早川忠孝の発言 (憲法調査会)
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○早川委員 自由民主党の早川忠孝であります。
財政及び地方自治に関する規定について申し述べたいと思います。
私は、八十九条を除いては、基本的に改正の必要がないと考えております。
そこで、まず、財政の点について申し上げます。
現在の憲法を策定するに当たって立案者の念頭にあったのは、いわゆる財政民主主義の確立だったと思います。財政運営は行政権が帰属する内閣の専権事項でありますけれども、これを国権の最高機関と位置づけられている国会の議決によらなければならないとするところに大きな意義があったと考えております。憲法八十四条の租税法定主義や、八十五条、八十六条、八十七条、九十一条などが財政民主主義の大宗を示したものと理解しております。戦後六十年の節目を迎える今日においても十分これらの規定が通用するものであり、これを変更する事情がないと考えております。
現在の憲法の制定時の状況を色濃く反映しているのが、第八十八条の皇室財産及び皇室費用に関する規定であります。大日本帝国憲法、明治憲法において日本国の統治者として位置づけられていた天皇を、国民主権制度のもとの象徴天皇と位置づけることによって戦後の日本の礎が築かれました。これに伴い、皇室や皇室に帰属する財産をどのように取り扱うべきかが大きな課題となりました。その解決として、第八十八条のとおり、皇室財産はすべて国に帰属するものとし、「皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」ものとしたものであります。
連合国軍の施政権のもとに置かれ、公職追放や極東軍事裁判、東京裁判が行われるといういびつな状況の中で戦後の国づくりを進めざるを得なかった当時の我が国にとって、憲法八十八条の規定は、象徴天皇制を実質化する極めて重要な規定であったと考えております。現時点においてこれを変更する必要はないと考えております。
第九十条の会計検査に関する規定でありますけれども、これは戦後の新しい発明であると評価をしております。
会計検査院が財政民主主義の確立にどのように機能するかについては、当時は明確な考え方は確立していなかったのではないかと思います。「会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。」ということにされたことによって、会計検査に関する制度設計については、すべて国会の審議にゆだねられることになったわけであります。
しかしながら、これまでの経験にかんがみて、会計検査院制度が十分機能してきたか否かについては疑念を抱かざるを得ません。私は、国民主権主義をより実質化していくためには、現在のいわば官僚制をとっている会計検査院を、より開かれたものとして、専門家等を任期つき公務員として採用する等の方策をさらに進めていく必要があると考えております。
いずれにしても、会計検査院制度は、現在の憲法秩序の中で、いわば国民主権を実質化するためのビルトインスタビライザー、制度安定装置として位置づけられているというふうに考えておりますので、その所期の機能を果たすことが求められていると考えております。
財政の手法についてどうしても改正が必要なのは、第八十九条であります。
第八十九条は、公の財産の公共性を確立し、宗教上の組織等のために公の財産を支出し、または利用に供してはならないという限りにおいては、大きな意義が認められます。これにより、戦前の国家神道との決別を憲法上明記したことになると考えております。
しかしながら、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業」に対しても同様に公の財産を支出等してはならないと規定したのは、明らかに立法ミスではないかと考えております。字義どおり解釈すれば、私学助成は憲法八十九条に抵触すると考えざるを得ません。NPOやNGO等の民間のボランティア活動等に対し公的助成をすることもできないという理屈になります。
現在は、さまざまな迂回措置をとることによって、直接には八十九条に抵触しないような法形式をとっておりますが、これまでの運用の実態に即して、八十九条を全面的に改正すべきであると考えております。
また、いわゆる玉ぐし料の公費支出について、これを違憲とする裁判等が起きております。
私は、総理大臣と公務員のごく一般的な習俗的な行事への参加については、仮にそれが一部宗教的色彩を帯びたとしても、特に特定の宗教団体への支援と認められないような事情がある場合には、公共性のある行為として公費の支出は認められるべきであると考えており、そのように憲法の条項を改正することが相当であると考えております。
