高木陽介の発言 (憲法調査会)
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○高木(陽)委員 公明党の高木陽介でございます。
本日は、国民の権利及び義務に関する討議でございますが、私は、表現の自由とプライバシー権について絞って意見を述べたいと思います。
まず、表現の自由でございますが、言論活動によって国民が政治意思の決定に関与するという、これは民主政治の原則から大変重要な自由である。特に、表現の自由の中核を占める言論、出版の自由のうち、報道の自由というものは、国民の知る権利に奉仕している、また、国家権力から国民を守るためのものとして重要な意義を持っていると考えております。
ただ、これまでも議論がございましたように、知る権利というものを憲法上規定して書き込んでいくのかどうかという問題に関しては、二十一条を根拠として認めて、その保障は立法作業で。私もこの方の意見にくみしている者でございますが、ただ、その中にあって、マスメディアが巨大化をしている、また影響が増大化している、さらに、マスメディアの商業主義に流されがちな傾向というものも指摘されている中で、今特に問題になっている表現の自由とプライバシーの権利が衝突する場面というのが多々あると思います。
その上で、まず公権力に対する報道の自由というのは、国家権力から国民を守るためにはぜひとも必要なものである、その一方、私人または一市民対メディアの場合というのは、もう既にマスメディアの方が強者で一個人というものは弱者という形となっている中で、個人のプライバシー、その権利を守るために配慮が必要であるというのは論をまたないと思います。
ただ、この表現の自由は、精神の自由としての二十条、信教の自由、それを担保する、またはそれをあらわしていくものとして対置しているこの二十一条でございますので、そう考えると、報道への法律的な規制というものに対しましては、私は反対をしたいと思います。
では、どうしていったらいいのか。表現の自由とプライバシー権、これを調和させるために、表現の自由を守り、また同時にプライバシーを守るために、これはあくまでも、やはりメディアの側の自主規制または第三者機関のチェックというものが有効であろうかと考えております。
ただ、自主規制といいながら、結局メディアの方はやらないではないか、こういう御意見も多々ございますけれども、やはりここは、北欧などのオンブズマン制度など、こういったことを検討しながら導入していくべきではないかと考えます。
もう一つ、メディアの側は、事前規制でなく事後規制でいいじゃないか、こういう言い方をしておりますけれども、裁判によって、損害賠償請求等によりましてこれを担保しているということ、そういう意見もございますけれども、ただ、現在の裁判制度上、損害賠償請求をした場合に、個人の侵害された人権が回復されているかどうか、これはかなり論議が必要だと思いますし、そう考えますと、欧米で、特にアメリカであります懲罰的損害賠償の導入というものも重要な問題ではないかなと思います。
この懲罰的損害賠償の問題を論議しますと、メディアの方々はそれによってかなりプレッシャーがかかる、圧力がかかっているという言い方もございますけれども、逆に、真実の報道をしているのであれば、堂々とその後の裁判でも主張をすればいい問題でございますので、そういうふうに、圧力となるというふうな考え方は、逆に、真実の報道がなされていない、こういった懸念がなされるのではないか、このようにも考えます。
いずれにしても、表現の自由というものをしっかりと守る中でプライバシーとの調和というものをしっかりと図る、これをさらに議論を進めていかなければならないというのが私の意見でございます。
以上です。