加戸守行の発言 (教育基本法に関する特別委員会)

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○参考人(加戸守行君) 本日は、教育の基本に関する御審議が行われています当委員会に参考人としてお呼びいただきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことに厚く御礼申し上げます。
 私は、かつて文部省に勤務しておりました期間のうち、飛び飛びでございますが通算十年、教育委員会制度を担当させていただいた経験がございます。また、愛媛県知事ということで八年間、地方教育行政の一端を担っております立場からの意見として申し述べさせていただきたいと思います。
 教育行政におきます地方公共団体の役割は、戦前と戦後はがらりと変わりました。このきっかけとなりましたのが、昭和二十一年三月にアメリカからストダード博士を団長とする二十七名の教育使節団が参りまして、改善の意見を、報告をマッカーサー司令官に出しました。中の一番問題は、ローマ字を日本の国語にという提案は、これは日本政府の見識ではねたわけでございますけれども、六三三四制という学校制度と教育委員会制度はこの報告をベースといたしております。
 そのときの考え方が、かつての上意下達の中央集権方式の教育行政から地方分権型へという基本理念で、報告書の中では、内務省地方官吏の学校に対する管理行政を排するため、公選による教育行政機関を設けるという提案でありました。これを受けて昭和二十三年に教育委員会制度が設けられまして公選制が行われましたが、その後四年、昭和二十五年の九月に第二次教育使節団が参りまして、第一回目の使節団の構成員の五名が参りまして、言うなればアフターケアの形で報告を出しました。
 その中では、教育委員の選任について、特定の自分の考え方を押し付ける人、集団の意思を代弁する人、そういった人は委員としては適当でないというような提言もありました一方、もう一つ踏み込みまして、教育委員会に教育予算の編成権を与えるべきだという強い提言もございました。
 これを受けて昭和二十七年に教育委員会法改正が行われて、教育予算の議会への提案権を教育委員会が持つという改正が行われました。しかし、このことは議会と教育委員会との間の対立関係を生む形になりまして、昭和三十一年の法改正でそれはまた首長の権限に戻され、単に教育委員会の意見を聴くという形に改められました。と同時に、公選制による教育委員会制度が特定の党派あるいは団体の意見を強く反映し過ぎるということで、議会の承認を得た任命制に変わったという経緯があります。
 そこで、現実に私自身が知事の立場で教育行政を担当させていただいておりまして、問題は、教育委員会が機能していないという意見がよく出されます。このことは、実際上は制度の問題といいますよりも、まず教育委員の選任は、人格高潔で、教育、学術、文化に関し識見を有する者の中から任命するとされている。正に首長の見識においてその地域社会で尊敬されるような人格あるいは識見を有する方を選んでいただくということが基本条件でありますと同時に、任命されました教育委員は、今現在の制度の下におきまして地方教育行政の最終的な責任者の立場に立つわけでありますから、それなりの与えられた責務を自覚した上で主体性を発揮して委員会としての意思決定を取りまとめるという形でならなければならないだろうと私は思ってもおります。
 現実の問題といたしまして、長が持っております権限は、言うなれば教育予算の編成、執行権のみでありまして、現実にじゃ教育の在り方について何も言えないかというと、必ずしもそうではありませんのは、直接教育委員会に対する指示は不可能でございますけれども、例えば議会での答弁、あるいは新聞記者との会見等々で教育問題に関しての意見を求められた場合には、これは教育委員会の所管ではあるが私はこう思うという自分なりの考え方、意見表明をさせていただきます。そのことは、当然議会に出席されております教育委員あるいは教育長は聞いておるわけでございますし、また報道での発表は新聞、テレビを通じて報道されますから、知事はこんな考え方で教育に向けての思いを持っているんだなということは当然理解していただいた上で、具体的な取組は、それは教育委員会の主体性によって行われるということであろうかと思っております。
 もう一つは、予算の編成権といたしまして、特に定数の配分の問題があります。これはそれぞれの県によって違いますけれども、やはり知事の考え方はかなり影響力を持つかなと思いますのは、現実に定数配分をいたしますときに、音楽の専科教員を重視するのか体育の専科教員の配置考えるのか、あるいは教員の資質向上で教育大学院への派遣学生数を増やす、定数を増やすかどうか、教育困難校にどの程度の配分をするのか、あるいは学級編制を四十人学級から三十五人にするのか、様々な形で限られたパイの中で、厳しい財政状況の中でやりくりしながらそれを考えていくということは、ある財源を生み出すためにはどこかの財源を切らなきゃいけませんから、どこかにウエートを置くということは他の分野のウエートが下がるという、ある意味ではやじろべえのような関係になることはあり得ますけれども、基本的に知事が首長として教育に関して大きな影響力を持つのは、そういった意味でのウエートの置き方はどちらに向けるのかということで左右されるであろうと思ってもおります。
