教育基本法に関する特別委員会
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会
会議録情報#0
平成十八年十二月十一日(月曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
十二月七日
辞任 補欠選任
辻 泰弘君 広中和歌子君
十二月八日
辞任 補欠選任
舛添 要一君 大仁田 厚君
十二月十一日
辞任 補欠選任
浮島とも子君 山本 保君
後藤 博子君 亀井 郁夫君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 中曽根弘文君
理 事
岸 信夫君
北岡 秀二君
保坂 三蔵君
佐藤 泰介君
櫻井 充君
蓮 舫君
風間 昶君
委 員
岩城 光英君
小野 清子君
大仁田 厚君
岡田 直樹君
岡田 広君
小泉 昭男君
小泉 顕雄君
鴻池 祥肇君
坂本由紀子君
中島 啓雄君
南野知惠子君
松村 祥史君
神本美恵子君
下田 敦子君
鈴木 寛君
西岡 武夫君
林 久美子君
広中和歌子君
福山 哲郎君
藤本 祐司君
水岡 俊一君
山下 栄一君
山本 保君
鰐淵 洋子君
井上 哲士君
近藤 正道君
亀井 郁夫君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 俊史君
参考人
愛媛県知事 加戸 守行君
品川区長 濱野 健君
前志木市長
NPO法人地方
自立政策研究所
理事長 穂坂 邦夫君
─────────────
本日の会議に付した案件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
に関する法律案(輿石東君外六名発議)
─────────────
この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
十二月七日
辞任 補欠選任
辻 泰弘君 広中和歌子君
十二月八日
辞任 補欠選任
舛添 要一君 大仁田 厚君
十二月十一日
辞任 補欠選任
浮島とも子君 山本 保君
後藤 博子君 亀井 郁夫君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 中曽根弘文君
理 事
岸 信夫君
北岡 秀二君
保坂 三蔵君
佐藤 泰介君
櫻井 充君
蓮 舫君
風間 昶君
委 員
岩城 光英君
小野 清子君
大仁田 厚君
岡田 直樹君
岡田 広君
小泉 昭男君
小泉 顕雄君
鴻池 祥肇君
坂本由紀子君
中島 啓雄君
南野知惠子君
松村 祥史君
神本美恵子君
下田 敦子君
鈴木 寛君
西岡 武夫君
林 久美子君
広中和歌子君
福山 哲郎君
藤本 祐司君
水岡 俊一君
山下 栄一君
山本 保君
鰐淵 洋子君
井上 哲士君
近藤 正道君
亀井 郁夫君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 俊史君
参考人
愛媛県知事 加戸 守行君
品川区長 濱野 健君
前志木市長
NPO法人地方
自立政策研究所
理事長 穂坂 邦夫君
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本日の会議に付した案件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
に関する法律案(輿石東君外六名発議)
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中
中曽根弘文#1
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、辻泰弘君及び舛添要一君が委員を辞任され、その補欠として広中和歌子君及び大仁田厚君が選任されました。
また、本日、浮島とも子君及び後藤博子君が委員を辞任され、その補欠として山本保君及び亀井郁夫君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、辻泰弘君及び舛添要一君が委員を辞任され、その補欠として広中和歌子君及び大仁田厚君が選任されました。
また、本日、浮島とも子君及び後藤博子君が委員を辞任され、その補欠として山本保君及び亀井郁夫君が選任されました。
─────────────
中
中曽根弘文#2
○委員長(中曽根弘文君) 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題といたします。
本日は、愛媛県知事加戸守行君、品川区長濱野健君及び前志木市長・NPO法人地方自立政策研究所理事長穂坂邦夫君、以上三名の参考人の御出席をいただき、御意見を聴取し、質疑を行います。
この際、参考人の皆さんに対し、本委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございました。
皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、今後の本委員会の審査の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは、議事の進め方について申し上げます。
まず、加戸参考人、濱野参考人、穂坂参考人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず加戸参考人からお願いいたします。加戸参考人。
この発言だけを見る →本日は、愛媛県知事加戸守行君、品川区長濱野健君及び前志木市長・NPO法人地方自立政策研究所理事長穂坂邦夫君、以上三名の参考人の御出席をいただき、御意見を聴取し、質疑を行います。
この際、参考人の皆さんに対し、本委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多忙のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございました。
皆様から忌憚のない御意見をいただきまして、今後の本委員会の審査の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
それでは、議事の進め方について申し上げます。
まず、加戸参考人、濱野参考人、穂坂参考人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず加戸参考人からお願いいたします。加戸参考人。
加
加戸守行#3
○参考人(加戸守行君) 本日は、教育の基本に関する御審議が行われています当委員会に参考人としてお呼びいただきまして意見を述べる機会を与えていただきましたことに厚く御礼申し上げます。
私は、かつて文部省に勤務しておりました期間のうち、飛び飛びでございますが通算十年、教育委員会制度を担当させていただいた経験がございます。また、愛媛県知事ということで八年間、地方教育行政の一端を担っております立場からの意見として申し述べさせていただきたいと思います。
教育行政におきます地方公共団体の役割は、戦前と戦後はがらりと変わりました。このきっかけとなりましたのが、昭和二十一年三月にアメリカからストダード博士を団長とする二十七名の教育使節団が参りまして、改善の意見を、報告をマッカーサー司令官に出しました。中の一番問題は、ローマ字を日本の国語にという提案は、これは日本政府の見識ではねたわけでございますけれども、六三三四制という学校制度と教育委員会制度はこの報告をベースといたしております。
そのときの考え方が、かつての上意下達の中央集権方式の教育行政から地方分権型へという基本理念で、報告書の中では、内務省地方官吏の学校に対する管理行政を排するため、公選による教育行政機関を設けるという提案でありました。これを受けて昭和二十三年に教育委員会制度が設けられまして公選制が行われましたが、その後四年、昭和二十五年の九月に第二次教育使節団が参りまして、第一回目の使節団の構成員の五名が参りまして、言うなればアフターケアの形で報告を出しました。
その中では、教育委員の選任について、特定の自分の考え方を押し付ける人、集団の意思を代弁する人、そういった人は委員としては適当でないというような提言もありました一方、もう一つ踏み込みまして、教育委員会に教育予算の編成権を与えるべきだという強い提言もございました。
これを受けて昭和二十七年に教育委員会法改正が行われて、教育予算の議会への提案権を教育委員会が持つという改正が行われました。しかし、このことは議会と教育委員会との間の対立関係を生む形になりまして、昭和三十一年の法改正でそれはまた首長の権限に戻され、単に教育委員会の意見を聴くという形に改められました。と同時に、公選制による教育委員会制度が特定の党派あるいは団体の意見を強く反映し過ぎるということで、議会の承認を得た任命制に変わったという経緯があります。
そこで、現実に私自身が知事の立場で教育行政を担当させていただいておりまして、問題は、教育委員会が機能していないという意見がよく出されます。このことは、実際上は制度の問題といいますよりも、まず教育委員の選任は、人格高潔で、教育、学術、文化に関し識見を有する者の中から任命するとされている。正に首長の見識においてその地域社会で尊敬されるような人格あるいは識見を有する方を選んでいただくということが基本条件でありますと同時に、任命されました教育委員は、今現在の制度の下におきまして地方教育行政の最終的な責任者の立場に立つわけでありますから、それなりの与えられた責務を自覚した上で主体性を発揮して委員会としての意思決定を取りまとめるという形でならなければならないだろうと私は思ってもおります。
