憲法調査会

2004-02-18 参議院 全100発言

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会議録情報#0
平成十六年二月十八日(水曜日)
   午後一時四分開会
    ─────────────
   委員氏名
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事         武見 敬三君
    幹 事         保坂 三蔵君
    幹 事         吉田 博美君
    幹 事         若林 正俊君
    幹 事         鈴木  寛君
    幹 事     ツルネン マルテイ君
    幹 事         若林 秀樹君
    幹 事         魚住裕一郎君
    幹 事         小泉 親司君
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                扇  千景君
                亀井 郁夫君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                常田 享詳君
                中曽根弘文君
                服部三男雄君
                福島啓史郎君
                藤野 公孝君
                舛添 要一君
                松田 岩夫君
                松村 龍二君
                松山 政司君
                森田 次夫君
                山崎  力君
                江田 五月君
                大渕 絹子君
                川橋 幸子君
                小林  元君
                角田 義一君
                中島 章夫君
                平野 貞夫君
                福山 哲郎君
                堀  利和君
                松井 孝治君
                白浜 一良君
                山口那津男君
                山本  保君
                井上 哲士君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                田  英夫君
                岩本 荘太君
    ─────────────
   委員の異動
 二月十七日
    辞任         補欠選任
     江田 五月君     大脇 雅子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         上杉 光弘君
    幹 事
                武見 敬三君
                保坂 三蔵君
                吉田 博美君
                若林 正俊君
                鈴木  寛君
            ツルネン マルテイ君
                若林 秀樹君
                魚住裕一郎君
                小泉 親司君
    委 員
                阿南 一成君
                岩井 國臣君
                扇  千景君
                亀井 郁夫君
                桜井  新君
                椎名 一保君
                常田 享詳君
                中曽根弘文君
                福島啓史郎君
                藤野 公孝君
                舛添 要一君
                松田 岩夫君
                松村 龍二君
                松山 政司君
                森田 次夫君
                大渕 絹子君
                大脇 雅子君
                川橋 幸子君
                小林  元君
                中島 章夫君
                平野 貞夫君
                福山 哲郎君
                松井 孝治君
                白浜 一良君
                山口那津男君
                山本  保君
                井上 哲士君
                吉岡 吉典君
                吉川 春子君
                田  英夫君
                岩本 荘太君
   事務局側
       憲法調査会事務
       局長       桐山 正敏君
   参考人
       大阪大学大学院
       法学研究科教授  坂元 一哉君
       拓殖大学海外事
       情研究所所長   佐瀬 昌盛君
       朝日新聞記者
       AERAスタッ
       フライター    田岡 俊次君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○小委員会設置に関する件
○日本国憲法に関する調査
 (平和主義と安全保障
 —憲法と集団安全保障、集団的自衛権、日米安
 保)
    ─────────────
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上杉光弘#1
○会長(上杉光弘君) ただいまから憲法調査会を開会いたします。
 小委員会の設置に関する件を議題といたします。
 二院制と参議院の在り方について調査検討するため、小委員十五名から成る二院制と参議院の在り方に関する小委員会を設置することに賛成の方の挙手をお願いいたします。
   〔賛成者挙手〕
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上杉光弘#2
○会長(上杉光弘君) 多数と認めます。よって、二院制と参議院の在り方に関する小委員会を設置することに決定いたしました。
 つきましては、小委員及び小委員長の選任は、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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上杉光弘#3
○会長(上杉光弘君) 御異議ないと認めます。
 それでは、小委員に岩井國臣君、武見敬三君、福島啓史郎君、保坂三蔵君、舛添要一君、松村龍二君、山崎力君、川橋幸子君、鈴木寛君、平野貞夫君、松井孝治君、山本保君、吉川春子君、田英夫君及び岩本荘太君を指名いたします。
 また、小委員長に保坂三蔵君を指名いたします。
 なお、小委員及び小委員長の辞任の許可及びその補欠選任、並びに小委員会から参考人の出席要求がありました場合の取扱いにつきましては、これを会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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上杉光弘#4
○会長(上杉光弘君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
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上杉光弘#5
○会長(上杉光弘君) 日本国憲法に関する調査を議題といたします。
 本日は、「平和主義と安全保障」のうち、「憲法と集団安全保障、集団的自衛権、日米安保」について、大阪大学大学院法学研究科教授の坂元一哉参考人、拓殖大学海外事情研究所所長の佐瀬昌盛参考人及び朝日新聞記者・AERAスタッフライターの田岡俊次参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。調査会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
 忌憚のない御意見を賜り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、坂元参考人、佐瀬参考人、田岡参考人の順にお一人二十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員とも、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず坂元参考人にお願いいたします。坂元参考人。
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坂元一哉#6
○参考人(坂元一哉君) 大阪大学の坂元でございます。本日はお招きいただき、ありがとうございます。
