佐瀬昌盛の発言 (憲法調査会)

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○参考人(佐瀬昌盛君) 今、御紹介いただきました拓殖大学海外事情研究所の佐瀬でございます。
 私は、今日、ここに皆さんのお手元にお届けしてある紙、二枚紙ですけれども、「集団的自衛権と日本国憲法」と題しました。そして、今、坂元教授はかなり政策マター的なことに立ち入られたわけですけれども、私はそちらの方をあえて断念いたしまして、それについては最後の段階で少し述べるにとどめまして、このお届けしてある紙に沿って私の考えを申し述べたいと存じます。
 まず第一に、集団的自衛権に関する政府解釈の問題点。これは私は、その時系列に沿っての問題点の指摘と、それから二といたしまして論理的欠陥と、二つの面で私の考えを申し述べたいと思います。
 まず、時系列に沿ってでありますけれども、現行の集団的自衛権についての政府の憲法解釈、これは内閣法制局が昨今は余りこの点を強調されなくなったようではありますけれども、数年前にはこれを非常に厳しく、一貫性を持っているんだということを断言しておられました。ただし、私の見ますところでは、そういう一貫性はなくて、時代による変遷を遂げております。これが第一点であります。その点をもう少し詳しく申しますと、現在の解釈が、私はそこに「固まったのは、」と書きましたが、より正確に言いますと、ほぼ固まったのは一九七〇年代中期のことであるということであります。固まったのは八〇年代に入ってからと言ってもよろしいかと思います。
 それから、ハとして、なぜその時代による変遷があったかといいますと、旧日米安全保障条約、つまり一九五一年締結の旧安保条約でありますけれども、そこでは前文において、国連憲章はすべての国に個別的及び集団的自衛の固有の権利を認めているということを述べた後、直ちに「これらの権利の行使として」という、「行使」という言葉を明確に使っていたわけであります。当時は、ここでちょっと限定を付けますが、当時は日本は集団的自衛権が行使できると考えていたからこそ「これらの権利の行使として」と述べたわけでありますけれども、残念なことに、当時は集団的自衛権を行使する手段がなかったわけであります。つまり、自衛隊というものがまだ存在しなかった時代であります。にもかかわらず、当時、「行使」という言葉を既に使っていたということであります。
 それから、ニといたしまして、現在の一九六〇年安保条約でありますけれども、この日米安保条約承認のために国会審議が行われましたが、当時の国会審議の記録を見ますと、これは岸内閣当時でありますけれども、当時は政府の解釈は明確に制限的保有論でありました。それについて詳しいことはまたお尋ねがあればお答えいたしますけれども、このときには制限的保有論であったと。
 それから、その次にホとして、もう一つ指摘しておかないといけませんのは、我が国が国連加盟に際して、これは鳩山政権が日露国交回復をやった後のことでありますけれども、国連憲章に、とりわけ個別的、集団的自衛権を定めた第五十一条に何らの留保も付けないでこれを受け入れているという点であります。
 その次に、集団的自衛権に関する現行の政府見解の問題点を論理的に眺めてみたいと思います。私はそこに「論理的欠陥」と書きましたけれども、私に言わせますと、この解釈は欠陥品であります。非常に問題のある解釈であります。
 イといたしまして、先ほど坂元教授も言及されましたけれども、政府解釈の特徴は、国際法上は独立国家としてこれを保有しているのは当然だけれども、しかし、憲法上、日本国憲法に照らしてその行使は不可、つまり違憲であるという議論であります。この論の進め方は、憲法上日本が、我が国が集団的自衛権を保有しているのか、それとも保有しないのかという問題の吟味を避けているということであります。
 ここでちょっと注釈を付け加えますと、この点は今から十日とたたない、正確に言いますと二月の十日のようでありますけれども、衆議院の予算委員会でこの点が改めて問題になりました。そして、法制局長官がこれについて独特の見解をお述べになりました。これは非常に注目すべきものでありまして、私はこの答弁は言わばごまかしにごまかしを重ねている答弁だと判断いたします。それは今、時間の制約からここでは詳しく申し述べません。
 それから、その次にこの問題、つまり憲法上日本が集団的自衛権を保有しているのかしていないのかと吟味しますと、答えは三つあります。可能性としては三つあります。憲法上保有せずという答え、憲法上保有するという答え、それから憲法上保有するかしないか分からないという答えの三種であります。
 ただし、そのうちで憲法上保有せずという解釈はほとんど成立する余地がありません。これは国際法上、既にこの解釈が定まる前に憲法に基づいて締結しておる旧、新の、旧と現行の安全保障条約においてその保有をうたっているからであります。
 さてその次、ハとして、そこに憲法上保有するといった場合には、憲法上保有するものを憲法上行使できないというのはいかがなものかという難問中の難問がございます。
