした次第であります。情報の提供というのが極めて重要だという御指摘がありまして、私もまことにそうだと思います。
その中で、まず予算単年度主義の原則につきまして言及がございました。私は今いろいろな問題が出てきていると考えておりまして、例えば、財務省の査定というものが前年度の実績を考慮した硬直的なものになっているという問題、それから、先ほども御指摘ありましたが、年度末に、予算の消化ということで、非常に無理をして予算を消化しているというような問題、それから景気対策も頭に置いた形で、年度末に補正予算を組んで、十五カ月予算とか年度をまたがる予算を組んでいるというようなことが事実として行われてきております。こういうことを考えますと、複数年度予算というものを実態的に考えていく必要性があるんではないかと私は考える次第であります。
実は、大分前にアメリカでPPBSというシステムが導入されました。ケネディ、ジョンソン大統領という時代でありますけれども、残念ながら短期間で停止になりましたけれども、あの考え方というのは、五カ年程度の実行計画を作成するプログラムをつくって、それを単年度ごとに消化していく、こういう考え方だったと思います。我が国としても、こういう制度を今考えていく必要があるんではないかと思うんですが、このことについて、改めて御意見をお尋ねしたいと思います。
碓
碓井光明#8
○碓井参考人 お答えさせていただきます。
私、先ほど予算単年度主義は現行憲法上の要請であるというふうな趣旨の発言をいたしましたが、そういう制度のもとにおきましても、委員御指摘のような複数年度の財政計画を策定するということは許される、併存的に策定することは許されると考えております。
そして、その場合には当然途中での見直しが必要になりますから、例えば今、平成十六年度スタートする複数年度予算を編成したといたしますと、今度は、平成十七年度には平成十七年度を起点とする向こう何カ年というふうにローリングをしていくことが適切ではないか。一たん決めたものを硬直的に守るということは必ずしも適切ではないというふうに考えております。
この発言だけを見る →私、先ほど予算単年度主義は現行憲法上の要請であるというふうな趣旨の発言をいたしましたが、そういう制度のもとにおきましても、委員御指摘のような複数年度の財政計画を策定するということは許される、併存的に策定することは許されると考えております。
そして、その場合には当然途中での見直しが必要になりますから、例えば今、平成十六年度スタートする複数年度予算を編成したといたしますと、今度は、平成十七年度には平成十七年度を起点とする向こう何カ年というふうにローリングをしていくことが適切ではないか。一たん決めたものを硬直的に守るということは必ずしも適切ではないというふうに考えております。
永
永岡洋治#9
○永岡小委員 ありがとうございます。
それからもう一点、碓井先生にお伺いいたしますが、憲法八十九条後段の解釈、運用の問題であります。
いつも私学助成が合憲か違憲かということがすぐに問題になる問題でありますけれども、先生の御意見によりますと、八十九条後段はもう削除してもいいんではないか、こういう御意見ではないかと思います。
しかし、明示的に許容するよりも、現行憲法の方が緊張感があるんだという説もあるという御指摘もございますが、仮にそういう見方をするんであれば、どんな改正をしたらいいのかというお考えがありましたら、ひとつお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →それからもう一点、碓井先生にお伺いいたしますが、憲法八十九条後段の解釈、運用の問題であります。
いつも私学助成が合憲か違憲かということがすぐに問題になる問題でありますけれども、先生の御意見によりますと、八十九条後段はもう削除してもいいんではないか、こういう御意見ではないかと思います。
しかし、明示的に許容するよりも、現行憲法の方が緊張感があるんだという説もあるという御指摘もございますが、仮にそういう見方をするんであれば、どんな改正をしたらいいのかというお考えがありましたら、ひとつお聞かせいただきたいと思います。
碓
碓井光明#10
○碓井参考人 ただいまの御質問についてでございますが、緊張感を維持するという説にありましては、現行憲法のままでよいという考え方のように私は受けとめております。つまり、いろいろ限界があるのではないかという議論がなされている状況こそがまさに健全であるということだろうというふうに私は理解しております。
それに対して、私の考え方は、むしろはっきりさせた方がいいのではないか、そういう心配なしに私学助成ができるようにした方がいいのではないか。ただし、御承知のとおり、戦後の憲法学は、財政という技術的な規定よりも、基本的人権である教育を受ける権利とか、そういうものの方を優先すべきであるという学説がむしろ多数を占めておりますから、憲法学説の中では、現在の憲法八十九条でそんなに問題がないのではないかというふうに思われている、数の上からいけば。そのようになっていると私は理解しております。
