教育基本法に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十八年十一月九日(木曜日)
午前九時一分開議
出席委員
委員長 森山 眞弓君
理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君
理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君
理事 町村 信孝君 理事 中井 洽君
理事 牧 義夫君 理事 西 博義君
井脇ノブ子君 稲田 朋美君
猪口 邦子君 岩永 峯一君
上野賢一郎君 臼井日出男君
大島 理森君 島村 宜伸君
田野瀬良太郎君 戸井田とおる君
冨岡 勉君 中山 成彬君
西川 京子君 馳 浩君
鳩山 邦夫君 松浪健四郎君
森 喜朗君 やまぎわ大志郎君
若宮 健嗣君 北神 圭朗君
田中眞紀子君 高井 美穂君
土肥 隆一君 西村智奈美君
野田 佳彦君 古本伸一郎君
松本 大輔君 三日月大造君
坂口 力君 石井 郁子君
塩川 鉄也君 阿部 知子君
保坂 展人君 糸川 正晃君
保利 耕輔君
…………………………………
議員 高井 美穂君
議員 藤村 修君
参考人
(教育再生会議座長代理)
(株式会社資生堂相談役) 池田 守男君
参考人
(品川区教育委員会教育長) 若月 秀夫君
参考人
(教育評論家)
(法政大学キャリアデザイン学部教授) 尾木 直樹君
参考人
(国際基督教大学教授) 藤田 英典君
衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長 清野 裕三君
—————————————
委員の異動
十一月九日
辞任 補欠選任
佐藤 剛男君 田野瀬良太郎君
若宮 健嗣君 小坂 憲次君
土肥 隆一君 三日月大造君
横山 北斗君 高井 美穂君
石井 郁子君 塩川 鉄也君
保坂 展人君 阿部 知子君
同日
辞任 補欠選任
田野瀬良太郎君 冨岡 勉君
高井 美穂君 横山 北斗君
三日月大造君 土肥 隆一君
塩川 鉄也君 石井 郁子君
阿部 知子君 保坂 展人君
同日
辞任 補欠選任
冨岡 勉君 佐藤 剛男君
—————————————
十一月九日
教育基本法の改悪に反対し、教育基本法を生かすことに関する請願(石井郁子君紹介)(第三七二号)
同(吉井英勝君紹介)(第三七三号)
教育基本法改正法案を廃案にし憲法九条を守り、教育基本法を生かすことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第四〇四号)
同(石井郁子君紹介)(第四〇五号)
同(笠井亮君紹介)(第四〇六号)
同(穀田恵二君紹介)(第四〇七号)
同(佐々木憲昭君紹介)(第四〇八号)
同(志位和夫君紹介)(第四〇九号)
同(塩川鉄也君紹介)(第四一〇号)
同(高橋千鶴子君紹介)(第四一一号)
同(吉井英勝君紹介)(第四一二号)
同(佐々木憲昭君紹介)(第四五二号)
同(志位和夫君紹介)(第四五三号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)
日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)
派遣委員からの報告聴取
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時一分開議
出席委員
委員長 森山 眞弓君
理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君
理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君
理事 町村 信孝君 理事 中井 洽君
理事 牧 義夫君 理事 西 博義君
井脇ノブ子君 稲田 朋美君
猪口 邦子君 岩永 峯一君
上野賢一郎君 臼井日出男君
大島 理森君 島村 宜伸君
田野瀬良太郎君 戸井田とおる君
冨岡 勉君 中山 成彬君
西川 京子君 馳 浩君
鳩山 邦夫君 松浪健四郎君
森 喜朗君 やまぎわ大志郎君
若宮 健嗣君 北神 圭朗君
田中眞紀子君 高井 美穂君
土肥 隆一君 西村智奈美君
野田 佳彦君 古本伸一郎君
松本 大輔君 三日月大造君
坂口 力君 石井 郁子君
塩川 鉄也君 阿部 知子君
保坂 展人君 糸川 正晃君
保利 耕輔君
…………………………………
議員 高井 美穂君
議員 藤村 修君
参考人
(教育再生会議座長代理)
(株式会社資生堂相談役) 池田 守男君
参考人
(品川区教育委員会教育長) 若月 秀夫君
参考人
(教育評論家)
(法政大学キャリアデザイン学部教授) 尾木 直樹君
参考人
(国際基督教大学教授) 藤田 英典君
衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長 清野 裕三君
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委員の異動
十一月九日
辞任 補欠選任
佐藤 剛男君 田野瀬良太郎君
若宮 健嗣君 小坂 憲次君
土肥 隆一君 三日月大造君
横山 北斗君 高井 美穂君
石井 郁子君 塩川 鉄也君
保坂 展人君 阿部 知子君
同日
辞任 補欠選任
田野瀬良太郎君 冨岡 勉君
高井 美穂君 横山 北斗君
三日月大造君 土肥 隆一君
塩川 鉄也君 石井 郁子君
阿部 知子君 保坂 展人君
同日
辞任 補欠選任
冨岡 勉君 佐藤 剛男君
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十一月九日
教育基本法の改悪に反対し、教育基本法を生かすことに関する請願(石井郁子君紹介)(第三七二号)
同(吉井英勝君紹介)(第三七三号)
教育基本法改正法案を廃案にし憲法九条を守り、教育基本法を生かすことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第四〇四号)
同(石井郁子君紹介)(第四〇五号)
同(笠井亮君紹介)(第四〇六号)
同(穀田恵二君紹介)(第四〇七号)
同(佐々木憲昭君紹介)(第四〇八号)
同(志位和夫君紹介)(第四〇九号)
同(塩川鉄也君紹介)(第四一〇号)
同(高橋千鶴子君紹介)(第四一一号)
同(吉井英勝君紹介)(第四一二号)
同(佐々木憲昭君紹介)(第四五二号)
同(志位和夫君紹介)(第四五三号)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)
日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)
派遣委員からの報告聴取
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森
森山眞弓#1
○森山委員長 これより会議を開きます。
第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。
本日は、両案審査のため、参考人として、教育再生会議座長代理・株式会社資生堂相談役池田守男君、品川区教育委員会教育長若月秀夫君、教育評論家・法政大学キャリアデザイン学部教授尾木直樹君、国際基督教大学教授藤田英典君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、まず池田参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。
本日は、両案審査のため、参考人として、教育再生会議座長代理・株式会社資生堂相談役池田守男君、品川区教育委員会教育長若月秀夫君、教育評論家・法政大学キャリアデザイン学部教授尾木直樹君、国際基督教大学教授藤田英典君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、まず池田参考人にお願いいたします。
池
池田守男#2
○池田参考人 御指名をいただきました池田でございます。
衆議院教育基本法に関する特別委員会の参考人としてこのような機会をちょうだいいたしましたことを感謝いたしているわけでございます。委員の皆様方には、教育基本法という教育の根本を定める重要な法案につきまして日々精力的に御審議をいただいておりますこと、深く敬意を表しているところでございます。
本日は、企業人としまして、また教育再生会議の座長代理といたしまして、そのような立場で教育基本法の改正につきまして所見を述べさせていただきたいというふうに思います。
現在の教育基本法は、これまでの時代にありまして、基本的に大変すぐれた内容を有していたというふうに考えております。我が国が戦後復興を遂げ、豊かな社会を築き、国際的にも一定の地位を確立するに至るプロセスにおいて教育が果たした役割は非常に大きいものがあります。その根本理念として、教育基本法の意義は十分に評価しなければならないというふうに思うものであります。
しかしながら一方で、教育基本法が制定されて以来今日までの間に社会は大きく変化をいたしております。技術革新に伴い、教育基本法の制定時には想像もできなかったような社会状況が次々と現実のものになってきております。また、国際化もさらに進んでいるわけでございます。
その中にありまして、私どもの人間関係も大きく変化をいたしてきております。個々人の問題、家族の問題、地域、企業等におきます人間関係も大きく変わってきているわけでございます。また、物質的な豊かさの達成の一方で、私ども日本人の美徳といったものが残念ながら失われてきているのではないかというふうに思わざるを得ないのでございます。日本人の精神性といったものが失われてきているのではないかというふうに感じさせられるわけでございます。
このような社会の変化については、だれもがひとしく感じていることではないかというふうに思います。そして、これからの社会を心豊かに、よりよく生きるためには大きな改革が必要ではないかということも、ひとしく感じていることではないかというふうに思うわけでございます。
社会は、当然のことながら人によって成り立っております。人づくりこそが国づくりであり、社会づくりの基本であります。その中核を担っておりますのが教育であります。教育の改革、再生こそが今日の喫緊の課題ではないかというふうに思うわけでございます。
その意味で、教育の根本理念を定めておりますところの教育基本法の改正は、今日の社会にありまして、まことに当然なことであり必要なことではないかというふうに考えております。
それでは、この教育基本法改正につきまして、お許しをいただき、私見を述べさせていただきたいというふうに思います。
まず、現在の社会状況に照らしまして特に今後重視しなければならないものは、公の精神、公共の精神ではないかというふうに思うのでございます。
私ども人間は、決して一人では生きることはできないわけでございます。だれもが、周りの多くの人々から、あるいは社会全体からの恩恵の中で生きているわけでございます。そのことは、言葉をかえれば、人も、多くの人々によって、または自然の恩恵の中で私どもは生かされているということではないかというふうにも思うのでございます。
こうした事実を認識するということが、先ほど申しました公共の精神につながるものではないかというふうに思うのでございます。また、このことが他者に対する優しさとか協調の精神の根本になり、人に優しい、温かみのある社会をつくり上げる基本になるのではないかというふうにも思うのでございます。
さらに申し上げますと、このことは、教育のみならず、企業の経済活動にも当てはまるのではないかというふうに思うのでございます。企業も社会の中で生かされている存在であるというふうに思います。そうであるならば、市場経済のもとで売上利益を追求するのみではなくて、公共のために尽くすと申しますか、社会貢献活動がますます重要になってきているのではないかというふうに思います。
公共の精神は、社会に生きる人間としての出発点と言えるのではないかというふうにも思います。政府の教育基本法では、こうした精神を教育の根本理念の一つとして位置づけられており、この公共の精神そのものを高く称揚していただいているということは、非常に意義あることではないかというふうにも思っております。
また、政府案にありまして伝統と文化の尊重が織り込まれておりますことは、大変心強い限りでございます。自国の伝統、文化を理解し尊重するということは、これからの国際社会におきましてますます重要なことではないかというふうに思うのであります。
また、郷里を愛し祖国を愛するということは、人間としまして当然のことではないかというふうに思います。自分の郷里や国を愛するということは、そういう精神は、必ずや他国の存在をも理解するということに私はつながるものではないかというふうに思うものでございます。他者を同じ人間といたしまして、他国を同じ国としまして理解するということは、それぞれ同じ次元の問題として大切なことではないかというふうにも感じるものでございます。
さらにつけ加えさせていただきますれば、今後の教育において特に重要と考えます一つに、家庭教育や、学校、家庭、地域社会の連携があるのではないかというふうに思います。今日、残念ながら、家族や地域社会を初めとするコミュニティーにおける関係がますます希薄化しているということを感じざるを得ないわけでございます。
特に、そのことは若年層に強くあらわれている傾向ではないかというふうに思います。そうしたことが今日のさまざまな社会問題にもつながっているのではないかというふうに憂慮をするものでございます。
それらのことを考えますと、今回、政府案におきまして、家庭教育について明記され、また、学校、家庭及び地域住民の相互の連携強化が新たに盛り込まれておりますことは非常に評価できることではないかというふうに思っております。
学校と家庭、地域の強い連携の中でこそ子供たちは、社会に息づくところの知恵や見識を得、また、一般常識やマナー、教養などを身につけることができるのではないかというふうに思うものでございます。また、そのことによりまして、日本人固有の他者への思いやり、優しさ、そういったものが深まってくるのではないかというふうに思いますし、他者をおもんぱかる想像力といったものもそういったコミュニティーの中で養われるものではないかというふうに思うものでございます。
このように、今回の改正案を貫く理念は、私の教育への思いと多くのところで重なっているわけでございます。大変意を強くさせていただいているわけでございます。
それでは最後になりますが、お許しをいただきまして、若干、企業社会のことについて触れさせていただきたいというふうに思います。
社会にありまして働くということは、人間存在の根幹にかかわる重要なことではないかというふうに思います。これまでこの働くということが、余りにも企業中心であり、企業サイドに偏り過ぎていたのではないかというふうに、私も企業経営者の一人として強く反省をいたしているところでございます。
企業人として働きながら、同時に家庭を大切にし、父親としまして、また母親としまして、地域の一員として生きる点において十分であったかどうかというふうに自問自答いたしますと、必ずしも、個々人においても企業組織においてもそうではなかったというふうに言わざるを得ないのでございます。
現在、我が国が直面いたしておりますところの今日の少子化問題も、私は、このようなことに対しましての警鐘ではないかというふうに思うものでございます。そのことにつきましては、私自身も経営者の一人といたしまして深く考えさせられているわけでございます。
この少子化問題は、将来の労働力不足というよりも、人間本来のあるべき姿として、働き方の問題として考えるべきではないかというふうに思うものでございます。それはワーク・ライフ・バランスに取り組むことではないかというふうにも思うものでございます。働くことも、家庭も、地域も大切にする生き方へと働き方を見直すことが、子供たちへの教育にも積極的にかかわっていく、そういう社会、そういう大人をつくることにつながるのではないかというふうに思うわけでございます。
あわせて、企業そのものも、もっと積極的に教育にかかわっていくような仕組みにもそういう意識によって落とし込めるのではないかというふうに思っております。企業の社会貢献活動、私は、これからの時代、教育というものが社会貢献活動の中心にあってもいいのではないかというふうに感じさせられております。
以上、教育基本法の改正に関しましての所見を申し上げさせていただきました。
教育再生会議におきましても、現在、教育のさまざまな課題について検討を始めさせていただいているところでございます。こうした私どもの議論のベースになりますものは、教育基本法案にも掲げられた理念であるというふうに思うものでございます。
日本の将来を担う若者の夢と希望、それに基づく志をはぐくむ教育を実現するための第一歩といたしまして、この教育基本法の早期成立を切にお願いするものでございます。
私からは以上でございます。御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →衆議院教育基本法に関する特別委員会の参考人としてこのような機会をちょうだいいたしましたことを感謝いたしているわけでございます。委員の皆様方には、教育基本法という教育の根本を定める重要な法案につきまして日々精力的に御審議をいただいておりますこと、深く敬意を表しているところでございます。
本日は、企業人としまして、また教育再生会議の座長代理といたしまして、そのような立場で教育基本法の改正につきまして所見を述べさせていただきたいというふうに思います。
現在の教育基本法は、これまでの時代にありまして、基本的に大変すぐれた内容を有していたというふうに考えております。我が国が戦後復興を遂げ、豊かな社会を築き、国際的にも一定の地位を確立するに至るプロセスにおいて教育が果たした役割は非常に大きいものがあります。その根本理念として、教育基本法の意義は十分に評価しなければならないというふうに思うものであります。
しかしながら一方で、教育基本法が制定されて以来今日までの間に社会は大きく変化をいたしております。技術革新に伴い、教育基本法の制定時には想像もできなかったような社会状況が次々と現実のものになってきております。また、国際化もさらに進んでいるわけでございます。
