憲法調査会公聴会
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会
会議録情報#0
平成十六年十一月二十五日(木曜日)
午前九時開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君
幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 大村 秀章君
加藤 勝信君 小西 理君
河野 太郎君 坂本 剛二君
柴山 昌彦君 渡海紀三朗君
永岡 洋治君 野田 毅君
葉梨 康弘君 平沼 赳夫君
二田 孝治君 松野 博一君
松宮 勲君 三ッ林隆志君
三原 朝彦君 森山 眞弓君
渡辺 博道君 青木 愛君
稲見 哲男君 大出 彰君
岡本 充功君 鹿野 道彦君
小林千代美君 鈴木 克昌君
園田 康博君 田中眞紀子君
高井 美穂君 辻 惠君
中根 康浩君 長島 昭久君
計屋 圭宏君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 村井 宗明君
笠 浩史君 和田 隆志君
渡部 恒三君 太田 昭宏君
佐藤 茂樹君 福島 豊君
古屋 範子君 山口 富男君
照屋 寛徳君 土井たか子君
…………………………………
公述人
(足立区議会議員) 白石 正輝君
公述人
(会社員) 篠原 裕明君
公述人
(電気機器メーカー人事課長) 平塚 章文君
公述人
(団体職員) 山田 淳平君
公述人
(大学生) 青龍美和子君
公述人
(無職) 森 信幸君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
十一月二十五日
辞任 補欠選任
平井 卓也君 小西 理君
松野 博一君 三ッ林隆志君
園田 康博君 高井 美穂君
長島 昭久君 村井 宗明君
古川 元久君 岡本 充功君
福島 豊君 古屋 範子君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
小西 理君 平井 卓也君
三ッ林隆志君 松野 博一君
岡本 充功君 古川 元久君
高井 美穂君 小林千代美君
村井 宗明君 長島 昭久君
古屋 範子君 福島 豊君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
小林千代美君 園田 康博君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時開議
出席委員
会長 中山 太郎君
幹事 近藤 基彦君 幹事 福田 康夫君
幹事 船田 元君 幹事 古屋 圭司君
幹事 保岡 興治君 幹事 枝野 幸男君
幹事 中川 正春君 幹事 山花 郁夫君
幹事 赤松 正雄君
伊藤 公介君 大村 秀章君
加藤 勝信君 小西 理君
河野 太郎君 坂本 剛二君
柴山 昌彦君 渡海紀三朗君
永岡 洋治君 野田 毅君
葉梨 康弘君 平沼 赳夫君
二田 孝治君 松野 博一君
松宮 勲君 三ッ林隆志君
三原 朝彦君 森山 眞弓君
渡辺 博道君 青木 愛君
稲見 哲男君 大出 彰君
岡本 充功君 鹿野 道彦君
小林千代美君 鈴木 克昌君
園田 康博君 田中眞紀子君
高井 美穂君 辻 惠君
中根 康浩君 長島 昭久君
計屋 圭宏君 古川 元久君
馬淵 澄夫君 村井 宗明君
笠 浩史君 和田 隆志君
渡部 恒三君 太田 昭宏君
佐藤 茂樹君 福島 豊君
古屋 範子君 山口 富男君
照屋 寛徳君 土井たか子君
…………………………………
公述人
(足立区議会議員) 白石 正輝君
公述人
(会社員) 篠原 裕明君
公述人
(電気機器メーカー人事課長) 平塚 章文君
公述人
(団体職員) 山田 淳平君
公述人
(大学生) 青龍美和子君
公述人
(無職) 森 信幸君
衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君
—————————————
委員の異動
十一月二十五日
辞任 補欠選任
平井 卓也君 小西 理君
松野 博一君 三ッ林隆志君
園田 康博君 高井 美穂君
長島 昭久君 村井 宗明君
古川 元久君 岡本 充功君
福島 豊君 古屋 範子君
土井たか子君 照屋 寛徳君
同日
辞任 補欠選任
小西 理君 平井 卓也君
三ッ林隆志君 松野 博一君
岡本 充功君 古川 元久君
高井 美穂君 小林千代美君
村井 宗明君 長島 昭久君
古屋 範子君 福島 豊君
照屋 寛徳君 土井たか子君
同日
辞任 補欠選任
小林千代美君 園田 康博君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
日本国憲法に関する件
————◇—————
中
中山太郎#1
○中山会長 これより会議を開きます。
日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
議事の順序について申し上げます。
まず、白石公述人、篠原公述人、平塚公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず白石公述人、お願いいたします。
この発言だけを見る →日本国憲法に関する件について公聴会を行います。
この際、公述人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
議事の順序について申し上げます。
まず、白石公述人、篠原公述人、平塚公述人の順に、お一人二十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることとなっております。また、公述人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、まず白石公述人、お願いいたします。
白
白石正輝#2
○白石公述人 おはようございます。御指名をいただきました足立区議会議員の白石正輝でございます。
本日は、憲法調査会に、私、地方議員の一人という立場で発言する機会をいただきまして、心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。
私も、昭和四十六年に初めて地方議員にさせていただいて以来、地方自治の進展、確立こそが民主政治の根幹なんだという考え方を持ちまして、今日まで三十数年間の議員活動をさせていただいておりますけれども、今の憲法を見ておりまして、私たち地方議会という立場からいうと、幾つか改正していただかなければならない点があるなというふうに考えないわけにはいきません。
私が大学に入学したときには、まさに六〇年安保でございまして、憲法改正などということを口に出しますと、あれは右翼なんだ、こういうようなことを言われて、とてもとても憲法改正というようなことを言えるような状況ではございませんでした。
あれから四十年、戦後もう六十年になるわけですけれども、最近の世論調査等を見てまいりますと、特に、高校生、大学生、二十代、三十代、四十代の若い皆さん方の中に、憲法を改正すべきだという御意見が過半数を占めているという状況を見ますと、やはり、六十年間一度も憲法改正について国会が態度を示さなかったことについては若干問題があったのかな、こんなふうに思います。
また、先般の読売新聞の調査、国会議員の皆さん方に読売新聞が調査をした結果が発表されましたけれども、二〇〇二年には自由民主党が、改憲、九六%賛成、二〇〇四年には同じく九六%、民主党は六七%だったところが七七%に上がっている、公明党は七一%が八三%に上がっているというこの現実を考えると、国会議員の皆さん方の中にも、大部分が今の憲法のままでいいというふうに考えておられないのではないかな、こんなふうに私どもも思います。
そうした中で、まさに戦後六十年、国際情勢も大きく変わっておりますし、昭和二十一年、日本が憲法を公布した際には、敗戦ということで、日本の国力は全くなく、外国に与える影響などというのは全く考えられなかった時代に憲法が公布され、制定されたわけですが、今の日本の経済力等を考えると、国際貢献というようなことを考えれば、まさに世界が日本に大きな期待を寄せているんだということを考えなければならないのかなというふうに思います。
そこで、まず第一点でございますけれども、日本の天皇制について。
今の象徴天皇というのは、日本の長い伝統や習慣から考えますと、まさに日本に合った考え方なのかなというふうには思いますけれども、昭和三十一年の政府の憲法調査会では、象徴天皇といえども元首の地位にあると解釈しても構わないということが一致して言われているというふうに聞いておりますし、昭和三十九年の外交関係に関するウィーン条約等国際法上、慣例上、天皇は元首として扱っていられる。特に外務省は、外交関係上は天皇を元首扱いにしておりますし、諸外国も天皇を元首として遇している現実を見ますと、やはり天皇陛下の立場を明確にすべきではないのか。象徴天皇といいながらも、やはり国際法上、国を代表するという意味で、天皇を元首という立場で規定すべきではないのかな、こんなふうに思います。
次に、第九条でございます。
第九条の平和主義、このことについて、今の国際政治を見ますと、日本の憲法が平和主義をうたっていることは、まさに将来にもこの憲法の平和主義を守らなければいけないことについては当然のことであろうと私も思いますけれども、平和主義、日本の平和を守るということが、自国のみの平和を守るということでは決してないというふうに私どもは思います。
特に、日本は資源がない国であって、国際貿易をしっかりやっていかなければ日本の国民の福祉向上は全く望めないということを考えたときに、国際平和というものをしっかり念頭に置いた平和主義を今後掲げていかなければならないのではないか。世界の平和の中にまさに日本の平和があるという考え方からまいりますと、国際平和というものにより一層日本は貢献をしていかなければならないのではないかというふうに私どもは思います。
また、日本国が、今後も長く国民のために存在し、平和主義、基本的人権をしっかり守っていくためには、日本の憲法を守っていかなければならない。日本の憲法を守っていくためには、日本という国を外国の侵略から守らなければならないのは当然のことでありますけれども、今の日本国憲法第九条の規定をこのまま文字として読めば、本当に自衛権はあるのかな、自衛隊を持って本当にいいのかなというのが、基本的には国民の素朴な疑問だというふうに私どもは思います。
こうした部分を単なる憲法の拡大解釈だけで運用するということについては、やはり国民の不信というものをぬぐえないのではないか。そういう意味において、憲法九条二項にただし書きとして、他国からの不当な侵害に対する自衛の戦力は、これを保持することができるということを明確に規定して、自衛軍または国防軍の存在をはっきりと国民に示すべきではないのかな、こういうふうに思います。
先ほど申し上げましたように、日本の平和は世界の平和の中にある以上、国際協力をしっかりと推し進めていかなければならないのは当然のことですから、国連主導の国際紛争解決に参加できるように九条の改正をすべきだ。九条三項に次の条項を加えたらいかがなものかと思うのです。前項の規定にかかわらず、国連の要請があった場合は、国際紛争を解決する手段として武力の行使をすることができるという、国連主導型の国際紛争解決に当たってはあえて武力の行使もできるんだ、こういうことを規定するべきであると私は思います。
次に、私ども地方自治を担当している立場として、特に私有財産の権利の制限についてもう少し明確にすべきではないのかな、こういうふうに思います。
日本国憲法では、第二十九条に「財産権は、これを侵してはならない。」こういう規定がありますけれども、この規定が、例えば私どもの地方自治体で計画的に道路をつくる、計画的に交通網を整備するようなときに、どうしても、私の土地は先祖伝来持っているんだから絶対に売らないんだ、こういう中で、土地収用がまことに困難なために道路が途中でとまってしまっている。東から来ている道路が、二百メーターぐらいどうしても土地収用ができないで、そこだけなくて、その後また西の方に行っている。こうしたことによって周囲の交通が大変に阻害されている現状を見ますと、土地所有権に対する制限についてはもう少し厳しくすべきではないのか、公共の福祉による利用という部分についての制限をより一層厳しくすべきではないのかな、こういうふうに思います。
こう言うと、土地収用法というのがあって、土地収用委員会で土地収用すればいいじゃないかという御発言があろうかというふうには思いますけれども、地方自治の政治の中で土地収用法、土地収用というのを発動するのはなかなか難しいことは、皆さん方もよく御存じだというふうに思います。