現実の問題といたしまして、長が持っております権限は、言うなれば教育予算の編成、執行権のみでありまして、現実にじゃ教育の在り方について何も言えないかというと、必ずしもそうではありませんのは、直接教育委員会に対する指示は不可能でございますけれども、例えば議会での答弁、あるいは新聞記者との会見等々で教育問題に関しての意見を求められた場合には、これは教育委員会の所管ではあるが私はこう思うという自分なりの考え方、意見表明をさせていただきます。そのことは、当然議会に出席されております教育委員あるいは教育長は聞いておるわけでございますし、また報道での発表は新聞、テレビを通じて報道されますから、知事はこんな考え方で教育に向けての思いを持っているんだなということは当然理解していただいた上で、具体的な取組は、それは教育委員会の主体性によって行われるということであろうかと思っております。
もう一つは、予算の編成権といたしまして、特に定数の配分の問題があります。これはそれぞれの県によって違いますけれども、やはり知事の考え方はかなり影響力を持つかなと思いますのは、現実に定数配分をいたしますときに、音楽の専科教員を重視するのか体育の専科教員の配置考えるのか、あるいは教員の資質向上で教育大学院への派遣学生数を増やす、定数を増やすかどうか、教育困難校にどの程度の配分をするのか、あるいは学級編制を四十人学級から三十五人にするのか、様々な形で限られたパイの中で、厳しい財政状況の中でやりくりしながらそれを考えていくということは、ある財源を生み出すためにはどこかの財源を切らなきゃいけませんから、どこかにウエートを置くということは他の分野のウエートが下がるという、ある意味ではやじろべえのような関係になることはあり得ますけれども、基本的に知事が首長として教育に関して大きな影響力を持つのは、そういった意味でのウエートの置き方はどちらに向けるのかということで左右されるであろうと思ってもおります。
教育内容等の問題は、これは教育委員会が正に自主的に御判断になることでありますし、今申し上げました教育内容は学習指導要領という国の基本的な基準がございますから、その枠の中でどこまで弾力的な取組をしていくのか。
今、愛媛県におきましては、可能な限り学校の自主性を尊重して弾力的な運用、自主性、創造性を発揮するようにという校長に対する権限移譲が進められておりまして、教育委員会はそういった点で教育内容面に関して負荷する分野は余り強くはないのかなと印象は受けております。
いずれにいたしましても、その教育の方向性についての大きな国の枠の中で県は判断をし、また市町村教育委員会も同様な、それに準じた形での取組をしていくのかなと。
教育自体は多くの人がたくさんの意見を持っております。その意見はみんな違います。その違いを一つに集約するということは極めて困難なことでありまして、特に義務教育の分野では、全国民の教育水準の維持向上という視点からするならば、国が大枠を定めた中でどの程度の弾力的運用が可能なのか、例えば、学習指導要領あるいは授業時数の編成にありましても、何時間とかあるいは何単位ということが固定的であるよりは、むしろ若干、二単位から三単位の差とか、何時間から何時間までとか、ある幅を示した形での基準があると県なり市町村なりの取組はもっと弾力性、自主性を持って発揮されるのではないかなという感じがいたします。
現在、未履修問題が大きな問題として、社会問題として取り上げられておりますけれども、これはある意味では学校が自分たちの取組として善意で取り組んだ結果でないとは言い切れないとも思います。その辺が、枠の決め方がどの程度の拘束性を持った枠の決め方をするかによって地方の取組も変わってくるのかなという印象を持ってもおります。
西遊記で、孫悟空が大きく飛び跳ねて、気が付いてみたらお釈迦様の手のひらの中で飛び跳ねていたという話がございますけれども、言うなれば、国の基準は私の感覚としては手のひらであって、その中でどこまで及ぶのか、親指にとどまるのか中指まで行くのか、それは県なり市町村の教育委員会の判断が加えられる要素があるといいなと正直思ったりもいたしております。
大切なことは、教育行政の中で大きなウエートを占めるのが教育予算であります。しかも、その固まりはほとんどが人件費であります。残念ながら、先般、義務教育国庫負担金の二分の一が三分の一に減らされましたけれども、考えてみますと、こういった財政的負担は義務教育、国民に対しその子女に就学させる義務を負う国の立場からするならば、全額又は二分の一の義務教育国庫負担が正しいと私は今でも信じております。その中で、どんな形での様々な取組をしていくのか、それぞれ地方公共団体の長なりの考え方がありますけれども、大切なことは、教育の政治的中立を確保するという点で、教育委員会制度は、いろいろ問題は抱えているとしても、現時点におけるベストな制度だと私は思っております。
私自身も、自らの思いがなかなか教育行政に反映しないというもどかしい思いはすることもあります。しかし、私の感覚、判断がすべて正しいとは限りません。思い付きで何かをやるということは教育にとって大変危険なことでもあります。大きな流れの中で徐々に徐々にいい方向へ向かっていくと、それがあるべき姿ではないのか。特に考えなけりゃなりませんのは、人事の問題として、教育内容はどこからどこにウエートを移すために必要なくなった教員の首を切るのか、必要な分野の教員を新たに採用するのか、そういうことは短期間のスパンではできることではありません。
五年、十年の見通した形で徐々に移行していく。これはあらゆる分野そうだと思いますけれども、教育は教師、教員そのものが命であります。正に教員のある程度の安定した形での仕事を情熱を持って取り組んでいただくためには、単なる首長の考え方一つで教員の数や身分や、あるいは採用や退職、リストラ等々が行われるという危険だけは排除しなければならないと私は思ってもおります。もどかしいようではございますけれども、長の考え方を徐々に浸透させながら、教育委員会がその基本的な方向性を、専門的な見地から様々な取組をしていくのが正しい制度の在り方ではないのかと思っております。
教育委員会制度はレーマンコントロールと言われております。正に素人の委員が五人。しかし、考えてみますと、そこに専門家のエキスパートである教育長が加わった構成になりますけれども、単独の首長一人の判断よりは三人とか五人という、その合議制の教育委員会に大きなメリットがあります。三人寄れば文殊の知恵という言葉もあります。五人寄れば普賢の真理、そんな形で教育がある程度政治的に中立で安定して継続的に行われる、地方教育行政にとっての教育委員会制度は私は高く評価しておりますし、あとは運用の問題ではないのか。運用はまだまだ要求すべきことも多いでしょうけれども、その中にその地域の未来を様々な創意工夫を凝らしながらつくっていくということは可能だと思ってもおります。
私の一応考え方を表現させていただきました。ありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、かつて文部省に勤務しておりました期間のうち、飛び飛びでございますが通算十年、教育委員会制度を担当させていただいた経験がございます。また、愛媛県知事ということで八年間、地方教育行政の一端を担っております立場からの意見として申し述べさせていただきたいと思います。
教育行政におきます地方公共団体の役割は、戦前と戦後はがらりと変わりました。このきっかけとなりましたのが、昭和二十一年三月にアメリカからストダード博士を団長とする二十七名の教育使節団が参りまして、改善の意見を、報告をマッカーサー司令官に出しました。中の一番問題は、ローマ字を日本の国語にという提案は、これは日本政府の見識ではねたわけでございますけれども、六三三四制という学校制度と教育委員会制度はこの報告をベースといたしております。
そのときの考え方が、かつての上意下達の中央集権方式の教育行政から地方分権型へという基本理念で、報告書の中では、内務省地方官吏の学校に対する管理行政を排するため、公選による教育行政機関を設けるという提案でありました。これを受けて昭和二十三年に教育委員会制度が設けられまして公選制が行われましたが、その後四年、昭和二十五年の九月に第二次教育使節団が参りまして、第一回目の使節団の構成員の五名が参りまして、言うなればアフターケアの形で報告を出しました。
その中では、教育委員の選任について、特定の自分の考え方を押し付ける人、集団の意思を代弁する人、そういった人は委員としては適当でないというような提言もありました一方、もう一つ踏み込みまして、教育委員会に教育予算の編成権を与えるべきだという強い提言もございました。
これを受けて昭和二十七年に教育委員会法改正が行われて、教育予算の議会への提案権を教育委員会が持つという改正が行われました。しかし、このことは議会と教育委員会との間の対立関係を生む形になりまして、昭和三十一年の法改正でそれはまた首長の権限に戻され、単に教育委員会の意見を聴くという形に改められました。と同時に、公選制による教育委員会制度が特定の党派あるいは団体の意見を強く反映し過ぎるということで、議会の承認を得た任命制に変わったという経緯があります。
そこで、現実に私自身が知事の立場で教育行政を担当させていただいておりまして、問題は、教育委員会が機能していないという意見がよく出されます。このことは、実際上は制度の問題といいますよりも、まず教育委員の選任は、人格高潔で、教育、学術、文化に関し識見を有する者の中から任命するとされている。正に首長の見識においてその地域社会で尊敬されるような人格あるいは識見を有する方を選んでいただくということが基本条件でありますと同時に、任命されました教育委員は、今現在の制度の下におきまして地方教育行政の最終的な責任者の立場に立つわけでありますから、それなりの与えられた責務を自覚した上で主体性を発揮して委員会としての意思決定を取りまとめるという形でならなければならないだろうと私は思ってもおります。