その中にありまして、私どもの人間関係も大きく変化をいたしてきております。個々人の問題、家族の問題、地域、企業等におきます人間関係も大きく変わってきているわけでございます。また、物質的な豊かさの達成の一方で、私ども日本人の美徳といったものが残念ながら失われてきているのではないかというふうに思わざるを得ないのでございます。日本人の精神性といったものが失われてきているのではないかというふうに感じさせられるわけでございます。
このような社会の変化については、だれもがひとしく感じていることではないかというふうに思います。そして、これからの社会を心豊かに、よりよく生きるためには大きな改革が必要ではないかということも、ひとしく感じていることではないかというふうに思うわけでございます。
社会は、当然のことながら人によって成り立っております。人づくりこそが国づくりであり、社会づくりの基本であります。その中核を担っておりますのが教育であります。教育の改革、再生こそが今日の喫緊の課題ではないかというふうに思うわけでございます。
その意味で、教育の根本理念を定めておりますところの教育基本法の改正は、今日の社会にありまして、まことに当然なことであり必要なことではないかというふうに考えております。
それでは、この教育基本法改正につきまして、お許しをいただき、私見を述べさせていただきたいというふうに思います。
まず、現在の社会状況に照らしまして特に今後重視しなければならないものは、公の精神、公共の精神ではないかというふうに思うのでございます。
私ども人間は、決して一人では生きることはできないわけでございます。だれもが、周りの多くの人々から、あるいは社会全体からの恩恵の中で生きているわけでございます。そのことは、言葉をかえれば、人も、多くの人々によって、または自然の恩恵の中で私どもは生かされているということではないかというふうにも思うのでございます。
こうした事実を認識するということが、先ほど申しました公共の精神につながるものではないかというふうに思うのでございます。また、このことが他者に対する優しさとか協調の精神の根本になり、人に優しい、温かみのある社会をつくり上げる基本になるのではないかというふうにも思うのでございます。
さらに申し上げますと、このことは、教育のみならず、企業の経済活動にも当てはまるのではないかというふうに思うのでございます。企業も社会の中で生かされている存在であるというふうに思います。そうであるならば、市場経済のもとで売上利益を追求するのみではなくて、公共のために尽くすと申しますか、社会貢献活動がますます重要になってきているのではないかというふうに思います。
公共の精神は、社会に生きる人間としての出発点と言えるのではないかというふうにも思います。政府の教育基本法では、こうした精神を教育の根本理念の一つとして位置づけられており、この公共の精神そのものを高く称揚していただいているということは、非常に意義あることではないかというふうにも思っております。
また、政府案にありまして伝統と文化の尊重が織り込まれておりますことは、大変心強い限りでございます。自国の伝統、文化を理解し尊重するということは、これからの国際社会におきましてますます重要なことではないかというふうに思うのであります。
また、郷里を愛し祖国を愛するということは、人間としまして当然のことではないかというふうに思います。自分の郷里や国を愛するということは、そういう精神は、必ずや他国の存在をも理解するということに私はつながるものではないかというふうに思うものでございます。他者を同じ人間といたしまして、他国を同じ国としまして理解するということは、それぞれ同じ次元の問題として大切なことではないかというふうにも感じるものでございます。
さらにつけ加えさせていただきますれば、今後の教育において特に重要と考えます一つに、家庭教育や、学校、家庭、地域社会の連携があるのではないかというふうに思います。今日、残念ながら、家族や地域社会を初めとするコミュニティーにおける関係がますます希薄化しているということを感じざるを得ないわけでございます。
特に、そのことは若年層に強くあらわれている傾向ではないかというふうに思います。そうしたことが今日のさまざまな社会問題にもつながっているのではないかというふうに憂慮をするものでございます。
それらのことを考えますと、今回、政府案におきまして、家庭教育について明記され、また、学校、家庭及び地域住民の相互の連携強化が新たに盛り込まれておりますことは非常に評価できることではないかというふうに思っております。
学校と家庭、地域の強い連携の中でこそ子供たちは、社会に息づくところの知恵や見識を得、また、一般常識やマナー、教養などを身につけることができるのではないかというふうに思うものでございます。また、そのことによりまして、日本人固有の他者への思いやり、優しさ、そういったものが深まってくるのではないかというふうに思いますし、他者をおもんぱかる想像力といったものもそういったコミュニティーの中で養われるものではないかというふうに思うものでございます。
このように、今回の改正案を貫く理念は、私の教育への思いと多くのところで重なっているわけでございます。大変意を強くさせていただいているわけでございます。
それでは最後になりますが、お許しをいただきまして、若干、企業社会のことについて触れさせていただきたいというふうに思います。
社会にありまして働くということは、人間存在の根幹にかかわる重要なことではないかというふうに思います。これまでこの働くということが、余りにも企業中心であり、企業サイドに偏り過ぎていたのではないかというふうに、私も企業経営者の一人として強く反省をいたしているところでございます。
企業人として働きながら、同時に家庭を大切にし、父親としまして、また母親としまして、地域の一員として生きる点において十分であったかどうかというふうに自問自答いたしますと、必ずしも、個々人においても企業組織においてもそうではなかったというふうに言わざるを得ないのでございます。
現在、我が国が直面いたしておりますところの今日の少子化問題も、私は、このようなことに対しましての警鐘ではないかというふうに思うものでございます。そのことにつきましては、私自身も経営者の一人といたしまして深く考えさせられているわけでございます。
この少子化問題は、将来の労働力不足というよりも、人間本来のあるべき姿として、働き方の問題として考えるべきではないかというふうに思うものでございます。それはワーク・ライフ・バランスに取り組むことではないかというふうにも思うものでございます。働くことも、家庭も、地域も大切にする生き方へと働き方を見直すことが、子供たちへの教育にも積極的にかかわっていく、そういう社会、そういう大人をつくることにつながるのではないかというふうに思うわけでございます。
あわせて、企業そのものも、もっと積極的に教育にかかわっていくような仕組みにもそういう意識によって落とし込めるのではないかというふうに思っております。企業の社会貢献活動、私は、これからの時代、教育というものが社会貢献活動の中心にあってもいいのではないかというふうに感じさせられております。
以上、教育基本法の改正に関しましての所見を申し上げさせていただきました。
教育再生会議におきましても、現在、教育のさまざまな課題について検討を始めさせていただいているところでございます。こうした私どもの議論のベースになりますものは、教育基本法案にも掲げられた理念であるというふうに思うものでございます。
日本の将来を担う若者の夢と希望、それに基づく志をはぐくむ教育を実現するための第一歩といたしまして、この教育基本法の早期成立を切にお願いするものでございます。
私からは以上でございます。御清聴ありがとうございました。拍手
森
若
若月秀夫#4
○若月参考人 ただいま御紹介いただきました、東京品川区の教育長の若月でございます。
きょうは、この教育基本法特別委員会、お話をさせていただく機会をお与えいただきましたことをまずもって御礼を申し上げたいと思います。
大変限られた時間でございます。若干早口になってお聞き取りにくいところがあろうかと思いますが、ひとつ御容赦をいただければと、かように思う次第でもございます。
私は、もともと小学校の教員をやっておりました。現場の人間でありました。その後、地方教育委員会で今は教育行政に携わり、常に現場との関係を密接に保ちながら仕事をしている者でございます。したがいまして、私がこれから申し上げますことは、若干話の中身は細かいことになるのかもしれません。その辺をひとつ御容赦いただきましてお聞き取りをいただきたいと思います。
そして、基本的には、今回提案されておりますこの政府案を支持する立場で私は御意見を申し述べさせていただきたい、かように思っている次第でもございます。
まず、もう申し上げるまでもございませんけれども、この教育基本法前文そして第一条、今までの教育基本法で培われてきましたすばらしい理念といったようなものをきちんと今回も継続をしております。その上で、今具体的に子供たちの上に発生をしているさまざまな問題や課題、そして新たな課題、そうしたようなものを視野におさめた新しいこの案、これは大変今の時代に合っている、そういう考えを持っているところでもございます。
特に、第一条に続きまして第二条に、教育の方針から教育の目標という項を設けてございます。実は、現場のサイドから言わせていただきますと、非常にこれは大事なことを指摘していただいた、かように思うわけであります。
実は、戦後我が国の、特に学校教育をめぐって克服すべき問題は多々ありますが、いろいろありますが、その中の一つに、わかりやすく具体的に申し上げますと、素朴な児童生徒中心主義の克服というのが私はあると思います。ほかにも課題はいっぱいありますよ。いっぱいありますが、これも一つの大きな課題だと思います。
この児童生徒中心主義というものが、現場の教員をどれぐらいある意味では自信を失わせるといいますか、教育や指導に腰を引かせてしまうかというような現実が多々ありました。いっとき、指導よりも支援なんだ、子供の主体性を重視するんだといったことから、強い指導をしたり、時には強制をしたり管理をしたりすることがあたかも悪いことのような、間違った教育観が戦後はびこったことは事実であろう、私はこう思います。
そういった意味からも、この教育基本法の案の目標といったものの中で、個人の成長とともに、公、いわゆる社会の形成者としての資質といったようなものをやはり一つの理念として挙げてくださっています。
それで、こういったようなものを実現していく場合には、教育基本法そのもので指導するわけではございませんけれども、これから派生してきます教育振興基本計画であるとか、それに基づく学習指導要領であるとか、あるいは学校教育法、地方教育行政法、さまざまなものに影響をしていくわけでありまして、その中で、教師がもう一度しっかりとした教育をしていく上での教師としての信念、今まで足りなかった部分をきちんと補っていこうとするそうした一つの根拠、こういったようなものを第二条の中の目標に明記されているということは非常に意義のあることである。まさに、戦後日本教育の足らざる部分をきちんと明記されたという点で私は高く評価をさせていただきたい、かように思っているところでございます。
さて、すべてを申し上げるわけにはいきませんので、大まかに、学校教育に関する部分、家庭教育に関する部分、教育行政に関する部分、そして最後に、十七条の基本計画に関する部分だけについての私の私見を申し上げたいと思いますが、まず、学校教育における案でございます。
第六条第二項でありますけれども、ここに「教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」ということがはっきりと明示をされております。
実は、学校というところは、ほかのいろいろな社会的組織は皆、法、理、情というのが一般的な物の考え方だろうと思います。しかし、とかく学校というところは、とかくです、すべてとは言いませんが、それが逆転しまして、情、理、法といったようなもので動く傾向の強い組織体でもありました。そうした組織体が、例えば今問題になっているいじめであるとか不登校であるとかといったようなさまざまな問題に対する対応、こういった点において、適切で、国民の信頼を得られるような対応が十分にしてこられたかというと、必ずしもそうではないだろうという部分は認めざるを得ません。
ここで一番大事なことは、学校といえども、やはり一つの体系的な意思決定機関である、そしてそれは、組織を通したそういった性格のものなんだといったようなことを、学校の、そして多くの国民の方々に新たにお知らせをする、国としてはっきりとそこを明示するということは、これまた非常に大事なことであろう。特に、学校経営の責任を持ちます管理職である校長、教頭、そういった職責にある者にとって、体系的、組織的な意思決定をしていくんだよ、運営をしていくんだよ、この指摘といったものは、ある意味で大変に心強いものであろうと思います。
もちろん、物事は、民主的に、話し合いを基本として進めていくことは当然であります。そうしたものを基調に置いて、なおかつ、体系的、組織的に、最終的には組織としての意思決定を校長がきちんとできる、そういった環境整備をこの第六条二項において明示されているということ、これは、現場に近い人間、現場の人間にとってこれほど心強いものはないだろうと。ここもまた、従来、一生懸命学校もやってきましたけれども、ややここら辺が必ずしも十分ではなかった部分をきちんと補っていただいている、かように思うところでもございます。
また、続いて、「学校生活を営む上で必要な規律」といったような文言も新たに案の中に御提案をしていただいております。これも、規律というと、すぐに、管理であるとか、強制であるとか、子供の自発性を抑えつけるものといった一方的な考え方が比較的学校にははびこっておりました。もちろん、学校は子供のためにあります。そして、子供中心であること、子供のためであることは言うまでもないことでありますが、しかし、余りにも子供の自主性とか自発性とか自立性とかといったようなものを尊重し過ぎる余り、本来学校が、教師がやるべき適切な指導といったようなものがどれぐらい行われてきただろうかということは、私たちは謙虚に反省すべきだろうと、かように思うわけであります。
何も子供たちの自主性や主体性を否定するわけではありません。しかし、やはり指導するべきものはきちんとしましょう、それがこの「学校生活を営む上で必要な規律」といったような表現で明記をされている。これはやはり、どこまでやっていいのかなと迷っている教師、学校現場あるいは教育委員会に対して一つの大きな指針をここで示してくださっているものと考えております。
次に、新設されました家庭教育でございます。
この家庭教育の件につきましても、こういった根本法で家庭教育のことまで規定するのはどうだろうというようないろいろな御意見もあるようでございます。しかし、地方教育委員会が今直面している問題は、もちろん、目の前にある私たちの管轄下の学校をどうするかと同時に、学校だけではどうにもできない問題がある。学校にはやはりできることとできないことがあります。それが今、学校、学校というようなことで学校にすべてが押し寄せてきている。しかし、教育というものを今回のこの法案の案のように広くとらえていただき、それぞれ子供の教育を考えるときには、学校、家庭、地域、そして、何よりもまず家庭といったようなものが第一義的なその使命を持つんだよということを改めて社会に対してメッセージとして送るということは、非常に意味のあることだろうと考えているものでもございます。
さらに、政府案では、その役割と責任といったようなことをきちんとお伝えいただいている。それぞれのパートで責任を果たしていく、これがまさに、戦後の日本の広く教育界を振り返ってみたときに、やはり私たちはここで考え直さなければいけない点であろう、かようにも思っているところでございます。
続きまして、教育行政についてでございます。
教育行政の初めの項でありますけれども、ここに「不当な支配に服することなく、」という文言をきちんと残されていることは大変高く評価をするものでございます。これはもう今さら申し上げることもないわけでありますけれども、この「不当な支配に服することなく、」という現行の第十条の解釈といったようなものがかなり誤解をされている部分が、かつて、戦後の学校教育の中でも間違いなくありました。
したがいまして、今回の案におきましては、「不当な支配に服することなく、」ということを受けて、この法律や他の法律に定めるところによって行われるもの、すなわち、国会において制定される法律に基づく教育であるとか、あるいは法律の定めによって行われる教育委員会の命令や指導といったようなもの、これは不当な支配ではないんだよということをきちんとここで明記されています。これはやはり、地方教育委員会がこれから公正中立な教育行政を進めていく上でなくてはならない重要な部分である、このようにも考えるものでございます。
また、同じく十六条の第三項において、地方公共団体、私どもの点についてもきちんと触れられております。地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るために、その実情に応じた教育に関する施策を策定しなきゃだめだ、そして実施をすることが大事なんだと。これはまさに、今の地方分権といったようなものの流れ、そして、それぞれの地域地域に合った生き生きとした教育をこれから進めていく必要があるんだといったようなメッセージとして大変意味のあるものである、かように考えているところでもございます。
こうした国からの一つのメッセージといったようなものがそれぞれの地方教育委員会の活性化につながってくる大事な部分であろう、かようにも考えるところでございます。
最後でございますけれども、十七条の振興基本計画でございます。これは新設をされたものでございます。
教育行政のみならず、ほかの行政もそうでありますけれども、個々の行政を進めていく場合、やはり、安定的かつ継続的な財源確保といったようなものは当然必要不可欠であります。特に教育におきましては、安定的そして継続的な財源確保は、これは必要不可欠でございます。
そうした意味からも、この新たな教育基本法案、これを一刻も早く成立をさせていただき、基本計画といったようなものに移っていただかない限り、地方教育委員会といたしましても、この次に打つ教育施策といったようなものがなかなか打ち出せないでいるのが実は現状でございます。
先ほど申し上げましたように、この根本法から振興基本計画が出、その基本計画から具体論になっていく学習指導要領であるとか、学校教育法であるとか、地教行法であるとかといったようなものに影響を与えていくものでございます。それによって我々地教委の人間は、この新たな教育基本法が示す理念を実現していこうと考えているわけであります。
