平塚章文の発言 (憲法調査会公聴会)
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○平塚公述人 ただいま御紹介いただきました平塚と申します。
私は、現在、電気機器メーカーで人事全般に関する業務を担当しております。
初めに、私にこうした機会を与えていただきましたことに感謝いたしますとともに、何分にも、このような席でお話しさせていただくことにはなれておりません。また、法律の専門家でもありません。場合によっては、まとまりのない、浅薄な内容のお話をさせていただくこともあろうかと思いますが、御容赦、よろしくお願いいたします。
私は、平成十二年の「憲法調査会に望むもの」というテーマの論文も提出させていただきました。その内容は、現在も憲法調査会のホームページ上に掲載をしていただいております。それから四年ほどたちましたが、いま一度、その内容も含めて、この場をおかりして、一市民の意見として直接お話をさせていただきたいと思います。
まず、現行憲法が制定されるまでの過程について、及び個々の条文に関する解釈や見解の相違、また改正の要否や具体的な内容についてもさまざまな意見の違いがあり、この憲法調査会を含め議論されていることと思います。これらの点については、私は、ここで自分の意見を述べることは控えさせていただきたいと考えます。
さて、戦後半世紀以上にわたり、この憲法のもとに国の統治がなされ、私たちの社会生活や経済活動が行われてきました。この憲法に基づいて決められているそのほかの多くの法律に及ぼす影響や国民の生活などを考えても、その存在と価値を否定することは不可能であると思います。
しかしながら、その半世紀以上私たちが変えずに守ってきた憲法の中にも憲法の改正を認める条項が定められており、当然、この改正についての議論を否定することもまた憲法の趣旨に反するわけであります。
本憲法調査会も、来年には当初決められた五年という期間を終えるということでありますが、立法機関である国会において、その論議が必要に応じてなされるべき状態にあり、将来においても、その改正を常に視野に置いた対応をすることは、当然ながら否定すべきものではないと考えます。
次に、改憲手続についてなんですが、このように、憲法改正に対しての論議、さらには提議ということについては否定されるべきでないと考えますが、最終的には、本憲法上には、その改正には国会における各議院総数の三分の二以上の賛成による発議と国民投票の過半数による承認が必要とあるように、改正の際には必ず国民投票が実施され、国民による直接投票による判断が必要とされています。
この国民投票については、どの範囲の国民を有権者とし、どのような方法で実施し、さらにその結果をどう判断するかなど、その具体的施行方法についてはあらかじめ明確にされていなければならないものであり、今後、国会内においても早急に検討されていくものと思われます。
ただし、どのような投票率であっても、その過半数の国民が可とすれば改正が承認されたとみなすべきであるのか。つまり、近年の国政選挙における五〇%をやや上回る程度の投票率における過半数によって改正が承認されたとみなすべきであるかどうかについては、ぜひ議論していただきたいというふうに思います。
次に、憲法に関する教育についてなんですが、現在、ごく普通の市民が一般に成人になるまでの間に、憲法について直接触れる機会というものはどれくらいあるものなのでしょうか。この憲法調査会においでになる委員の方々も思い返していただきたいと思います。
小学校の社会科の中で、また中学校での公民の授業や高校での政治経済という教科において、その一部分で取り上げられている程度と記憶しています。そして、その中で、将来国民投票をすることになるすべての国民が必ず受けるのは義務教育の期間に限られるため、高校で受ける学習については前提とすることはできません。つまり、義務教育では、憲法についての教育というものは非常に少ないのが現状です。
さらに、その小中学校で教える教員の憲法に対する知識や理解度についても、出身大学等において専攻した学部がさまざまであるなどのことから、その差が大きいことも予測され、これだけの内容によってすべての国民にある程度の憲法に対する知識が備えられるとはとても考えられません。
憲法の各条文にはどんな意味があるのか、何が定められているものなのかを本当に理解している人はどれだけいるのでしょうか。一般市民の中には、憲法とそのほかの法律との違いがどういうものなのかわからないといったことは決して珍しいことではないのです。
このような現状を踏まえると、仮に国民にその判断をゆだねた場合に、発議から実際に国民投票が実施されるまでをどれくらいの期間にするかにもよりますが、改正に際して、その時期だけに応じた意見やはんらんした報道、部分的に知り得る情報などだけにより判断してしまうことになり、本当に正しい改正の是非を問うことは難しいのではないでしょうか。
そこで、憲法について、どれほどの割合の有権者が自分自身で判断でき得る知識と考えを持ち合わせているものであろうか。この問題をまず考えてみるべきであり、その調査を反復的に、継続的に実施しつつ、その理解度のレベルを上げていく施策を講じていくことは国としての義務であり、また、それらを理解していくことが国民にとっての義務であると考えます。
とかく法律と名のつくものは、さまざまな分野の法律的な専門的知識を持つ一部の人のみしか理解できないという印象がありがちです。
私自身には、業務を行う上で、労働法、安全衛生に関する法律、あるいは税法などは日常的に関係してきます。これらの法律も、根底には憲法を基本に制定されているものであります。これらの法律はたびたび改正され、また、新たな関連法の制定も非常に多く行われます。こうした場合、企業では、各行政省庁にかわりその内容を一般従業員に周知しつつ、必要に応じわかりやすく解説し、理解してもらうように努力するわけです。