現実の問題といたしまして、長が持っております権限は、言うなれば教育予算の編成、執行権のみでありまして、現実にじゃ教育の在り方について何も言えないかというと、必ずしもそうではありませんのは、直接教育委員会に対する指示は不可能でございますけれども、例えば議会での答弁、あるいは新聞記者との会見等々で教育問題に関しての意見を求められた場合には、これは教育委員会の所管ではあるが私はこう思うという自分なりの考え方、意見表明をさせていただきます。そのことは、当然議会に出席されております教育委員あるいは教育長は聞いておるわけでございますし、また報道での発表は新聞、テレビを通じて報道されますから、知事はこんな考え方で教育に向けての思いを持っているんだなということは当然理解していただいた上で、具体的な取組は、それは教育委員会の主体性によって行われるということであろうかと思っております。
もう一つは、予算の編成権といたしまして、特に定数の配分の問題があります。これはそれぞれの県によって違いますけれども、やはり知事の考え方はかなり影響力を持つかなと思いますのは、現実に定数配分をいたしますときに、音楽の専科教員を重視するのか体育の専科教員の配置考えるのか、あるいは教員の資質向上で教育大学院への派遣学生数を増やす、定数を増やすかどうか、教育困難校にどの程度の配分をするのか、あるいは学級編制を四十人学級から三十五人にするのか、様々な形で限られたパイの中で、厳しい財政状況の中でやりくりしながらそれを考えていくということは、ある財源を生み出すためにはどこかの財源を切らなきゃいけませんから、どこかにウエートを置くということは他の分野のウエートが下がるという、ある意味ではやじろべえのような関係になることはあり得ますけれども、基本的に知事が首長として教育に関して大きな影響力を持つのは、そういった意味でのウエートの置き方はどちらに向けるのかということで左右されるであろうと思ってもおります。
教育内容等の問題は、これは教育委員会が正に自主的に御判断になることでありますし、今申し上げました教育内容は学習指導要領という国の基本的な基準がございますから、その枠の中でどこまで弾力的な取組をしていくのか。
今、愛媛県におきましては、可能な限り学校の自主性を尊重して弾力的な運用、自主性、創造性を発揮するようにという校長に対する権限移譲が進められておりまして、教育委員会はそういった点で教育内容面に関して負荷する分野は余り強くはないのかなと印象は受けております。
いずれにいたしましても、その教育の方向性についての大きな国の枠の中で県は判断をし、また市町村教育委員会も同様な、それに準じた形での取組をしていくのかなと。
教育自体は多くの人がたくさんの意見を持っております。その意見はみんな違います。その違いを一つに集約するということは極めて困難なことでありまして、特に義務教育の分野では、全国民の教育水準の維持向上という視点からするならば、国が大枠を定めた中でどの程度の弾力的運用が可能なのか、例えば、学習指導要領あるいは授業時数の編成にありましても、何時間とかあるいは何単位ということが固定的であるよりは、むしろ若干、二単位から三単位の差とか、何時間から何時間までとか、ある幅を示した形での基準があると県なり市町村なりの取組はもっと弾力性、自主性を持って発揮されるのではないかなという感じがいたします。
現在、未履修問題が大きな問題として、社会問題として取り上げられておりますけれども、これはある意味では学校が自分たちの取組として善意で取り組んだ結果でないとは言い切れないとも思います。その辺が、枠の決め方がどの程度の拘束性を持った枠の決め方をするかによって地方の取組も変わってくるのかなという印象を持ってもおります。
西遊記で、孫悟空が大きく飛び跳ねて、気が付いてみたらお釈迦様の手のひらの中で飛び跳ねていたという話がございますけれども、言うなれば、国の基準は私の感覚としては手のひらであって、その中でどこまで及ぶのか、親指にとどまるのか中指まで行くのか、それは県なり市町村の教育委員会の判断が加えられる要素があるといいなと正直思ったりもいたしております。
大切なことは、教育行政の中で大きなウエートを占めるのが教育予算であります。しかも、その固まりはほとんどが人件費であります。残念ながら、先般、義務教育国庫負担金の二分の一が三分の一に減らされましたけれども、考えてみますと、こういった財政的負担は義務教育、国民に対しその子女に就学させる義務を負う国の立場からするならば、全額又は二分の一の義務教育国庫負担が正しいと私は今でも信じております。その中で、どんな形での様々な取組をしていくのか、それぞれ地方公共団体の長なりの考え方がありますけれども、大切なことは、教育の政治的中立を確保するという点で、教育委員会制度は、いろいろ問題は抱えているとしても、現時点におけるベストな制度だと私は思っております。
私自身も、自らの思いがなかなか教育行政に反映しないというもどかしい思いはすることもあります。しかし、私の感覚、判断がすべて正しいとは限りません。思い付きで何かをやるということは教育にとって大変危険なことでもあります。大きな流れの中で徐々に徐々にいい方向へ向かっていくと、それがあるべき姿ではないのか。特に考えなけりゃなりませんのは、人事の問題として、教育内容はどこからどこにウエートを移すために必要なくなった教員の首を切るのか、必要な分野の教員を新たに採用するのか、そういうことは短期間のスパンではできることではありません。
五年、十年の見通した形で徐々に移行していく。これはあらゆる分野そうだと思いますけれども、教育は教師、教員そのものが命であります。正に教員のある程度の安定した形での仕事を情熱を持って取り組んでいただくためには、単なる首長の考え方一つで教員の数や身分や、あるいは採用や退職、リストラ等々が行われるという危険だけは排除しなければならないと私は思ってもおります。もどかしいようではございますけれども、長の考え方を徐々に浸透させながら、教育委員会がその基本的な方向性を、専門的な見地から様々な取組をしていくのが正しい制度の在り方ではないのかと思っております。
教育委員会制度はレーマンコントロールと言われております。正に素人の委員が五人。しかし、考えてみますと、そこに専門家のエキスパートである教育長が加わった構成になりますけれども、単独の首長一人の判断よりは三人とか五人という、その合議制の教育委員会に大きなメリットがあります。三人寄れば文殊の知恵という言葉もあります。五人寄れば普賢の真理、そんな形で教育がある程度政治的に中立で安定して継続的に行われる、地方教育行政にとっての教育委員会制度は私は高く評価しておりますし、あとは運用の問題ではないのか。運用はまだまだ要求すべきことも多いでしょうけれども、その中にその地域の未来を様々な創意工夫を凝らしながらつくっていくということは可能だと思ってもおります。
私の一応考え方を表現させていただきました。ありがとうございました。
中
濱
濱野健#5
○参考人(濱野健君) 御紹介をいただきました品川区長の濱野でございます。
本日は、大切な教育基本法にかかわる特別委員会にお招きをいただきまして、意見を述べさせていただく機会を与えられましたことを心から感謝申し上げます。
私からは、具体的な事例を挙げまして品川区が取り組んでいる教育改革の内容を御紹介させていただきながら、もう一つは、首長として、今子供を取り巻く環境の中で地方公共団体がどういうことに取り組まなければいけないかという、そういう課題について少しお話をさせていただきたいと思います。
具体的な事例に入ります前に、私が思っておりますことでありますけれども、国では安倍総理が、これからの社会のありようの中で教育はいかにあるべきか、子供たちはどのようにあるべきかということを考え、実践し、発言をされているわけであります。それは、これからの国家というものを考えたときに当然のことであろうかと思います。
しかしまた、教育というのは、国家だけではなくて、その地域社会を次代において担っていく人材を育てる営みでもございます。品川なら品川の地域社会を担っていく人間をはぐくんでいくという、そういう営みでございます。そこにやはり、安倍総理が国の文科省に対して一定の指揮なり発言力があるのと同じように、首長としてもやはり教育の問題について一定の、権限とは申しませんが、そういうものが必要ではないかというふうに思っております。
今の加戸知事のお話とも関連いたしますけれども、実際には、例えば予算の査定でありますとか議会との関係でありますとか、こういったことで首長が教育の問題について言及はするわけでありますけれども、現在の法制度の中では、首長の役割というのは学校の設置者ということであります。つまり、校舎を建て、校庭を整備する、これだけが明示されている首長の役割でありますけれども、先ほど申しましたように、次代の地域社会の担い手をはぐくむという営みに関して首長はもう少し明文的に影響力を行使できるような、そういう仕組みが必要なのではないかなというふうに思っております。
私自身は、教育委員会の存廃については特段独自の意見は持っておりませんが、教育委員会と並立するような形で首長が一定の権限を持つ明文の明示があってもいいのではないか、こんなふうに思っております。
私、品川区では、教育改革の根幹を、これは区政すべてそうでありますけれども、子供本位というふうに考えております。子供本位、これは区政が区民本位というのと同じでございます。象牙の塔とか白い巨塔といって、病院や学校というのは一種の権威性と閉鎖性の中にあるという、かつてそういう時代がありましたけれども、そうではなくて、やはり社会の構成員として、一つの社会を構成する組織として学校というものはあるはずだというふうに思っておりまして、学校が社会性を持つべきだというふうな思いを持っております。そんなことで、そういうことを観点に、それともう一つは、経営感覚が学校経営に必要だという、そういう観点から教育改革を進めてまいりました。
