高見勝利の発言 (憲法調査会二院制と参議院の在り方に関する小委員会)
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○参考人(高見勝利君) 本日は、意見を述べる機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。お役に立つかどうか分かりませんけれども、どうかよろしくお願いいたします。
それでは、早速、二院制と参議院の在り方をめぐる論点につきまして、その概要を述べることにいたします。
ここで論点というのは、専ら憲法上の論点を考えております。そこで、この憲法上の論点を明確にする方法として、仮に憲法の二院制と参議院制度に手を加えるとして、その場合に生じ得るであろう憲法上の問題点を拾い上げる形で論点となるものを摘示してみることにいたします。
しかし、それだけでは規範的な現実との接点がありませんので、その場合にも、現行憲法や外国の憲法制度をにらみながら、問題となり得る諸点にも触れることにいたします。また、その過程で、問題の背景を明らかにするために、現行憲法が二院制を採用し、参議院制度を設けた趣旨、目的等、憲法制定時の議論ないし発想に必要な限りで立ち戻ることにいたします。
なお、第二院ないし参議院の意義、役割、その権限、組織は相互に密接に関連しておりますので、その相互関連性にも留意しながら、参議院の憲法上の権限及び組織の在り方に関する論点の指摘を試みることにいたします。
以上のように話を限定いたしますと、ここで紹介できる論点は憲法にかかわる多くの問題点のうちの一部にとどまることになるわけでありますけれども、この点はお許しいただきたいと思います。
これからお話しする内容は、大略次のようなものであります。
最初に、現行の二院制から思い切って一院制に移行するといたしまして、その場合に憲法上考えておくべき基本的な論点を指摘することにいたします。
次に、二院制を維持する場合でありますが、一九四六年二月ないし三月の時点にさかのぼって、二院制導入を決断した松本烝治の見解に即しながら、参議院の存在意義ないし役割について確認しておくことにいたします。
以上のことを前提に、本日の私に課せられた本題ということになりますが、現行の参議院制度に対して理論的に考えられ得る幾つかの変更を加えた場合に浮上する論点、及び現行制度を前提とした場合の問題点ないし論点の指摘を試みることにいたします。
すなわち、第一に、参議院の権限を現状よりも縮減するとして、その場合に権限の縮小と議院の民主的正当性ないし選出方法との関係をどう考えるかという問題であります。
第二に、逆に、参議院の権限を現状より強化して衆議院と対等化した場合に浮上する問題についてであります。
第三に、憲法で参議院の地域的な、地域代表的な性格を明確にした場合、投票価値の平等という憲法上の要請との調整をどうするかという問題であります。
それから第四に、議員の選出ないし選挙の方法に関連して、本年一月十四日の大法廷判決で最高裁判所が憲法上の要請だというふうにいたしました投票価値の平等を、現行制度の枠内で果たして実現することが可能かどうかという問題でございます。
第五に、現行の権限、組織の枠組みを基本的に維持した上で、参議院の独自性を高める方式として、実際の運用に期待すべきところが大変大きいのではないかという、そういった問題でございます。
それから最後に、憲法上、参議院に対して衆議院にはない特別の権限を付与する場合の問題でございます。
以上の諸点について、以下、それぞれの要点のみをお話しすることで進めてまいりたいと思います。
まず、一院制の問題でありますけれども、一院制案については、現在、衆参両院を対等に統合し新しい一院制の国会を作るといった、二院制から一院制への移行の手順に関する提案はなされておりますけれども、しかし一院制それ自体の具体的な内容は、憲法で定める国会の組織はもとより、その統治の仕組みの全体にまで波及する大きな問題でもあるからでしょうか、今のところまだ十分には詰められていないようであります。
