憲法調査会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十六年十一月十八日(木曜日)
午前九時三分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君
幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 加藤 勝信君
木村 勉君 城内 実君
坂本 剛二君 柴山 昌彦君
谷川 弥一君 渡海紀三朗君
中山 泰秀君 永岡 洋治君
野田 毅君 葉梨 康弘君
早川 忠孝君 平井 卓也君
平沼 赳夫君 二田 孝治君
松野 博一君 松宮 勲君
三原 朝彦君 森山 眞弓君
渡辺 博道君 青木 愛君
稲見 哲男君 大出 彰君
鹿野 道彦君 鈴木 克昌君
園田 康博君 辻 惠君
中根 康浩君 長島 昭久君
計屋 圭宏君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 笠 浩史君
和田 隆志君 渡部 恒三君
太田 昭宏君 佐藤 茂樹君
福島 豊君 山口 富男君
照屋 寛徳君 土井たか子君
…………………………………
公述人
(社団法人日本青年会議所二〇〇四年度専務理事・二〇〇五年度会頭) 高竹 和明君
公述人
(社団法人アムネスティ・インターナショナル日本事務局長) 寺中 誠君
公述人
(聖路加国際病院理事長・名誉院長) 日野原重明君
公述人
(法政大学法学部教授) 江橋 崇君
公述人
(桐蔭横浜大学法学部教授)
(岐阜女子大学名誉教授)
(チベット文化研究所名誉所長) ペマ・ギャルポ君
公述人
(関西大学法科大学院教授) 村田 尚紀君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
十一月十八日
辞任 補欠選任
大村 秀章君 木村 勉君
坂本 剛二君 城内 実君
松野 博一君 早川 忠孝君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
木村 勉君 大村 秀章君
城内 実君 谷川 弥一君
早川 忠孝君 松野 博一君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
谷川 弥一君 中山 泰秀君
同日
辞任 補欠選任
中山 泰秀君 坂本 剛二君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時三分開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君
幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 加藤 勝信君
木村 勉君 城内 実君
坂本 剛二君 柴山 昌彦君
谷川 弥一君 渡海紀三朗君
中山 泰秀君 永岡 洋治君
野田 毅君 葉梨 康弘君
早川 忠孝君 平井 卓也君
平沼 赳夫君 二田 孝治君
松野 博一君 松宮 勲君
三原 朝彦君 森山 眞弓君
渡辺 博道君 青木 愛君
稲見 哲男君 大出 彰君
鹿野 道彦君 鈴木 克昌君
園田 康博君 辻 惠君
中根 康浩君 長島 昭久君
計屋 圭宏君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 笠 浩史君
和田 隆志君 渡部 恒三君
太田 昭宏君 佐藤 茂樹君
福島 豊君 山口 富男君
照屋 寛徳君 土井たか子君
…………………………………
公述人
(社団法人日本青年会議所二〇〇四年度専務理事・二〇〇五年度会頭) 高竹 和明君
公述人
(社団法人アムネスティ・インターナショナル日本事務局長) 寺中 誠君
公述人
(聖路加国際病院理事長・名誉院長) 日野原重明君
公述人
(法政大学法学部教授) 江橋 崇君
公述人
(桐蔭横浜大学法学部教授)
(岐阜女子大学名誉教授)
(チベット文化研究所名誉所長) ペマ・ギャルポ君
公述人
(関西大学法科大学院教授) 村田 尚紀君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
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委員の異動
十一月十八日
辞任 補欠選任
大村 秀章君 木村 勉君
坂本 剛二君 城内 実君
松野 博一君 早川 忠孝君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
木村 勉君 大村 秀章君
城内 実君 谷川 弥一君
早川 忠孝君 松野 博一君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
谷川 弥一君 中山 泰秀君
同日
辞任 補欠選任
中山 泰秀君 坂本 剛二君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと思います。
議事の順序について申し上げます。
まず、高竹公述人、寺中公述人、日野原公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと思います。
なお、発言をされる際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず高竹公述人、お願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと思います。
議事の順序について申し上げます。
まず、高竹公述人、寺中公述人、日野原公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと思います。
なお、発言をされる際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず高竹公述人、お願いいたします。
高
高竹和明#2
○高竹公述人 おはようございます。
社団法人日本青年会議所二〇〇四年度専務理事、そして二〇〇五年度会頭を務めます高竹和明と申します。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
日本青年会議所は、全国四万六千名の青年経済人を有する団体でございます。この憲法の問題も含めて、三年前から、まず教育基本法の改正の運動に取り組み、そして、ことし、来年と、この憲法について議論をしていっている状況でございます。したがって、青年経済人の団体ですので、決して憲法に対するプロではございません。しかしながら、我々、二十から四十歳までの青年の団体として、この日本国憲法について積極的に議論をしていこうという構えで今議論をしているところでございます。
それでは、日本国憲法についての意見を述べさせていただきたいと思います。
日本国憲法における問題点といえば、記述されている日本語の理解に苦しむ前文を初め、主権を有する独立国家として国際社会で認められている自衛戦力の保持や自衛のための交戦権までも放棄しているように読める第九条の問題などがすぐに頭に浮かびます。もちろん、憲法改正条項や首相公選制の問題、二院制の問題や非常事態に関する規定の不備、そして現代社会に必要とされる環境権や知る権利といった新しい権利の概念が盛り込まれていないことなど、問題点は多岐にわたって存在していると思います。
しかしながら、一番の問題点は、我々日本国民が自分たちの憲法として精神的に認めていないことではないかと思います。その理由の一つとして、現行憲法は明確性に欠けた翻訳調であるがゆえに、余りにもわかりにくいということが挙げられます。少なくとも、国家の姿をあらわす最高法規としての憲法であるならば、正しい日本語を使用した明瞭な文章で構成されるべきであり、国民のだれが読んでもその解釈において共通の認識が得られる内容であることが大前提だと考えます。
このように、現行憲法には、前文を含む百三条の条文すべてに至るまでさまざまな問題点が多数存在していると認識をしていますが、日本青年会議所は、あくまでも国民の視点で、現行憲法制定と混迷度を増す現代日本との相関を含め、我々が考える憲法そのものに対する総論的所感を中心に意見を述べたいと思います。
一九四五年八月十五日正午の玉音放送で、日本国民は連合国に対する日本軍の無条件降伏を知りました。直ちに本格的な戦後処理がアメリカ主導で開始され、それまでの日本の文化、伝統、歴史観が完全に否定されたことは周知の事実です。そして、もはや戦争が地球上には存在しないというユートピア構想をその前文に掲げ、主権が国民に存在すること、基本的人権を国家が尊重すること、そして永続する担保のない世界の善意と理想に自国の安全保障を完全に依存することをうたった日本国憲法を制定した上で、新生日本の建設を始めました。
明治維新と状況は似ていますが、明治維新が黒船来航を契機に日本人が自発的に沸き起こした変革だったのに対し、戦後処理は、敗戦を契機に連合国、とりわけアメリカ主導の占領統治政策によって強制的にもたらされた変革でした。戦後の日本は、敗戦国であるがゆえにすべてをアメリカにゆだね、伝統的な精神性や自尊心をも捨ててアメリカからの恩恵にあやかってきたのです。
その傍らで、アメリカからもたらされた自由主義、個人主義は日本人にとって都合のいいように解釈をされ、一九五一年に締結した日米安全保障条約によってアメリカの核の傘下に入ると、自国を自力で守る決意もないままに、日本人は国防をアメリカに完全依存することを当たり前と考えるようになっていきました。そして、敗戦後のアメリカによる占領統治、占領統治下にアメリカ主導でつくられた日本国憲法、そして安全保障面で日本を支えた日米安全保障条約がセットになって、日本人から、自国のことを自分のこととして考える精神性を失わせました。
我々は、この国の自己責任の欠如や公共心、道徳心の荒廃が、アメリカ主導による日本国憲法制定から日米安全保障条約締結の一連の流れに始まっていると感じています。真の自立国家としての精神をはぐくむことなく、ただひたすら工業化社会を突き進み、絶対の価値観を経済力に求めた結果、人心の荒廃した国民による今日の混迷した日本社会が形成されてしまったと考えます。
日本国憲法は、言うまでもなく、日本という国の姿とあり方を決める根幹です。ゆえに、我々日本国民は、現行の憲法がいかなる内容で、いかなる過程を経て作成されたものなのか、そしてどこに問題があり、それが戦後の我が国にいかなる影響をもたらしたのかを学び、知る必要があります。
今や、歴史考証によって、日本国憲法が連合国総司令部、GHQによって押しつけられた憲法であることは明白です。翻って、我々はその歴史的事実だけをもって現行憲法を否定すべきではないと考えます。戦前にはなかった民主主義の概念がこのときにつくられたのも事実ですし、国民主権や基本的人権の尊重、戦争の放棄による平和主義、国際協調主義といった現行憲法の基本原理が、戦後日本における民主主義、平和主義の定着、そして物質的に非常に恵まれた超経済大国の形成に大きな役割を果たしたことは否定できないからです。
しかし、前述したように、我が国の現行憲法は、アメリカの占領統治戦略に基づき、日本の習慣や伝統、文化が何一つ考慮されることなく、アメリカにとって都合のいいように作成されました。アメリカの政治的思惑による日本の非軍事化条項である第九条が盛り込まれていたり、前文や第十三条の条文に代表されるような、果たしてどこの国の憲法かわからないといった性格を有していたりするのはそのためであり、我々の国の我々の憲法として適しているとは到底思えません。
我々国民と憲法との感覚的距離はこれまで著しく乖離してきました。義務教育課程においても、国民は、日本が法治国家であるにもかかわらず、最高法規である日本国憲法についてさほど熱心には教えられていません。現在とて、教科書にはページこそ割いてあるものの、習うとしても受験のためだけの日本国憲法です。決して、国の形を考える、国の姿を考える憲法学習にはなっていません。また、全世界に存在する成文憲法の中で平和条項を持つ憲法が百四十九カ国に及ぶにもかかわらず、日本国憲法のみが世界の中で唯一無比の平和憲法だと教えられ、それがあたかも平和を愛する日本国民の理念の象徴のごとく扱われ、いつの間にか、平和が確固たる現実のような錯覚に国民は陥っています。
また、マスメディアを通して聞く憲法問題は第九条にほとんど特化し、国民世論のレベルでは、いまだ護憲か改憲かという画一的な議論のみに終始しているように思います。かつては改憲論者がタカ派とか国粋主義、右翼のレッテルを張られたことをかんがみれば、多少は憲法について議論できる、独立国家として当たり前の風潮が形成されつつあると言えますが、やはり北朝鮮問題やイラク戦争への自衛隊派遣に絡んだ第九条の問題にのみ国民の意識が集中している感は否めません。
冒頭に述べたように、環境権や知る権利といった新しい権利の概念も含め、二十一世紀にふさわしい日本国のあり方を大局的にとらえる積極的な憲法議論が必要であると考えます。この衆議院憲法調査会のように、憲法が堂々と議論され始めたこと自体は純粋に評価できますが、憲法を論じているだけの見せかけの論憲であれば意味はないと思います。イニシアチブをアメリカにとられることなく、今こそ、敗戦統治の呪縛から完全に解き放たれた自立した日本国を象徴する新しい憲法が真摯に論じられる必要があると考えます。
憲法を考えるということは、自国の正しい歴史認識や日本独自の価値観や文化、伝統を踏まえ、世界じゅうの人々の多様性を尊重し、世界の平和に積極的に貢献するという普遍的な使命にこたえ得る建国の理念を認識した上で、時代に合った国家のあり方を考えることだと思います。戦後日本がつくり上げた数々の社会システムが機能不全に陥り、国際社会の中で果たす日本の役割やこの国が存在する意味さえも失いつつある現代だからこそ、我々日本国民はその一人一人が自律し、自立国家日本の新しい憲法、つまり二十一世紀に適合する日本という国家のあり方を考えなければならないのです。
そして、その際に最も重要なことは、国民自身が自分の国の憲法として、みずからの頭で考え、責任を持って行使できる最高法規としてつくり上げていかなければ意味がないということです。国民総意の結論を求めるのも物理的にナンセンスだからと一部の人たちで強引に進めるのではなく、少なくとも過半数を優に超える国民の大多数が国民総意の憲法であるという意識を持ち得る憲法にしていく必要があります。
一部の国会議員や官僚、憲法学者といった特別な有識者だけによってつくられたのでは、五十九年前と過程は異なれど、押しつけという意味ではもとのもくあみになってしまいます。そうならないためにも、例えば、憲法調査会などで論じられている議論の内容が、マスメディアによって恣意的にゆがめられることなく、正確に、そして広く公開されることによって、国民的憲法議論が全国展開されていくことが必要であると考えます。