そうした意味からも、平成十二年の教育改革国民会議から提言をされて六年経過をしております。やはり、この教育基本法を早くお通しいただければ私たち地方教育委員会の人間としても大変ありがたい、かように思うところでございます。
私見を申し述べさせていただきました。失礼をいたしました。拍手
この発言だけを見る →きょうは、この教育基本法特別委員会、お話をさせていただく機会をお与えいただきましたことをまずもって御礼を申し上げたいと思います。
大変限られた時間でございます。若干早口になってお聞き取りにくいところがあろうかと思いますが、ひとつ御容赦をいただければと、かように思う次第でもございます。
私は、もともと小学校の教員をやっておりました。現場の人間でありました。その後、地方教育委員会で今は教育行政に携わり、常に現場との関係を密接に保ちながら仕事をしている者でございます。したがいまして、私がこれから申し上げますことは、若干話の中身は細かいことになるのかもしれません。その辺をひとつ御容赦いただきましてお聞き取りをいただきたいと思います。
そして、基本的には、今回提案されておりますこの政府案を支持する立場で私は御意見を申し述べさせていただきたい、かように思っている次第でもございます。
まず、もう申し上げるまでもございませんけれども、この教育基本法前文そして第一条、今までの教育基本法で培われてきましたすばらしい理念といったようなものをきちんと今回も継続をしております。その上で、今具体的に子供たちの上に発生をしているさまざまな問題や課題、そして新たな課題、そうしたようなものを視野におさめた新しいこの案、これは大変今の時代に合っている、そういう考えを持っているところでもございます。
特に、第一条に続きまして第二条に、教育の方針から教育の目標という項を設けてございます。実は、現場のサイドから言わせていただきますと、非常にこれは大事なことを指摘していただいた、かように思うわけであります。
実は、戦後我が国の、特に学校教育をめぐって克服すべき問題は多々ありますが、いろいろありますが、その中の一つに、わかりやすく具体的に申し上げますと、素朴な児童生徒中心主義の克服というのが私はあると思います。ほかにも課題はいっぱいありますよ。いっぱいありますが、これも一つの大きな課題だと思います。
この児童生徒中心主義というものが、現場の教員をどれぐらいある意味では自信を失わせるといいますか、教育や指導に腰を引かせてしまうかというような現実が多々ありました。いっとき、指導よりも支援なんだ、子供の主体性を重視するんだといったことから、強い指導をしたり、時には強制をしたり管理をしたりすることがあたかも悪いことのような、間違った教育観が戦後はびこったことは事実であろう、私はこう思います。
そういった意味からも、この教育基本法の案の目標といったものの中で、個人の成長とともに、公、いわゆる社会の形成者としての資質といったようなものをやはり一つの理念として挙げてくださっています。
それで、こういったようなものを実現していく場合には、教育基本法そのもので指導するわけではございませんけれども、これから派生してきます教育振興基本計画であるとか、それに基づく学習指導要領であるとか、あるいは学校教育法、地方教育行政法、さまざまなものに影響をしていくわけでありまして、その中で、教師がもう一度しっかりとした教育をしていく上での教師としての信念、今まで足りなかった部分をきちんと補っていこうとするそうした一つの根拠、こういったようなものを第二条の中の目標に明記されているということは非常に意義のあることである。まさに、戦後日本教育の足らざる部分をきちんと明記されたという点で私は高く評価をさせていただきたい、かように思っているところでございます。
さて、すべてを申し上げるわけにはいきませんので、大まかに、学校教育に関する部分、家庭教育に関する部分、教育行政に関する部分、そして最後に、十七条の基本計画に関する部分だけについての私の私見を申し上げたいと思いますが、まず、学校教育における案でございます。
第六条第二項でありますけれども、ここに「教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」ということがはっきりと明示をされております。
実は、学校というところは、ほかのいろいろな社会的組織は皆、法、理、情というのが一般的な物の考え方だろうと思います。しかし、とかく学校というところは、とかくです、すべてとは言いませんが、それが逆転しまして、情、理、法といったようなもので動く傾向の強い組織体でもありました。そうした組織体が、例えば今問題になっているいじめであるとか不登校であるとかといったようなさまざまな問題に対する対応、こういった点において、適切で、国民の信頼を得られるような対応が十分にしてこられたかというと、必ずしもそうではないだろうという部分は認めざるを得ません。
ここで一番大事なことは、学校といえども、やはり一つの体系的な意思決定機関である、そしてそれは、組織を通したそういった性格のものなんだといったようなことを、学校の、そして多くの国民の方々に新たにお知らせをする、国としてはっきりとそこを明示するということは、これまた非常に大事なことであろう。特に、学校経営の責任を持ちます管理職である校長、教頭、そういった職責にある者にとって、体系的、組織的な意思決定をしていくんだよ、運営をしていくんだよ、この指摘といったものは、ある意味で大変に心強いものであろうと思います。
もちろん、物事は、民主的に、話し合いを基本として進めていくことは当然であります。そうしたものを基調に置いて、なおかつ、体系的、組織的に、最終的には組織としての意思決定を校長がきちんとできる、そういった環境整備をこの第六条二項において明示されているということ、これは、現場に近い人間、現場の人間にとってこれほど心強いものはないだろうと。ここもまた、従来、一生懸命学校もやってきましたけれども、ややここら辺が必ずしも十分ではなかった部分をきちんと補っていただいている、かように思うところでもございます。
また、続いて、「学校生活を営む上で必要な規律」といったような文言も新たに案の中に御提案をしていただいております。これも、規律というと、すぐに、管理であるとか、強制であるとか、子供の自発性を抑えつけるものといった一方的な考え方が比較的学校にははびこっておりました。もちろん、学校は子供のためにあります。そして、子供中心であること、子供のためであることは言うまでもないことでありますが、しかし、余りにも子供の自主性とか自発性とか自立性とかといったようなものを尊重し過ぎる余り、本来学校が、教師がやるべき適切な指導といったようなものがどれぐらい行われてきただろうかということは、私たちは謙虚に反省すべきだろうと、かように思うわけであります。
何も子供たちの自主性や主体性を否定するわけではありません。しかし、やはり指導するべきものはきちんとしましょう、それがこの「学校生活を営む上で必要な規律」といったような表現で明記をされている。これはやはり、どこまでやっていいのかなと迷っている教師、学校現場あるいは教育委員会に対して一つの大きな指針をここで示してくださっているものと考えております。
次に、新設されました家庭教育でございます。
この家庭教育の件につきましても、こういった根本法で家庭教育のことまで規定するのはどうだろうというようないろいろな御意見もあるようでございます。しかし、地方教育委員会が今直面している問題は、もちろん、目の前にある私たちの管轄下の学校をどうするかと同時に、学校だけではどうにもできない問題がある。学校にはやはりできることとできないことがあります。それが今、学校、学校というようなことで学校にすべてが押し寄せてきている。しかし、教育というものを今回のこの法案の案のように広くとらえていただき、それぞれ子供の教育を考えるときには、学校、家庭、地域、そして、何よりもまず家庭といったようなものが第一義的なその使命を持つんだよということを改めて社会に対してメッセージとして送るということは、非常に意味のあることだろうと考えているものでもございます。
さらに、政府案では、その役割と責任といったようなことをきちんとお伝えいただいている。それぞれのパートで責任を果たしていく、これがまさに、戦後の日本の広く教育界を振り返ってみたときに、やはり私たちはここで考え直さなければいけない点であろう、かようにも思っているところでございます。
続きまして、教育行政についてでございます。
教育行政の初めの項でありますけれども、ここに「不当な支配に服することなく、」という文言をきちんと残されていることは大変高く評価をするものでございます。これはもう今さら申し上げることもないわけでありますけれども、この「不当な支配に服することなく、」という現行の第十条の解釈といったようなものがかなり誤解をされている部分が、かつて、戦後の学校教育の中でも間違いなくありました。
したがいまして、今回の案におきましては、「不当な支配に服することなく、」ということを受けて、この法律や他の法律に定めるところによって行われるもの、すなわち、国会において制定される法律に基づく教育であるとか、あるいは法律の定めによって行われる教育委員会の命令や指導といったようなもの、これは不当な支配ではないんだよということをきちんとここで明記されています。これはやはり、地方教育委員会がこれから公正中立な教育行政を進めていく上でなくてはならない重要な部分である、このようにも考えるものでございます。
また、同じく十六条の第三項において、地方公共団体、私どもの点についてもきちんと触れられております。地方公共団体は、その地域における教育の振興を図るために、その実情に応じた教育に関する施策を策定しなきゃだめだ、そして実施をすることが大事なんだと。これはまさに、今の地方分権といったようなものの流れ、そして、それぞれの地域地域に合った生き生きとした教育をこれから進めていく必要があるんだといったようなメッセージとして大変意味のあるものである、かように考えているところでもございます。
こうした国からの一つのメッセージといったようなものがそれぞれの地方教育委員会の活性化につながってくる大事な部分であろう、かようにも考えるところでございます。
最後でございますけれども、十七条の振興基本計画でございます。これは新設をされたものでございます。
教育行政のみならず、ほかの行政もそうでありますけれども、個々の行政を進めていく場合、やはり、安定的かつ継続的な財源確保といったようなものは当然必要不可欠であります。特に教育におきましては、安定的そして継続的な財源確保は、これは必要不可欠でございます。
そうした意味からも、この新たな教育基本法案、これを一刻も早く成立をさせていただき、基本計画といったようなものに移っていただかない限り、地方教育委員会といたしましても、この次に打つ教育施策といったようなものがなかなか打ち出せないでいるのが実は現状でございます。
先ほど申し上げましたように、この根本法から振興基本計画が出、その基本計画から具体論になっていく学習指導要領であるとか、学校教育法であるとか、地教行法であるとかといったようなものに影響を与えていくものでございます。それによって我々地教委の人間は、この新たな教育基本法が示す理念を実現していこうと考えているわけであります。
そうした意味からも、平成十二年の教育改革国民会議から提言をされて六年経過をしております。やはり、この教育基本法を早くお通しいただければ私たち地方教育委員会の人間としても大変ありがたい、かように思うところでございます。
私見を申し述べさせていただきました。失礼をいたしました。拍手
森
尾
尾木直樹#6
○尾木参考人 ただいま御紹介にあずかりました、教育評論家で法政大学教員の尾木直樹です。よろしくお願いします。
最初に簡単に自己紹介させていただきますと、私は、現在は法政で教授職についていますけれども、その前二十二年間は中学校、高校の教師をやっていまして、現場のことはある意味で熟知しているつもりです。その後、いろいろな評論家にもなりまして、全国二千カ所以上にわたって駆けずり回って歩いております。北海道から沖縄まで、すべての県に伺っているんですけれども、きょうはそういう立場から、ぜひ、現場の子供たちや親御さんあるいは先生方の声をお伝えするのが僕の仕事かな、そして、これまでの先生方の御議論に何か役に立てばというようなスタンスで参りました。
僕の専門は、臨床教育学といいまして、いじめ問題、学級崩壊、校内暴力とかあるいは引きこもり、ニート問題、こういうところが専門です。大学ではキャリア教育の方も携わっていますけれども、そういうところからきょうはぜひお話をしていきたいと思います。
この間、けさもニュースになっていましたけれども、高校の履修漏れの問題、これが大きく報道されています。僕はこれは重大な問題だというふうに思っています。既に二人の校長先生が責任を感じて命をなくされるという事態にも陥っています。
けさの報道によりますと、履修漏れ自体、今回初めてわかったことではなくて、既に四年前に文科省の調査で報告が行っている。医学部や歯学部の学生においては二〇%—三〇%にもわたって世界史を履修していなかったとか、文学部でも一〇%もあるとかいうことが言われていますし、それから、東京都はこの間の調査で電話で私学に対して確認をしていたとか、本当にずさんな行政の問題というのが僕は非常にクローズアップされているんじゃないかというふうに思います。
そのことが実はどういう問題に発展しているのかということなんですが、子供たちだとかあるいは学生に物すごく痛手になっているんですね。私の大学生を通して調査しました。そうしたら、まだまだ新聞では報道されていない学校が潜っています。だから、正確にデータをとったら、驚くような事態になりかねないというふうに思っています。
その中で、学生たちは、自分の学校が正直に言っていないという苦しみを持っているわけです。それから、先生、私は法政大学の許可を取り消されるんでしょうかと、二年生、三年生も涙ぐんで言います。つまり、ああ、ラッキー、得したねというふうに言うかなと思ったら、違うんですね。やはり非常に学生や子供たちというのは誠実で、自分は何かずるをしたんじゃないかと、それは子供たちの責任では全くないわけですけれども、非常に後ろめたい気持ちになっている。
これでいいんだろうかと思いました。僕は、もっと、ああ、得したと思ってくれた方がありがたいと思ったんですけれども、みんな傷ついているわけですね。そして、受験を控える今回発覚した学校はこれから補習に入るという、大変また衝撃的な出来事になったわけです。
この問題というのは一体だれの責任かといったら、子供たちに責任ないんですね。そういう点で、教育基本法の問題も、もう本当にしっかり現場に根差して考えていただければというふうに思います。
そういう中で、例えば現場の校長先生なんかはどういうふうにお考えかということなんですが、ことしの七月、八月に、東京大学の基礎学力研究開発センターというところが全国一万の小中の先生方にアンケート調査をしました。その結果が新聞発表、九月三日付に載っていますけれども、それによりますと、例えば、この教育基本法の改正案の問題に対してですけれども、「教育基本法改正案に賛成」かという設問に対して、「そう思わない」と答えた校長が五二・二%もおられます。もっと強く、「全くそう思わない」という方が一三・九%。トータルすると六六・一%にも及ぶ。現場の校長たちがこうだということは、僕は深刻な問題だろうと思うんですね。一方、政府の改正案に対して強く賛成だという方はわずか一・三%です。それから、もうちょっと緩やかに、「そう思う」という方は三二・六%しかおられません。これは、理解が行き渡っていないとか、いろいろな考えはあると思いますけれども、この事実はきっちり受けとめなきゃならないだろう。
僕は、評論家の立場で全国を駆けめぐって、メディアの方ともおつき合いとかいろいろあるわけですけれども、この委員会で議論をしてくださってから、どんどんこの改正案やいろいろな案が読まれています。それで驚くことは何かといいますと、本当に失礼になったら困っちゃうんですけれども、反対という声が、急速に風が吹いてきているんですね。これは一体何だろう。今まで知らなかったけれども、改正案を読んでみたら、あら、これは心配だ。反対というより心配という声が圧倒的に多いですね。そこら辺はぜひよく考えていただいて、丁寧な議論をしていただきたいというのが僕の今の立場なんです。
例えば、そのときに同時に聞かれていることで、教育改革が早過ぎて現場がついていけないという方が八五%もおられます。これは、僕も現場で長かったからわかりますけれども、本当に矢継ぎ早の改革です。それから、教育問題が政治化され過ぎているんじゃないかという方も六六%もおられて、現場の校長さんたちとかなり乖離が出てきているという問題はしっかり訴えたいというふうに思います。
では、具体的に、僕は臨床家ですので、いじめ問題を例にとってちょっと考えてみたいと思うんです。
きょうのレジュメは、いじめ問題に特化してつくってあります。レジュメ二枚と資料、B4判の大きなものがあると思いますけれども、これは時間がなくて全部御説明できませんので、時間があればお読みくださればありがたいと思います。
いじめ問題なんですけれども、例えば、この間、十一月六日に、文科省の大臣あてに、いじめ自殺予告というのがありました。この問題に関してどんなことが言えるんだろうかということで、レジュメの一番のところ、「行為の意味するもの」というので、僕が深刻だなと思ったのは、学校と教師、行政、大人への不信の表明と、今、教育行政が機能不全の状況に陥ってきた、大人全体も信頼されなくなってきたということの証明であって、これはある意味では国家的な危機だろうというふうに思います。
大臣のところにしか訴えることができない。これまでの私の現場感覚ですと、市長さんだとか町長だとか、せいぜい行っても知事さんどまりだったんですけれども、飛び越して大臣に直訴しなければならないような感覚に陥っているとしたら、これはどうしたことだろうというふうに思います。
そういう中で文科省のとられた機敏な対応、深夜の十二時十五分からの記者会見、局長がされましたけれども、あれは、僕はめったに文科省を褒めることはないんですけれども、本当に二百点を上げてもいいぐらいの動きだったというふうに僕は思います。非常に助けられました。