そこで、ここでは、一院制の内容はともかくといたしまして、ただ単に二院制を一院制に切り替えるとして、その際、憲法上留意すべき点として次の三点に絞って指摘しておくことにいたします。
まず第一に指摘しておきたいのは、一院制議会における少数派の権利をどう確保、保障するかという問題であります。
一院制というと、直ちに少数派ないし少数者の権利あるいは利益ということを連想するのは、民主政治が多数派専制に陥ることの危険性を指摘しましたトックビルでありますとか、あるいは、人々のどのような集団であれ、ほかのだれの同意も求めず、一時的であっても彼らが意のままに支配することはあってはならないというふうに説きましたミルのような、そういった考え方に近いからかもしれませんけれども、そうでなくとも、一院制といえば少数者と連想するのは、一院制の国会審議において多数派がその数の力に任せて少数意見を無視し強引に突き進むという事態が比較的容易に想定し得るからでありましょう。一院制の国会では後に第二院が控えていないだけに、こうした事態は少数派とそれを支持する国民にとってより深刻であります。
そこで、憲法で一院制を制度化しようとする場合には、多数決原則により運用される民主政治において、容易に傷付きやすい少数派の意見表明ないし審議権をどのように確保するかということは真剣に考えておくべき論点の一つであります。二院制の場合には、仮に第一院において与野党間の対立で混乱し審議ゼロといった事態が生じたとしても、第二院において傷付いた少数派の権利、利益が少なからず治癒ないし修復され得る保障はあるのでありますけれども、一院制の場合にはその可能性は皆無とも言えるからであります。
なお、これに関連して、第二次世界大戦後、二院制から一院制に移行した北欧のある国において、少数派が議長に対して最終議決まで一定の期間を据え置くよう求める権限でありますとか、法律案が最終可決された場合でも少数派が議長に対して国民投票に付するよう要求する権限を憲法で保障している点が注目されます。また、一定数の議員が、議会から独立した公正な審査機関に対して、憲法上疑義があると考える法律の憲法適合性について申し立て、その審査機関が、国会の議決から審署、公布までのごく限られた期間でございますけれども、この期間に当該法律の憲法上の疑義について決着を付けるといった制度の採否も、多数派主導の一院制議会の立法に対する憲法的統制の手段として一つの論点になるのではないかと思うのであります。
第二の問題は、解散権の濫用にわたる行使の可能性について、これをどう封じるかということでございます。
現行の二院制の下でも、任期満了前に議員の資格を奪う解散権は衆議院議員にとって脅威であるわけですけれども、他方、この憲法上の権限を実際に保持する内閣総理大臣にとっては、国会を中心とした国政運営上の最強の武器、いわゆる伝家の宝刀であることは言うまでもないわけであります。一院制の国会では、もとよりその会議体を構成する全議員がもろにこの強力な武器と向かい合うことになるのであります。特に我が国の場合には、現行憲法の下で、一九五二年八月の第二回衆議院解散以来、憲法七条によって内閣に実質的な解散決定権が存するとの慣行が成立し、内閣を率いる総理大臣による自由な解散権行使が事実上容認された形になっております。したがって、一院制への移行を考えるに当たっては、この解散権が濫用にわたらないように憲法上何らかの工夫を施す必要がありはしないかということもまた重要な論点として浮上してくるのであります。
申すまでもなく、解散制度は本来、解散に続く総選挙によって主権者たる国民の審判を仰ぐという、すぐれて民主的な機能を有する制度であります。それゆえ、解散権の行使につきましては、国民の最終判断を求めるにふさわしい理由、構図がなければならないものとされております。その典型例は、内閣と国会とが国政の在り方や法案等の取扱いをめぐってのっぴきならない状態、すなわちデッドロックに陥った場合に、国政の停滞を打開すべく、国会が内閣不信任を決議し、内閣が総辞職か解散かの選択を迫られる場合でありましょう。これは、現行憲法の六十九条が想定する事態でありまして、一院制を採用した場合でも、そこで議院内閣制の統治システムが前提とされている限り、憲法六十九条に相当するような規定は不可欠でありましょう。