我々日本青年会議所は、真の平和を願い、世界の平和と安定に率先して寄与し得る誇りある自立国家日本の創造を目指して人と社会の開発を行っている全国四万六千人の青年経済人の集まりです。我々の国づくりの理念から申せば、現行憲法には現代社会にそぐわない点が数多く散見され、今こそ、改めて我々日本国民の手でつくり直されるべきものであると考えます。
もちろん、創憲、改憲、加憲、修憲などと、新しい憲法をつくる手段は多様に存在し、議論の対象にもなっていますが、肝心なことは、どのような国を目指すのか、そのために国民はどのような人でなければならないのか、継承すべき日本国の、そして日本人の価値とは何か、社会の変化に適応し得る新しい権利とは何か、国家と個人の関係をどのようにとらえるのか、そして国際社会と日本国との関係をどのようにとらえるのかといった国家の基本的枠組みと指針が、新しい憲法によって国内外に示すことができるか否かという点にあると考えます。
このように、憲法とは国家の根幹、いわゆる土台でありますから、土台が揺らいだままで国際協調や世界平和を論じることは到底できません。だからこそ、我々日本青年会議所は、世界平和の実現という青年会議所運動の理念を達成するためにも、国民に現行憲法制定過程の歴史的事実を伝え、国家のあり方を中心に国民的視点による憲法議論を巻き起こそうとしています。そして、そういった国民への直接アプローチ方法を駆使して、考えることをやめてしまった国民の目を覚まさなけばならないミッションを担っていると自負しています。
歴史をひもとけば、ロシアのスターリンも、イタリアのムッソリーニも、国民の無知、すなわち考えることをしなくなった国民が生み出した独裁者でした。弱者保護の理念や基本的人権の尊重、そして民主主義の概念をも含んだドイツ・ワイマール憲法のもとで行われた正当な選挙で、国民の無知が殺人鬼ヒトラーの独裁体制を生み出してしまいました。
我が国の憲法がどのように変わったとしても、それだけでは荒廃した日本国民の人心は一新しませんし、憲法自体も正しく機能しないと思います。現代日本の火急の課題は、憲法、すなわち国のあり方の変革の必要性にも増して、霧散している日本人の伝統的な精神性や自尊心、道徳心を復活させ、理想とする国を創造し得る国民をはぐくむことです。そして、国民的憲法議論はまさに日本人の伝統的精神性復活の起爆剤としても有効に機能すると考えます。憲法を議論することにより、二十一世紀に我々日本がどのような国であらなければならないのか、その国家を支える我々国民はどのような人であらなければならないのかといった、国民にとっての新しい価値観が浮き彫りになっていくものと確信をしています。
現行憲法制定以来五十九年が経過し、我が国を取り巻く国内外の情勢は非常に大きな変化を遂げ、制定当時には想定し得なかった諸問題が数多く生じています。にもかかわらず、半世紀以上ただの一度も手を加えられなかったため、現行憲法は、現実の社会とは乖離をますます深めています。
今こそ我々ニュージェネレーションは、アメリカ製の憲法に手を加えるという生半可な感覚ではなく、日本の伝統的な価値観や世界の平和と国益とのバランスをしっかり盛り込んだ、二十一世紀の地球社会を代表し、戦争のない平和な世界を先導し得る、誇りある自立国家、美しき日本にふさわしい新しい憲法を創造していかなければならないと考えています。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →社団法人日本青年会議所二〇〇四年度専務理事、そして二〇〇五年度会頭を務めます高竹和明と申します。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
日本青年会議所は、全国四万六千名の青年経済人を有する団体でございます。この憲法の問題も含めて、三年前から、まず教育基本法の改正の運動に取り組み、そして、ことし、来年と、この憲法について議論をしていっている状況でございます。したがって、青年経済人の団体ですので、決して憲法に対するプロではございません。しかしながら、我々、二十から四十歳までの青年の団体として、この日本国憲法について積極的に議論をしていこうという構えで今議論をしているところでございます。
それでは、日本国憲法についての意見を述べさせていただきたいと思います。
日本国憲法における問題点といえば、記述されている日本語の理解に苦しむ前文を初め、主権を有する独立国家として国際社会で認められている自衛戦力の保持や自衛のための交戦権までも放棄しているように読める第九条の問題などがすぐに頭に浮かびます。もちろん、憲法改正条項や首相公選制の問題、二院制の問題や非常事態に関する規定の不備、そして現代社会に必要とされる環境権や知る権利といった新しい権利の概念が盛り込まれていないことなど、問題点は多岐にわたって存在していると思います。
しかしながら、一番の問題点は、我々日本国民が自分たちの憲法として精神的に認めていないことではないかと思います。その理由の一つとして、現行憲法は明確性に欠けた翻訳調であるがゆえに、余りにもわかりにくいということが挙げられます。少なくとも、国家の姿をあらわす最高法規としての憲法であるならば、正しい日本語を使用した明瞭な文章で構成されるべきであり、国民のだれが読んでもその解釈において共通の認識が得られる内容であることが大前提だと考えます。
このように、現行憲法には、前文を含む百三条の条文すべてに至るまでさまざまな問題点が多数存在していると認識をしていますが、日本青年会議所は、あくまでも国民の視点で、現行憲法制定と混迷度を増す現代日本との相関を含め、我々が考える憲法そのものに対する総論的所感を中心に意見を述べたいと思います。
一九四五年八月十五日正午の玉音放送で、日本国民は連合国に対する日本軍の無条件降伏を知りました。直ちに本格的な戦後処理がアメリカ主導で開始され、それまでの日本の文化、伝統、歴史観が完全に否定されたことは周知の事実です。そして、もはや戦争が地球上には存在しないというユートピア構想をその前文に掲げ、主権が国民に存在すること、基本的人権を国家が尊重すること、そして永続する担保のない世界の善意と理想に自国の安全保障を完全に依存することをうたった日本国憲法を制定した上で、新生日本の建設を始めました。
明治維新と状況は似ていますが、明治維新が黒船来航を契機に日本人が自発的に沸き起こした変革だったのに対し、戦後処理は、敗戦を契機に連合国、とりわけアメリカ主導の占領統治政策によって強制的にもたらされた変革でした。戦後の日本は、敗戦国であるがゆえにすべてをアメリカにゆだね、伝統的な精神性や自尊心をも捨ててアメリカからの恩恵にあやかってきたのです。
その傍らで、アメリカからもたらされた自由主義、個人主義は日本人にとって都合のいいように解釈をされ、一九五一年に締結した日米安全保障条約によってアメリカの核の傘下に入ると、自国を自力で守る決意もないままに、日本人は国防をアメリカに完全依存することを当たり前と考えるようになっていきました。そして、敗戦後のアメリカによる占領統治、占領統治下にアメリカ主導でつくられた日本国憲法、そして安全保障面で日本を支えた日米安全保障条約がセットになって、日本人から、自国のことを自分のこととして考える精神性を失わせました。
我々は、この国の自己責任の欠如や公共心、道徳心の荒廃が、アメリカ主導による日本国憲法制定から日米安全保障条約締結の一連の流れに始まっていると感じています。真の自立国家としての精神をはぐくむことなく、ただひたすら工業化社会を突き進み、絶対の価値観を経済力に求めた結果、人心の荒廃した国民による今日の混迷した日本社会が形成されてしまったと考えます。
日本国憲法は、言うまでもなく、日本という国の姿とあり方を決める根幹です。ゆえに、我々日本国民は、現行の憲法がいかなる内容で、いかなる過程を経て作成されたものなのか、そしてどこに問題があり、それが戦後の我が国にいかなる影響をもたらしたのかを学び、知る必要があります。
今や、歴史考証によって、日本国憲法が連合国総司令部、GHQによって押しつけられた憲法であることは明白です。翻って、我々はその歴史的事実だけをもって現行憲法を否定すべきではないと考えます。戦前にはなかった民主主義の概念がこのときにつくられたのも事実ですし、国民主権や基本的人権の尊重、戦争の放棄による平和主義、国際協調主義といった現行憲法の基本原理が、戦後日本における民主主義、平和主義の定着、そして物質的に非常に恵まれた超経済大国の形成に大きな役割を果たしたことは否定できないからです。
しかし、前述したように、我が国の現行憲法は、アメリカの占領統治戦略に基づき、日本の習慣や伝統、文化が何一つ考慮されることなく、アメリカにとって都合のいいように作成されました。アメリカの政治的思惑による日本の非軍事化条項である第九条が盛り込まれていたり、前文や第十三条の条文に代表されるような、果たしてどこの国の憲法かわからないといった性格を有していたりするのはそのためであり、我々の国の我々の憲法として適しているとは到底思えません。
我々国民と憲法との感覚的距離はこれまで著しく乖離してきました。義務教育課程においても、国民は、日本が法治国家であるにもかかわらず、最高法規である日本国憲法についてさほど熱心には教えられていません。現在とて、教科書にはページこそ割いてあるものの、習うとしても受験のためだけの日本国憲法です。決して、国の形を考える、国の姿を考える憲法学習にはなっていません。また、全世界に存在する成文憲法の中で平和条項を持つ憲法が百四十九カ国に及ぶにもかかわらず、日本国憲法のみが世界の中で唯一無比の平和憲法だと教えられ、それがあたかも平和を愛する日本国民の理念の象徴のごとく扱われ、いつの間にか、平和が確固たる現実のような錯覚に国民は陥っています。
また、マスメディアを通して聞く憲法問題は第九条にほとんど特化し、国民世論のレベルでは、いまだ護憲か改憲かという画一的な議論のみに終始しているように思います。かつては改憲論者がタカ派とか国粋主義、右翼のレッテルを張られたことをかんがみれば、多少は憲法について議論できる、独立国家として当たり前の風潮が形成されつつあると言えますが、やはり北朝鮮問題やイラク戦争への自衛隊派遣に絡んだ第九条の問題にのみ国民の意識が集中している感は否めません。
冒頭に述べたように、環境権や知る権利といった新しい権利の概念も含め、二十一世紀にふさわしい日本国のあり方を大局的にとらえる積極的な憲法議論が必要であると考えます。この衆議院憲法調査会のように、憲法が堂々と議論され始めたこと自体は純粋に評価できますが、憲法を論じているだけの見せかけの論憲であれば意味はないと思います。イニシアチブをアメリカにとられることなく、今こそ、敗戦統治の呪縛から完全に解き放たれた自立した日本国を象徴する新しい憲法が真摯に論じられる必要があると考えます。
憲法を考えるということは、自国の正しい歴史認識や日本独自の価値観や文化、伝統を踏まえ、世界じゅうの人々の多様性を尊重し、世界の平和に積極的に貢献するという普遍的な使命にこたえ得る建国の理念を認識した上で、時代に合った国家のあり方を考えることだと思います。戦後日本がつくり上げた数々の社会システムが機能不全に陥り、国際社会の中で果たす日本の役割やこの国が存在する意味さえも失いつつある現代だからこそ、我々日本国民はその一人一人が自律し、自立国家日本の新しい憲法、つまり二十一世紀に適合する日本という国家のあり方を考えなければならないのです。
そして、その際に最も重要なことは、国民自身が自分の国の憲法として、みずからの頭で考え、責任を持って行使できる最高法規としてつくり上げていかなければ意味がないということです。国民総意の結論を求めるのも物理的にナンセンスだからと一部の人たちで強引に進めるのではなく、少なくとも過半数を優に超える国民の大多数が国民総意の憲法であるという意識を持ち得る憲法にしていく必要があります。
一部の国会議員や官僚、憲法学者といった特別な有識者だけによってつくられたのでは、五十九年前と過程は異なれど、押しつけという意味ではもとのもくあみになってしまいます。そうならないためにも、例えば、憲法調査会などで論じられている議論の内容が、マスメディアによって恣意的にゆがめられることなく、正確に、そして広く公開されることによって、国民的憲法議論が全国展開されていくことが必要であると考えます。
我々日本青年会議所は、真の平和を願い、世界の平和と安定に率先して寄与し得る誇りある自立国家日本の創造を目指して人と社会の開発を行っている全国四万六千人の青年経済人の集まりです。我々の国づくりの理念から申せば、現行憲法には現代社会にそぐわない点が数多く散見され、今こそ、改めて我々日本国民の手でつくり直されるべきものであると考えます。
もちろん、創憲、改憲、加憲、修憲などと、新しい憲法をつくる手段は多様に存在し、議論の対象にもなっていますが、肝心なことは、どのような国を目指すのか、そのために国民はどのような人でなければならないのか、継承すべき日本国の、そして日本人の価値とは何か、社会の変化に適応し得る新しい権利とは何か、国家と個人の関係をどのようにとらえるのか、そして国際社会と日本国との関係をどのようにとらえるのかといった国家の基本的枠組みと指針が、新しい憲法によって国内外に示すことができるか否かという点にあると考えます。
このように、憲法とは国家の根幹、いわゆる土台でありますから、土台が揺らいだままで国際協調や世界平和を論じることは到底できません。だからこそ、我々日本青年会議所は、世界平和の実現という青年会議所運動の理念を達成するためにも、国民に現行憲法制定過程の歴史的事実を伝え、国家のあり方を中心に国民的視点による憲法議論を巻き起こそうとしています。そして、そういった国民への直接アプローチ方法を駆使して、考えることをやめてしまった国民の目を覚まさなけばならないミッションを担っていると自負しています。
歴史をひもとけば、ロシアのスターリンも、イタリアのムッソリーニも、国民の無知、すなわち考えることをしなくなった国民が生み出した独裁者でした。弱者保護の理念や基本的人権の尊重、そして民主主義の概念をも含んだドイツ・ワイマール憲法のもとで行われた正当な選挙で、国民の無知が殺人鬼ヒトラーの独裁体制を生み出してしまいました。
我が国の憲法がどのように変わったとしても、それだけでは荒廃した日本国民の人心は一新しませんし、憲法自体も正しく機能しないと思います。現代日本の火急の課題は、憲法、すなわち国のあり方の変革の必要性にも増して、霧散している日本人の伝統的な精神性や自尊心、道徳心を復活させ、理想とする国を創造し得る国民をはぐくむことです。そして、国民的憲法議論はまさに日本人の伝統的精神性復活の起爆剤としても有効に機能すると考えます。憲法を議論することにより、二十一世紀に我々日本がどのような国であらなければならないのか、その国家を支える我々国民はどのような人であらなければならないのかといった、国民にとっての新しい価値観が浮き彫りになっていくものと確信をしています。
