山口富男の発言 (憲法調査会)
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○山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
まず、二院制と日本国憲法について述べたいと思います。
議会を持つ国が一院制を採用するか二院制を採用するかは、各国の歴史や議会制度の成り立ちによって、実にさまざまです。
日本国憲法は、第四十二条において、国会は衆議院と参議院の両議院で構成すること、また四十三条で、両院とも、全国民を代表する選挙された議員で組織することを定めております。この法規範は、国民代表機関である国会に、主権者である国民の多様な意思を正しく反映させるように求めたもので、両議院での徹底審議の要請も、当然この原則を踏まえたものとなります。
両院の構成という点では、憲法は、四十八条で両院議員の兼職の禁止を定め、四十五条、四十六条で、両院議員の任期を異なるものとし、衆議院での解散、参議院の三年での半数改選を定めております。これも、任期という時間的な軸での民意の反映と継続性の確保を図るとともに、解散という政治的な争点などでのその時々の国民の意思の反映を両院の構成上も図ったものと言えます。
また、権限の点では、原則として両院を対等の位置に置きながら、法律案の議決、予算の先議と議決、内閣総理大臣の指名、条約の承認について、衆議院の優越を定めております。
このように、憲法が定めた両院制の基本は、院の構成においても、国政調査権を初め機能の点でも、多様な民意の正しい反映という点に置かれていると言わなければなりません。となれば、両院制をめぐる憲法運用と解釈の大前提は、国会が主権者国民の意思を忠実に反映するものになっているかどうかというところに置かれます。
この点を、具体的に、選挙制度をめぐる問題で見てみたいと思います。
選挙制度については、先日の公聴会においても、関西大学教授の村田公述人が詳しく述べたところです。
憲法は、両院の選挙について、四十三条、四十四条、四十七条において、これを法律で定める旨を定めています。これは、決して広範な立法裁量を認めるものではありません。両議院の議員及びその選挙人の資格に関する四十四条では、ただし書きで「人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。」としております。選挙区や投票方法等の選挙に関する事項に関する四十七条にはただし書きはありませんが、十五条で、選挙権を国民固有の権利とし、普通選挙、秘密投票の原則などを定め、さらに十四条が平等原則を保障しています。これらの定めは、いわば、権利、権能を授ける授権の内在的な制約というもので、これを無視して、法律で自由に選挙制度を設計することは憲法上許されません。
選挙権の意味について、最高裁の一九七六年四月十四日判決は、「選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすもの」「選挙権の平等は、単に選挙人資格に対する制限の撤廃による選挙権の拡大を要求するにとどまらず、更に進んで、選挙権の内容の平等、換言すれば、各選挙人の投票の価値、すなわち各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であることを要求せざるをえないものである。」と述べています。
現行の選挙制度は、衆議院の場合、小選挙区制主体の選挙区制によって、大政党有利に比較第一党をつくり出し、得票率と議席の割合が大きく乖離するものとなります。多様な民意が議席数に反映しない仕組みと言えます。
例えば、昨年の総選挙でも、小選挙区部分を見ますと、自民党は四四%の得票で五六%の議席を得ております。こうした状態は、「各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であること」との実現にほど遠いものと言わなければなりません。両院制の憲法原則に基づく運用、解釈を問題にするならば、多様な民意の反映をゆがめている諸問題の解決に当たることこそが立法府の務めと言うべきだと考えます。
次に、政党について述べます。
国民の多様な意思が議会を通じて国政に反映される代表民主制にとって、政党はなくてはならない存在です。政党について、各国の憲法がどういう規定を置いているのか、あるいは置いていないかは、各国の歴史を反映して、この点でも実にさまざまです。
日本国憲法は政党について直接の規定を持ちませんが、先ほども紹介されましたように、八幡製鉄献金事件の最高裁判決が認めたように、政党が重要な機能を果たし、積極的な活動を行うことを期待しています。そして、二十一条によって、政党の活動の自由を結社の自由として保障しています。憲法は、結社の自由を保障することを通じて、私的な結社である政党の自主的活動によって政治参画という公的性格の発揮を期待するという構えをとっており、この点は今後とも大事な原則とすべきものと考えます。
今日、政党の問題として国民から問われている最大のものは、政治と金の問題です。いわゆる日歯連の自民党旧橋本派への一億円やみ献金事件は、その最たるものだと思います。改革が求められるのは、真相の解明と、やみ献金、そして政治腐敗の根絶です。
もともと、今日の政党助成金制度が持ち込まれたのも、リクルート事件などがあり、政治と金をめぐる議会制民主主義の危機が叫ばれた際に、企業・団体献金の廃止の方向に踏み切る、そういう議論の中でのことでした。当時は、財界も企業献金のあっせんを自粛せざるを得ませんでした。今またあっせんを再開しましたが、ここにも政治と金をめぐる新たな火種が起きていると思います。
準大手ゼネコン熊谷組の献金をめぐる福井地裁判決は、企業・団体献金の集中が「政界と産業界との不正常な癒着を招く温床ともなりかねない。」と指摘しましたが、企業・団体献金は本質的にわいろ性を持つものであって、これを断ち切ることが、議会制民主主義と政党活動の発展にとって重要な課題となります。
政党へのものであれ、個人へのものであれ、企業・団体献金がある種のわいろ性を持つことに変わりありません。政党の政治資金を企業献金から個人献金に切りかえていくことは、首相の諮問機関である選挙制度審議会が一九六〇年代から九〇年代の答申で繰り返し述べてきたことです。政党助成金という国民の税金を三百億円も取りながら、企業・団体献金を将来にわたって続け、拡大をするというのでは、とても主権者国民の納得を得るものとはなりません。政党政治への信頼回復の大きな課題の一つがここにあることを申し述べ、意見の表明といたします。