しかしながら、憲法については、一般の国民の生活に直接的にかかわるという印象は非常に少なく、知る機会というものも余りあるようには思えません。逆に、憲法についての難しい内容の議論が繰り返され、そうした部分だけの報道がされても、かえって一般の国民からは遠い存在へと押しやってしまう、そういう危険性があるように感じられます。
こうした状況から、これからの憲法教育についてでありますが、憲法というものをもっと一般市民が身近なものとして認識できるような仕組みをつくることが今の社会にとっては必要であると考えます。特に、これから日本を支えていくべき若い年齢層への憲法に対する理解度、関心度を高めていく、そうした教育の必要性を非常に感じるものであります。
昨今、学校を卒業し就職しても、三年もたたないうちにやめてしまうという若い人たちが多く存在し、問題化しています。厚生労働省も、インターンシップ制度などを推進し、こうした問題に対処しようと努力されているようです。
学生という自由で責任のない立場から、今までイメージしてきたことのない社会人という責任ある立場へのギャップに適応できないことが問題なのです。もちろん、昔とは違い、常に身近にインターネットなどを通して多くの就職や転職に関する情報があふれています。そうした理由もあるでしょう。しかし、私には、多くの学生たちが、何となく就職活動を行い、就職する決断も、そしてやめる決断も非常に安易に判断しているように感じてなりません。
私は、延べ二十年近く、採用担当者として多くの就職活動を行っている学生たちと接してきました。最近、私は、就職活動中の学生に対して一人一人に、まず、どうして就職するのか、どんなことをしたいのかしっかり考え、その上で、自分で判断し、そのことに責任を持てるようになってほしいと話すようにしています。それが本当にやりたいことにつながるのなら、フリーターという選択もあえて否定すべきではないとも考えます。
二〇〇四年版の「労働経済の分析」、いわゆる労働白書によると、十五歳から三十四歳の若年層のうち、二〇〇三年のフリーターは前年より八万人多い二百十七万人、ニートは五十二万人に上るということです。ニートの数は、総務省の労働力調査をもとにすると、二〇〇二年は四十八万人と推計、この一年間で四万人ふえたというデータが報道されています。ニート、つまりノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のことです。仕事をせず、就職意思もないけれども、本来は働くことのできる若い人たちのことです。
今や、多くの分野で貴重な労働力となっているフリーターについても、選別化が進み、以前のように気楽に、好きな時間に好きなように働けるという状況ではなくなってきました。ニートは、フリーターにもならない、なりたくないという人たちであり、就業意識の点で大きくフリーターとは異なります。厚生労働省は、これらニートに対する就職支援として、パソコンの使い方や建設機械の操縦法など、就職に向けた基礎的能力を養う合宿型の若者自立塾の開設等を来年度から全国で行おうとしているということであります。
こうした就業能力の支援や労働環境の整備も大切ですが、日本は法治国家です。それより前に、日本の憲法上には職業選択の自由があると同時に、勤労の権利と義務、ひいては納税の義務などがうたわれている。これらを果たすことによって社会は成り立っていることなどをしっかりと認識させ、理解させる必要があると考えます。
その一つの方法として、義務教育の過程において、憲法というものにできるだけ触れる機会をふやし、憲法を通じて社会の仕組みを教えていくことが必要であると考えます。
これは、例えば小学校では、道徳の時間などを使い、身の回りの例に当て、自由という概念の考え方、公共の福祉については、みんなに迷惑のかかることは好き勝手にできないこともあるといったように、易しい事例を織りまぜ、少しずつ憲法の内容に触れながら子供たちに考え方を伝える時間をつくる。さらに、中学校の三年間では、十分な時間をとり、最終的にはすべての内容を一通り学習できるようにするべきであると考えます。時には法律の知識のある専門家に憲法を講義してもらい、権利、義務についてなどを含めて、一人一人にそれらを自分のこととして考えさせることが大切なのではないでしょうか。
この憲法を理解させるための教育を、すべての国民が受けなければいけない義務教育において実施することが、憲法改正の必要性について判断しなければならないときに、その時期だけにクローズアップされた一元的な意見、報道、先ほど言いましたように、部分的に知り得た情報などのみにより判断されることを避けることにもつながると考えます。それはまた、憲法を知ることによって、納税などの国民の義務や公共の福祉といった、本来一人一人の国民が常に考えるべき問題の原点を理解させることへとつながるものであると思います。
憲法を通して、物の考え方にも、そのとらえ方によりさまざまな意見があってもよいということを教えることも非常に重要な教育の一つであると考えます。その一方で、偏った内容の思想や指導で教育されないようにすることもさらに重要であることは言うまでもありません。
最後に、法律というものは、それを知らない人たちには適用されないというものではありません。将来国民投票を行う国民一人一人が、憲法というものをよく知らなくても、その判断をしなければなりません。五年後の平成二十一年には、司法に裁判員制度、いわゆる参審制も導入される予定とのことであります。一般市民が司法にも参加できることになるわけです。このことは直接憲法に関係するわけではないのですが、できるだけ早く、憲法というものが、国民一人一人のもっと身近なものとして考えられる位置に置かれることがさらに重要になってきているものと考えます。
以上で、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)