平成八年に戸越台中学校という中学校を特別養護老人ホームと合築をしたんです。これは思わぬ効果があった。これは、学校が世間と向き合わざるを得ない装置になったわけであります。学校といえば、塀を巡らせて学校の中だけで自己完結する、そういう施設でありますけれども、特別養護老人ホームと合築することによりまして、お年寄りといやが応でも直面する、こういう言わばハード的な仕掛けになったわけでありまして、ここに初めて品川区の学校が社会と直接向き合うようになったというふうに思っております。
そして、平成十八年に、これは第三次長期基本計画という地方の基本計画を作る段階の中で、これは前の区長が、非常に素朴な発想でありますけれども、何で子供たちは自分の行く学校が決められているのか、何で自分で選べないのかという、そういう発想から学校選択の自由化という問題に取り組んだわけでございます。
長期計画の策定の中でこの学校選択の自由化に積極的に取り組もうということになりまして、平成十一年に、いろんな面で大変に名前が知れておりますけど、若月教育長を招聘をいたしました。この若月教育長は、その前に私どもの指導室長をやっておりましたので品川区の実態をよく知っているということと、非常に大胆に改革を断行してくれるという、そういう期待を持って十一年に招聘をいたしまして、早速、教育改革プラン21というのを策定をいたしました。プラン21の初版本でございます。
これは、中身は、学校選択の自由性と、それからもう一つは、選ばれる学校という、学校が今度は選ばれる立場になるという観点から特色ある学校をつくっていこう、こういう学校独自の取組をしなければ選ばれないという、そういう仕組みをつくったわけでございます。その仕組みをつくって、平成十二年、十三年で小学生、中学生にこの制度を導入して実際に実施をいたしました。この時点で教育改革が始まったわけでございます。
もう一つ重要なことは、教育においては社会との先ほど付き合うということでありますけれども、この平成十三年にすまいるスクールというのを立ち上げました。これ、従来、学童保育クラブという格好で、学童保育ということで、いわゆるかぎっ子対策として一部の子供たちを放課後見守るという、そういう事業をやっておりましたけれども、それを学校の中でやっていこうということでございます。したがって、すべての小学生が対象になる、すべての小学生が放課後、学習であるとか、それから遊びであるとか、あるいは得意分野のことをやっていくと。その中に、地域のボランティアの方々あるいは地域の指導者が入っていただいたわけであります。ここにおいて、放課後、学校が地域に開かれている、そういう時間帯を設けたということになります。そういう意味で、学校が社会性を持つということにこのすまいるスクールというのが一役を担ったというふうに思っております。
そして、その十三年にそのすまいるスクールを始めたわけでありますけれども、十四年にもう一つの試みでございます、今日お手元に資料でこういう「二葉すこやか園」という資料を付けさせていただきましたが、幼保一体化の施設を十四年、品川区で設立をいたしました。これは、先ほど申しました理念である子供本位というところからの発想でございます。つまり、子供が、親が働いているかどうかでもってその扱いが、行政の扱いが異なってくる、幼稚園なのか保育園なのか。これは子供が選んだわけではありません。親の就労という、その親の事情によって子供の見守り方が違ってくるという、これは子供本位ではないだろうということで、幼稚園と保育園というものを一体化していく必要があるんだと、こういう観点から保育園と幼稚園を一体的に設置をしたものでございます。
それは、平成十六年になりまして、もう一つ、ぷりすくーるというものを立ち上げまして、これは私立幼稚園のマンパワーであるNPOを活用して幼保一体化の施設を造りまして、平成十八年、今年でありますけれども、もう一つのびっこ園台場というのを造りました。今三つ、そういう意味で幼保一体化の施設がございます。
のびっこ園台場には、先ほどデンマークの首相夫人がお見えになりました。デンマークの首相夫人というのは、横道にそれますが、現職の保育士だそうでございます。そういった意味で、私どもが出迎えるという儀礼的なことよりも、まず園長さんとお話がしたいということで、デンマークの首相の夫人がのびっこ園を訪問していただきました。そういったことで、子供本位ということから幼保一体化施設を造ってきたわけでございます。
一方、学校の改革でございますが、学校選択をつくった、制度を導入した、そして選ばれる学校になった。それでは、その選ばれる学校が、あるいはそれぞれの学校がどうやってこの子供たちの教育を保障していくかということで、そこで取り入れましたのがいわゆる学校評価制度でございます。今はもう一般的になっておりますけれども、外部評価委員によって学校を評価していただく、社会から見てどうなのか、あるいはその先生方の努力をどう見ていただいているのかというのを外部評価をしていただくという仕組みを取り入れました。
そしてもう一つは、学力の定着度調査というのを区独自で実施をいたしました。一斉テストです、一言で言えば、品川区独自です。これをホームページに公表いたしました。個人個人ではありません。各学校のホームページに、うちの定着度はこうでしたということを発表いたします。そして、それだけが大切なのではありません。その学校が、うちの学校は算数がちょっとこうこうこういうことで落ちている、あるいは低いと、特にこういう分野について問題があるということであれば、ここにどういうふうな手を打つかという、いわゆる学校の態度表明を併せて載せるようにしております。つまり、各学校が自分の学校の現状を振り返って、そしてこれからどうするかということをワンセットでもって子供たちにあるいは保護者にあるいは地域に明らかにしていくと、そういうシステムを取ったわけでございます。
したがって、外部評価と、もう一つは定着度調査と、そしてそれに伴う態度表明、そして具体的な手法としては、習熟度別授業を平成十五年でしたか、取り入れました。
習熟度別というのは、先ほど申しましたように、学校としてのその出っ込み引っ込みがある、このへっこみをこういうふうに改善していくということと同時に、生徒一人一人の状況に着目して、この子にはこういうところが必要だ、こういうところの補習が必要だということで、習熟度別の授業を展開するということを始めております。そういう改革を進めまして、そしてそういう改革を小中一貫校ということで、あるいは小中一貫教育ということで体系化していったわけでございます。
これは、私ども品川区における小中一貫の教育要領でございます。この小中一貫の教育要領の中で、今申し上げたような事柄を全部体系化をして全区的に小中一貫教育というものも展開しているところでございます。
この中で、ちょっと話が行ったり来たりになって恐縮ですが、市民科という科目を設けておりますが、これは、市民科というのは従来の道徳でありますとか総合学習の時間とかというものをくくりまして、いわゆる社会性ですね、先ほど冒頭で学校に社会性をということを申し上げましたけれども、生徒の社会性を高めていく必要がある、地域社会の担い手をはぐくむという意味では市民性を持ってもらうことが必要だ。自分がしっかり生きる、その生きる力を養うと同時に社会の一員としてしっかりと構成員になるという、そういう意味での市民科というのを設けております。
この一端としまして、これは、その市民科というのが始まったのは今年ないし去年でありますけれども、平成たしか十四年ですか、スチューデント・シティというのを、八潮南小というところにスチューデント・シティというのを、シティバンク、外資系の銀行ですけれども、シティバンクと提携をいたしましてスチューデント・シティというのをつくりました。これは、その学校の中に仕掛けをつくります。スーパーマーケットをつくります、区役所をつくります、銀行をつくります、店舗をつくります。それぞれ生徒がそこの店員になったり、銀行員、バンカーになったり、あるいは役所の職員になったりするということで、ロールプレーイングをしながら社会がこうして成り立っているんだということを実体験をさせる、そういう場でございます。そういうスチューデント・シティをつくりまして、各学校がそこへ行って、そういう実践としての社会の成り立ちを学んでくると、そういうものをつくりました。
そして、一昨年でありますけれども、十七年には今度はファイナンス・パークというのをつくりました。これは城南中学という中学校の中でありますけれども、これもやはりハード的な仕掛けをした上で人生設計というものを自分なりに立ててみようということです。
生きるにはお金が掛かります。その生きるための費用なりあるいは力をどうやって養っていくのかということで、例えば税金が幾ら、例えばこういう職業を選ぶ、収入がこうだ、そうだとすると、そういうその経費でありましょう、生きるための経費、税金あるいは公共料金、生命保険料、こういったものが一体どういうふうに掛かってくるんだろうかというようなことを身をもって各人がシミュレーションをするという、そういうファイナンス・パークというものをつくって、これも現在の市民科の中で生かしておりますけれども、子供たちが社会性を持つという、そういう観点で改革を行ってきたところでございます。
ちょっと時間がないんですが、もう一つだけ言わせていただくのは、これから首長の役割としましては親育てだろうというふうに思っております。親育て。今、教育力が低下していると言っておりますけれども、教育力どころではない、養育力が低下している、朝御飯を食べてこない。
その親育てというのは、今品川区の例で申しますと、ゼロ歳児は八五%がお宅にいます。お宅にいるというのは、子供がですね。その他は保育園のゼロ歳保育に預けています。八五%が、子供がお宅にいるということは行政とのかかわりがないということです、親御さんが。それから、一歳で七五%だと思います。三歳で六五%かな。つまり、ゼロ歳から三歳まではほとんどの親御さんが行政とかかわりなくお宅にいらっしゃる。そこをどうやって親育てに引っ張り出していくかということが非常に大きな課題だと思います。
