植松治雄の発言 (憲法調査会公聴会)
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○植松公述人 このような機会を与えていただきましたこと、厚く御礼を申し上げたいと思います。
私は、生命尊重の思想というものを中心に置きながらお話を申し上げたいと思います。
終戦から今日に至るまで、我が国がたどった道のりは決して平たんとは言えず、明暗さまざまな出来事が起こったわけでございますけれども、人々は衣食に不足することなく、一見、至って平和な日常を暮らせております。これは、大局的に見れば、我が国の政府及び国民がこれまでおおむね進むべき道の選択を誤らなかったことの証左であろうというふうに考えております。第二次大戦以来、一度も戦争の惨禍に巻き込まれなかったということ、すなわち、かたくなに平和憲法を守り通してきたことによるということは、大方の皆様方の認めるところでございましょう。
また一方では、戦争、武力行使に限らず、社会には人の生存を脅かすさまざまな要因が存在いたします。例えば、近年の自殺者数の著しい増加も、そのような深刻な社会問題の一つでございます。平成十年に突如として三万二千人台を記録し、その後も毎年三万人以上の方がみずから命を絶たれているという状況でありまして、極めて憂慮すべきでございます。
交通事故に関しましても、死亡者数こそは減少し続けておりますけれども、事故発生の件数、負傷者数に関しましては、毎年増加しつつございます。
また、医療の現場に目を転じましても、昨今、医療事故が深刻な社会問題となっておることは御承知のとおりでございます。医療事故に関しては、現在のところ、発生件数や死者数に関する正確な統計はございませんけれども、依然として医療事故がなくならない状況からは、まさに国民の生命が深刻な危機に直面していると認めざるを得ない側面もあるわけでございます。
民主主義の鉄則でございますが、個人が自己の信念に基づいて何かを主張し、権利を行使する際には、当然そこには義務が付随し、また、それらの主張は、社会全体の秩序を乱さない限りという条件つきで最大限尊重されるべきであるということでございます。憲法十三条を引き合いに出すまでもない原則でございます。
一方、昨今、気になりますのは、個人の自由とか自己決定の名のもとに、みずからの身体を傷つけたり生命を極端に短くすること、あるいは生命の誕生に際して、優生的な発想による選別などの人工的な操作を次々と認めてしまう風潮があるということでございます。生命尊重、人命尊重の思想こそが、日本の、いや世界のすべての分野における基本的な価値基準であるべきだとかたく信じております。
人の命と健康を預かる医師という立場からは、生命が何物にもかえがたく大切なものであるという当然の事柄を、すべての部面における価値基準、すなわち憲法の根底に流れる普遍的な思想として、いま一度強く訴えたいと思っております。
医療と憲法との関係を論ずる際に必ず触れられるのが、二十五条の生存権との関係でございます。
今や、我が国の医学、医療のレベルは、世界的にもトップクラスに位置することは間違いございません。そのような質の高い医療を、必要とあれば国民のだれもがひとしく受けることができるのは、言うまでもなく、我が国には世界に誇る国民皆保険制度が備わっているからでございます。そして、世界一の長寿国になった我が国の国民にとって、そのような良質な医療はもはや必要不可欠なものとなっております。したがいまして、国民皆保険の堅持は、国民の生存権を担保するためにも、決して後退することが許されない国の基本施策であると確信いたします。
この点に関連して、昨今、非常に気がかりな問題が起こっております。すなわち、外国人住民、とりわけ在留資格を持たない外国籍の方々の医療受診につき、特に診療報酬の支払いをめぐる問題でございます。
医師として地域医療を担当しておりますと、いろいろな事情を抱える患者さんが診察に来られます。そうした方の中には、いわゆる不法滞在と呼ばれる外国人の方もおられ、これらの方は医療保険に加入できませんので、高い診察料金を支払うこともできず、必要な医療を受けられないこともしばしばであります。また、けがや急病など、救急で担ぎ込まれた場合には、結局、医療機関が医療費を肩がわりするという実情もございます。生身の人間であれば、病気、けがは場所を選ばず発生いたします。不法滞在の問題は根本的な解決が必要かと思いますけれども、それはそれとして、現に我が国に居住している人々については、必要なときには安心して日本国民と同様の医療を受けられる環境を整えるべきではないでしょうか。
本年一月十五日、最高裁が、在留資格がないことを理由に一律に国民健康保険への加入を拒否することは違法であるとの判断を示したことは、御承知のとおりでございます。しかし、この判決が出された以後も、依然として国保加入を拒否された事例が報じられておりました。本年六月には、厚生労働省は、国民健康保険法施行規則の改正を行いまして、いわゆるオーバーステイの外国人の方々の国保加入を認めないことを明文化してしまいました。在留資格がないままに我が国に滞在していることは、それ自体早急に是正すべき問題ではありますが、現実に、そういう外国人の方々に憲法上の人権をどこまで保障するかという問題も、また実に解決困難な問題であります。しかし、そうであるからこそ、憲法調査会のような場において検討していただくことが適切であるように思っております。