もちろん、それ以外にも、国民に対して最終判断を求める必要がある場合として、例えば内閣の重要法案や予算案が国会で否決された場合でありますとか、政界再編等で内閣の性格が基本的に変化した場合でありますとか、又は総選挙の争点とはならなかった重大な政治課題に新たに対処しなければならなくなった場合でありますとか、内閣がその基本政策を根本的に変更する場合などが考えられるでありましょう。
そこで、このような解散の趣旨、目的からいたしまして、国民の判断を仰ぐ一定の合理性があると認められるものを憲法で限定列挙して、解散権行使が恣意にわたることを防ぐ方策を事前に講じておくべきかどうか、これも一つの論点になり得るものと思うのであります。
なお、一院制の国会が解散され、総選挙となり、国会が存在しない間に緊急に国会の議決を必要とする事態が生じた場合に、現行の参議院の緊急集会制度のような国会全体の機能を代行する制度をどうすべきかということも解散制度との関連で一つの論点となり得るものと思われます。
第三に、これが最後でございますけれども、現行憲法の下での一院制への移行は、憲法九十六条一項の改正、すなわち国会による憲法改正案の発議について、衆参各議院の総議員の云々、三分の二とありますけれども、云々から、それから一院たる国会議員の総議員の云々への手続変更を伴うことについての理論的な問題につきましても十分に考えておく必要があるということであります。これは、そもそも憲法改正規定の改正は可能かという、古くて新しい憲法上の基本問題に触れることになるからであります。
学説は、これを可能とするものから不能とするものまで種々に分かれておりますが、有力説は、憲法改正規定の改正は憲法の同一性を損なうもの、言わば自殺行為であって、法的に不可能である、不能であるとするか、それとも、憲法改正の根拠となっている憲法制定権力そのものに重大な修正が加えられない範囲のものならば一定程度、許容され得るとするかのいずれかを取っております。
そこで、仮に後者の説に立って、憲法改正規定である第九十六条の改正が一定の範囲で許容されるとした場合であっても、九十六条の発議要件の緩和はどこまで許されるのか、一院化に伴う発議要件の大幅な緩和は憲法の許容する範囲内のものかどうかといった点につきましても十分に詰めて考えておくべきものと思われるのであります。
以上が、二院制から一院制に移行すべきものとした場合の憲法上検討を要する点であります。
そこで、次に、現在の二院制を維持すべきだとした場合の論点についてでありますけれども、その場合でも、そもそも参議院の意義、役割をどう考えるべきかということが改めて問われることになると思うのであります。特に、国民主権原理、民主主義原則の下において、第二院の権限や組織はどうあるべきかということが問題となるわけであります。これは、我が国だけではなく、二院制議会を採用するすべての民主国が抱えている難問であります。もとより我が国の場合、総司令部案に示されていた一院制案を拒否し、日本政府が二院制の採用に踏み切ったときからこの難問を抱え込むことになったのであります。
二院制採用の経緯につきましては、ここで改めて紹介する余裕はありませんけれども、日本側が、制度としては簡明なシンプルな一院制ではなくてあえて二院制を採用した理由につきましては、参議院の意義を、役割をどう考えるかというこの本題とも関連いたしますので、その要点を次に紹介しておくことにいたします。