申し述べたいことは幾つかあります。学校の適正配置の問題とかありますが、もし機会がありましたら御質問をいただく中でお話をさせていただきたいと思っております。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →本日は、大切な教育基本法にかかわる特別委員会にお招きをいただきまして、意見を述べさせていただく機会を与えられましたことを心から感謝申し上げます。
私からは、具体的な事例を挙げまして品川区が取り組んでいる教育改革の内容を御紹介させていただきながら、もう一つは、首長として、今子供を取り巻く環境の中で地方公共団体がどういうことに取り組まなければいけないかという、そういう課題について少しお話をさせていただきたいと思います。
具体的な事例に入ります前に、私が思っておりますことでありますけれども、国では安倍総理が、これからの社会のありようの中で教育はいかにあるべきか、子供たちはどのようにあるべきかということを考え、実践し、発言をされているわけであります。それは、これからの国家というものを考えたときに当然のことであろうかと思います。
しかしまた、教育というのは、国家だけではなくて、その地域社会を次代において担っていく人材を育てる営みでもございます。品川なら品川の地域社会を担っていく人間をはぐくんでいくという、そういう営みでございます。そこにやはり、安倍総理が国の文科省に対して一定の指揮なり発言力があるのと同じように、首長としてもやはり教育の問題について一定の、権限とは申しませんが、そういうものが必要ではないかというふうに思っております。
今の加戸知事のお話とも関連いたしますけれども、実際には、例えば予算の査定でありますとか議会との関係でありますとか、こういったことで首長が教育の問題について言及はするわけでありますけれども、現在の法制度の中では、首長の役割というのは学校の設置者ということであります。つまり、校舎を建て、校庭を整備する、これだけが明示されている首長の役割でありますけれども、先ほど申しましたように、次代の地域社会の担い手をはぐくむという営みに関して首長はもう少し明文的に影響力を行使できるような、そういう仕組みが必要なのではないかなというふうに思っております。
私自身は、教育委員会の存廃については特段独自の意見は持っておりませんが、教育委員会と並立するような形で首長が一定の権限を持つ明文の明示があってもいいのではないか、こんなふうに思っております。
私、品川区では、教育改革の根幹を、これは区政すべてそうでありますけれども、子供本位というふうに考えております。子供本位、これは区政が区民本位というのと同じでございます。象牙の塔とか白い巨塔といって、病院や学校というのは一種の権威性と閉鎖性の中にあるという、かつてそういう時代がありましたけれども、そうではなくて、やはり社会の構成員として、一つの社会を構成する組織として学校というものはあるはずだというふうに思っておりまして、学校が社会性を持つべきだというふうな思いを持っております。そんなことで、そういうことを観点に、それともう一つは、経営感覚が学校経営に必要だという、そういう観点から教育改革を進めてまいりました。
平成八年に戸越台中学校という中学校を特別養護老人ホームと合築をしたんです。これは思わぬ効果があった。これは、学校が世間と向き合わざるを得ない装置になったわけであります。学校といえば、塀を巡らせて学校の中だけで自己完結する、そういう施設でありますけれども、特別養護老人ホームと合築することによりまして、お年寄りといやが応でも直面する、こういう言わばハード的な仕掛けになったわけでありまして、ここに初めて品川区の学校が社会と直接向き合うようになったというふうに思っております。
そして、平成十八年に、これは第三次長期基本計画という地方の基本計画を作る段階の中で、これは前の区長が、非常に素朴な発想でありますけれども、何で子供たちは自分の行く学校が決められているのか、何で自分で選べないのかという、そういう発想から学校選択の自由化という問題に取り組んだわけでございます。
長期計画の策定の中でこの学校選択の自由化に積極的に取り組もうということになりまして、平成十一年に、いろんな面で大変に名前が知れておりますけど、若月教育長を招聘をいたしました。この若月教育長は、その前に私どもの指導室長をやっておりましたので品川区の実態をよく知っているということと、非常に大胆に改革を断行してくれるという、そういう期待を持って十一年に招聘をいたしまして、早速、教育改革プラン21というのを策定をいたしました。プラン21の初版本でございます。
これは、中身は、学校選択の自由性と、それからもう一つは、選ばれる学校という、学校が今度は選ばれる立場になるという観点から特色ある学校をつくっていこう、こういう学校独自の取組をしなければ選ばれないという、そういう仕組みをつくったわけでございます。その仕組みをつくって、平成十二年、十三年で小学生、中学生にこの制度を導入して実際に実施をいたしました。この時点で教育改革が始まったわけでございます。
もう一つ重要なことは、教育においては社会との先ほど付き合うということでありますけれども、この平成十三年にすまいるスクールというのを立ち上げました。これ、従来、学童保育クラブという格好で、学童保育ということで、いわゆるかぎっ子対策として一部の子供たちを放課後見守るという、そういう事業をやっておりましたけれども、それを学校の中でやっていこうということでございます。したがって、すべての小学生が対象になる、すべての小学生が放課後、学習であるとか、それから遊びであるとか、あるいは得意分野のことをやっていくと。その中に、地域のボランティアの方々あるいは地域の指導者が入っていただいたわけであります。ここにおいて、放課後、学校が地域に開かれている、そういう時間帯を設けたということになります。そういう意味で、学校が社会性を持つということにこのすまいるスクールというのが一役を担ったというふうに思っております。
そして、その十三年にそのすまいるスクールを始めたわけでありますけれども、十四年にもう一つの試みでございます、今日お手元に資料でこういう「二葉すこやか園」という資料を付けさせていただきましたが、幼保一体化の施設を十四年、品川区で設立をいたしました。これは、先ほど申しました理念である子供本位というところからの発想でございます。つまり、子供が、親が働いているかどうかでもってその扱いが、行政の扱いが異なってくる、幼稚園なのか保育園なのか。これは子供が選んだわけではありません。親の就労という、その親の事情によって子供の見守り方が違ってくるという、これは子供本位ではないだろうということで、幼稚園と保育園というものを一体化していく必要があるんだと、こういう観点から保育園と幼稚園を一体的に設置をしたものでございます。
それは、平成十六年になりまして、もう一つ、ぷりすくーるというものを立ち上げまして、これは私立幼稚園のマンパワーであるNPOを活用して幼保一体化の施設を造りまして、平成十八年、今年でありますけれども、もう一つのびっこ園台場というのを造りました。今三つ、そういう意味で幼保一体化の施設がございます。
のびっこ園台場には、先ほどデンマークの首相夫人がお見えになりました。デンマークの首相夫人というのは、横道にそれますが、現職の保育士だそうでございます。そういった意味で、私どもが出迎えるという儀礼的なことよりも、まず園長さんとお話がしたいということで、デンマークの首相の夫人がのびっこ園を訪問していただきました。そういったことで、子供本位ということから幼保一体化施設を造ってきたわけでございます。
一方、学校の改革でございますが、学校選択をつくった、制度を導入した、そして選ばれる学校になった。それでは、その選ばれる学校が、あるいはそれぞれの学校がどうやってこの子供たちの教育を保障していくかということで、そこで取り入れましたのがいわゆる学校評価制度でございます。今はもう一般的になっておりますけれども、外部評価委員によって学校を評価していただく、社会から見てどうなのか、あるいはその先生方の努力をどう見ていただいているのかというのを外部評価をしていただくという仕組みを取り入れました。
そしてもう一つは、学力の定着度調査というのを区独自で実施をいたしました。一斉テストです、一言で言えば、品川区独自です。これをホームページに公表いたしました。個人個人ではありません。各学校のホームページに、うちの定着度はこうでしたということを発表いたします。そして、それだけが大切なのではありません。その学校が、うちの学校は算数がちょっとこうこうこういうことで落ちている、あるいは低いと、特にこういう分野について問題があるということであれば、ここにどういうふうな手を打つかという、いわゆる学校の態度表明を併せて載せるようにしております。つまり、各学校が自分の学校の現状を振り返って、そしてこれからどうするかということをワンセットでもって子供たちにあるいは保護者にあるいは地域に明らかにしていくと、そういうシステムを取ったわけでございます。
したがって、外部評価と、もう一つは定着度調査と、そしてそれに伴う態度表明、そして具体的な手法としては、習熟度別授業を平成十五年でしたか、取り入れました。
習熟度別というのは、先ほど申しましたように、学校としてのその出っ込み引っ込みがある、このへっこみをこういうふうに改善していくということと同時に、生徒一人一人の状況に着目して、この子にはこういうところが必要だ、こういうところの補習が必要だということで、習熟度別の授業を展開するということを始めております。そういう改革を進めまして、そしてそういう改革を小中一貫校ということで、あるいは小中一貫教育ということで体系化していったわけでございます。