 憲法改正がなぜ必要かということは、おおよそ二つの観点から論じられているように思います。一つは憲法の制定経緯にかかわる観点から、もう一つは、憲法制定以来何十年もの年月がたち、憲法が内外の情勢の変化に適応できなくなっているのではないかという観点からでございます。
 本日、私がお話しさせていただくのは後者の観点からでして、私は、二十一世紀におきまして日本の平和と安全の基盤である日米同盟を強化していくために、日本は集団的自衛権の行使ができるようになるべきである。ただ、そのために憲法九条を改正する必要はなく、解釈の是正で十分であると主張したく思います。そして、その解釈の是正のために国会に一つお願いがある、それが話の粗筋でございます。
 日米同盟が日本の国益に欠かせないものであること、これは改めて説明するまでもないと思います。その日米同盟の骨格である日米安保条約、この条約は、過去半世紀、その構造上の弱点にもかかわらず、様々な試練に耐えて長く続いてまいりました。弱点といいますのは、この条約の相互性、双務性にかかわることでございます。
 この条約は、日本がアメリカに基地を貸し、アメリカが日本の安全を保障する、基地と安全保障の交換の約束を定めた条約でございます。旧安保条約の締結交渉に携わった西村熊雄条約局長は、後にそのことを物と人との協力と表現いたしました。
 レジュメをごらんください。西村局長が言いますように、この条約は確かに相互的あるいは双務的でございます。日米は互いに物と人との協力というギブ・アンド・テークに納得しましたからこそ、この条約を結び、それが一九六〇年の改定を経て半世紀以上続いております。
 しかし、この物と人との協力という形の相互性は、米軍と自国軍の協力、言わば人と人との協力を前提にしているNATOのような相互防衛条約と比べまして、互いにどこかしっくりとしない感情を生み出すところがございます。といいますのも、人を出す方は、自国の若者にリスクを負わせるわけですからそのリスクを負わない相手を余り尊敬せず、物を出す方は、その不便とコストを理解しない、あるいはしないように見える相手の態度を面白くなく感じがちだからであります。
 冷戦は、このしっくりとしない感情を抑制する働きをいたしました。いろいろと理由はございますが、特に大事なことは、冷戦下の日米同盟が全面戦争を想定しておりまして、いざとなれば日本も戦火を免れることはできない、したがって、結局日本とアメリカはともに戦うという前提で理解されていたからです。物と人との協力とは申しましても、実際には人と人との協力、自衛隊と米軍の協力にもなるというわけです。
 しかし、冷戦が終わって既に十年以上がたちました。日米両国を取り巻く脅威の性格は、あるいは朝鮮半島危機のような地域紛争、あるいはミサイルや大量破壊兵器の拡散の問題、またあるいは九・一一テロ事件のような、これまで近代世界がまじめには考えてこなかったポストモダンの脅威に変わっております。そうした脅威に対して、果たしてこの物と人との協力だけで日米同盟がこれからも続いていくかといいますと、これはかなり怪しいわけでございます。
 幸い、日本とアメリカは冷戦後、一九九七年に、新しい日米防衛協力のための指針、ガイドラインを定めて、東アジアで地域紛争が起こったときに自衛隊と米軍の間でなすことができる協力の幅を広げました。アフガン戦争では、日本はインド洋上での米艦船への海上補給という形でできる限りの人と人との協力を行いました。それによって、日米同盟はその歴史上最大の試練の一つを乗り越えたと思います。
 私は、二十一世紀において日米同盟は、それぞれのでき得ること、できないこと、得意、不得意、これをよく勘案しつつ、物と人との協力に人と人との協力をバランスよく組み合わせる、そういう形で発展させていくべきだと考えております。
 そういう考えからしますと、近年の日米同盟の運営はうまく進んでいると評価しております。ただ、国内政治と憲法との関連でいいますと、まだ一つ大きなハードルがございます。人と人との協力の法的な基盤になります集団的自衛権の問題であります。
 政府が、日本はこの集団的自衛権を国際法上持っているけれども憲法上行使できないとしておりますために、人と人との協力はいまだ腰の据わったものにはなっておりません。なぜなら、人と人との協力で日本が行うものは武力行使に当たらないと説明しなければなりませんので、武力行使と一体化するとかしないとか、あるいは戦闘地域と一線を画するとか画さないとか、分かったようで分からないあいまいな議論が続くからであります。これをそろそろやめて、集団的自衛権の行使ができるという前提で人と人との協力を説明できるようにしてほしいわけです。
 日本が集団的自衛権の行使ができるようになって何か悪いことがある、私は余り思い付きません。逆に、日本が集団的自衛権の行使ができるという前提に立ちますと、説明が簡単になるというだけではなくて、幾つか良いことがございます。まず、日米同盟の強化が機能されますし、おかしなことを言ってお互いに気まずくなるということもなくなります。例えば、日本がミサイル防衛システムを導入した場合に、自分のところに飛んでくるミサイルは撃ち落とせるが、アメリカに飛んでいくミサイルは撃ち落とせないといったばかなことは言わなくて済むようになります。
 それに、集団的自衛権はアメリカ追随だという議論がありますが、私は逆だと思います。集団的自衛権が行使できるようになり、きちんとした形で日本がアメリカに協力できる幅が広がれば、アメリカに対する発言権も当然増すでしょう。アメリカとの協議におけるイエスとノー、これも今より歯切れよくすることができると思います。また、沖縄を始め国内の基地問題も解決への道がより明るくなると考えます。
 それで、集団的自衛権を国際法上持っているけれども憲法上行使できないという政府の解釈ですが、果たしてこれは正しい憲法解釈でしょうか。私は全くそうは思いません。政府の解釈は直観的にも論理的にも奇妙な解釈だと思います。しかし、今日はその詳しいところは、私が尊敬し、またその御著書や論文を参考にさせていただいている佐瀬教授からお話があると思いますので、省かせていただきます。
 ただ、一つだけ、この政府解釈の政治的意義のようなものについてお話ししたいと思います。
 レジュメに、日米安保改定時に内閣法制局の一員であり後に長官にもなられた高辻正巳氏の回顧の弁を抜き書きしております。ごらんください。長くなりますが、読ませていただきます。
 グアム島と言えども、米国を守るために自衛隊を海外派兵することは憲法上容認されないことで高橋氏と一致した。しかし「日本国の施政の下にある」米軍基地が武力攻撃を受ければ、日本としても「共通の危険に対処して行動することを宣言する」と規定している以上、日本国内では米軍を守るため集団的自衛権を行使することになる。しかしそれを敢て集団的自衛権と言わなくても、実際にやることは個別的自衛権行使と同じなので、岸首相、林法制局長官ら政府側は個別的自衛権行使で押し通したが、米国は、米軍基地を防衛するための日本の行動を日本の集団的自衛権行使と理解している。
と。
 心理学の実験でよく出てくるだまし絵にルビンのつぼというのがございます。つぼかと思ってじっと見ていると人の顔に見え、またじっと見ているとつぼに見えると、あれのことでありますけれども、この高辻氏の回顧の最後のところ、私は正にあれだと思いました。日本国民には自衛に見え、アメリカには集団的自衛に見える。そのくだりを見てこんな説明をどうしてする必要があるのかと考えたわけでございます。
 集団的自衛権とあえて言う必要がないというのなら、逆にこれは別に言ってもいいわけです。日本は日本国の施政の下において集団的自衛権行使ができると言って何が悪いのでしょうか。その答えは少し歴史を振り返ってみれば分かります。
 日本政府が集団的自衛権の行使ができないという解釈を明らかにし始めたのは、今から五十年前、一九五四年の自衛隊創設に関連する国会論議の中においてでした。もう少し詳しく言いますと、一九五四年六月三日の外務省条約局長による説明が公式には最初です。なぜ、そんな日付を詳しく言うかといいますと、それが本参議院におきまして自衛隊の海外派兵を禁止する決議、レジュメをごらんください、が出た翌日のことだからです。
 当時、政府は、自衛隊という新しい軍事組織が行使するその軍事力の限界を国民に示す必要に迫られておりました。そして、そのころの日本では、憲法は個別的自衛権の行使すら禁じているといった議論がばかにできない力を持っておりまして、自衛隊が集団的自衛権を行使して海外派兵もできるというようなことになりますと、これは自衛隊創設に国民の支持が得られないということは明白でした。そうではないということを説明するために、集団的自衛権は行使できないとの立場が取られたようです。
 その後、一九六〇年の安保条約改定審議の際も同じでした。岸首相や林法制局長官らは、日本が他国防衛のために他国に出掛けていって防衛するような、つまり海外派兵を含むような集団的自衛権は行使できないと説明しております。そういう説明で自衛隊が海外派兵しないということを明らかにしたことは、国民が自衛隊を受け入れるには役立ったかもしれません。また、安保条約を国民に受け入れやすくすることにも役立ったかもしれません。けれども、その反面、集団的自衛権の行使は海外派兵と同一視されて、戦前日本の海外における軍事力行使の悪いイメージが付きまとうことになってしまいました。
 このことについて、私は、これから集団的自衛権の問題を考える場合には、集団的自衛権と海外派兵、この二つは分けて考えるべきだと思います。実際に、安保条約第五条のように海外派兵を伴わない集団的自衛権の行使もあるからです。そして、もし国民の間に海外派兵を伴う、すなわち他国の領土、領海、領空での武力行使を伴うそういう集団的自衛権の行使はしたくないという強い希望と意思があるのなら、実際にそうした集団的自衛権の行使をしなければよいと思います。集団的自衛権の行使ができるからといって、何もそれを全面的に行使しなければならないというわけではありません。集団的自衛権は権利であって義務ではないのです。