足立区七十余年の歴史の中で土地収用をかけた例はまだ一度もありませんし、今大変問題になっている道路も、もう二十一年間地主の説得に当たっておりますけれども、地主が全く聞く耳を持たない。しかも、そこに生活していない地主なんです。全く生活していない地主。そうした地主が全く聞く耳を持たないという中で、道路が開通しない。道路が開通しないために環七が大変に混雑をして、一キロ進むのにひどいときには一時間ぐらいかかってしまうというような道路状況、交通状況にある。この道路ができると、この道路は環七の約五百メーターぐらい北にできますので、この道路を利用して、二通りの東西交通ができるということになっておりますけれども、現実問題としては、地主が全然売らない。
ということで、私は、憲法第二十九条第一項を、国民の生活に必要不可欠な財産権は、これを侵してはならないと。今は「財産権は、これを侵してはならない。」こういう形で規定されている中で、なかなか計画的な道路それから公園、交通網、こうしたものの整備が全くできないという現状を考えたときに、何とか、この土地の特に所有権に対する制限についてはぜひもう少し厳しくしていただければありがたいなと思うと同時に、第二十九条第二項中に「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」というふうに書いてありますけれども、地方自治体の基本条例の中でこれを定めることができるというふうに憲法を変えていただければ、各地方自治体が地方の実情に合わせて、今、私どもの足立区も住民基本条例を策定中でございますけれども、その住民基本条例の中に盛り込めるような、そんな考え方ができればまことにありがたいというふうに思います。
今、国の方で、三位一体の改革という中で、地方に大幅に権限を移譲しよう、こういうふうに国の方は考えてやられているというふうにお伺いしておりますし、私ども地方自治体としては、一日も早く三位一体の改革が実現して、権限の移譲はもちろんですけれども、権限にあわせて財源をしっかりと地方に移譲していただきたい、こういうふうに思います。
そうした中で、地方自治をもう少ししっかりと確立していく、地方自治を明確にしていくためにも、地方政府と言ったら語弊があるかもしれませんけれども、地方政府に近い形の地方自治体を新たにつくってはいただけないものか。これは、今よく言われておりますけれども、道州制という言葉が適当かどうかわかりませんが、今の都道府県単位をより一層大きくした中で、道州制、今の東北地方とか関東地方とかというような形の一つの大きなまとまりにして、財源をしっかりした形で計画的な広域地方行政ができるような組織をつくっていただければまことにありがたいというふうに思います。
なお、今私どもがいろいろと地方で政治を行っていく中で、例えば一般的な大型の交通、バスを通すには、どうしても赤字になって、交通機関が乗ってくれない。そうした場合に、今、足立区では、コミュニティーバスという形で六系統のバス路線を走らせておりますけれども、こうした六系統のバス路線を走らす中においても、なかなか国の許可がおりないという中で、新設路線を新しくつくっていくことについてもなかなか厳しい状況があるわけですけれども、こうしたまさに住民生活に直結しているような問題については、私たち地方にぜひ任せていただきたいなというふうに思います。
そうした意味で、地方自治体の権能、権限を明確にするために、自主立法権を地方自治体に与えてはもらえないものか。道州制については、国の権限を侵さない範囲内において、法律に優先する基本条例を定めることができる、こういう規定を追加することができないものか。基礎的自治体においては、国または道州の固有の権限を侵さない範囲において、法律または道州の条例に優先する基本条例を定めることができる、こういうことを加えることができるかどうか、お考えをいただきたいなというふうに思います。
先ほどの天皇制でございますが、一つ申し忘れましたけれども、今、男女平等というのは当たり前の国民の考え方でございまして、天皇はまさに国民統合の象徴であるという考え方からすれば、現在、皇統男子に限るような状態で天皇が規定されているというふうに思いますが、私は、男女平等が国民の中に当然の権利として広く行き渡っている今の日本の国内において、天皇を男性に限る理由は全くないというふうに思います。天皇は女性、男性を問わず皇統に属する方から選ばれるという形で決めていただければまことにありがたいなというふうに思います。
何といっても、戦後六十年間、憲法を一度も改正してこなかった国というのはまことに珍しい国だというふうに私は思います。同じ敗戦国のドイツ、イタリアにおいても、戦勝国のアメリカ、イギリス、フランスにおいても、数度にわたって憲法が時代に合わせて改正されているということを見てまいりますと、まさに時代のニーズに合わせて、今まさに二十代、三十代、四十代の皆さん方が五〇%以上憲法改正に賛成しているこの現実を見るときに、憲法改正はまさに国会議員の皆さん方の責務であるというふうに思います。
なお、憲法改正に当たっては、現在の、三分の二の国会議員の賛成がなければ発議できない、こういうことになりますと、三分の一プラス一という勢力を持っていれば憲法改正は一切できない、こんなことは私は許されることではない、こういうふうに思います。国会議員の皆さん方の二分の一以上の賛成があれば憲法改正は発議できるというような形で改正をいただければまことにありがたいと思います。
以上でございます。まことにありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、憲法調査会に、私、地方議員の一人という立場で発言する機会をいただきまして、心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。
私も、昭和四十六年に初めて地方議員にさせていただいて以来、地方自治の進展、確立こそが民主政治の根幹なんだという考え方を持ちまして、今日まで三十数年間の議員活動をさせていただいておりますけれども、今の憲法を見ておりまして、私たち地方議会という立場からいうと、幾つか改正していただかなければならない点があるなというふうに考えないわけにはいきません。
私が大学に入学したときには、まさに六〇年安保でございまして、憲法改正などということを口に出しますと、あれは右翼なんだ、こういうようなことを言われて、とてもとても憲法改正というようなことを言えるような状況ではございませんでした。
あれから四十年、戦後もう六十年になるわけですけれども、最近の世論調査等を見てまいりますと、特に、高校生、大学生、二十代、三十代、四十代の若い皆さん方の中に、憲法を改正すべきだという御意見が過半数を占めているという状況を見ますと、やはり、六十年間一度も憲法改正について国会が態度を示さなかったことについては若干問題があったのかな、こんなふうに思います。
また、先般の読売新聞の調査、国会議員の皆さん方に読売新聞が調査をした結果が発表されましたけれども、二〇〇二年には自由民主党が、改憲、九六%賛成、二〇〇四年には同じく九六%、民主党は六七%だったところが七七%に上がっている、公明党は七一%が八三%に上がっているというこの現実を考えると、国会議員の皆さん方の中にも、大部分が今の憲法のままでいいというふうに考えておられないのではないかな、こんなふうに私どもも思います。
そうした中で、まさに戦後六十年、国際情勢も大きく変わっておりますし、昭和二十一年、日本が憲法を公布した際には、敗戦ということで、日本の国力は全くなく、外国に与える影響などというのは全く考えられなかった時代に憲法が公布され、制定されたわけですが、今の日本の経済力等を考えると、国際貢献というようなことを考えれば、まさに世界が日本に大きな期待を寄せているんだということを考えなければならないのかなというふうに思います。
そこで、まず第一点でございますけれども、日本の天皇制について。
今の象徴天皇というのは、日本の長い伝統や習慣から考えますと、まさに日本に合った考え方なのかなというふうには思いますけれども、昭和三十一年の政府の憲法調査会では、象徴天皇といえども元首の地位にあると解釈しても構わないということが一致して言われているというふうに聞いておりますし、昭和三十九年の外交関係に関するウィーン条約等国際法上、慣例上、天皇は元首として扱っていられる。特に外務省は、外交関係上は天皇を元首扱いにしておりますし、諸外国も天皇を元首として遇している現実を見ますと、やはり天皇陛下の立場を明確にすべきではないのか。象徴天皇といいながらも、やはり国際法上、国を代表するという意味で、天皇を元首という立場で規定すべきではないのかな、こんなふうに思います。
次に、第九条でございます。
第九条の平和主義、このことについて、今の国際政治を見ますと、日本の憲法が平和主義をうたっていることは、まさに将来にもこの憲法の平和主義を守らなければいけないことについては当然のことであろうと私も思いますけれども、平和主義、日本の平和を守るということが、自国のみの平和を守るということでは決してないというふうに私どもは思います。
特に、日本は資源がない国であって、国際貿易をしっかりやっていかなければ日本の国民の福祉向上は全く望めないということを考えたときに、国際平和というものをしっかり念頭に置いた平和主義を今後掲げていかなければならないのではないか。世界の平和の中にまさに日本の平和があるという考え方からまいりますと、国際平和というものにより一層日本は貢献をしていかなければならないのではないかというふうに私どもは思います。
また、日本国が、今後も長く国民のために存在し、平和主義、基本的人権をしっかり守っていくためには、日本の憲法を守っていかなければならない。日本の憲法を守っていくためには、日本という国を外国の侵略から守らなければならないのは当然のことでありますけれども、今の日本国憲法第九条の規定をこのまま文字として読めば、本当に自衛権はあるのかな、自衛隊を持って本当にいいのかなというのが、基本的には国民の素朴な疑問だというふうに私どもは思います。
こうした部分を単なる憲法の拡大解釈だけで運用するということについては、やはり国民の不信というものをぬぐえないのではないか。そういう意味において、憲法九条二項にただし書きとして、他国からの不当な侵害に対する自衛の戦力は、これを保持することができるということを明確に規定して、自衛軍または国防軍の存在をはっきりと国民に示すべきではないのかな、こういうふうに思います。
先ほど申し上げましたように、日本の平和は世界の平和の中にある以上、国際協力をしっかりと推し進めていかなければならないのは当然のことですから、国連主導の国際紛争解決に参加できるように九条の改正をすべきだ。九条三項に次の条項を加えたらいかがなものかと思うのです。前項の規定にかかわらず、国連の要請があった場合は、国際紛争を解決する手段として武力の行使をすることができるという、国連主導型の国際紛争解決に当たってはあえて武力の行使もできるんだ、こういうことを規定するべきであると私は思います。
次に、私ども地方自治を担当している立場として、特に私有財産の権利の制限についてもう少し明確にすべきではないのかな、こういうふうに思います。
日本国憲法では、第二十九条に「財産権は、これを侵してはならない。」こういう規定がありますけれども、この規定が、例えば私どもの地方自治体で計画的に道路をつくる、計画的に交通網を整備するようなときに、どうしても、私の土地は先祖伝来持っているんだから絶対に売らないんだ、こういう中で、土地収用がまことに困難なために道路が途中でとまってしまっている。東から来ている道路が、二百メーターぐらいどうしても土地収用ができないで、そこだけなくて、その後また西の方に行っている。こうしたことによって周囲の交通が大変に阻害されている現状を見ますと、土地所有権に対する制限についてはもう少し厳しくすべきではないのか、公共の福祉による利用という部分についての制限をより一層厳しくすべきではないのかな、こういうふうに思います。
こう言うと、土地収用法というのがあって、土地収用委員会で土地収用すればいいじゃないかという御発言があろうかというふうには思いますけれども、地方自治の政治の中で土地収用法、土地収用というのを発動するのはなかなか難しいことは、皆さん方もよく御存じだというふうに思います。
足立区七十余年の歴史の中で土地収用をかけた例はまだ一度もありませんし、今大変問題になっている道路も、もう二十一年間地主の説得に当たっておりますけれども、地主が全く聞く耳を持たない。しかも、そこに生活していない地主なんです。全く生活していない地主。そうした地主が全く聞く耳を持たないという中で、道路が開通しない。道路が開通しないために環七が大変に混雑をして、一キロ進むのにひどいときには一時間ぐらいかかってしまうというような道路状況、交通状況にある。この道路ができると、この道路は環七の約五百メーターぐらい北にできますので、この道路を利用して、二通りの東西交通ができるということになっておりますけれども、現実問題としては、地主が全然売らない。
