荒井正吾の発言 (法務委員会)
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○荒井正吾君 自由民主党の荒井正吾でございます。質問をさせていただきます。
今回の法律改正は長年の経緯を経たものでございますが、なぜ問題があるとされながらこんなに改正に時間が掛かったのかというのがまず不思議に思います。明治四十一年に制定された監獄法が廃止されるという大きな意味がありますが、その中で代用監獄が冤罪と人権侵害の温床といわれてきたことがその改正が遅れた大きな原因だというふうに報告書にもございます。本当にそうなのか、あるいはそのような証拠があってのことなのか、あるいは観念的な批判ではないのかというようなことについての疑問がわき起こります。
警察留置が明治以来歴史上容認され、治安が維持されてきたのは、市民の間に警察への信頼が基礎にあったのではないかというような気もいたします。一部の外国の警察では買収が日常茶飯事でありましたり、警察は強きを助け弱きをくじくといったような市民の敵のような扱いで映画なりテレビに出ることもあります。日本はむしろ信頼されてきた警察というような気がいたします。
明治の初めに川路利良大警視が警察制度の基礎をつくったといわれておりますが、江戸時代は与力が司法警察を第一線を担っておったようでございますが、侍の端くれですが、むしろ身分の低い侍、侍は軍事をやって戦いをするのが高尚な侍で、取り締まるのは下級侍というような差別があったようでございます。その中で、ある程度の重罪以上は自白が必須、自白がないと罪がいけないというようなことでございましたので、被疑者が恐れ入りましたと言わないと犯罪にならないということで、自白強要主義ということで、証拠主義とはほど遠いことが江戸時代行われた。そのような中でも、拷問をするのには町奉行が老中の許可を得なきゃいけないという制度があって、老中の許可を得るのは司法警察の恥にもなるので、そういう拷問をしないで自白をさせるというのを慣行になっていたというようなことも聞きます。
自白主義の影響もその後あるような気がしますが、ただ、明治に入りまして、川路大警視がフランスからポリスの制度を、標語の中にポリスは人民の保傅というような、ポスターのようなものがありまして、警棒を持ったポリスが町のおばあさんに道案内をするという親切なポリスを見て、これからはこれだというふうに言ったという話を聞きます。
川路利良の写真が残っておりますが、警察庁の安藤官房長にお聞きしたいんですが、ひげを付けると大変似ておられる写真なんですが、未決拘禁者の処遇等に関する提言が今年の二月二日に出て、有識者会議で、その改正が遅れた理由が、一節がございまして、代用刑事施設制度に関する認識、評価の対立を背景として、その将来的な存廃について意見の対立が見られた、このような理念的な意見の対立のゆえに未決拘禁者の処遇に関する法整備が進まずというふうに述べられ、理念的な対立なのか、現実的な評価が分かれたのか。
先ほど申しましたように、私は、警察への信頼というのが基本にあって日本の法秩序が維持されてきたように思うんですけれども、この代用監獄が冤罪、人権侵害の温床と言われるようなゆえがあるものかどうか。御当局に聞くだけじゃ本当は不公平なんですが、法案の質疑でございますので、御当局の御意見をまず伺いたいと思います。