 私自身は、日米同盟の維持と発展のために海外派兵を伴わない集団的自衛権の行使は積極的に認めるべきだと考えています。例えば、日本が日本の施政の下にある領域そして公海及びその上空で集団的自衛権の行使ができるようになれば、日米同盟における人と人との協力の基礎は幅広くしっかりしたものになると考えます。日米同盟は何といっても海洋国家間の同盟ですから、公海とその上空で互いの防衛協力の理論的基盤を固めるということは同盟強化にとって極めて大きな意味を持つはずです。
 それで、そのような形の限定的な集団的自衛権の行使、これをどのようにしたら実現できるかということであります。私は、日本国憲法は、集団的自衛権の限定的行使なら認めるといったような憲法解釈はまずいと思います。それは、限定とはどういう意味かと、なぜ限定されなければならないかという不毛な論争を呼ぶだけだと考えます。それに、国際法上のある権利を日本だけ限定的に認められているのも変な話です。やはり、憲法上、集団的自衛権の行使は禁じられていない、そういう解釈が必要になると思います。この点、政府には憲法解釈を変えてもらう必要がありますが、それはまた後で述べます。
 憲法で集団的自衛権の行使が可能ということになれば、次は海外派兵をしないという歯止めをどうするかとの質問が出ると思いますが、私は、これは法律ですればよいと考えます。
 憲法上、集団的自衛権の行使が可能だとしましても、その権利を生かす法律がなければ、実際の行使はできません。自衛隊が集団的自衛権の行使を前提にこれこれのことをすると法律に書いて初めて集団的自衛権の行使は可能になります。逆に言うと、これこれというところを超えたことはできないわけです。例えば、自衛隊が日本の領域と公海及びその上空において武力攻撃を受けた米軍の反撃を支援することができるといった趣旨の法律ができれば、この法律では海外派兵してまで助けることはできないということになると思います。
 それから、もう一つ歯止めに関して大切なことですが、制限された範囲内で集団的自衛権の行使ができるような法律ができたからといって、日本政府がその範囲内で武力行使に積極的にならなければならないというわけではありません。むしろ、憲法の平和主義の精神を踏まえて、武力行使には常に慎重な姿勢で臨むというのが当然の政策論だと考えます。
 これまでのところ、私の考える集団的自衛権の限定的な行使についてポイントをまとめますと、レジュメに書きましたように、一つ、憲法は集団的自衛権の行使を禁じていないという憲法解釈、二つ、日本の領域、公海及びその上空で集団的自衛権の行使を可能にする法律、三つ、実際の武力行使は法律の範囲内で極めて慎重に行うという政策の三点になろうかと思います。
 さて、私は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈が必要だと思いますが、政府は今のところそうした解釈の変更はできないという立場のようであります。特に、内閣法制局からは、これは変えることができないから、集団的自衛権の行使が必要なら憲法を変える必要があるとの見解も示されています。
 私は、政府の憲法解釈に過去において一定の意義があったことは認めます。認めますが、変えられないから憲法を変えろというほど立派な解釈だろうかといぶかしく思うわけであります。もちろん、私が幾ら政府の解釈がおかしいと思うと言いましても、思うというのは私の判断にすぎません。また、政府の解釈には、長く言い続けてきた、少なくとも私が生まれる前から言い続けてきたという重みはあると思います。しかし、そうではあっても、忘れてならない事実は、政府の憲法解釈というのは最高裁の解釈ではなく、決して憲法の最終的な有権解釈ではないということでございます。
 私も、もし最高裁の解釈が政府の解釈と同じというのであれば、憲法を改正するしかないと思います。しかし、こうした問題について裁判所は、統治行為論と呼ばれる理論でもって、高度に政治性を有する事柄については、一見明白に憲法違反でない限り憲法判断を差し控えるという態度を取っております。
 そうなりますと、そうした高度に政治性を有する事柄での憲法判断はどこがするのかということになります。それは、やはり最終的には国民の判断になろうかと思います。そして、その国民の判断をまずもって体現するのは、国権の最高機関であります国会の御判断ということになるのではないでしょうか。私はそう信じますので、集団的自衛権の問題につきましては、国会で広く深く御議論いただいた上で、集団的自衛権の行使を前提にした法律を議員立法で制定していただきたく思います。
 具体的に、どこまでの範囲で集団的自衛権の行使を認めるか、行使ができるようにするか、どういう法律であるべきか、これは国会の御議論で決めていただければよいと思います。今、私は日本の領域と公海及びその上空と申しましたが、それより狭くてももちろんよいかと思います。また、その法律は、集団的自衛権の行使のみならず、日本の武力行使の在り方とその限界について大所高所から総合的に考えて作られた安全保障基本法のようなものの一環である方がよいと思います。
 しかし、そう思いますが、広く深い議論が背景にあるなら、より簡単にこれまでの法律の改正でもよろしいかもしれません。例えば、周辺事態法。周辺事態法におきまして、日本周辺の公海及びその上空における後方地域支援というのがございますが、この後方地域支援を、後方地域ではなくて後方支援を可能にするような法律改正はいかがでしょうか。
 これはレジュメに書きましたが、このガイドライン、日米防衛協力のための指針でいいますと、戦闘地域と一線を画するというあの有名な文言、これを除去するという趣旨でございます。それにより、米軍の後方支援をしている場所が戦闘地域になっても自衛隊は支援を続けることが可能になります。そして、その自衛隊の行動は集団的自衛権の行使で説明することになります。要は、国会で憲法は集団的自衛権の行使を禁じていないという解釈を明らかにしていただきたいのです。もしそうしたことができれば、政府の憲法解釈は乗り越えることができます。もちろん、国会が作った法律をそれでも内閣が憲法違反だと主張するということになりますと、これは困ったことになりますが、そういうことにはならず、それをきっかけに政府が解釈を是正すると考えます。
 本日は、日米同盟と集団的自衛権について考えていることの一端をお話しいたしました。そして、集団的自衛権の行使ができるという憲法解釈を前提にして、限定的な範囲で集団的自衛権を行使できるようにする法律を議員立法で作っていただきたいというのが私のお願いであります。
 最後に、憲法の平和主義について少し考えるところを述べようかと思いましたが、時間が来ましたので、質疑の中でチャンスがあればお話しすることにして、私の冒頭の陳述はこれで終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
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上杉光弘#7
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、佐瀬参考人にお願いいたします。佐瀬参考人。
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佐瀬昌盛#8
○参考人(佐瀬昌盛君) 今、御紹介いただきました拓殖大学海外事情研究所の佐瀬でございます。
 私は、今日、ここに皆さんのお手元にお届けしてある紙、二枚紙ですけれども、「集団的自衛権と日本国憲法」と題しました。そして、今、坂元教授はかなり政策マター的なことに立ち入られたわけですけれども、私はそちらの方をあえて断念いたしまして、それについては最後の段階で少し述べるにとどめまして、このお届けしてある紙に沿って私の考えを申し述べたいと存じます。
 まず第一に、集団的自衛権に関する政府解釈の問題点。これは私は、その時系列に沿っての問題点の指摘と、それから二といたしまして論理的欠陥と、二つの面で私の考えを申し述べたいと思います。
 まず、時系列に沿ってでありますけれども、現行の集団的自衛権についての政府の憲法解釈、これは内閣法制局が昨今は余りこの点を強調されなくなったようではありますけれども、数年前にはこれを非常に厳しく、一貫性を持っているんだということを断言しておられました。ただし、私の見ますところでは、そういう一貫性はなくて、時代による変遷を遂げております。これが第一点であります。その点をもう少し詳しく申しますと、現在の解釈が、私はそこに「固まったのは、」と書きましたが、より正確に言いますと、ほぼ固まったのは一九七〇年代中期のことであるということであります。固まったのは八〇年代に入ってからと言ってもよろしいかと思います。
 それから、ハとして、なぜその時代による変遷があったかといいますと、旧日米安全保障条約、つまり一九五一年締結の旧安保条約でありますけれども、そこでは前文において、国連憲章はすべての国に個別的及び集団的自衛の固有の権利を認めているということを述べた後、直ちに「これらの権利の行使として」という、「行使」という言葉を明確に使っていたわけであります。当時は、ここでちょっと限定を付けますが、当時は日本は集団的自衛権が行使できると考えていたからこそ「これらの権利の行使として」と述べたわけでありますけれども、残念なことに、当時は集団的自衛権を行使する手段がなかったわけであります。つまり、自衛隊というものがまだ存在しなかった時代であります。にもかかわらず、当時、「行使」という言葉を既に使っていたということであります。