この発言だけを見る →それに対して、私の考え方は、むしろはっきりさせた方がいいのではないか、そういう心配なしに私学助成ができるようにした方がいいのではないか。ただし、御承知のとおり、戦後の憲法学は、財政という技術的な規定よりも、基本的人権である教育を受ける権利とか、そういうものの方を優先すべきであるという学説がむしろ多数を占めておりますから、憲法学説の中では、現在の憲法八十九条でそんなに問題がないのではないかというふうに思われている、数の上からいけば。そのようになっていると私は理解しております。
永
永岡洋治#11
○永岡小委員 次に、広井先生の方にお伺いいたします。
お書きになったものを読ませていただきますと、日本はこれまで、戦後高度成長を遂げまして、富のパイの再配分ということについては余り深刻な問題となってこなかった。経済成長のためには、官僚組織が非常にうまく機能して、手段の選択をうまくすることによってやってきたということは、政治がある程度不在であったという御指摘だと思うんです。しかし今、少子高齢化、経済が低迷をして、それから、先ほどもお話がありましたが、見えない社会保障になってきた会社や家族が機能低下をしている等々の問題がありまして、実際、きょうも本会議で年金問題の議論がありましたけれども、将来の不安が増大をしているという中にあります。
そこで、参考人が、今直面しているのは政治が価値の選択をしなくてはならないということを御指摘されておりますけれども、先ほどのお話の中にも大分入っていたわけでありますが、もう一度、価値の選択とは政治に何を求めるのかということを具体的に教えていただけるとありがたいと思うのですが、よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →お書きになったものを読ませていただきますと、日本はこれまで、戦後高度成長を遂げまして、富のパイの再配分ということについては余り深刻な問題となってこなかった。経済成長のためには、官僚組織が非常にうまく機能して、手段の選択をうまくすることによってやってきたということは、政治がある程度不在であったという御指摘だと思うんです。しかし今、少子高齢化、経済が低迷をして、それから、先ほどもお話がありましたが、見えない社会保障になってきた会社や家族が機能低下をしている等々の問題がありまして、実際、きょうも本会議で年金問題の議論がありましたけれども、将来の不安が増大をしているという中にあります。
そこで、参考人が、今直面しているのは政治が価値の選択をしなくてはならないということを御指摘されておりますけれども、先ほどのお話の中にも大分入っていたわけでありますが、もう一度、価値の選択とは政治に何を求めるのかということを具体的に教えていただけるとありがたいと思うのですが、よろしくお願いいたします。
広
広井良典#12
○広井参考人 まさに、今御質問にもございましたように、高度成長期の手段の選択という、ある意味では官僚主導の政策決定に比較的合った時代から、低成長の中で価値の選択という時代になっているかと思うわけでございますけれども、価値の選択の具体的な中身といたしましては、私は大きく二つの次元があると思っております。
一つは富の分配にかかわるもので、単純に言えば、高福祉高負担か低福祉低負担か。諸外国で、二大政党制の一つの基本的な対立軸になっている富の分配をどのようにするかという、これが一つ。それからもう一つは、成長か、私は定常というような言葉を使っておるわけですけれども、定常志向かという、飽くなき経済成長ということをこれからも追求し続けるのか、ある程度、経済成長ということは低いものであっても、むしろ環境やそういったものに軸足を置いた社会の姿を選んでいくのか。
そういった、大きくは、富の分配に関する選択、それから、富の大きさそのものといいますか、それに関する価値の選択、これが基本になるのではないかと思っておりまして、やはり政治レベルでどういった価値を選ぶのかという理念と政策のビジョンを示すということが非常に大きな要請になっているのではないかと思っております。
この発言だけを見る →一つは富の分配にかかわるもので、単純に言えば、高福祉高負担か低福祉低負担か。諸外国で、二大政党制の一つの基本的な対立軸になっている富の分配をどのようにするかという、これが一つ。それからもう一つは、成長か、私は定常というような言葉を使っておるわけですけれども、定常志向かという、飽くなき経済成長ということをこれからも追求し続けるのか、ある程度、経済成長ということは低いものであっても、むしろ環境やそういったものに軸足を置いた社会の姿を選んでいくのか。
そういった、大きくは、富の分配に関する選択、それから、富の大きさそのものといいますか、それに関する価値の選択、これが基本になるのではないかと思っておりまして、やはり政治レベルでどういった価値を選ぶのかという理念と政策のビジョンを示すということが非常に大きな要請になっているのではないかと思っております。
永
永岡洋治#13
○永岡小委員 ありがとうございます。