これは、私ども品川区における小中一貫の教育要領でございます。この小中一貫の教育要領の中で、今申し上げたような事柄を全部体系化をして全区的に小中一貫教育というものも展開しているところでございます。
この中で、ちょっと話が行ったり来たりになって恐縮ですが、市民科という科目を設けておりますが、これは、市民科というのは従来の道徳でありますとか総合学習の時間とかというものをくくりまして、いわゆる社会性ですね、先ほど冒頭で学校に社会性をということを申し上げましたけれども、生徒の社会性を高めていく必要がある、地域社会の担い手をはぐくむという意味では市民性を持ってもらうことが必要だ。自分がしっかり生きる、その生きる力を養うと同時に社会の一員としてしっかりと構成員になるという、そういう意味での市民科というのを設けております。
この一端としまして、これは、その市民科というのが始まったのは今年ないし去年でありますけれども、平成たしか十四年ですか、スチューデント・シティというのを、八潮南小というところにスチューデント・シティというのを、シティバンク、外資系の銀行ですけれども、シティバンクと提携をいたしましてスチューデント・シティというのをつくりました。これは、その学校の中に仕掛けをつくります。スーパーマーケットをつくります、区役所をつくります、銀行をつくります、店舗をつくります。それぞれ生徒がそこの店員になったり、銀行員、バンカーになったり、あるいは役所の職員になったりするということで、ロールプレーイングをしながら社会がこうして成り立っているんだということを実体験をさせる、そういう場でございます。そういうスチューデント・シティをつくりまして、各学校がそこへ行って、そういう実践としての社会の成り立ちを学んでくると、そういうものをつくりました。
そして、一昨年でありますけれども、十七年には今度はファイナンス・パークというのをつくりました。これは城南中学という中学校の中でありますけれども、これもやはりハード的な仕掛けをした上で人生設計というものを自分なりに立ててみようということです。
生きるにはお金が掛かります。その生きるための費用なりあるいは力をどうやって養っていくのかということで、例えば税金が幾ら、例えばこういう職業を選ぶ、収入がこうだ、そうだとすると、そういうその経費でありましょう、生きるための経費、税金あるいは公共料金、生命保険料、こういったものが一体どういうふうに掛かってくるんだろうかというようなことを身をもって各人がシミュレーションをするという、そういうファイナンス・パークというものをつくって、これも現在の市民科の中で生かしておりますけれども、子供たちが社会性を持つという、そういう観点で改革を行ってきたところでございます。
ちょっと時間がないんですが、もう一つだけ言わせていただくのは、これから首長の役割としましては親育てだろうというふうに思っております。親育て。今、教育力が低下していると言っておりますけれども、教育力どころではない、養育力が低下している、朝御飯を食べてこない。
その親育てというのは、今品川区の例で申しますと、ゼロ歳児は八五%がお宅にいます。お宅にいるというのは、子供がですね。その他は保育園のゼロ歳保育に預けています。八五%が、子供がお宅にいるということは行政とのかかわりがないということです、親御さんが。それから、一歳で七五%だと思います。三歳で六五%かな。つまり、ゼロ歳から三歳まではほとんどの親御さんが行政とかかわりなくお宅にいらっしゃる。そこをどうやって親育てに引っ張り出していくかということが非常に大きな課題だと思います。
申し述べたいことは幾つかあります。学校の適正配置の問題とかありますが、もし機会がありましたら御質問をいただく中でお話をさせていただきたいと思っております。
どうもありがとうございました。
中
穂
穂坂邦夫#7
○参考人(穂坂邦夫君) 前志木市長の穂坂邦夫です。今、NPO法人地方自立政策研究所というのを主宰をしております。
私は、基礎的自治体の立場から申し上げたいと思うんです。
最初にちょっと簡単に自己紹介しておきますが、私は、県の職員、町の職員、市議会議員、県議会議員、市長というふうに、地方自治に職員から合わせますと三十九年、議員だけでも三十四年間やっておりました。最後に市長、一期四年で辞めたわけでありますが、別に悪いことしたわけじゃありませんが、ちょうどもう区切りだなと思って辞めた次第ですが。
そのときに、市長になりまして、簡単にできると思った二十五人学級あるいはホームスタディー制度、これらを日本で初めて市長のときに教育委員会と協力してやったわけでありますが、別に四十人から、いろいろ財源を捻出してやるという、そういう試みをしたわけでありますが、別にその少人数学級がいいとか悪いとかという論議をすることは、まだ十年先、十五年先でなければ分かりませんので言うことはありませんが、ただ、それらが自由にできなかった。非常にあっちこっちの壁にぶち当たって、かなり最後は強引に、何でもかんでもやると、ペナルティーを科すんだったらペナルティーを科してくれと、そこまで言って初めて実施できた。そういう経験から、今の教育行政、特に義務教育行政というのは何だろう、そんなふうに思いました。
そういうところから、二点にわたって申し上げたいと思うんですが、一点は、教育行政における地方公共団体の役割、その実態でありますが、まず一点は、先ほど首長の話も出ましたが、実態的には支配しているんですね。それは、さっきもお話があったように、一つは予算編成権を持っている。あれこれ言ってきても、嫌なことはお金がないから駄目だと言えばそれで済んじゃいますから、そういう支配権の一つが予算の編成権を持つ、要するに財源を持っているということです。
もう一つは、教育委員会の委員の指名権を持っていますから、気に食わない教育委員は、大体議会にかけなければいいわけですから、そういう二つの形から、どうしても、まあ裏に隠れてといいますか、そういう実態的支配権を持っているという現実があるということをまず理解をしていただきたいと思うんです。
さらには、そうありながら、首長、誠にいい立場でありまして、都合の悪いことが何か起きると、教育委員会は独立しているから責任ありませんよと、それは教育長なり教育委員会に聞いてください、そういうふうに責任回避ができますから、誠にある意味では都合のいい、うまくいったときには首長の手柄にもなるだろうと思うんです。そういうことを実感をしておりました。これが一つは地方公共団体の役割であります。実態でもあります。
それから二つ目なんですが、じゃ市町村教育委員会はどうだろう、こういうふうに申し上げますと、これはもう御承知のように、教育行政、これを担う唯一の機関だというふうに思っています。しかし、今度もいろいろ国の方でも大変お考えのようでありますが、もう動線が長い。文科省から都道府県教育委員会へ行って、それが今度は市町村教育委員会に行って学校に行きますから、物すごい動線が長くて、マニュアル化をしないとなかなか国の意思も伝わらないという、そういうことを私は実感をしております。まあ、遠い指揮官がいて、都道府県の指導、助言も受けますから、ある意味ではそれらも混在をした形で指導、助言、まあ簡単に言えば命令ですが、そういうものが入ってきますので、そういう現実にあるということが一点でもあります。
特に、指導、助言というのの実態は、教育行政にかかわっている人たちは教育の専門家が多いからまじめな方が多いんですね。首長は何だとかこうだとか言いますが、案外、教育関係者というのは従順で、一つの出た指導、助言の言葉が現場に着くともう実態的に命令になっている。有無を言わせない。ほとんど、ですから教育委員会が意見を言うというのは、都道府県の場合、私が県議会の議長もやりましたが、ほとんどありませんね。市町村もほとんどそうです。そういう意味では、受動的機関になってしまっている。ですから、言うこともマニュアル化をするし、報告をすることもマニュアル化をしてしまう。大体、機械の部品を作るんじゃなくて子供をつくるわけですから、できるだけ私はマニュアル化をしないような、そういう実態に近づくことがいいのではないか、こう思っております。
さらに、こういうことになってきますから、どこに原因があるか。ほかにもあります。一つは、責任者が不在です。私もよく市民に聞かれたんです。市長は何か責任あるんですかと言うから、別にありませんよと、教育委員会は独立していますからと。ああそうと。それでは、教育長というのは責任者ですか。あの人は事務局長ですよ。教育委員長というと、これは座長さんですから、もちろん政治的中立性、特定の意見から中立性を守る、そういう形の上で合議制が取られているわけでありますが、何せ小中学校の執行機関持っているわけですから、そういう意味では、その無責任体制といいますか、責任者がいるのは唯一学校現場の校長だけ、こういうことになっております。
さらに、レーマンコントロール、これらも形骸化をしているところが多い。それはなぜかといいますと、五人で、市町村の場合ですね、町村の場合には三人というところがありますが、専門のスタッフと常勤の教育長と、ほかの委員さん非常勤で、大体月一回か二回の原則会議ですから、教育長がこういうふうにやってよろしいでしょうかと、ほとんどそれに反論することがないんですね。ですから、皆さんも議事録を見ていただければ分かりますが、教育委員会の議事録というのは非常に簡単です。ほとんどが了承とか、まあいいよとか、そういうことになります。ちょうちょうはっし議論をするというのは、理想論的にはありますが、現実的にはない、こんなふうに思っております。
市町村の今度は立場に戻ってきますと、なかなかこれも難しくて、もう一点あるんです。これは教員が、皆さん御承知のように、県費負担教職員制度なんです。ですから、どうしても県からのお仕着せ人事といいますか、上級官庁から、指導官庁からの派遣人事になります。ですから、どうしても玉突き人事にならざるを得ない、こういう実態があります。