現行憲法制定以来五十九年が経過し、我が国を取り巻く国内外の情勢は非常に大きな変化を遂げ、制定当時には想定し得なかった諸問題が数多く生じています。にもかかわらず、半世紀以上ただの一度も手を加えられなかったため、現行憲法は、現実の社会とは乖離をますます深めています。
今こそ我々ニュージェネレーションは、アメリカ製の憲法に手を加えるという生半可な感覚ではなく、日本の伝統的な価値観や世界の平和と国益とのバランスをしっかり盛り込んだ、二十一世紀の地球社会を代表し、戦争のない平和な世界を先導し得る、誇りある自立国家、美しき日本にふさわしい新しい憲法を創造していかなければならないと考えています。
以上でございます。拍手
中
寺
寺中誠#4
○寺中公述人 ありがとうございます。このような機会を与えていただきまして、委員の皆様方に感謝いたします。
私どもアムネスティ・インターナショナルは、国際的な人権擁護組織ということで知られております。世界百五十カ国、百八十万人ぐらいを会員に持っているというふうに我々としては考えておりまして、活動は、不偏不党であり、いかなる国家、宗教にも縛られることなく、非暴力で活動するということをその活動の信条としております。この非暴力という点におきましては、表現の自由を行使しただけで、非暴力であるにもかかわらずとらわれの身になってしまった良心の囚人の釈放運動というところから最初は始まっております。
一九六一年、英国の弁護士ピーター・ベネンソンが、ある朝、新聞記事で、ポルトガルで二人の学生が、自由のために乾杯という形でパブで乾杯をしただけで捕まってしまったという、その記事を目にして、これではいけない、こういうことが世界で起きてはいけないということで活動を開始いたしました。
そのような事件が余りにも数多く起きているということに着目した人々が、アムネスティ・インターナショナルという国際組織としてこれを打ち立てまして、日本でも一九七〇年に日本支部が設立されておりまして、それ以来、日本の国内の中で社会に根づいた活動という形でこの国際的な運動を続けております。一九七七年にはノーベル平和賞をその活動に対して受賞しております。
現在、日本では、会員、支援者が約七千人いるというふうに考えておりまして、この会員、支援者による寄附、会費及び販売等の事業費等で一応賄っている、そういう財政状態になっておりまして、どこの国からも一切の援助は受けておりません。そのような形をとれば不偏不党性が害されるというふうに考えている、そういう極めて中立的な組織であります。
その立場から、私どもの方で、現在のこの日本国憲法に関係するさまざまな問題というものを少しお話しさせていただきたいというふうに思っております。
まず、私ども、日本国憲法のうちの特にやはり人権の問題に関して一番関心を持っておりまして、国際的な人権という流れと、日本の国の憲法の中にある人権というこの規定、この間のきちんとしたつながり、連携というものを重視しております。
現在、日本は、国際人権主要条約と呼ばれる条約七つのうち六つの締約国になっております。唯一締約国になっていないものが、移住労働者権利保護条約と呼ばれているものでありますけれども、これは現段階では署名も加入もされておりません。
このように、今、主要条約のうち六つという形で、市民的、政治的権利に関する国際規約、社会的、経済的、文化的権利に関する国際規約、それから、拷問等禁止条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約といった各六つの条約に対しては締約国になっておりますが、この本条約には締約国になっているものの、その選択議定書になりますと、締約国になっている部分が非常に少のうございます。
選択議定書は、主に国際人権手続に関する規定を持っておりまして、個人通報制度であるとか、あるいは調査制度であるとか、査察制度であるとか、そういうものを規定しております。これが本条約の方にも書かれている場合には、日本政府は、それを留保しているという形で、基本的にはそのような個人通報やそれから査察制度というものをむしろ国際的には拒否しているような、そういう態度を見せております。
このような調査制度、査察制度、それから個人通報制度というのは、人権侵害が起きるのを防止するための非常に重要な事項でありますけれども、そこの部分をできるだけ落としていくという形で締約国になっている点に関しまして、私どもは重大な懸念を抱いております。
日本国憲法は、第九十八条第二項におきまして、条約が国内法的効力を持つことを認めております。したがいまして、条約を締結している以上、国内法としての効力を持っているはずなんですけれども、しかしながら、日本の場合には、基本的には国内法先行ということになりますので、国内法の整備が済むまではなかなか批准も加入もしない、そういう態度になっております。同じような形で、国際刑事裁判所規程というものが現在存在しておりますけれども、この規程に関しましてもまだ未加入でございます。
国際人権手続というのは、国際人権法に規定されたさまざまな組織関係の手続が稼働する、そのための重要なシステムでございます。これは、このシステムに対して日本政府が十分に参加していないということになってしまいます。確かにその条約機関に対しては日本政府は参加しているわけですけれども、その手続を使うことに対して極めて制限的であるという点が非常に大きな問題になります。
そしてまた、国際人権法に掲げられているさまざまな規定というものを十分に反映した形で日本の憲法の規定が準用されているというか、使われているという形にはなっていないという点で、条約と憲法、それから実際の法律の執行、実務部分というものが、それぞれが乖離しているという点が非常に懸念されます。
私どもの観点からすれば、国際的な基準に沿ってきちんと実務までそれが貫徹されなければならないというふうに考えるのですが、日本の現状は、国際的な基準と日本の現状との間を憲法なりあるいは国内法なりで切っているというふうに考えております。
このような問題は、例えば刑事捜査の段階で取り調べの規定が極めて制限的であるということ、取り調べの内容がほとんど開示されていないということ、あるいは、取り調べの際に弁護士が立ち会うというようなことは認められていないといったようなことなどが非常に大きく問題になってきます。
それからまた、残虐な刑罰の禁止という規定が三十六条にあるんですが、この残虐な刑罰の禁止に関しましては、拷問等禁止条約では、そのほかに、残虐な、非人道的な、あるいは品位を傷つける取り扱いといったようなものも全部含めた形で規定しているんですが、この部分が非常に制限的に解釈されているという嫌いがございます。きちんと、この拷問等禁止条約の中で蓄積されてきたさまざまな解釈、国際機関などで行われている解釈なども踏まえる形で国内法の実施というものが担保されなければならないというふうに考えております。
それからまた、国際刑事裁判所でございますけれども、これは最近できた国際機関ではございますが、極めて考えられた、考え抜かれたと申し上げてよろしいでしょうか、日本政府も当初は極めて積極的にこれに関与していたんですが、考え抜かれた刑事司法の一般的な国際規範、そういう側面も持っております。この刑事司法の国際規範である国際刑事裁判所の規程を一刻も早く認めること、そしてそれに加入することというのは、これは、国際人権を日本の中で実現していくための非常に重要な要素であるというふうに考えております。
ぜひとも、日本の政府におかれましては、このような国際基準を憲法的な側面からきちんと押さえていく、そしてそれを憲法的な規範としてきちんと取り入れていく、そういう方向で考えていただきたいというふうに考えております。
これは、具体的にどのような部分を、変更ということよりは、むしろ解釈などで動かしていく部分だと存じますけれども、解釈は決して裁判所のみに任せられるものではございません。国際人権の分野では各条約機関が解釈権を持っておりますし、それからまた、立法府もその解釈に関して一定の指針を与えることができるというふうに考えております。したがいまして、このような国際人権の解釈を通じて、きちんと憲法の理念というものを明らかにしていっていただきたいというふうに考えている次第です。
この関係で非常に重要になりますのが、表現の自由の保護でございます。表現の自由というのは、御存じのとおり、日本国憲法にも規定されておりますし、それから自由権規約にもきちんと規定されております。世界人権宣言でも高らかにうたわれた権利です。
したがいまして、全世界で守られなければならない、そういう権利なのでございますけれども、最近、日本で初めて、私どもアムネスティ・インターナショナルが良心の囚人を認定いたしました。この日本国内で初めて認定された良心の囚人というのは、結果的には、表現の自由を行使しただけであるにもかかわらず、非暴力であるにもかかわらず、逮捕されてしまい、そして起訴されて、現在裁判中でございます。この三人は、立川の自衛隊官舎にイラク戦争反対の意見を表明する、そういうビラを入れたということなのでございますけれども、ビラを入れただけで住居侵入という罪に問われた、そういう事件でございます。
現在、裁判所で係属されているということはもちろん承知しておりますけれども、私どもの方としては、このような形で、表現の自由を行使しただけで、つまり自分たちの戦争に対する意見を表明しただけで、逮捕、起訴に至ってしまうというこの状況、これに対して強い危機感を覚えます。この危機感に関しましては、これは明らかに国際人権法の規定に違反しているというふうに考えておりまして、この部分に関して早急に、このようなことが二度と起こらないような予防措置、防止措置をとるべきではないだろうかというふうに考えております。これは、憲法を守るという観点から、どうしても必要なことではないかというふうに考えておりますので、その旨ここでお伝えしたいというふうに存じております。
言論の内容、この場合にはビラ入れという、このビラの内容によって逮捕、起訴というものが決まってしまったということは、これは表現の自由の侵害そのものになります。すなわち、ここでは公権力の判断に対抗する言論というものがあるわけですが、あなたの言うことには反対である、しかしあなたがそれを言う権利は最後まで保障するという、これが憲法を守る、あるいは権利を守る、そういう態度だろうというふうに考えます。私どもアムネスティは、そのようにしてずっと活動してきております。ここの部分が非常に弱いのではないかという危惧を覚えるわけでございます。
それから、もう一つ重要なことは、日本国憲法には、もともとの英文にはピープルというふうに書かれてありました文言が国民と訳されている箇所が多々あります。このピープルと国民の概念は違います。ピープルはもちろんすべての民衆を含むわけでして、国民のみにとどまるものではございません。
しかしながら、解釈が行われ、そして翻訳が行われる過程で排除された、そういう人々がございます。それは、とりもなおさず外国人の問題でございます。外国人の権利に関しましては、きちんと明文化された日本語訳の憲法の中には存在していないというのが現状でございまして、ここの部分をきちんと押さえて、そして外国人もまた日本社会の中で生きていく我々の仲間であるということを明言する、そういう部分が必要であろうというふうに考えます。こういうものは国際人権規約の方には幾つか存在しております。ですから、国際人権規約が九十八条二項によって国内法としての効力を持っているということであれば、そこで一応保護はされているという形になるのですが、ここの部分がいかんせん非常に弱いというのが私どもの非常な現在の懸念でございます。
最近、治安が悪化しているというようなことがよく言われますけれども、その一つの理由が外国人の犯罪の急増であるというようなことが言われています。しかしながら、統計上は、外国人の犯罪というのは、日本人の犯罪と比較しますとほぼ全犯罪の二・三%から二・四%あたりを占めるにすぎませんで、ことしもそのパーセンテージはむしろ減っております。すなわち、圧倒的多数が、九七%から八%にかけてが日本人の犯罪であり、外国人が殊さら危険であるというふうに言うのは、これは非常に大きな問題であるというふうに考えています。
また、治安が悪化しているというこの認識に関しましても、統計的には治安が悪化しているという状況には実はないということは、これは専門家の指摘などでほぼ明らかになっています。にもかかわらず、治安悪化が政治的にはアジェンダにのり、さまざまな方々の口を通して語られ続けているというのが現状であるというふうに考えています。
その中で、外国人がターゲットになるというのは、最近の入国管理局が行っておりますメール通報制度なども含めて考えているわけですが、これは人種差別撤廃条約の第四条(c)という項があるんですが、これは人種差別を助長する罪、この場合の人種差別には、国民でない者、市民でない者の権利というものも含めているわけですが、これが侵害されているというふうに考えております。これを助長している、そういう行為は、この人種差別撤廃条約の四条(c)に違反するであろうというふうに考えるわけです。このようなことが起きないよう、一刻も早く人種差別、外国人及び移住労働者の権利を保護するための権利法を制定し、そして制度を整備することが必要なのではないだろうかというふうに考えておりますし、それからまた、いたずらに治安悪化をあおるような言説というものを、どこかの段階で抑えなければいけない、それが政治の責任ではないかというふうに考えております。
最後に、大きな問題を少し扱わせていただきたいのですけれども、人権はだれのためのものかということをまず考えていただきたいというふうに考えております。
人権は、ともすれば、最近、権利を主張するなら義務を果たせというような形で、人権ばかり主張する、あるいは権利ばかり主張するというような批判をされる方々がいらっしゃいます。しかしながら、この権利を主張するなら義務を果たせというのは、考え方として誤っております。なぜならば、権利というものと義務というものとは相互に表と裏の関係にあるものでございまして、権利を主張するということは、それを守らなければいけない義務がどこかに発生するということ、それをあらわすものでございます。
したがいまして、権利を主張しなければ救われないような状態にある社会的な弱者というような人々は権利を主張するわけでありまして、今度はその社会的な弱者、これを守ることが社会的な強者、パワーを持つ者の責任、義務になるというのが、この権利と義務との関係でございます。義務を果たさないのに権利ばかり主張するというふうにそこで論難するのは、むしろ話をすりかえているというふうに、権利の観点からすれば考えられます。