それからもう一つ、広井参考人にお伺いいたしますが、社会保障の公的な役割というのがますます増大をしてくるという御指摘でございました。
すぐ問題になるのが財源の問題であります。高齢化が進展をして、拠出と負担を均衡させていくということで皆さん頭を悩ませているわけでございますが、保険原理がなじみにくい層がたくさん出てくるということになりますと、税による負担の部分が増大をするということになるんだろうと思います。また、先生もそういう御指摘をされていると思います。
その中で、基礎年金、高齢者医療、介護、それから子供の関係の対策というものについては税金を中心にしてやっていくべきだ、こういうふうに御主張されているわけでありますが、先ほどの資料の中にありますけれども、そのときに、消費税、相続税、そして環境税というのを挙げていらっしゃいます。
消費税は現にありますけれども、これも、福祉目的に使うべきかどうかというのは、必ずしもコンセンサスができていない。それから相続税、これを目的税として福祉目的に充てろという議論については、ほとんどまだ議論がされていないという段階でありますし、環境税については、税そのものについてつくれるかどうかまだわからないという、私は必要だろうと思いますが、必要だという立場ですけれども、そういう段階であります。
この財源をどこに求めるかというときに、消費税、相続税、あるいは環境税というものと、今申し上げたような各種の福祉対策といいますか、年金、医療等を含む、そこに国民的コンセンサスを得るためにどういう説得をしていったらいいのかというのは悩ましい問題でありまして、その点につきまして御所見をひとつお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →それからもう一つ、広井参考人にお伺いいたしますが、社会保障の公的な役割というのがますます増大をしてくるという御指摘でございました。
すぐ問題になるのが財源の問題であります。高齢化が進展をして、拠出と負担を均衡させていくということで皆さん頭を悩ませているわけでございますが、保険原理がなじみにくい層がたくさん出てくるということになりますと、税による負担の部分が増大をするということになるんだろうと思います。また、先生もそういう御指摘をされていると思います。
その中で、基礎年金、高齢者医療、介護、それから子供の関係の対策というものについては税金を中心にしてやっていくべきだ、こういうふうに御主張されているわけでありますが、先ほどの資料の中にありますけれども、そのときに、消費税、相続税、そして環境税というのを挙げていらっしゃいます。
消費税は現にありますけれども、これも、福祉目的に使うべきかどうかというのは、必ずしもコンセンサスができていない。それから相続税、これを目的税として福祉目的に充てろという議論については、ほとんどまだ議論がされていないという段階でありますし、環境税については、税そのものについてつくれるかどうかまだわからないという、私は必要だろうと思いますが、必要だという立場ですけれども、そういう段階であります。
この財源をどこに求めるかというときに、消費税、相続税、あるいは環境税というものと、今申し上げたような各種の福祉対策といいますか、年金、医療等を含む、そこに国民的コンセンサスを得るためにどういう説得をしていったらいいのかというのは悩ましい問題でありまして、その点につきまして御所見をひとつお願いしたいと思います。
鈴
広
広井良典#15
○広井参考人 これは私がお答えできるかどうかという内容の大きなテーマであろうかと思いますけれども、やはり政治のレベルでまず税の問題を回避しないといいますか、増税というようなことは、国民にといいますか、余り人気のよい提案にはならないわけでありますけれども、税の問題を、私自身は、例えば一定の福祉の充実のためには増税が必要だというようなことを受容できる市民、国民の意識といいますか、そういう成熟もかなり進んでいるのではないかと思いますので、そういった社会全体のビジョンとともに、その使途も含めた税のあり方、財政のあり方、そういったビジョンを示していくということをやっていけば、かつ、それを各政党なりが示す中で国民が選択していくという姿が、今まさにそういう時期になろうとしているのではないかと思います。
この発言だけを見る →永
鈴
玄
玄葉光一郎#18
○玄葉小委員 民主党の玄葉光一郎です。
お二人の参考人に御意見を伺いたいというふうに思うんですけれども、広井参考人の方からお尋ねをしたいというふうに思います。
一つは、先ほど本会議で年金の議論が実は始まったんですね。広井先生の年金改革案は、きょうはともかくとして、今御存じのように、政府の案は現行制度の延長で保険料と給付を見直す、こういうことなんですね。今回の案で五十年、百年は安心だ、こう言っているわけですけれども、一方で、この法案が通ったら一元化について議論しよう、協議しよう、こういうこともまた言い始めているわけです。私はこのこと自体はどう考えても矛盾すると思いますけれども、その点についての見解が一つ。