 それから、ニといたしまして、現在の一九六〇年安保条約でありますけれども、この日米安保条約承認のために国会審議が行われましたが、当時の国会審議の記録を見ますと、これは岸内閣当時でありますけれども、当時は政府の解釈は明確に制限的保有論でありました。それについて詳しいことはまたお尋ねがあればお答えいたしますけれども、このときには制限的保有論であったと。
 それから、その次にホとして、もう一つ指摘しておかないといけませんのは、我が国が国連加盟に際して、これは鳩山政権が日露国交回復をやった後のことでありますけれども、国連憲章に、とりわけ個別的、集団的自衛権を定めた第五十一条に何らの留保も付けないでこれを受け入れているという点であります。
 その次に、集団的自衛権に関する現行の政府見解の問題点を論理的に眺めてみたいと思います。私はそこに「論理的欠陥」と書きましたけれども、私に言わせますと、この解釈は欠陥品であります。非常に問題のある解釈であります。
 イといたしまして、先ほど坂元教授も言及されましたけれども、政府解釈の特徴は、国際法上は独立国家としてこれを保有しているのは当然だけれども、しかし、憲法上、日本国憲法に照らしてその行使は不可、つまり違憲であるという議論であります。この論の進め方は、憲法上日本が、我が国が集団的自衛権を保有しているのか、それとも保有しないのかという問題の吟味を避けているということであります。
 ここでちょっと注釈を付け加えますと、この点は今から十日とたたない、正確に言いますと二月の十日のようでありますけれども、衆議院の予算委員会でこの点が改めて問題になりました。そして、法制局長官がこれについて独特の見解をお述べになりました。これは非常に注目すべきものでありまして、私はこの答弁は言わばごまかしにごまかしを重ねている答弁だと判断いたします。それは今、時間の制約からここでは詳しく申し述べません。
 それから、その次にこの問題、つまり憲法上日本が集団的自衛権を保有しているのかしていないのかと吟味しますと、答えは三つあります。可能性としては三つあります。憲法上保有せずという答え、憲法上保有するという答え、それから憲法上保有するかしないか分からないという答えの三種であります。
 ただし、そのうちで憲法上保有せずという解釈はほとんど成立する余地がありません。これは国際法上、既にこの解釈が定まる前に憲法に基づいて締結しておる旧、新の、旧と現行の安全保障条約においてその保有をうたっているからであります。
 さてその次、ハとして、そこに憲法上保有するといった場合には、憲法上保有するものを憲法上行使できないというのはいかがなものかという難問中の難問がございます。
 それから、ニといたしまして、憲法上保有か不保有かは分からないという答えは、これは憲法解釈としては言うまでもなく失格であります。
 その次に、ホといたしまして、これは別の意味での現行の政府見解の論理的欠陥でありますけれども、そもそも個別的自衛権と集団的自衛権を別個のものとして見るのは、我が国はそうやっております、これは国連憲章第五十一条の解釈としては国際的には異例中の異例、恐らくは我が国だけではないかと思います。
 そこに括弧書きで書いておきましたけれども、九・一一に関する安保理決議、これは非常に問題になった一三六八にかかわる国際的反応を見よと私書いておきましたけれども、それはいかなるものかと申しますと、あの九・一一の国際テロに対して安保理が行った決議に基づきアメリカは自衛権の行使に踏み切りました。アメリカ以外に合計八か国がやはり自衛権の行使に踏み切りました。これは、日本の説明では、集団的自衛権の、アメリカ以外の八か国はですね、集団的自衛権の行使に踏み切ったと、これは日本的な文脈でそう解釈しています。
 ただし、各国が憲章五十一条の定めに従って安保理にその旨を報告した、各国が届けたレターがございます。そのレターを見ますと、どの国も、アメリカは言うまでもなく、イギリス、フランス、ドイツその他の国々は、合計でアメリカを含んで九か国は、いずれもそこに国連憲章五十一条の定める個別的及び集団的自衛の固有の権利を行使すると、こういうことを言っているわけです。
 つまり、他国は国際的にこの二つのものを引き裂いて、今回我々が使うのは、アメリカが攻撃を、テロ攻撃を受けたから我々はそれに対して集団的自衛権の側面を行使すると言ったんではないということです。自衛権というのは一体として個別的及び集団的な自衛の権利、自衛の固有の権利と、こういう理解であります。それがホで述べた異例中の異例の解釈を日本がやっているということであります。
 それから、その次に、ヘといたしまして、日本国憲法は国家固有の権利、つまりこれは英語で言いますとインヒアレントライトですけれども、私、自分の著書の中で、国連憲章の正文を成すところのロシア語、英語は言うまでもなく、ロシア語、フランス語、中国語、これについて全部紹介しておきましたけれども、英語の場合はインヒアレントライト、日本語はそれは固有の権利でありますけれども、フランス語にしましても、それから中国語にしましても、これを日本語で訳しますと自然権ということです。ですから、国連憲章は国家の自然権というものをうたっているわけでありますが、日本国憲法は国際法に照らして自然権と呼ばれるものを否定するのかということであります。仮にそうだといたしますと、日本国憲法というのは非常に、非常にはこれはベリーの意味ですけれども、非常に非情な、情けにあらずと書く非情な憲法だと言わざるを得ません。
 さて、その次に二枚目に参りますけれども、集団的自衛権の現在の政府解釈に見られる思い違いがあります。それは、一九八二年のこれについての政府の解釈であり、それが今日でもそのまま維持されているわけですけれども、そこには自国と密接な関係にある外国が武力攻撃を受けたときにどうこうするんだと、こういう議論になっているわけです。ただし、これはかなり的外れであります。つまり、自国と密接な関係にある国がどうこうされたので、それに対して我が国はどうこうする権利を持つのかどうなのかというのは日本がやっている議論でありますけれども、これは思い違いであります。五十一条は、読んでみたら全く何の説明もなくて、そういう限定、自国と密接な関係にある国にかかわる権利であるのかどうなのかということは全く問題になっていません。国際的な解釈でもそういう解釈は取られておりません。
 その次に、ロとして、同盟、つまり、これは日米同盟もそうでありますけれども、国連憲章で言いますと第八章の「地域的取極」というものに入るカテゴリーのものでありますけれども、それは同盟国による集団的自衛、集団的自衛権、権が抜けておりますが、行使の保障度を高めてくれます。だから、他国に集団的自衛権を行使してもらいたいという場合には同盟を組みます。ただし、同盟を組んでも集団的自衛権の行使は義務化できないということがあります。権利はあくまでも権利でありまして、同盟国は、共同防衛をうたっていても、集団的自衛権の行使に関しては棄権という立場を取ることも理論上は同盟国間においてさえあり得るということであります。
 さて、それを裏返して申しますと、ハとして、逆に日本政府が言っているような自国と密接な関係にある外国、日本は幸いなことにそれを持っているわけであります。しかし、不幸なことにとは申しませんけれども、そういう自国と特別に密接な関係を持たない国があります。しかも、今日では国連加盟国でさえあるスイスが例えばそうでありますけれども、スイスは自国と特別に密接な関係を持っておりません。ところが、スイスは、国連憲章の言う五十一条の要件を満たせば、集団的自衛権の行使を法理上妨げられてはいないということであります。ということは、繰り返して申しますけれども、自国と密接な関係にある外国にかかわる権利という法制局見解は、これは見当違いだ、思い違いだということになります。
 さて、ニとして、さらに、その自国と密接な関係にあるという場合には、集団的自衛権というのは閉鎖的なシステムということになります。自国と密接な関係にない国が武力攻撃を受けたときには、知らぬよと、それで済ませるのかというと、多くの場合、国際社会というのはつれないものでありますから、知らぬよという態度を取ります。しかしながら、この集団的自衛権というのは、そういう閉鎖的なシステムであるのではなくてオープンシステムであります。つまり、日本とは日ごろほとんどかかわりのない国が武力攻撃を受けた場合に、日本は、あるいは日本がでなくてもよろしいんですが、ある国連加盟国がそれに対して集団的自衛権を行使することは一向に妨げられないわけであります。そういう点で、日本の政府見解には自国と密接な関係にある外国というものを冒頭にうたっているのは、これは思い違いであります。
 さて最後に、数分残されておりますので、若干の補論的考察ということを申し述べたいと思います。
 イとして、これは坂元教授も申されたことですから読み上げるにとどめますけれども、なぜ欠陥ある政府解釈が定着したのかといいますと、これは論理を詰めた結果だというのが法制局見解でありましたけれども、そうではなくて、論理の産物というよりは、これは政治の産物であります。
 それから、ロとして、これは私は最近指摘したことであります。前から考えていたことでありますけれども、ロ、我が国による集団的自衛権の解釈の、解釈権の一方的な対米行使が行われているということです。これは現在、日米安保条約の下で一番重要ないわゆるガイドラインという文書を見ますとその旨が明白であります。ですから、この点では米国はむしろ日本の集団的自衛権解釈をそのまま言いなりに受け入れているということであります。しかし、これは将来、非常に危うい問題をはらむかもしれません。