このような形で、社会的弱者の持っている権利というものをどうやって実現していくかということを考える、これが人権というものの考え方でございます。日本国憲法もいみじくもそのような人権観を十分に中に内包しているというふうに私どもは考えています。
このような権利ですが、日本国憲法の権利の記述の仕方というものは、カタログ的に、例えば表現の自由であるとか、人身の自由であるとか、そういうカタログ的にそれを記述する形で列挙しております。
残念ながら、このようなカタログ的な権利観というものは、現在では十分に妥当性を持っていないのではないかというふうに指摘されています。なぜならば、実際に権利を必要としているのは、そのようにカタログ的に権利を記述されて、そしてその中で守られるというべき、そういう人たちではなく、むしろどの権利も何もすべての権利が失われている、そういう社会的弱者というものがそこに存在していて、その弱者たちをどのような形で保護するのかということが、あらゆる権利を横断して考えられなければならない。その点では、自由権とか社会権とかいったような区別、あるいはその他の第三世代の権利といったような、そういう区別、それを超えたところに権利を保護する、そういう責任が発生するのだというふうに考えられているからです。
こういう考え方を人権享有主体別の権利観というふうに申し上げておりまして、ここの部分に関しましては、例えば、国際人権規約、子どもの権利条約であるとか、あるいは人種差別撤廃条約であるとか、あるいは女性差別撤廃条約であるとか、そういう形で権利保護が叫ばれております。そして、最近では、移住労働者の権利保護条約というものが生まれるという形で、この人権享有主体というものがはっきりと意識されている。次には多分障害者の権利というものが問題になってくるのだろうと思いますが、このように、だれが権利を必要としているのかということを明確に見据えた形で人権論というものは展開していただきたいというふうに考えております。
そのためには、受刑者であるとか、あるいは被疑者であるとか、あるいは被害者であるとか、そしてまた性的少数者、民族的少数者、それから社会的なマイノリティー、その人々に対する権利の主体としての全体的なその権利を保護する、そういう態度が必要なのではないかというふうに私どもアムネスティ・インターナショナルとしては考えております。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →私どもアムネスティ・インターナショナルは、国際的な人権擁護組織ということで知られております。世界百五十カ国、百八十万人ぐらいを会員に持っているというふうに我々としては考えておりまして、活動は、不偏不党であり、いかなる国家、宗教にも縛られることなく、非暴力で活動するということをその活動の信条としております。この非暴力という点におきましては、表現の自由を行使しただけで、非暴力であるにもかかわらずとらわれの身になってしまった良心の囚人の釈放運動というところから最初は始まっております。
一九六一年、英国の弁護士ピーター・ベネンソンが、ある朝、新聞記事で、ポルトガルで二人の学生が、自由のために乾杯という形でパブで乾杯をしただけで捕まってしまったという、その記事を目にして、これではいけない、こういうことが世界で起きてはいけないということで活動を開始いたしました。
そのような事件が余りにも数多く起きているということに着目した人々が、アムネスティ・インターナショナルという国際組織としてこれを打ち立てまして、日本でも一九七〇年に日本支部が設立されておりまして、それ以来、日本の国内の中で社会に根づいた活動という形でこの国際的な運動を続けております。一九七七年にはノーベル平和賞をその活動に対して受賞しております。
現在、日本では、会員、支援者が約七千人いるというふうに考えておりまして、この会員、支援者による寄附、会費及び販売等の事業費等で一応賄っている、そういう財政状態になっておりまして、どこの国からも一切の援助は受けておりません。そのような形をとれば不偏不党性が害されるというふうに考えている、そういう極めて中立的な組織であります。
その立場から、私どもの方で、現在のこの日本国憲法に関係するさまざまな問題というものを少しお話しさせていただきたいというふうに思っております。
まず、私ども、日本国憲法のうちの特にやはり人権の問題に関して一番関心を持っておりまして、国際的な人権という流れと、日本の国の憲法の中にある人権というこの規定、この間のきちんとしたつながり、連携というものを重視しております。
現在、日本は、国際人権主要条約と呼ばれる条約七つのうち六つの締約国になっております。唯一締約国になっていないものが、移住労働者権利保護条約と呼ばれているものでありますけれども、これは現段階では署名も加入もされておりません。
このように、今、主要条約のうち六つという形で、市民的、政治的権利に関する国際規約、社会的、経済的、文化的権利に関する国際規約、それから、拷問等禁止条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約といった各六つの条約に対しては締約国になっておりますが、この本条約には締約国になっているものの、その選択議定書になりますと、締約国になっている部分が非常に少のうございます。
選択議定書は、主に国際人権手続に関する規定を持っておりまして、個人通報制度であるとか、あるいは調査制度であるとか、査察制度であるとか、そういうものを規定しております。これが本条約の方にも書かれている場合には、日本政府は、それを留保しているという形で、基本的にはそのような個人通報やそれから査察制度というものをむしろ国際的には拒否しているような、そういう態度を見せております。
このような調査制度、査察制度、それから個人通報制度というのは、人権侵害が起きるのを防止するための非常に重要な事項でありますけれども、そこの部分をできるだけ落としていくという形で締約国になっている点に関しまして、私どもは重大な懸念を抱いております。
日本国憲法は、第九十八条第二項におきまして、条約が国内法的効力を持つことを認めております。したがいまして、条約を締結している以上、国内法としての効力を持っているはずなんですけれども、しかしながら、日本の場合には、基本的には国内法先行ということになりますので、国内法の整備が済むまではなかなか批准も加入もしない、そういう態度になっております。同じような形で、国際刑事裁判所規程というものが現在存在しておりますけれども、この規程に関しましてもまだ未加入でございます。
国際人権手続というのは、国際人権法に規定されたさまざまな組織関係の手続が稼働する、そのための重要なシステムでございます。これは、このシステムに対して日本政府が十分に参加していないということになってしまいます。確かにその条約機関に対しては日本政府は参加しているわけですけれども、その手続を使うことに対して極めて制限的であるという点が非常に大きな問題になります。
そしてまた、国際人権法に掲げられているさまざまな規定というものを十分に反映した形で日本の憲法の規定が準用されているというか、使われているという形にはなっていないという点で、条約と憲法、それから実際の法律の執行、実務部分というものが、それぞれが乖離しているという点が非常に懸念されます。
私どもの観点からすれば、国際的な基準に沿ってきちんと実務までそれが貫徹されなければならないというふうに考えるのですが、日本の現状は、国際的な基準と日本の現状との間を憲法なりあるいは国内法なりで切っているというふうに考えております。
このような問題は、例えば刑事捜査の段階で取り調べの規定が極めて制限的であるということ、取り調べの内容がほとんど開示されていないということ、あるいは、取り調べの際に弁護士が立ち会うというようなことは認められていないといったようなことなどが非常に大きく問題になってきます。
それからまた、残虐な刑罰の禁止という規定が三十六条にあるんですが、この残虐な刑罰の禁止に関しましては、拷問等禁止条約では、そのほかに、残虐な、非人道的な、あるいは品位を傷つける取り扱いといったようなものも全部含めた形で規定しているんですが、この部分が非常に制限的に解釈されているという嫌いがございます。きちんと、この拷問等禁止条約の中で蓄積されてきたさまざまな解釈、国際機関などで行われている解釈なども踏まえる形で国内法の実施というものが担保されなければならないというふうに考えております。
それからまた、国際刑事裁判所でございますけれども、これは最近できた国際機関ではございますが、極めて考えられた、考え抜かれたと申し上げてよろしいでしょうか、日本政府も当初は極めて積極的にこれに関与していたんですが、考え抜かれた刑事司法の一般的な国際規範、そういう側面も持っております。この刑事司法の国際規範である国際刑事裁判所の規程を一刻も早く認めること、そしてそれに加入することというのは、これは、国際人権を日本の中で実現していくための非常に重要な要素であるというふうに考えております。
ぜひとも、日本の政府におかれましては、このような国際基準を憲法的な側面からきちんと押さえていく、そしてそれを憲法的な規範としてきちんと取り入れていく、そういう方向で考えていただきたいというふうに考えております。
これは、具体的にどのような部分を、変更ということよりは、むしろ解釈などで動かしていく部分だと存じますけれども、解釈は決して裁判所のみに任せられるものではございません。国際人権の分野では各条約機関が解釈権を持っておりますし、それからまた、立法府もその解釈に関して一定の指針を与えることができるというふうに考えております。したがいまして、このような国際人権の解釈を通じて、きちんと憲法の理念というものを明らかにしていっていただきたいというふうに考えている次第です。
この関係で非常に重要になりますのが、表現の自由の保護でございます。表現の自由というのは、御存じのとおり、日本国憲法にも規定されておりますし、それから自由権規約にもきちんと規定されております。世界人権宣言でも高らかにうたわれた権利です。
したがいまして、全世界で守られなければならない、そういう権利なのでございますけれども、最近、日本で初めて、私どもアムネスティ・インターナショナルが良心の囚人を認定いたしました。この日本国内で初めて認定された良心の囚人というのは、結果的には、表現の自由を行使しただけであるにもかかわらず、非暴力であるにもかかわらず、逮捕されてしまい、そして起訴されて、現在裁判中でございます。この三人は、立川の自衛隊官舎にイラク戦争反対の意見を表明する、そういうビラを入れたということなのでございますけれども、ビラを入れただけで住居侵入という罪に問われた、そういう事件でございます。
現在、裁判所で係属されているということはもちろん承知しておりますけれども、私どもの方としては、このような形で、表現の自由を行使しただけで、つまり自分たちの戦争に対する意見を表明しただけで、逮捕、起訴に至ってしまうというこの状況、これに対して強い危機感を覚えます。この危機感に関しましては、これは明らかに国際人権法の規定に違反しているというふうに考えておりまして、この部分に関して早急に、このようなことが二度と起こらないような予防措置、防止措置をとるべきではないだろうかというふうに考えております。これは、憲法を守るという観点から、どうしても必要なことではないかというふうに考えておりますので、その旨ここでお伝えしたいというふうに存じております。
言論の内容、この場合にはビラ入れという、このビラの内容によって逮捕、起訴というものが決まってしまったということは、これは表現の自由の侵害そのものになります。すなわち、ここでは公権力の判断に対抗する言論というものがあるわけですが、あなたの言うことには反対である、しかしあなたがそれを言う権利は最後まで保障するという、これが憲法を守る、あるいは権利を守る、そういう態度だろうというふうに考えます。私どもアムネスティは、そのようにしてずっと活動してきております。ここの部分が非常に弱いのではないかという危惧を覚えるわけでございます。
それから、もう一つ重要なことは、日本国憲法には、もともとの英文にはピープルというふうに書かれてありました文言が国民と訳されている箇所が多々あります。このピープルと国民の概念は違います。ピープルはもちろんすべての民衆を含むわけでして、国民のみにとどまるものではございません。
しかしながら、解釈が行われ、そして翻訳が行われる過程で排除された、そういう人々がございます。それは、とりもなおさず外国人の問題でございます。外国人の権利に関しましては、きちんと明文化された日本語訳の憲法の中には存在していないというのが現状でございまして、ここの部分をきちんと押さえて、そして外国人もまた日本社会の中で生きていく我々の仲間であるということを明言する、そういう部分が必要であろうというふうに考えます。こういうものは国際人権規約の方には幾つか存在しております。ですから、国際人権規約が九十八条二項によって国内法としての効力を持っているということであれば、そこで一応保護はされているという形になるのですが、ここの部分がいかんせん非常に弱いというのが私どもの非常な現在の懸念でございます。
最近、治安が悪化しているというようなことがよく言われますけれども、その一つの理由が外国人の犯罪の急増であるというようなことが言われています。しかしながら、統計上は、外国人の犯罪というのは、日本人の犯罪と比較しますとほぼ全犯罪の二・三%から二・四%あたりを占めるにすぎませんで、ことしもそのパーセンテージはむしろ減っております。すなわち、圧倒的多数が、九七%から八%にかけてが日本人の犯罪であり、外国人が殊さら危険であるというふうに言うのは、これは非常に大きな問題であるというふうに考えています。
また、治安が悪化しているというこの認識に関しましても、統計的には治安が悪化しているという状況には実はないということは、これは専門家の指摘などでほぼ明らかになっています。にもかかわらず、治安悪化が政治的にはアジェンダにのり、さまざまな方々の口を通して語られ続けているというのが現状であるというふうに考えています。
その中で、外国人がターゲットになるというのは、最近の入国管理局が行っておりますメール通報制度なども含めて考えているわけですが、これは人種差別撤廃条約の第四条(c)という項があるんですが、これは人種差別を助長する罪、この場合の人種差別には、国民でない者、市民でない者の権利というものも含めているわけですが、これが侵害されているというふうに考えております。これを助長している、そういう行為は、この人種差別撤廃条約の四条(c)に違反するであろうというふうに考えるわけです。このようなことが起きないよう、一刻も早く人種差別、外国人及び移住労働者の権利を保護するための権利法を制定し、そして制度を整備することが必要なのではないだろうかというふうに考えておりますし、それからまた、いたずらに治安悪化をあおるような言説というものを、どこかの段階で抑えなければいけない、それが政治の責任ではないかというふうに考えております。
