植松治雄の発言 (憲法調査会公聴会)
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○植松公述人 私が医師になりましたのは、昭和三十年に卒業しておりますから、もう来年で五十年になるわけでございますが、そのころといいますのは、やはり戦争というものの中で、現実に身近に命を失った人がたくさんあった、また、家庭におきましても、いわゆる病気で亡くなる場合もほとんどが家庭で亡くなっておったという中で、人間の死というものは、皆さんが目にし感じてきた中での命という考え方が、身をもって体験したというか、あったように思います。そういう中では、やはり死というものを見ながら、命の大切さというもの、生きていることの幸せということを感じておったと思います。
現在、特に若い人を含めまして、この人間の終末、死というものを目に見ることが少なくなった。多く見ておりますのは、テレビゲームその他、テレビもそうでございますけれども、バーチャルの世界で死というものがある。このバーチャルの死というものは必ず生き返るんですね。だから、そういう中で、死というものを現実に直面して考え体験することがない。もう一方でございます個人主義的な考え方という中で、命は自分のもの、ただ単にそこにある、だから私は私の命だというふうなことがあるわけでございますので、その辺のところは毎日の中で十分に感じておるわけでございます。
そういうことを考えますと、やはりそういうことも含めて、いわゆる命の尊厳、あるいは人間として存在することの意味というものをこれから教えるということは非常に大切なことでございますし、これこそが教育改革にもつながるのでございましょうけれども、大事な問題だというふうに思っております。
そして、自殺する人自体につきましても、本当に死というものを考えておるかというと、これが自分の中で、もう頭の中で既に自分の命、死というものをバーチャル化されているのではないかというふうに思っております。
だから、終末期医療も含めまして、今改めて、生、老、病、死、このものについてどう考えるかということをきっちりとやはりやっていかなければならぬというふうに思っております。