医療サービスへのアクセスは、国民の生存権の一部として重要な位置を占めることを前提といたしますと、その医療提供がもとで逆に国民の生命が危険にさらされるということは、絶対にあってはならないことでございます。もちろん、医療というものは、個々に条件や体質の異なる個人個人の疾病を対象とするわけで、治療の効果に不確実さが伴うことは当然でございますけれども、ここで言いますのは、それ以前の、医療従事者のミス、組織の欠陥に起因するいわゆる医療事故被害についてでございます。
御承知のとおり、現在、医療界では、この医療事故被害を少しでもなくするように、一丸となって、あるいはそれぞれが競うように対策を打っているところでございます。残念ながら、現時点において、まだ医療提供の場面での危険が完全に取り払われたとは言えない状況が続いており、これは挙げて医療界の努力不足であると認めざるを得ません。
その上で、あえてこの憲法調査会の場で申し上げておきたいことは、現実に医療従事者は、勤務時間などの労働環境が極めて過酷な状態であるということでございます。これはすなわち、医療現場の労働者の過酷な労働による過労のために国民の安全が犠牲になる可能性があることを意味しており、特に医療現場での人材の不足には早急な手だてを打つべき必要がございます。また、個々の医療機関も、医療の安全、患者の安全のための十分な投資ができるよう政策誘導していただきたいと考えております。また、それこそが国民の生存権を裏から支える結果になると考えております。
いわゆるインフォームド・コンセントとか患者の自己決定といった問題がクローズアップされ、そしてそれが医療の現場で実践されるに従い、医療現場では、以前に比べて患者の人権が手厚く尊重されるようになってきたと実感しております。
しかし一方で、ごく一部ではございましょうが、精神科患者の不当な身体拘束や過剰な投薬、あるいは入院をめぐるずさんな手続などの実態が問題として取り上げられることも現実でございます。特に精神科医療では、患者さん御自身の判断能力が欠如している場合などもございまして、問題が起きてもそのことが表面化しにくい性質がございますので、特に透明性を確保することによって、患者さんの人権が侵害されることのない制度をつくり上げていくことが必要であろうと考えております。
また、新薬の治験や臨床研究の一部でも、被験者や患者の承諾、参加の意思を十分に確認しないまま実施されていた例が問題とされており、医療関係者、研究者の人権に対するモラルの向上が求められるところでございます。
これに関連して、昨今、医療以外のさまざまな業種で現実に発生しております個人情報の流出事故も、医療界として、その予防に十分意を払わなくてはならない問題でございます。特に、医療に関する個人情報、すなわち、カルテに書かれている情報や、近時目覚ましい進歩を遂げております遺伝子解析技術を用いて得られた人の遺伝子情報などは、極めてプライバシー性の高い情報と言われております。そういたしますと、これらの情報を本人の了解なく他人の手に渡すということは、それだけで重大な人権侵害となっていると言ってよいかと思います。これらの情報の保護については、人権尊重という視点からも、国を挙げて対策を講ずる必要がございます。
さらにつけ加えるならば、これらの個人情報を初め、人体から取り出された組織や臓器も、これは単なる情報や物ではなく、人体の一部として、特別の感情、すなわち礼意を持って取り扱われるべきものでなければなりません。これはモラルの問題とも言えましょうが、臓器売買やそれに類した行為は厳しく法律で罰すると同時に、人の身体に対する畏敬の念といった基本的な姿勢は、憲法であるか、あるいは生命基本理念構想、いろいろな法律、どのようなものがいいのかは別といたしまして、はっきりした宣言的な規定を設けるべきであると考えております。
ところで、今申し上げましたような自己決定の尊重といった問題の延長線上には、冒頭に触れましたような生命の終末期の問題、すなわち、積極的な安楽死や医師による自殺幇助を適法なものとして認めるか否かという問題も浮かんでまいります。個人の自己決定を極端に推し進めていけば、そのような生命の終末のあり方を個人の自由として認める考え方もあるかもしれませんが、私どもといたしましては、これを無制限に認めてしまうことは反対でございます。
すなわち、生命がまだ生きておられるうちは、これを生かそうとするべきであり、それが公の秩序、社会の秩序というものであろうと考えます。ただし、人間が生きるということは、人間らしく、よく生きるということを意味しますから、その限りにおいて、例えば延命のみを目的とした治療を差し控える、いわゆる尊厳死については、極めて厳格な条件を付した上で、そのような選択をする立場も容認すべきであろうと考えております。すなわち、国民生活にとって極めて重要な問題、その中でもさらに重要な人の命の問題については、すべてを個人の自由にゆだねるべきではなく、個々人の価値観、倫理観といったものをどの程度まで許容するか、すなわち、社会全体の意思としてはどの程度までなら合意し得るかという問題としてとらえるべきでございます。