私は、鴻池さんが大臣のときに、そういうことから教育委員会の必置規定の廃止を国に提案をしたんです。もちろん教育委員会でも、今お二方参考人いますが、うまくいっているところもあると思うんです。しかし、うまくいっているところはもっとこれらを是正すればもっと良くなると思っているんです。ですから、そういう意味で必置規定の廃止を特区で申請したわけでありますが、別に今回の自殺等々の予見をしたわけじゃありませんが、やはりもっと実態に合った教育委員会制度というのを考えるもう時期に来たのではないか。事象面からの検証も必要ですが、私は制度面からの検証も必要なのではないか、こう思っております。
最後になりますが、自治体からの提言でありますが、私が実感した中で幾つか申し上げますと、一点は、やっぱり国はもう少し現実的な意味での末端の実施主体のそれぞれ裁量権、これはやっぱりある程度確保してもらった方がいいのではないか。もうはしの上げ下げまでがんじがらめですと、さっき言ったように、どっちもマニュアル化しちゃって、報告も命令もお互いにマニュアル化じゃなくちゃ通じないという、そういう不合理な関係が出てきております。これらが全体的な一つのお願いでもあります。
具体的には三点ありますが、一点は、さっきも出ましたが、私は、義務教育費は全額国が持っていいと思うんです。二分の一ということになっておりますが、この二分の一も交付税措置をしてあるわけでありますから、だったらもっと分かりやすく、交付税ではなくて全額国が国庫補助金としてきちんとしてもらった方がいい。しかも、できれば、さっき言った県費負担教職員制度で都道府県から市町村に来ますから、市町村には採用権、要するに任命権が全くありません。ですから、そういう意味では、もちろんこれは希望するところと希望しないところ、もちろんその自治体の大きさにもよるでしょうが、できるだけもっとシンプルにした方がいいのではないか、こう思っております。
いつかも中教審でも申し上げたんですが、いや、派遣制度というのはうまくいっている、こういう意見もありました。しかし、派遣制度の元が上級官庁じゃ、これはどうにもならないんですね。少しぐらい悪い先生が送られたって、この先生返しますという具合にはいきません。やっぱり、そんなこと言うとより悪い先生をおっ付けられる危険性がありますから、なかなかそういうわけにはいかないので。この辺も、やっぱり国庫負担を堅持していただくと同時に、もうちょっとシンプルにきちんとしてもらった方がいいのではないか。
さらに、国の場合にはモニターといいますか、検証制度が私はあってしかるべきだと思うんです。国が一つの責任を持つわけでありますから、しっかりやっているかと、それらをしっかり検証する、そういう制度は確立した方がいいと思うんですが。何もかも自由だとは思っていません。しかし、その前に縛っちゃっておいて、さあやれというと、なかなかそこに創造性や何かが実施主体に出てこない、こう思っております。
先ほど言ったレーマンコントロールでありますが、これらもたった五人じゃ無理だと思うんですね。私は今、例えば福祉の専門家なんかも必要なんです。そういう意味からすれば、新たな教育審議会、地方の教育審議会制度みたいなのをつくって、そこに十人から二十人ぐらいの委員さんが入ってやる。さらに、教育長が私は責任者となってもいいと思うんです。しかし、その教育長が余り横暴なことをされると困りますから、そういう新たな審議会に牽制機能を付与する、そういうチェックの方法だってあると思うんです。
首長も総括的な責任というのはあると思うんですね。もちろん、私は教育の直接現場に首長が、公選の首長が指揮権を振るうというのは良くないと思っています。ですから、それも国の義務化をしてもいいですし、法律化をしてもいいですし、あるいは地方にとっては条例が法律でありますから、それらで担保してもいいのではないか、こう思っております。やっぱり、レーマンコントロールというのは多様な意見の反映ですから、それらが実態的に形骸化しているというものはやはり避けなければいけないのではないか、改革をしなければいけないのではないかというふうに思っております。
この際、一言言っておきますが、私も県で長かったものですから思うんですが、地方自治体というと、どうしても市町村と公益機能を持っている都道府県は同じに取られやすいんですね。やっぱり、公益的機能を持っているところは教育の中でも限定を私はすべきだと思うんです、はっきり分けるべきだと思っています。この際、私は、県の立場ではありませんが、多少付け加えておきたいというふうに思っております。
最後でありますが、今申し上げましたけれども、やはり新たな教育委員会制度、教育委員会というものをもう一度見直して、国の様々な方針や何かもあるでしょう、それが実態的にやっぱり弾力化を持った形で地方に届けられる、守るべきものは国が守っていただく、やるべきところは実施主体が創意と工夫を持って頑張っていく、こういうやっぱりシンプルな形にしていただいた方がいいのではないかというふうに思っております。先ほど申し上げましたように、動線が余りにも長過ぎる、できるだけシンプルにした方がいいのではないかと、こう思っております。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、基礎的自治体の立場から申し上げたいと思うんです。
最初にちょっと簡単に自己紹介しておきますが、私は、県の職員、町の職員、市議会議員、県議会議員、市長というふうに、地方自治に職員から合わせますと三十九年、議員だけでも三十四年間やっておりました。最後に市長、一期四年で辞めたわけでありますが、別に悪いことしたわけじゃありませんが、ちょうどもう区切りだなと思って辞めた次第ですが。
そのときに、市長になりまして、簡単にできると思った二十五人学級あるいはホームスタディー制度、これらを日本で初めて市長のときに教育委員会と協力してやったわけでありますが、別に四十人から、いろいろ財源を捻出してやるという、そういう試みをしたわけでありますが、別にその少人数学級がいいとか悪いとかという論議をすることは、まだ十年先、十五年先でなければ分かりませんので言うことはありませんが、ただ、それらが自由にできなかった。非常にあっちこっちの壁にぶち当たって、かなり最後は強引に、何でもかんでもやると、ペナルティーを科すんだったらペナルティーを科してくれと、そこまで言って初めて実施できた。そういう経験から、今の教育行政、特に義務教育行政というのは何だろう、そんなふうに思いました。
そういうところから、二点にわたって申し上げたいと思うんですが、一点は、教育行政における地方公共団体の役割、その実態でありますが、まず一点は、先ほど首長の話も出ましたが、実態的には支配しているんですね。それは、さっきもお話があったように、一つは予算編成権を持っている。あれこれ言ってきても、嫌なことはお金がないから駄目だと言えばそれで済んじゃいますから、そういう支配権の一つが予算の編成権を持つ、要するに財源を持っているということです。
もう一つは、教育委員会の委員の指名権を持っていますから、気に食わない教育委員は、大体議会にかけなければいいわけですから、そういう二つの形から、どうしても、まあ裏に隠れてといいますか、そういう実態的支配権を持っているという現実があるということをまず理解をしていただきたいと思うんです。
さらには、そうありながら、首長、誠にいい立場でありまして、都合の悪いことが何か起きると、教育委員会は独立しているから責任ありませんよと、それは教育長なり教育委員会に聞いてください、そういうふうに責任回避ができますから、誠にある意味では都合のいい、うまくいったときには首長の手柄にもなるだろうと思うんです。そういうことを実感をしておりました。これが一つは地方公共団体の役割であります。実態でもあります。
それから二つ目なんですが、じゃ市町村教育委員会はどうだろう、こういうふうに申し上げますと、これはもう御承知のように、教育行政、これを担う唯一の機関だというふうに思っています。しかし、今度もいろいろ国の方でも大変お考えのようでありますが、もう動線が長い。文科省から都道府県教育委員会へ行って、それが今度は市町村教育委員会に行って学校に行きますから、物すごい動線が長くて、マニュアル化をしないとなかなか国の意思も伝わらないという、そういうことを私は実感をしております。まあ、遠い指揮官がいて、都道府県の指導、助言も受けますから、ある意味ではそれらも混在をした形で指導、助言、まあ簡単に言えば命令ですが、そういうものが入ってきますので、そういう現実にあるということが一点でもあります。
特に、指導、助言というのの実態は、教育行政にかかわっている人たちは教育の専門家が多いからまじめな方が多いんですね。首長は何だとかこうだとか言いますが、案外、教育関係者というのは従順で、一つの出た指導、助言の言葉が現場に着くともう実態的に命令になっている。有無を言わせない。ほとんど、ですから教育委員会が意見を言うというのは、都道府県の場合、私が県議会の議長もやりましたが、ほとんどありませんね。市町村もほとんどそうです。そういう意味では、受動的機関になってしまっている。ですから、言うこともマニュアル化をするし、報告をすることもマニュアル化をしてしまう。大体、機械の部品を作るんじゃなくて子供をつくるわけですから、できるだけ私はマニュアル化をしないような、そういう実態に近づくことがいいのではないか、こう思っております。
さらに、こういうことになってきますから、どこに原因があるか。ほかにもあります。一つは、責任者が不在です。私もよく市民に聞かれたんです。市長は何か責任あるんですかと言うから、別にありませんよと、教育委員会は独立していますからと。ああそうと。それでは、教育長というのは責任者ですか。あの人は事務局長ですよ。教育委員長というと、これは座長さんですから、もちろん政治的中立性、特定の意見から中立性を守る、そういう形の上で合議制が取られているわけでありますが、何せ小中学校の執行機関持っているわけですから、そういう意味では、その無責任体制といいますか、責任者がいるのは唯一学校現場の校長だけ、こういうことになっております。