ということで、私は、憲法第二十九条第一項を、国民の生活に必要不可欠な財産権は、これを侵してはならないと。今は「財産権は、これを侵してはならない。」こういう形で規定されている中で、なかなか計画的な道路それから公園、交通網、こうしたものの整備が全くできないという現状を考えたときに、何とか、この土地の特に所有権に対する制限についてはぜひもう少し厳しくしていただければありがたいなと思うと同時に、第二十九条第二項中に「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」というふうに書いてありますけれども、地方自治体の基本条例の中でこれを定めることができるというふうに憲法を変えていただければ、各地方自治体が地方の実情に合わせて、今、私どもの足立区も住民基本条例を策定中でございますけれども、その住民基本条例の中に盛り込めるような、そんな考え方ができればまことにありがたいというふうに思います。
今、国の方で、三位一体の改革という中で、地方に大幅に権限を移譲しよう、こういうふうに国の方は考えてやられているというふうにお伺いしておりますし、私ども地方自治体としては、一日も早く三位一体の改革が実現して、権限の移譲はもちろんですけれども、権限にあわせて財源をしっかりと地方に移譲していただきたい、こういうふうに思います。
そうした中で、地方自治をもう少ししっかりと確立していく、地方自治を明確にしていくためにも、地方政府と言ったら語弊があるかもしれませんけれども、地方政府に近い形の地方自治体を新たにつくってはいただけないものか。これは、今よく言われておりますけれども、道州制という言葉が適当かどうかわかりませんが、今の都道府県単位をより一層大きくした中で、道州制、今の東北地方とか関東地方とかというような形の一つの大きなまとまりにして、財源をしっかりした形で計画的な広域地方行政ができるような組織をつくっていただければまことにありがたいというふうに思います。
なお、今私どもがいろいろと地方で政治を行っていく中で、例えば一般的な大型の交通、バスを通すには、どうしても赤字になって、交通機関が乗ってくれない。そうした場合に、今、足立区では、コミュニティーバスという形で六系統のバス路線を走らせておりますけれども、こうした六系統のバス路線を走らす中においても、なかなか国の許可がおりないという中で、新設路線を新しくつくっていくことについてもなかなか厳しい状況があるわけですけれども、こうしたまさに住民生活に直結しているような問題については、私たち地方にぜひ任せていただきたいなというふうに思います。
そうした意味で、地方自治体の権能、権限を明確にするために、自主立法権を地方自治体に与えてはもらえないものか。道州制については、国の権限を侵さない範囲内において、法律に優先する基本条例を定めることができる、こういう規定を追加することができないものか。基礎的自治体においては、国または道州の固有の権限を侵さない範囲において、法律または道州の条例に優先する基本条例を定めることができる、こういうことを加えることができるかどうか、お考えをいただきたいなというふうに思います。
先ほどの天皇制でございますが、一つ申し忘れましたけれども、今、男女平等というのは当たり前の国民の考え方でございまして、天皇はまさに国民統合の象徴であるという考え方からすれば、現在、皇統男子に限るような状態で天皇が規定されているというふうに思いますが、私は、男女平等が国民の中に当然の権利として広く行き渡っている今の日本の国内において、天皇を男性に限る理由は全くないというふうに思います。天皇は女性、男性を問わず皇統に属する方から選ばれるという形で決めていただければまことにありがたいなというふうに思います。
何といっても、戦後六十年間、憲法を一度も改正してこなかった国というのはまことに珍しい国だというふうに私は思います。同じ敗戦国のドイツ、イタリアにおいても、戦勝国のアメリカ、イギリス、フランスにおいても、数度にわたって憲法が時代に合わせて改正されているということを見てまいりますと、まさに時代のニーズに合わせて、今まさに二十代、三十代、四十代の皆さん方が五〇%以上憲法改正に賛成しているこの現実を見るときに、憲法改正はまさに国会議員の皆さん方の責務であるというふうに思います。
なお、憲法改正に当たっては、現在の、三分の二の国会議員の賛成がなければ発議できない、こういうことになりますと、三分の一プラス一という勢力を持っていれば憲法改正は一切できない、こんなことは私は許されることではない、こういうふうに思います。国会議員の皆さん方の二分の一以上の賛成があれば憲法改正は発議できるというような形で改正をいただければまことにありがたいと思います。
以上でございます。まことにありがとうございました。拍手
中
篠
篠原裕明#4
○篠原公述人 御指名いただきました篠原裕明と申します。
私、まだ弱冠二十三歳でございまして、ことしの四月に大学を卒業したばかりでございます。会社員という肩書ではございますが、ほとんど学生のような立場でしかお話ができませんので、その点をお酌みおきいただいて、お話をさせていただければと思います。
本日は、このような大変権威ある憲法調査会にお招きいただいたことを、心から御礼を申し上げたいと思います。
国会は、この五十年間、さまざまな役割をしてきたと思うんですが、落ちついてこの国の形を考えるということは余りなかったのではないか、日々政府から提出される法案を処理していくことにきゅうきゅうとしていたのではないかなと。そういう中で、中長期的な視点に立って議論をされている先生方、そしてまた、大変有益な資料をつくられている事務局の皆様に敬意を申し上げたいと思います。
私、きょうはまず国会、行政監視を中心にというふうなテーマでお話を申し上げるのでありますが、日々このような活動をされている先生方の前でお話を申し上げるのは大変恐縮でございます。その点はどうか御容赦いただいて、お話を聞いていただければと思います。
私、国会が空洞化しているという意見をよく聞きまして、私自身もある意味それは当たっているのかなというふうに思います。
例えば、今国会に提出されました独占禁止法という法案がございますけれども、きのう何かニュースでは継続審議が決まったということですが。政府部内での調整に一年から一年半ぐらいかかっているわけですね、公正取引委員会、日本経団連であるとか与党であるとか。そういうところでほとんど利害調整がなされてしまって、済んだものを国会に出してもらっても、直すところがほとんどなかったり、一つを直せば全体を直さなければいけなかったりして、結局は、ほとんど政府が提出したままの形で法案を通すことが多いのかなというふうに思います。
実際、国会に提出される前の方が、国会に提出された後よりも法案に対する新聞記事というのが多くて、世の中がどういうところに注目しているのかというと、やはり政府の中での調整に目が行っていて、国会の中には全然目が行っていないなというのが一つあります。
やはり、一つこれは、国会が余り政府が提出してきた法案に対して修正を行っていないという現状が、そういう国会に対する無関心につながっているのかなというふうに思います。
その一つの原因は、政府の法案というのは、現在、もうほとんど完璧な形で出てきているわけですね。条文形式が整って、既存の法体系との整合性を整えて。これは、例えば建物でいえば、鉄骨も組み立てて内装も整えて、もうあとはかぎを渡すだけという状態で、では、今ここから何か直しますかと聞かれているのと変わらないわけです。
本当に国会で直すことを予定しているのであれば、もっと法案はシンプルな形で出してくるべきではないのかなというふうに思います。それはどういう段階で出すのか、法案大綱なのか、法案要綱なのか。法案要綱といっても大体はもう形ができている状態なんですが、もう少し国会で直すのだという前提のもとで法案を政府も国会もつくっていかなければならないのではないかというふうに一つ思います。
また、法案の形式に関しましても、最近は法律を読んでも一体どういうものなのかよくわからない、特に運用がどういうふうに行われるのかわからないような法案が多いわけですね。政令であったり省令であったり、次官通達、局長通達、課長通達、それを見ないと全くどういう運用をなされるのかわからないような法律が多いわけです。そういう中で、国会はやはりもう少し細かく法律で規定しなさいというふうに政府に対して注文をつけることも必要なのではないかというふうに思います。
政府を監視するに当たって、一つ有益な手段とされるのが議員立法でございます。
特に九〇年代の半ば、土井たか子さんが衆議院議長をやられていたあたりで、大変、議員立法が重要だということが叫ばれて、それ自体は私も賛同をいたすのですが、何が何でも議員立法でなければいけないんだという考え方は、議院内閣制をとる我が国においてはちょっと外れているのかなというふうに思います。やはり基本は、議院内閣制である以上、政府が出してくる法案を国会が審議するのでありますが、やはり政府として提案しにくい法案もございます。そのような法案について、野党なり与党の有志の議員が立法府の立場から議員立法をされるというのが一番いいのではないかというふうに思います。
レジュメにも書いてありますが、民主党の皆さんがいる中で恐縮なんですが、一時期、対案としての議員立法というのを大変重視された時期があったと思うんですが、これははっきり言って議院法制局の大きな負担になっていたと思うんですね。一つの委員会の担当について議院法制局、二、三人しか担当がいない中で、ほとんど審議をされずに流されていく法案をたくさんつくるということは、これは政治的な意味は大変あると思うんですが、現実的な視点からいえば、ちょっとむだもあるのかなというふうに思います。
そうした意味で、対案は対案なんですけれども、ことし民主党が出された年金法案というのは、大変プログラム法的で内容がよかったのではないかなというふうに思います。ここにも書いてありますが、橋本行革の行革基本法は、内閣官房の方で起案をしたものではありますけれども、大枠を定めた上で細かい法律を改正するステップを踏んでいるんですね。このような形がやはり国会が提出する議員立法にはふさわしいのかなというふうに思います。一つ一つの法案の、ここをどう変えますよという、一々法案改正文を書いていたら切りがないわけで、そういう細かい部分は官僚に任せて大枠を議員立法でつくる、そういうような慣例がこれから強くなっていけばいいなというふうに思っております。
ちょっとレジュメが前後するんですが、国会は九〇年代の後半に決算行政監視委員会というのができまして、それとともに会計検査院に対して検査を要請することができるようになったと思います。
しかし、実態はどうかと申し上げますと、先生方御存じのとおり、まだ二件しか検査が発令されていないわけでございます。衆議院一件、参議院一件。これは大変もったいないお話だと思います。会計検査院もなかなかの調査力を持っているわけでありますから、国会と会計検査院がもっと連動してさまざまな調査を行うべきではないかというふうに思います。
それとともに、会計検査院は今、内閣からもある程度独立した機関でございますが、諸外国を見ても会計検査院的なものは、アメリカにしてもイギリスにしても議会に属しているわけでありまして、今の宙ぶらりんな会計検査院の立場ではなくて、この際、憲法改正を考えるに当たっては、会計検査院を国会の附属機関にするということもひとつ視野に入れてはいかがでしょうか。
次に、内閣法制局についてお話をさせていただきたいと思います。
憲法調査会でも、さまざま、この憲法の有権解釈権はどこにあるのだというお話がされてきたと思います。建前で申し上げれば最高裁判所なんでしょうが、現在の、具体的な訴訟がなければ憲法判断できないという状況であれば、抽象的な法体系を重視している日本、事が起きる前にどうなんだ、どうなんだと。九条の解釈は、集団的自衛権を有しているのか、有していないのか、集団的自衛権を有していないならば、こういう戦闘のときどうなんだ、どこまでがやっていいのか、やっていけないのかと。
事が起こる前にいろいろな判断を重視する、抽象的な法体系を重視する我が国において、具体的な訴訟がなければ憲法を判断しませんという最高裁判所の権限では、やはり事実上、内閣法制局に判断をゆだねざるを得ないこの状況はいたし方ないのではないのかなというふうに思います。
憲法改正を視野に入れるのであれば、私は明確に、憲法裁判所を創設すべきだと思いますし、現在の状況は明らかに法の不備、憲法の不備であるというふうに思います。日本の法体系と憲法裁判の前提となっているものが明らかに違うと思います。
短期的な解決策としては、内閣法制局の長官に国会議員をするなどして、長官職の政治的責任を明確にしていく必要があるのかなというふうに思います。一応、内閣法制局の主管大臣は内閣総理大臣でありますが、法制局の判断がおかしいからといって内閣総理大臣を罷免するというのは、内閣総辞職に追い込まれる可能性がありますので、それは、はっきり言って余りできないわけですね。そういう意味で、内閣法制局の政治的責任をより明確にするには、長官職に国会議員を持ってくるのが一番早いのかなというふうに思います。その際、国会法の三十九条の兼職規定を改定する必要がございます。
