富井幸雄の発言 (安全保障委員会)
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○富井参考人 おはようございます。富井でございます。
おととい、急にこういうことをやれということを言われましたので、準備不足をまずおわびしたいと思います。
お手元にレジュメが行っていると思いますけれども、非常に雑駁ですけれども、考えているところを述べさせていただきたいと思います。
先ほど委員長より忌憚のない意見ということがありましたので、まず最初に、大きい数字で書きましたけれども、今回の防衛省昇格という議論ですけれども、ちょっと筋が悪いのではないかというふうに考えるということであります。
すなわち、一番、盛り上がりに欠ける省昇格議論と書きましたけれども、どうも世論というか社会で、防衛省にすべきだという強い議論が果たして起きているのかということを疑問とせざるを得ない。すなわち、私が言いたいのは、国民は、防衛庁を防衛省とするという難しい問題よりも、これだけ、特に九・一一以降、非常に安全保障に対する危機意識等が高まっている。本当に今のままで、個人の安全のみならず国家の安全というのが保たれるのかというようなことが第一の関心にあるというわけで、そういうことであるならば、庁でも省でも別に構わないというような議論をせざるを得ないというのが出てきてもしようがないのではないかということであります。
一番のところですけれども、防衛庁は、御存じのように、防衛省にするという議論は防衛庁ができたときからある、あるいはそれ以前からあると言ってもいいわけですが、例えば防衛庁のホームページを見ますと、今回は非常に鼻息が荒いという感じがするということです。
防衛庁の防衛省昇格の理論づけということを見ますと、ここにちょっと書きましたが、重要なのは、自衛隊法の三条の二項を追加する、すなわち国際平和協力業務と周辺事態、主に国際平和協力業務の方だと思いますが、これをしたいということで、そうなると今のままではだめだということなんですけれども、そうなってくると、では省にしないとそれはできないのかというような反論をされても仕方ないということになってくる。
防衛庁のホームページを見ますと、諸外国では省になっているから国際並みにしたいとか、あるいは、ここに書きましたが、自衛隊員の士気にかかわるということ。これは書いてなかったんですけれども、ここに書きましたが、もしかすると、これは非常にうがった見方で憶測かもしれませんけれども、防衛官僚という立場からすると、ほかのI種の人間は省にいるわけですけれども、自分はどうも防衛庁というところにいるという引け目という意識がある、早くこれを払拭したいというようなこともあるのかもしれない。これは、非常にうがった見方でありますけれども。
そうすると、こういった論理というのは果たして説得力を持つのかということであります。ここに書きましたが、昔から言われていることは、防衛省にしないと自衛隊員の士気が下がるという議論、これは一見まとも、合理的なような気がするんですけれども、では、省じゃないと自衛官の士気は上がらないのか。これは非常に自衛官をばかにした言い方でありまして、自衛官は省だろうが庁だろうが淡々と任務をこなしているという集団であります。
ただ、ここに書きましたが、士気、特に武装集団において士気というのは非常に重要なことであるわけで、だから、士気が上がる下がるということ、確かにこれは重要なことであります。ただ、これは検証のしようがないという問題があるということです。
そうなってくると、防衛庁が今出しているような、いわばこういった政治的な側面、いわゆるハートに、心理に訴えかけるような説得の仕方というのは、一部の人間には説得力があるかもしれませんが、さめた目からすると、必ずしもできないということであります。
次に、ちょっと法律的な話をしますが、一般に、過去において庁から省に昇格した事例というのがある。古くは昭和二十五年ですか、これは間違っているかもしれませんが、自治庁は自治省になっている、あるいは、環境庁というのは先般の二〇〇一年から環境省になっている。防衛庁はもっと古くからあるのに、自分だけが置いてきぼりにされたというような感覚があるのではないか。これは、法律的な話をすると、庁も省も、省はいわゆる国家行政組織法の行政機関であるし、庁は外局であるというようなことで、それを何をもって省にし、何をもって庁にするか、外局にするかということについて、法律上の何か明確なメルクマールというのがあるというわけではない。
ただ、環境庁が環境省になったりしたということにはそれなりの理由があるということで、ちょっとここに書きましたけれども、総合的に取り組まなければいけないというような認識が非常に高まったということがあるのではないかと思います。もちろん、国際的にも環境というのが非常に重要視されてきているということがあると思います。