国及び地方の財政は極めて逼迫し、いわば破綻寸前と言われる現時点において、私は、財政の規律を回復することが極めて重要であると考えております。その意味で、現時点において、いわゆる健全財政条項を憲法に設けることを検討することには大きな意義があると考えております。
また、公の財産の支出の公共性を制度的に担保するために、それが真に公共性に合致するものであるか、あるいは支出の手続について公正な手続によってなされているか、あるいはその支出の手続のすべての過程が公開されているか、公共性、公正性、透明性等の原則を憲法に明記することが適当であるか等についても検討課題とされてよいと考えております。
次に、地方自治について申し述べます。
第九十二条は、「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定しております。ここに言う「地方自治の本旨」とは何かという議論があり、また、極めてわかりにくいという批判があります。しかし私は、「地方自治の本旨」という表現は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」という象徴天皇制のこの「象徴」という表現と同様に、現在の憲法の最も大事な要素を表現するものであり、これを変える必要はないと考えております。
地方自治は民主主義の学校であると教えられてまいりました。ここで、地方とは、国あるいは中央政府に対する概念であり、自治とは、文字どおりみずから治める、オートノミーということであります。
その具体的内容は、第九十三条二項、すなわち「地方公共団体の長、その議会の議員」「その他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」ということにあり、また、第九十四条に述べるとおり、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」このことにあると考えております。官選知事等が選挙によって選ばれるようになったということに極めて大きな意義があると考えております。
現在、地方分権の推進あるいは市町村合併の推進等の二つの流れが加速をしてまいっております。こういった流れの中で、廃県置藩あるいは道州制等の議論が出てまいっております。私としては、これらの議論については、憲法の改正なくしてはこのような制度改正をしてはならないというふうに考えております。
全国で三千二百余りあった市町村の合併が進展し、すべての市町村が人口四十万人以上の規模となり、自立できる財政保障あるいは必要な人材の確保ができた場合には、都道府県はその役割を終えるものと考えておりますけれども、現時点では、現在の市町村はいまだ脆弱であり、都道府県を廃止するような制度設計は現実的ではないと考えております。
自分たちのことは自分たちで決める、地方のことは地方で決めるということを徹底しますと、一つのコミュニティーとして成り立たぬような大きな規模の団体は自治団体としては適当ではないというふうに考えられます。現在の都道府県についてもそのような批判は当たりますが、これは、江戸幕府時代以来のさまざまな歴史的な経過、あるいは地理的な一体性を持っている、あるいは文化的な背景があるということの中で、これはそれなりの意味があると考えております。
これからの問題は、地方分権が進む中で、地方と国とのかかわり方が大きく問題になろうかと思っております。すなわち、地方公共団体が国の規制基準より厳しいさまざまな規制基準を定めることを許すか、あるいは、地方公共団体が国とは独自の土地利用等の新たな規制条例を制定することができるようにするか、あるいは、地方公共団体に国とは独自の課税権あるいは税の徴収権を持つことができるようにするか、さらに引き続いて、地方公共団体に司法権、裁判権を認めることまで考えるかといった問題が出てまいります。私は、これらの問題はすべて国が最終的に責任を持つべきであり、現在の地方自治制度は特に変える必要はないと考えております。
しかしながら、問題点としては、現在の法律では、条例等の法律適合性の審査権限が裁判所にしかないということであります。私は、立法府である国会に、条例や国の政省令あるいは通達についての法律あるいは憲法適合性を審査する権限を付与し、そのための常設機関を国会の中に置くことが望ましいのではないかと考えております。現在、二院制について議論が出ておりますけれども、参議院をどうしても残すという結論をとるのであれば、参議院をいわゆる憲法院的な構成にし、参議院にこれらの権能を付与するということがよいのではないかなと考えております。
最後に、外国人の地方参政権の問題が……