増田弘の発言 (安全保障委員会)

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○増田参考人 増田でございます。
 今回、防衛庁を防衛省へ昇格するという大きな問題の背景といたしまして、私は、国民世論の安全保障に対する認識が極めて深まっている、こういう事実を指摘したいのであります。
 国民の安全保障に対する認識が急速に変化したのは、一九九〇年代がターニングポイントではなかったか、このように考えるわけでございます。
 具体的に申しますならば、まず第一番目に、九〇年代初頭に湾岸戦争が発生し、御承知のとおり、日本は数回にわたり合計百三十億ドルもの資金を、アメリカを中心とする多国籍軍に提供したわけであります。ところが、そうした日本の国際貢献のあり方というものが国際社会から批判を浴びることになります。すなわち、日本は金は出すけれども汗を流さないのではないか。こういう、それまでの日本の国際貢献のあり方というものを真正面から批判される。政府のみならず、一般国民世論の間でも改めて反省の念が起こった。それが、PKOという活動につながるわけであります。
 第二番目に、一九九〇年代の前半期、九二年から九四年にかけまして北朝鮮の核疑惑が生じ、九四年には米朝間で、極めて厳しい、緊迫した状況が生まれる。後にテポドンが、九八年でありましたか、日本の上空を通過するという極めてショッキングな事態が生じ、今日、北朝鮮による核実験が行われた。こういう事実が、日本国民をして、改めて、日本のすぐ北に位置いたします朝鮮半島において日本の安全保障を脅かす事態が生じている、こういう認識が広まってきている、これが第二点であります。
 それから、第三点といたしまして、九六年にいわゆる台湾海峡危機が生ずるのであります。これは、台湾の総統選挙に際しまして、中国がミサイルを台湾沖に発射する、これに対してアメリカが空母二隻を派遣する、こういう事態が生じまして、これまた緊迫した事態となったわけであります。そういうことで、日本の北、南、日本の周辺におきまして、こうした、日本にとって軽視できない事態が生じたということが、第三番目といたしまして指摘できるところであります。
 国内におきましては、九五年にあの地下鉄サリン、オウム真理教による事件が発生しておりますし、淡路・阪神大震災というような自然災害も生じて、いわゆる危機管理の問題が改めてクローズアップされるわけであります。のみならず、遠くペルーの地におきまして、九六年から九七年にかけまして、日本大使館大使以下、現地のテログループによって拉致されるというような、これまた衝撃的な事態が生じたという一連の事態を通じまして、国内、国外におけるそうした一連の安全保障、あるいは危機管理に関する問題が生じたということが、政府のみならず、国民の間で安全保障に対する認識を新たにさせるということになったわけであります。
 それまで、日本のいわゆる吉田路線というものは、むしろ経済を最優先する、ということは、言いかえますと、政治、安全保障の面を極力抑えるといいましょうか、政経分離あるいは経軍分離といった形で、できるだけ避けるという姿勢が内外、内政、外交にあったわけであります。五〇年代、六〇年代という、日本がまだ世界の片隅で息を潜めて生きている時代であれば、そうした姿勢というものは問題とされることは小さかったわけでありますけれども、七〇年代、八〇年代と、日本は押しも押されもしない経済大国となり、世界の多極化構造の中の一極を占めるような事態になりますと、そうした姿勢に対する批判が、同盟国でありますアメリカからもジャパン・バッシングというような形で、あるいは日本のただ乗りというような批判も八〇年代の末に生ずるわけであります。
 そういう過程を経て九〇年代を迎えたわけでありまして、そうしたことから、日本の現状にふさわしい、経済力に見合うだけの政治力、あるいは安全保障の能力を高める、いわば二等辺三角形の国から正三角形の国になるという、こうした状況が国民の間にもごく自然に受け入れられるような状況が生まれてきた。事実、若い世代におきましても、政治や経済と同列に、同レベルにこの安全保障の問題が論ぜられるような、そうした空気が生じてきているわけであります。
 いささか古いことになりますけれども、昭和四十年代、私は当時大学生でありましたけれども、その当時は、軍事とか安保とか国防といったような言葉は、むしろ禁句とされるわけでありまして、日米安保体制を肯定するようなことを申せば非国民扱いされかねない、そうした空気が漂っていたのであります。しかし、九〇年代を通じまして、日本社会の通念、理解、常識というものが大きく変わったということが、今回、それに見合う、防衛庁を防衛省に昇格すべきである、こういう状況を生んだものである、こう指摘できるのであります。
 さらに、第二番目として私が指摘させていただきたいことは、先ほど申し上げました、湾岸戦争を通じての日本の国際貢献のあり方が反省を余儀なくされた、その延長線上に生じたのがPKOでありました。九二年に、PKO協力法のもとに日本は自衛隊をカンボジアに派遣することになったのであります。その際、マスコミ等々を通じまして、日本の海外派兵につながる、こういう批判がありましたけれども、PKOの原則を遵守するという形で、カンボジアでの政権のスムーズな交代、選挙を通じての新政権の誕生に日本は貢献をするということによりまして、世界から日本のそうした役割というものが評価されることになったのみならず、国内におきましてもそうした自衛隊の平和的な活動というものが改めて評価されたと申してよろしいかと思います。
 その後、自衛隊は、このPKO活動といたしまして、モザンビークであるとか、あるいは東ティモール、ゴラン高原といった各地におきましてPKO活動を続けていることは御承知のとおりでありまして、自衛隊にとりまして、国内の災害に対する緊急出動であるとか、あるいは一連の日本の防衛という問題に加えまして、国際的な平和活動というものが、今日の防衛庁・自衛隊にとって大きな役割になってきている、すなわち、いわば車の両輪となってきている。
 そうしたことも、この際、付随的な役割ということから本来的な役割へと移行させることによって、より国際的な面での協調的な活動に奉仕することが可能になる、こういうことが大きな第二番目の省昇格の要因、理由であるというふうに考えられます。
 それから、第三番目といたしましては、今日、防衛庁の長官、これは、防衛の役割を担う長として限定された立場に置かれているわけであります。すなわち、二〇〇一年の行政改革によりまして一府十二省庁がスタートしたわけでありますけれども、いわば防衛庁はこの改革に事実上取り残されたと言っても言い過ぎではない。すなわち、内閣府の外局として防衛庁が位置づけられる。したがいまして、防衛面の一義的役割は内閣府の長でもある内閣総理大臣ということになっているわけであります。
 片や、数千の庁が省になり、片や、二十七万もの要員を擁する防衛庁が庁のままにおかれるということは、国内の法的な側面、すなわち、予算面を独自に出すといったことや、閣議を独自に要求するといったことが難しい、こういう側面のみならず、対外的には、防衛庁という、エージェンシーという位置づけが、外国から見れば一つの省の部局という位置づけになるわけでありまして、これまた外国から見れば防衛を担う部局としては適切な名称とは言えない。そういう内外の点からも、この際、日本は防衛庁を防衛省に昇格させることが時宜にかなった措置であろう。
 こういう以上の大きな三つの点から、防衛庁を防衛省にこの際昇格することがより適切ではないだろうか。
 以上、私の意見でございます。(拍手)

発言情報

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発言者: 増田弘

speaker_id: 26280

日付: 2006-11-24

院: 衆議院

会議名: 安全保障委員会