そうすると、四角の大きな枠で書きましたけれども、国民は、庁を省にするということが、もしそれが、究極の目的である国民あるいは国家の平和、安全を守るということにとって不可欠であるというような説得づけがなければ支持されないのではないかということで、二番に書きましたけれども、今の防衛省の議論というのは必ずしも筋がいいとは言えないということであります。
すなわち、私が言いたいのは、防衛省を否定するというわけではなくて、防衛庁を省とするということであるならば、やはり国民の負託にこたえる、今、特に九・一一以降、あるいは日本の場合はもっと古いかもしれません、サリン事件以降かもしれませんけれども、国民のそういう安全保障に対する不安というのを除去してあげる、国家としては万全の体制をつくり上げるということをしなければいけないのではないかということで、防衛庁の省問題というのは防衛庁一行政機関の改革だけではないということであります。
一ページの最後から二ページにかけてですけれども、何を言いたいかというと、やはり、この際、中央省庁の再編、安全保障機構を再編するというような大きな枠組みの中で防衛省を議論するということでなければ、これはどうも筋が悪いのではないかという気がするということです。
二ページを見ていただきたいんですけれども、諸外国の例を見ますと、九・一一以降、例えば、アメリカやカナダしか勉強していないんですけれども、安全保障機構を大きく改編しているわけですね。御存じのように、アメリカは、デパートメント・オブ・ホームランド・セキュリティーというのをつくっている。私は個人的にカナダのことに関心がありまして、あのカナダでさえという言い方も失礼ですが、あのカナダでさえ、九・一一のすぐ後、アンタイテロリズムアクトという反テロ法をつくっている。
さらに、二ページの一番上に書きましたけれども、カナダも、どちらかというと、日本と同じように余り危機意識とか安全保障というのは薄かった部分があるんですけれども、急遽、緊急事態対処というようなことを統合してつくっているということであります。
二〇〇三年にクレティエンの後を継いだマーチンが提唱して、二〇〇四年から立ち上がっているわけですが、PSEPC、パブリック・セーフティー・アンド・エマージェンシー・プリペアードネス・カナダ、公共安全緊急事態対処省という形になっている。この中に、連邦警察を初め、情報機関ですとかそういうものを入れているということであります。あのカナダでさえそういうことをやっている。カナダでさえというのは失礼ですけれども、ということです。
ということで、(二)と(三)ですけれども、総合的な取り組み、安全保障機構を再編する、国民の負託にこたえるというような改革がなければいけないのではないかということであります。
時間がないので詳しいことは言いませんが、例えば(二)では、安全保障の前提は情報収集、分析ということでありますけれども、これをちゃんとやる機関、首相官邸で合同情報会議ですとかいうのはあるとは思いますけれども、例えば、警察、治安情報と、防衛庁が集めている情報、今テロという非常に怖いものがありまして、これはどちらが集めるのか。公安調査庁というのは何をやっているのかよくわからないというようなことがあるということで、やはり情報収集ということを明確にするということと、それをちゃんとすり合わせる機関というのがまず不可欠ではないかということであります。
ここに書きましたけれども、例えばカナダなどでは、CSIS、カナディアン・セキュリティー・インテリジェンス・サービスと言うわけですが、これは、緊急事態対処省の中に入っているわけですけれども、例えばアメリカのように、必要な場合は令状なしに盗聴ですとかそういうのができるというようなことになっている。もちろんこれはいろいろ批判がありますけれども、しかし、カナダの場合は、そういったことをした場合は議会にちゃんと報告するというような仕組みをとっているということであるわけで、日本でこれをやるということは憲法上いろいろ難しい問題があると思いますけれども、しかし、それぐらい真剣に考えないといけないのではないかということです。
あと、(三)ですが、そもそも、こういった安全保障機構を再編するというわけですけれども、その指導原理がない、基本法ですとかというものがない、あるいは機関に関する調整をする機関がないということであります。
ということで、むしろ、そういう流れの中で防衛省という構想が出てくる方が筋としてはよいのではないかという議論であります。
二番目ですけれども、矛盾するようですが、そうはいっても私は防衛省構想に反対するという立場ではない。ここに書きましたが、法的な意義は認められるということであります。
