小田春人の発言 (憲法調査会公聴会)

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○公述人(小田春人君) 岡山県議会議員の小田春人です。よろしくお願いします。
 参議院憲法調査会活動経過によると、今まで三回公聴会が開かれています。平成十二年一月に設置され、この春から夏にかけて最終報告をまとめられようとしている大詰めの現段階で、第四回目の公聴会で意見陳述できる機会を与えていただきましたこと、心より感謝しております。
 言論の自由が保障されている我が国ですが、わずか二十数年前でさえ、憲法改正論議、とりわけ第九条の改正論議をすることはタブー視される風潮がありました。衆参両議院の憲法調査会で本格的に議論され、各種世論調査でも六割以上が憲法改正賛成に変わったのは、歓迎すべきこととはいえ、正に隔世の感があります。
 私は昭和二十三年生まれで、いわゆる団塊の世代です。団塊の世代を昭和二十二年から二十五年までとすると、一千万人を超え、全人口の八%を占める大きな固まりであります。
 就学、就職、結婚、子育てのライフステージにおいて、経済を拡大し、社会をにぎやかにし、流行をつくってまいりました。一方、意識の面では、戦後民主主義教育の影響で、愛国心や日本の歴史、伝統、文化を大切にする心が相対的に薄い世代のように思います。
 立場はどうあれ、団塊の世代は、世代的に見てサイレントマジョリティーであってはなりませんし、より積極的に憲法論議に参加する意識を持つべきだと考えます。
 私は、団塊の世代に属する一個人として、憲法改正賛成の立場から陳述します。
 まず、教育問題について述べます。
 私たち日本人が憲法をどのように考えるかは、小学校、中学校、高等学校における憲法教育によって基礎付けられます。つまり、教科書の中での憲法に関する記述が憲法意識形成に相当の影響を与えると言っても差し支えありません。
 戦後教科書の変遷について調査すれば、興味深い結果が得られるかもしれません。今はとてもその時間的余裕がないので、現在使われている教科書について率直な私見を申し上げます。
 小学校は六年生の社会科で憲法を勉強します。平成十七年度から二十年度まで使用されるその社会科の教科書は五社発行しています。
 指導要領に、「日本国憲法は、国家の理想、天皇の地位、国民としての権利及び義務など国家や国民生活の基本を定めていること。」とあるように、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三原則を中心に記述してあります。
 国民の権利、国民の義務については、いずれの教科書も分かりやすく図示して権利と義務を並列的に扱っています。国民としての義務を果たすことは基本的人権が尊重される社会をつくる上で大切なことですと、義務についての記述が見られる教科書もあります。しかしながら、公共の福祉に関しては全社、全く触れていないのはなぜでしょうか。この点は不満です。平和主義を特に強調しているものもありますが、全体として各社ともおおむねバランスが取れているとの印象を受けました。
 ところが、中学校となると大違いです。
 歴史的分野について指導要領が指摘しているのは大日本帝国憲法の制定のみなので、公民的分野の教科書を取り上げます。
 中学校は平成十七年度が採択年に当たります。したがって、平成十四年度から十七年度まで使用する教科書を対象とします。対象となるのは八社です。
 日本国憲法の制定過程について、政府は大日本帝国憲法を基に改正案を作成した。だが、連合国軍総司令部、GHQはこれを受け入れず、自ら一週間で憲法草案を作成した後、日本政府に受け入れるよう厳しく迫った。政府は英語原案を翻訳し、修正を加え、総司令部の強い指導の下に改正案を作成したと、歴史的事実に沿って記述しているのはわずか一社であります。政府は連合国総司令部の作成した原案を基に憲法改正案をつくりました、あるいは、連合国総司令部から民主主義を基本とする憲法案を示された。これを基につくられた改正案がといった表現で、大変重要な制定状況には触れず、意識的に無視しているとしか思えません。
 権利と義務に至っては、余りの極端さに形容の言葉もないくらいです。二十ページから最も長いのは三十ページにも及ぶ権利と義務の記述の中で、公共の福祉と義務はわずか一ページです。
 基本的人権については、歴史から始まってその内容、差別などの問題点、新しい人権まで、これでもかこれでもかというほど懇切丁寧に記述されています。義務については、国民の三大義務はこれですとわずか数行で、説明は全然ありません。ただし、さきの一社のみがここでも際立った違いを見せています。自由には責任や秩序、権利には義務が対置されていなければなりません。
 指導要領は、社会科の目標として「我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め、公民としての基礎的教養を培い、国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。」とうたっています。国家と国民を対立的にとらえ、殊更に権利の重要性を強調する教科書で学んで、公民的資質が養えるのでしょうか。私は深刻な危惧の念を持つものであります。
 高等学校では、現代社会か政治・経済で憲法を学ぶことになっています。指導要領上はほぼ同じと考えてよいと思います。
 現代社会は十二社十六種類、政治・経済は十一社十五種類と、多くの出版社から発行されています。使用年度は小学校と一緒で、平成十七年度から二十年度であります。
 岡山県の例で申し上げれば、小中学校は七つの採択区で、高等学校は各学校ごとに採択しています。