いわゆる三月二日案とも言われております最初の日本案は、三月四日、総司令部に提出されますけれども、それには松本烝治の書いた説明書が添えられておりました。そして、この説明書の中で松本は、総司令部案の一院制ではなくてあえて二院制としたのは、「世界多数国ノ例ニ倣フ」とか、貴族院の伝統を墨守するとかいった、そういった理由からではなくて、それは「不当ナル多数圧制」の「抑止」と「行過ギタル偏倚」の「制止」にあるというのであります。すなわち、議会政治は、「動モスレハ多数党ノ専制ヲ生シ多数党ノ政策ハ時ニハ一党ノ利害ニ専念スル弊アルハ従来幾多ノ実例ノ示ス所」であるといたしまして、そこで日本案のように二院制を採用すれば、衆議院多数派の「横暴ナル提案」は「或ル程度」参議院において、これを「抑制シ得ル」だけではなくて、こうした抑制機関の存在自体が多数党をしてもとよりその横暴を戒慎させる機能を生み出すことになるというのであります。なお、二院制採用の背景として、松本が「左右何レニ向テモ過激ニ偏倚」する国民性、「軽シク時ノ勢力ニ阿附スル事大性雷同性」を指摘している点もここでは留意しておきたいと思うのであります。
そこで、松本の言う参議院の抑制機能はいかにあるべきかということが更に問題となります。フランス大革命のときに活躍したアベ・シェーエスの言葉として、第二院は何の役に立つのか、もしそれが第一院に一致するならば無用であり、もしそれが反対するならば有害だとの名言が伝えられております。
このひそみに倣って申しますと、参議院の抑制機能が希薄であると参議院無用論が浮上するわけでありますし、逆にそれが過剰でありますと、有害論が登場するということになるわけであります。この無害、無用、有害論が的を射たものであるといたしますと、一体その中間にあってどの程度の抑制機能を働かせることが参議院に期待されているのかということが大変重要な問題となってまいります。
この点につきまして、松本はさきの説明書の中で、現行憲法五十九条二項の前身に当たる規定において、三会期連続して衆議院で可決された法律案は、その最初の議事から二年を経過したとき、参議院の議決の有無にかかわらず、法律として成立するものとして参議院に対して遅延権しか認めていないというのは、それによって参議院が衆議院に対し反省を促すの機能を発揮せしむるにとどめようと考えたからだと論じております。これは、後の再考の府といった考え方に連なるものであろうかと思うのであります。
しかし、今から考えると、抑制機能と反省機能との距離は相当大きいものがあります。それは距離というよりはむしろ乖離とも言えるものであって、その溝を埋めることは容易なことではありません。
というのは、参議院の意義、役割が衆議院に対して反省を促すことにあるならば、当初の日本案のように、遅延権ないし停止的拒否権として規定するのが妥当であったはずだと考えられるからであります。しかし、総司令部との調整の結果、この規定は、衆議院が可決し、参議院で否決された法律案は、衆議院の出席議員の「三分ノ二以上ノ多数」による再議決によって成立させることができるものに変更されたわけであります。しかも、このとき同時に、参議院の構成につきましても、衆議院と同様、「国民ニ依リ選挙セラレ全国民ヲ代表スル議員ヲ以テ組織ス」とされたのであります。その結果、参議院は、当初考えられていた反省の府から、民主的で強力な抑制の府へと一挙にその地位を高めることになったのであります。
このように、憲法制定当初から強い参議院として機能し得ることが憲法において実定化されていたのであります。そして、いわゆる五五年体制崩壊後、多党化の時代に入って以降、この国民の直接選挙に基礎を置く強い参議院の存在感が増大し、以前にも増して我が国における議院内閣制の運用の実際を大きく規定していることは改めて指摘するまでもないことであります。
以上の点を確認した上で、参議院の権限を変動させた場合、その組織の在り方等に関して生じ得る論点について、以下、摘示してみることにいたします。
参議院の権限の在り方が議論されるとき、まず何よりも、先ほどの憲法五十九条二項の再議決要件は厳格に過ぎるので、その要件を緩和すべきではないかということが問題視されます。すなわち、現行の三分の二以上の多数では、衆議院による再議決は実際問題としてはほぼ不可能であり、事実上、参議院に絶対的拒否権を認めたも同然であるので、この再議決要件を過半数に改め、参議院に対しては単なる停止的拒否権ないし遅延権を認めるにとどめるべきだとする主張であります。
