藤田英典の発言 (教育基本法に関する特別委員会)
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○藤田参考人 御紹介いただきました藤田です。
本日は、ここで私の意見を申し上げる機会を与えられましたこと、非常に光栄に思いますと同時に、感謝申し上げます。
時間が限られておりますので、基本的にはお手元にありますレジュメに即してお話し申し上げたいと思いますが、構成は大きく二つに分かれております。前半は、今なぜ教育基本法を変えるのか、また、変える必要があるのか。そして後半では、主として与党・政府の教育基本法案の問題点について私見を申し上げたいと思います。
まず初めに、私は、教育基本法の見直しあるいは改定をしてはいけないと主張するものではありません。また、公共の精神や道徳心、あるいはまた集団、もちろんこれは国や郷土を含みますが、そういったものへの帰属心、愛着、あるいは誇りといったものが極めて重要だと考えております。
私の専門は教育社会学でありますけれども、こういった問題については、十九世紀、近代社会が発展するプロセスの中で、絶えずその重要性が指摘されてきたことであります。その点で、私は、この重要性を否定するものではないということを最初に申し上げておきたいと思います。
では、次に現行教育基本法ですが、これを今変える必要があるのか、どうしても変えなければいけない理由があるのかという点でありますが、私は、その必要性は全くない、何ら現行法で不都合はないと考えております。
まず、戦後六十年、日本の教育の発展を支えてきた教育の根本法であります。そして、その点で準憲法というふうにも言われております。
それから、この間、さまざまな形で、場で言われております教育にかかわる諸問題、いじめ自殺、未履修問題、校内暴力、学級崩壊、不登校、少年犯罪、あるいは規範意識の低下、ニート問題、少子化問題、どれを取り上げても、現行の教育基本法のせいで起こっている問題ではありません。根拠は、私の文献を含めて、いろいろなところでいろいろな方が論じているところであります。さらには、教育基本法を変えても、そして与党・政府案が仮に成立したとしても、これらの問題が解決されるわけではない、そう言ってまず間違いないと私は考えております。
さらに、そういったさまざまな問題に対する対応、また、変わる時代や社会への対応、そしてそのための改革というものも、現行教育基本法がそれを妨げているわけではありません。それは、そこにも書いておきましたように、この五年間あるいはこの十五年間ほど、実にさまざまな、ラジカルな重要な改革が進められてきております。そのすべてが現行基本法のもとで進められているわけでありますから、基本法を変えなくても、必要であるならば、さまざまな法律の改正やあるいは改革というものができるということでありますから、そこのところをまず考えるべきだというふうに思います。
三点目に、現行基本法の基本的な性格と卓越性でありますが、現行法は、教育の基本理念と学校教育の基本的枠組み、そして教育行政の責務、義務を規定したものであります。
これは今さら言うまでもないことでありますが、教育は極めて重要であり、国民的な大事業でありますけれども、しかし、公の権力がかかわって、教育行政あるいは政治がかかわってその内容を定め、人格の形成を行うものでありますから、そこに特定の、さまざまな政治的な意向や社会的な偏った意見が反映し、それを公の権力の名のもとに強制するということがあってはいけない。だからこそ、それに対する歯どめ規定をかけているのが現行教育基本法であります。その点が極めて重要でありますが、その点について、改正の法案というのはさまざまな問題を含んでおります。後で申し上げます。
この点は、現行教育基本法、そこにも書きました、そういう意味で立憲主義的な性格を持っているものであり、憲法第九十九条の憲法尊重擁護義務に則した内容あるいは規定の仕方になっております。
四点目に、教育基本法は多くの国民にとって空気のような存在であったと言っていいだろうと思いますが、それは、現行教育基本法が十分な酸素を含んでおり、そしてまた特に汚染されてはいなかったから、だからこそこの六十年間、日本の教育と社会の発展を支える根本法になってきたのだというふうに私は考えております。
しかし、もし、これに汚染源が注入され、汚染されるようなことになるならば、あるいはまた酸素不足になるようなことがあるならば、日本の教育の現場は、豊かさとおおらかさと自由を失い、さまざまな問題をさらに加速させることにもなりかねないと思います。そしてまた、酸素不足や汚染というのは、それが起こって初めて気づくものであります。そして、それに気づいたときに、教育基本法はそうそう簡単に変えられるものではありませんから、それだけに、この問題は極めて重要だというふうに思います。
そのようなわけで、私は、拙速に無責任な決定をしないようにしていただきたいと切にお願い申し上げます。国民の優に過半数は拙速な決定をすべきではないというふうに、各種の世論調査でも示されております。
そしてまた、改定をめぐる争点あるいは問題点というものが国民に必ずしも十分に理解されているようには私には思えません。さらには、この基本法案がはらんでいる問題、そして、特にそれが成立し施行された場合にどういう問題が具体的に起こってくるかの検討を含めてきちっと検討がされているようには今のところ私には見えないんですが、これからぜひ、そういったことも含めて検討していただければと思います。
次に、政府・与党の教育基本法案の問題点を検討したいと思います。