また、同様に、議会にも議院法制局という大変有能なセクションがありますが、こちらも内閣法制局に対しては余り力がなさ過ぎるのではないのかなというふうに思います。この際、議院法制局も局長職を国会議員にして、内閣法制局と議院法制局が政治家同士で議論できるようなシステムをつくってはいかがかというふうに思います。内閣法制局と議院法制局は、今はだんまりを決め込んでいるような状況、たとえ何か国会で内閣法制局の見解がおかしいという議論が起こっても、議院法制局は黙ったままですし、内閣法制局に対して異議を申し立てるシステムがございません。これを打破するために、法制局の中に国会議員を送り込むというのも一つの解決策ではないかと思います。
しかし、もっと大きい視野に立てば、やはり憲法裁判所を設立する、今の最高裁では抽象的な憲法裁判はできないというお話が憲法調査会の中でもございましたので、やはり、この際、憲法裁判所を設立する必要があるのではないかなというふうに思います。
こうしたときに、憲法裁判所は司法なのか、第四権、また違ったものなのか議論は分かれますが、司法が政治的な場に入ってくるのは司法の正当性をゆがめるというような御議論がございますが、では、果たして本当に最高裁判所がこれまで憲法判断を避けてきてばかりいるのかといったら、合憲判断は山ほどしているわけですね。違憲判断はあくまで余りしていないだけであって、今の最高裁判所も十分政治的な色彩を帯びていると思います。この点で、憲法裁判所をつくったら司法が政治に染まってしまうみたいな議論は当たらないのではないのかというふうに思います。
そうした点も含めまして、国会でさまざまな、法判断であったり条文化であったり、そういう、今まで法制局の中であったり政府部内で行われてきた部分を、国会のこういう委員会や小委員会の場でできれば、より透明性が高まり、また、日本では全然盛んになっていない立法学のケーススタディーの積み重ねにもなっていくのではないのかなというふうに思います。
そうしたときに一つ考えなければならないのは、やはりそうやって実質的に、修正を前提にしたり、ここで条文化をしていくには、やはり審議日数が今よりも当然必要になってくるわけですね。正直申し上げまして、今、余り重要でない一般的な法案は、大体、委員会審議、三時間か四時間で終わっているのが実情だと思います。そういう中で条文化をしていくような作業をしていくと、大変審議がきゅうきゅうとしてしまうと思います。
ですので、この際、憲法改正を考えるのであれば、国会の会期というものも考え直さなければならないのかなというふうに思います。はっきり言って、私は非効率だと思います。会社も二十四時間、テレビで会議をできるようなシステムを備えているこの時代に、今は会期じゃないから何もできないなんというのは、ちょっと古い考え方、中世の王様の時代の議会なのかなというふうに思ってしまいます。この際、一年を通して国会を開けるようなシステムにしていくべきではないかというふうに思います。
また、諸外国が法案の審査にどれぐらいの日数をかけているのかも一つ重要な研究論点ではないかなというふうに思います。
今までは、基本的に、政府や与党の先生方に対して意見を申し上げたような形なんですが、野党の先生方にも、ちょっと一つ注文を申し上げたいのであります。
行政監視、政府の監視というのは、大変、国会の重要な機能ではありますが、委員会において大臣の出席をやたらと今求めているような現状がありますが、やはり大臣は、第一には省内、各省の政策の企画立案が第一の仕事でありまして、国会に来てばかりいるのは本末転倒ではないのかなというふうに思います。国会の委員会で縛られて外遊にも行けない、省内の政策の把握もできない、そういうようなことがあるのは余り有益ではないのかなというふうに思います。
イギリスに関しても、委員会においては、政務官、副大臣がどんどん答弁をしております。大臣の出席にこだわるというのは、皆様方が政府に回ったときに、やはり大変大きな足かせになるのではないだろうかなというふうに思います。
また、大臣といっても生身の人間ですから、以前の大臣やずっと前の大臣の答弁との一貫性をつつくのもいかがなものかというふうに思います。より活発な議論をしていくには、多少の発言ミスがあってもいいのではないのかなと。そういう点で、もう少し野党の先生方には鷹揚になっていただいたらいいのかなというふうに思います。
私、最後に国会の事務局についてもお話をさせていただきたいと思います。
今、参議院と衆議院で事務局は独立しているわけですが、独立性は審議であくまで担保すればよいのであって、こういう後方支援に関しては、統合できるものはどんどん統合していった方がいいと思うんです。法制局にしても、片方の法制局だけだと七十人強ですが、両方合わせれば百五十人弱になるわけですね。それぐらいあれば、やはりもっと大きい仕事ができるのではないかと思います。国会図書館も、衆議院、参議院、どちらへも対応していますよね。ですから、衆議院と参議院の事務局、法制局を統合することも不可能ではないのではないかというふうに思います。
最後に、憲法全体についてなんですが、戦後六十年となって、国家統治の前提、基本システムが、やはり終戦直後とは異なってきているのではないかと思います。ですから、憲法と現実が乖離しつつあるのであれば、やはり改正するのが一番だと思います。
しかし、憲法九条、大変大きく議論の分かれる分野でございますから、そうした部分は後回しにして、実務的な改正を先に行うべきではないかというふうに私は思っております。
そのときに、国会と内閣の関係がどのようであるのかというのは一つ重要なテーマであるというふうに思います。憲法の条文には直接関係のない部分でも、国会と内閣がどのような関係であるのかというのは議院内閣制においては重要なテーマでございますので、ある程度、どういうものであるのか、前提をしっかりとお考えになった上で新しい憲法を考えていただければというふうに思います。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私、まだ弱冠二十三歳でございまして、ことしの四月に大学を卒業したばかりでございます。会社員という肩書ではございますが、ほとんど学生のような立場でしかお話ができませんので、その点をお酌みおきいただいて、お話をさせていただければと思います。
本日は、このような大変権威ある憲法調査会にお招きいただいたことを、心から御礼を申し上げたいと思います。
国会は、この五十年間、さまざまな役割をしてきたと思うんですが、落ちついてこの国の形を考えるということは余りなかったのではないか、日々政府から提出される法案を処理していくことにきゅうきゅうとしていたのではないかなと。そういう中で、中長期的な視点に立って議論をされている先生方、そしてまた、大変有益な資料をつくられている事務局の皆様に敬意を申し上げたいと思います。
私、きょうはまず国会、行政監視を中心にというふうなテーマでお話を申し上げるのでありますが、日々このような活動をされている先生方の前でお話を申し上げるのは大変恐縮でございます。その点はどうか御容赦いただいて、お話を聞いていただければと思います。
私、国会が空洞化しているという意見をよく聞きまして、私自身もある意味それは当たっているのかなというふうに思います。
例えば、今国会に提出されました独占禁止法という法案がございますけれども、きのう何かニュースでは継続審議が決まったということですが。政府部内での調整に一年から一年半ぐらいかかっているわけですね、公正取引委員会、日本経団連であるとか与党であるとか。そういうところでほとんど利害調整がなされてしまって、済んだものを国会に出してもらっても、直すところがほとんどなかったり、一つを直せば全体を直さなければいけなかったりして、結局は、ほとんど政府が提出したままの形で法案を通すことが多いのかなというふうに思います。
実際、国会に提出される前の方が、国会に提出された後よりも法案に対する新聞記事というのが多くて、世の中がどういうところに注目しているのかというと、やはり政府の中での調整に目が行っていて、国会の中には全然目が行っていないなというのが一つあります。
やはり、一つこれは、国会が余り政府が提出してきた法案に対して修正を行っていないという現状が、そういう国会に対する無関心につながっているのかなというふうに思います。
その一つの原因は、政府の法案というのは、現在、もうほとんど完璧な形で出てきているわけですね。条文形式が整って、既存の法体系との整合性を整えて。これは、例えば建物でいえば、鉄骨も組み立てて内装も整えて、もうあとはかぎを渡すだけという状態で、では、今ここから何か直しますかと聞かれているのと変わらないわけです。
本当に国会で直すことを予定しているのであれば、もっと法案はシンプルな形で出してくるべきではないのかなというふうに思います。それはどういう段階で出すのか、法案大綱なのか、法案要綱なのか。法案要綱といっても大体はもう形ができている状態なんですが、もう少し国会で直すのだという前提のもとで法案を政府も国会もつくっていかなければならないのではないかというふうに一つ思います。
また、法案の形式に関しましても、最近は法律を読んでも一体どういうものなのかよくわからない、特に運用がどういうふうに行われるのかわからないような法案が多いわけですね。政令であったり省令であったり、次官通達、局長通達、課長通達、それを見ないと全くどういう運用をなされるのかわからないような法律が多いわけです。そういう中で、国会はやはりもう少し細かく法律で規定しなさいというふうに政府に対して注文をつけることも必要なのではないかというふうに思います。
政府を監視するに当たって、一つ有益な手段とされるのが議員立法でございます。
特に九〇年代の半ば、土井たか子さんが衆議院議長をやられていたあたりで、大変、議員立法が重要だということが叫ばれて、それ自体は私も賛同をいたすのですが、何が何でも議員立法でなければいけないんだという考え方は、議院内閣制をとる我が国においてはちょっと外れているのかなというふうに思います。やはり基本は、議院内閣制である以上、政府が出してくる法案を国会が審議するのでありますが、やはり政府として提案しにくい法案もございます。そのような法案について、野党なり与党の有志の議員が立法府の立場から議員立法をされるというのが一番いいのではないかというふうに思います。
レジュメにも書いてありますが、民主党の皆さんがいる中で恐縮なんですが、一時期、対案としての議員立法というのを大変重視された時期があったと思うんですが、これははっきり言って議院法制局の大きな負担になっていたと思うんですね。一つの委員会の担当について議院法制局、二、三人しか担当がいない中で、ほとんど審議をされずに流されていく法案をたくさんつくるということは、これは政治的な意味は大変あると思うんですが、現実的な視点からいえば、ちょっとむだもあるのかなというふうに思います。
そうした意味で、対案は対案なんですけれども、ことし民主党が出された年金法案というのは、大変プログラム法的で内容がよかったのではないかなというふうに思います。ここにも書いてありますが、橋本行革の行革基本法は、内閣官房の方で起案をしたものではありますけれども、大枠を定めた上で細かい法律を改正するステップを踏んでいるんですね。このような形がやはり国会が提出する議員立法にはふさわしいのかなというふうに思います。一つ一つの法案の、ここをどう変えますよという、一々法案改正文を書いていたら切りがないわけで、そういう細かい部分は官僚に任せて大枠を議員立法でつくる、そういうような慣例がこれから強くなっていけばいいなというふうに思っております。
ちょっとレジュメが前後するんですが、国会は九〇年代の後半に決算行政監視委員会というのができまして、それとともに会計検査院に対して検査を要請することができるようになったと思います。
しかし、実態はどうかと申し上げますと、先生方御存じのとおり、まだ二件しか検査が発令されていないわけでございます。衆議院一件、参議院一件。これは大変もったいないお話だと思います。会計検査院もなかなかの調査力を持っているわけでありますから、国会と会計検査院がもっと連動してさまざまな調査を行うべきではないかというふうに思います。
それとともに、会計検査院は今、内閣からもある程度独立した機関でございますが、諸外国を見ても会計検査院的なものは、アメリカにしてもイギリスにしても議会に属しているわけでありまして、今の宙ぶらりんな会計検査院の立場ではなくて、この際、憲法改正を考えるに当たっては、会計検査院を国会の附属機関にするということもひとつ視野に入れてはいかがでしょうか。
次に、内閣法制局についてお話をさせていただきたいと思います。