 その次に、ハといたしまして、私は、日本国憲法の下で集団的自衛権をも憲法上保有している、その行使は可能であるとするのが望ましいと考えます。ただし、それに至る筋道の問題がございます。
 粗っぽく言いますと、要するに、解釈変更でいくのか、それとも改憲でいくのかという議論があります。私の考えを申し述べますと、私はこの解釈が欠陥解釈だと考えております。したがって、欠陥解釈を変更するというのでなくて、私の場合は欠陥を是正するということであります。したがって、私は、解釈是正が本来は正道であると、正しい道であると考えます。
 仮にこの解釈是正をやらずに改憲で、堂々と改憲でとおっしゃる方がいますが、改憲でこの集団的自衛権の行使、明記をする場合には、現在の私が言いますところの欠陥解釈が現行憲法下の解釈として正しかったということになります。私は、これは正しておかないといけないと、少なくとも現行憲法解釈には問題があるということは明確にしておかなければいけないと考えます。
 さて、その次、ホでございますけれども、これは坂元教授とも図らずも非常に近いことでありますけれども、その上で、憲法解釈が是正された上で、さらに、改憲においてこの集団的自衛権というよりは個別的及び集団的自衛権の問題をどう取り扱うのかということがありますけれども、私は以前から、改憲、改訂憲法では集団的自衛権の保有、行使可能ということをうたうべきでないと考えております。仮にうたう場合には、国連憲章第五十一条の認める自衛の固有の権利と、それだけをうたえばよろしいと。
 なぜかというと、一方をうたって一方をうたわないというのは、私は、個別的及び集団的自衛というのは一体、その権利というのは一体のものだと考えていますから、一方だけを強調するというのは愚策であると考えております。
 さて、もうこれで時間、もうあと一分いただきますが、ヘとして、現行解釈を是正することなく個別法制で集団的自衛権の行使には該当しない活動の範囲を今日まで日本は小刻みにどんどんどんどん拡大してきました。ところが、こういうことをやっておりますのは、日本の中でのつじつま合わせにはよろしいでしょうけれども、国際的にはむしろマイナスだと私は考えます。
 なぜかと申しますと、日本は、集団的自衛権の行使は違憲であると言いながら、他国が見たらびっくりするようなところまで個別的自衛権の行使だということで説明しておると。この国がいったん集団的自衛権の行使は可能であると言い出すと、今度は一体どこまでのことをやり出すんだといういわれなき、私はここで申し上げますが、いわれなき誤解を生む可能性があります。したがって、私は、今のような個別法制でどんどんどんどん、これは集団的自衛権の行使ではなくてここまでやれるという状態を続けていくことは、もうここでやめるべきであると考えます。
 時間が参りましたので、以上でとどめます。どうもありがとうございました。
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上杉光弘#9
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 次に、田岡参考人にお願いいたします。田岡参考人。
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田岡俊次#10
○参考人(田岡俊次君) 朝日新聞の田岡でございます。
 時間が限られておりますので、できる限り簡潔に存念を申し上げます。
 現在、集団的自衛権問題は、元々アメリカの方から、憲法、日本の憲法上集団的自衛権を行使できないというのは非常に日米協力上不都合であるから、それは解釈若しくは憲法を改正すべきであろうという議論が出まして、日本でもそれに呼応する方々が少なからざる、おられるわけですけれども、しかし、現実に考えてみて、日本が集団的自衛権を行使することを憲法改正若しくは憲法解釈の変更で認めるとしても、アメリカ人が期待しておりますように、アメリカの軍隊がどこか別の国に出掛けていってそれに日本が助力をする、これが集団的自衛権に当たるかどうかということは、また別の検討を要するものだろうというふうに考えます。
 ブッシュも、これ、まずは日本の、日米安保条約の第五条は、日本国の施政の下にある領域に対する武力攻撃、これに対する共同対処を決めておりまして、国際関係の基本は基本的には相互主義でありますから、ですからそれを適用しますと、アメリカ合衆国の施政の下における領域、アメリカの本土でありますとかハワイとかグアムとか、それがやられた場合に日本が助けようというのであれば、これは集団的自衛権になることはまず疑いがない。
 ところが、現在アメリカが行っております例えばイラクとか、そういった場合にはアメリカ本国に対する武力攻撃が発生しておらないと。ところが、アメリカが第三国の防衛とか報復とか将来の脅威の未然防止とか、そういった目的で軍事行動に出ると、こういう場合に日本が共同防衛、それに共同行動をすると、それは集団的自衛ではなくて、実は憲法の禁じておる国際紛争解決の手段としての武力行使、しかも、それは憲法のみならず、実はサンフランシスコで対日平和条約でも日本が国際紛争を解決するための武力行使はしてはならないということが書いてございますし、安保条約の一条にも同じことが書いてある。だから、この問題を除去すればすべて海外で勝手に日本が武力行使をできるというのは間違いであって、そもそも憲法を変えたところで、まず対日講和条約で日本はそのことをのんでおるので、対日講和条約の破棄でもしない限りは、実はそうそう簡単に海外で武力行使はできるものじゃないということは一つ記憶にとどめておいていただきたいというふうに考えておるわけです。
 具体的に考えまして、例えば韓国が攻撃を受けた場合、韓国はアメリカの同盟国でありますから、ですから、アメリカが韓国を守ることは、これは集団的自衛であることは疑いがない。日本は韓国と防衛、同盟関係がない、また日本の日米安保条約も日本は韓国の防衛の義務を負っているわけではないですから、だから日本が、アメリカ軍が韓国におる、それを支援することがこれは集団的自衛だろうかということは、直ちにそうは言い難いわけでして、ただ、その集団的自衛権の行使に、先ほど佐瀬先生がおっしゃいましたとおり、その同盟関係、密接な関係が存在を是非、絶対に必要とするかどうかということは議論の分かれるところでありまして、私は、仮に同盟関係がなくても、その当該、他国に対する武力行使が起きて、それが自国の安全にとって明白、重大な脅威をもたらすと、それゆえに、その当該国が要請をしてくるという場合にその国の防衛を手伝うことは、これは集団的自衛に当たるんだろうと思います。
 しかし現実には、韓国がそのような要請を日本にしてくるということは余り考え難い。なぜかといいますと、北朝鮮と韓国では元々GDPが三十倍以上の差があり、アメリカとメキシコ以上の実は差がありまして、軍事的にも圧倒的に韓国が優勢。ですから、作戦計画五〇二七号という米韓合同作戦計画でも、もしも北朝鮮が手を出すんであれば、ソウルの北側で捕捉、撃滅をして、そのまま追撃をしてピョンヤンに迫り、更に中国国境の百キロほど手前の清川江岸まで前進して、そこで停戦、一時止まって、中国と話をして統一するというのが韓国の今の作戦計画の基本であって、もうとにかく韓国としては北朝鮮の脅威というのは余り感じておりません。ですからこそ、例えば最近でも原子力潜水艦を韓国は建造すると。それは何のためかというと、日本との戦争に備えるんだと。もう事あるごとに韓国軍は日本日本と議会で言わざるを得ない。なぜかというと、国民が北朝鮮と言ったってだれも聞いてくれない。
 例えば、一つ笑い話もありますが、例えば九九年に朝日新聞と韓国東亜日報が共同で世論調査をいたしました。その中に北朝鮮の脅威を感じるかという中に、強く感じるというのは日本で三三%、それで、直接国境を接しています韓国では一一%と実に三対一の開きがあった。これは、韓国にしてみれば、昔から北朝鮮を見ておりますから、だから相手も相当弱くなったもんだと。しかも、中国もロシアもこちらに付いてくれたからもう安心だというのが韓国人の発想ですから、だから現実に戦争になっても、韓国軍、と米軍もおりますから、それはもう別に日本の助力を得ずに勝てることは恐らく明らかで、そういう要請をしてくるということは余り具体的にあるまいというふうに考えます。
 それから次に、台湾に関しましては、これは一九七二年の日中共同声明で、日本はそれが中国の領土の一部であるとの中国の立場を十分理解し尊重するとしております。ですから、これは日本としては、そういうトラブルが起きた場合には、これは内乱と見るしかない。台湾自身が独立を宣言していない。当然、日本もアメリカも台湾を独立国として承認していないわけですから、もしもアメリカが台湾をめぐる紛争に関して軍事行動を取るとする、これはアメリカ軍が内乱に介入しておるんであるというふうに見るしかないのであって、それを助けることは集団的自衛だということがあるわけがない。アメリカの自衛を助けることが集団的自衛なんですから。ですから、もちろん、台湾はしかも国じゃないから、これは助けるわけにいかない。
 よく言われますのは、これは少し、若干一理はあると思いますが、米、アメリカの艦船が日本の防衛の目的で航海中に公海で行動を受けるとすると。この場合、日本がそれと共同防衛を取るのは日本防衛の、集団的自衛に当たるだろうと。だから、それだから集団的自衛を認めることは必要なんであるという議論、これは一理あると思いますが、よく考えてみますと、もしもアメリカの軍艦が日本防衛のための行動を取っている場合に、それを守ることは、これは必ずしも集団的自衛じゃなくて、元々日本の防衛のためなんだから日本の個別的自衛の範囲内であろうと。しかも、これはアメリカの軍艦に限る必要がなくて、実は大事なのは、それ以上に大事なのは、日本はその食糧自給率四〇%の国でありますから、しかも日本の商船を、ほとんどなくなってしまって外航船が、外国船に頼っているわけですから。だから、外国の船が日本の生存、独立の維持に不可欠な物資を運んでくる場合、それが公海上で攻撃されようとする場合、これを守ることは、これは日本の個別的自衛権の発動というふうに考えるしかあるまいというふうには考えております。