この主張に従って、憲法五十九条二項を改正し、参議院の立法に関与する権限を相当程度削減する方向に向かった場合には、その削減の程度に応じて、参議院議員の選出の方法、すなわち衆議院議員と同等の国民による直接選挙による選出法も見直す必要が生じてくるのではないかということであります。それは、権威ないし権限と正当性は表裏一体の関係にあって、参議院の権限の強さもまたその構成員の民主的正当性の強度に対応していると考えるからであります。したがって、権限削減論は選出法の見直しとセットで論じられるべきものであります。
その場合、憲法四十三条の選挙は必ず国民による直接選挙でなければならないものかどうか、若干の含みを持った規定ではないのかといったことが差し当たり解釈上問題となるものと思われます。さらに、参議院の議決が衆議院で三分の二の特別多数によって覆される憲法上の根拠につきまして、それが六年任期、三年ごと半数改選制という、四年任期で解散もあり得る衆議院議員と比較した場合の身分的安定性にひとまず見合ったものだといたしますと、再議決要件の緩和は参議院議員の任期の延長といった問題に発展することにもなるでありましょう。そして、この議論をずっと先まで推し進め、参議院のもろもろの権限を限りなく縮減する方向に向かったならば、最後はその人的構成につきましても、任命制の終身議員といったところまで行き着くことになるでありましょう。
もし、今ここでこのような任命・終身制の構成に帰着したといたしまして、そのとき参議院が保持しているであろう権限というのは、恐らく政治的にはほとんど意味のないものにまで縮減されているということになるでありましょう。そうだとしますと、この非政治化された参議院という機関について、そもそもそれが憲法で規定すべき事項であるかどうかということは疑わしいということになってしまうわけであります。言うまでもなく、憲法の目的は、国家統治にかかわるすぐれて政治的な権限につきまして、これを特定の国家機関に授権し、その授権を通じてその権限行使の在り方に制限を加えるということにあるからであります。
次に、これとは反対に、参議院の権限を拡充強化し、衆議院と対等のものとした場合に浮上する論点について考えてみることにいたします。
これは、さきの主張とは全く逆に、憲法五十九条だけではなく、議決の価値について衆議院の優越を定める他の条項、すなわち憲法六十条、六十一条、六十七条などについても、すべてこれを改め、衆参対等にすべきだという主張であります。衆議院と同様に参議院にも内閣不信任制度や解散制度を導入すべきだといった提言には、こうした衆参の間の優劣関係の対等化がその前提として含意されているものと思われます。この場合において、さらに民主的正当性や内閣の答責性ないし政治責任の観点から、議員の任期、定数なども衆参両院の間でそろえるべきだといった主張もなされることになるでありましょう。
そして、こうした両院対等化の主張が憲法で具体化された場合、そこでは次のような論点が浮上するものと思われます。
まず第一に、権限が全く対等の両院の間で意思の不一致が生じた場合、その調整をどうするのか。第二に、一院のみが内閣不信任を決議した場合でも、内閣は責任を取って総辞職すべきものとされるのか。第三に、内閣が総辞職をするとして、その場合、内閣と信頼関係を保持する他院の立場はどうなるのか。第四に、内閣が解散権を行使するとして、信任関係にある他院の同時解散もあり得るのか。第五に、同時解散があり得るとして、その理論的根拠は何か。第六に、信任関係を失った一院のみが解散された場合、新たに選挙で選ばれた議員の任期は前任議員の残任期間ということでよいのか。こういった衆参両院と内閣との三者関係において解決しなければならない様々な問題が続出するということになるでありましょう。
ここで視点を変えまして、参議院の権限の在り方というよりも、むしろその構成の在り方、選出の仕方から参議院の性格、その果たすべき役割といったものを考えてみた場合に浮かび上がってくる論点を指摘してみることにいたします。