時間がないので、幾つかまとめて聞きたいと思いますけれども、もう一つは、社会保障と憲法とのかかわりですね。先ほど、最後に、社会保障については憲法が一義的な回答を与えるものではない、こういう話がございました。恐らく憲法は、そもそも、財政あるいは税だとかその支出に対してのコントロールといいますか、それがもともとの主眼だったんだと思います。したがって、こうした問題、つまり、福祉国家的な問題についてはどうしても記述が少ないというところがあるのではないか。
我が国の現在の日本国憲法も、一言で言えば何とも条文的にはそっけないな、こういうふうに思うわけでありますけれども、広井参考人からごらんになって、この社会保障の問題で、さらにといいますか、もっと厚く憲法上規定を置いた方がよいと考えるかどうかということについてお尋ねをしたいと思います。
碓井先生にも、もう最初に聞いちゃいたいと思いますけれども、先ほど財政立憲主義あるいは財政民主主義という観点から、国民の皆さんに情報提供されることが大事だというお話がございました。ホームページで、よく見ると開示されていて、大分進んだな、こういうことなんですけれども、ただ、私から見ると、あのホームページをごらんになって、どれだけの人が中身がわかるんだろうか、こういうふうに思いますね。
つまり、我が国の予算制度は特に複雑だと思いますね。一般会計予算と特別会計予算と、さらにはその他の政府関係機関予算があるわけです。私も、予算委員会、ずっと理事で今回かかわっていましたけれども、特別会計についてやっとやや公開がなされつつある、こういう状況なんですね。
ですから、予算科目別に、項目別といいますか科目別に、一般会計も特別会計もその他の予算も項目別に、トータルの連結会計といいますか連結予算、それぞれの会計の統合といいますか、そういうものまで示していかないと、私は、なかなか国民の理解というのは進まないし、議論もしにくいし、実は、先ほども財政硬直化という議論が出ていましたが、こういう問題もなかなか解決されないというふうに思います。
ですから、今申し上げたことは、そういった硬直化の打破の一つの手段になるのではないかというふうに考えていますけれども、いかがでありましょうか。
答えていただいて、時間があれば違う質問をさせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →お二人の参考人に御意見を伺いたいというふうに思うんですけれども、広井参考人の方からお尋ねをしたいというふうに思います。
一つは、先ほど本会議で年金の議論が実は始まったんですね。広井先生の年金改革案は、きょうはともかくとして、今御存じのように、政府の案は現行制度の延長で保険料と給付を見直す、こういうことなんですね。今回の案で五十年、百年は安心だ、こう言っているわけですけれども、一方で、この法案が通ったら一元化について議論しよう、協議しよう、こういうこともまた言い始めているわけです。私はこのこと自体はどう考えても矛盾すると思いますけれども、その点についての見解が一つ。
時間がないので、幾つかまとめて聞きたいと思いますけれども、もう一つは、社会保障と憲法とのかかわりですね。先ほど、最後に、社会保障については憲法が一義的な回答を与えるものではない、こういう話がございました。恐らく憲法は、そもそも、財政あるいは税だとかその支出に対してのコントロールといいますか、それがもともとの主眼だったんだと思います。したがって、こうした問題、つまり、福祉国家的な問題についてはどうしても記述が少ないというところがあるのではないか。
我が国の現在の日本国憲法も、一言で言えば何とも条文的にはそっけないな、こういうふうに思うわけでありますけれども、広井参考人からごらんになって、この社会保障の問題で、さらにといいますか、もっと厚く憲法上規定を置いた方がよいと考えるかどうかということについてお尋ねをしたいと思います。
碓井先生にも、もう最初に聞いちゃいたいと思いますけれども、先ほど財政立憲主義あるいは財政民主主義という観点から、国民の皆さんに情報提供されることが大事だというお話がございました。ホームページで、よく見ると開示されていて、大分進んだな、こういうことなんですけれども、ただ、私から見ると、あのホームページをごらんになって、どれだけの人が中身がわかるんだろうか、こういうふうに思いますね。
つまり、我が国の予算制度は特に複雑だと思いますね。一般会計予算と特別会計予算と、さらにはその他の政府関係機関予算があるわけです。私も、予算委員会、ずっと理事で今回かかわっていましたけれども、特別会計についてやっとやや公開がなされつつある、こういう状況なんですね。
ですから、予算科目別に、項目別といいますか科目別に、一般会計も特別会計もその他の予算も項目別に、トータルの連結会計といいますか連結予算、それぞれの会計の統合といいますか、そういうものまで示していかないと、私は、なかなか国民の理解というのは進まないし、議論もしにくいし、実は、先ほども財政硬直化という議論が出ていましたが、こういう問題もなかなか解決されないというふうに思います。
