増田弘の発言 (安全保障委員会)
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○増田参考人 私は、歴史家でもございますので、どうしても歴史的な経緯ということに一言、あるいは二言になるかもしれませんが、触れざるを得ません。
実は、防衛庁の成立経緯につきましては、先ほど前田先生の方からも若干お話ございましたけれども、私なりにその経緯を考察した結果、これは、まさに占領期以降の複雑な、あるいは矛盾に満ちた過程の中で発足したということが五十年間にも及ぶ庁であり続けた背景として指摘できるのではないかということであります。
それはどういうことかと申しますと、まず、終戦から三年を経た昭和二十三年、一九四八年にワシントンの対日占領政策が大きく転換するわけであります。すなわち、それ以前はポツダム宣言にのっとった、つまり、米ソ協調というルーズベルト的な発想のもとに、日本が二度と他国に脅威を与えないようにするという意味で、非軍事化、民主化が基本政策として推進されたのであります。しかし、思わぬ米ソ対立、冷戦、こういう状況がアジア方面にまで広がってくる、グローバル化してくる、こういう経緯の中で、アメリカの対日占領政策は、それまでの非軍事化、民主化から日本の経済的自立化へと大きくカーブを描くことになるわけであります。いわば日本をアジアの防波堤に、アジアの工場に、こういう政策がアメリカの新しい政策になったのであります。
ところが、こうしたワシントンの決定の前に立ちはだかったのがマッカーサーであったのであります。マッカーサー自身は、自分自身が憲法九条の生みの親であるということを自負していたわけでもあり、一連の再軍備、その延長線上にある日本の再軍備化に対しまして、あるいは公職追放をなくすということに対しましても激しく抵抗するのであります。
ところが、そのマッカーサーにとって全く予期せぬ事態が起こりました。それが一九五〇年、昭和二十五年の朝鮮戦争であったのであります。冷戦どころか熱戦、ホットウオー、こういう事態の前に、そこでワシントンに妥協せざるを得なくなる。それがナショナル・ポリス・リザーブというものであったわけであります。しかし、この実質はスモールアーミーだったのであります。スモールアーミーをナショナル・ポリス・リザーブ、警察予備隊、こういう名称に置きかえた。これはまさにワシントンとマッカーサー間のいわば冷戦、第二の冷戦の結果であると言ってよろしいかと思います。
そうした中で、七万五千の警察予備隊がスタートし、それが保安隊を経て自衛隊、海空を加えた三自衛隊になることは申すまでもないわけであります。その間、吉田首相が、戦力なき軍隊、こういう言葉を使いまして物議を醸したわけであります。戦力なき軍隊というのは極めて矛盾に満ちた言葉であったのでありますが、そういう憲法九条との絡み、そして占領期にそうしたアメリカ内部の対立、そういう幾つかの矛盾の中で防衛庁・自衛隊というものが発足した、こういう経緯を無視できないのであります。そういう中で防衛庁がスタートした、そして防衛庁が三自衛隊を管理運用する、こういう立場をとったということが今日につながっている、このように解釈するのであります。
以上でございます。