最後に、大きな問題を少し扱わせていただきたいのですけれども、人権はだれのためのものかということをまず考えていただきたいというふうに考えております。
人権は、ともすれば、最近、権利を主張するなら義務を果たせというような形で、人権ばかり主張する、あるいは権利ばかり主張するというような批判をされる方々がいらっしゃいます。しかしながら、この権利を主張するなら義務を果たせというのは、考え方として誤っております。なぜならば、権利というものと義務というものとは相互に表と裏の関係にあるものでございまして、権利を主張するということは、それを守らなければいけない義務がどこかに発生するということ、それをあらわすものでございます。
したがいまして、権利を主張しなければ救われないような状態にある社会的な弱者というような人々は権利を主張するわけでありまして、今度はその社会的な弱者、これを守ることが社会的な強者、パワーを持つ者の責任、義務になるというのが、この権利と義務との関係でございます。義務を果たさないのに権利ばかり主張するというふうにそこで論難するのは、むしろ話をすりかえているというふうに、権利の観点からすれば考えられます。
このような形で、社会的弱者の持っている権利というものをどうやって実現していくかということを考える、これが人権というものの考え方でございます。日本国憲法もいみじくもそのような人権観を十分に中に内包しているというふうに私どもは考えています。
このような権利ですが、日本国憲法の権利の記述の仕方というものは、カタログ的に、例えば表現の自由であるとか、人身の自由であるとか、そういうカタログ的にそれを記述する形で列挙しております。
残念ながら、このようなカタログ的な権利観というものは、現在では十分に妥当性を持っていないのではないかというふうに指摘されています。なぜならば、実際に権利を必要としているのは、そのようにカタログ的に権利を記述されて、そしてその中で守られるというべき、そういう人たちではなく、むしろどの権利も何もすべての権利が失われている、そういう社会的弱者というものがそこに存在していて、その弱者たちをどのような形で保護するのかということが、あらゆる権利を横断して考えられなければならない。その点では、自由権とか社会権とかいったような区別、あるいはその他の第三世代の権利といったような、そういう区別、それを超えたところに権利を保護する、そういう責任が発生するのだというふうに考えられているからです。
こういう考え方を人権享有主体別の権利観というふうに申し上げておりまして、ここの部分に関しましては、例えば、国際人権規約、子どもの権利条約であるとか、あるいは人種差別撤廃条約であるとか、あるいは女性差別撤廃条約であるとか、そういう形で権利保護が叫ばれております。そして、最近では、移住労働者の権利保護条約というものが生まれるという形で、この人権享有主体というものがはっきりと意識されている。次には多分障害者の権利というものが問題になってくるのだろうと思いますが、このように、だれが権利を必要としているのかということを明確に見据えた形で人権論というものは展開していただきたいというふうに考えております。
そのためには、受刑者であるとか、あるいは被疑者であるとか、あるいは被害者であるとか、そしてまた性的少数者、民族的少数者、それから社会的なマイノリティー、その人々に対する権利の主体としての全体的なその権利を保護する、そういう態度が必要なのではないかというふうに私どもアムネスティ・インターナショナルとしては考えております。
以上でございます。拍手
中
日
日野原重明#6
○日野原公述人 日野原でございます。
私は、昭和十二年に京都大学の医学部を卒業して、六十七年間医者をやっております。医者は、地球上の人間というのはみんな同じ血液からできているということを一番よく知っております。ヒポクラテスが、医師は何をするかということを、最初に誓いを医師にさせたその言葉は何かというと、人の命を助けるということではなくして、医師の第一にすべきことは毒を与えるなということ。ところが今は、科学が非常に進歩している医学の中に、やはり毒を与えることのためにいろいろな医療事故さえも起こっている、科学の進歩のためにそういう犠牲もあるというふうな変なことが起こっているわけであります。
私は、そういう意味で、命の大切さをシュバイツァーに学んで、アリ一匹殺すことを非常に心を痛めたというその精神をやはり他の動物と一緒に住んでいる私たちは考えながら、他の動物と共生するということを考えなくてはならない。したがって、私たちは、他の国と、他の民族と共生しなくちゃならないということになったわけであります。
終戦直後にできましたこの憲法は、もしも日本が広島、長崎に原爆を受けなければ、私は、ベトナムが、十六年もあの小さな国が強いアメリカに対して手を上げなかったように、日本も、そこまででなくても、もっともっと頑張って、もっともっと多くの人が死んだと思います。しかし、そういうふうなときにはきっとどこかが助ける手が起こる、あるいは、アメリカの国内に、今のアメリカに既に起こっているような声が起こるのは当然でありますから、日本が滅ぶことはなかったと思います。日本は余りに原爆に恐れて手を上げたために、この日本は非常に依存的になってしまった。
そして、日本が戦後、非常に早く復活したのは日本の勤勉のせいだとかそういうふうなことを言っているんですが、そうではなくて、聖路加病院が接収された、病院にはすぐに始まったあの朝鮮事変の傷兵が入院して、そしてケアをされていた。その後、ベトナム戦争が起こった。そのための兵器はどこでつくられたか。その兵器をつくることに日本の産業が参与したために日本の復興は非常に早かったということを私たちは考えなくてはならないわけであります。
この憲法を読んでみますと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」というんですよ。ですから、世界の国の諸国民が平和を愛する諸国民という仮定が入っております。そうして、その仮定のもとに、「われらの安全と生存を保持しよう」とした。その次に、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」。今の国際社会がこのような国際社会でしょうか。全く反対である。
しかし、これには、そういう国際社会というふうなものをつくろうとしていることに、日本は「名誉ある地位」というのは、主導性をとらなくてはならないということ。日本はそのような、あるいは幻のような世界かもわからないけれども、その主導性をとってきたかどうかということ。そうして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から」、六十四億のうちの五分の一が食物がないんです、そういう「欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」。このために、日本はあれだけの多くの経済力を持ちながら、お金はある程度行ったかもわかりませんが、人間がそこに出て行ったかどうか。
日本の今日の医療のほとんどは、外国のミッションの人が来て、そして日本の医療を始めたり、私学を始めている。外国の人は、人間がそこに行って、そこで人間が死ぬまでいる。シュバイツァーも半世紀アフリカにいた。そういう、お金だけでなしに、人間をそこに投資するというふうなことを日本はやってこなかったわけです。
ですから、これはただアメリカのマッカーサーのままにつくった憲法というだけではなしに、日本人が認めたからにはこれを実践する義務があるけれども、日本はそれを実践してこなかった。そういうことを国民が本当に意識して、それでは憲法をどうすればよいのか。この幻の文章をそのまま続けて、今までは幻だけであったか、その実現ゆえに何をするかという具体的な政策を出すかどうかをやはり国民に問うべきだと私は思います。
そういう意味で、私は医師の立場からいろいろな意見を言うんですが、今は、テロが起こって、あの九・一一が起こった。それは、アメリカには恨みがあるから起こっているんです。そうして、アメリカは九・一一でさらに恨みましたから、恨みは恨みを追って、これはずうっと連鎖反応。どこかが許しをやらない限りは、この連鎖反応はとまらない。
私は、これは、強い方が許すということをすればすべてが解決する。愛というものは犠牲を伴う。ですから、死ぬようなこと、友のために命を捨てるということが愛であって、そうして、アメリカが戦争をしたときに、目には目を耳には耳をという反撃の正当性を言いましたが、これはユダヤ教の旧約聖書の中にある古い教えで、クリスト教の教えはそうではなくて、敵を愛しろ、敵の罪を許せよと言っているのです。こういうものがない限りは平和は来ない。許しがなければ平和は来ない。
だれが許すか、だれがイニシアチブをとるかというと、やはり、私たちはここに日本がイニシアチブをとるというふうに明言しているのに何にもそれをやらなかったということで、私は、日本全体が非常に反省しなくてはならない。そういう意味で、外国に対して謝るというだけではなしに、我々自身が反省をして、それでは償いに何をするかということを考えなくてはならない。
そういう意味で、私は、今度の憲法というふうなものを安易にただ変えて、そうして今のアメリカ中心主義にするのでなくて、今まで受けた恩恵は、我々は何らかの意味で十分に返さなくちゃならないですね。返しながらも、私たちは、どこかで戦争の連鎖反応を切らなくちゃならない。その連鎖反応を切るのに、私たちの憲法を誤って変えた場合には連鎖反応を切る反対に行くという意味において、私は、ここが大切な、どっちへ行くかという決意を要する。その場合、少なくとも戦争に直接関与しないということを言ったからには、危ないところに自衛隊の人を起こすということはどうしてもやめていただきたいというところで、とにかくストップをかけながら、日本の行き方をもっと基本的に考えなくてはならない。
そういう意味において、すぐ、急いでどうこうするというふうなことをするのには、余りに国民がそれを自覚していないですね。政治から国民は離れてしまっていますね。そうでなくて、自分たちがこの日本をつくるんだ、そして政治家がそれを代表して言っているんだなというふうなことで考え直さなくちゃならない。
今、私は、小学校で最近も子供にいろいろ話をするんですが、どういうことかというと、戦争をどう思うかと言うと、戦争は続くだろうと子供が言っているんです。だから、大人の時代には戦争はいつまでも続くでしょう、僕たちが殴られたら、今度から殴り返さないように僕たちはしましょう、そして、国同士がそうしましょうという子供の作文が私に来たんですよ。
私は、本当の平和は、今の子供、私からいえばひ孫のようなその人に実現するために、子供に平和を教えるようなところが私たちで、今の大人にはそれはできない。今の子供に、議会で争って暴力を出したり、そして牛歩とかといって時間を食ったりするようなことを子供が見てどう思いますか。
私は、そういうふうな政治家の態度を、ここであれを見ながら、もっと平和に、暴力を使わないでするということを政治家が小学生に見せなければ、もう政治家になろうという人はいないわけですね。今の子供は何になりたいかというと、それはイチローのようになりたいとかあるいはお菓子屋さんになりたいとか、そういうふうなことがあって、昔のように、いい看護婦さんになりたいとかいいお医者さんになりたいということを言う子供はいないんですよ、今は。
そういうふうな物質的なものに子供はなっている一方、子供にはやはり純粋なものがあります。そして、平和は孫の時代に、そして私たちはそのステップをつくるんだということで、急ぐ必要は全然ないと思います。
そして、今ある憲法の中で、とにかく、私たちがどのようにすれば平和が守られるかということです。とにかく、意思決定は、アメリカに対して言うことは、こうした方が平和が守られるだろうから私たちはそうしたということのはっきりした宣明をすることが、日米の関係もよくすることに参与するんじゃないかと私は思います。
それから、自衛隊をつくった、それを今度は自衛軍というふうな、セルフディフェンスフォースですから、これは軍隊のことですね。それで、ドイツはどうなったでしょう。日本と同じように、あるいは、ドイツ人はユダヤ人を数百万人殺したんですよ。そのドイツに軍隊はあります。徴兵制度はあります。イタリーにもあります。韓国にもあります。中立国のスイスにもスウェーデンにもあります。それは、国を守るためにあるということで、攻めるためでない。日本も同じことです、そういう意味においては。
しかし、ドイツその他は、強制的に兵役があって、そして、宗教上の関係、信念の関係で軍隊に行かないというふうな人はそれ以上の、半年か二年の間、老人の養護をするということに決められて、ドイツの老人の介護は、この徴兵を忌避して、そしてそういうことの方がよいと思う人によってもっているわけですから、徴兵制度がなかったらドイツの養護運動は非常に危機になる。
私は、今、日本で、志願して自衛隊というんですが、もう少し、大学を卒業した人は、就職の試験を受けた後に半年でもいいから、南アフリカに行ったりいろいろなところに行って、難民の世話をする、土地をつくるのに川の洪水をとめるようなことをするとか、農業を教えるとか、医療をするとかというふうに、半年か一年実際に行ってみて、それから自分の専門に入れば、私は本当の人間ができると思いますが、今はそれがないわけです。
アメリカでは、ハーバード大学の医学部に行っている半分は東南アジア、半分は白人です。東南アジアでは台湾と中国とベトナム、それからシンガポールが医学生の半分で、日本人は非常に少ないです。試験に落ちるんですから。あとは白人ですが、白人の大部分は、カレッジを四年で出てどこかで働いている。先生になったりあるいは何かの仕事をやったり、そうしてから医学部に入る人が多いので、日本よりも平均年齢は三、四歳高いです、入学する人が。そして、世間を知っている人がやはり医療をやりたいからやる。日本のように偏差値がいいから行くんじゃないんですね。そういうふうに医学校が今なっているわけですが、日本は、医者になるのは、ただ社会的に安定して格好がいいからなるというだけで、本当に、国立大学のいいところに入っている人の大部分は医者に向かない人です。もっと社会の中に入って、医者になりたいという人に学費を出してやるというふうなことをしなくちゃならない。
私が言いたいことは、徴兵制度が日本にないというかわりに、何かもっと、商社でも役所でもが、就職が約束されて半年、一年は完全に国家の責任で出て、帰ったらその仕事をするというふうなことをすれば私はいいと思います。