これは、参議院について憲法で地域代表的な性格を明記した場合であります。最高裁判所は、定数不均衡訴訟における一連の判決の中で、現行の都道府県を単位とする参議院の選挙区選挙は地域代表的要素を有するものだとしております。
ただ、それが憲法に根拠を有するかということになりますと、裁判官の間でも意見が分かれておりますが、本年一月十四日の大法廷判決について申しますと、そこでは、多数意見にくみした四人の裁判官と反対意見を述べた六人の裁判官の都合十人の裁判官が、都道府県代表制は立法政策上の考慮事項にとどまるものであって、投票価値の平等のように、憲法で直接保障されたものとは解されないとしております。これは、憲法起草過程で、三月二日案に、「衆議院ハ選挙セラレタル議員」、「参議院ハ地域別」「ニ依リ選挙セラレタル議員等」「ヲ以テ組織ス」とあったものが、総司令部折衝後の三月五日案では、衆参の区別なく、「国会ハ国民ニ依リ選挙セラレ国民全体ヲ代表スル議員ヲ以テ組織ス。」とされたことを踏まえたものであろうかと思われます。すなわち、「地域」という文言が憲法規定として明記されなかった結果、参議院が地域代表としての役割ないし性格を持つものとしても、それは憲法に直接根拠を置くものではなくて、単なる法律上の考慮事項にとどまるものとなったと解されるからであります。
そこで、現時点で改めて参議院の意義、役割、そしてその組織、権能の在り方を根底から考えてみようといたしますと、今日の地方分権化の流れの中で、憲法上、参議院を地方を代表する議院、例えば地方院、道州院、連邦院とでも称するものとして位置付け、それに適した権能を付与し、その構成の仕方を工夫するといったことも考えられるでありましょう。そして、この場合、参議院の地域代表的構成と投票価値の平等とは、同じ憲法の平面で少なからずその調整が求められることになるのであります。そして、その限りで、投票価値の平等の要請は一定の譲歩を余儀なくされることになるのであります。そこでは、二つの憲法上の要請をどのような形で折り合わせるのかが新たな争点となるはずであります。
さて、さきの一月十四日の最高裁大法廷判決との関連で、いま一つ、現行選挙制度の枠内において都道府県を単位とする参議院選挙制度を維持することが可能かどうかという点が問題となります。
今度の大法廷判決の特徴として、十五人の裁判官のうち十一人もが異口同音に現行制度の抜本的な見直しを立法府に対して示唆している点を挙げることができようかと思います。すなわち、さきに述べた十人の裁判官は、現行の偶数配分制と現行の議員定数を維持することを前提として投票価値の平等を実現しようとするならば、都道府県を唯一の単位とする制度の在り方自体を変更しなければならなくなることは自明であると説いております。しかも、それに加えて、立法府の裁量権を広く認める従来の判例枠組みに従う五人の多数意見にくみした裁判官の一人もまた、制度の枠組み自体の改正をも視野に入れた抜本的な検討が必要だと指摘しているのであります。
ただ、投票価値の平等が、違憲とされる判断基準につきましては、多数意見にくみした四裁判官は、参議院制度創設当初の選挙区間における議員一人当たりの選挙人数の格差、すなわち一対二・六二の数値から余りにも懸け離れた格差が生じている現行の定数配分は違憲の疑いがあるとするわけであります。しかし、違憲判断の基準となる明確な数値については、これは明示していないのであります。
これに対して、違憲判断にくみした六裁判官は、投票価値の平等について、一対一ないし一対二未満を判断基準とすべきだと明示しております。これは、いかなる場合であれ、一人が実質的に二票分以上を行使する結果になるということは憲法の平等原則からして許容されるものではないとする考え方に基づくものでありまして、極めて合理的で、常識的にもよく理解し得る考え方であろうかと思います。
