澤雄二の発言 (行政改革に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○澤雄二君 私もこの雇用三事業の政策については少し勉強をさせていただきましたけれども、非常に雇用対策として役立っているものが幾つかあります。どうか、オール・オア・ナッシングといいますか、全部廃止ということではなくて、一つ一つの政策を精査して、残すものは残す、切り捨てるものは切り捨てるということでよろしくお願いをしたいというふうに思います。
次に、電源特会について、経産副大臣にお尋ねをいたします。
今回の行革推進法でも電源特会の改正は盛り込まれているわけでございますが、この改正に基づいて、国の新しいエネルギー政策というのが作られるということになっております。これまでのエネルギー事情それから環境事情を考えますと、どうしても、これからのエネルギーというのは原子力発電中心にならざるを得ないと私も思っておりますが、実は、この原子力政策については一つ私、思い入れがございます。
それは、第一次石油ショックの後、日本は代替エネルギーの開発に力を注いだわけであります。だけれども、原子力、中でも核燃料サイクルの確立ということに一生懸命力を注いでいました。そして、間もなく再処理施設とか濃縮ウランプラントが建設始まる、稼働始まるといった瞬間にアメリカからストップが掛かりました。フォード大統領の後を受けたカーター大統領が核不拡散を旗印にして原子力政策を発表して、日本の核燃料サイクルの確立というのは事実上これで全部ストップすることになったわけです。
そこで始まったのが日米原子力交渉でございました。日本の代表は、当時科技庁長官でございました宇野宗佑長官でございました。詳しいことは省略をいたしますけれども、六か月間、この日米原子力交渉は続いたのであります。結果だけ申し上げますと、この原子力交渉で日本の主張、通りました。アメリカが譲りました。言ってみれば勝ったわけでございますが、それで、九月の十二日、ワシントンで共同決定と共同声明が発表されました。私が思い入れがあるというのは、そのときの光景でございます。
たしか国務省の二階か三階であったと思うんですが、廊下の突き当たりに小さな机が二つ置かれて、その上に国旗が置かれて、そこで宇野長官はサインをされました。つまり、部屋は与えられなかったというふうに記憶をしております。つまり、アメリカは認めたけれども、やっぱりその気持ちは悔しかったんだということがその調印の場所に表れていたと私は思っております。ですから、日本の原子力政策というのはこういう歴史の中で培われてきたというふうに私は感じております。
これからの原子力政策でありますが、もちろん原子力はエネルギーの中で重要なエネルギー源でありますから、これを大事に守らなきゃいけない。守らなきゃいけないことで一番大事なことは安全対策だというふうに思っております。
当初、日本で原子力発電所ができましたときに、この耐用年数は三十年ぐらいだと言われていました。今、何て言われているか。格納容器は六十年もつから、その中の部品を替えれば六十年ぐらいもつかもしれないと言われている。で、関西電力の美浜の第一号機はもう三十六年。三十年を過ぎている原子力発電所が十一基あります。
ですから、日本の原子力政策を守るためには、ますますこの安全性対策というのが重要になってくるわけであります。一回でも大きな事故を起こせば、犠牲者も出ますし、日本の原子力発電すべてが止まってしまいます。一回でも事故を起こしてはならない。つまり、そういう安全対策をこれから政府はやっていく必要があると私は考えておりますが、経産副大臣の見解をお伺いします。