そういうようなことをすると学問の研究が遅くなるというふうに言うのですが、今、日本は、ノーベル医学賞ができて百三年になります、エリートの医学部を出た人が百三年の間に一人もノーベル医学、化学賞を持っていないのですよ。どこが悪いかというと、遺伝子や才能ではなしに、畑が悪い。若い人を本当に研究させる畑がないからみんな外国に行ってしまう。一人だけ利根川さんがいましたが、彼は医者じゃないです。傍系の人です。そして、日本にいるとだめだからアメリカに行ったら、医者でなくてもノーベル医学賞をとったということですね。
私は、いろいろ教育の中でも非常に大きな変革がされないといけないと思っておりますけれども、そういうふうなことで、若い人の教育にも触れながら、そして、この憲法に書いてあるのは日本が指導性をやるというのに、では、もう指導性の言葉を取ってしまうかということですね。では、日本は何で貢献するかということです。資源もない国が何で貢献するかということです。
そうすると、日本は、人間で私たちは世界に貢献をする。そのためには、もっともっと、あの食物もないような不幸なアフリカその他に、外国人の多くが日本に来てそうやったように、私たち日本人はもっともっと発展途上国の間に行くことをしないと、私がWHOのマーラー事務局長に会ったときに、なるほど日本はかなりお金を日本財団を通してくれているけれども、しかし、日本はテーク・アンド・ギブだ、ギブ・アンド・テークじゃない、マーケットを得たらお金を出すんだ、まずギブをしないのが日本だということをはっきり言われました。
私の話は少しずれてきましたが、私が言いたい精神は、きょう、おわかりになっておると思いますので、ほぼ時間になりましたから、これで私の意見は終わりたいと思います。ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、昭和十二年に京都大学の医学部を卒業して、六十七年間医者をやっております。医者は、地球上の人間というのはみんな同じ血液からできているということを一番よく知っております。ヒポクラテスが、医師は何をするかということを、最初に誓いを医師にさせたその言葉は何かというと、人の命を助けるということではなくして、医師の第一にすべきことは毒を与えるなということ。ところが今は、科学が非常に進歩している医学の中に、やはり毒を与えることのためにいろいろな医療事故さえも起こっている、科学の進歩のためにそういう犠牲もあるというふうな変なことが起こっているわけであります。
私は、そういう意味で、命の大切さをシュバイツァーに学んで、アリ一匹殺すことを非常に心を痛めたというその精神をやはり他の動物と一緒に住んでいる私たちは考えながら、他の動物と共生するということを考えなくてはならない。したがって、私たちは、他の国と、他の民族と共生しなくちゃならないということになったわけであります。
終戦直後にできましたこの憲法は、もしも日本が広島、長崎に原爆を受けなければ、私は、ベトナムが、十六年もあの小さな国が強いアメリカに対して手を上げなかったように、日本も、そこまででなくても、もっともっと頑張って、もっともっと多くの人が死んだと思います。しかし、そういうふうなときにはきっとどこかが助ける手が起こる、あるいは、アメリカの国内に、今のアメリカに既に起こっているような声が起こるのは当然でありますから、日本が滅ぶことはなかったと思います。日本は余りに原爆に恐れて手を上げたために、この日本は非常に依存的になってしまった。
そして、日本が戦後、非常に早く復活したのは日本の勤勉のせいだとかそういうふうなことを言っているんですが、そうではなくて、聖路加病院が接収された、病院にはすぐに始まったあの朝鮮事変の傷兵が入院して、そしてケアをされていた。その後、ベトナム戦争が起こった。そのための兵器はどこでつくられたか。その兵器をつくることに日本の産業が参与したために日本の復興は非常に早かったということを私たちは考えなくてはならないわけであります。
この憲法を読んでみますと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」というんですよ。ですから、世界の国の諸国民が平和を愛する諸国民という仮定が入っております。そうして、その仮定のもとに、「われらの安全と生存を保持しよう」とした。その次に、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」。今の国際社会がこのような国際社会でしょうか。全く反対である。
しかし、これには、そういう国際社会というふうなものをつくろうとしていることに、日本は「名誉ある地位」というのは、主導性をとらなくてはならないということ。日本はそのような、あるいは幻のような世界かもわからないけれども、その主導性をとってきたかどうかということ。そうして、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から」、六十四億のうちの五分の一が食物がないんです、そういう「欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」。このために、日本はあれだけの多くの経済力を持ちながら、お金はある程度行ったかもわかりませんが、人間がそこに出て行ったかどうか。
日本の今日の医療のほとんどは、外国のミッションの人が来て、そして日本の医療を始めたり、私学を始めている。外国の人は、人間がそこに行って、そこで人間が死ぬまでいる。シュバイツァーも半世紀アフリカにいた。そういう、お金だけでなしに、人間をそこに投資するというふうなことを日本はやってこなかったわけです。
ですから、これはただアメリカのマッカーサーのままにつくった憲法というだけではなしに、日本人が認めたからにはこれを実践する義務があるけれども、日本はそれを実践してこなかった。そういうことを国民が本当に意識して、それでは憲法をどうすればよいのか。この幻の文章をそのまま続けて、今までは幻だけであったか、その実現ゆえに何をするかという具体的な政策を出すかどうかをやはり国民に問うべきだと私は思います。
そういう意味で、私は医師の立場からいろいろな意見を言うんですが、今は、テロが起こって、あの九・一一が起こった。それは、アメリカには恨みがあるから起こっているんです。そうして、アメリカは九・一一でさらに恨みましたから、恨みは恨みを追って、これはずうっと連鎖反応。どこかが許しをやらない限りは、この連鎖反応はとまらない。
私は、これは、強い方が許すということをすればすべてが解決する。愛というものは犠牲を伴う。ですから、死ぬようなこと、友のために命を捨てるということが愛であって、そうして、アメリカが戦争をしたときに、目には目を耳には耳をという反撃の正当性を言いましたが、これはユダヤ教の旧約聖書の中にある古い教えで、クリスト教の教えはそうではなくて、敵を愛しろ、敵の罪を許せよと言っているのです。こういうものがない限りは平和は来ない。許しがなければ平和は来ない。
だれが許すか、だれがイニシアチブをとるかというと、やはり、私たちはここに日本がイニシアチブをとるというふうに明言しているのに何にもそれをやらなかったということで、私は、日本全体が非常に反省しなくてはならない。そういう意味で、外国に対して謝るというだけではなしに、我々自身が反省をして、それでは償いに何をするかということを考えなくてはならない。
そういう意味で、私は、今度の憲法というふうなものを安易にただ変えて、そうして今のアメリカ中心主義にするのでなくて、今まで受けた恩恵は、我々は何らかの意味で十分に返さなくちゃならないですね。返しながらも、私たちは、どこかで戦争の連鎖反応を切らなくちゃならない。その連鎖反応を切るのに、私たちの憲法を誤って変えた場合には連鎖反応を切る反対に行くという意味において、私は、ここが大切な、どっちへ行くかという決意を要する。その場合、少なくとも戦争に直接関与しないということを言ったからには、危ないところに自衛隊の人を起こすということはどうしてもやめていただきたいというところで、とにかくストップをかけながら、日本の行き方をもっと基本的に考えなくてはならない。
そういう意味において、すぐ、急いでどうこうするというふうなことをするのには、余りに国民がそれを自覚していないですね。政治から国民は離れてしまっていますね。そうでなくて、自分たちがこの日本をつくるんだ、そして政治家がそれを代表して言っているんだなというふうなことで考え直さなくちゃならない。
今、私は、小学校で最近も子供にいろいろ話をするんですが、どういうことかというと、戦争をどう思うかと言うと、戦争は続くだろうと子供が言っているんです。だから、大人の時代には戦争はいつまでも続くでしょう、僕たちが殴られたら、今度から殴り返さないように僕たちはしましょう、そして、国同士がそうしましょうという子供の作文が私に来たんですよ。
私は、本当の平和は、今の子供、私からいえばひ孫のようなその人に実現するために、子供に平和を教えるようなところが私たちで、今の大人にはそれはできない。今の子供に、議会で争って暴力を出したり、そして牛歩とかといって時間を食ったりするようなことを子供が見てどう思いますか。
私は、そういうふうな政治家の態度を、ここであれを見ながら、もっと平和に、暴力を使わないでするということを政治家が小学生に見せなければ、もう政治家になろうという人はいないわけですね。今の子供は何になりたいかというと、それはイチローのようになりたいとかあるいはお菓子屋さんになりたいとか、そういうふうなことがあって、昔のように、いい看護婦さんになりたいとかいいお医者さんになりたいということを言う子供はいないんですよ、今は。
そういうふうな物質的なものに子供はなっている一方、子供にはやはり純粋なものがあります。そして、平和は孫の時代に、そして私たちはそのステップをつくるんだということで、急ぐ必要は全然ないと思います。
そして、今ある憲法の中で、とにかく、私たちがどのようにすれば平和が守られるかということです。とにかく、意思決定は、アメリカに対して言うことは、こうした方が平和が守られるだろうから私たちはそうしたということのはっきりした宣明をすることが、日米の関係もよくすることに参与するんじゃないかと私は思います。
それから、自衛隊をつくった、それを今度は自衛軍というふうな、セルフディフェンスフォースですから、これは軍隊のことですね。それで、ドイツはどうなったでしょう。日本と同じように、あるいは、ドイツ人はユダヤ人を数百万人殺したんですよ。そのドイツに軍隊はあります。徴兵制度はあります。イタリーにもあります。韓国にもあります。中立国のスイスにもスウェーデンにもあります。それは、国を守るためにあるということで、攻めるためでない。日本も同じことです、そういう意味においては。
しかし、ドイツその他は、強制的に兵役があって、そして、宗教上の関係、信念の関係で軍隊に行かないというふうな人はそれ以上の、半年か二年の間、老人の養護をするということに決められて、ドイツの老人の介護は、この徴兵を忌避して、そしてそういうことの方がよいと思う人によってもっているわけですから、徴兵制度がなかったらドイツの養護運動は非常に危機になる。
私は、今、日本で、志願して自衛隊というんですが、もう少し、大学を卒業した人は、就職の試験を受けた後に半年でもいいから、南アフリカに行ったりいろいろなところに行って、難民の世話をする、土地をつくるのに川の洪水をとめるようなことをするとか、農業を教えるとか、医療をするとかというふうに、半年か一年実際に行ってみて、それから自分の専門に入れば、私は本当の人間ができると思いますが、今はそれがないわけです。
アメリカでは、ハーバード大学の医学部に行っている半分は東南アジア、半分は白人です。東南アジアでは台湾と中国とベトナム、それからシンガポールが医学生の半分で、日本人は非常に少ないです。試験に落ちるんですから。あとは白人ですが、白人の大部分は、カレッジを四年で出てどこかで働いている。先生になったりあるいは何かの仕事をやったり、そうしてから医学部に入る人が多いので、日本よりも平均年齢は三、四歳高いです、入学する人が。そして、世間を知っている人がやはり医療をやりたいからやる。日本のように偏差値がいいから行くんじゃないんですね。そういうふうに医学校が今なっているわけですが、日本は、医者になるのは、ただ社会的に安定して格好がいいからなるというだけで、本当に、国立大学のいいところに入っている人の大部分は医者に向かない人です。もっと社会の中に入って、医者になりたいという人に学費を出してやるというふうなことをしなくちゃならない。
私が言いたいことは、徴兵制度が日本にないというかわりに、何かもっと、商社でも役所でもが、就職が約束されて半年、一年は完全に国家の責任で出て、帰ったらその仕事をするというふうなことをすれば私はいいと思います。
そういうようなことをすると学問の研究が遅くなるというふうに言うのですが、今、日本は、ノーベル医学賞ができて百三年になります、エリートの医学部を出た人が百三年の間に一人もノーベル医学、化学賞を持っていないのですよ。どこが悪いかというと、遺伝子や才能ではなしに、畑が悪い。若い人を本当に研究させる畑がないからみんな外国に行ってしまう。一人だけ利根川さんがいましたが、彼は医者じゃないです。傍系の人です。そして、日本にいるとだめだからアメリカに行ったら、医者でなくてもノーベル医学賞をとったということですね。
私は、いろいろ教育の中でも非常に大きな変革がされないといけないと思っておりますけれども、そういうふうなことで、若い人の教育にも触れながら、そして、この憲法に書いてあるのは日本が指導性をやるというのに、では、もう指導性の言葉を取ってしまうかということですね。では、日本は何で貢献するかということです。資源もない国が何で貢献するかということです。
そうすると、日本は、人間で私たちは世界に貢献をする。そのためには、もっともっと、あの食物もないような不幸なアフリカその他に、外国人の多くが日本に来てそうやったように、私たち日本人はもっともっと発展途上国の間に行くことをしないと、私がWHOのマーラー事務局長に会ったときに、なるほど日本はかなりお金を日本財団を通してくれているけれども、しかし、日本はテーク・アンド・ギブだ、ギブ・アンド・テークじゃない、マーケットを得たらお金を出すんだ、まずギブをしないのが日本だということをはっきり言われました。
私の話は少しずれてきましたが、私が言いたい精神は、きょう、おわかりになっておると思いますので、ほぼ時間になりましたから、これで私の意見は終わりたいと思います。ありがとうございました。拍手
中
中
松
松野博一#9
○松野(博)委員 自由民主党の松野博一でございます。公述人の皆様、御苦労さまでございます。