それはなぜかといいますと、いじめられっ子全体への励ましになったんだ。あれはだれかということが特定できなくても、そんなことは僕はどうでもいい問題だと思います。あの子供と同じような心境になっている子供が千、二千人といるわけですね。そういう子たちが、ああ、文科省が動いてくれた、大人が動いてくれた、通じるんだ、そういうメッセージを、本気を示したというのは、僕は極めてすぐれていたというふうに思います。大人への信頼を回復できる契機になればというふうに思います。
それから、もう一つ僕が願っていることは、地方の教育行政がこの間さまざま問題だというのは皆さん意見が一致しているところのように思いますけれども、そこに対する、目覚まし効果というふうにネーミングしたらいいんでしょうか、目を覚ませ、教育行政の役割は何か、文部科学省ですらああいう動きをとったでしょう、もっとしっかり子供の声を受けとめて動いてくれという目覚まし効果、あるいはモデリング効果といいますか、一つの模範になったんじゃないかなということで、すごく意味は大きい。子供の声は真っ正面から受けとめろということだろうと僕は思うんですね。
それから、七通の遺書が示しているもの。七通それぞれ読んでいきますと、悲しい事態、極めてリアルに今のいじめの深刻さというのがわかります。その中で大臣に書いているのは、いじめ自殺証明書と書かれているわけですね。いじめと因果関係があって僕は自殺するんだよというのを証明書を書いてしなければならないような事態というのは、子供の本当にぎりぎりの叫びも受けとめることができない事態に今教育界が陥っているということだろうと思います。深刻だと思っています。
今ここで緊急に求められるものは何かということをいじめ問題についてちょっとそこに整理しましたけれども、一つは、身近に助っ人がいるんだよというメッセージをまずきっちりと流すことだろう。それから、実は、いじめ問題に対する私たち国民全体の力量が非常に落ちてきたなと思うのは、今は、いじめで死ぬなというメッセージなんですね。僕もテレビに出ていて、先生どう思いますかと言われるんですが、違いますよ、いじめの加害者にいじめをやめろと言います。すぐにやめなさいというメッセージを出さなきゃいけないんです。いじめで死んじゃいかぬよ、お父さんが心配しますよというメッセージじゃないんです。いじめをやっている子にやめろと。
かつて、六年か七年前には、サッカーの選手が、「いじめ、恥ずかしいぜ」というポスターがあったと思うんです、「いじめ、やめようぜ」とか。こうなんですよ。加害者側、人権を侵害している側がやめなければならないのに、死んだらお母さんが悲しむよというメッセージを出したって、それは、自分は死ぬことすら罪なんだということをしょいながら死なせていくことになってしまうので、全然違う。やめたら被害者は救済されます、即日。ですから、加害者を許さないという毅然たる姿勢が私たちにまず必要だろうというふうに思います。
それから、加害者指導のところの力量ががたがたに今現場は落ちています。いじめで命をなくした子が出ているところで同じメンバーがまたいじめをしているという報道も一部にありますけれども、もし事実だとすれば憂うべきことです。これはどうしたんだろうと思います。
そういうことになってきている背景は何があるかといいますと、幾つかあるんですが、一番大きなものは、文科省のいじめの定義が間違っているからなんですね。文科省のいじめの定義というのはどうなっているかといいますと、こういうふうになっています。「自分より弱い者に対して一方的に、」二番目「身体的心理的攻撃を継続的に加え、」三番目「相手が深刻な苦痛を感じているもの」こうなるわけです。一九八五年のときは、それを学校が認定したというかしら認定するよという条件があったのが、九四年のところで外されたのは、僕は大きな前進だと思います。
ただ、見ていただいてわかるように、弱い者いじめでは全くないんですね。学級委員で、いじめをやめろと言っていたような子、あるいは、だれが見たってふざけだと思っているような明るい子が亡くなっているわけです。むしろ、弱い子は不登校してくれて、命は救えているんですよ。だから、そういう……ヤジいや、本当にそうなんです。だから、やはりそういう事実をしっかりと見詰めなきゃいけないと思います。強い子、よい子ほど学校に学校に突き進んでしまって、命をなくしています。こういういじめの定義そのものが間違っています、正直言いますと。なかなか修正されませんけれども。
それで、教育基本法に入ります。
教育基本法は、そういう点からいくとどういうことが言えるかといいますと、現実的な問題が教育基本法にどういうふうにしてつながってほしいかということで僕は申し上げたいんですけれども、一つは、子供への信頼感に現行の教育基本法は非常に満ちているというふうに思うんですね。前文に書かれていますけれども、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」こういうことが言える大人というのは僕はすごいと思います。次の世代に対する絶対的な信頼感、もちろん、それは私たちの教育の力というのがあるわけですけれども、これは極めてすぐれている。
それに対して僕が非常に気になっているのは、今は、国民の教育権というか、国民の側を向いた教育権、教育に体系立っているわけですね、法律全体が。それに対して、今回の与党さんの改正案というのを見ますと、これは先ほども委員からありましたけれども、国が物すごくリードをするというので、よい意味でとればそれはそれで成り立つのかわかりませんけれども、今いじめのことも言いましたように、いろいろな問題点、不十分さというのは国だっていっぱい持っているわけです。そこが法律をつくり、そしてそれを今度地方が通達、通達と現場へ流していくわけですね。そのときには極めて硬直した事態になって、これは国家の教育権に質が変わってしまう、今の国民の教育権から国家の教育権になってしまうんじゃないかという危惧を抱きます。もちろん、委員の先生方の善意というのはすごくわかっているつもりですけれども。
法律に定めるところというのも、解釈によると法に従ってというのでおかしくはないんですけれども、ただ、法律をつくるのはやはり議会でつくっていくわけですから、そこのミスリードなんてないとは限らないわけですね、これまでも歴史的に見たときに。だから、直接国民に責任を負って行われるべきものという現行のこの考えというのは、僕は極めて質が高いと思っています。
教育条理概念というのがありますけれども、教育というのは、子供の人格の形成、それから子供の発達に責任を負うというところが基本ですけれども、それに責任を負えるのは現場の教師、あくまでも現場サイドなんですね。そこを支援していく教育行政のあり方というのを第十条で明確に書かれていますけれども、これは僕はうんと大事にすべきだろうというふうに思います。
それから、現場教師の感覚でいいますと、あと一つ気になるところ、幾つも申し上げたいことはあるんですけれども、第六条のところで、学校生活を営む上で必要な規律を、教育を受ける者、つまり生徒は守らなきゃいけないというのを、こんなレベルの高い理念法で書くものだろうかということを思いますね。それは学校の教育目標であっていいわけで、何か、非常に僕は権威を落としてしまうものだろうというふうに思います。
それから、第二条の教育の目標なんですけれども、この目標が目標になっているんだろうかということです。
よく見てください。五つ目標を掲げておられます。二十の徳目がありますけれども、「真理を求める態度」です。それから、「勤労を重んずる態度」なんですね。三番目は、「社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」です。どれも態度、態度というのが非常に僕は現場感覚で気になるんです。
態度というと、現場の教師は評価項目をすぐつくるんですね、目標を決めたら評価しなきゃいけませんから。そうするとどういうことが行われるかというと、形式的な形を求めていくわけです。規律を守る態度だったらば、遅刻をしないで、いるかということで、心というかしら、人格の形成だとか感性の形成とは離れていくんですよ。何か、現場の悲しいさがかもわかりませんけれども、離れていきます。愛国心の問題もそうです。態度でいいんだろうといったら、本当に国を愛する祖国愛の気持ちなんて、僕は大事だと思いますけれども、それは育っていかない、態度さえとっていればいいのかとなったら。いや、皆さんは変だと思われると思うんですが、現場感覚ではそうなんです。
そういう点で非常に慎重な審議をしていただきたいというのが私の願いです。
以上、終わらせていただきます。ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →最初に簡単に自己紹介させていただきますと、私は、現在は法政で教授職についていますけれども、その前二十二年間は中学校、高校の教師をやっていまして、現場のことはある意味で熟知しているつもりです。その後、いろいろな評論家にもなりまして、全国二千カ所以上にわたって駆けずり回って歩いております。北海道から沖縄まで、すべての県に伺っているんですけれども、きょうはそういう立場から、ぜひ、現場の子供たちや親御さんあるいは先生方の声をお伝えするのが僕の仕事かな、そして、これまでの先生方の御議論に何か役に立てばというようなスタンスで参りました。
僕の専門は、臨床教育学といいまして、いじめ問題、学級崩壊、校内暴力とかあるいは引きこもり、ニート問題、こういうところが専門です。大学ではキャリア教育の方も携わっていますけれども、そういうところからきょうはぜひお話をしていきたいと思います。
この間、けさもニュースになっていましたけれども、高校の履修漏れの問題、これが大きく報道されています。僕はこれは重大な問題だというふうに思っています。既に二人の校長先生が責任を感じて命をなくされるという事態にも陥っています。
けさの報道によりますと、履修漏れ自体、今回初めてわかったことではなくて、既に四年前に文科省の調査で報告が行っている。医学部や歯学部の学生においては二〇%—三〇%にもわたって世界史を履修していなかったとか、文学部でも一〇%もあるとかいうことが言われていますし、それから、東京都はこの間の調査で電話で私学に対して確認をしていたとか、本当にずさんな行政の問題というのが僕は非常にクローズアップされているんじゃないかというふうに思います。
そのことが実はどういう問題に発展しているのかということなんですが、子供たちだとかあるいは学生に物すごく痛手になっているんですね。私の大学生を通して調査しました。そうしたら、まだまだ新聞では報道されていない学校が潜っています。だから、正確にデータをとったら、驚くような事態になりかねないというふうに思っています。
その中で、学生たちは、自分の学校が正直に言っていないという苦しみを持っているわけです。それから、先生、私は法政大学の許可を取り消されるんでしょうかと、二年生、三年生も涙ぐんで言います。つまり、ああ、ラッキー、得したねというふうに言うかなと思ったら、違うんですね。やはり非常に学生や子供たちというのは誠実で、自分は何かずるをしたんじゃないかと、それは子供たちの責任では全くないわけですけれども、非常に後ろめたい気持ちになっている。
これでいいんだろうかと思いました。僕は、もっと、ああ、得したと思ってくれた方がありがたいと思ったんですけれども、みんな傷ついているわけですね。そして、受験を控える今回発覚した学校はこれから補習に入るという、大変また衝撃的な出来事になったわけです。
この問題というのは一体だれの責任かといったら、子供たちに責任ないんですね。そういう点で、教育基本法の問題も、もう本当にしっかり現場に根差して考えていただければというふうに思います。
そういう中で、例えば現場の校長先生なんかはどういうふうにお考えかということなんですが、ことしの七月、八月に、東京大学の基礎学力研究開発センターというところが全国一万の小中の先生方にアンケート調査をしました。その結果が新聞発表、九月三日付に載っていますけれども、それによりますと、例えば、この教育基本法の改正案の問題に対してですけれども、「教育基本法改正案に賛成」かという設問に対して、「そう思わない」と答えた校長が五二・二%もおられます。もっと強く、「全くそう思わない」という方が一三・九%。トータルすると六六・一%にも及ぶ。現場の校長たちがこうだということは、僕は深刻な問題だろうと思うんですね。一方、政府の改正案に対して強く賛成だという方はわずか一・三%です。それから、もうちょっと緩やかに、「そう思う」という方は三二・六%しかおられません。これは、理解が行き渡っていないとか、いろいろな考えはあると思いますけれども、この事実はきっちり受けとめなきゃならないだろう。
僕は、評論家の立場で全国を駆けめぐって、メディアの方ともおつき合いとかいろいろあるわけですけれども、この委員会で議論をしてくださってから、どんどんこの改正案やいろいろな案が読まれています。それで驚くことは何かといいますと、本当に失礼になったら困っちゃうんですけれども、反対という声が、急速に風が吹いてきているんですね。これは一体何だろう。今まで知らなかったけれども、改正案を読んでみたら、あら、これは心配だ。反対というより心配という声が圧倒的に多いですね。そこら辺はぜひよく考えていただいて、丁寧な議論をしていただきたいというのが僕の今の立場なんです。
例えば、そのときに同時に聞かれていることで、教育改革が早過ぎて現場がついていけないという方が八五%もおられます。これは、僕も現場で長かったからわかりますけれども、本当に矢継ぎ早の改革です。それから、教育問題が政治化され過ぎているんじゃないかという方も六六%もおられて、現場の校長さんたちとかなり乖離が出てきているという問題はしっかり訴えたいというふうに思います。
では、具体的に、僕は臨床家ですので、いじめ問題を例にとってちょっと考えてみたいと思うんです。
きょうのレジュメは、いじめ問題に特化してつくってあります。レジュメ二枚と資料、B4判の大きなものがあると思いますけれども、これは時間がなくて全部御説明できませんので、時間があればお読みくださればありがたいと思います。
いじめ問題なんですけれども、例えば、この間、十一月六日に、文科省の大臣あてに、いじめ自殺予告というのがありました。この問題に関してどんなことが言えるんだろうかということで、レジュメの一番のところ、「行為の意味するもの」というので、僕が深刻だなと思ったのは、学校と教師、行政、大人への不信の表明と、今、教育行政が機能不全の状況に陥ってきた、大人全体も信頼されなくなってきたということの証明であって、これはある意味では国家的な危機だろうというふうに思います。
大臣のところにしか訴えることができない。これまでの私の現場感覚ですと、市長さんだとか町長だとか、せいぜい行っても知事さんどまりだったんですけれども、飛び越して大臣に直訴しなければならないような感覚に陥っているとしたら、これはどうしたことだろうというふうに思います。
そういう中で文科省のとられた機敏な対応、深夜の十二時十五分からの記者会見、局長がされましたけれども、あれは、僕はめったに文科省を褒めることはないんですけれども、本当に二百点を上げてもいいぐらいの動きだったというふうに僕は思います。非常に助けられました。
それはなぜかといいますと、いじめられっ子全体への励ましになったんだ。あれはだれかということが特定できなくても、そんなことは僕はどうでもいい問題だと思います。あの子供と同じような心境になっている子供が千、二千人といるわけですね。そういう子たちが、ああ、文科省が動いてくれた、大人が動いてくれた、通じるんだ、そういうメッセージを、本気を示したというのは、僕は極めてすぐれていたというふうに思います。大人への信頼を回復できる契機になればというふうに思います。
それから、もう一つ僕が願っていることは、地方の教育行政がこの間さまざま問題だというのは皆さん意見が一致しているところのように思いますけれども、そこに対する、目覚まし効果というふうにネーミングしたらいいんでしょうか、目を覚ませ、教育行政の役割は何か、文部科学省ですらああいう動きをとったでしょう、もっとしっかり子供の声を受けとめて動いてくれという目覚まし効果、あるいはモデリング効果といいますか、一つの模範になったんじゃないかなということで、すごく意味は大きい。子供の声は真っ正面から受けとめろということだろうと僕は思うんですね。
それから、七通の遺書が示しているもの。七通それぞれ読んでいきますと、悲しい事態、極めてリアルに今のいじめの深刻さというのがわかります。その中で大臣に書いているのは、いじめ自殺証明書と書かれているわけですね。いじめと因果関係があって僕は自殺するんだよというのを証明書を書いてしなければならないような事態というのは、子供の本当にぎりぎりの叫びも受けとめることができない事態に今教育界が陥っているということだろうと思います。深刻だと思っています。
今ここで緊急に求められるものは何かということをいじめ問題についてちょっとそこに整理しましたけれども、一つは、身近に助っ人がいるんだよというメッセージをまずきっちりと流すことだろう。それから、実は、いじめ問題に対する私たち国民全体の力量が非常に落ちてきたなと思うのは、今は、いじめで死ぬなというメッセージなんですね。僕もテレビに出ていて、先生どう思いますかと言われるんですが、違いますよ、いじめの加害者にいじめをやめろと言います。すぐにやめなさいというメッセージを出さなきゃいけないんです。いじめで死んじゃいかぬよ、お父さんが心配しますよというメッセージじゃないんです。いじめをやっている子にやめろと。
かつて、六年か七年前には、サッカーの選手が、「いじめ、恥ずかしいぜ」というポスターがあったと思うんです、「いじめ、やめようぜ」とか。こうなんですよ。加害者側、人権を侵害している側がやめなければならないのに、死んだらお母さんが悲しむよというメッセージを出したって、それは、自分は死ぬことすら罪なんだということをしょいながら死なせていくことになってしまうので、全然違う。やめたら被害者は救済されます、即日。ですから、加害者を許さないという毅然たる姿勢が私たちにまず必要だろうというふうに思います。
それから、加害者指導のところの力量ががたがたに今現場は落ちています。いじめで命をなくした子が出ているところで同じメンバーがまたいじめをしているという報道も一部にありますけれども、もし事実だとすれば憂うべきことです。これはどうしたんだろうと思います。