 それから、ニといたしまして、憲法上保有か不保有かは分からないという答えは、これは憲法解釈としては言うまでもなく失格であります。
 その次に、ホといたしまして、これは別の意味での現行の政府見解の論理的欠陥でありますけれども、そもそも個別的自衛権と集団的自衛権を別個のものとして見るのは、我が国はそうやっております、これは国連憲章第五十一条の解釈としては国際的には異例中の異例、恐らくは我が国だけではないかと思います。
 そこに括弧書きで書いておきましたけれども、九・一一に関する安保理決議、これは非常に問題になった一三六八にかかわる国際的反応を見よと私書いておきましたけれども、それはいかなるものかと申しますと、あの九・一一の国際テロに対して安保理が行った決議に基づきアメリカは自衛権の行使に踏み切りました。アメリカ以外に合計八か国がやはり自衛権の行使に踏み切りました。これは、日本の説明では、集団的自衛権の、アメリカ以外の八か国はですね、集団的自衛権の行使に踏み切ったと、これは日本的な文脈でそう解釈しています。
 ただし、各国が憲章五十一条の定めに従って安保理にその旨を報告した、各国が届けたレターがございます。そのレターを見ますと、どの国も、アメリカは言うまでもなく、イギリス、フランス、ドイツその他の国々は、合計でアメリカを含んで九か国は、いずれもそこに国連憲章五十一条の定める個別的及び集団的自衛の固有の権利を行使すると、こういうことを言っているわけです。
 つまり、他国は国際的にこの二つのものを引き裂いて、今回我々が使うのは、アメリカが攻撃を、テロ攻撃を受けたから我々はそれに対して集団的自衛権の側面を行使すると言ったんではないということです。自衛権というのは一体として個別的及び集団的な自衛の権利、自衛の固有の権利と、こういう理解であります。それがホで述べた異例中の異例の解釈を日本がやっているということであります。
 それから、その次に、ヘといたしまして、日本国憲法は国家固有の権利、つまりこれは英語で言いますとインヒアレントライトですけれども、私、自分の著書の中で、国連憲章の正文を成すところのロシア語、英語は言うまでもなく、ロシア語、フランス語、中国語、これについて全部紹介しておきましたけれども、英語の場合はインヒアレントライト、日本語はそれは固有の権利でありますけれども、フランス語にしましても、それから中国語にしましても、これを日本語で訳しますと自然権ということです。ですから、国連憲章は国家の自然権というものをうたっているわけでありますが、日本国憲法は国際法に照らして自然権と呼ばれるものを否定するのかということであります。仮にそうだといたしますと、日本国憲法というのは非常に、非常にはこれはベリーの意味ですけれども、非常に非情な、情けにあらずと書く非情な憲法だと言わざるを得ません。
 さて、その次に二枚目に参りますけれども、集団的自衛権の現在の政府解釈に見られる思い違いがあります。それは、一九八二年のこれについての政府の解釈であり、それが今日でもそのまま維持されているわけですけれども、そこには自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けたときにどうこうするんだと、こういう議論になっているわけです。ただし、これはかなり的外れであります。つまり、自国と密接な関係にある国がどうこうされたので、それに対して我が国はどうこうする権利を持つのかどうなのかというのは日本がやっている議論でありますけれども、これは思い違いであります。五十一条は、読んでみたら全く何の説明もなくて、そういう限定、自国と密接な関係にある国にかかわる権利であるのかどうなのかということは全く問題になっていません。国際的な解釈でもそういう解釈は取られておりません。
 その次に、ロとして、同盟、つまり、これは日米同盟もそうでありますけれども、国連憲章で言いますと第八章の「地域的取極」というものに入るカテゴリーのものでありますけれども、それは同盟国による集団的自衛、集団的自衛権、権が抜けておりますが、行使の保障度を高めてくれます。だから、他国に集団的自衛権を行使してもらいたいという場合には同盟を組みます。ただし、同盟を組んでも集団的自衛権の行使は義務化できないということがあります。権利はあくまでも権利でありまして、同盟国は、共同防衛をうたっていても、集団的自衛権の行使に関しては棄権という立場を取ることも理論上は同盟国間においてさえあり得るということであります。
 さて、それを裏返して申しますと、ハとして、逆に日本政府が言っているような自国と密接な関係にある外国、日本は幸いなことにそれを持っているわけであります。しかし、不幸なことにとは申しませんけれども、そういう自国と特別に密接な関係を持たない国があります。しかも、今日では国連加盟国でさえあるスイスが例えばそうでありますけれども、スイスは自国と特別に密接な関係を持っておりません。ところが、スイスは、国連憲章の言う五十一条の要件を満たせば、集団的自衛権の行使を法理上妨げられてはいないということであります。ということは、繰り返して申しますけれども、自国と密接な関係にある外国にかかわる権利という法制局見解は、これは見当違いだ、思い違いだということになります。