これは、防衛庁が出している二番目の側面、すなわち、省になることによって、防衛に関する重要案件の閣議を要請できるですとか、あるいは予算だとか法案について自主的に出すことができるですとかというような面が出てくるということであります。これは、なるほどそのとおりだと。すなわち、むしろこの点は評価されていいのではないかということであります。
二ページから三ページにかけてですけれども、しかし、そもそも防衛庁や防衛省といっても一体何かという議論、これは果たして十分なされているのか。確かに、戦後五十年、防衛庁は五十年たっているわけですが、防衛庁や防衛省とは一体どういう組織なのか、何をするところなのか。確かに防衛庁設置法には自衛隊を管理すると書いてありますけれども、一体、ではそれはどういうことなのかということですね。
ここで重要なのは、今度、省になれば、国家行政組織法の国の行政機関、すなわち財務省や国土交通省などと同じ省になる。しかし、それは同じ省なのかということであります。
大きく違う点は二つ挙げることができると思います。いろいろあると思いますが、二つ挙げることができると思います。
一つは、防衛というのは国の基本的な責務にかかわるということで、武力行使を前提とするという言い方はおかしいんですけれども、武力行使をする機関である。
すなわち、一般行政庁というのは、例えば財務省なんかは税金を取るですとか、そういういわゆる通常の意味での一般行政事務、国民の権利義務にかかわる事柄をやる。しかし、防衛庁というのは、もちろんそういう部分もあるわけですが、究極的には、そういう国民にサービスをするという、まあサービスなんですけれども、サービスするという部分よりも、やはり国の基本的な枠組みを守るということで、対外的なものに向いているということで、どうも一般行政という概念というのは必ずしもなじまないのではないかという問題がある。これが一点です。
もう一点は、ほかの省庁と違って、防衛庁はいわゆる官僚だけではないということですね。これはほかの省庁と違います。ほかの省は全部文官ですけれども、防衛庁は、文官と自衛官、この二つの集団から成っているということが大きく違うということであります。
三ページの一番上に書きましたけれども、では、防衛庁とか防衛省、まあ防衛庁でもいいんですけれども、そういういわゆる官僚集団ですね、わかりやすく言ってしまえば。国の通常の行政機関と一緒にする防衛省、防衛庁というのはどういう意味があるのかということですけれども、これもいろいろ議論は分かれています。
ここにちょっと書きましたが、一番重要なのは、やはり自衛官というのは、アメリカだとか、いわゆるハンチントンですとか、そういう流れから見ますと、いわゆる異質な職業集団であるということなんですね。したがって、これは一番に書きましたけれども、防衛省という官僚集団、文官集団の、もちろん自衛官も中に入っていますけれども、その文官集団の意味というのは、やはり政治過程、政策というソフトなものをいわゆる軍事というハードな面に流しをする、行き渡しをする、かみ砕いて行う。
例えば、ここにちょっと英語の文献を書きましたけれども、この中では、防衛省、MOD、ミニストリー・オブ・ディフェンスというのは、バッファーの役目だと。バッファーというのは緩衝器という、いわゆる和らげるというか、そういうような意味ということであります。
そもそも防衛省、防衛庁あるいは防衛政策というものを突き詰めてみれば、自衛隊をどう使うかということです。これは、もちろん自衛隊の使い方の一番根本はその内閣、政治家で決められるわけですけれども、それを実際に具体的にどう使っていくか、運営管理していくかというようなことをマネージするというのが防衛省、防衛庁というふうに言えると思います。
ということで、ここで重要になってくるのは、防衛省に限りませんけれども、官僚集団ということですよね。すなわち、防衛省になると、これは意義あることですが、自主的に予算、人事、自主的にというか、予算ですとか法案あるいは閣議をここで求めることができる。そうすると、やはり重要なのは、防衛官僚が質のいい防衛政策というものをちゃんとつくってくれるということでなければいけないということなんですね。
シビリアンコントロールという概念は、軍を統制する、政治に服させるという、これは間違いないわけですけれども、むしろ最近は、私の考え方では、確かにそれは基本なんですが、どうも軍を統制するということばかり向いている。実は、大きな意味では、軍事官庁ですね、軍事官庁を政治によって統制するということが重要であるということなんですよね。
では、防衛省設置を否定するというわけじゃないんですけれども、どういうことを官僚に考えていくのかということですが、結局、今、防衛官僚の質が問われているということであります。石破先生の「国防」という本の中にも、これは私の読み違いかもしれませんが、非常に参事官に失望したという、これは言い過ぎかもしれませんが、そういうような記述、におわせる記述があったということですけれども、防衛官僚の質が今求められているということです。