結論としては、現時点では、積極的な安楽死や医師による自殺幇助について、国民一般の納得はいまだ得られていないと考えております。
ここで述べましたように、人命あるいは人体の尊厳に最高の価値を置くという考え方は、従来の常識的な憲法の枠組みの中ではあらわしにくい内容であるかもしれませんが、科学技術が高度に発達し、また人々の考え方もますます多様化している新しい時代の憲法のありようとしては、そのような事柄を明文規定としておくことも、また十分に意味のあることではないかと思っております。
一方では、科学技術の進歩に合わせて、国民の側における人権教育も、憲法と深くかかわる問題として御検討いただきたいと思います。
先ほど申し上げましたが、ヒトゲノムの解析計画の成功などを受けて、遺伝子解析等に関する技術は目覚ましい進歩を遂げ、現在では、さまざまな遺伝性疾患と特定の遺伝子欠損との関係、あるいは特定の遺伝子型を持つ人に有効な医薬品の開発などが取り組まれておるところでございます。このような研究開発また治療には遺伝子解析に基づく個々の患者に関する個人情報を利用する場合が多く、当然、それらの情報の管理には細心の注意を払わなくてはなりません。
また、社会全体に目を向けてみると、そのような遺伝子解析に基づいて個人の体質や遺伝性疾患の有無に関して得られた情報は、結婚、雇用等に際しての差別、人の優劣の判断に用いられることのないよう、国民各層に対する人権教育が必要かと思います。人類に幸福をもたらすはずの高度な科学技術が新たな差別を生み出すことになっては本末転倒でございます。結局、差別とは、得られた情報を用いる人間のモラルの問題であり、これを正すには、法規制もある程度有効ではありましょうが、究極的には教育によって解決するしかございません。
この人権教育の根底には、人は生まれながらにしてそれぞれ異なった部分、多様性を持っており、その違いをお互いに認め合って生きていかなければならないという考えを徹底することが肝要でございます。今後ますます高度な科学技術が進歩、普及していくことを考えれば、このような人権教育は初等教育から段階的に継続していくことが重要だと考えております。
最後に、人の生命と健康を守る医師の立場から、武力行使に対しては断固反対の立場をとることを一言申し上げておきたいと思います。
武力によってみずからと異なる立場の者を抑え込むことが卑劣な行為であることは言うまでもございませんが、これに対してさらなる武力で応じることも、憎しみを増すばかりで何の解決にもなりません。今回のイラク戦争に関して、日本医師会では、昨年の開戦直後の三月三十日に、日本医師会代議員会の名において、イラク戦争の即時終結を求める決議を、また、その五日前の三月二十五日には、日本歯科医師会、日本薬剤師会、日本看護協会との連名で、イラク戦争の即時終結を求める声明を発表いたしております。戦争反対の考え方は、本日申し上げてまいりました人命尊重の立場とも整合いたしますし、また、他者との違いを認め合って差別のない社会を目指す考え方は、究極的には世界平和の根本原理であると確信いたしております。
医療機関は、いわゆる周辺事態が発生した場合に医療協力を要請されるものと理解いたしますが、これが今後拡大解釈され、医療従事者として、武力行使に加担することだけは断固反対の姿勢を表明させていただきます。
ここまで、医療者の立場から、憲法にまつわる幾つかの問題について発言させていただきました。
私は憲法解釈の専門家ではございませんので、今まで申しましたことをどのように憲法の体系に組み込んでいくかという点に関しては、憲法調査会の先生方を初め、法律学者の方々にお任せいたします。
ただ、あえて私見を申し述べるとすれば、まずは、現行の憲法の枠内で可能な限りの公正な解釈を目指すべきであり、その上で、現行憲法の解釈だけでは社会の実態に適合しない事態が明らかになったり、そのような事態が予測される場合には、憲法の部分的な修正も積極的に考えるというのが筋であろうと考えております。
先ほども触れましたように、高度な科学技術が発達し、人々の価値観も多様化している今日の社会では、あるいは、新しい考え方や新しい物事に対応できる表現を取り入れた新しい憲法をつくることも検討するべきときにあるのかもしれません。
例えば、本日の意見陳述の中で終始申し上げてまいりました、生命、人体の尊厳という概念は、これからの科学技術が高度に進歩した時代において、極めて重要な言葉になるだろうと考えております。フランスでは、人体の尊厳が人権の一つとして宣言され、これに基づいて民法典に新たな条文が加わったと聞いております。またドイツでは、基本法の中に、人間の尊厳、身体を害されない権利といった規定が存在するとのことでございます。国の基本原理として、人の肉体そのものの尊厳というものを我が国の憲法の中に書き込むことも検討されてはいかがかと思っております。
以上、簡単でございますけれども、意見を述べさせていただきました。(拍手)