憲法調査会でも、さまざま、この憲法の有権解釈権はどこにあるのだというお話がされてきたと思います。建前で申し上げれば最高裁判所なんでしょうが、現在の、具体的な訴訟がなければ憲法判断できないという状況であれば、抽象的な法体系を重視している日本、事が起きる前にどうなんだ、どうなんだと。九条の解釈は、集団的自衛権を有しているのか、有していないのか、集団的自衛権を有していないならば、こういう戦闘のときどうなんだ、どこまでがやっていいのか、やっていけないのかと。
事が起こる前にいろいろな判断を重視する、抽象的な法体系を重視する我が国において、具体的な訴訟がなければ憲法を判断しませんという最高裁判所の権限では、やはり事実上、内閣法制局に判断をゆだねざるを得ないこの状況はいたし方ないのではないのかなというふうに思います。
憲法改正を視野に入れるのであれば、私は明確に、憲法裁判所を創設すべきだと思いますし、現在の状況は明らかに法の不備、憲法の不備であるというふうに思います。日本の法体系と憲法裁判の前提となっているものが明らかに違うと思います。
短期的な解決策としては、内閣法制局の長官に国会議員をするなどして、長官職の政治的責任を明確にしていく必要があるのかなというふうに思います。一応、内閣法制局の主管大臣は内閣総理大臣でありますが、法制局の判断がおかしいからといって内閣総理大臣を罷免するというのは、内閣総辞職に追い込まれる可能性がありますので、それは、はっきり言って余りできないわけですね。そういう意味で、内閣法制局の政治的責任をより明確にするには、長官職に国会議員を持ってくるのが一番早いのかなというふうに思います。その際、国会法の三十九条の兼職規定を改定する必要がございます。
また、同様に、議会にも議院法制局という大変有能なセクションがありますが、こちらも内閣法制局に対しては余り力がなさ過ぎるのではないのかなというふうに思います。この際、議院法制局も局長職を国会議員にして、内閣法制局と議院法制局が政治家同士で議論できるようなシステムをつくってはいかがかというふうに思います。内閣法制局と議院法制局は、今はだんまりを決め込んでいるような状況、たとえ何か国会で内閣法制局の見解がおかしいという議論が起こっても、議院法制局は黙ったままですし、内閣法制局に対して異議を申し立てるシステムがございません。これを打破するために、法制局の中に国会議員を送り込むというのも一つの解決策ではないかと思います。
しかし、もっと大きい視野に立てば、やはり憲法裁判所を設立する、今の最高裁では抽象的な憲法裁判はできないというお話が憲法調査会の中でもございましたので、やはり、この際、憲法裁判所を設立する必要があるのではないかなというふうに思います。
こうしたときに、憲法裁判所は司法なのか、第四権、また違ったものなのか議論は分かれますが、司法が政治的な場に入ってくるのは司法の正当性をゆがめるというような御議論がございますが、では、果たして本当に最高裁判所がこれまで憲法判断を避けてきてばかりいるのかといったら、合憲判断は山ほどしているわけですね。違憲判断はあくまで余りしていないだけであって、今の最高裁判所も十分政治的な色彩を帯びていると思います。この点で、憲法裁判所をつくったら司法が政治に染まってしまうみたいな議論は当たらないのではないのかというふうに思います。
そうした点も含めまして、国会でさまざまな、法判断であったり条文化であったり、そういう、今まで法制局の中であったり政府部内で行われてきた部分を、国会のこういう委員会や小委員会の場でできれば、より透明性が高まり、また、日本では全然盛んになっていない立法学のケーススタディーの積み重ねにもなっていくのではないのかなというふうに思います。
そうしたときに一つ考えなければならないのは、やはりそうやって実質的に、修正を前提にしたり、ここで条文化をしていくには、やはり審議日数が今よりも当然必要になってくるわけですね。正直申し上げまして、今、余り重要でない一般的な法案は、大体、委員会審議、三時間か四時間で終わっているのが実情だと思います。そういう中で条文化をしていくような作業をしていくと、大変審議がきゅうきゅうとしてしまうと思います。
ですので、この際、憲法改正を考えるのであれば、国会の会期というものも考え直さなければならないのかなというふうに思います。はっきり言って、私は非効率だと思います。会社も二十四時間、テレビで会議をできるようなシステムを備えているこの時代に、今は会期じゃないから何もできないなんというのは、ちょっと古い考え方、中世の王様の時代の議会なのかなというふうに思ってしまいます。この際、一年を通して国会を開けるようなシステムにしていくべきではないかというふうに思います。
また、諸外国が法案の審査にどれぐらいの日数をかけているのかも一つ重要な研究論点ではないかなというふうに思います。
今までは、基本的に、政府や与党の先生方に対して意見を申し上げたような形なんですが、野党の先生方にも、ちょっと一つ注文を申し上げたいのであります。
行政監視、政府の監視というのは、大変、国会の重要な機能ではありますが、委員会において大臣の出席をやたらと今求めているような現状がありますが、やはり大臣は、第一には省内、各省の政策の企画立案が第一の仕事でありまして、国会に来てばかりいるのは本末転倒ではないのかなというふうに思います。国会の委員会で縛られて外遊にも行けない、省内の政策の把握もできない、そういうようなことがあるのは余り有益ではないのかなというふうに思います。
イギリスに関しても、委員会においては、政務官、副大臣がどんどん答弁をしております。大臣の出席にこだわるというのは、皆様方が政府に回ったときに、やはり大変大きな足かせになるのではないだろうかなというふうに思います。
また、大臣といっても生身の人間ですから、以前の大臣やずっと前の大臣の答弁との一貫性をつつくのもいかがなものかというふうに思います。より活発な議論をしていくには、多少の発言ミスがあってもいいのではないのかなと。そういう点で、もう少し野党の先生方には鷹揚になっていただいたらいいのかなというふうに思います。
私、最後に国会の事務局についてもお話をさせていただきたいと思います。
今、参議院と衆議院で事務局は独立しているわけですが、独立性は審議であくまで担保すればよいのであって、こういう後方支援に関しては、統合できるものはどんどん統合していった方がいいと思うんです。法制局にしても、片方の法制局だけだと七十人強ですが、両方合わせれば百五十人弱になるわけですね。それぐらいあれば、やはりもっと大きい仕事ができるのではないかと思います。国会図書館も、衆議院、参議院、どちらへも対応していますよね。ですから、衆議院と参議院の事務局、法制局を統合することも不可能ではないのではないかというふうに思います。
最後に、憲法全体についてなんですが、戦後六十年となって、国家統治の前提、基本システムが、やはり終戦直後とは異なってきているのではないかと思います。ですから、憲法と現実が乖離しつつあるのであれば、やはり改正するのが一番だと思います。
しかし、憲法九条、大変大きく議論の分かれる分野でございますから、そうした部分は後回しにして、実務的な改正を先に行うべきではないかというふうに私は思っております。
そのときに、国会と内閣の関係がどのようであるのかというのは一つ重要なテーマであるというふうに思います。憲法の条文には直接関係のない部分でも、国会と内閣がどのような関係であるのかというのは議院内閣制においては重要なテーマでございますので、ある程度、どういうものであるのか、前提をしっかりとお考えになった上で新しい憲法を考えていただければというふうに思います。
ありがとうございました。拍手
中
平
平塚章文#6
○平塚公述人 ただいま御紹介いただきました平塚と申します。
私は、現在、電気機器メーカーで人事全般に関する業務を担当しております。
初めに、私にこうした機会を与えていただきましたことに感謝いたしますとともに、何分にも、このような席でお話しさせていただくことにはなれておりません。また、法律の専門家でもありません。場合によっては、まとまりのない、浅薄な内容のお話をさせていただくこともあろうかと思いますが、御容赦、よろしくお願いいたします。
私は、平成十二年の「憲法調査会に望むもの」というテーマの論文も提出させていただきました。その内容は、現在も憲法調査会のホームページ上に掲載をしていただいております。それから四年ほどたちましたが、いま一度、その内容も含めて、この場をおかりして、一市民の意見として直接お話をさせていただきたいと思います。
まず、現行憲法が制定されるまでの過程について、及び個々の条文に関する解釈や見解の相違、また改正の要否や具体的な内容についてもさまざまな意見の違いがあり、この憲法調査会を含め議論されていることと思います。これらの点については、私は、ここで自分の意見を述べることは控えさせていただきたいと考えます。
さて、戦後半世紀以上にわたり、この憲法のもとに国の統治がなされ、私たちの社会生活や経済活動が行われてきました。この憲法に基づいて決められているそのほかの多くの法律に及ぼす影響や国民の生活などを考えても、その存在と価値を否定することは不可能であると思います。
しかしながら、その半世紀以上私たちが変えずに守ってきた憲法の中にも憲法の改正を認める条項が定められており、当然、この改正についての議論を否定することもまた憲法の趣旨に反するわけであります。
本憲法調査会も、来年には当初決められた五年という期間を終えるということでありますが、立法機関である国会において、その論議が必要に応じてなされるべき状態にあり、将来においても、その改正を常に視野に置いた対応をすることは、当然ながら否定すべきものではないと考えます。
次に、改憲手続についてなんですが、このように、憲法改正に対しての論議、さらには提議ということについては否定されるべきでないと考えますが、最終的には、本憲法上には、その改正には国会における各議院総数の三分の二以上の賛成による発議と国民投票の過半数による承認が必要とあるように、改正の際には必ず国民投票が実施され、国民による直接投票による判断が必要とされています。
この国民投票については、どの範囲の国民を有権者とし、どのような方法で実施し、さらにその結果をどう判断するかなど、その具体的施行方法についてはあらかじめ明確にされていなければならないものであり、今後、国会内においても早急に検討されていくものと思われます。
ただし、どのような投票率であっても、その過半数の国民が可とすれば改正が承認されたとみなすべきであるのか。つまり、近年の国政選挙における五〇%をやや上回る程度の投票率における過半数によって改正が承認されたとみなすべきであるかどうかについては、ぜひ議論していただきたいというふうに思います。
次に、憲法に関する教育についてなんですが、現在、ごく普通の市民が一般に成人になるまでの間に、憲法について直接触れる機会というものはどれくらいあるものなのでしょうか。この憲法調査会においでになる委員の方々も思い返していただきたいと思います。
小学校の社会科の中で、また中学校での公民の授業や高校での政治経済という教科において、その一部分で取り上げられている程度と記憶しています。そして、その中で、将来国民投票をすることになるすべての国民が必ず受けるのは義務教育の期間に限られるため、高校で受ける学習については前提とすることはできません。つまり、義務教育では、憲法についての教育というものは非常に少ないのが現状です。
さらに、その小中学校で教える教員の憲法に対する知識や理解度についても、出身大学等において専攻した学部がさまざまであるなどのことから、その差が大きいことも予測され、これだけの内容によってすべての国民にある程度の憲法に対する知識が備えられるとはとても考えられません。
憲法の各条文にはどんな意味があるのか、何が定められているものなのかを本当に理解している人はどれだけいるのでしょうか。一般市民の中には、憲法とそのほかの法律との違いがどういうものなのかわからないといったことは決して珍しいことではないのです。
このような現状を踏まえると、仮に国民にその判断をゆだねた場合に、発議から実際に国民投票が実施されるまでをどれくらいの期間にするかにもよりますが、改正に際して、その時期だけに応じた意見やはんらんした報道、部分的に知り得る情報などだけにより判断してしまうことになり、本当に正しい改正の是非を問うことは難しいのではないでしょうか。
そこで、憲法について、どれほどの割合の有権者が自分自身で判断でき得る知識と考えを持ち合わせているものであろうか。この問題をまず考えてみるべきであり、その調査を反復的に、継続的に実施しつつ、その理解度のレベルを上げていく施策を講じていくことは国としての義務であり、また、それらを理解していくことが国民にとっての義務であると考えます。
とかく法律と名のつくものは、さまざまな分野の法律的な専門的知識を持つ一部の人のみしか理解できないという印象がありがちです。