 さて、ニとして、さらに、その自国と密接な関係にあるという場合には、集団的自衛権というのは閉鎖的なシステムということになります。自国と密接な関係にない国が武力攻撃を受けたときには、知らぬよと、それで済ませるのかというと、多くの場合、国際社会というのはつれないものでありますから、知らぬよという態度を取ります。しかしながら、この集団的自衛権というのは、そういう閉鎖的なシステムであるのではなくてオープンシステムであります。つまり、日本とは日ごろほとんどかかわりのない国が武力攻撃を受けた場合に、日本は、あるいは日本がでなくてもよろしいんですが、ある国連加盟国がそれに対して集団的自衛権を行使することは一向に妨げられないわけであります。そういう点で、日本の政府見解には自国と密接な関係にある外国というものを冒頭にうたっているのは、これは思い違いであります。
 さて最後に、数分残されておりますので、若干の補論的考察ということを申し述べたいと思います。
 イとして、これは坂元教授も申されたことですから読み上げるにとどめますけれども、なぜ欠陥ある政府解釈が定着したのかといいますと、これは論理を詰めた結果だというのが法制局見解でありましたけれども、そうではなくて、論理の産物というよりは、これは政治の産物であります。
 それから、ロとして、これは私は最近指摘したことであります。前から考えていたことでありますけれども、ロ、我が国による集団的自衛権の解釈の、解釈権の一方的な対米行使が行われているということです。これは現在、日米安保条約の下で一番重要ないわゆるガイドラインという文書を見ますとその旨が明白であります。ですから、この点では米国はむしろ日本の集団的自衛権解釈をそのまま言いなりに受け入れているということであります。しかし、これは将来、非常に危うい問題をはらむかもしれません。
 その次に、ハといたしまして、私は、日本国憲法の下で集団的自衛権をも憲法上保有している、その行使は可能であるとするのが望ましいと考えます。ただし、それに至る筋道の問題がございます。
 粗っぽく言いますと、要するに、解釈変更でいくのか、それとも改憲でいくのかという議論があります。私の考えを申し述べますと、私はこの解釈が欠陥解釈だと考えております。したがって、欠陥解釈を変更するというのでなくて、私の場合は欠陥を是正するということであります。したがって、私は、解釈是正が本来は正道であると、正しい道であると考えます。
 仮にこの解釈是正をやらずに改憲で、堂々と改憲でとおっしゃる方がいますが、改憲でこの集団的自衛権の行使、明記をする場合には、現在の私が言いますところの欠陥解釈が現行憲法下の解釈として正しかったということになります。私は、これは正しておかないといけないと、少なくとも現行憲法解釈には問題があるということは明確にしておかなければいけないと考えます。
 さて、その次、ホでございますけれども、これは坂元教授とも図らずも非常に近いことでありますけれども、その上で、憲法解釈が是正された上で、さらに、改憲においてこの集団的自衛権というよりは個別的及び集団的自衛権の問題をどう取り扱うのかということがありますけれども、私は以前から、改憲、改訂憲法では集団的自衛権の保有、行使可能ということをうたうべきでないと考えております。仮にうたう場合には、国連憲章第五十一条の認める自衛の固有の権利と、それだけをうたえばよろしいと。
 なぜかというと、一方をうたって一方をうたわないというのは、私は、個別的及び集団的自衛というのは一体、その権利というのは一体のものだと考えていますから、一方だけを強調するというのは愚策であると考えております。
 さて、もうこれで時間、もうあと一分いただきますが、ヘとして、現行解釈を是正することなく個別法制で集団的自衛権の行使には該当しない活動の範囲を今日まで日本は小刻みにどんどんどんどん拡大してきました。ところが、こういうことをやっておりますのは、日本の中でのつじつま合わせにはよろしいでしょうけれども、国際的にはむしろマイナスだと私は考えます。
 なぜかと申しますと、日本は、集団的自衛権の行使は違憲であると言いながら、他国が見たらびっくりするようなところまで個別的自衛権の行使だということで説明しておると。この国がいったん集団的自衛権の行使は可能であると言い出すと、今度は一体どこまでのことをやり出すんだといういわれなき、私はここで申し上げますが、いわれなき誤解を生む可能性があります。したがって、私は、今のような個別法制でどんどんどんどん、これは集団的自衛権の行使ではなくてここまでやれるという状態を続けていくことは、もうここでやめるべきであると考えます。
 時間が参りましたので、以上でとどめます。どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 佐瀬昌盛

speaker_id: 30947

日付: 2004-02-18

院: 参議院

会議名: 憲法調査会