永岡洋治の発言 (憲法調査会)
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○永岡委員 自由民主党の永岡洋治でございます。
私は、国民の権利及び義務の規定に関しまして、憲法とは何か、その根本理念にさかのぼって意見を申し述べたいと思います。
憲法は、国家権力の乱用から国民の基本的人権を守ることをその目的とするものであるといういわゆる近代立憲主義は、西欧の近代市民革命を通じて人々がかち取り、確立されてきたものであります。日本国憲法もこの近代立憲主義の系譜の中にあると言えます。
しかし、戦後六十年を経た現在、凶悪犯罪の多発あるいは教育現場の混乱、企業倫理の欠如、さらには一般社会道徳の混乱など、数々の社会問題が目につくようになってまいりました。いかにしてそのような社会問題を解決すればよいのか。それは、果たして人は個人の力のみで、個人単位で生きていけるのか、人と人とのかかわり合い、つまり、社会とのかかわりなくして生きていけるのかという哲学的問いに答えていくことにつながっていくのではないかと思います。
私は何を言いたいかと申しますと、家族というものこそ社会の最小単位ではないかと考えております。健全な家族のもとでこそ、個人が自立し幸福追求ができるのではないかということであります。
かつて、英国のサッチャー首相は、当時、低迷しさまざまな社会問題を抱えていた英国を救うために、家庭政策を彼女の政策の中心に据えまして大胆に実行していきました。我々は、七九年、彼女が政権を奪取したコンサーバティブ・マニフェストに、ヘルピング・ザ・ファミリーとしてその具体的な政策を見ることができるわけであります。
私はまず、家族や共同体の大切さという観点、及び、その家族や共同体が国によって保護されるべきであるとの観点を憲法に盛り込むことが必要であると考えます。さらに、権利には義務が伴うとの観点から、義務規定をふやすべきであるとも考えます。
再びサッチャー首相の政策を引きますと、八三年総選挙のコンサーバティブ・マニフェストにおいて打ち出された政策の中に、フリーダム・アンド・レスポンシビリティー・ゴー・トゥゲザーというフレーズがあります。つまり、自由と責任は相伴うという意味でありますが、この考えに基づいてさまざまな強力な政策が遂行され、いわゆる英国病とやゆされていた英国は力強く立ち直ったわけであります。
とりわけ私が強く要望することとして、投票の義務があります。選挙制度が十分に機能することが民主制の生命線であるはずであります。選挙は民主主義のぜんまいであると言われております。しかし、現在の投票率の低さに見られるように、この機能が十分に果たされているとは言いがたい状況にあります。健全な民主制の発展のために、私は、投票は選挙権の裏返しとしての国民の義務であるとの規定を憲法に明記することを主張したいと思います。実際にイタリア憲法四十八条二項などが投票の義務を定めており、諸外国との比較においても、決して特殊な規定ではないと考えます。
以上のような主張に対しては、特にリベラリズムの立場から、道徳的な規定を置くことや義務規定の増設、これは近代立憲主義の流れから外れ、人権を変質させる危険性があるとの批判が予想されるところであります。また、米国におきますリベラル—コミュニタリアニズム論争においても、家族や義務を強調するコミュニタリアンたちでさえ、それを法制化することまでは主張していないという意見もあると承知しております。
確かに、私の主張は、近代立憲主義から一歩踏み出し、国民と国家の共に働く共働を規定するものとして憲法を再構築しようとするものであります。それは、近代国家の原理を根本的に変える壮大な仕事になるかもしれません。新しい文明を構想するような遠大な試みとなるかもしれません。しかし、今こそ、国家と国民の二項対立関係を克服して、新しい時代における権利関係、人権関係を考える果敢な試みを行う時期が来たと私は確信するものであります。
憲法に家族の尊重、必要な義務規定を設けた上で、そのような憲法の指し示す指針に従い、特に、家庭こそ社会の基礎という考えに立った具体的施策を展開していくことが必要であるものと考えます。
以上で私の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。