中嶋哲彦の発言 (教育基本法に関する特別委員会)
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○参考人(中嶋哲彦君) 不当な介入の主体という点では、既に皆さんがおっしゃったように、あらゆるものが不当な介入の主体となり得ると考えます。
ただ、私も、やはり国及び地方教育委員会は不当な介入の主体となり得ると。とりわけ、それは制度的にその立場にあるということから、制度的に継続的にこの不当な介入になり、主体となっていくだろうと思います。
もう一つ、教育委員会の無責任体質ということについての御質問がありました。これは、例えて言うならば、親が過干渉の子供はなかなか自立できないということだろうと思います。これまでの日本の教育行政は、国及び都道府県教育委員会による市町村教育委員会に対する過干渉があったというふうに考えています。過干渉を断ち切って自らの足で立とうと、それが教育委員会のこれからの進むべき道だと思っています。私たちの犬山はそのような道を歩みました。
じゃ、そのときにだれのどこに立脚するか。それが住民の意思の上に立脚する。それは不当な介入ではないんだろうと思います。
先ほど、教科書採択が、これは教育委員会は自らしていないというお話がありました。確かに、教科書を一ページ一ページ開いて教育委員会において採択しているわけではないです。ただ、それを言うならば、教科書検定権はこれは文部科学大臣が有している、じゃ文部科学大臣が自ら教科書検定を行っているかといえば、そんなことはしてないわけです。つまり、権限がどこにあるかということと、その権限をどのように行使し、どのように具体的に役割を果たしていくかということは別の問題であると。教育委員会の権限の下で教育委員会が責任を持って採択委員を選出し、そこから上がってくる採択の結論に基づいて今度は責任を持って採択をすると、それが教育委員会の役割の果たし方だと思います。教育委員が一ページ一ページ開いていくというものでは決してないと思います。
その意味でこれは、これまでの教育委員会が役割を果たしていない、無責任であるという議論は、確かに一方において自立していない面があることは確かですけれども、教育委員会制度そのものが自立させていないのではなくて、教育委員会に対する過干渉ですね、これが原因であると考えています。
以上です。