ですから、今申し上げたことは、そういった硬直化の打破の一つの手段になるのではないかというふうに考えていますけれども、いかがでありましょうか。
答えていただいて、時間があれば違う質問をさせていただきたいと思います。
広
広井良典#19
○広井参考人 二点ございましたが、後の社会保障と憲法とのかかわりについてまずお話しさせていただきますと、私、憲法の専門家では全く、それ以前に法律学の専門家でもございませんので、社会保障の視点からの発言になりますけれども、今の憲法というのは、これは言うまでもなく戦後アメリカの影響下につくられたもので、基本的な思想としまして、リベラリズムといいますか、個人の自由なり人権というのを基調に組み立てられている。ただ、二十五条という生存権、社会権と呼ばれるものが入っているのは言うまでもございませんけれども。
社会保障と憲法とのかかわりが浮かび上がってくる条文としては、十三条の幸福追求権、あるいは十四条の法のもとの平等、それから二十五条の生存権と社会権ということになろうかと思いますが、私は、先ほど申しましたように、社会保障というものを個人の自由の、広い意味での自由の実現ということでとらえ直すという意味では、十三条あたりを基本原理に据えて、その上で二十五条のような規定があるというふうに理解できるのではなかろうかと思いますが、確かに、見方によっては、御指摘にございましたように、二十五条の規定は割とあっさりしているといいますか、例えば、ドイツなどでは社会国家という、もう少し福祉国家という理念を掲げた規定があるわけで、それを、日本の憲法にももう少しそういった方向づけを入れていくという選択はあり得るかと思います。
ただ、これは極めて政策的な判断といいますか、あるいは、その時期その時期で国民の意向も変わり得る部分で、裁量の幅が大きな部分でございますので、考え方としては、このリベラリズム的な十三条や二十五条の規定のみを規定としては置いておいて、その上で、具体的な社会保障の姿を実現するのは個々の法的なレベルにゆだねるということも、十分今、現状の姿も考えられるのではないかというふうに考えます。
それから第一の、年金について、これはまた大変な議論になろうかと思いますが、私は、一言で言いますと、今回の改革案は非常にやはり対症療法的なといいますか、そういう面が大きいと思っておりまして、また、現在の一三・五八%を一八・三%まで引き上げていくこの年金の保険料の引き上げに関しては、私自身は、若い世代の理解がなかなか得られない、かなり大きな負担を強いるものではないか。むしろ、基礎年金というものを、発表の中でも申しましたように、国の役割としては強化して、平等というものを図って、報酬比例部分はスリム化していくべきではないか。一元化という話ともつながっていくかと思いますけれども、もう少しそういった骨格自体の議論をしていく必要があるのではないかと考えております。
以上でございます。
この発言だけを見る →社会保障と憲法とのかかわりが浮かび上がってくる条文としては、十三条の幸福追求権、あるいは十四条の法のもとの平等、それから二十五条の生存権と社会権ということになろうかと思いますが、私は、先ほど申しましたように、社会保障というものを個人の自由の、広い意味での自由の実現ということでとらえ直すという意味では、十三条あたりを基本原理に据えて、その上で二十五条のような規定があるというふうに理解できるのではなかろうかと思いますが、確かに、見方によっては、御指摘にございましたように、二十五条の規定は割とあっさりしているといいますか、例えば、ドイツなどでは社会国家という、もう少し福祉国家という理念を掲げた規定があるわけで、それを、日本の憲法にももう少しそういった方向づけを入れていくという選択はあり得るかと思います。
ただ、これは極めて政策的な判断といいますか、あるいは、その時期その時期で国民の意向も変わり得る部分で、裁量の幅が大きな部分でございますので、考え方としては、このリベラリズム的な十三条や二十五条の規定のみを規定としては置いておいて、その上で、具体的な社会保障の姿を実現するのは個々の法的なレベルにゆだねるということも、十分今、現状の姿も考えられるのではないかというふうに考えます。
それから第一の、年金について、これはまた大変な議論になろうかと思いますが、私は、一言で言いますと、今回の改革案は非常にやはり対症療法的なといいますか、そういう面が大きいと思っておりまして、また、現在の一三・五八%を一八・三%まで引き上げていくこの年金の保険料の引き上げに関しては、私自身は、若い世代の理解がなかなか得られない、かなり大きな負担を強いるものではないか。むしろ、基礎年金というものを、発表の中でも申しましたように、国の役割としては強化して、平等というものを図って、報酬比例部分はスリム化していくべきではないか。一元化という話ともつながっていくかと思いますけれども、もう少しそういった骨格自体の議論をしていく必要があるのではないかと考えております。
以上でございます。
碓
碓井光明#20
○碓井参考人 御質問にお答えしたいと思います。