そういうことになってきている背景は何があるかといいますと、幾つかあるんですが、一番大きなものは、文科省のいじめの定義が間違っているからなんですね。文科省のいじめの定義というのはどうなっているかといいますと、こういうふうになっています。「自分より弱い者に対して一方的に、」二番目「身体的心理的攻撃を継続的に加え、」三番目「相手が深刻な苦痛を感じているもの」こうなるわけです。一九八五年のときは、それを学校が認定したというかしら認定するよという条件があったのが、九四年のところで外されたのは、僕は大きな前進だと思います。
ただ、見ていただいてわかるように、弱い者いじめでは全くないんですね。学級委員で、いじめをやめろと言っていたような子、あるいは、だれが見たってふざけだと思っているような明るい子が亡くなっているわけです。むしろ、弱い子は不登校してくれて、命は救えているんですよ。だから、そういう……ヤジいや、本当にそうなんです。だから、やはりそういう事実をしっかりと見詰めなきゃいけないと思います。強い子、よい子ほど学校に学校に突き進んでしまって、命をなくしています。こういういじめの定義そのものが間違っています、正直言いますと。なかなか修正されませんけれども。
それで、教育基本法に入ります。
教育基本法は、そういう点からいくとどういうことが言えるかといいますと、現実的な問題が教育基本法にどういうふうにしてつながってほしいかということで僕は申し上げたいんですけれども、一つは、子供への信頼感に現行の教育基本法は非常に満ちているというふうに思うんですね。前文に書かれていますけれども、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」こういうことが言える大人というのは僕はすごいと思います。次の世代に対する絶対的な信頼感、もちろん、それは私たちの教育の力というのがあるわけですけれども、これは極めてすぐれている。
それに対して僕が非常に気になっているのは、今は、国民の教育権というか、国民の側を向いた教育権、教育に体系立っているわけですね、法律全体が。それに対して、今回の与党さんの改正案というのを見ますと、これは先ほども委員からありましたけれども、国が物すごくリードをするというので、よい意味でとればそれはそれで成り立つのかわかりませんけれども、今いじめのことも言いましたように、いろいろな問題点、不十分さというのは国だっていっぱい持っているわけです。そこが法律をつくり、そしてそれを今度地方が通達、通達と現場へ流していくわけですね。そのときには極めて硬直した事態になって、これは国家の教育権に質が変わってしまう、今の国民の教育権から国家の教育権になってしまうんじゃないかという危惧を抱きます。もちろん、委員の先生方の善意というのはすごくわかっているつもりですけれども。
法律に定めるところというのも、解釈によると法に従ってというのでおかしくはないんですけれども、ただ、法律をつくるのはやはり議会でつくっていくわけですから、そこのミスリードなんてないとは限らないわけですね、これまでも歴史的に見たときに。だから、直接国民に責任を負って行われるべきものという現行のこの考えというのは、僕は極めて質が高いと思っています。
教育条理概念というのがありますけれども、教育というのは、子供の人格の形成、それから子供の発達に責任を負うというところが基本ですけれども、それに責任を負えるのは現場の教師、あくまでも現場サイドなんですね。そこを支援していく教育行政のあり方というのを第十条で明確に書かれていますけれども、これは僕はうんと大事にすべきだろうというふうに思います。
それから、現場教師の感覚でいいますと、あと一つ気になるところ、幾つも申し上げたいことはあるんですけれども、第六条のところで、学校生活を営む上で必要な規律を、教育を受ける者、つまり生徒は守らなきゃいけないというのを、こんなレベルの高い理念法で書くものだろうかということを思いますね。それは学校の教育目標であっていいわけで、何か、非常に僕は権威を落としてしまうものだろうというふうに思います。
それから、第二条の教育の目標なんですけれども、この目標が目標になっているんだろうかということです。
よく見てください。五つ目標を掲げておられます。二十の徳目がありますけれども、「真理を求める態度」です。それから、「勤労を重んずる態度」なんですね。三番目は、「社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」です。どれも態度、態度というのが非常に僕は現場感覚で気になるんです。
態度というと、現場の教師は評価項目をすぐつくるんですね、目標を決めたら評価しなきゃいけませんから。そうするとどういうことが行われるかというと、形式的な形を求めていくわけです。規律を守る態度だったらば、遅刻をしないで、いるかということで、心というかしら、人格の形成だとか感性の形成とは離れていくんですよ。何か、現場の悲しいさがかもわかりませんけれども、離れていきます。愛国心の問題もそうです。態度でいいんだろうといったら、本当に国を愛する祖国愛の気持ちなんて、僕は大事だと思いますけれども、それは育っていかない、態度さえとっていればいいのかとなったら。いや、皆さんは変だと思われると思うんですが、現場感覚ではそうなんです。
そういう点で非常に慎重な審議をしていただきたいというのが私の願いです。
以上、終わらせていただきます。ありがとうございました。拍手
森
藤
藤田英典#8
○藤田参考人 御紹介いただきました藤田です。
本日は、ここで私の意見を申し上げる機会を与えられましたこと、非常に光栄に思いますと同時に、感謝申し上げます。
時間が限られておりますので、基本的にはお手元にありますレジュメに即してお話し申し上げたいと思いますが、構成は大きく二つに分かれております。前半は、今なぜ教育基本法を変えるのか、また、変える必要があるのか。そして後半では、主として与党・政府の教育基本法案の問題点について私見を申し上げたいと思います。
まず初めに、私は、教育基本法の見直しあるいは改定をしてはいけないと主張するものではありません。また、公共の精神や道徳心、あるいはまた集団、もちろんこれは国や郷土を含みますが、そういったものへの帰属心、愛着、あるいは誇りといったものが極めて重要だと考えております。
私の専門は教育社会学でありますけれども、こういった問題については、十九世紀、近代社会が発展するプロセスの中で、絶えずその重要性が指摘されてきたことであります。その点で、私は、この重要性を否定するものではないということを最初に申し上げておきたいと思います。
では、次に現行教育基本法ですが、これを今変える必要があるのか、どうしても変えなければいけない理由があるのかという点でありますが、私は、その必要性は全くない、何ら現行法で不都合はないと考えております。
まず、戦後六十年、日本の教育の発展を支えてきた教育の根本法であります。そして、その点で準憲法というふうにも言われております。
それから、この間、さまざまな形で、場で言われております教育にかかわる諸問題、いじめ自殺、未履修問題、校内暴力、学級崩壊、不登校、少年犯罪、あるいは規範意識の低下、ニート問題、少子化問題、どれを取り上げても、現行の教育基本法のせいで起こっている問題ではありません。根拠は、私の文献を含めて、いろいろなところでいろいろな方が論じているところであります。さらには、教育基本法を変えても、そして与党・政府案が仮に成立したとしても、これらの問題が解決されるわけではない、そう言ってまず間違いないと私は考えております。
さらに、そういったさまざまな問題に対する対応、また、変わる時代や社会への対応、そしてそのための改革というものも、現行教育基本法がそれを妨げているわけではありません。それは、そこにも書いておきましたように、この五年間あるいはこの十五年間ほど、実にさまざまな、ラジカルな重要な改革が進められてきております。そのすべてが現行基本法のもとで進められているわけでありますから、基本法を変えなくても、必要であるならば、さまざまな法律の改正やあるいは改革というものができるということでありますから、そこのところをまず考えるべきだというふうに思います。
三点目に、現行基本法の基本的な性格と卓越性でありますが、現行法は、教育の基本理念と学校教育の基本的枠組み、そして教育行政の責務、義務を規定したものであります。
これは今さら言うまでもないことでありますが、教育は極めて重要であり、国民的な大事業でありますけれども、しかし、公の権力がかかわって、教育行政あるいは政治がかかわってその内容を定め、人格の形成を行うものでありますから、そこに特定の、さまざまな政治的な意向や社会的な偏った意見が反映し、それを公の権力の名のもとに強制するということがあってはいけない。だからこそ、それに対する歯どめ規定をかけているのが現行教育基本法であります。その点が極めて重要でありますが、その点について、改正の法案というのはさまざまな問題を含んでおります。後で申し上げます。
この点は、現行教育基本法、そこにも書きました、そういう意味で立憲主義的な性格を持っているものであり、憲法第九十九条の憲法尊重擁護義務に則した内容あるいは規定の仕方になっております。
四点目に、教育基本法は多くの国民にとって空気のような存在であったと言っていいだろうと思いますが、それは、現行教育基本法が十分な酸素を含んでおり、そしてまた特に汚染されてはいなかったから、だからこそこの六十年間、日本の教育と社会の発展を支える根本法になってきたのだというふうに私は考えております。
しかし、もし、これに汚染源が注入され、汚染されるようなことになるならば、あるいはまた酸素不足になるようなことがあるならば、日本の教育の現場は、豊かさとおおらかさと自由を失い、さまざまな問題をさらに加速させることにもなりかねないと思います。そしてまた、酸素不足や汚染というのは、それが起こって初めて気づくものであります。そして、それに気づいたときに、教育基本法はそうそう簡単に変えられるものではありませんから、それだけに、この問題は極めて重要だというふうに思います。
そのようなわけで、私は、拙速に無責任な決定をしないようにしていただきたいと切にお願い申し上げます。国民の優に過半数は拙速な決定をすべきではないというふうに、各種の世論調査でも示されております。
そしてまた、改定をめぐる争点あるいは問題点というものが国民に必ずしも十分に理解されているようには私には思えません。さらには、この基本法案がはらんでいる問題、そして、特にそれが成立し施行された場合にどういう問題が具体的に起こってくるかの検討を含めてきちっと検討がされているようには今のところ私には見えないんですが、これからぜひ、そういったことも含めて検討していただければと思います。
次に、政府・与党の教育基本法案の問題点を検討したいと思います。
なお、民主党も新法要綱を出しておりますが、以下に挙げます問題点の多くは、民主党の新法要綱の方は徳目等については政府案以上に書いてはおりますが、以下の諸点の特に一番目、二番目、三番目それぞれについて、法的にはかなり配慮がなされているというふうに私は考えております。
一応そういったことを申し上げて、政府・与党案を中心に考えてみたいと思います。
まず第一の問題点として、教育目標としての徳目、態度が列挙されており、それは国民に対する命令規範という性格のものになっている、そのことの危険性であります。公共の精神、前文あるいは第二条。伝統の強調。そして、特に法案第二条、教育の目標のところでありますが、第五項、我が国と郷土を愛する態度。第四項、生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度。第三項、社会の発展に寄与する態度。第二項、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度。第一項、真理を求める態度というふうになっております。
先ほども言及されましたけれども、もしかしたら、心を律するよりも態度を律することの方が、教育現場においては一律の統制になりかねない危険性があると言ってもいいかもしれません。そういう指摘もなされているところであります。
それから、法文として「職業及び生活との関連を重視し、」という部分がありますが、これは、子供がこれを重視するのか、それとも、教師、学校あるいは教育関係者がこれを重視するのか。
これは、その他の項目はすべて子供がはぐくむべき態度について書いてありますから、こういう関連を例えば小中学校の子供たちが重視してというふうにするとするならば、この文言自体が本当に妥当なものかということになりますし、逆に教師等がこれを重視すべきだということでありますならば、この法文自体が、だれを主語にし、だれを名あて人にしているかという点でも混乱を来しているようにも見受けられます。
それから、法案の第六条、必要な規律を重んじるということが学校教育に盛り込まれています。
こういったことを総合して、現行法は権力を制限する拘束規範になっているわけでありますけれども、それに対して法案の方は、国民にこのような人間になれという命令をする、そういう性質のものになっていると言っていいと思います。そのことは、そこに書いてあるとおりです。
次に、二点目といたしまして、政治、行政による不当な支配の危険性であります。
このことは、つとに指摘されておりますけれども、現行法の第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」ということで、主権在民等の基本的なルールがここに貫徹しているわけでありますけれども、法案の方は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」であるというふうになっております。
つまり、法案やさまざまな法令あるいは政令、条例、通達、そういったものを制定する政治、行政は、この不当な支配の行使主体から外されているということになります。これは大きな転換でありますから、この条文をめぐってこれまで起こってきたさまざまな問題についての解釈が変わってくることにもなる可能性があります。
そして、これまで、この条文の解釈をめぐって各種の裁判が起こったことも事実でありますが、それは、民主主義社会がそういったことを通じてより望ましいものを実現していくその手続であり、そのプロセスであり、その枠組みだということでありますから、むしろそのことを尊重すべきであって、それを理由に、この内容を明確にして行使したいから政治や行政を外すというのは、私は民主主義のルールから著しく外れるものであるというふうに考えております。
三点目に、能力主義、市場的競争原理による教育の格差化、差別化とその正当化の危険であります。
この点につきましては、既に時間がほとんどなくなっておりますので、そこに書いてあるとおりでありますが、能力ということが法案では強調されております。現行法では第三条の教育の機会に二回使われているだけでありますが、法案では、その教育の機会の条項に加えて、教育の目標を規定した第二条と義務教育を規定した第五条にも、能力、能力に応じてという表現が使われております。
そういった点で、現在進められているさまざまな能力主義的あるいは市場原理主義的な競争、それに基づくそういった方向での改革と照らし合わせて考えるならば、能力が現行法以上に強調されることの中に、そしてもう一方で家庭の責任が強調されることの中に、格差化、差別化を推し進め、その結果については、特に不利な状況、冷遇される状況に追い込まれる子供たちにとっては、その責任は自己責任であり、家庭の責任だということにもなりかねない、そういう構造になっているとも読むことができます。
最後に、教育は未完のプロジェクトです。
さまざまな人たちが、教職員を含めてですけれども、支え続けてこそ成功する可能性が開けていくものであります。教育基本法を変えたからといって、あるいは改革を進めたからといって、それで成功するというものではありません。そのためには、必要かつ適切な改革を進めることはもちろん重要でありますが、同時に、条件整備と支援の充実が重要であります。
最後に、この教育基本法の問題は、日本の知性と英知が試されているんだと思います。政治の良識と責任が今問われているんだと思います。責任ある十分な審議と賢明な判断を期待して、私の発言とさせていただきます。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、ここで私の意見を申し上げる機会を与えられましたこと、非常に光栄に思いますと同時に、感謝申し上げます。
時間が限られておりますので、基本的にはお手元にありますレジュメに即してお話し申し上げたいと思いますが、構成は大きく二つに分かれております。前半は、今なぜ教育基本法を変えるのか、また、変える必要があるのか。そして後半では、主として与党・政府の教育基本法案の問題点について私見を申し上げたいと思います。
まず初めに、私は、教育基本法の見直しあるいは改定をしてはいけないと主張するものではありません。また、公共の精神や道徳心、あるいはまた集団、もちろんこれは国や郷土を含みますが、そういったものへの帰属心、愛着、あるいは誇りといったものが極めて重要だと考えております。
私の専門は教育社会学でありますけれども、こういった問題については、十九世紀、近代社会が発展するプロセスの中で、絶えずその重要性が指摘されてきたことであります。その点で、私は、この重要性を否定するものではないということを最初に申し上げておきたいと思います。
では、次に現行教育基本法ですが、これを今変える必要があるのか、どうしても変えなければいけない理由があるのかという点でありますが、私は、その必要性は全くない、何ら現行法で不都合はないと考えております。
まず、戦後六十年、日本の教育の発展を支えてきた教育の根本法であります。そして、その点で準憲法というふうにも言われております。
それから、この間、さまざまな形で、場で言われております教育にかかわる諸問題、いじめ自殺、未履修問題、校内暴力、学級崩壊、不登校、少年犯罪、あるいは規範意識の低下、ニート問題、少子化問題、どれを取り上げても、現行の教育基本法のせいで起こっている問題ではありません。根拠は、私の文献を含めて、いろいろなところでいろいろな方が論じているところであります。さらには、教育基本法を変えても、そして与党・政府案が仮に成立したとしても、これらの問題が解決されるわけではない、そう言ってまず間違いないと私は考えております。