まず、御意見をいただきました順番どおりに、高竹公述人からお話をお伺いさせていただきたいというふうに思いますが、JCのOBは国会にも大勢おりまして、私も二年前まで地元の方で活動をしておりました。御苦労さまでございます。
まず、高竹公述人の御指摘の中にあった、憲法の前文も含めて、書かれている言語表現が非常に日本語として違和感を感じるというのは、私も同意見でありますし、重要な指摘であろうというふうに思います。
これはもう言うまでもなく、英文で書かれたものを日本語にその当時の訳し方で訳したことから発生をしておりますけれども、公述人も指摘をされていました伝統、文化、歴史観、こういったものは、母体としてその国の母国語によってなされるものでございまして、まず、この憲法を読んだときに日本国民が日本語として、母国語として違和感を感じるというのは、やはりそこに大きな文化的な、また伝統的な日本の考え方というものに関して、ベースとして、やはりその成立の過程において問題があったんであろうというふうに私も考えております。
高竹公述人の方から、きょうお伺いした憲法観というのは、非常に概括的なお話をいただきました。私もおおむね同意見でありまして、現状の憲法が抱えている問題点、また、次に向かってどういうふうな新しい憲法をつくっていくかということに関しての手法論に関しては、ほぼ近い考え方を持っております。
ただ、きょうは、特に若い世代の代表ということで高竹さんのお話を聞いた上で、さらに、若い世代の視点から、またJC活動というのは地域ごとにLOMの活動をベースとしてなされている活動でありますから、この地域の視点から、それぞれの視点から、現憲法が抱えている問題点といいますか、現憲法のこういった概念、コンセプトが若い世代の、わくわく感であるのか、それが期待感であるのか、活動であるのか、そういったものに制約を加えられている、もしくは、地域から見た場合に、例えば国と地域との関係でもいいですし、皆さんがやられているそれぞれの町づくりの視点からでも結構でありますけれども、現憲法の問題点というのをその二つの視点からお話しいただければと思います。
この発言だけを見る →まず、御意見をいただきました順番どおりに、高竹公述人からお話をお伺いさせていただきたいというふうに思いますが、JCのOBは国会にも大勢おりまして、私も二年前まで地元の方で活動をしておりました。御苦労さまでございます。
まず、高竹公述人の御指摘の中にあった、憲法の前文も含めて、書かれている言語表現が非常に日本語として違和感を感じるというのは、私も同意見でありますし、重要な指摘であろうというふうに思います。
これはもう言うまでもなく、英文で書かれたものを日本語にその当時の訳し方で訳したことから発生をしておりますけれども、公述人も指摘をされていました伝統、文化、歴史観、こういったものは、母体としてその国の母国語によってなされるものでございまして、まず、この憲法を読んだときに日本国民が日本語として、母国語として違和感を感じるというのは、やはりそこに大きな文化的な、また伝統的な日本の考え方というものに関して、ベースとして、やはりその成立の過程において問題があったんであろうというふうに私も考えております。
高竹公述人の方から、きょうお伺いした憲法観というのは、非常に概括的なお話をいただきました。私もおおむね同意見でありまして、現状の憲法が抱えている問題点、また、次に向かってどういうふうな新しい憲法をつくっていくかということに関しての手法論に関しては、ほぼ近い考え方を持っております。
ただ、きょうは、特に若い世代の代表ということで高竹さんのお話を聞いた上で、さらに、若い世代の視点から、またJC活動というのは地域ごとにLOMの活動をベースとしてなされている活動でありますから、この地域の視点から、それぞれの視点から、現憲法が抱えている問題点といいますか、現憲法のこういった概念、コンセプトが若い世代の、わくわく感であるのか、それが期待感であるのか、活動であるのか、そういったものに制約を加えられている、もしくは、地域から見た場合に、例えば国と地域との関係でもいいですし、皆さんがやられているそれぞれの町づくりの視点からでも結構でありますけれども、現憲法の問題点というのをその二つの視点からお話しいただければと思います。
高
高竹和明#10
○高竹公述人 まず、私は昭和四十年生まれですけれども、まさにもう日本の国が豊かになって生まれた世代です。戦後の民主主義教育をまさに受けて今日に至っているわけですけれども、青年会議所のメンバーも、来年になると昭和四十年生まれ以降のメンバーで構成されます。私と同じなわけです。
まず、憲法の問題というのが地域間の中ではほとんど論じられてはいません。というのは、結局、我々も戦後の民主主義教育を受けているものですから、憲法に対しての着目点が多分ないんだろうというふうに思っています。日本青年会議所の中でこういった憲法の勉強会等をやっていくに従って、ちょっと待てよという話になって、今まさに、今私は全国各地を回っているんですけれども、大体の理事長さんの意見というのは、今の憲法はやはり現実的にそぐわないので改正すべきだというのは、もう八割、手を挙げますね。
ただ、ではその具体的な中身についてというと、そこまでの議論は進んではいないという部分で、我々は、普通に考えると、どうしても戦後の教育を受けているものですから、基本的にやはり第二次世界大戦の敗戦ということを教育的に受けていますけれども、もっともっと、日本の歴史、伝統、文化、それから文明ということを考えると、単刀直入に言うと、日本人というのはやはり悪いことをしたんだという教育を僕らは受けているんですよね。ところが、やはり長い歴史を見ると全然そんなことはなくて、もっともっと我々は誇りを持っていい民族だというふうに思っていますし、そういったことを全国に伝えていきたいと思っています。
よろしいですか。
この発言だけを見る →まず、憲法の問題というのが地域間の中ではほとんど論じられてはいません。というのは、結局、我々も戦後の民主主義教育を受けているものですから、憲法に対しての着目点が多分ないんだろうというふうに思っています。日本青年会議所の中でこういった憲法の勉強会等をやっていくに従って、ちょっと待てよという話になって、今まさに、今私は全国各地を回っているんですけれども、大体の理事長さんの意見というのは、今の憲法はやはり現実的にそぐわないので改正すべきだというのは、もう八割、手を挙げますね。
ただ、ではその具体的な中身についてというと、そこまでの議論は進んではいないという部分で、我々は、普通に考えると、どうしても戦後の教育を受けているものですから、基本的にやはり第二次世界大戦の敗戦ということを教育的に受けていますけれども、もっともっと、日本の歴史、伝統、文化、それから文明ということを考えると、単刀直入に言うと、日本人というのはやはり悪いことをしたんだという教育を僕らは受けているんですよね。ところが、やはり長い歴史を見ると全然そんなことはなくて、もっともっと我々は誇りを持っていい民族だというふうに思っていますし、そういったことを全国に伝えていきたいと思っています。
よろしいですか。
松
松野博一#11
○松野(博)委員 先ほどのお話の中でも、今の高竹さんのお話の中でも、日本のいいところ、伝統、文化というお話がありました。前文、十三条を指摘されながら、まさにこれは日本国のアイデンティティーというものが感じられないというお話が先ほど公述の中にありましたけれども、日本国憲法というのは、当然日本国の歴史を土台にしながらも、そのときの世界的な平和思想、人権思想をベースとして、母体として持っているものでありますから、日本国憲法の中に、人類の普遍的な、人権を中心とした権利のものと日本国の固有のものがそれぞれあっていいんだろうというふうに思います。
そこで、たびたび公述人のお話の中に出てくる日本の伝統、歴史のよいところが書かれていない、うまく表現されていないというのは、具体的に言うとどういうところなんでしょうか。
この発言だけを見る →そこで、たびたび公述人のお話の中に出てくる日本の伝統、歴史のよいところが書かれていない、うまく表現されていないというのは、具体的に言うとどういうところなんでしょうか。
高
高竹和明#12
○高竹公述人 まず、先ほども申し上げたように、戦後の教育を受けていますから、我々は結構考え方がアメリカナイズされているんですね。要するに、いろいろな話をするときには、言った言わないになるので文書を取り交わしなさいというふうに言われて、そういったところも無意識のうちに、要するに、アメリカ的な契約社会というかそういう発想の中で、今、日本社会全体がそうであるように、実は、日本というのは結構言い方によるとあいまいなところがよかった部分もあると僕は考えています。
例えば、今アメリカとイラクの問題にしても、いわゆる宗教それからイデオロギーにしても、日本では、いわゆる宗教戦争というのは、基本的には千四百年前以上、千四百年ないわけですね。それは、例えば東洋と西洋の文化とか文明を融合でき得る力を日本人は持っていると思っています。
明治の時代になりますと、和魂洋才という概念で、外国のものは取り入れるけれども、結局、日本人は日本独自のものにしてしまって、それを世界で誇れるものにできてきた歴史がありますので、そういったところは僕は日本人のすばらしいところだというふうに思っていますし、逆に、極端に言うと、神仏混交以来千四百年たっているわけですから、要するに、今世界に発信すべきは、そういった日本の、日本人の多様性がある考え方というのは僕は世界に発信するべきだというふうに思っています。
この発言だけを見る →例えば、今アメリカとイラクの問題にしても、いわゆる宗教それからイデオロギーにしても、日本では、いわゆる宗教戦争というのは、基本的には千四百年前以上、千四百年ないわけですね。それは、例えば東洋と西洋の文化とか文明を融合でき得る力を日本人は持っていると思っています。
明治の時代になりますと、和魂洋才という概念で、外国のものは取り入れるけれども、結局、日本人は日本独自のものにしてしまって、それを世界で誇れるものにできてきた歴史がありますので、そういったところは僕は日本人のすばらしいところだというふうに思っていますし、逆に、極端に言うと、神仏混交以来千四百年たっているわけですから、要するに、今世界に発信すべきは、そういった日本の、日本人の多様性がある考え方というのは僕は世界に発信するべきだというふうに思っています。
松
松野博一#13
○松野(博)委員 もう一点、各地域を回って、各地域のJCのLOMの理事長さんに憲法の問題について聞いたところ、八割が改正をするべきだという意見だったというお話でした。その理由が、現実と現状の憲法というのが乖離をしているからだというお話がありましたが、これは具体的に言いますと、どの点がどの程度乖離をしているとそれぞれ皆さんがお考えになっているのかについてお話しをいただきたいと思います。
この発言だけを見る →高
高竹和明#14
○高竹公述人 一番多く出る意見は、やはり第九条ですね。自衛隊を自衛隊と言っているのは日本人だけだと思うんですね。外国から見ると、これはもう完全な軍隊だというふうに思っていますので、そのあたりの実際の、要するに憲法解釈だけで進めている現状に対して、それが、青年会議所の場合は、自衛隊を海外へ派遣する、要するに、後方支援で協力するということが悪いというわけじゃなくて、憲法そのものの解釈だけでそれが動いているというのが理事長、全国のメンバーの意見としてはやはり一番大きいです。
そういったところ、実際に平和というのは一体何なのか。我々は、生まれたときから平和でありました。これはひょっとしたら、ボクシングでいうと休憩の状態かもしれない。本当のボクシングの戦いというのは実は多分もう起こっていると思うんですけれども、僕ら自身が平和とは一体何かということをほとんど今まで考えてきていなくて、そういったところが日本国憲法についての一番の乖離をしているところだと考えます。
この発言だけを見る →そういったところ、実際に平和というのは一体何なのか。我々は、生まれたときから平和でありました。これはひょっとしたら、ボクシングでいうと休憩の状態かもしれない。本当のボクシングの戦いというのは実は多分もう起こっていると思うんですけれども、僕ら自身が平和とは一体何かということをほとんど今まで考えてきていなくて、そういったところが日本国憲法についての一番の乖離をしているところだと考えます。
松
松野博一#15
○松野(博)委員 今のお話ですと、一つの例として、イラクにおける自衛隊の活動を挙げられましたけれども、そういった、今日本が必要とされている国際貢献を実行するに当たって現状の憲法が障害になっているんじゃないかということではなしに、そのことは置いておいて、現状の憲法解釈論において、今の実態とかけ離れているというか、わかりにくいところがあるんじゃないかというようなお話ですか。
この発言だけを見る →高
高竹和明#16
○高竹公述人 そうですね。要するに、解釈の議論だけしていてはいつまでたっても正しい形にはならないわけで、自衛隊に対する憲法というのもありますけれども、今の現状は、要するに全く憲法に対して解釈論だけで物事が進んでしまっている。だったら、それも含めて、憲法というものはどういうものか、どうあるべきかということを僕は議論するべきだというふうに思っています。
この発言だけを見る →松
松野博一#17
○松野(博)委員 次に、首相公選制についてお聞きをしたいんですが、今回、高竹さんのお話の中では、首相公選制以外の部分を中心として触れられていました。しかし、JCの皆さんから上がってくるさまざまな意見の中で、首相公選制に関しては積極的な意見が多いように私は感じております。
この首相公選制に関してどうお考えになっていらっしゃるか。個人的でも、JC全体としての方向性でも結構でございますけれども、お話をいただければと思います。
この発言だけを見る →この首相公選制に関してどうお考えになっていらっしゃるか。個人的でも、JC全体としての方向性でも結構でございますけれども、お話をいただければと思います。
高
高竹和明#18
○高竹公述人 正直申し上げて、議論としてはそんなにまだこの首相公選制については出てはいません。
ただ、私見を申し上げると、一つはやはり議会制民主主義の形はちゃんとするべきだというふうに思っていて、これと首相公選制の考え方をしっかりと議論していかなければいけないというふうに思いますし、おっしゃるとおり、全国の青年会議所の意見の中には、かなりこの首相公選制に対しての賛成意見というのも多くあると聞いてはおります。
この発言だけを見る →ただ、私見を申し上げると、一つはやはり議会制民主主義の形はちゃんとするべきだというふうに思っていて、これと首相公選制の考え方をしっかりと議論していかなければいけないというふうに思いますし、おっしゃるとおり、全国の青年会議所の意見の中には、かなりこの首相公選制に対しての賛成意見というのも多くあると聞いてはおります。
