寺中誠の発言 (憲法調査会公聴会)

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○寺中公述人 ありがとうございます。このような機会を与えていただきまして、委員の皆様方に感謝いたします。
 私どもアムネスティ・インターナショナルは、国際的な人権擁護組織ということで知られております。世界百五十カ国、百八十万人ぐらいを会員に持っているというふうに我々としては考えておりまして、活動は、不偏不党であり、いかなる国家、宗教にも縛られることなく、非暴力で活動するということをその活動の信条としております。この非暴力という点におきましては、表現の自由を行使しただけで、非暴力であるにもかかわらずとらわれの身になってしまった良心の囚人の釈放運動というところから最初は始まっております。
 一九六一年、英国の弁護士ピーター・ベネンソンが、ある朝、新聞記事で、ポルトガルで二人の学生が、自由のために乾杯という形でパブで乾杯をしただけで捕まってしまったという、その記事を目にして、これではいけない、こういうことが世界で起きてはいけないということで活動を開始いたしました。
 そのような事件が余りにも数多く起きているということに着目した人々が、アムネスティ・インターナショナルという国際組織としてこれを打ち立てまして、日本でも一九七〇年に日本支部が設立されておりまして、それ以来、日本の国内の中で社会に根づいた活動という形でこの国際的な運動を続けております。一九七七年にはノーベル平和賞をその活動に対して受賞しております。
 現在、日本では、会員、支援者が約七千人いるというふうに考えておりまして、この会員、支援者による寄附、会費及び販売等の事業費等で一応賄っている、そういう財政状態になっておりまして、どこの国からも一切の援助は受けておりません。そのような形をとれば不偏不党性が害されるというふうに考えている、そういう極めて中立的な組織であります。
 その立場から、私どもの方で、現在のこの日本国憲法に関係するさまざまな問題というものを少しお話しさせていただきたいというふうに思っております。
 まず、私ども、日本国憲法のうちの特にやはり人権の問題に関して一番関心を持っておりまして、国際的な人権という流れと、日本の国の憲法の中にある人権というこの規定、この間のきちんとしたつながり、連携というものを重視しております。
 現在、日本は、国際人権主要条約と呼ばれる条約七つのうち六つの締約国になっております。唯一締約国になっていないものが、移住労働者権利保護条約と呼ばれているものでありますけれども、これは現段階では署名も加入もされておりません。
 このように、今、主要条約のうち六つという形で、市民的、政治的権利に関する国際規約、社会的、経済的、文化的権利に関する国際規約、それから、拷問等禁止条約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約といった各六つの条約に対しては締約国になっておりますが、この本条約には締約国になっているものの、その選択議定書になりますと、締約国になっている部分が非常に少のうございます。
 選択議定書は、主に国際人権手続に関する規定を持っておりまして、個人通報制度であるとか、あるいは調査制度であるとか、査察制度であるとか、そういうものを規定しております。これが本条約の方にも書かれている場合には、日本政府は、それを留保しているという形で、基本的にはそのような個人通報やそれから査察制度というものをむしろ国際的には拒否しているような、そういう態度を見せております。
 このような調査制度、査察制度、それから個人通報制度というのは、人権侵害が起きるのを防止するための非常に重要な事項でありますけれども、そこの部分をできるだけ落としていくという形で締約国になっている点に関しまして、私どもは重大な懸念を抱いております。
 日本国憲法は、第九十八条第二項におきまして、条約が国内法的効力を持つことを認めております。したがいまして、条約を締結している以上、国内法としての効力を持っているはずなんですけれども、しかしながら、日本の場合には、基本的には国内法先行ということになりますので、国内法の整備が済むまではなかなか批准も加入もしない、そういう態度になっております。同じような形で、国際刑事裁判所規程というものが現在存在しておりますけれども、この規程に関しましてもまだ未加入でございます。
 国際人権手続というのは、国際人権法に規定されたさまざまな組織関係の手続が稼働する、そのための重要なシステムでございます。これは、このシステムに対して日本政府が十分に参加していないということになってしまいます。確かにその条約機関に対しては日本政府は参加しているわけですけれども、その手続を使うことに対して極めて制限的であるという点が非常に大きな問題になります。
 そしてまた、国際人権法に掲げられているさまざまな規定というものを十分に反映した形で日本の憲法の規定が準用されているというか、使われているという形にはなっていないという点で、条約と憲法、それから実際の法律の執行、実務部分というものが、それぞれが乖離しているという点が非常に懸念されます。
 私どもの観点からすれば、国際的な基準に沿ってきちんと実務までそれが貫徹されなければならないというふうに考えるのですが、日本の現状は、国際的な基準と日本の現状との間を憲法なりあるいは国内法なりで切っているというふうに考えております。
 このような問題は、例えば刑事捜査の段階で取り調べの規定が極めて制限的であるということ、取り調べの内容がほとんど開示されていないということ、あるいは、取り調べの際に弁護士が立ち会うというようなことは認められていないといったようなことなどが非常に大きく問題になってきます。