御質問の趣旨は、予算科目、あるいは項目といいましょうか、それ別に連結予算というものをつくってはいかがかという御意見かと思います。
特別会計というものの改革が現在進行中であるということは私も存じておりますが、今までの特別会計というものが大変複雑でわかりにくくしているということは否定できません。しかしながら、特別会計の中にはやはり存続の必要性のあるものもあるわけでありまして、そういう意味では、一概に特別会計そのものの存在を否定するわけにはいかないと思います。
委員御指摘のように、そういうことを前提にした上で、しかし、国民にわかりやすくするために工夫の余地がないかどうかを検討する、これは大いに検討に値することだと思いますが、どういう方法があり得るかということについては、私、今まで考えてみたことがありませんので、ここでは残念ながらわからないというふうにしか申し上げられません。大変申しわけありません。
この発言だけを見る →御質問の趣旨は、予算科目、あるいは項目といいましょうか、それ別に連結予算というものをつくってはいかがかという御意見かと思います。
特別会計というものの改革が現在進行中であるということは私も存じておりますが、今までの特別会計というものが大変複雑でわかりにくくしているということは否定できません。しかしながら、特別会計の中にはやはり存続の必要性のあるものもあるわけでありまして、そういう意味では、一概に特別会計そのものの存在を否定するわけにはいかないと思います。
委員御指摘のように、そういうことを前提にした上で、しかし、国民にわかりやすくするために工夫の余地がないかどうかを検討する、これは大いに検討に値することだと思いますが、どういう方法があり得るかということについては、私、今まで考えてみたことがありませんので、ここでは残念ながらわからないというふうにしか申し上げられません。大変申しわけありません。
玄
玄葉光一郎#21
○玄葉小委員 方法はいろいろあると思います。碓井先生、公共事業は一部実現をしています。でも、これは地方も含めて科目別に実現をするべきだと思うし、ぜひ先生からも、研究していただいて、提案していただきたいと思います。
あと、複数年度予算、これは私も大いに考える余地があるし、考えるべきだと思っているんですが、これは憲法上、基本的には問題ないというふうに先ほどお答えになられていたように思いますけれども、確認の意味で申し上げると、単年度主義を捨てて複数年会計にするというのは、これは憲法上だめだ、しかし、管理の手法として導入する分には大丈夫ですよ、こういう理解でよいのかどうか、確認したいと思います。
この発言だけを見る →あと、複数年度予算、これは私も大いに考える余地があるし、考えるべきだと思っているんですが、これは憲法上、基本的には問題ないというふうに先ほどお答えになられていたように思いますけれども、確認の意味で申し上げると、単年度主義を捨てて複数年会計にするというのは、これは憲法上だめだ、しかし、管理の手法として導入する分には大丈夫ですよ、こういう理解でよいのかどうか、確認したいと思います。
鈴
碓
玄
鈴
斉
斉藤鉄夫#26
○斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。
きょうは、本当にどうもありがとうございました。私も、両参考人にまとめて最初に質問させていただきたいと思います。
まず碓井先生ですけれども、二点。
きょうは、財政、財政統制のあり方についてお話しをいただきました。八十三条の後に八十四条、課税民主主義のことも書かれているわけですが、いわゆる課税ということについてきょう先生の御意見がありませんでしたので、財政と裏腹の関係にある課税と憲法の問題について、お考えがあればお聞かせをいただければと思います。
もう一点は、実は国会でも義務教育費国庫負担制度の議論を今しているところでございます。教育に対して国が、国の責任のあり方ということで議論になっておりますが、そのときに、地方自治体の教育に対しての責任のあり方、国のあり方というふうなことが議論になりました。この財政について、きょうは国ということを主体に議論いただいたわけですが、いわゆる地方分権の時代にありまして、地方の財政についての、この義務教育費国庫負担制度と直接関係ないかもしれませんけれども、お考えをお聞かせ願えればと思います。
次に、広井先生には、お話しをいただいて、大変興味深く聞かせていただきましたが、レジュメの五ページに「(参考)ふたつの対立軸——富の成長と分配」という図がございます。大変興味深い図だったので、御説明いただけるかなと思ったんですが、飛ばされたので、この図についてお話しをいただきたいというのが第一点でございます。
それから、社会保障について、国民負担率という一つの評価軸があろうかと思いますが、この国民負担率という観点から見て、日本の現状、諸外国との関係、よく、将来許される国民負担率はどの程度かという議論をしますけれども、それについての先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。よろしくお願いいたします。