私自身には、業務を行う上で、労働法、安全衛生に関する法律、あるいは税法などは日常的に関係してきます。これらの法律も、根底には憲法を基本に制定されているものであります。これらの法律はたびたび改正され、また、新たな関連法の制定も非常に多く行われます。こうした場合、企業では、各行政省庁にかわりその内容を一般従業員に周知しつつ、必要に応じわかりやすく解説し、理解してもらうように努力するわけです。
しかしながら、憲法については、一般の国民の生活に直接的にかかわるという印象は非常に少なく、知る機会というものも余りあるようには思えません。逆に、憲法についての難しい内容の議論が繰り返され、そうした部分だけの報道がされても、かえって一般の国民からは遠い存在へと押しやってしまう、そういう危険性があるように感じられます。
こうした状況から、これからの憲法教育についてでありますが、憲法というものをもっと一般市民が身近なものとして認識できるような仕組みをつくることが今の社会にとっては必要であると考えます。特に、これから日本を支えていくべき若い年齢層への憲法に対する理解度、関心度を高めていく、そうした教育の必要性を非常に感じるものであります。
昨今、学校を卒業し就職しても、三年もたたないうちにやめてしまうという若い人たちが多く存在し、問題化しています。厚生労働省も、インターンシップ制度などを推進し、こうした問題に対処しようと努力されているようです。
学生という自由で責任のない立場から、今までイメージしてきたことのない社会人という責任ある立場へのギャップに適応できないことが問題なのです。もちろん、昔とは違い、常に身近にインターネットなどを通して多くの就職や転職に関する情報があふれています。そうした理由もあるでしょう。しかし、私には、多くの学生たちが、何となく就職活動を行い、就職する決断も、そしてやめる決断も非常に安易に判断しているように感じてなりません。
私は、延べ二十年近く、採用担当者として多くの就職活動を行っている学生たちと接してきました。最近、私は、就職活動中の学生に対して一人一人に、まず、どうして就職するのか、どんなことをしたいのかしっかり考え、その上で、自分で判断し、そのことに責任を持てるようになってほしいと話すようにしています。それが本当にやりたいことにつながるのなら、フリーターという選択もあえて否定すべきではないとも考えます。
二〇〇四年版の「労働経済の分析」、いわゆる労働白書によると、十五歳から三十四歳の若年層のうち、二〇〇三年のフリーターは前年より八万人多い二百十七万人、ニートは五十二万人に上るということです。ニートの数は、総務省の労働力調査をもとにすると、二〇〇二年は四十八万人と推計、この一年間で四万人ふえたというデータが報道されています。ニート、つまりノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のことです。仕事をせず、就職意思もないけれども、本来は働くことのできる若い人たちのことです。
今や、多くの分野で貴重な労働力となっているフリーターについても、選別化が進み、以前のように気楽に、好きな時間に好きなように働けるという状況ではなくなってきました。ニートは、フリーターにもならない、なりたくないという人たちであり、就業意識の点で大きくフリーターとは異なります。厚生労働省は、これらニートに対する就職支援として、パソコンの使い方や建設機械の操縦法など、就職に向けた基礎的能力を養う合宿型の若者自立塾の開設等を来年度から全国で行おうとしているということであります。
こうした就業能力の支援や労働環境の整備も大切ですが、日本は法治国家です。それより前に、日本の憲法上には職業選択の自由があると同時に、勤労の権利と義務、ひいては納税の義務などがうたわれている。これらを果たすことによって社会は成り立っていることなどをしっかりと認識させ、理解させる必要があると考えます。
その一つの方法として、義務教育の過程において、憲法というものにできるだけ触れる機会をふやし、憲法を通じて社会の仕組みを教えていくことが必要であると考えます。
これは、例えば小学校では、道徳の時間などを使い、身の回りの例に当て、自由という概念の考え方、公共の福祉については、みんなに迷惑のかかることは好き勝手にできないこともあるといったように、易しい事例を織りまぜ、少しずつ憲法の内容に触れながら子供たちに考え方を伝える時間をつくる。さらに、中学校の三年間では、十分な時間をとり、最終的にはすべての内容を一通り学習できるようにするべきであると考えます。時には法律の知識のある専門家に憲法を講義してもらい、権利、義務についてなどを含めて、一人一人にそれらを自分のこととして考えさせることが大切なのではないでしょうか。
この憲法を理解させるための教育を、すべての国民が受けなければいけない義務教育において実施することが、憲法改正の必要性について判断しなければならないときに、その時期だけにクローズアップされた一元的な意見、報道、先ほど言いましたように、部分的に知り得た情報などのみにより判断されることを避けることにもつながると考えます。それはまた、憲法を知ることによって、納税などの国民の義務や公共の福祉といった、本来一人一人の国民が常に考えるべき問題の原点を理解させることへとつながるものであると思います。
憲法を通して、物の考え方にも、そのとらえ方によりさまざまな意見があってもよいということを教えることも非常に重要な教育の一つであると考えます。その一方で、偏った内容の思想や指導で教育されないようにすることもさらに重要であることは言うまでもありません。
最後に、法律というものは、それを知らない人たちには適用されないというものではありません。将来国民投票を行う国民一人一人が、憲法というものをよく知らなくても、その判断をしなければなりません。五年後の平成二十一年には、司法に裁判員制度、いわゆる参審制も導入される予定とのことであります。一般市民が司法にも参加できることになるわけです。このことは直接憲法に関係するわけではないのですが、できるだけ早く、憲法というものが、国民一人一人のもっと身近なものとして考えられる位置に置かれることがさらに重要になってきているものと考えます。
以上で、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、現在、電気機器メーカーで人事全般に関する業務を担当しております。
初めに、私にこうした機会を与えていただきましたことに感謝いたしますとともに、何分にも、このような席でお話しさせていただくことにはなれておりません。また、法律の専門家でもありません。場合によっては、まとまりのない、浅薄な内容のお話をさせていただくこともあろうかと思いますが、御容赦、よろしくお願いいたします。
私は、平成十二年の「憲法調査会に望むもの」というテーマの論文も提出させていただきました。その内容は、現在も憲法調査会のホームページ上に掲載をしていただいております。それから四年ほどたちましたが、いま一度、その内容も含めて、この場をおかりして、一市民の意見として直接お話をさせていただきたいと思います。
まず、現行憲法が制定されるまでの過程について、及び個々の条文に関する解釈や見解の相違、また改正の要否や具体的な内容についてもさまざまな意見の違いがあり、この憲法調査会を含め議論されていることと思います。これらの点については、私は、ここで自分の意見を述べることは控えさせていただきたいと考えます。
さて、戦後半世紀以上にわたり、この憲法のもとに国の統治がなされ、私たちの社会生活や経済活動が行われてきました。この憲法に基づいて決められているそのほかの多くの法律に及ぼす影響や国民の生活などを考えても、その存在と価値を否定することは不可能であると思います。
しかしながら、その半世紀以上私たちが変えずに守ってきた憲法の中にも憲法の改正を認める条項が定められており、当然、この改正についての議論を否定することもまた憲法の趣旨に反するわけであります。
本憲法調査会も、来年には当初決められた五年という期間を終えるということでありますが、立法機関である国会において、その論議が必要に応じてなされるべき状態にあり、将来においても、その改正を常に視野に置いた対応をすることは、当然ながら否定すべきものではないと考えます。
次に、改憲手続についてなんですが、このように、憲法改正に対しての論議、さらには提議ということについては否定されるべきでないと考えますが、最終的には、本憲法上には、その改正には国会における各議院総数の三分の二以上の賛成による発議と国民投票の過半数による承認が必要とあるように、改正の際には必ず国民投票が実施され、国民による直接投票による判断が必要とされています。
この国民投票については、どの範囲の国民を有権者とし、どのような方法で実施し、さらにその結果をどう判断するかなど、その具体的施行方法についてはあらかじめ明確にされていなければならないものであり、今後、国会内においても早急に検討されていくものと思われます。
ただし、どのような投票率であっても、その過半数の国民が可とすれば改正が承認されたとみなすべきであるのか。つまり、近年の国政選挙における五〇%をやや上回る程度の投票率における過半数によって改正が承認されたとみなすべきであるかどうかについては、ぜひ議論していただきたいというふうに思います。
次に、憲法に関する教育についてなんですが、現在、ごく普通の市民が一般に成人になるまでの間に、憲法について直接触れる機会というものはどれくらいあるものなのでしょうか。この憲法調査会においでになる委員の方々も思い返していただきたいと思います。
小学校の社会科の中で、また中学校での公民の授業や高校での政治経済という教科において、その一部分で取り上げられている程度と記憶しています。そして、その中で、将来国民投票をすることになるすべての国民が必ず受けるのは義務教育の期間に限られるため、高校で受ける学習については前提とすることはできません。つまり、義務教育では、憲法についての教育というものは非常に少ないのが現状です。
さらに、その小中学校で教える教員の憲法に対する知識や理解度についても、出身大学等において専攻した学部がさまざまであるなどのことから、その差が大きいことも予測され、これだけの内容によってすべての国民にある程度の憲法に対する知識が備えられるとはとても考えられません。
憲法の各条文にはどんな意味があるのか、何が定められているものなのかを本当に理解している人はどれだけいるのでしょうか。一般市民の中には、憲法とそのほかの法律との違いがどういうものなのかわからないといったことは決して珍しいことではないのです。
このような現状を踏まえると、仮に国民にその判断をゆだねた場合に、発議から実際に国民投票が実施されるまでをどれくらいの期間にするかにもよりますが、改正に際して、その時期だけに応じた意見やはんらんした報道、部分的に知り得る情報などだけにより判断してしまうことになり、本当に正しい改正の是非を問うことは難しいのではないでしょうか。
そこで、憲法について、どれほどの割合の有権者が自分自身で判断でき得る知識と考えを持ち合わせているものであろうか。この問題をまず考えてみるべきであり、その調査を反復的に、継続的に実施しつつ、その理解度のレベルを上げていく施策を講じていくことは国としての義務であり、また、それらを理解していくことが国民にとっての義務であると考えます。
とかく法律と名のつくものは、さまざまな分野の法律的な専門的知識を持つ一部の人のみしか理解できないという印象がありがちです。
私自身には、業務を行う上で、労働法、安全衛生に関する法律、あるいは税法などは日常的に関係してきます。これらの法律も、根底には憲法を基本に制定されているものであります。これらの法律はたびたび改正され、また、新たな関連法の制定も非常に多く行われます。こうした場合、企業では、各行政省庁にかわりその内容を一般従業員に周知しつつ、必要に応じわかりやすく解説し、理解してもらうように努力するわけです。
しかしながら、憲法については、一般の国民の生活に直接的にかかわるという印象は非常に少なく、知る機会というものも余りあるようには思えません。逆に、憲法についての難しい内容の議論が繰り返され、そうした部分だけの報道がされても、かえって一般の国民からは遠い存在へと押しやってしまう、そういう危険性があるように感じられます。
こうした状況から、これからの憲法教育についてでありますが、憲法というものをもっと一般市民が身近なものとして認識できるような仕組みをつくることが今の社会にとっては必要であると考えます。特に、これから日本を支えていくべき若い年齢層への憲法に対する理解度、関心度を高めていく、そうした教育の必要性を非常に感じるものであります。
昨今、学校を卒業し就職しても、三年もたたないうちにやめてしまうという若い人たちが多く存在し、問題化しています。厚生労働省も、インターンシップ制度などを推進し、こうした問題に対処しようと努力されているようです。