 それからまた、残虐な刑罰の禁止という規定が三十六条にあるんですが、この残虐な刑罰の禁止に関しましては、拷問等禁止条約では、そのほかに、残虐な、非人道的な、あるいは品位を傷つける取り扱いといったようなものも全部含めた形で規定しているんですが、この部分が非常に制限的に解釈されているという嫌いがございます。きちんと、この拷問等禁止条約の中で蓄積されてきたさまざまな解釈、国際機関などで行われている解釈なども踏まえる形で国内法の実施というものが担保されなければならないというふうに考えております。
 それからまた、国際刑事裁判所でございますけれども、これは最近できた国際機関ではございますが、極めて考えられた、考え抜かれたと申し上げてよろしいでしょうか、日本政府も当初は極めて積極的にこれに関与していたんですが、考え抜かれた刑事司法の一般的な国際規範、そういう側面も持っております。この刑事司法の国際規範である国際刑事裁判所の規程を一刻も早く認めること、そしてそれに加入することというのは、これは、国際人権を日本の中で実現していくための非常に重要な要素であるというふうに考えております。
 ぜひとも、日本の政府におかれましては、このような国際基準を憲法的な側面からきちんと押さえていく、そしてそれを憲法的な規範としてきちんと取り入れていく、そういう方向で考えていただきたいというふうに考えております。
 これは、具体的にどのような部分を、変更ということよりは、むしろ解釈などで動かしていく部分だと存じますけれども、解釈は決して裁判所のみに任せられるものではございません。国際人権の分野では各条約機関が解釈権を持っておりますし、それからまた、立法府もその解釈に関して一定の指針を与えることができるというふうに考えております。したがいまして、このような国際人権の解釈を通じて、きちんと憲法の理念というものを明らかにしていっていただきたいというふうに考えている次第です。
 この関係で非常に重要になりますのが、表現の自由の保護でございます。表現の自由というのは、御存じのとおり、日本国憲法にも規定されておりますし、それから自由権規約にもきちんと規定されております。世界人権宣言でも高らかにうたわれた権利です。
 したがいまして、全世界で守られなければならない、そういう権利なのでございますけれども、最近、日本で初めて、私どもアムネスティ・インターナショナルが良心の囚人を認定いたしました。この日本国内で初めて認定された良心の囚人というのは、結果的には、表現の自由を行使しただけであるにもかかわらず、非暴力であるにもかかわらず、逮捕されてしまい、そして起訴されて、現在裁判中でございます。この三人は、立川の自衛隊官舎にイラク戦争反対の意見を表明する、そういうビラを入れたということなのでございますけれども、ビラを入れただけで住居侵入という罪に問われた、そういう事件でございます。
 現在、裁判所で係属されているということはもちろん承知しておりますけれども、私どもの方としては、このような形で、表現の自由を行使しただけで、つまり自分たちの戦争に対する意見を表明しただけで、逮捕、起訴に至ってしまうというこの状況、これに対して強い危機感を覚えます。この危機感に関しましては、これは明らかに国際人権法の規定に違反しているというふうに考えておりまして、この部分に関して早急に、このようなことが二度と起こらないような予防措置、防止措置をとるべきではないだろうかというふうに考えております。これは、憲法を守るという観点から、どうしても必要なことではないかというふうに考えておりますので、その旨ここでお伝えしたいというふうに存じております。
 言論の内容、この場合にはビラ入れという、このビラの内容によって逮捕、起訴というものが決まってしまったということは、これは表現の自由の侵害そのものになります。すなわち、ここでは公権力の判断に対抗する言論というものがあるわけですが、あなたの言うことには反対である、しかしあなたがそれを言う権利は最後まで保障するという、これが憲法を守る、あるいは権利を守る、そういう態度だろうというふうに考えます。私どもアムネスティは、そのようにしてずっと活動してきております。ここの部分が非常に弱いのではないかという危惧を覚えるわけでございます。
 それから、もう一つ重要なことは、日本国憲法には、もともとの英文にはピープルというふうに書かれてありました文言が国民と訳されている箇所が多々あります。このピープルと国民の概念は違います。ピープルはもちろんすべての民衆を含むわけでして、国民のみにとどまるものではございません。
 しかしながら、解釈が行われ、そして翻訳が行われる過程で排除された、そういう人々がございます。それは、とりもなおさず外国人の問題でございます。外国人の権利に関しましては、きちんと明文化された日本語訳の憲法の中には存在していないというのが現状でございまして、ここの部分をきちんと押さえて、そして外国人もまた日本社会の中で生きていく我々の仲間であるということを明言する、そういう部分が必要であろうというふうに考えます。こういうものは国際人権規約の方には幾つか存在しております。ですから、国際人権規約が九十八条二項によって国内法としての効力を持っているということであれば、そこで一応保護はされているという形になるのですが、ここの部分がいかんせん非常に弱いというのが私どもの非常な現在の懸念でございます。