 集団的自衛権を認めるということにしますと、アメリカがいろんなところに手伝いに来てくれということをますます言いやすくなるんじゃあるまいかということを考えます。アメリカが純粋に自衛をする場合に、これを手伝うということは構わないとしても、現実には、アメリカはそうでない場合、例えば九九年のユーゴスラビアの爆撃、あれなんかは安保理の決議を得ていない全く法的に怪しいものですし、それから九八年にアフガニスタンに六十六発、スーダンに十三発トマホークを撃ち込んだ事件もございましたし、これもアメリカは自衛権の発動と言っている。それから、パナマの侵攻とかグレナダ侵攻とか、とにかくこういった例はもう無数にありまして、そのたびにおおむね自衛権の発動であると言っているわけですから、これに集団的自衛で日本も出てくれと言われたら非常に迷惑、日本にとって不利だと思います。
 もちろん、集団的自衛権行使を憲法を改定し解釈変えて認めるとしても、日本がきちっと判断ができて、それで出るか出ないか決めるフリーハンドを完全に持っておれば、この問題は生じないと思います。ただ、現実にはどうかといいますと、憲法九条の制定からその後の五〇年の警察予備隊の創設も、今回のイラク派遣に至るまで、もう常に日本の防衛政策はこの半世紀以上アメリカの主導下にあって、その意向をほとんど一〇〇%反映してきたんじゃないかと。
 例えば、一九七八年に思いやり予算というのを金丸さんが六十二億出しました。あれはなぜ思いやりと彼が言ったかというと、地位協定の二十四条は合衆国軍隊の日本駐留に伴う経費はすべて合衆国政府が負担するんだと書いてあると。そこで、彼は根拠を問われて、何が根拠ですかということを防衛庁記者会で問われて、彼困って、いや、知り合いがお金に困っているときは思いやりの気持ちを持つのが人間として当然でありますというようなことを言われたので思いやりになったんだが、結局、そういうふうに協定に反してすらそういうふうに出す。そこでアリの一穴を空けてしまうと、現在のように二千四百六十何億円というふうな、そういった巨額に膨らむわけですから、だから今回でも、またその集団的自衛権を行使できるんだというようなことにすると、またそこでアメリカがどんどんやってくれやってくれと言ってくるかもしれない。
 幸いなことに、今まで、集団的自衛権は行使できないという説、これがやや論理上ちょっと難しいところがあるとしましても、これが有効な防波堤にまでなってきてくれた、これに穴を空けることが要るであろうかと。もしもこの防波堤がなければ、例えばベトナム戦争中に韓国と同じように日本も出ろ出ろと言われて困ったでしょう。もしも出れば韓国のように、韓国、あれは五万二千ほど出しまして、それで五千人以上、五千四百人か何かの戦死者を出し、二万五千の負傷者を出しておりますけれども。だから、ベトナム戦争に引っ張り込まれずに済んだのも、こういったことを何かいろいろ憲法上の制約とかいろんなことを言っておったから何とか引っ張り込まれずに済んだという、非常にそういう点では過去においてこれは有効な防波堤として成功してきたというふうに思います。
 もしも、アメリカ人によく私冗談言うんですが、アメリカ人が片務的だと言うんで、じゃ結構だと、じゃアメリカ軍がもしも、アメリカがこういう本土が攻撃されれば、アメリカの施政権下における領域が攻撃されるんであれば、それは日本はお助けしましょうと、しかしその代わり相互主義ですよと、そうすると自衛隊としては当然アメリカに基地を幾つかいただくと、その維持費はアメリカに負担していただくと、そうなればこれで、全くこれで対等で相互主義ですなどと言うと、彼らはもう困って、いやそれは、いやそんなことは考えているわけじゃないんだといって言うんですけれども。
 つまり、そうでも言わないと、彼らは自分たちが日本にいかに世話になっているかということを思わない。助けることばっかり言って、自己中心的に言って、我々は一方的に任務を負っていると言いながら、片方で、日本が一方的に基地を貸す義務を負い、しかもそれに対して年間いろんな経費まで入れますと六千五百億円の補助金を出しておるということを知らないわけですから。だから、片務性からくる集団的自衛権を認めろという議論は、本当に全く自己中心的な愚劣な議論であろうというふうに思います。
 日本が、日本人が一般に安全保障問題でこういうふうにアメリカの意をどうしてやすやすと迎えるのかということを考えますと、一つはやはり、アメリカ軍が日本を守っておって日本は守られておるんであるという一種の劣等感がある、これからくるんだろうと思います。ただ、現実には日本を守っているのも自衛隊であって、在日米軍で日本を守っている部隊というのは一つもございません。これはアメリカの議会でもそういうことを言っております。
 例えば沖縄の部隊に関しても、なぜ沖縄に兵力を置いて日本を守っているのと。いや、そうじゃありませんと、あれはどこか別のところに派遣するために日本に待機さしておるんであるということを言っておりますし、例えば一番端的な証明は、九七年に九月に改定されました日米防衛協力の指針、この英文では、自衛隊が日本の防空、それから周辺海域における船舶の保護、それから日本に対する着上陸侵攻の阻止、排除、これにプライマリーリスポンシビリティー、一義的責任を有すというふうに書いてございます。
 これですと、じゃ、何のために米軍がおるのかと、何のために思いやり予算を出しているのか分からなくなりますから、そこに疑問が生じるので、日本文では、自衛隊が主体的に対処するという意図的誤訳、若しくは非常にぼかした表現をしておりますけれども、この表現自体、この英語のプライマリーリスポンシビリティーということ自体、これはもう日本、自衛隊が既に成長して、核を除いては日本の防衛に十分な能力を持ち責任を負っているという現状を追認したわけでありまして、ですから、日本がこういったアメリカに不要な劣等感を持ってアメリカの言うことに唯々諾々と従うという必要は全くないのでありまして、日本としては、とにかくアメリカが現在行っているようなとても自衛と言えないような行動、それに引っ張り込まれないということは最も日本としては気を付けるべきことであろうというふうに考えておる次第であります。
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上杉光弘#11
○会長(上杉光弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終了いたしました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問かをお述べください。また、時間が限られておりますので、質疑、答弁とも簡潔にお願いいたします。
 福島啓史郎君。
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福島啓史郎#12
○福島啓史郎君 まず、坂元先生にお聞きしたいと思います。
 先生は、今の日米同盟、日米安保条約ですが、これが物と人との協力から人と人との協力に徐々にバランスを移していくべきだという、私も全く同感でございます。その一つの動きが、中曽根総理大臣のときに日本が行いました日米の武器技術供与ではないかと思うわけでございます。当時のハイテク技術を日本が米国に供与したということでございます。
 今、同様に、BMDのミサイル防衛の日米共同技術開発を行っておりますが、その中で、今、日本が持っております高度な技術をアメリカに供与していく、またアメリカで開発されたものを日本も使っていくというような形での、正に物と人、人と人との間の途中段階としてはそうした技術を通じての協力関係というのもこのバランスを取っていく一つの方法だというふうに考えるわけですが、いかがお考えでしょうか。
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上杉光弘#13
○会長(上杉光弘君) どなたにお伺いですか。坂元先生ですか。
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福島啓史郎#14
○福島啓史郎君 最初に言いました。
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坂元一哉#15
○参考人(坂元一哉君) お答えします。
 私は、ここに物と人との協力に人と人との協力を加味していくといいますか、このバランスを取っていくというのは、我が国の憲法の制約するところ、またアメリカの憲法の制約するところ、そういうのをお互いが勘案しながらお互いの協力の幅を広げていこうということでございます。そういう観点からしますと、技術協力のようなそういう協力できることを増やしていくということにはもう全面的に賛成でございます。
 これは、できることを増やすというのが大事なことでありまして、それをまた具体的にやるかやらないかというのはその時々の政治の判断ということになると思います。
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福島啓史郎#16
○福島啓史郎君 同じく坂元先生にお聞きしたいわけでございますが、集団的自衛権についての憲法解釈の変更の手段、手続についての御質問なんですが、私もこの点につきましては平成十三年の十月二十六日の参議院外交防衛委員会で当時の津野法制局長官に質問をしているところでございます。