また、多数意見中の五人意見にくみした裁判官の一人は、数値の上だけで一概に決めて掛かるべきではなく、要は、格差の在り方が全体として見て看過し得ないほど著しく不平等な状態になっていれば違憲だというふうに語っております。これは、考え方の点では多数意見中の四人意見と本質的な違いはありません。そういう意味では、四対五という言われ方はしているわけですけれども、四対四なのか四対五なのか分からないような、そういった判断枠組みになっているかと思います。
このように、十一人の裁判官の間で、違憲判断の基準につきましてその考え方に若干の違いがあるわけでありますけれども、都道府県を唯一の単位とする選挙制度の在り方の見直しを示唆している点では共通しております。これは、現行制度を前提に、従来行われた幾つかの配分方式を用いて定数再配分を試みたといたしましても、一票の格差をほとんど縮小させることができないか、若しくは、仮に格差を三倍ないし二倍に抑えることができたとしても、その場合には二百近い、又は二百五十にも達する選挙区定数が必要となり、定数を大幅に増やすか、総定数のうち比例議席定数から相当数を補充するかしなければ、制度自体を維持することができないからであります。
最高裁は、恐らくこうした理解、認識に基づいて、立法府に対して早急に現行制度の在り方の変更をも視野に入れた制度の見直しに着手するように示唆しているものと思われるのであります。
次に、現行憲法の運用として参議院の理念を追求する場合に浮上する問題点であります。
これは、現在の参議院の権限、組織の大枠を維持したまま、そのまま維持した上で、すなわち現行の、憲法規定は現行のままで抑制、補完、均衡といった参議院の果たすべき役割を追求するという、そういう選択を行った場合に、どのような憲法問題が浮かび上がってくるかということであります。
言うまでもなく、衆参両院の間の関係や国会と内閣との間の関係は、本来、法的規制になじみにくい部分が多くて、憲法で一定の関係を定めたとしても、当該規定の下で長年にわたって形成される慣行にまつところが大きいのであります。しかも、こうした政治部門におけるもろもろの関係は、高度に政治的な性格を有する領域に属する問題でありまして、違憲審査権を有する裁判所も容易には踏み込み得ないところであります。したがって、そこでは当事者間で形成されるいわゆる憲法慣習あるいは憲法習律といったものの果たす役割が大変、果たす役割に期待されるところが極めて大きいわけであります。
このような視点から、参議院の将来像を考える有識者懇談会の意見書に示された参議院の特色をより一層発揮するための改革のうちで、憲法規定の改正を要するとされた諸案につきまして、改めてこれを見てみますと、再議決要件の緩和につきましては憲法五十九条二項の改正、議事定足数の廃止につきましても憲法五十六条一項の「議事を開き」の文言の削除、さらにいわゆる地方院につきましても憲法で明文規定を置くことが必要であります。
しかし、首相指名の不行使でありますとか、弾劾裁判所の構成の仕方でありますとか、特定議案の優先審議の問題でありますとか、さらに通年会期化でありますとか、あるいは会期不継続の原則の廃止などのこういったたぐいの提言というのは、明文憲法、明文改正に及ばなくとも、両院間における協議若しくはルールの形成、又は参議院独自の努力によって、実質的に所期の目的を達成することができる性質のものではないかと考えるわけであります。この領域では、憲法運用の妙にまつところが極めて大きいものと思うわけです。
最後に、衆議院とは異なる役割や独自性を発揮させるために、参議院に対して何らかの特別の権限を付与すべきだとする提言につきまして一言述べておきたいと思います。
この問題は、結局のところ、参議院の役割ないし独自性を何に求めるか、その役割ないし独自性を発揮するにふさわしい人材をどのようにして調達するかという問題、すなわち役割、権限と組織の在り方を相互にどう関係付けるかという最初の問題設定に立ち戻ることになるわけであります。そして、そこで新たに付与される権限に応じて、参議院の意義、役割が言わば再定義され、その新たな役割、権限を果たす上で適切な組織、選出の方法が考案されるべきであるということになるものと思われます。
以上で私の陳述を終わります。
御清聴ありがとうございました。