したがって、これはやはり、今海外で議論されているのは、単に防衛官僚というのは事務的なことだけ行う、予算ですとか人事ですとか法令ですとか、いわゆる官僚の典型的なことをやればいいんだということではないんですよね。軍事にもかなり精通していなければいけないということであります。
だから、防衛省設置でもいいんですけれども、これは法案に盛り込むという事柄のことではないんですが、いい政策をつくり上げるということのためには、防衛官僚をどうしたらいいのかということを見なければいけないということであります。
あと、防衛省設置でもいいんですけれども、これは時間的にはもう事後的になるかもしれません。きょう出てくるときに、民主党さんも一応基本的には合意するというようなことを漏れ聞きましたので、それはできてしまうのかもしれません。防衛省は認められるとは思いますが、やはり重要なのは、これはなるべく早く、先ほど第一段、前提で申しましたけれども、安全保障機構の再編ということを真剣に考えなければいけないということです。これが(二)のお話ということですね。
今、例えばNSC構想というのがありますが、個人的には、勝手にというわけじゃないですけれども、つくり上げてから考えるというよりも、やはり法律で、権限ですとか調整ですとか、そういうものをちゃんと割り振った上で立ち上げるという方がいいんではないかなという気がするということです。これは雑駁な議論です。
四ページの(三)、三番目ですけれども、今般懸念されるのは、防衛省になると、今言ったように、防衛省設置構想は、自衛隊法三条二項を追加する、周辺事態ですとか国際平和協力業務というものを追加するということで、どうもいろいろ広がってしまっているんじゃないか。本来任務化する。これもよくわからない。なぜかというと、自衛隊法三条一項は、主たる任務として国防に当たる、従たる任務として治安の秩序維持に当たるとなっています。今度は、改正案ですけれども、二項の方で本来的な任務にするということなんですよね。
ということで、これもちょっとよくわからないんですけれども、少なくとも、これは多分、自衛隊法百条というのが打ち出の小づちのように使われていたんですね。ぼんぼんぼんぼん雑則のように、何か表現はちょっと思い浮かびませんけれども、いろいろつけ足していくというようなやり方をしていた。これは余りにも無節操というか、よくない。すなわち、軍に対する法律の役目というのは、いろいろな形で拡大させないようにするということ、コントロールするということの基本は法律によってセーブするということにあるわけなんですよね。ということで、それを明確にするということがあるのかもしれないということです。
ただ、重要なのは、いろいろ権限を付与するということですが、では一体どこまで認められるのか。今回、国連、もういいよとなったときに、では次にまた何か出てきてそれもくっつけるんじゃないかというような危惧というのが出てくるわけですね。
個人的には、自衛隊というのは、ここに書きましたがパナシアではない、万能薬じゃないんですよ。これは、憲法でしっかり、個別的自衛権をちゃんとやる、武力集団であると。これが本来の任務なわけですよね。だから、本来の任務がおろそかになるというわけじゃないですけれども、おろそかにされて、どんどんどんどん文民支援活動、これも大事なことですけれども、というのでいいのか。あるいは、それはいいとしても、一体、ではどういう原理でそれが認められるのかということを明確にしなければいけないのではないかということです。
日本は憲法で軍に対する指導原理というのが、ネガティブなものはありますが、基本的にはない。そうすると、やはり自衛隊法というのが自衛隊に対するいわゆる基本的な法になるということなんですね。ということで、その辺にしっかり明確な指導原理というものを置いておくということが必要なのではないかということであります。
あと、法律的な話ですが、(四)ですけれども、今般、防衛大臣というものをつくって、つまり、内閣府の首長である内閣総理大臣というものを通さないということになるわけで、これはこれでいいことなんですけれども、例えば、防衛出動時に内閣総理大臣が直接自衛隊を指揮監督するというようなことには現行の改正法ですと読めないということで、果たしてそれでいいのかという問題がちょっとあるのかなと思います。
以上、いろいろなことを言いましたが、要は、防衛省の法的な意義ということは認められる。やはり安全保障は、軍事というところからも責任ある官庁を明確にして、意見、政策形成というものをしていかなければいけない。そういう意味では、防衛省という構想は、防衛省昇格というのは必ずしも否定されるわけではないだろう。しかし、本来、本当のターゲットというのは安全保障機構の再編にある、そういったダイナミズムの中でこの議論をしなければ国民には受けないのではないかというのが、私の考えということであります。
以上です。(拍手)