 教育内容等の問題は、これは教育委員会が正に自主的に御判断になることでありますし、今申し上げました教育内容は学習指導要領という国の基本的な基準がございますから、その枠の中でどこまで弾力的な取組をしていくのか。
 今、愛媛県におきましては、可能な限り学校の自主性を尊重して弾力的な運用、自主性、創造性を発揮するようにという校長に対する権限移譲が進められておりまして、教育委員会はそういった点で教育内容面に関して負荷する分野は余り強くはないのかなと印象は受けております。
 いずれにいたしましても、その教育の方向性についての大きな国の枠の中で県は判断をし、また市町村教育委員会も同様な、それに準じた形での取組をしていくのかなと。
 教育自体は多くの人がたくさんの意見を持っております。その意見はみんな違います。その違いを一つに集約するということは極めて困難なことでありまして、特に義務教育の分野では、全国民の教育水準の維持向上という視点からするならば、国が大枠を定めた中でどの程度の弾力的運用が可能なのか、例えば、学習指導要領あるいは授業時数の編成にありましても、何時間とかあるいは何単位ということが固定的であるよりは、むしろ若干、二単位から三単位の差とか、何時間から何時間までとか、ある幅を示した形での基準があると県なり市町村なりの取組はもっと弾力性、自主性を持って発揮されるのではないかなという感じがいたします。
 現在、未履修問題が大きな問題として、社会問題として取り上げられておりますけれども、これはある意味では学校が自分たちの取組として善意で取り組んだ結果でないとは言い切れないとも思います。その辺が、枠の決め方がどの程度の拘束性を持った枠の決め方をするかによって地方の取組も変わってくるのかなという印象を持ってもおります。
 西遊記で、孫悟空が大きく飛び跳ねて、気が付いてみたらお釈迦様の手のひらの中で飛び跳ねていたという話がございますけれども、言うなれば、国の基準は私の感覚としては手のひらであって、その中でどこまで及ぶのか、親指にとどまるのか中指まで行くのか、それは県なり市町村の教育委員会の判断が加えられる要素があるといいなと正直思ったりもいたしております。
 大切なことは、教育行政の中で大きなウエートを占めるのが教育予算であります。しかも、その固まりはほとんどが人件費であります。残念ながら、先般、義務教育国庫負担金の二分の一が三分の一に減らされましたけれども、考えてみますと、こういった財政的負担は義務教育、国民に対しその子女に就学させる義務を負う国の立場からするならば、全額又は二分の一の義務教育国庫負担が正しいと私は今でも信じております。その中で、どんな形での様々な取組をしていくのか、それぞれ地方公共団体の長なりの考え方がありますけれども、大切なことは、教育の政治的中立を確保するという点で、教育委員会制度は、いろいろ問題は抱えているとしても、現時点におけるベストな制度だと私は思っております。
 私自身も、自らの思いがなかなか教育行政に反映しないというもどかしい思いはすることもあります。しかし、私の感覚、判断がすべて正しいとは限りません。思い付きで何かをやるということは教育にとって大変危険なことでもあります。大きな流れの中で徐々に徐々にいい方向へ向かっていくと、それがあるべき姿ではないのか。特に考えなけりゃなりませんのは、人事の問題として、教育内容はどこからどこにウエートを移すために必要なくなった教員の首を切るのか、必要な分野の教員を新たに採用するのか、そういうことは短期間のスパンではできることではありません。
 五年、十年の見通した形で徐々に移行していく。これはあらゆる分野そうだと思いますけれども、教育は教師、教員そのものが命であります。正に教員のある程度の安定した形での仕事を情熱を持って取り組んでいただくためには、単なる首長の考え方一つで教員の数や身分や、あるいは採用や退職、リストラ等々が行われるという危険だけは排除しなければならないと私は思ってもおります。もどかしいようではございますけれども、長の考え方を徐々に浸透させながら、教育委員会がその基本的な方向性を、専門的な見地から様々な取組をしていくのが正しい制度の在り方ではないのかと思っております。
 教育委員会制度はレーマンコントロールと言われております。正に素人の委員が五人。しかし、考えてみますと、そこに専門家のエキスパートである教育長が加わった構成になりますけれども、単独の首長一人の判断よりは三人とか五人という、その合議制の教育委員会に大きなメリットがあります。三人寄れば文殊の知恵という言葉もあります。五人寄れば普賢の真理、そんな形で教育がある程度政治的に中立で安定して継続的に行われる、地方教育行政にとっての教育委員会制度は私は高く評価しておりますし、あとは運用の問題ではないのか。運用はまだまだ要求すべきことも多いでしょうけれども、その中にその地域の未来を様々な創意工夫を凝らしながらつくっていくということは可能だと思ってもおります。
 私の一応考え方を表現させていただきました。ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 加戸守行

speaker_id: 9235

日付: 2006-12-11

院: 参議院

会議名: 教育基本法に関する特別委員会