この発言だけを見る →きょうは、本当にどうもありがとうございました。私も、両参考人にまとめて最初に質問させていただきたいと思います。
まず碓井先生ですけれども、二点。
きょうは、財政、財政統制のあり方についてお話しをいただきました。八十三条の後に八十四条、課税民主主義のことも書かれているわけですが、いわゆる課税ということについてきょう先生の御意見がありませんでしたので、財政と裏腹の関係にある課税と憲法の問題について、お考えがあればお聞かせをいただければと思います。
もう一点は、実は国会でも義務教育費国庫負担制度の議論を今しているところでございます。教育に対して国が、国の責任のあり方ということで議論になっておりますが、そのときに、地方自治体の教育に対しての責任のあり方、国のあり方というふうなことが議論になりました。この財政について、きょうは国ということを主体に議論いただいたわけですが、いわゆる地方分権の時代にありまして、地方の財政についての、この義務教育費国庫負担制度と直接関係ないかもしれませんけれども、お考えをお聞かせ願えればと思います。
次に、広井先生には、お話しをいただいて、大変興味深く聞かせていただきましたが、レジュメの五ページに「(参考)ふたつの対立軸——富の成長と分配」という図がございます。大変興味深い図だったので、御説明いただけるかなと思ったんですが、飛ばされたので、この図についてお話しをいただきたいというのが第一点でございます。
それから、社会保障について、国民負担率という一つの評価軸があろうかと思いますが、この国民負担率という観点から見て、日本の現状、諸外国との関係、よく、将来許される国民負担率はどの程度かという議論をしますけれども、それについての先生のお考えをお聞かせ願えればと思います。よろしくお願いいたします。
碓
碓井光明#27
○碓井参考人 二つの御質問でございますが、両方とも大変大きな問題でございます。
まず、憲法八十四条がございますが、課税と憲法との関係についての見解いかんということでございます。
租税法律主義は今後も当然維持されなければなりませんけれども、租税法律主義の適用範囲をどのように考えるかということについて、やはり検討する必要があるだろうと思います。その結果、やはり検討の必要がないということになるかもしれませんけれども、その際には、憲法八十三条との関係も留意すべきであろうと思います。私は、狭い意味の租税については厳格な租税法律主義が適用されますけれども、それ以外の金銭負担については、憲法八十三条による、国会によるやはり財政統制の問題が残るであろうと考えています。その際に、本日の議題でもございます社会保障関係の、社会保険料というのは租税と同様に考えるべきであるというのが私の考えでございますが、ただ、若干のバリエーションを認めるべきかもしれません。いずれにしましても、八十四条に乗らないものであっても八十三条による統制は残るであろうということです。
それから、課税と憲法ということですと、当然担税力に応じた課税というものを憲法典の上でどのように考えるかということが問題になりますが、憲法に必ずしもうたう必要はないのではないか。その点は、租税というものの性質上、常に立法に当たって考慮に入れられるべき事柄であるということでよいのではないかというふうに考えます。
次に、地方の財政についての御質問でありますが、私は、義務教育費国庫負担のことにも触れられましたけれども、やはり、国がある程度責任を持つべき経費と、それから、そうではない、自立的な地方公共団体の財政運営にゆだねるべきものとの分担関係はやはり必要だろうと思います。その際に、義務教育費について申しますと、やはり私は、国が基本的に責任を持つべきである、その程度は問題でありますが、基本的に責任を持つべきものだというふうに考えております。したがいまして、現在の地方の財政支出の中で、どういったものが国の保護のもとから離れていいかどうかという検証をしていくべきであろうというふうに思っております。
この発言だけを見る →まず、憲法八十四条がございますが、課税と憲法との関係についての見解いかんということでございます。
租税法律主義は今後も当然維持されなければなりませんけれども、租税法律主義の適用範囲をどのように考えるかということについて、やはり検討する必要があるだろうと思います。その結果、やはり検討の必要がないということになるかもしれませんけれども、その際には、憲法八十三条との関係も留意すべきであろうと思います。私は、狭い意味の租税については厳格な租税法律主義が適用されますけれども、それ以外の金銭負担については、憲法八十三条による、国会によるやはり財政統制の問題が残るであろうと考えています。その際に、本日の議題でもございます社会保障関係の、社会保険料というのは租税と同様に考えるべきであるというのが私の考えでございますが、ただ、若干のバリエーションを認めるべきかもしれません。いずれにしましても、八十四条に乗らないものであっても八十三条による統制は残るであろうということです。
