赤松正雄の発言 (憲法調査会)
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○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
憲法の前文のことを思うにつけまして、私は十年前のことを思い出します。十年前というのは、言うまでもなく阪神・淡路の震災のあった年、一九九五年なんですが、村山総理、旧社会党の委員長だった村山さんが総理になられて半年たった時点、そのときに、かつて自衛隊を憲法違反だ、そういう位置づけをされてきた政党の党首が総理になられたということで、実は予算委員会、平成七年一月二十七日に村山総理に対して私どもの先輩議員が、何を根拠にして自衛隊をかつての違憲の立場から合憲に変えたのかという論争を挑んだわけでございます。かつて、私たちが若いころ、社会党といえば非武装中立の論争で大変有名な議論があったわけですけれども、それに比べれば極めて地味というか余り目立たない論争ではありましたけれども、憲法前文といったときに、このことを思い出すわけであります。
このエッセンスは、つまり、私ども公明党は、大変に苦労いたしまして、三年数カ月かけて昭和五十六年に、それまでのいわゆる違憲の疑いがあるという自衛隊の存在について、合憲であるという憲法解釈を営々たる努力の末に位置づけた、そういう経緯がありまして、それに比べて余りにもずさんというか余りにもいいかげんな、違憲も前文、合憲も前文、あえて九条に触れないという、総理になられてからの村山さんのそういう行き方というものに対して、私どもの先輩は激しくその辺を迫ったわけであります。
私はそれを聞いていまして、非常にある種、むしろ村山さんに対して同情を抱いたという感じがいたします。それは要するに、理屈で言えばそういう私の先輩が言ったようなことになるわけですけれども、同時に、憲法前文が持つあいまいさということと深く関係をしている。村山さんから見れば、あいまいさの効用を生かされたんじゃないか、そんなふうな感じもいたすわけであります。
翻って、先年、自衛隊をサマワに派遣するに当たっての憲法上の根拠を問われて小泉総理は、やはり憲法前文ということを挙げられましたけれども、この場合においても、そういう言ってみればある意味であいまいさの効用というものが発揮されているんではないか、そんなふうな感じを思い起こすわけであります。
いずれにしても、この憲法前文につきましては、先ほど両先輩からお話もございましたけれども、私どもは、この憲法前文、一九四六年の公布された憲法については一定の重大な役割を果たした、そういう観点からあえて変える必要はないという意見もありますけれども、よりすっきりとしたものにすべきだというのがやはり自然な考え方であろう、そんなふうに思います。よりすっきりしたものに変えるというふうな観点からすれば、やはり、これからの二十一世紀の時代状況というものをしっかり踏まえた上での時代認識の反映というものがなされてこなければいけないのではないかと思います。
現行憲法につきましては、しばしば、日本語としての表現の不備といった形態的側面だけではなくて、内容面でも、最大のポイントである三原則が十分に書き込まれていない、先ほども申し上げましたけれども、十分に書き込まれていないこと、さらには、日本の歴史や文化や伝統といった固有の色彩から縁が遠くて、余りに無色透明に過ぎるといった欠陥も指摘されてきました。そういった誕生の時代的背景からして当然といえば当然でしょうけれども、これからの国のあり方、形を提示する基本となる憲法の前文がこういったものを引きずり続けることには大いに議論があるだろう。そういう意味からも、新しい時代における認識というものが反映されなくちゃいけないだろう。
そういったときに俎上に上ってくるテーマというのは、先ほどもお話ありましたけれども、地球的規模におけるさまざまな問題。一つは、地球温暖化というふうな、現代世界がひとしく見舞われているこうした現象に対する自然環境の保全や人間社会との共生というものが非常に強く望まれている、そういう点。あるいはまた、内外における新しい脅威、国際テロや、エイズに代表される感染症の脅威や、また、翻って日本自体をとってみても、安全安心を誇ってきた日本社会のほころびといったふうなそういった問題。
つまり、国家や社会の安全保障だけではなくて、人間の安全保障ということの必要性というものが今ほど要求されていることはない。そして、二十一世紀を見渡したときに、そういった視点というものが大事だということも指摘できるんじゃないかと思います。あわせて、日本が先進民主主義国家の中の先頭を切って少子高齢社会入りをしようとしている状況というのは、社会の隅々に至るまで大幅な価値観の転換を求められている。
そういうことからしても、すっきりした、これからの憲法における前文というものをもし新たにつくるとすれば、今のような側面というものを織り込む必要があるんではないかと思います。
あわせて、今日まで、戦前戦後を通じて日本の憲法の背景として争われてきた一つのテーマとして、国家主義対いわゆる人間主義、あるいはナショナリズム対インターナショナリズム、あるいはまた、卑近な言い方をすると、滅私奉公対滅公奉私というか、そういうふうな対立的な価値観、こういったものが存在をしてきたわけですけれども、今、先ほど来申し上げていますような、これからの時代状況を踏まえた場合におけるところの新しい価値観、まあ国家観と言ってもいいかもしれませんけれども、そういったものを確立する必要がある、こんなふうにも思います。
私ども公明党は、かつて、文化の華薫る平和国家、こういうふうな国家観の原型のようなものを目指すべきものとして示したことがありますけれども、今もなおそれは生きていると私は思っております。
先日、この憲法調査会に元総理大臣中曽根康弘先生をお迎えして、いわゆる憲法をめぐるお話を公述人としてお招きして聞いたときに、私は、長く憲法の改革ということ、いわゆる改憲ということを主張されてこられた中曽根さんが、今、新しい平成憲法というものを主張されている。その背景をなす、骨格をなす国家観というものはどういうものですかということを聞きましたときに、概略、今まで経済至上主義、そういうものを目指してきた日本、目指してきたというかそういう経緯にあった日本が、これからは教育文化国家というものを目指すべきであろう、そんなふうなことを言われました。
中曽根元総理がおっしゃる文化、教育の中身と、私たちが言うところの文化の華薫る平和国家の文化と、中身には異論はあろうと思いますけれども、方向性というものは一致している、そんなふうな感じがいたすわけで、これから、そういった新しい日本の目指すべき国家像というものについても大いなる議論というものが必要になってくるのではないかと思います。
最後に、私が思いますことは、今、こういう憲法調査会の場におきましてさまざまな現行憲法をめぐる議論、そして、これからの、もし仮に現行憲法を補うあるいは変えるといったことをするならばどういう観点が必要かという議論を展開してきているわけですけれども、ここでやはり私たちが、非常に当たり前のことでありますけれども、私が強調したいと思うことは、要するに、政治家が極めて謙虚にならなければならないのではないかという点であります。今の政治家だけにこの大事な憲法の議論をすべて託していいと思っているのかどうか、その点、私は大いに謙虚にならなければならない。前文にしても、変える必要は認めても、おまえさんたちに任せては心配だという意見は残念ながら数多くあるのではないかと思われるわけであります。
その意味で、国民的な議論が必要であって、多くの国民の皆さんから御意見を積極的に賜っていく必要性がある、そんなふうに思う次第でございます。
かつて、この調査会に出席された参考人が憲法前文の書きかえ運動を提唱されたり、あるいは出版界でも、私の考える憲法前文といったものを集めて本にする動きがあるなど、まだまだ弱いとはいえ、そうした国民運動的胎動がかいま見られるということは注目に値すると言えると思います。
以上です。