さらに、そういったさまざまな問題に対する対応、また、変わる時代や社会への対応、そしてそのための改革というものも、現行教育基本法がそれを妨げているわけではありません。それは、そこにも書いておきましたように、この五年間あるいはこの十五年間ほど、実にさまざまな、ラジカルな重要な改革が進められてきております。そのすべてが現行基本法のもとで進められているわけでありますから、基本法を変えなくても、必要であるならば、さまざまな法律の改正やあるいは改革というものができるということでありますから、そこのところをまず考えるべきだというふうに思います。
三点目に、現行基本法の基本的な性格と卓越性でありますが、現行法は、教育の基本理念と学校教育の基本的枠組み、そして教育行政の責務、義務を規定したものであります。
これは今さら言うまでもないことでありますが、教育は極めて重要であり、国民的な大事業でありますけれども、しかし、公の権力がかかわって、教育行政あるいは政治がかかわってその内容を定め、人格の形成を行うものでありますから、そこに特定の、さまざまな政治的な意向や社会的な偏った意見が反映し、それを公の権力の名のもとに強制するということがあってはいけない。だからこそ、それに対する歯どめ規定をかけているのが現行教育基本法であります。その点が極めて重要でありますが、その点について、改正の法案というのはさまざまな問題を含んでおります。後で申し上げます。
この点は、現行教育基本法、そこにも書きました、そういう意味で立憲主義的な性格を持っているものであり、憲法第九十九条の憲法尊重擁護義務に則した内容あるいは規定の仕方になっております。
四点目に、教育基本法は多くの国民にとって空気のような存在であったと言っていいだろうと思いますが、それは、現行教育基本法が十分な酸素を含んでおり、そしてまた特に汚染されてはいなかったから、だからこそこの六十年間、日本の教育と社会の発展を支える根本法になってきたのだというふうに私は考えております。
しかし、もし、これに汚染源が注入され、汚染されるようなことになるならば、あるいはまた酸素不足になるようなことがあるならば、日本の教育の現場は、豊かさとおおらかさと自由を失い、さまざまな問題をさらに加速させることにもなりかねないと思います。そしてまた、酸素不足や汚染というのは、それが起こって初めて気づくものであります。そして、それに気づいたときに、教育基本法はそうそう簡単に変えられるものではありませんから、それだけに、この問題は極めて重要だというふうに思います。
そのようなわけで、私は、拙速に無責任な決定をしないようにしていただきたいと切にお願い申し上げます。国民の優に過半数は拙速な決定をすべきではないというふうに、各種の世論調査でも示されております。
そしてまた、改定をめぐる争点あるいは問題点というものが国民に必ずしも十分に理解されているようには私には思えません。さらには、この基本法案がはらんでいる問題、そして、特にそれが成立し施行された場合にどういう問題が具体的に起こってくるかの検討を含めてきちっと検討がされているようには今のところ私には見えないんですが、これからぜひ、そういったことも含めて検討していただければと思います。
次に、政府・与党の教育基本法案の問題点を検討したいと思います。
なお、民主党も新法要綱を出しておりますが、以下に挙げます問題点の多くは、民主党の新法要綱の方は徳目等については政府案以上に書いてはおりますが、以下の諸点の特に一番目、二番目、三番目それぞれについて、法的にはかなり配慮がなされているというふうに私は考えております。
一応そういったことを申し上げて、政府・与党案を中心に考えてみたいと思います。
まず第一の問題点として、教育目標としての徳目、態度が列挙されており、それは国民に対する命令規範という性格のものになっている、そのことの危険性であります。公共の精神、前文あるいは第二条。伝統の強調。そして、特に法案第二条、教育の目標のところでありますが、第五項、我が国と郷土を愛する態度。第四項、生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度。第三項、社会の発展に寄与する態度。第二項、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度。第一項、真理を求める態度というふうになっております。
先ほども言及されましたけれども、もしかしたら、心を律するよりも態度を律することの方が、教育現場においては一律の統制になりかねない危険性があると言ってもいいかもしれません。そういう指摘もなされているところであります。
それから、法文として「職業及び生活との関連を重視し、」という部分がありますが、これは、子供がこれを重視するのか、それとも、教師、学校あるいは教育関係者がこれを重視するのか。
これは、その他の項目はすべて子供がはぐくむべき態度について書いてありますから、こういう関連を例えば小中学校の子供たちが重視してというふうにするとするならば、この文言自体が本当に妥当なものかということになりますし、逆に教師等がこれを重視すべきだということでありますならば、この法文自体が、だれを主語にし、だれを名あて人にしているかという点でも混乱を来しているようにも見受けられます。
それから、法案の第六条、必要な規律を重んじるということが学校教育に盛り込まれています。
こういったことを総合して、現行法は権力を制限する拘束規範になっているわけでありますけれども、それに対して法案の方は、国民にこのような人間になれという命令をする、そういう性質のものになっていると言っていいと思います。そのことは、そこに書いてあるとおりです。
次に、二点目といたしまして、政治、行政による不当な支配の危険性であります。
このことは、つとに指摘されておりますけれども、現行法の第十条「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」ということで、主権在民等の基本的なルールがここに貫徹しているわけでありますけれども、法案の方は、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」であるというふうになっております。
つまり、法案やさまざまな法令あるいは政令、条例、通達、そういったものを制定する政治、行政は、この不当な支配の行使主体から外されているということになります。これは大きな転換でありますから、この条文をめぐってこれまで起こってきたさまざまな問題についての解釈が変わってくることにもなる可能性があります。
そして、これまで、この条文の解釈をめぐって各種の裁判が起こったことも事実でありますが、それは、民主主義社会がそういったことを通じてより望ましいものを実現していくその手続であり、そのプロセスであり、その枠組みだということでありますから、むしろそのことを尊重すべきであって、それを理由に、この内容を明確にして行使したいから政治や行政を外すというのは、私は民主主義のルールから著しく外れるものであるというふうに考えております。
三点目に、能力主義、市場的競争原理による教育の格差化、差別化とその正当化の危険であります。
この点につきましては、既に時間がほとんどなくなっておりますので、そこに書いてあるとおりでありますが、能力ということが法案では強調されております。現行法では第三条の教育の機会に二回使われているだけでありますが、法案では、その教育の機会の条項に加えて、教育の目標を規定した第二条と義務教育を規定した第五条にも、能力、能力に応じてという表現が使われております。
そういった点で、現在進められているさまざまな能力主義的あるいは市場原理主義的な競争、それに基づくそういった方向での改革と照らし合わせて考えるならば、能力が現行法以上に強調されることの中に、そしてもう一方で家庭の責任が強調されることの中に、格差化、差別化を推し進め、その結果については、特に不利な状況、冷遇される状況に追い込まれる子供たちにとっては、その責任は自己責任であり、家庭の責任だということにもなりかねない、そういう構造になっているとも読むことができます。
最後に、教育は未完のプロジェクトです。
さまざまな人たちが、教職員を含めてですけれども、支え続けてこそ成功する可能性が開けていくものであります。教育基本法を変えたからといって、あるいは改革を進めたからといって、それで成功するというものではありません。そのためには、必要かつ適切な改革を進めることはもちろん重要でありますが、同時に、条件整備と支援の充実が重要であります。
最後に、この教育基本法の問題は、日本の知性と英知が試されているんだと思います。政治の良識と責任が今問われているんだと思います。責任ある十分な審議と賢明な判断を期待して、私の発言とさせていただきます。
どうもありがとうございました。拍手
森
森
町
町村信孝#11
○町村委員 自由民主党の町村でございます。
きょうは、まず、四人の参考人の皆さん方、御多忙の中御出席をいただいたこと、私ども委員の方からも御礼を申し上げます。四人の先生方には、私も文部大臣当時からいろいろな面で御指導をいただいてまいりましたことも、あわせて御礼を申し上げます。
時間に限りがございますので、きょうは、主として池田参考人、若月参考人にお伺いをしたい、こう思っております。
お手元に、大変僣越でございますけれども、資料として教育新生プランというものを配らせてもらいました。これは、教育改革国民会議が小渕内閣のもとででき、それを受けて、ちょうど私が文部大臣のとき、平成十三年一月、やや六年前のことになりますけれども、この教育新生プランというものをつくりました。
ここで、今いろいろ問題になっておりますこと、未履修の問題があったかどうか、あるいはバウチャーという言葉があったかどうかは別にしまして、ほとんどのテーマといいましょうか、課題がこの中に触れられておりますし、基本的な問題意識については、この基本的な考え方という一ページ目のところに、私、これは自分で書いたのでよく覚えておりますけれども、日本の教育は危機に瀕しているということに始まりまして、公を軽視すること、あるいは行き過ぎた平等主義による教育の画一化等々の問題意識が書いてあり、最後のところに、教育基本法をやはり改正すべきであるということ。これは国民会議の御意見であると同時に、政府としてもこれに取り組もうという決意をこういう形で示してありますので、ひとつ、これは委員の皆様方にも、あらかたの問題がここに触れられているのだ、これをしっかりやっていくと同時に、新しく今度再生会議ができたということであるということを御認識いただければと思います。
まず、池田参考人にお伺いいたしますが、再生会議というものが、安倍内閣のもとで大きな期待を集めながら出発をしたわけでございます。
まだ立ち上がったばかりでございますし、これから議論が深められていく段階でございましょうから、再生会議としての意見はどうですかというお伺いをしても、まだそれには時期尚早なんだろうと思いますが、大体どういうスケジュールでこの再生会議が今後活動していこうとしておられるのか。まだこれもコンセンサスがないならないで結構でございますが、あるいは、座長代理としてのお立場でどんなことをアウトラインとして考えておられるのか、お考えがあれば教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →きょうは、まず、四人の参考人の皆さん方、御多忙の中御出席をいただいたこと、私ども委員の方からも御礼を申し上げます。四人の先生方には、私も文部大臣当時からいろいろな面で御指導をいただいてまいりましたことも、あわせて御礼を申し上げます。
時間に限りがございますので、きょうは、主として池田参考人、若月参考人にお伺いをしたい、こう思っております。
お手元に、大変僣越でございますけれども、資料として教育新生プランというものを配らせてもらいました。これは、教育改革国民会議が小渕内閣のもとででき、それを受けて、ちょうど私が文部大臣のとき、平成十三年一月、やや六年前のことになりますけれども、この教育新生プランというものをつくりました。
ここで、今いろいろ問題になっておりますこと、未履修の問題があったかどうか、あるいはバウチャーという言葉があったかどうかは別にしまして、ほとんどのテーマといいましょうか、課題がこの中に触れられておりますし、基本的な問題意識については、この基本的な考え方という一ページ目のところに、私、これは自分で書いたのでよく覚えておりますけれども、日本の教育は危機に瀕しているということに始まりまして、公を軽視すること、あるいは行き過ぎた平等主義による教育の画一化等々の問題意識が書いてあり、最後のところに、教育基本法をやはり改正すべきであるということ。これは国民会議の御意見であると同時に、政府としてもこれに取り組もうという決意をこういう形で示してありますので、ひとつ、これは委員の皆様方にも、あらかたの問題がここに触れられているのだ、これをしっかりやっていくと同時に、新しく今度再生会議ができたということであるということを御認識いただければと思います。
まず、池田参考人にお伺いいたしますが、再生会議というものが、安倍内閣のもとで大きな期待を集めながら出発をしたわけでございます。
まだ立ち上がったばかりでございますし、これから議論が深められていく段階でございましょうから、再生会議としての意見はどうですかというお伺いをしても、まだそれには時期尚早なんだろうと思いますが、大体どういうスケジュールでこの再生会議が今後活動していこうとしておられるのか。まだこれもコンセンサスがないならないで結構でございますが、あるいは、座長代理としてのお立場でどんなことをアウトラインとして考えておられるのか、お考えがあれば教えていただきたいと思います。
池
池田守男#12
○池田参考人 ただいまの御指摘の点でございますけれども、町村先生のお話のとおり、私も、再生会議の委員の一人になりました段階におきまして、これまでの教育改革につきましてのいろいろなものを勉強させていただきました。中でも、今お話しの国民会議で提出されております点につきまして、特に十七項目につきましてよく精査をさせていただいているところでございます。
それを勉強させていただきますと、今日の問題はほとんどすべてその中に盛り込まれているのではないか。そのことを考えますと、それから六年ほどたっておりますが、やはりなかなか実行に移せないものもあっての今日ではなかろうか。私は、そういうことを考えまして、特にそういった土台に立ちまして再生会議があるのではないかというふうに思っております。
そして、再生会議も、お話のとおり、立ち上がったところでございまして、全体会議は既に二回開催しておりますが、いよいよ三つの分科会が御承知のように出発をいたしております。その第一、第二分科会、第一分科会は学校の再生でございます。第二分科会は、私が主査をさせていただいておりますけれども、規範意識、あるいは家庭、地域というものとの連携が中心課題でございます。第三分科会は、これは大きい意味での教育再生ということを取り扱うわけでございますので、ちょっと一歩おくれてという形になっておりますが、既に昨日、第一、第二分科会が合同で開催されて、直近の問題等を含めまして、今後のことにつきましても検討させていただいているところでございます。
そういったことで、大きい問題はそれなりに対応させていただくと同時に、特に直近の問題、いじめの問題あるいは未履修の問題等も再生会議の大きな課題の一つでございまして、その問題につきましても、既にいじめの問題につきましては再生会議としましてメッセージも発信させていただいておりますが、そういう時間軸の中で問題意識もとらえさせていただきまして、取り組ませていただいているところでございます。
そういったことで、直近の問題につきましては、これは全体の流れの中で来年の一月ぐらいに結論を出して提言させていただくことができないであろうか。それから、次のグループは大体三月ぐらいを一つの目安にさせていただいて、全体としまして大きい問題もいろいろございます、そういった問題につきましてはやはり一年がかりでというようなスケジュールを、これは内々でございますけれども、それぞれの委員が頭に持ちまして取り組ませていただいているというのが現状でございます。
以上でございます。
この発言だけを見る →それを勉強させていただきますと、今日の問題はほとんどすべてその中に盛り込まれているのではないか。そのことを考えますと、それから六年ほどたっておりますが、やはりなかなか実行に移せないものもあっての今日ではなかろうか。私は、そういうことを考えまして、特にそういった土台に立ちまして再生会議があるのではないかというふうに思っております。
そして、再生会議も、お話のとおり、立ち上がったところでございまして、全体会議は既に二回開催しておりますが、いよいよ三つの分科会が御承知のように出発をいたしております。その第一、第二分科会、第一分科会は学校の再生でございます。第二分科会は、私が主査をさせていただいておりますけれども、規範意識、あるいは家庭、地域というものとの連携が中心課題でございます。第三分科会は、これは大きい意味での教育再生ということを取り扱うわけでございますので、ちょっと一歩おくれてという形になっておりますが、既に昨日、第一、第二分科会が合同で開催されて、直近の問題等を含めまして、今後のことにつきましても検討させていただいているところでございます。
そういったことで、大きい問題はそれなりに対応させていただくと同時に、特に直近の問題、いじめの問題あるいは未履修の問題等も再生会議の大きな課題の一つでございまして、その問題につきましても、既にいじめの問題につきましては再生会議としましてメッセージも発信させていただいておりますが、そういう時間軸の中で問題意識もとらえさせていただきまして、取り組ませていただいているところでございます。
そういったことで、直近の問題につきましては、これは全体の流れの中で来年の一月ぐらいに結論を出して提言させていただくことができないであろうか。それから、次のグループは大体三月ぐらいを一つの目安にさせていただいて、全体としまして大きい問題もいろいろございます、そういった問題につきましてはやはり一年がかりでというようなスケジュールを、これは内々でございますけれども、それぞれの委員が頭に持ちまして取り組ませていただいているというのが現状でございます。
以上でございます。
町
町村信孝#13
○町村委員 もう一点、先ほど教育基本法についてのお考えも伺ったところでございますけれども、教育基本法そのものをどうするという議論をこの再生会議でやるお考えがあるのかどうか。