それから、課税と憲法ということですと、当然担税力に応じた課税というものを憲法典の上でどのように考えるかということが問題になりますが、憲法に必ずしもうたう必要はないのではないか。その点は、租税というものの性質上、常に立法に当たって考慮に入れられるべき事柄であるということでよいのではないかというふうに考えます。
次に、地方の財政についての御質問でありますが、私は、義務教育費国庫負担のことにも触れられましたけれども、やはり、国がある程度責任を持つべき経費と、それから、そうではない、自立的な地方公共団体の財政運営にゆだねるべきものとの分担関係はやはり必要だろうと思います。その際に、義務教育費について申しますと、やはり私は、国が基本的に責任を持つべきである、その程度は問題でありますが、基本的に責任を持つべきものだというふうに考えております。したがいまして、現在の地方の財政支出の中で、どういったものが国の保護のもとから離れていいかどうかという検証をしていくべきであろうというふうに思っております。
広
広井良典#28
○広井参考人 二点ございましたけれども、一点目の、レジュメの五ページにかかせていただきました図、私の時間配分のミスで飛ばしてしまいましたが、これは実は、先ほど、価値の選択は何かという永岡先生からいただいた質問と重なる、関連するものでございまして、これまでの、特にこれはヨーロッパを念頭に置いておりますけれども、政治の二大政党の対立軸というのは、ここの横軸といいますか、大きな政府か小さな政府か、積極的な財政政策、大きな政府か、市場にゆだねるような、この右側にありますようなものか、そういう対立軸がございました。しかし、これらはいずれも、高い経済成長を追求するという点では共通していたわけでございます。
ところが、八〇年代、九〇年代になってから、環境の問題や、必ずしも積極的な財政政策を行えば需要が伸びて景気が拡大するということが需要の飽和というような中で起こらなくなってきた中で、縦軸、すなわち成長志向か環境志向かという対立軸がもう一つの新しい対立軸として浮かび上がってきた。
そういう中で、両者の、大きな政府派と小さな政府派自体の振幅の幅といいますか、それもむしろ接近して、大きな政府を掲げる側も、低成長等の中ですべて手厚い公的保障というわけにはいかなくなり、逆に小さな政府の方も、高齢化等も進む中で一定以上の社会保障はどうしても充実させるべきだということで、そういう歩み寄りがなされるとともに、縦の対立軸が浮かび上がってきている。このあたりがこれから日本においても非常に問われてくるのではないかという趣旨の図でございます。
それから国民負担率についてでございますけれども、これは、まず確認されるべきは、国民負担率というのは、社会保障に限らず公共事業とか政府全体の活動の規模を示すものであるということで、社会保障よりもう少し広いものでございますけれども、結論的には、私自身は、国民負担率が何%ならいいか悪いかというような議論にとらわれるのは余り妥当ではないと思っております。
言いかえますと、国民負担率というのはいわば政府の活動の規模を示す結果としての数字であって、まず重要でありますのは、公私の役割分担といいますか、公的部門はどういう役割を果たすべきか、その制度論がまず先に来るべきで、その結果として国民負担率の規模をあらわす数字が帰結するというようなもので、そちらの議論から先に行うというのはある意味では本末転倒ではないかというふうに考えております。
この発言だけを見る →ところが、八〇年代、九〇年代になってから、環境の問題や、必ずしも積極的な財政政策を行えば需要が伸びて景気が拡大するということが需要の飽和というような中で起こらなくなってきた中で、縦軸、すなわち成長志向か環境志向かという対立軸がもう一つの新しい対立軸として浮かび上がってきた。
そういう中で、両者の、大きな政府派と小さな政府派自体の振幅の幅といいますか、それもむしろ接近して、大きな政府を掲げる側も、低成長等の中ですべて手厚い公的保障というわけにはいかなくなり、逆に小さな政府の方も、高齢化等も進む中で一定以上の社会保障はどうしても充実させるべきだということで、そういう歩み寄りがなされるとともに、縦の対立軸が浮かび上がってきている。このあたりがこれから日本においても非常に問われてくるのではないかという趣旨の図でございます。
それから国民負担率についてでございますけれども、これは、まず確認されるべきは、国民負担率というのは、社会保障に限らず公共事業とか政府全体の活動の規模を示すものであるということで、社会保障よりもう少し広いものでございますけれども、結論的には、私自身は、国民負担率が何%ならいいか悪いかというような議論にとらわれるのは余り妥当ではないと思っております。
言いかえますと、国民負担率というのはいわば政府の活動の規模を示す結果としての数字であって、まず重要でありますのは、公私の役割分担といいますか、公的部門はどういう役割を果たすべきか、その制度論がまず先に来るべきで、その結果として国民負担率の規模をあらわす数字が帰結するというようなもので、そちらの議論から先に行うというのはある意味では本末転倒ではないかというふうに考えております。
斉