 津野法制局長官の答弁は、御案内のとおりの答弁なんですが、要するに、国際法上国家は集団的自衛権を有するが、憲法九条との関連で、つまり自衛権発動というのは三つの要件という極めて限られた条件下での発動だということから見て、他国に加えられた武力攻撃を阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は憲法上許されないと答弁しているわけでございます。この答弁につきましては、この解釈につきましては、これは内閣法制局の解釈ではなくて、政府の解釈であると。この政府の解釈は過去幾多の国会での議論の積み重ねによって固まってきたものだと、したがってその変更については十分慎重でなければならない、また非常に難しい問題だと、当時の津野法制局長官は述べているわけでございます。
 その変更の法的手続につきまして、私が二つの可能性を質問したわけでございます。一つは、坂元先生、先ほど言われました議員立法によって解釈を変更するという方法でございます。これにつきまして津野長官は、国会の権能についてとやかく申すべき立場にはないと、したがって私どもの方からお答えすることは差し控えたいという答弁でありました。
 また、もう一つの法的手続としまして、政府解釈であるならば閣議決定で変更し得るんではないかと、閣議決定による解釈の変更につきましてただしたところ、先ほど申し述べましたような、過去の議論の積み重ねによって固まってきた解釈であると、どのような手順でどういうふうな、どういうふうに変更するかということについては考えたことがないと、答弁は差し控えたいという答弁でありました。要するに、内閣法制局というよりも政府としては、この現行憲法下において集団的自衛権の行使は憲法上許されないという解釈は、要するに従来、長年の議論の積み重ねによって固まってきたもので、要するに変えられない、一言で言えば変えられないと。その変える手段も、法制局長官流に言えば考えたことがないということでございます。
 そのことを突き進めていけば、仮に議員立法で、坂元先生の言われるように議員立法でこの解釈変更法を出したとしても、政府はこれに反対するということになるんだろうと思うわけでございます。そうしますと、その法案は一般的には成立しないだろうと思うわけでございます。
 したがって、私は、閣議決定による解釈の変更、あるいは議員立法による解釈の変更ではできなくて、この憲法改正、特に九条の改正をしなければならないというふうに考えるわけですが、いかがでしょうか。
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坂元一哉#17
○参考人(坂元一哉君) お答えします。
 まず最初の、政府が長く言い続けてきたことであると。長く言い続けてきた、おかしな解釈だと思いますが、それは変えられない、長く言い続けてきたから変えられないというのは、今の政府の聖域なき構造改革の路線にはやや私は反しているのかなというふうに思いますが、しかし、それでも駄目だということであれば、やはり国権の最高機関である国会の判断をしていただきたいと。その国会の判断が出た後でも、それでも変えられないということを、本当にそれができるんだろうかと、私はそこはいぶかしく、また逆にいぶかしく思うわけであります。
 そうなった場合には、相当な大きな、いわゆる政局ということにもそれはなろうかというふうに思うような大きなことではないかと思います。国民の判断を仰がなきゃいけないということになるかもしれません。また、憲法判断ということで最高裁の何らかの判断もあるかもしれません。
 いずれにしろ、そういうことで、アクションを起こしていただく中で、内閣もその解釈を変えていくと、きっかけになればよろしいかなというふうに思っております。
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福島啓史郎#18
○福島啓史郎君 今、敷衍して言えば、更に付け加えて言うならば、要するに政府としては、仮にそういう議員立法の動きが出たときに反対をせざるを得ないという立場に立つんではないかということを申し上げたわけでございます。
 次に、佐瀬参考人にお聞きしたいと思います。
 私は、今の憲法は当時の憲法制定時の状況を勘案して考えなきゃならないと思うわけでございます。つまり、当時の状況は、天皇制を取るか、あるいは戦力の保有を放棄するか、それをセットでしか、セットとして受け入れるか、あるいは両方とも受け入れないかというその選択であったと思うわけでございます。つまり、天皇制の保持と九条の戦争の放棄というのは、言わば一体としたものとして受け止めざるを得なかった、要するに受け入れざるを得なかったというのが当時の状況ではないかと思うわけでございます。そのことは、今の憲法の第一章が天皇であり、第二章が戦争の放棄であるということから見ましても明らかなとおりであります。
 で、この天皇制の保持につきましては、私は賢明な選択であったと思うわけでございます。この占領時の混乱、イラクのような混乱はなく、かつこの五十年間、以降の戦後の歴史を見ますと、象徴天皇制というのは十分に定着して機能してきたと思うわけでございます。それに反しまして、九条の方は非常に定着していない。今ここに議論しておりますようなことが状況の変化に応じて、この集団的自衛権を特にめぐって議論が行われてきたわけでございます。
 こうしたこの憲法制定時の事情から見て、この九条、戦争の放棄を受け入れることはやむを得ざることであったというような考えについては、佐瀬先生はどういうふうにお考えでしょうか。
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佐瀬昌盛#19
○参考人(佐瀬昌盛君) 私は、お説にはほぼ同意いたします。
 ただ、その憲法九条の問題でありますけれども、これは一項と二項とではかなり性格の違うものであります。一項は、あえて申しますと、これは第一次大戦後、いわゆる戦争をどのようにして違法化していくのかという国際社会の動きに合致して、九条一項の文言というのは不戦条約にも、これは現行有効な条約でありますけれども、の精神も受け継いでいるものであって、私はこれを必ずしも否定する必要はないと思いますけれども、二項について、戦力不保持という要約が行われている二項については、私、別のところでも書きましたけれども、これは、日本国憲法がこんなに長もちするだろうとは考えなかった米国は、当然のことながら当時の日本占領政策の一環として書いたと、そう考えております。日本占領政策の一環というのは何かといいますと、一、非軍事化であります。二、民主化であります。三、俗な言葉で言いますと財閥解体と、そういうことでありまして、その見地から出ているものでありますから、私は、九条の問題は一項と二項とを分けて、そして二項の、当時の占領政策から出ている二項は少なくとも削除すべきだと、こう考えます。
 以上です。
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福島啓史郎#20
○福島啓史郎君 今、佐瀬参考人の言われた二項、たしか一項と二項、違いはあることは事実でございます。ただ、二項の書き出しが「前項の目的を達するため、」ということで、そこにファジーなところがあるわけですね。それが今の自衛隊保有が憲法合憲であるということの基にもなっていると思うわけでございますけれども、ブリッジする規定があるということなので、新しい憲法を考えるとき、一項を存置し、二項だけを削除するあるいは変えるというようなことでいいのかどうか、更に私は検討を要する点ではないかと思うわけでございます。
 それでは、二番目の佐瀬先生に対する質問でございますけれども、先生、このレジュメの中でも言っておられますけれども、憲法上保有する、あるいは憲法上保有か不保有かは不明、あるいは憲法上保有せずということを、憲法の規定と集団的自衛権に関する政府の見解の問題点として指摘されているわけでございます。私は、先生も触れられたわけでございますが、憲法上保有、不保有論はもう明らかだと思っております。つまり、憲法上保有するということを前提にしていると思うわけでございます。
 それを、先ほど先生も言われましたように、旧安保条約では、「平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。」と、「これらの権利の行使として、」と、正に先ほども言われましたように、行使として結ぶんだということを言っているわけでございますが、ここでも、「主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、」と言って明確にしているわけでございます。また、新、つまり現行の安保条約でございますが、におきましても、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」というふうにしているわけでございます。当然のことながら、憲法は条約の上位でございますから、憲法に反する条約は締結は認めることはできないわけでございますから、当然のことながら憲法上は明らかであるというふうに考えるわけですが、いかがでしょうか。
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佐瀬昌盛#21
○参考人(佐瀬昌盛君) 今の点に直接お答えすることになるかどうかは分からないんですけれども、実は旧安保条約と現行安保条約の個別的及び集団的、これ個別的あるいはという言い方もありますけれども、集団的自衛の固有の権利を確認している確認の仕方は違います。これは多くの人は見過ごしておられるようですけれども、旧安保条約では国連憲章はなんです。現行安保は両国はなんです。日米両国なんです。