 最近、治安が悪化しているというようなことがよく言われますけれども、その一つの理由が外国人の犯罪の急増であるというようなことが言われています。しかしながら、統計上は、外国人の犯罪というのは、日本人の犯罪と比較しますとほぼ全犯罪の二・三%から二・四%あたりを占めるにすぎませんで、ことしもそのパーセンテージはむしろ減っております。すなわち、圧倒的多数が、九七%から八%にかけてが日本人の犯罪であり、外国人が殊さら危険であるというふうに言うのは、これは非常に大きな問題であるというふうに考えています。
 また、治安が悪化しているというこの認識に関しましても、統計的には治安が悪化しているという状況には実はないということは、これは専門家の指摘などでほぼ明らかになっています。にもかかわらず、治安悪化が政治的にはアジェンダにのり、さまざまな方々の口を通して語られ続けているというのが現状であるというふうに考えています。
 その中で、外国人がターゲットになるというのは、最近の入国管理局が行っておりますメール通報制度なども含めて考えているわけですが、これは人種差別撤廃条約の第四条(c)という項があるんですが、これは人種差別を助長する罪、この場合の人種差別には、国民でない者、市民でない者の権利というものも含めているわけですが、これが侵害されているというふうに考えております。これを助長している、そういう行為は、この人種差別撤廃条約の四条(c)に違反するであろうというふうに考えるわけです。このようなことが起きないよう、一刻も早く人種差別、外国人及び移住労働者の権利を保護するための権利法を制定し、そして制度を整備することが必要なのではないだろうかというふうに考えておりますし、それからまた、いたずらに治安悪化をあおるような言説というものを、どこかの段階で抑えなければいけない、それが政治の責任ではないかというふうに考えております。
 最後に、大きな問題を少し扱わせていただきたいのですけれども、人権はだれのためのものかということをまず考えていただきたいというふうに考えております。
 人権は、ともすれば、最近、権利を主張するなら義務を果たせというような形で、人権ばかり主張する、あるいは権利ばかり主張するというような批判をされる方々がいらっしゃいます。しかしながら、この権利を主張するなら義務を果たせというのは、考え方として誤っております。なぜならば、権利というものと義務というものとは相互に表と裏の関係にあるものでございまして、権利を主張するということは、それを守らなければいけない義務がどこかに発生するということ、それをあらわすものでございます。
 したがいまして、権利を主張しなければ救われないような状態にある社会的な弱者というような人々は権利を主張するわけでありまして、今度はその社会的な弱者、これを守ることが社会的な強者、パワーを持つ者の責任、義務になるというのが、この権利と義務との関係でございます。義務を果たさないのに権利ばかり主張するというふうにそこで論難するのは、むしろ話をすりかえているというふうに、権利の観点からすれば考えられます。
 このような形で、社会的弱者の持っている権利というものをどうやって実現していくかということを考える、これが人権というものの考え方でございます。日本国憲法もいみじくもそのような人権観を十分に中に内包しているというふうに私どもは考えています。
 このような権利ですが、日本国憲法の権利の記述の仕方というものは、カタログ的に、例えば表現の自由であるとか、人身の自由であるとか、そういうカタログ的にそれを記述する形で列挙しております。
 残念ながら、このようなカタログ的な権利観というものは、現在では十分に妥当性を持っていないのではないかというふうに指摘されています。なぜならば、実際に権利を必要としているのは、そのようにカタログ的に権利を記述されて、そしてその中で守られるというべき、そういう人たちではなく、むしろどの権利も何もすべての権利が失われている、そういう社会的弱者というものがそこに存在していて、その弱者たちをどのような形で保護するのかということが、あらゆる権利を横断して考えられなければならない。その点では、自由権とか社会権とかいったような区別、あるいはその他の第三世代の権利といったような、そういう区別、それを超えたところに権利を保護する、そういう責任が発生するのだというふうに考えられているからです。
 こういう考え方を人権享有主体別の権利観というふうに申し上げておりまして、ここの部分に関しましては、例えば、国際人権規約、子どもの権利条約であるとか、あるいは人種差別撤廃条約であるとか、あるいは女性差別撤廃条約であるとか、そういう形で権利保護が叫ばれております。そして、最近では、移住労働者の権利保護条約というものが生まれるという形で、この人権享有主体というものがはっきりと意識されている。次には多分障害者の権利というものが問題になってくるのだろうと思いますが、このように、だれが権利を必要としているのかということを明確に見据えた形で人権論というものは展開していただきたいというふうに考えております。
 そのためには、受刑者であるとか、あるいは被疑者であるとか、あるいは被害者であるとか、そしてまた性的少数者、民族的少数者、それから社会的なマイノリティー、その人々に対する権利の主体としての全体的なその権利を保護する、そういう態度が必要なのではないかというふうに私どもアムネスティ・インターナショナルとしては考えております。
 以上でございます。(拍手)

発言情報

speech_id: 116104187X00220041118_004

発言者: 寺中誠

speaker_id: 18822

日付: 2004-11-18

院: 衆議院

会議名: 憲法調査会公聴会