あるいは、今大変話題になっておりますけれども、教育委員会のあり方については既に、昨日ですか、議論になったやにも聞いておりますが、教育委員会制度そのものを今この法案で、与党案は残す、野党案は廃止するということがうたわれているわけでございますけれども、この点について、再生会議が教育委員会廃止というような姿まで取り上げるお考えがあるのかどうか。これからの議論だと言われれば、それはそういうことかもしれませんが、お考えがあれば教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →あるいは、今大変話題になっておりますけれども、教育委員会のあり方については既に、昨日ですか、議論になったやにも聞いておりますが、教育委員会制度そのものを今この法案で、与党案は残す、野党案は廃止するということがうたわれているわけでございますけれども、この点について、再生会議が教育委員会廃止というような姿まで取り上げるお考えがあるのかどうか。これからの議論だと言われれば、それはそういうことかもしれませんが、お考えがあれば教えていただきたいと思います。
池
池田守男#14
○池田参考人 再生会議で論議をさせていただいております根本の理念と申しますのは、これはやはり教育基本法でございます。現教育基本法の理念にのっとって議論をさせていただいているわけでございます。それからまた、政府案としまして今日提案されております。そういったことも十分にのっとらせていただきまして、議論を進めさせていただいているわけでございます。
ですから、あくまでも教育基本法を中心に、再生会議は、それぞれの分野におきまして、それぞれの事象に対しまして対応させていただいているというのが現状でございます。
それと、もう一点の教育委員会等の問題につきましては、昨日の分科会におきましても問題提起がいろいろな委員から出たわけでございます。
これにつきましては、いじめの問題から、今日の教育委員会の制度そのものが必ずしも有効に運用されていないのではないかということ、そういうことを考えますと、教育そのものの、教育界全体のガバナンスというものが、企業でもよく企業のガバナンスということを最近申しておりまして、今日の社会状況の中で新しいガバナンスを求めていっているわけでございます。当然、価値観も変わってきておりますので、そういう観点で、私どもも企業活動の中でそういったことを中心に据えて見直しを図っている。教育制度におきましても、やはりガバナンスというものが、教育委員会の機能一つとりましても、必ずしも有効活用されていない、有効運用されていない、そういうことからいろいろ問題が指摘されているのが事実でございます。しかしながら、少なくとも昨日の各委員の発言の中では、廃止というよりも見直しという意見が強かったというふうに私は理解をいたしております。
それから、先ほど答弁をさせていただきました一点を訂正させていただきますが、第二段階、私は三月と申しましたけれども、五月でございます。訂正をさせていただければというふうに思います。
この発言だけを見る →ですから、あくまでも教育基本法を中心に、再生会議は、それぞれの分野におきまして、それぞれの事象に対しまして対応させていただいているというのが現状でございます。
それと、もう一点の教育委員会等の問題につきましては、昨日の分科会におきましても問題提起がいろいろな委員から出たわけでございます。
これにつきましては、いじめの問題から、今日の教育委員会の制度そのものが必ずしも有効に運用されていないのではないかということ、そういうことを考えますと、教育そのものの、教育界全体のガバナンスというものが、企業でもよく企業のガバナンスということを最近申しておりまして、今日の社会状況の中で新しいガバナンスを求めていっているわけでございます。当然、価値観も変わってきておりますので、そういう観点で、私どもも企業活動の中でそういったことを中心に据えて見直しを図っている。教育制度におきましても、やはりガバナンスというものが、教育委員会の機能一つとりましても、必ずしも有効活用されていない、有効運用されていない、そういうことからいろいろ問題が指摘されているのが事実でございます。しかしながら、少なくとも昨日の各委員の発言の中では、廃止というよりも見直しという意見が強かったというふうに私は理解をいたしております。
それから、先ほど答弁をさせていただきました一点を訂正させていただきますが、第二段階、私は三月と申しましたけれども、五月でございます。訂正をさせていただければというふうに思います。
町
町村信孝#15
○町村委員 教育委員会については運用の問題である、活性化を図っていくんだ。これは新生プランの中にも実は同じ問題意識が述べられているところでありますので、大いに御議論をいただきたいと思いますが、ガバナンスの問題ということで、制度そのものの廃止という議論は今なかったという御発言がありましたので、そのように理解をいたします。再生会議の今後の十二分の活動というものに、私どもも大変大きな期待を持っているということだけ申し上げさせていただきます。
次に、若月参考人にお伺いをいたします。
政府案を大筋評価するんだという御指摘もいただきました。若月さんのおっしゃっていることと藤田さんのおっしゃっていることが大分違いがあるんだなということも、よくわかったわけでございます。
私は、若月参考人が、教育委員会のいわばモデルとして、大変熱心に、教育をよりよいものにしていきたいということでリーダーシップを発揮しておられる、全国の教育委員会が品川区のようであれば、多分もろもろの問題はほとんど起きなかったのではないかとさえ思っておりまして、若月教育長の御活躍、あるいは品川区教育委員会というものが大変によく頑張っておられることに、私は高い評価を持っているものでございます。
その中で、特に今、新しい政府案の中で、児童生徒中心主義を克服するんだという冒頭のお話がありました。これはちょっと、わかる人はわかるんですけれども、なかなかわかりづらいところがあります。
なぜかというと、子供が大切だから子供の言うとおりやればいいじゃないかという単純な、素朴な教育観を述べる人が結構いるんですね。子供と同じ目線で教育をする、だから教壇も取っ払うと。一見、何かもっともらしく聞こえるんですけれども、そこには教師としての誇りも自覚も指導力も感じられないということで、やはり戦後の教育の一つの大きな欠陥が、今、先ほど教育長が言われた児童生徒中心主義の、いい意味の中心主義ならいいんですけれども、まことに誤った中心主義というものがはびこっているというふうに私も思っておりますが、この児童生徒中心主義の克服あるいはその持つ弊害というのは具体的にどういうものなのか、もう少しわかりやすくお話をしていただくと理解が進むのではないかと思います。
この発言だけを見る →次に、若月参考人にお伺いをいたします。
政府案を大筋評価するんだという御指摘もいただきました。若月さんのおっしゃっていることと藤田さんのおっしゃっていることが大分違いがあるんだなということも、よくわかったわけでございます。
私は、若月参考人が、教育委員会のいわばモデルとして、大変熱心に、教育をよりよいものにしていきたいということでリーダーシップを発揮しておられる、全国の教育委員会が品川区のようであれば、多分もろもろの問題はほとんど起きなかったのではないかとさえ思っておりまして、若月教育長の御活躍、あるいは品川区教育委員会というものが大変によく頑張っておられることに、私は高い評価を持っているものでございます。
その中で、特に今、新しい政府案の中で、児童生徒中心主義を克服するんだという冒頭のお話がありました。これはちょっと、わかる人はわかるんですけれども、なかなかわかりづらいところがあります。
なぜかというと、子供が大切だから子供の言うとおりやればいいじゃないかという単純な、素朴な教育観を述べる人が結構いるんですね。子供と同じ目線で教育をする、だから教壇も取っ払うと。一見、何かもっともらしく聞こえるんですけれども、そこには教師としての誇りも自覚も指導力も感じられないということで、やはり戦後の教育の一つの大きな欠陥が、今、先ほど教育長が言われた児童生徒中心主義の、いい意味の中心主義ならいいんですけれども、まことに誤った中心主義というものがはびこっているというふうに私も思っておりますが、この児童生徒中心主義の克服あるいはその持つ弊害というのは具体的にどういうものなのか、もう少しわかりやすくお話をしていただくと理解が進むのではないかと思います。
若
若月秀夫#16
○若月参考人 児童生徒中心主義の克服ということでございます。
せんだって、これはある地方都市でございますけれども、ある授業を見ました。そこでは、いじめをどうするかというのが子供たちの議題でありました。本来であれば、教師が指導をする、教師が適切に指導するべきなんですが、そこでは、子供に話し合わせて、子供たちでその解決をさせるんだという授業をやっておりました。
もちろん、子供たち自身に考えさせる、子供たちにみんなで協力をさせる、これは基本であります。しかし、子供たちに解決をさせるべき問題なんだろうか。授業が終わった後、なぜ、先生、もう少し、この場合、いいものはいい、だめなものはだめなんだということを明確に言わないんだ、こういうことを申し上げました。ここに教師の、今、一つのちゅうちょがあります。
要するに、子供の主体性とか、子供はもちろんすばらしい、エレン・ケイの二十世紀は児童生徒の世紀だと高らかにうたった本がありますが、あれをそのまま受けて、とにかく子供の言うとおりに、子供の言ったことを第一義にということで、指導とか教育というものがかなり後退した実例がございました。そういった意味で、この具体的な例だけではなく、ほかの学習の面でもそうであります。
それから、規範意識の面でもそうであります。本来、私たち大人が、文化として、習慣として、日本の伝統として伝えていくべきものまでも、子供たちにすべて考えさせ、子供たちが納得しないんだったならば、それを無理に押しつけることは、これはいかがなものかといったような教育的な風潮というか風土が、戦後の日本の学校教育の中には間違いなくはびこってしまったので、それに対して、むしろ、いら立ちを感じていたり、歯がゆさを感じている教師も最近多々出てきているというのが現状である、こんな認識でございます。
この発言だけを見る →せんだって、これはある地方都市でございますけれども、ある授業を見ました。そこでは、いじめをどうするかというのが子供たちの議題でありました。本来であれば、教師が指導をする、教師が適切に指導するべきなんですが、そこでは、子供に話し合わせて、子供たちでその解決をさせるんだという授業をやっておりました。
もちろん、子供たち自身に考えさせる、子供たちにみんなで協力をさせる、これは基本であります。しかし、子供たちに解決をさせるべき問題なんだろうか。授業が終わった後、なぜ、先生、もう少し、この場合、いいものはいい、だめなものはだめなんだということを明確に言わないんだ、こういうことを申し上げました。ここに教師の、今、一つのちゅうちょがあります。
要するに、子供の主体性とか、子供はもちろんすばらしい、エレン・ケイの二十世紀は児童生徒の世紀だと高らかにうたった本がありますが、あれをそのまま受けて、とにかく子供の言うとおりに、子供の言ったことを第一義にということで、指導とか教育というものがかなり後退した実例がございました。そういった意味で、この具体的な例だけではなく、ほかの学習の面でもそうであります。
それから、規範意識の面でもそうであります。本来、私たち大人が、文化として、習慣として、日本の伝統として伝えていくべきものまでも、子供たちにすべて考えさせ、子供たちが納得しないんだったならば、それを無理に押しつけることは、これはいかがなものかといったような教育的な風潮というか風土が、戦後の日本の学校教育の中には間違いなくはびこってしまったので、それに対して、むしろ、いら立ちを感じていたり、歯がゆさを感じている教師も最近多々出てきているというのが現状である、こんな認識でございます。
町
町村信孝#17
○町村委員 それが、まさに戦後六十年の現行教育基本法の中で行われてきた一つのわかりやすい弊害なわけですよね。だから教育基本法を変えなければいけないという議論があるということを、ぜひ藤田参考人にも御理解をいただければありがたいかな、こう思っております。
それからもう一点、今のお話のとおりで、規律を重んずるというようなことも、要するに、学校規則をつくっちゃいけない、それは子供を縛るからいけないんだというようなことから、今言われたような児童生徒中心主義の弊害というのは、現実に私はあるんだろうと思います。
それから、家庭教育重視ということについてこの改正法案が触れていることの評価をいただいたこと、これもありがたいことでございます。
最後に一点だけ、教育行政について、私どもは、確かにいろいろな議論はありますけれども、この教育委員会制度というものに活性化したり改善する余地はありますが、やはり私は、基本的にこれは必要な制度なのではないか、こう思っておりますけれども、教育委員会の現場にあって、教育行政の第一線にあって、民主党案のように、教育委員会を廃止して区長さんあるいは都知事が全部仕切った方がいいのか、あるいは、まず教育委員会が責任を持ってやった方がいいのか。先ほどの委員のお話を聞いていると、教育委員会制度は必要だという御議論のように承りましたが、その点についてのお考えをもう一度教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →それからもう一点、今のお話のとおりで、規律を重んずるというようなことも、要するに、学校規則をつくっちゃいけない、それは子供を縛るからいけないんだというようなことから、今言われたような児童生徒中心主義の弊害というのは、現実に私はあるんだろうと思います。
それから、家庭教育重視ということについてこの改正法案が触れていることの評価をいただいたこと、これもありがたいことでございます。
最後に一点だけ、教育行政について、私どもは、確かにいろいろな議論はありますけれども、この教育委員会制度というものに活性化したり改善する余地はありますが、やはり私は、基本的にこれは必要な制度なのではないか、こう思っておりますけれども、教育委員会の現場にあって、教育行政の第一線にあって、民主党案のように、教育委員会を廃止して区長さんあるいは都知事が全部仕切った方がいいのか、あるいは、まず教育委員会が責任を持ってやった方がいいのか。先ほどの委員のお話を聞いていると、教育委員会制度は必要だという御議論のように承りましたが、その点についてのお考えをもう一度教えていただきたいと思います。
若
若月秀夫#18
○若月参考人 結論から申し上げますと、今、町村委員がおっしゃっていただきました教育委員会制度。教育というのは、公正そして中立、そして不偏不党、そして継続性、一貫性といったようなものが求められるものでございます。
教育委員会制度といったようなものが十分でないからいろいろな問題が起きているのか、あるいは、教育委員会といったようなものに与えられている権能といったらいいでしょうか、権限といったらいいでしょうか、そういったものを全部我々から取り去っていて、もっと活性化しろというのはやや酷な話でもあります。また、首長さんは、もっと権限を、自分たちでやりたいとおっしゃいますけれども、首長さんは十分にもう既に教育委員会に対して私は権限を持っていらっしゃると思います。私の任命すら、首長さんの権限でなければできないことであります。
したがいまして、教育委員会に活性化しろと言うなら、私たちに活性化するもっと大きないろいろな権能を付与させていただき、その結果を見てから制度そのものの議論をしていただきたい、かように考えているところでございます。
この発言だけを見る →教育委員会制度といったようなものが十分でないからいろいろな問題が起きているのか、あるいは、教育委員会といったようなものに与えられている権能といったらいいでしょうか、権限といったらいいでしょうか、そういったものを全部我々から取り去っていて、もっと活性化しろというのはやや酷な話でもあります。また、首長さんは、もっと権限を、自分たちでやりたいとおっしゃいますけれども、首長さんは十分にもう既に教育委員会に対して私は権限を持っていらっしゃると思います。私の任命すら、首長さんの権限でなければできないことであります。
したがいまして、教育委員会に活性化しろと言うなら、私たちに活性化するもっと大きないろいろな権能を付与させていただき、その結果を見てから制度そのものの議論をしていただきたい、かように考えているところでございます。
町
町村信孝#19
○町村委員 そういうことで、ぜひ、池田参考人も一度若月さんを呼んで、こういう権限を区の教育委員会に与えてもらうとこういうことができていいんですよというようなことになるのではないか、こう思いますから、ひとつお考えいただきたいと思います。
若月さんは、私の大臣当時の呼びかけに応じて、真っ先に学校選択制というものを、品川区に先駆けてやっていただきました。そのための御苦労、あるいはそのために必要な準備等も相当やっておられたということでございますから、過疎の町村で全部できるかというと、それはできっこありません。しかし、できるところは大いにやったらいいと私も思っております。本当はその辺のことも伺いたかったのでありますけれども、時間の制約がありますので以上にいたします。
いずれにしても、私どもは既に八十数時間の審議をやっておりまして、大分重複質問も最近は多くなってきております。私どもとしては、きょうこうして皆さん方の御意見を聞いた上で、そろそろ出口を考えないと、これは、慎重審議、慎重審議ということで、結局問題の先送りだということにしかならないんだということをこの際申し上げまして、私の質疑を終わります。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →若月さんは、私の大臣当時の呼びかけに応じて、真っ先に学校選択制というものを、品川区に先駆けてやっていただきました。そのための御苦労、あるいはそのために必要な準備等も相当やっておられたということでございますから、過疎の町村で全部できるかというと、それはできっこありません。しかし、できるところは大いにやったらいいと私も思っております。本当はその辺のことも伺いたかったのでありますけれども、時間の制約がありますので以上にいたします。