松
松野博一#19
○松野(博)委員 それでは、憲法個々の問題というよりも、今、若い世代の考え方、意識というのをお聞きしたいというふうに思います。
先ほど日野原先生のお話の中にも、これから日本国民として、日本国民が掲げた理想に関して、どの程度それを実現化していくか、その決意が問われるときだ、それを問うていかなければいけないというお話がありました。私はそのとおりであろうというふうに思いますが、現在の若い世代が、世界の平和であったり福祉であったり、そういった問題に関して、日本の若者が立ち向かう決意といいますか意識がどの程度あるんだろうかというふうなことに関して、お聞かせをいただければと思います。
この発言だけを見る →先ほど日野原先生のお話の中にも、これから日本国民として、日本国民が掲げた理想に関して、どの程度それを実現化していくか、その決意が問われるときだ、それを問うていかなければいけないというお話がありました。私はそのとおりであろうというふうに思いますが、現在の若い世代が、世界の平和であったり福祉であったり、そういった問題に関して、日本の若者が立ち向かう決意といいますか意識がどの程度あるんだろうかというふうなことに関して、お聞かせをいただければと思います。
高
高竹和明#20
○高竹公述人 若者というか、青年会議所は大体三十代が多いですから、三十代の中で申し上げると、まず一番我々が自分のこととして気になっているのは、やはり年金の問題ですね。我々が実際に今払っている年金が、我々がリタイアするときにこの制度は本当に続けられているのかなという部分は、我々にとってやはり一番身近な問題だというふうに思います。
それも含めて、日本青年会議所の中では、これからの新しい日本の国を、本当に自立した国をつくるために我々が行動していかなければいけないし、そして、JCには国際青年会議所という国際組織、八十カ国で構成されている国際青年会議所がありますけれども、彼らともこの国際平和それから国際協力等についても、実は来週から福岡でこの国際青年会議所世界会議が一週間行われるわけですけれども、この中でもいろんな議論をしていっています。
青年会議所として、本当に我々の世代がこれからの日本を背負っていかなければいけない、その責任と自覚をしっかり持っているということをお伝えしたいと思います。
この発言だけを見る →それも含めて、日本青年会議所の中では、これからの新しい日本の国を、本当に自立した国をつくるために我々が行動していかなければいけないし、そして、JCには国際青年会議所という国際組織、八十カ国で構成されている国際青年会議所がありますけれども、彼らともこの国際平和それから国際協力等についても、実は来週から福岡でこの国際青年会議所世界会議が一週間行われるわけですけれども、この中でもいろんな議論をしていっています。
青年会議所として、本当に我々の世代がこれからの日本を背負っていかなければいけない、その責任と自覚をしっかり持っているということをお伝えしたいと思います。
松
松野博一#21
○松野(博)委員 もう一点、若い世代の多くの声を聞く立場にある高竹さんに価値観としてお聞きをしたいというふうに思います。
現在の政治において、これは与野党を通してと言っていいかどうかわかりませんが、政策判断の基準が、自由競争、自己責任、小さい政府、これが正義になっている傾向が強いと思います。私個人としては、本当にこの自由競争、自己責任、小さな政府を政策判断基準として意気込んでやっていくことに関しては、しかし別の方面からの検討も必要ではないかというふうな意見を持っておりますが、こういった社会の価値観、今の政治の流れの政策判断の基準に対して、どういったお考えをお持ちですか。
この発言だけを見る →現在の政治において、これは与野党を通してと言っていいかどうかわかりませんが、政策判断の基準が、自由競争、自己責任、小さい政府、これが正義になっている傾向が強いと思います。私個人としては、本当にこの自由競争、自己責任、小さな政府を政策判断基準として意気込んでやっていくことに関しては、しかし別の方面からの検討も必要ではないかというふうな意見を持っておりますが、こういった社会の価値観、今の政治の流れの政策判断の基準に対して、どういったお考えをお持ちですか。
高
高竹和明#22
○高竹公述人 先ほどおっしゃられた部分の価値観については、それこそが僕はアメリカナイズされた価値観だと実は思っています。
経済の分野で考えると、アメリカの経済学と日本の経済学を僕は一緒にしてはいけないというふうに思っています。例えば、自動販売機を道端に置いていて、ちゃんと中の商品が売れて、お金もそこにたまっている国なんというのは日本しかないわけです。田舎に行くと無人でとれた野菜を売っていて、そこに買いに来る人がいて、ちゃんとお金を払って帰る。私は、日本人同士というのは、ある種長い文化、文明の中で培われた信頼関係がちゃんとあるというふうに思っています。そこにアメリカの経済学というのは僕は基本的には当てはまらないと思います。
こういう話をすると、では、極論を言うと、要するに鎖国をするのかというふうに言われる方がいますけれども、今日、今の状況において、日本を除いての国際社会というのは僕は考えられないというふうに思いますので、アメリカの契約社会的な発想をそのまま日本の価値観として受けとめるのではなくて、我々のもともと持っていた価値観をもう一回やはり見直して、我々独自の経済というのも考えていかなきゃならないというふうに考えます。
この発言だけを見る →経済の分野で考えると、アメリカの経済学と日本の経済学を僕は一緒にしてはいけないというふうに思っています。例えば、自動販売機を道端に置いていて、ちゃんと中の商品が売れて、お金もそこにたまっている国なんというのは日本しかないわけです。田舎に行くと無人でとれた野菜を売っていて、そこに買いに来る人がいて、ちゃんとお金を払って帰る。私は、日本人同士というのは、ある種長い文化、文明の中で培われた信頼関係がちゃんとあるというふうに思っています。そこにアメリカの経済学というのは僕は基本的には当てはまらないと思います。
こういう話をすると、では、極論を言うと、要するに鎖国をするのかというふうに言われる方がいますけれども、今日、今の状況において、日本を除いての国際社会というのは僕は考えられないというふうに思いますので、アメリカの契約社会的な発想をそのまま日本の価値観として受けとめるのではなくて、我々のもともと持っていた価値観をもう一回やはり見直して、我々独自の経済というのも考えていかなきゃならないというふうに考えます。
松
松野博一#23
○松野(博)委員 高竹公述人に最後の質問であります。
総括としてまとめられているのが、新しい価値観、また、日本の伝統的な価値観にのっとった新しい憲法を創造していかなければならないということで結ばれていますけれども、新しい憲法をつくっていくということが、日本の元気といいますか、皆さん方の世代が未来に持っている理想としての国家像、社会像に関して、憲法改正というのが推進する大きな要素になるというふうにお考えですか。
この発言だけを見る →総括としてまとめられているのが、新しい価値観、また、日本の伝統的な価値観にのっとった新しい憲法を創造していかなければならないということで結ばれていますけれども、新しい憲法をつくっていくということが、日本の元気といいますか、皆さん方の世代が未来に持っている理想としての国家像、社会像に関して、憲法改正というのが推進する大きな要素になるというふうにお考えですか。
高
高竹和明#24
○高竹公述人 日本国民は、この憲法、我々の国の形、我々の国はやはりどうあるべきかということを国民全体が議論することに対する、まずは新しい憲法をつくっていく意義が私はあるというふうに思っています。
その国民の憲法に対する議論を、日本青年会議所としては本当に全国的なムーブメントを起こしていきたいというふうに思っていますし、また、その中でつくられた新しい我々の国の我々がつくった憲法が、これからの日本の社会に対してより発展を約束できるものだというふうに考えます。
この発言だけを見る →その国民の憲法に対する議論を、日本青年会議所としては本当に全国的なムーブメントを起こしていきたいというふうに思っていますし、また、その中でつくられた新しい我々の国の我々がつくった憲法が、これからの日本の社会に対してより発展を約束できるものだというふうに考えます。
松
松野博一#25
○松野(博)委員 次に、寺中公述人にお話をお伺いしたいというふうに思います。
先ほどの公述人のお話の中で、人権はだれのものかという部分のお話で、パワーを持つものは権利を保護する義務があるというお話がございました。ここで公述人がお話をされているところのパワーを持つものというのは、当然国家はそこに含まれると思いますが、国家以外にこのパワーを持つものに含まれる団体はございますか。
この発言だけを見る →先ほどの公述人のお話の中で、人権はだれのものかという部分のお話で、パワーを持つものは権利を保護する義務があるというお話がございました。ここで公述人がお話をされているところのパワーを持つものというのは、当然国家はそこに含まれると思いますが、国家以外にこのパワーを持つものに含まれる団体はございますか。
寺
寺中誠#26
○寺中公述人 ここで申し上げておりますパワーを持つものといいますのは、要するに、弱者、強者の相対関係における強者という形になります。
委員御指摘のとおり、国家、いわゆる公権力というものはそれに該当するものですけれども、それ以外にも、企業あるいはその他の団体でこういう形で強者になる可能性のあるところもありますし、それから、個人でも弱者、強者という関係は当然発生するものではないかというふうに考えております。
こういったような、公権力を基本とする、あるいはほかにもさまざまな企業、それから場合によってはメディア組織等も含めたそういう強者の立場に立つところが、それよりも弱い立場のところに対して何かをするという場合にこのような義務が発生するんだというふうに考えております。
この発言だけを見る →委員御指摘のとおり、国家、いわゆる公権力というものはそれに該当するものですけれども、それ以外にも、企業あるいはその他の団体でこういう形で強者になる可能性のあるところもありますし、それから、個人でも弱者、強者という関係は当然発生するものではないかというふうに考えております。
こういったような、公権力を基本とする、あるいはほかにもさまざまな企業、それから場合によってはメディア組織等も含めたそういう強者の立場に立つところが、それよりも弱い立場のところに対して何かをするという場合にこのような義務が発生するんだというふうに考えております。
松
松野博一#27
○松野(博)委員 憲法調査会の人権分野に関する議論の中でも、今、現代社会における人権の保護というのは、国家と国民という形だけでなく、公述人がおっしゃられたところの、例えば企業でありますとか団体でありますとか個人間同士でありますとか、そういったところまで広げて論じていかなければいけないという議論がありましたが、こういった考え方に関して、憲法において、具体的に言うと、どういった取り上げられ方が必要であるというふうに公述人はお考えでしょうか。
この発言だけを見る →寺
寺中誠#28
○寺中公述人 まず一つ目は、何といっても、一番この義務が強いのは公権力、すなわち国家であろうというふうに考えております。その関係で、公権力のそのような義務をきちんと監視する機関として人権擁護機関というものが必要であろうというふうに考えておりまして、この人権擁護機関は、したがって公権力の一部として設置されてはならない。
現在、人権擁護法案というものがいろいろなところで議論になっておりますけれども、この人権擁護法案の中で、聞くところによると、依然としてまだ法務省の外局としてそれを設置するというような考え方が多数を占めるというふうに聞いております。このような考え方では十分に公権力のチェックはできないというふうに考えてはおります。
しかしながら、委員御指摘のとおり、その他の企業とか、それから団体とか、そういったようなところの問題というものもございまして、これに関しましては、特に企業に関しましては、現在、国際的な人権基準としてガイドラインが制定されようとしております。ノームスというふうに呼ばれておりますけれども、多国籍企業及びその他の企業の行動に関する道徳規範と呼ばれるものでございますが、この道徳規範などのきちんとした敷衍化といったようなものから大体その次の一歩が始まっていくだろう。
それからまた、憲法の私人間適用というようなものに関して、きちんとした法制度の部分での整備というものが必要であろう、そういうふうに考えております。
この発言だけを見る →現在、人権擁護法案というものがいろいろなところで議論になっておりますけれども、この人権擁護法案の中で、聞くところによると、依然としてまだ法務省の外局としてそれを設置するというような考え方が多数を占めるというふうに聞いております。このような考え方では十分に公権力のチェックはできないというふうに考えてはおります。
しかしながら、委員御指摘のとおり、その他の企業とか、それから団体とか、そういったようなところの問題というものもございまして、これに関しましては、特に企業に関しましては、現在、国際的な人権基準としてガイドラインが制定されようとしております。ノームスというふうに呼ばれておりますけれども、多国籍企業及びその他の企業の行動に関する道徳規範と呼ばれるものでございますが、この道徳規範などのきちんとした敷衍化といったようなものから大体その次の一歩が始まっていくだろう。
それからまた、憲法の私人間適用というようなものに関して、きちんとした法制度の部分での整備というものが必要であろう、そういうふうに考えております。
松
松野博一#29
○松野(博)委員 次に、寺中公述人のお話の中での表現の自由に関してお話をお聞きしたいというふうに思います。
表現の自由が民主主義を構成する重要な要素であるというのはだれしもが認めるところであるというふうに思いますが、公述人がここでおっしゃっているところの表現の自由というのは、政治的、文化的、芸術的、すべての分野に関するものを含めての表現の自由という言い方なのかどうか、それに関してちょっと確認をさせていただきたいというふうに思います。
この発言だけを見る →表現の自由が民主主義を構成する重要な要素であるというのはだれしもが認めるところであるというふうに思いますが、公述人がここでおっしゃっているところの表現の自由というのは、政治的、文化的、芸術的、すべての分野に関するものを含めての表現の自由という言い方なのかどうか、それに関してちょっと確認をさせていただきたいというふうに思います。