なお、民主党も新法要綱を出しておりますが、以下に挙げます問題点の多くは、民主党の新法要綱の方は徳目等については政府案以上に書いてはおりますが、以下の諸点の特に一番目、二番目、三番目それぞれについて、法的にはかなり配慮がなされているというふうに私は考えております。
一応そういったことを申し上げて、政府・与党案を中心に考えてみたいと思います。
まず第一の問題点として、教育目標としての徳目、態度が列挙されており、それは国民に対する命令規範という性格のものになっている、そのことの危険性であります。公共の精神、前文あるいは第二条。伝統の強調。そして、特に法案第二条、教育の目標のところでありますが、第五項、我が国と郷土を愛する態度。第四項、生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度。第三項、社会の発展に寄与する態度。第二項、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度。第一項、真理を求める態度というふうになっております。
先ほども言及されましたけれども、もしかしたら、心を律するよりも態度を律することの方が、教育現場においては一律の統制になりかねない危険性があると言ってもいいかもしれません。そういう指摘もなされているところであります。
それから、法文として「職業及び生活との関連を重視し、」という部分がありますが、これは、子供がこれを重視するのか、それとも、教師、学校あるいは教育関係者がこれを重視するのか。
これは、その他の項目はすべて子供がはぐくむべき態度について書いてありますから、こういう関連を例えば小中学校の子供たちが重視してというふうにするとするならば、この文言自体が本当に妥当なものかということになりますし、逆に教師等がこれを重視すべきだということでありますならば、この法文自体が、だれを主語にし、だれを名あて人にしているかという点でも混乱を来しているようにも見受けられます。
それから、法案の第六条、必要な規律を重んじるということが学校教育に盛り込まれています。
こういったことを総合して、現行法は権力を制限する拘束規範になっているわけでありますけれども、それに対して法案の方は、国民にこのような人間になれという命令をする、そういう性質のものになっていると言っていいと思います。そのことは、そこに書いてあるとおりです。
次に、二点目といたしまして、政治、行政による不当な支配の危険性であります。
このことは、つとに指摘されておりますけれども、現行法の第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」ということで、主権在民等の基本的なルールがここに貫徹しているわけでありますけれども、法案の方は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」であるというふうになっております。
つまり、法案やさまざまな法令あるいは政令、条例、通達、そういったものを制定する政治、行政は、この不当な支配の行使主体から外されているということになります。これは大きな転換でありますから、この条文をめぐってこれまで起こってきたさまざまな問題についての解釈が変わってくることにもなる可能性があります。
そして、これまで、この条文の解釈をめぐって各種の裁判が起こったことも事実でありますが、それは、民主主義社会がそういったことを通じてより望ましいものを実現していくその手続であり、そのプロセスであり、その枠組みだということでありますから、むしろそのことを尊重すべきであって、それを理由に、この内容を明確にして行使したいから政治や行政を外すというのは、私は民主主義のルールから著しく外れるものであるというふうに考えております。
三点目に、能力主義、市場的競争原理による教育の格差化、差別化とその正当化の危険であります。
この点につきましては、既に時間がほとんどなくなっておりますので、そこに書いてあるとおりでありますが、能力ということが法案では強調されております。現行法では第三条の教育の機会に二回使われているだけでありますが、法案では、その教育の機会の条項に加えて、教育の目標を規定した第二条と義務教育を規定した第五条にも、能力、能力に応じてという表現が使われております。
そういった点で、現在進められているさまざまな能力主義的あるいは市場原理主義的な競争、それに基づくそういった方向での改革と照らし合わせて考えるならば、能力が現行法以上に強調されることの中に、そしてもう一方で家庭の責任が強調されることの中に、格差化、差別化を推し進め、その結果については、特に不利な状況、冷遇される状況に追い込まれる子供たちにとっては、その責任は自己責任であり、家庭の責任だということにもなりかねない、そういう構造になっているとも読むことができます。
最後に、教育は未完のプロジェクトです。
さまざまな人たちが、教職員を含めてですけれども、支え続けてこそ成功する可能性が開けていくものであります。教育基本法を変えたからといって、あるいは改革を進めたからといって、それで成功するというものではありません。そのためには、必要かつ適切な改革を進めることはもちろん重要でありますが、同時に、条件整備と支援の充実が重要であります。
最後に、この教育基本法の問題は、日本の知性と英知が試されているんだと思います。政治の良識と責任が今問われているんだと思います。責任ある十分な審議と賢明な判断を期待して、私の発言とさせていただきます。
どうもありがとうございました。(拍手)