学生という自由で責任のない立場から、今までイメージしてきたことのない社会人という責任ある立場へのギャップに適応できないことが問題なのです。もちろん、昔とは違い、常に身近にインターネットなどを通して多くの就職や転職に関する情報があふれています。そうした理由もあるでしょう。しかし、私には、多くの学生たちが、何となく就職活動を行い、就職する決断も、そしてやめる決断も非常に安易に判断しているように感じてなりません。
私は、延べ二十年近く、採用担当者として多くの就職活動を行っている学生たちと接してきました。最近、私は、就職活動中の学生に対して一人一人に、まず、どうして就職するのか、どんなことをしたいのかしっかり考え、その上で、自分で判断し、そのことに責任を持てるようになってほしいと話すようにしています。それが本当にやりたいことにつながるのなら、フリーターという選択もあえて否定すべきではないとも考えます。
二〇〇四年版の「労働経済の分析」、いわゆる労働白書によると、十五歳から三十四歳の若年層のうち、二〇〇三年のフリーターは前年より八万人多い二百十七万人、ニートは五十二万人に上るということです。ニートの数は、総務省の労働力調査をもとにすると、二〇〇二年は四十八万人と推計、この一年間で四万人ふえたというデータが報道されています。ニート、つまりノット・イン・エデュケーション・エンプロイメント・オア・トレーニング、学生でもなく、職業訓練もしていない無業者のことです。仕事をせず、就職意思もないけれども、本来は働くことのできる若い人たちのことです。
今や、多くの分野で貴重な労働力となっているフリーターについても、選別化が進み、以前のように気楽に、好きな時間に好きなように働けるという状況ではなくなってきました。ニートは、フリーターにもならない、なりたくないという人たちであり、就業意識の点で大きくフリーターとは異なります。厚生労働省は、これらニートに対する就職支援として、パソコンの使い方や建設機械の操縦法など、就職に向けた基礎的能力を養う合宿型の若者自立塾の開設等を来年度から全国で行おうとしているということであります。
こうした就業能力の支援や労働環境の整備も大切ですが、日本は法治国家です。それより前に、日本の憲法上には職業選択の自由があると同時に、勤労の権利と義務、ひいては納税の義務などがうたわれている。これらを果たすことによって社会は成り立っていることなどをしっかりと認識させ、理解させる必要があると考えます。
その一つの方法として、義務教育の過程において、憲法というものにできるだけ触れる機会をふやし、憲法を通じて社会の仕組みを教えていくことが必要であると考えます。
これは、例えば小学校では、道徳の時間などを使い、身の回りの例に当て、自由という概念の考え方、公共の福祉については、みんなに迷惑のかかることは好き勝手にできないこともあるといったように、易しい事例を織りまぜ、少しずつ憲法の内容に触れながら子供たちに考え方を伝える時間をつくる。さらに、中学校の三年間では、十分な時間をとり、最終的にはすべての内容を一通り学習できるようにするべきであると考えます。時には法律の知識のある専門家に憲法を講義してもらい、権利、義務についてなどを含めて、一人一人にそれらを自分のこととして考えさせることが大切なのではないでしょうか。
この憲法を理解させるための教育を、すべての国民が受けなければいけない義務教育において実施することが、憲法改正の必要性について判断しなければならないときに、その時期だけにクローズアップされた一元的な意見、報道、先ほど言いましたように、部分的に知り得た情報などのみにより判断されることを避けることにもつながると考えます。それはまた、憲法を知ることによって、納税などの国民の義務や公共の福祉といった、本来一人一人の国民が常に考えるべき問題の原点を理解させることへとつながるものであると思います。
憲法を通して、物の考え方にも、そのとらえ方によりさまざまな意見があってもよいということを教えることも非常に重要な教育の一つであると考えます。その一方で、偏った内容の思想や指導で教育されないようにすることもさらに重要であることは言うまでもありません。
最後に、法律というものは、それを知らない人たちには適用されないというものではありません。将来国民投票を行う国民一人一人が、憲法というものをよく知らなくても、その判断をしなければなりません。五年後の平成二十一年には、司法に裁判員制度、いわゆる参審制も導入される予定とのことであります。一般市民が司法にも参加できることになるわけです。このことは直接憲法に関係するわけではないのですが、できるだけ早く、憲法というものが、国民一人一人のもっと身近なものとして考えられる位置に置かれることがさらに重要になってきているものと考えます。
以上で、私の意見とさせていただきます。ありがとうございました。拍手
中
中
柴
柴山昌彦#9
○柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。
本日は、公述人のお三方におかれましては、お忙しいところ朝から御出席をいただき、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。
白石公述人より、順次、今お述べいただいた所見について若干質問をさせていただきたいので、よろしくお願い申し上げます。
公述人は、天皇制につきましていろいろと御見解をお述べになりました。元首の問題についても、また公述人お述べにならなかった天皇の権限についてもいろいろと意見の分かれるところではありますが、今、最後にお述べになった女帝の問題、これについて少し質問させていただきたいと思います。
この女帝を認めることについて、これはきちんと推進していくべきだという御意見だったんですが、これを憲法上も全く男女平等の取り扱いということで位置づけるべきであるかどうか、これについて公述人はどのようにお考えですか。
この発言だけを見る →本日は、公述人のお三方におかれましては、お忙しいところ朝から御出席をいただき、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。
白石公述人より、順次、今お述べいただいた所見について若干質問をさせていただきたいので、よろしくお願い申し上げます。
公述人は、天皇制につきましていろいろと御見解をお述べになりました。元首の問題についても、また公述人お述べにならなかった天皇の権限についてもいろいろと意見の分かれるところではありますが、今、最後にお述べになった女帝の問題、これについて少し質問させていただきたいと思います。
この女帝を認めることについて、これはきちんと推進していくべきだという御意見だったんですが、これを憲法上も全く男女平等の取り扱いということで位置づけるべきであるかどうか、これについて公述人はどのようにお考えですか。
白
白石正輝#10
○白石公述人 私は、憲法上もはっきりと位置づけるべきだというふうに思います。私どもの地方自治体でも、男女共同参画社会の条例をつくって、男女が平等に社会に参画するんだということをはっきりと条例上、第一条に明記してございますので、そういう意味でいえば、天皇の地位も憲法上明記すべきだというふうに思います。
この発言だけを見る →柴
柴山昌彦#11
○柴山委員 ありがとうございます。
それでは、例えば将来女帝が誕生した場合に、職務が行えないときにこれを補佐する摂政、これは、今、皇室典範では皇太子の立場にある人が摂政をするということになっているんですけれども、女帝の御主人に当たる方を優先するのか、それとも現行の皇室典範のように皇太子となる人が行うべきなのか、これについてはどのようにお考えですか。
この発言だけを見る →それでは、例えば将来女帝が誕生した場合に、職務が行えないときにこれを補佐する摂政、これは、今、皇室典範では皇太子の立場にある人が摂政をするということになっているんですけれども、女帝の御主人に当たる方を優先するのか、それとも現行の皇室典範のように皇太子となる人が行うべきなのか、これについてはどのようにお考えですか。
白
柴
白
柴
柴山昌彦#15
○柴山委員 次の質問に移らせていただきます。
憲法第九条、これについてお伺いしたいと思います。
先ほど公述人は、自衛隊を軍隊に位置づけるべきだ、また、国際紛争を解決する手段として、武力の行使も認めるべきだという御見解でした。個人的には、最終的にはそのような方向も私は十分検討に値するというように思っておりますが、先ほど来、憲法の改正には、各議院の三分の二以上の議員の発議が必要で、また国民の過半数の同意が必要だという高いハードルがあるわけです。
このようなハードルの中で、今公述人がおっしゃったような御意見というものが受け入れられる見通しというのをどの程度考えていらっしゃいますでしょうか。
この発言だけを見る →憲法第九条、これについてお伺いしたいと思います。
先ほど公述人は、自衛隊を軍隊に位置づけるべきだ、また、国際紛争を解決する手段として、武力の行使も認めるべきだという御見解でした。個人的には、最終的にはそのような方向も私は十分検討に値するというように思っておりますが、先ほど来、憲法の改正には、各議院の三分の二以上の議員の発議が必要で、また国民の過半数の同意が必要だという高いハードルがあるわけです。
このようなハードルの中で、今公述人がおっしゃったような御意見というものが受け入れられる見通しというのをどの程度考えていらっしゃいますでしょうか。
白
白石正輝#16
○白石公述人 先ほど、読売新聞の各党の国会議員に対するアンケート調査の結果についてちょっと触れさせていただきましたが、自由民主党は九六%改正に賛成、民主党も七七%が賛成、公明党が八三%賛成という中で、私は、憲法改正そのものについては大方三分の二の賛成は得られるのかなと。
ただ、九条について言えば、なかなか難しい部分がありますけれども、これも新聞の世論調査ですが、国際貢献などの今の憲法では対応できない新たな問題が生じているので憲法を改正すべきだという意見が六二%あるということで考えますと、国際貢献について言えば、少なくとも国民の過半数は賛成していただけるのではないか。
しかも、今の憲法の前文にも書いてありますけれども、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、こういう形で前文にも書かれているように、まさに日本がこれだけの経済大国になった以上、国際貢献をしなければならない責任はますます大きくなっている、このことについては国民の皆様方の御理解は得られるものというふうに考えています。
この発言だけを見る →ただ、九条について言えば、なかなか難しい部分がありますけれども、これも新聞の世論調査ですが、国際貢献などの今の憲法では対応できない新たな問題が生じているので憲法を改正すべきだという意見が六二%あるということで考えますと、国際貢献について言えば、少なくとも国民の過半数は賛成していただけるのではないか。
しかも、今の憲法の前文にも書いてありますけれども、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、こういう形で前文にも書かれているように、まさに日本がこれだけの経済大国になった以上、国際貢献をしなければならない責任はますます大きくなっている、このことについては国民の皆様方の御理解は得られるものというふうに考えています。
柴
柴山昌彦#17
○柴山委員 ありがとうございます。
また、九条二項の部分で、公述人の御意見として、自衛のための戦力は保持することができるという御見解でしたが、他国からの不当な侵害に対する自衛ということには、いわゆる密接な関係国に対する集団的自衛権、これは含まれるとお考えでしょうか、どうでしょうか。
この発言だけを見る →また、九条二項の部分で、公述人の御意見として、自衛のための戦力は保持することができるという御見解でしたが、他国からの不当な侵害に対する自衛ということには、いわゆる密接な関係国に対する集団的自衛権、これは含まれるとお考えでしょうか、どうでしょうか。
白
白石正輝#18
○白石公述人 これもまた日本国憲法の前文にあるんですけれども、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」この後が問題なんですが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」もしこの決意が本当であれば、日本という国は本当に独立国なのかということを疑わないわけにはまいりません。
そういう意味でいえば、他国の侵略から断固として国民の生命、財産を守ることについては当然の国の義務ですから、このことについて当然、それは軍隊と言いますか国防軍と言うか自衛軍と言うか、名前はどういう名前でも結構ですけれども、日本国民の命と財産を守るための組織は必ず必要だ。
それでは、日本国が一国で日本の平和を守れるかということになれば、これはもう全く不可能なことはだれが考えたって当たり前ですから、集団的自衛権もこの中に入るというふうに思います。
