高竹和明の発言 (憲法調査会公聴会)

⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

○高竹公述人 おはようございます。
 社団法人日本青年会議所二〇〇四年度専務理事、そして二〇〇五年度会頭を務めます高竹和明と申します。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 日本青年会議所は、全国四万六千名の青年経済人を有する団体でございます。この憲法の問題も含めて、三年前から、まず教育基本法の改正の運動に取り組み、そして、ことし、来年と、この憲法について議論をしていっている状況でございます。したがって、青年経済人の団体ですので、決して憲法に対するプロではございません。しかしながら、我々、二十から四十歳までの青年の団体として、この日本国憲法について積極的に議論をしていこうという構えで今議論をしているところでございます。
 それでは、日本国憲法についての意見を述べさせていただきたいと思います。
 日本国憲法における問題点といえば、記述されている日本語の理解に苦しむ前文を初め、主権を有する独立国家として国際社会で認められている自衛戦力の保持や自衛のための交戦権までも放棄しているように読める第九条の問題などがすぐに頭に浮かびます。もちろん、憲法改正条項や首相公選制の問題、二院制の問題や非常事態に関する規定の不備、そして現代社会に必要とされる環境権や知る権利といった新しい権利の概念が盛り込まれていないことなど、問題点は多岐にわたって存在していると思います。
 しかしながら、一番の問題点は、我々日本国民が自分たちの憲法として精神的に認めていないことではないかと思います。その理由の一つとして、現行憲法は明確性に欠けた翻訳調であるがゆえに、余りにもわかりにくいということが挙げられます。少なくとも、国家の姿をあらわす最高法規としての憲法であるならば、正しい日本語を使用した明瞭な文章で構成されるべきであり、国民のだれが読んでもその解釈において共通の認識が得られる内容であることが大前提だと考えます。
 このように、現行憲法には、前文を含む百三条の条文すべてに至るまでさまざまな問題点が多数存在していると認識をしていますが、日本青年会議所は、あくまでも国民の視点で、現行憲法制定と混迷度を増す現代日本との相関を含め、我々が考える憲法そのものに対する総論的所感を中心に意見を述べたいと思います。
 一九四五年八月十五日正午の玉音放送で、日本国民は連合国に対する日本軍の無条件降伏を知りました。直ちに本格的な戦後処理がアメリカ主導で開始され、それまでの日本の文化、伝統、歴史観が完全に否定されたことは周知の事実です。そして、もはや戦争が地球上には存在しないというユートピア構想をその前文に掲げ、主権が国民に存在すること、基本的人権を国家が尊重すること、そして永続する担保のない世界の善意と理想に自国の安全保障を完全に依存することをうたった日本国憲法を制定した上で、新生日本の建設を始めました。
 明治維新と状況は似ていますが、明治維新が黒船来航を契機に日本人が自発的に沸き起こした変革だったのに対し、戦後処理は、敗戦を契機に連合国、とりわけアメリカ主導の占領統治政策によって強制的にもたらされた変革でした。戦後の日本は、敗戦国であるがゆえにすべてをアメリカにゆだね、伝統的な精神性や自尊心をも捨ててアメリカからの恩恵にあやかってきたのです。
 その傍らで、アメリカからもたらされた自由主義、個人主義は日本人にとって都合のいいように解釈をされ、一九五一年に締結した日米安全保障条約によってアメリカの核の傘下に入ると、自国を自力で守る決意もないままに、日本人は国防をアメリカに完全依存することを当たり前と考えるようになっていきました。そして、敗戦後のアメリカによる占領統治、占領統治下にアメリカ主導でつくられた日本国憲法、そして安全保障面で日本を支えた日米安全保障条約がセットになって、日本人から、自国のことを自分のこととして考える精神性を失わせました。
 我々は、この国の自己責任の欠如や公共心、道徳心の荒廃が、アメリカ主導による日本国憲法制定から日米安全保障条約締結の一連の流れに始まっていると感じています。真の自立国家としての精神をはぐくむことなく、ただひたすら工業化社会を突き進み、絶対の価値観を経済力に求めた結果、人心の荒廃した国民による今日の混迷した日本社会が形成されてしまったと考えます。