いずれにしても、私どもは既に八十数時間の審議をやっておりまして、大分重複質問も最近は多くなってきております。私どもとしては、きょうこうして皆さん方の御意見を聞いた上で、そろそろ出口を考えないと、これは、慎重審議、慎重審議ということで、結局問題の先送りだということにしかならないんだということをこの際申し上げまして、私の質疑を終わります。
どうもありがとうございました。
森
西
西博義#21
○西委員 公明党の西博義でございます。
本日は、本当にそれぞれの立場で立派なお仕事を教育関係でなさっている四人の参考人の皆さん方からお話をお伺いしました。それぞれ御尊敬申し上げている皆さん方でございますが、ぜひともまた、今後、引き続き教育に御尽力いただけますようにお願いを申し上げたいと思います。
早速ですが、質問をさせていただきたいと思います。
初めに、池田参考人にお願いをいたします。
このたび、教育再生会議の座長代理ということで御活躍をいただくわけですが、もう既に三つの分科会、それぞれのテーマが決まったというふうに報道され、会議もようやくスタートしたというふうに言われております。教育基本法の改正と、それからこの教育再生会議とのつながりといいますか関連といいますか、再生会議そのものは具体論に絞って議論をされるということでございますが、その一番重要な部分は何なのかということについてお答えをお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →本日は、本当にそれぞれの立場で立派なお仕事を教育関係でなさっている四人の参考人の皆さん方からお話をお伺いしました。それぞれ御尊敬申し上げている皆さん方でございますが、ぜひともまた、今後、引き続き教育に御尽力いただけますようにお願いを申し上げたいと思います。
早速ですが、質問をさせていただきたいと思います。
初めに、池田参考人にお願いをいたします。
このたび、教育再生会議の座長代理ということで御活躍をいただくわけですが、もう既に三つの分科会、それぞれのテーマが決まったというふうに報道され、会議もようやくスタートしたというふうに言われております。教育基本法の改正と、それからこの教育再生会議とのつながりといいますか関連といいますか、再生会議そのものは具体論に絞って議論をされるということでございますが、その一番重要な部分は何なのかということについてお答えをお願いしたいと思います。
池
池田守男#22
○池田参考人 私どもも、先ほどお話をさせていただきましたように、いよいよ本格的に議論を深めさせていただきたい、そういう状況になっております。その議論を詰めさせていただく上におきましての上位概念と申しますか、常に私どもが意識をさせていただいておりますのは、教育基本法でございます。教育基本法の理念に従いまして、その中で具体的な問題等を再生という形でもって提言させていただきたいという形で、今議論を進めさせていただいているわけでございます。
そういったことで、現教育基本法を中心に考えさせていただくのは当然でございますし、また、政府の中での再生会議でございますので、政府から出されております教育基本法改正案の趣旨も十分に踏まえさせていただきながら、今現在、個々の問題について詰めさせていただいている、そういう状況でございます。
この発言だけを見る →そういったことで、現教育基本法を中心に考えさせていただくのは当然でございますし、また、政府の中での再生会議でございますので、政府から出されております教育基本法改正案の趣旨も十分に踏まえさせていただきながら、今現在、個々の問題について詰めさせていただいている、そういう状況でございます。
西
西博義#23
○西委員 積極的な御議論をお願い申し上げたいと思います。
続きまして、若月参考人にお願いをいたします。
以前に現場も見せていただき、品川区の教育改革に取り組む情熱はある程度実感として存じ上げているつもりですが、今までの教育基本法の理念は評価をする、その上で、足らざる部分について今回改正をされるということは、もちろん全部改正、すべての部分、改正はなっているんですが、ぜひとも積極的におやりいただきたい、こんな趣旨のお話だったかと思うんです。
品川区では、学校選択制、先ほど町村委員もお話しになりました。それから小中一貫、外部評価を取り入れる、管理職の資質の向上、次々と矢継ぎ早に改革路線を打ち出されておられます。
このことの最も根幹、ちょっと言い方が抽象的かもしれませんが、生徒のため、また親のため、社会のため、いろいろな感覚はあるんだろうと思うんですが、このすべての改革を通して、教育長は、だれのため、こういうふうに聞かれたらどういうふうにお答えになるでしょうか。
この発言だけを見る →続きまして、若月参考人にお願いをいたします。
以前に現場も見せていただき、品川区の教育改革に取り組む情熱はある程度実感として存じ上げているつもりですが、今までの教育基本法の理念は評価をする、その上で、足らざる部分について今回改正をされるということは、もちろん全部改正、すべての部分、改正はなっているんですが、ぜひとも積極的におやりいただきたい、こんな趣旨のお話だったかと思うんです。
品川区では、学校選択制、先ほど町村委員もお話しになりました。それから小中一貫、外部評価を取り入れる、管理職の資質の向上、次々と矢継ぎ早に改革路線を打ち出されておられます。
このことの最も根幹、ちょっと言い方が抽象的かもしれませんが、生徒のため、また親のため、社会のため、いろいろな感覚はあるんだろうと思うんですが、このすべての改革を通して、教育長は、だれのため、こういうふうに聞かれたらどういうふうにお答えになるでしょうか。
若
西
西博義#25
○西委員 評価は、私は正直言って、その一つ一つは分かれると思うんですが、その一点をぜひ忘れないで精力を注いでいただきたい。その結果については、それぞれまた歴史が証明するものだろうというふうに思います。
ただ、私ども、もうずっと教育の改革を議論しているんですが、子供というのは、その制度の中を通過して、そして結果が出るのはもう随分先なんですね。この結果の責任は、もちろん我々改革する側にも求められるし、改革しないという責任もまた求められるのかもしれません。そういう意味で、もちろん早くということと同時に、きちっと、やはり子供のためにどうあるべきかということを私たちはとことん追い求めていかなければ方向性を誤るのではないかというふうに私自身は思っております。
先ほど、それぞれの地方の教育委員会、これは、教育委員会としてできることというのは限りがあるんだ、こういうふうにおっしゃいました。そういう立場からしますと、もちろん学校だけでできることも限界がある。教育委員会も限界がある。といいますと、私は、今回の法律の体系の中からも、地域として教育に何ができるかということがまた一つの大きなテーマなんだろう、また、教育委員会として、地域の皆さんを巻き込んでどういうことができるかということなんだろうと思うんですが、その辺について、教育長、現場での御経験から、地域として、教育委員会がどう働きかければいいのかということをお教え願いたいと思います。
この発言だけを見る →ただ、私ども、もうずっと教育の改革を議論しているんですが、子供というのは、その制度の中を通過して、そして結果が出るのはもう随分先なんですね。この結果の責任は、もちろん我々改革する側にも求められるし、改革しないという責任もまた求められるのかもしれません。そういう意味で、もちろん早くということと同時に、きちっと、やはり子供のためにどうあるべきかということを私たちはとことん追い求めていかなければ方向性を誤るのではないかというふうに私自身は思っております。
先ほど、それぞれの地方の教育委員会、これは、教育委員会としてできることというのは限りがあるんだ、こういうふうにおっしゃいました。そういう立場からしますと、もちろん学校だけでできることも限界がある。教育委員会も限界がある。といいますと、私は、今回の法律の体系の中からも、地域として教育に何ができるかということがまた一つの大きなテーマなんだろう、また、教育委員会として、地域の皆さんを巻き込んでどういうことができるかということなんだろうと思うんですが、その辺について、教育長、現場での御経験から、地域として、教育委員会がどう働きかければいいのかということをお教え願いたいと思います。
若
若月秀夫#26
○若月参考人 地域に対する働きかけのお尋ねだろうと思います。
教育委員会、今御指摘のように、品川区はいろんなことをやってまいりました。その中で、やはり地域といったようなものの御理解と、それから御支援、御協力というのは必須のものでございます。そうした上で、学校、教育委員会と地域とがどういったきずなで結ばれるか。
基本は、品川区の場合ですが、情報公開をかなり徹底してやってまいりました。今まで比較的、学校現場は情報開示といったようなもの、ディスクローズに対しましては必ずしも積極的ではなかった。別の言い方をすれば、保身的であった、これは間違いのないことだと思います。したがいまして、こういった学校の体質を変えるためにも、そして地域の方に学校をよく理解していただき、子供の教育に御協力をいただくためにも、できる限りの情報公開といったようなものが必要だ。
これは、ある意味では学校も私たちも大変つろうございました。情報開示をした以上、その後のまたリアクションは必ずあるわけであります。しかし、そのプロセスを経て、本当に学校と地域とが、ある意味での、本当の意味での信頼関係といったようなものが結ばれてくるんだろう。形式的な信頼関係ではなく、いいも悪いも含めた上での信頼関係をつくっていくんだという産みの苦しみは、現在もしている最中でございます。
この発言だけを見る →教育委員会、今御指摘のように、品川区はいろんなことをやってまいりました。その中で、やはり地域といったようなものの御理解と、それから御支援、御協力というのは必須のものでございます。そうした上で、学校、教育委員会と地域とがどういったきずなで結ばれるか。
基本は、品川区の場合ですが、情報公開をかなり徹底してやってまいりました。今まで比較的、学校現場は情報開示といったようなもの、ディスクローズに対しましては必ずしも積極的ではなかった。別の言い方をすれば、保身的であった、これは間違いのないことだと思います。したがいまして、こういった学校の体質を変えるためにも、そして地域の方に学校をよく理解していただき、子供の教育に御協力をいただくためにも、できる限りの情報公開といったようなものが必要だ。
これは、ある意味では学校も私たちも大変つろうございました。情報開示をした以上、その後のまたリアクションは必ずあるわけであります。しかし、そのプロセスを経て、本当に学校と地域とが、ある意味での、本当の意味での信頼関係といったようなものが結ばれてくるんだろう。形式的な信頼関係ではなく、いいも悪いも含めた上での信頼関係をつくっていくんだという産みの苦しみは、現在もしている最中でございます。
西
西博義#27
○西委員 今、未履修問題が大きな問題となっておりますが、その観点からも、学校それから教育委員会、地域、家庭を結ぶ一つのキーワードが情報公開ということかもしれないなと、今お聞きをして考えた次第でございます。
もう一つお伺いしたいんですが、先ほど教育行政について、これはまさしく教育委員会のことですが、例の「不当な支配に服することなく、」というところの御説明でございますが、過去の経緯を若干お述べになった上で、公正中立な行政を進めていく上で重要な改正であろう、こういうふうな結論を述べておられました。
私も実はそれは同じ気持ちでございまして、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである。当たり前といえば当たり前ですが、藤田先生のように、もっと違う観点からの、今までの「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべき」という言葉の大切さを強調される参考人の方もいらっしゃいます。その気持ちも私もよくわかっているつもりでございます。
いずれにしても、法律に基づいてということについてはそのとおりなんですが、教育委員会の立場として、この言葉、法律に基づいているとはいえ、本当に法律そのものを適用するということはむしろ少なくて、法律の精神ということに、いろいろなケースが出てくるものですから、私は、そういう意味では、このことについては十分な配慮が必要であるし、また抑制的でなければならない、もしこの法律ということになったとしても抑制的でなければならない、こういう気持ちでいるんですが、教育長のお考えを教えていただきたいと思います。
この発言だけを見る →もう一つお伺いしたいんですが、先ほど教育行政について、これはまさしく教育委員会のことですが、例の「不当な支配に服することなく、」というところの御説明でございますが、過去の経緯を若干お述べになった上で、公正中立な行政を進めていく上で重要な改正であろう、こういうふうな結論を述べておられました。
私も実はそれは同じ気持ちでございまして、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである。当たり前といえば当たり前ですが、藤田先生のように、もっと違う観点からの、今までの「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべき」という言葉の大切さを強調される参考人の方もいらっしゃいます。その気持ちも私もよくわかっているつもりでございます。
いずれにしても、法律に基づいてということについてはそのとおりなんですが、教育委員会の立場として、この言葉、法律に基づいているとはいえ、本当に法律そのものを適用するということはむしろ少なくて、法律の精神ということに、いろいろなケースが出てくるものですから、私は、そういう意味では、このことについては十分な配慮が必要であるし、また抑制的でなければならない、もしこの法律ということになったとしても抑制的でなければならない、こういう気持ちでいるんですが、教育長のお考えを教えていただきたいと思います。
若
若月秀夫#28
○若月参考人 ただいま委員御指摘の点でございますが、全く私どもも認識は同じでございます。
この法律のとおり、あるいは法律を一つの根拠にして教育行政を進めていくわけでありますけれども、現実に、教育行政の最先端の現場あるいは学校現場、こういったところにおきましては、さまざまな議論があってもいいんですけれども、最終的には管理職が責任を伴ってデシジョンメーキングをしなければならないということがございます。そういったときの必要な根拠といったようなものがあるかないかによっては、校長たちの日ごろの学校経営に対する姿勢といったようなものが変わってくる。
私は、現在の日本の学校教育の中で、例えばそういう法的な裏づけがあるからといって、途端に日本じゅうの学校の校長たちが権力主義者、権威主義者になって、有無も言わせず、これはこうだからと言って一方的にやれというような学校教育にはなっていないだろうと思うんです。十分に話し合った末の最終的な根拠づけといったようなものはやはり必要である。そこら辺があいまいだったものですから、なかなか今まで学校としての顔が見えなかった、学校としての意思決定が明確に地域の方々、国民の方々にわかりにくかったといったような点はあろうかと思います。
そうした意味で、この法律的な裏づけの根拠というものは大変心強い、そういう意味で申し上げました。
この発言だけを見る →この法律のとおり、あるいは法律を一つの根拠にして教育行政を進めていくわけでありますけれども、現実に、教育行政の最先端の現場あるいは学校現場、こういったところにおきましては、さまざまな議論があってもいいんですけれども、最終的には管理職が責任を伴ってデシジョンメーキングをしなければならないということがございます。そういったときの必要な根拠といったようなものがあるかないかによっては、校長たちの日ごろの学校経営に対する姿勢といったようなものが変わってくる。
私は、現在の日本の学校教育の中で、例えばそういう法的な裏づけがあるからといって、途端に日本じゅうの学校の校長たちが権力主義者、権威主義者になって、有無も言わせず、これはこうだからと言って一方的にやれというような学校教育にはなっていないだろうと思うんです。十分に話し合った末の最終的な根拠づけといったようなものはやはり必要である。そこら辺があいまいだったものですから、なかなか今まで学校としての顔が見えなかった、学校としての意思決定が明確に地域の方々、国民の方々にわかりにくかったといったような点はあろうかと思います。
そうした意味で、この法律的な裏づけの根拠というものは大変心強い、そういう意味で申し上げました。
西
西博義#29
○西委員 続きまして、尾木参考人に御質問申し上げます。
実は、先週の月曜日から具体的な質疑が始まったんですが、その折にも私、先生の「教育事件簿」というあの本を引いてちょっと質問をさせていただいたんですが、日ごろから、いじめの問題、またその一人一人の深層に至るまで随分徹底的に御研究なさっていることに敬意を表したいというふうに思います。
私、そのときに実はもう一つの質問をしておりまして、今の学校教育法においてかなり強い規定があるものですから、要するに、公立、私立の学校という範囲の縛りを何とかできないか、つまり居場所の問題です。
いじめに遭った、不登校、いろいろな事象が起こっておりますが、最終的には学校に戻すということしかない。一部、フリースクールとかそういう規制緩和はありますけれども、結局、戻らないと一人前に世の中が流れていかない、成長していかないということがあったものですから、もう少しそこの部分を再考すべきではないかという質問をさせていただきました。このことについて、尾木参考人の御意見をちょうだいしたいと思います。
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私、そのときに実はもう一つの質問をしておりまして、今の学校教育法においてかなり強い規定があるものですから、要するに、公立、私立の学校という範囲の縛りを何とかできないか、つまり居場所の問題です。
いじめに遭った、不登校、いろいろな事象が起こっておりますが、最終的には学校に戻すということしかない。一部、フリースクールとかそういう規制緩和はありますけれども、結局、戻らないと一人前に世の中が流れていかない、成長していかないということがあったものですから、もう少しそこの部分を再考すべきではないかという質問をさせていただきました。このことについて、尾木参考人の御意見をちょうだいしたいと思います。