 したがって、私は現行憲法の下で国連憲章がああ言っているから我々持っているというのでなくて、我々独自の判断として、国連憲章に定められているところを日米双方が持っていることを確認していると言っているここのところに注目いたしますと、そういたしますとどういうことになってくるのかというと、それを後の憲法解釈で保有しないと、行使不可、行使不可が明白であるから、保有不保有の問題は論じるに当たらないと言わんばかりの昨今の、昨今のというのは今から八日前ですか、の内閣法制局長官のお言葉は、とてもではないが私を承服させるものではないと、こういうことでございます。
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福島啓史郎#22
○福島啓史郎君 もう一問、佐瀬参考人にお聞きしたいわけでございますが、今参考人言われました、今の、現行の安保条約の「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、」と言っているわけですね。おっしゃったように、両国が確認しているわけでございます。これは憲法の下で確認しているわけですから、当然有していると、憲法上も、この「個別的又は集団的自衛の固有の権利を有している」ということは憲法上も当然のことだという前提に立っていると思うわけでございます。
 それで、この五条でございます。五条で、「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」と。
 したがって、この五条を、先ほどちょっと議論でありましたけれども、素直に読めば、日米両国は、日本国の施政の下にある領域におきまして、いずれか一方の武力攻撃があれば、自国の憲法に従ってその危険に対処する、要するに攻撃を、攻撃があればその攻撃に防戦をすると言っているわけですね。
 ただ、ここで書いてありますように、「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」とあるがために、先ほど申しましたように、現行憲法の解釈上、集団的自衛権の行使は認められないと言っているんで、日本は米軍、アメリカに対する攻撃があっても日本は、この「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」ということになれば、共通の危険に対処することを行動することはできないという解釈になる、ならざるを得ないと思うわけでございますが、こうした考え方についてはいかがお考えでしょうか。
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佐瀬昌盛#23
○参考人(佐瀬昌盛君) その問題はこういうことだと思います。先ほど申しましたけれども、現在の日米安保条約を締結した岸内閣の解釈は、繰り返しますけれども、我が国が例えばアメリカが武力攻撃を受けたときにアメリカまで出ていってアメリカのために自衛権を行使するという、そういう自衛権の、集団的自衛権の行使は、これは現行憲法下ではできないでしょうと言っているわけです。しかし、その他のものでは現行の憲法で、集団的自衛権は禁じられているとは思わないから、だからいろいろな形で対応できますと。
 つまり、今そこのところは、もう亡くなった方ばかりですから確かめようがございませんけれども、当時の自衛隊の持っている能力も一つの判断材料であったと思います。
 当時の日本の自衛隊が持っている能力からして、日本が在日米軍に対する武力攻撃に対して武力行使という形で対応できると当時の政権が考えたかということになりますと、私は到底そうではないと、そういう能力すらも欠けていると見ていたと考えております。だからそういう文言が入ったんだと考えます。
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福島啓史郎#24
○福島啓史郎君 時間の関係で、田岡参考人にお聞きしたいと思います。
 参考人は、この集団的自衛権行使に事前の同盟の存在を必要とするか否かは議論が分かれるというふうに言っておられます。私は、確かに同盟関係がなくても集団的自衛権を行使する場合があると、当たる場合があるということは私も認めます。しかし、この同盟関係を条約により明確化しておくことは、意思決定をスムーズに行う、あるいは抑止力という観点からもその方が望ましいと思うわけでございます。
 要は、集団的自衛権をどう行使するか、正に条約なりあるいは国内、それを受けた国内法によってその範囲を明確化していかなければならないと思うわけでございます。
 その点に関して言えば、NATOでは、これはヨーロッパ又は北アメリカに対する攻撃というふうに一般的な地域をしておりますし、日英同盟では、第一次条約、第二次条約という形で多少違いましたけれども、要するに、極東を対象とし、日米安保条約で先ほど言いましたように「日本国の施政の下にある領域」と言っておりますし、米韓では行政管理下の下にある領域で太平洋地域である武力攻撃だというふうに言っております。
 要は、どういう形で集団的自衛権を行使するかといいますのは、条約なりそれを受けた個別法で決め、その範囲を明確化すべきだというふうに考えるわけですが、これについてはいかがでしょうか。
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田岡俊次#25
○参考人(田岡俊次君) もちろん、条約があった方が確かに簡単に発動できるということはあると思います。
 ただ、現実には、その場合、アメリカとじゃなくて、むしろその守るべき客体の国、例えばこの場合ですと、まあ一番具体的に言えば韓国なんでしょうけれども、韓国と日本が同盟条約を結ぶということがそれは前提になってくるわけで、それを、とても韓国はそういうことに応じるとは思えないし、また日本にとってもそれが、果たしてそれが利益か否かというと疑わしい。まして台湾になってきますと、これは独立国として認めていない、彼ら自身が独立も宣言もしていないわけですから、これと同盟条約を結ぶことはあり得ない。
 だから、具体的にはどこと同盟を結ぼうというのかという問題が出てこようかというふうに考えます。
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福島啓史郎#26
○福島啓史郎君 ありがとうございました。
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上杉光弘#27
○会長(上杉光弘君) いいですか。
 若林秀樹君。
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若林秀樹#28
○若林秀樹君 民主党の若林秀樹と申します。
 大変参考になるお話、ありがとうございました。私も、この集団的自衛権の問題につきましては、これまでの神学論争を聞きながら、何ゆえに個別と集団が分かれていなきゃいけないのか、ある意味では一体化としてとらえることがごく普通の、常識で考えてそうではないかなというところもこれまで疑問に感じてきたところでございます。そういう意味で、非常に私の頭の中でも少しずつ整理されつつあるなというふうに思いますが。
 まず、坂元参考人にお伺いしたいんですが、世の中では集団的安全保障と集団的自衛権が混同されて使っているんではないか、むしろこれは別個の問題で、これをきちっとどういうふうに国民に説明したら一番分かりやすく混同しないのかと、その辺について学者の立場からちょっとお答えをいただきたいと思います。
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坂元一哉#29
○参考人(坂元一哉君) 確かにそういう混同があるようにも思います。集団的自衛権の解釈につきましては、もう学者の間で見解は分かれておりまして、自国と密接な関係にある国というものをどう考えるかというようなそういう問題もあって、そのことがあって、じゃ自国と密接でない国でもこういう権利が行使できるということになったら、じゃそれは全体の集団的安全保障とどう違いがあるんだと、こういうような話につながるところがございまして、混乱させるところが確かにあるなというふうに思います。
 私自身は、やや、集団的自衛権をすごく狭い権利と考えておりまして、国際法上の全体の法理からしますと、確かに佐瀬先生のおっしゃるように、自国と密接な関係になくても言わば正当防衛のようなもので考えて、この急迫不正の侵害を受けた自己又は他人を助ける権利と、こういう形で説明するのが分かりやすいのは分かりやすいんですが、しかしこれは、できたときの経緯を考えますと、やはりこれはそもそも全米相互援助条約のはしりになりましたチャパルテペック規約、この問題から発生しておりまして、やはり、自国と密接な関係にあって、その同盟関係にあるような国々をどう守るかというところから始まった権利だと思いますので、私自身はそこを狭く考えまして、私の言っている集団的自衛権というのは、アメリカに対する、アメリカへの、アメリカがいわれなき攻撃を受けた場合に助ける権利があるかないかという、まあそういうことで考えている。あるいはまた逆に、日本がそういう防衛条約を結んでいるアメリカから助けてもらう権利があるかどうかと、そういうことを考えております。
 実は、その集団的安全保障自体がこれは大きな問題で、それ話し出すと長くなるんですが、いかがいたしましょうか。
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