植松治雄の発言 (憲法調査会公聴会)
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○植松公述人 これはもう中山会長が十分に御経験があると思うんですが、脳死臓器移植が問題になりましたときに、やはりこれで一番難しかったのは、臓器を移植するというよりも、脳死の状態をどのように判定するかということが大事であった。そのときに、いろいろな面での考え方がございました。
その中で、日本の宗教といいますものを、私どもは、自分のところは仏教だと思っておるわけでございますけれども、お盆が来たときにどうこうという、いろいろなことを見ますと、流れておりますのは、仏教といいますよりも、いわゆる儒教の精神というところがある。これがおのおのの生活の中のリズムの中で、信じているとか信じていないということとは別に、お盆になったら御先祖様の魂が帰ってくるというところ、このあたりは、宗教というよりも何となく生命観の中で息づいているのかなと。
だから、日本の中では、やはり今までから、脳死の問題も含めました中で、宗教というものが日本で、人間の生死の問題にかかわって深く主導性を持ったということもないですし、心の中に深く刻み込まれておったものでもない。日本の中では、いわゆるやおよろずの神というような感じで、どこにも神さんがおるというふうな感覚、こういうふうなもので、いわゆる宗教とは別のものであるのではなかろうか。
日本の中では、宗教というものは生死に関しましてもそう深く関与してこなかったのではないか、そこのところに今の難しさも少々あるのかなというふうに思っております。