この発言だけを見る →そういう意味でいえば、他国の侵略から断固として国民の生命、財産を守ることについては当然の国の義務ですから、このことについて当然、それは軍隊と言いますか国防軍と言うか自衛軍と言うか、名前はどういう名前でも結構ですけれども、日本国民の命と財産を守るための組織は必ず必要だ。
それでは、日本国が一国で日本の平和を守れるかということになれば、これはもう全く不可能なことはだれが考えたって当たり前ですから、集団的自衛権もこの中に入るというふうに思います。
柴
柴山昌彦#19
○柴山委員 さらに、緊急事態の憲法のあり方について、国家緊急権を憲法上位置づけるべきであるという見解もあります。また、被爆国日本のあり方として、大量破壊兵器、また核兵器についての非核三原則、これについても明確なスタンスというものを打ち出すべきではないかという意見もあるところですが、これについて公述人はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →白
白石正輝#20
○白石公述人 大量破壊兵器並びに核の廃絶は、まさに日本だけではなくて、世界の念願ですから、悲願ですから、このことについては明確に打ち出すべきだというふうに思います。
なお、国家非常事態については、当然いろいろな状態が想定されますけれども、そうした事態になったときに、国会を召集してすべて国会の決定に従うというようなことで本当に国の安全、国民の安全が守れるかということになれば、国家非常事態を想定した条項、条文はあってしかるべきだというふうに思います。
この発言だけを見る →なお、国家非常事態については、当然いろいろな状態が想定されますけれども、そうした事態になったときに、国会を召集してすべて国会の決定に従うというようなことで本当に国の安全、国民の安全が守れるかということになれば、国家非常事態を想定した条項、条文はあってしかるべきだというふうに思います。
柴
柴山昌彦#21
○柴山委員 次に、私有財産の制限についてお伺いしたいと思います。
公述人は、なかなか進まない区画整理あるいは土地収用等を念頭に置かれまして、それを制限するという明文を設けるべきだという御主張だったわけですけれども、具体的に公述人のような条文の体裁にした場合に、具体的なその収用等の手続をどのようにすればよいとお考えですか。先ほど、土地収用委員会が有効になかなか機能しないというような御主張だったと思うのですが、例えば、議会の多数決で少数者の財産権、これは必要不可欠な財産には及ばないとはいえ、それを剥奪するような決定もできるというような形でお考えなのか、公述人の御意見を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →公述人は、なかなか進まない区画整理あるいは土地収用等を念頭に置かれまして、それを制限するという明文を設けるべきだという御主張だったわけですけれども、具体的に公述人のような条文の体裁にした場合に、具体的なその収用等の手続をどのようにすればよいとお考えですか。先ほど、土地収用委員会が有効になかなか機能しないというような御主張だったと思うのですが、例えば、議会の多数決で少数者の財産権、これは必要不可欠な財産には及ばないとはいえ、それを剥奪するような決定もできるというような形でお考えなのか、公述人の御意見を伺いたいと思います。
白
白石正輝#22
○白石公述人 現在の土地収用法では、例えば成田空港の問題もそうですけれども、過激派に収用委員が襲われるという中で、千葉県の収用委員会は収用委員全員が辞任をしてしまって、収用委員会そのものも存在しないというような、こんな異常事態が現在の法律のもとでは現実に起こっている。
このことを考えたときに、私は、ある意味で土地というのは領土ですから、国を形成する基本の三原則の一つ、領土ですから、これを個人が、絶対に公の福祉に使わせない、どうしても賛成しない、どうしても売却に応じないということであれば、基本条例の中で、これを議会の決議によって売却、収用ができるという形にすべきではないのかな。
収用するといいましても、現在では、民民売買より民官の売買の方が高い値段で収用しておりますし、民民売買の場合は、例えば建物があった場合は建物を取ってから売買するというのが今の習慣ですけれども、私ども例えば足立区と民の売買の場合には、建物もそっくり買い取るということですから、古い建物も、現実には坪数に応じて、新規の建物が建ったら幾らになるかということを前提にした形で、土地も建物も営業権もすべて補償して買い取るということですから、私は、私有財産の侵害には当たらない、こういうふうに思います。
この発言だけを見る →このことを考えたときに、私は、ある意味で土地というのは領土ですから、国を形成する基本の三原則の一つ、領土ですから、これを個人が、絶対に公の福祉に使わせない、どうしても賛成しない、どうしても売却に応じないということであれば、基本条例の中で、これを議会の決議によって売却、収用ができるという形にすべきではないのかな。
収用するといいましても、現在では、民民売買より民官の売買の方が高い値段で収用しておりますし、民民売買の場合は、例えば建物があった場合は建物を取ってから売買するというのが今の習慣ですけれども、私ども例えば足立区と民の売買の場合には、建物もそっくり買い取るということですから、古い建物も、現実には坪数に応じて、新規の建物が建ったら幾らになるかということを前提にした形で、土地も建物も営業権もすべて補償して買い取るということですから、私は、私有財産の侵害には当たらない、こういうふうに思います。
柴
柴山昌彦#23
○柴山委員 ありがとうございます。
それでは、地方自治の議論に移りたいと思います。
まず、今、地方公共団体の長の多選の禁止を法律上設けるべきではないかという議論がなされていますが、これについて公述人はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →それでは、地方自治の議論に移りたいと思います。
まず、今、地方公共団体の長の多選の禁止を法律上設けるべきではないかという議論がなされていますが、これについて公述人はどのようにお考えでしょうか。
白
白石正輝#24
○白石公述人 私どもの地域では、四選以上した首長は足立区にはおりませんけれども、足立区の四選目の首長で一番大きな問題になったのは、四選もしますと、執行機関、部下をどうも自分の言うことを聞く、言いなりの部下を集めてしまう、こうした嫌いがややあって、常に行政は区長のイエスマンになってしまうということを考えますと、私は、首長の多選は禁止すべきだ、このことが地方自治体、地方政治の活性化に必ずつながっていくというふうに考えております。
この発言だけを見る →柴
柴山昌彦#25
○柴山委員 基本条例と国の法律との関係についてお伺いしたいと思います。
国の固有の権限ということで恐らく公述人が考えられているのは、司法あるいは外交、刑罰といったような全国的な事務だと思うんですけれども、それ以外の自治事務に関連する事項であっても、例えば公害の規制ですとか河川法による管理などについて、国全体の利益や他の地方公共団体の利益を配慮した形でのやはり国の法規制というものは当然想定されると思うのですね。
そのような中で、徳島市公安条例事件の判決というものが昭和五十年に出ていて、法律と条例との抵触関係については、ただ文言上比較するだけではなくて、その趣旨とか目的、内容とか効果をきちんと判断して決めるべきだ、つまり矛盾、抵触があるかどうかを決めるべきだという判断がなされていますが、このような判断で、例えば上乗せ条例ですとか横出し条例というようなものの適法性を妥当な形で解決できるのではないかと思うんですが、公述人はどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →国の固有の権限ということで恐らく公述人が考えられているのは、司法あるいは外交、刑罰といったような全国的な事務だと思うんですけれども、それ以外の自治事務に関連する事項であっても、例えば公害の規制ですとか河川法による管理などについて、国全体の利益や他の地方公共団体の利益を配慮した形でのやはり国の法規制というものは当然想定されると思うのですね。
そのような中で、徳島市公安条例事件の判決というものが昭和五十年に出ていて、法律と条例との抵触関係については、ただ文言上比較するだけではなくて、その趣旨とか目的、内容とか効果をきちんと判断して決めるべきだ、つまり矛盾、抵触があるかどうかを決めるべきだという判断がなされていますが、このような判断で、例えば上乗せ条例ですとか横出し条例というようなものの適法性を妥当な形で解決できるのではないかと思うんですが、公述人はどのようにお考えでしょうか。
白
白石正輝#26
○白石公述人 私は、今言うような形の中で、もちろん条約とか司法とか、こうしたものについて国の権限を地方自治体が侵すというようなことは考えてもおりませんけれども、そういう意味で、例えば河川などという広域的な問題については、先ほど私の方からお話しさせていただきました道州制というような形のものを導入していく中で、一地方自治体というよりは、新たにつくった道州制の中で広域的な行政については解決していくべきだというふうに考えております。
例えば、私ども足立区、東京都の水道の主な供給源は群馬県でございまして、群馬県は関東地方ということで、利根川の流域全体で広域団体をつくって、利根川河川の管理等については、たくさんの県と市町村が合同で利根川水域を管理するというような形もやらせていただいておりますが、そうした意味で、道州制の中でその部分は解決していくことの方が妥当なのかなというふうに思います。
この発言だけを見る →例えば、私ども足立区、東京都の水道の主な供給源は群馬県でございまして、群馬県は関東地方ということで、利根川の流域全体で広域団体をつくって、利根川河川の管理等については、たくさんの県と市町村が合同で利根川水域を管理するというような形もやらせていただいておりますが、そうした意味で、道州制の中でその部分は解決していくことの方が妥当なのかなというふうに思います。
柴
柴山昌彦#27
○柴山委員 どうもありがとうございました。
続きまして、篠原公述人にお伺いしたいと思います。
行政の監視ということを中心にさまざまな有益な御提言をいただいたわけなんですけれども、そもそも政府の法案についてなかなか修正が難しいというようなお話があったんです。今、内閣の法案提出権、これは解釈上認められているわけですが、もちろん国会法の中でもそれを認めるような記述がありますが、これについて、国会議員が法案提出権を独占するべきであるというような議論がなされております。これについてどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →続きまして、篠原公述人にお伺いしたいと思います。
行政の監視ということを中心にさまざまな有益な御提言をいただいたわけなんですけれども、そもそも政府の法案についてなかなか修正が難しいというようなお話があったんです。今、内閣の法案提出権、これは解釈上認められているわけですが、もちろん国会法の中でもそれを認めるような記述がありますが、これについて、国会議員が法案提出権を独占するべきであるというような議論がなされております。これについてどのようにお考えでしょうか。
篠
篠原裕明#28
○篠原公述人 もう数十年ぐらい前の憲法学の中では、内閣に提出権があるのかどうかというのが大変盛んに議論されたと思うんですが、やはり、議院内閣制というのをとっている各国を見ていても、内閣が、政府が法案を提出するのは、もうこれは議院内閣制である以上は当然のことだと思いますので、私は、必ずしも国会議員が法案提出権を独占する必要はないのではないかというふうに考えます。
この発言だけを見る →柴
柴山昌彦#29
○柴山委員 それでは、次の質問です。
先ほど公述人は、国会、もちろん委員会も含めて、審議が非常に形骸化している、空洞化しているという中で、立案段階から、いわゆる法律がまだ大綱の段階から議論を進めていくべきではないかというような御示唆をいただきました。ただ、当然のことですけれども、与党と野党、大分基本的な考え方が違う議員がたくさんいるわけで、そのような中で、いわゆるガチンコの形で議論をしていっては、とてもでないけれども時間が足りないというような意見も出ているところでございます。これについてどのようにお考えでしょうか。
この発言だけを見る →先ほど公述人は、国会、もちろん委員会も含めて、審議が非常に形骸化している、空洞化しているという中で、立案段階から、いわゆる法律がまだ大綱の段階から議論を進めていくべきではないかというような御示唆をいただきました。ただ、当然のことですけれども、与党と野党、大分基本的な考え方が違う議員がたくさんいるわけで、そのような中で、いわゆるガチンコの形で議論をしていっては、とてもでないけれども時間が足りないというような意見も出ているところでございます。これについてどのようにお考えでしょうか。