 日本国憲法は、言うまでもなく、日本という国の姿とあり方を決める根幹です。ゆえに、我々日本国民は、現行の憲法がいかなる内容で、いかなる過程を経て作成されたものなのか、そしてどこに問題があり、それが戦後の我が国にいかなる影響をもたらしたのかを学び、知る必要があります。
 今や、歴史考証によって、日本国憲法が連合国総司令部、GHQによって押しつけられた憲法であることは明白です。翻って、我々はその歴史的事実だけをもって現行憲法を否定すべきではないと考えます。戦前にはなかった民主主義の概念がこのときにつくられたのも事実ですし、国民主権や基本的人権の尊重、戦争の放棄による平和主義、国際協調主義といった現行憲法の基本原理が、戦後日本における民主主義、平和主義の定着、そして物質的に非常に恵まれた超経済大国の形成に大きな役割を果たしたことは否定できないからです。
 しかし、前述したように、我が国の現行憲法は、アメリカの占領統治戦略に基づき、日本の習慣や伝統、文化が何一つ考慮されることなく、アメリカにとって都合のいいように作成されました。アメリカの政治的思惑による日本の非軍事化条項である第九条が盛り込まれていたり、前文や第十三条の条文に代表されるような、果たしてどこの国の憲法かわからないといった性格を有していたりするのはそのためであり、我々の国の我々の憲法として適しているとは到底思えません。
 我々国民と憲法との感覚的距離はこれまで著しく乖離してきました。義務教育課程においても、国民は、日本が法治国家であるにもかかわらず、最高法規である日本国憲法についてさほど熱心には教えられていません。現在とて、教科書にはページこそ割いてあるものの、習うとしても受験のためだけの日本国憲法です。決して、国の形を考える、国の姿を考える憲法学習にはなっていません。また、全世界に存在する成文憲法の中で平和条項を持つ憲法が百四十九カ国に及ぶにもかかわらず、日本国憲法のみが世界の中で唯一無比の平和憲法だと教えられ、それがあたかも平和を愛する日本国民の理念の象徴のごとく扱われ、いつの間にか、平和が確固たる現実のような錯覚に国民は陥っています。
 また、マスメディアを通して聞く憲法問題は第九条にほとんど特化し、国民世論のレベルでは、いまだ護憲か改憲かという画一的な議論のみに終始しているように思います。かつては改憲論者がタカ派とか国粋主義、右翼のレッテルを張られたことをかんがみれば、多少は憲法について議論できる、独立国家として当たり前の風潮が形成されつつあると言えますが、やはり北朝鮮問題やイラク戦争への自衛隊派遣に絡んだ第九条の問題にのみ国民の意識が集中している感は否めません。
 冒頭に述べたように、環境権や知る権利といった新しい権利の概念も含め、二十一世紀にふさわしい日本国のあり方を大局的にとらえる積極的な憲法議論が必要であると考えます。この衆議院憲法調査会のように、憲法が堂々と議論され始めたこと自体は純粋に評価できますが、憲法を論じているだけの見せかけの論憲であれば意味はないと思います。イニシアチブをアメリカにとられることなく、今こそ、敗戦統治の呪縛から完全に解き放たれた自立した日本国を象徴する新しい憲法が真摯に論じられる必要があると考えます。
 憲法を考えるということは、自国の正しい歴史認識や日本独自の価値観や文化、伝統を踏まえ、世界じゅうの人々の多様性を尊重し、世界の平和に積極的に貢献するという普遍的な使命にこたえ得る建国の理念を認識した上で、時代に合った国家のあり方を考えることだと思います。戦後日本がつくり上げた数々の社会システムが機能不全に陥り、国際社会の中で果たす日本の役割やこの国が存在する意味さえも失いつつある現代だからこそ、我々日本国民はその一人一人が自律し、自立国家日本の新しい憲法、つまり二十一世紀に適合する日本という国家のあり方を考えなければならないのです。
 そして、その際に最も重要なことは、国民自身が自分の国の憲法として、みずからの頭で考え、責任を持って行使できる最高法規としてつくり上げていかなければ意味がないということです。国民総意の結論を求めるのも物理的にナンセンスだからと一部の人たちで強引に進めるのではなく、少なくとも過半数を優に超える国民の大多数が国民総意の憲法であるという意識を持ち得る憲法にしていく必要があります。