 高等学校についても、概観すればほぼ同じ傾向と言えます。日本国憲法の制定過程については、各社とも中学校と同じような記述です。権利と義務については、種類が多いだけに、中には義務の記述が全然ないものもあります。そして、人権の限界と関係して義務の問題がある。もっとも、義務というのは長い歴史を掛けて獲得してきた権利とは違って、憲法が定めなくても法律で定めればよい性格のものであると極論しているのもあります。
 松本健一氏は次のように言われています。
 「私」という字は、のぎへんに「ム」と書く、のぎへんは収穫物が実った状態を表しています。この収穫物に対して「ム」という形でひじを張ると「私」という字になる。ひじを張って収穫物を独り占めする状態が「私」なんです。これに対する自省、慎みとあるのが「公」という文字です。字を見ればすぐ分かるように、ひじを張って私が独り占めしている状態「ム」を「ハ」という形で開いている、あるいは背こうとしている「公」というのは、収穫物を独り占めするように争う状態を開いてゆく、そういう意味です。「公」は必ずしも国家だけではなく、世間でもあるし社会でもある。また共同体でもある。言わば「公」は社会の規範としてある。
 含蓄と説得力のある説明です。こうした「公」の精神を共有したいものであります。
 教科書における歴史教育は、様々な論議を醸してきました。平和主義は今回取り上げませんでした。無論問題ありであります。私はほんの片りんを申したわけでありますが、教科書における憲法教育ももっともっと問題にするべきではないでしょうか。
 櫻井よしこさんは、「憲法とはなにか」という本の中で、このように書かれております。
 第三章の権利及び義務の章を始めから終わりまで読んでみますと、権利、自由という言葉が各々十六回と九回出てくるのに対し、責任と義務は各々四回と三回しか登場しません。文言からも日本国憲法が権利と自由を強調し、責任と義務を相対的に軽視していることが見えてきます。学校や社会の崩壊の根本には、このような憲法のゆがみが影を落としているのではないでしょうか。
 日本国憲法制定後、六十年近くたった現在の日本は、当時とは想像も付かない姿に変貌しており、憲法と現実には抜き差しならぬほどの乖離が生じていると考えます。責任と義務を相対的に軽視している現法を、全体として見直し改正する必要があります。
 権利については、人格権、環境権、知る権利などの新しい権利や犯罪被害者の権利を入れるべきであり、義務については、国防の義務も聖域とせず議論の俎上にのせるべきです。
 教育については、私は現行の第二十六条のままでよいと考えていますが、第八十九条の私学助成に関しては疑義を生じないよう、できるようにした方がよいと思います。
 そして、急務の課題は、憲法と密接不可分のセットとなっている教育の憲法と言われる教育基本法の改正です。
 岡山県議会では、教育基本法の早期改正を求める意見書案を、私たち自由民主党県議団の提案により平成十五年二月、十二月及び十六年六月定例会の三回も可決しています。全国でも三十三都県が可決されています。
 平成十六年九月、日本世論調査会の教育に関する全国世論調査によると、基本法改正に五九%が賛成し、愛国心盛り込みも六六%が肯定しており、国民的コンセンサスもできつつあります。
 昨年に続き、今国会でも与党が早々と上程を見送ったのは誠に残念であります。早期の改正を特に期待するものです。
 次に、地方自治について述べます。
 当然のことながら、平成五年の衆参両議院における地方分権の推進に関する決議から本格的に始まった十年余りの地方分権推進の動きと実態を踏まえて、憲法上の地方自治の改正を考えていかねばなりません。
 平成八年、地方の行政権は内閣からは独立したものであると、内閣法制局長官の画期的な答弁がありました。国が地方独自の行政権を認めたわけですから、住民自治と団体自治を表していると一般に解釈されている地方自治の本旨を明確に改定する必要があります。その際、国は地方自治体の地域住民の意思を尊重して、地方自治は地方自治体及びその住民の自立と自己責任を原則とすると明記する考えに私も賛成です。
 従来、機関委任事務は都道府県事務の七割から八割、市町村事務の三割から四割を占め、言わば国の下請事務で、条例制定権も及びませんでした。国と地方自治体との関係は、上下、主従の関係から対等、協力の新しい関係に転換され、法定受託事務、自治事務すべてにわたって条例制定権が及ぶことになりました。外交、防衛、警察、司法制度等、国家の存立にかかわることはもちろん国の役割ですが、住民福祉の向上等、住民に身近な行政は地方自治体に任せるべきです。
 したがって、国と地方自治体の役割分担を憲法に明文化した方がよいと思います。現在、三位一体改革攻防の真っ最中ですが、地方自治体の財政は独自の自主財源を基礎にして健全に運営されなければならないといった地方財政に関する規定も入れたらどうでしょうか。
 最後に、住民投票について一言。
 特に、市町村合併の賛否を住民投票で問うケースが全国でありました。憲法は、代表制民主主義を基本にしており、直接民主主義は例外的に法定されているときにのみ認められるべきであります。混乱に拍車を掛ける場合もあり、住民投票は極力抑制的な運用が望ましいと思います。住民投票に頼るというのは議会に信用がない裏返しでもあり、根本的な地方議会の自立、自己責任が求められるのは言うまでもありません。
 以上をもちまして私の陳述を終わります。
 ありがとうございました。

発言情報

speech_id: 116214187X00120050221_004

発言者: 小田春人

speaker_id: 11653

日付: 2005-02-21

院: 参議院

会議名: 憲法調査会公聴会