 一部の国会議員や官僚、憲法学者といった特別な有識者だけによってつくられたのでは、五十九年前と過程は異なれど、押しつけという意味ではもとのもくあみになってしまいます。そうならないためにも、例えば、憲法調査会などで論じられている議論の内容が、マスメディアによって恣意的にゆがめられることなく、正確に、そして広く公開されることによって、国民的憲法議論が全国展開されていくことが必要であると考えます。
 我々日本青年会議所は、真の平和を願い、世界の平和と安定に率先して寄与し得る誇りある自立国家日本の創造を目指して人と社会の開発を行っている全国四万六千人の青年経済人の集まりです。我々の国づくりの理念から申せば、現行憲法には現代社会にそぐわない点が数多く散見され、今こそ、改めて我々日本国民の手でつくり直されるべきものであると考えます。
 もちろん、創憲、改憲、加憲、修憲などと、新しい憲法をつくる手段は多様に存在し、議論の対象にもなっていますが、肝心なことは、どのような国を目指すのか、そのために国民はどのような人でなければならないのか、継承すべき日本国の、そして日本人の価値とは何か、社会の変化に適応し得る新しい権利とは何か、国家と個人の関係をどのようにとらえるのか、そして国際社会と日本国との関係をどのようにとらえるのかといった国家の基本的枠組みと指針が、新しい憲法によって国内外に示すことができるか否かという点にあると考えます。
 このように、憲法とは国家の根幹、いわゆる土台でありますから、土台が揺らいだままで国際協調や世界平和を論じることは到底できません。だからこそ、我々日本青年会議所は、世界平和の実現という青年会議所運動の理念を達成するためにも、国民に現行憲法制定過程の歴史的事実を伝え、国家のあり方を中心に国民的視点による憲法議論を巻き起こそうとしています。そして、そういった国民への直接アプローチ方法を駆使して、考えることをやめてしまった国民の目を覚まさなけばならないミッションを担っていると自負しています。
 歴史をひもとけば、ロシアのスターリンも、イタリアのムッソリーニも、国民の無知、すなわち考えることをしなくなった国民が生み出した独裁者でした。弱者保護の理念や基本的人権の尊重、そして民主主義の概念をも含んだドイツ・ワイマール憲法のもとで行われた正当な選挙で、国民の無知が殺人鬼ヒトラーの独裁体制を生み出してしまいました。
 我が国の憲法がどのように変わったとしても、それだけでは荒廃した日本国民の人心は一新しませんし、憲法自体も正しく機能しないと思います。現代日本の火急の課題は、憲法、すなわち国のあり方の変革の必要性にも増して、霧散している日本人の伝統的な精神性や自尊心、道徳心を復活させ、理想とする国を創造し得る国民をはぐくむことです。そして、国民的憲法議論はまさに日本人の伝統的精神性復活の起爆剤としても有効に機能すると考えます。憲法を議論することにより、二十一世紀に我々日本がどのような国であらなければならないのか、その国家を支える我々国民はどのような人であらなければならないのかといった、国民にとっての新しい価値観が浮き彫りになっていくものと確信をしています。
 現行憲法制定以来五十九年が経過し、我が国を取り巻く国内外の情勢は非常に大きな変化を遂げ、制定当時には想定し得なかった諸問題が数多く生じています。にもかかわらず、半世紀以上ただの一度も手を加えられなかったため、現行憲法は、現実の社会とは乖離をますます深めています。
 今こそ我々ニュージェネレーションは、アメリカ製の憲法に手を加えるという生半可な感覚ではなく、日本の伝統的な価値観や世界の平和と国益とのバランスをしっかり盛り込んだ、二十一世紀の地球社会を代表し、戦争のない平和な世界を先導し得る、誇りある自立国家、美しき日本にふさわしい新しい憲法を創造していかなければならないと考えています。
 以上でございます。(拍手)

発言情報

speech_id: 116104187X00220041118_002

発言者: 高竹和明

speaker_id: 7143

日付: 2004-11-18

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会公聴会