さらに、レーマンコントロール、これらも形骸化をしているところが多い。それはなぜかといいますと、五人で、市町村の場合ですね、町村の場合には三人というところがありますが、専門のスタッフと常勤の教育長と、ほかの委員さん非常勤で、大体月一回か二回の原則会議ですから、教育長がこういうふうにやってよろしいでしょうかと、ほとんどそれに反論することがないんですね。ですから、皆さんも議事録を見ていただければ分かりますが、教育委員会の議事録というのは非常に簡単です。ほとんどが了承とか、まあいいよとか、そういうことになります。ちょうちょうはっし議論をするというのは、理想論的にはありますが、現実的にはない、こんなふうに思っております。
市町村の今度は立場に戻ってきますと、なかなかこれも難しくて、もう一点あるんです。これは教員が、皆さん御承知のように、県費負担教職員制度なんです。ですから、どうしても県からのお仕着せ人事といいますか、上級官庁から、指導官庁からの派遣人事になります。ですから、どうしても玉突き人事にならざるを得ない、こういう実態があります。
私は、鴻池さんが大臣のときに、そういうことから教育委員会の必置規定の廃止を国に提案をしたんです。もちろん教育委員会でも、今お二方参考人いますが、うまくいっているところもあると思うんです。しかし、うまくいっているところはもっとこれらを是正すればもっと良くなると思っているんです。ですから、そういう意味で必置規定の廃止を特区で申請したわけでありますが、別に今回の自殺等々の予見をしたわけじゃありませんが、やはりもっと実態に合った教育委員会制度というのを考えるもう時期に来たのではないか。事象面からの検証も必要ですが、私は制度面からの検証も必要なのではないか、こう思っております。
最後になりますが、自治体からの提言でありますが、私が実感した中で幾つか申し上げますと、一点は、やっぱり国はもう少し現実的な意味での末端の実施主体のそれぞれ裁量権、これはやっぱりある程度確保してもらった方がいいのではないか。もうはしの上げ下げまでがんじがらめですと、さっき言ったように、どっちもマニュアル化しちゃって、報告も命令もお互いにマニュアル化じゃなくちゃ通じないという、そういう不合理な関係が出てきております。これらが全体的な一つのお願いでもあります。
具体的には三点ありますが、一点は、さっきも出ましたが、私は、義務教育費は全額国が持っていいと思うんです。二分の一ということになっておりますが、この二分の一も交付税措置をしてあるわけでありますから、だったらもっと分かりやすく、交付税ではなくて全額国が国庫補助金としてきちんとしてもらった方がいい。しかも、できれば、さっき言った県費負担教職員制度で都道府県から市町村に来ますから、市町村には採用権、要するに任命権が全くありません。ですから、そういう意味では、もちろんこれは希望するところと希望しないところ、もちろんその自治体の大きさにもよるでしょうが、できるだけもっとシンプルにした方がいいのではないか、こう思っております。
いつかも中教審でも申し上げたんですが、いや、派遣制度というのはうまくいっている、こういう意見もありました。しかし、派遣制度の元が上級官庁じゃ、これはどうにもならないんですね。少しぐらい悪い先生が送られたって、この先生返しますという具合にはいきません。やっぱり、そんなこと言うとより悪い先生をおっ付けられる危険性がありますから、なかなかそういうわけにはいかないので。この辺も、やっぱり国庫負担を堅持していただくと同時に、もうちょっとシンプルにきちんとしてもらった方がいいのではないか。
さらに、国の場合にはモニターといいますか、検証制度が私はあってしかるべきだと思うんです。国が一つの責任を持つわけでありますから、しっかりやっているかと、それらをしっかり検証する、そういう制度は確立した方がいいと思うんですが。何もかも自由だとは思っていません。しかし、その前に縛っちゃっておいて、さあやれというと、なかなかそこに創造性や何かが実施主体に出てこない、こう思っております。
先ほど言ったレーマンコントロールでありますが、これらもたった五人じゃ無理だと思うんですね。私は今、例えば福祉の専門家なんかも必要なんです。そういう意味からすれば、新たな教育審議会、地方の教育審議会制度みたいなのをつくって、そこに十人から二十人ぐらいの委員さんが入ってやる。さらに、教育長が私は責任者となってもいいと思うんです。しかし、その教育長が余り横暴なことをされると困りますから、そういう新たな審議会に牽制機能を付与する、そういうチェックの方法だってあると思うんです。
首長も総括的な責任というのはあると思うんですね。もちろん、私は教育の直接現場に首長が、公選の首長が指揮権を振るうというのは良くないと思っています。ですから、それも国の義務化をしてもいいですし、法律化をしてもいいですし、あるいは地方にとっては条例が法律でありますから、それらで担保してもいいのではないか、こう思っております。やっぱり、レーマンコントロールというのは多様な意見の反映ですから、それらが実態的に形骸化しているというものはやはり避けなければいけないのではないか、改革をしなければいけないのではないかというふうに思っております。
この際、一言言っておきますが、私も県で長かったものですから思うんですが、地方自治体というと、どうしても市町村と公益機能を持っている都道府県は同じに取られやすいんですね。やっぱり、公益的機能を持っているところは教育の中でも限定を私はすべきだと思うんです、はっきり分けるべきだと思っています。この際、私は、県の立場ではありませんが、多少付け加えておきたいというふうに思っております。
最後でありますが、今申し上げましたけれども、やはり新たな教育委員会制度、教育委員会というものをもう一度見直して、国の様々な方針や何かもあるでしょう、それが実態的にやっぱり弾力化を持った形で地方に届けられる、守るべきものは国が守っていただく、やるべきところは実施主体が創意と工夫を持って頑張っていく、こういうやっぱりシンプルな形にしていただいた方がいいのではないかというふうに思っております。先ほど申し上げましたように、動線が余りにも長過ぎる、できるだけシンプルにした方がいいのではないかと、こう思っております。
どうもありがとうございました。
中
中曽根弘文#8
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
この発言だけを見る →以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
質疑のある方は順次御発言願います。
大
大仁田厚#9
○大仁田厚君 どうも、参考人の方々、お忙しい中、ありがとうございます。二十分しかありませんので、手短に回答していただければ有り難いと思いますが。
まず初めにお聞きしたいんですが、簡単なことなんですが、三人の参考人の方、教育基本法が変わってこの国が変わるのか、この国の教育は変わるのかということをちょっと端的にお話お聞かせ願いたいんですが。
この発言だけを見る →まず初めにお聞きしたいんですが、簡単なことなんですが、三人の参考人の方、教育基本法が変わってこの国が変わるのか、この国の教育は変わるのかということをちょっと端的にお話お聞かせ願いたいんですが。
加
加戸守行#10
○参考人(加戸守行君) 現在の教育基本法、教育の目的は、人格の完成と言っております。ただ、すばらしい言葉ですけれども、人格の完成がブレークダウンすると基本的な事柄は何と何と何と何なのかという、そういう目的とする基本的な考え方は、もっと教育基本法でも現在御審議中の形で、人間としての生きる目標、それを学校でどう教えていくのかという形や、改正の案で、私の考え方としては、相当分かりやすく指標、目標が設立されるという点で変わっていくと思います。
この発言だけを見る →濱
濱野健#11
○参考人(濱野健君) 教育基本法をどう変えたらいいかというようなお話についてはちょっと直接コメントする立場ではありませんけれども、旧来の教育基本法で戦後教育がなされてきて、今現状としてこういう教育の実態になっているということを考えれば、何らかの教育に関する基本的なテーゼというものを変えていく必要があるんではないか、これは私思っております。
つまり、教育というものがいわゆる社会と、先ほども申しましたように、社会と無縁で成り立つものではないと思います。したがって、社会の変化というものが厳然としてある以上は、その社会の中で現在あるべき教育はどういうものなのかといった観点で考えれば、基本法が変わっていく、これは自然なことではないかと、こんなふうに思います。
この発言だけを見る →つまり、教育というものがいわゆる社会と、先ほども申しましたように、社会と無縁で成り立つものではないと思います。したがって、社会の変化というものが厳然としてある以上は、その社会の中で現在あるべき教育はどういうものなのかといった観点で考えれば、基本法が変わっていく、これは自然なことではないかと、こんなふうに思います。
穂
大
大仁田厚#13
○大仁田厚君 変える、変えるということは進歩させるということですから、確かに僕はすばらしいことだと思いますが、それが現場に伝わらなければ何もならないわけです。子供たちや、そしてまた家庭に対して、そして学校に対して、教育委員会に対して伝わらなければ何にもならないんです。そう思われませんか。
僕は、幾ら基本法を変えたとしても、現場が変わらなければ、子供たちの意識が、そして親たちの意識が変わらなければ、何の教育基本法でもないと思うんですが、参考人の方々、手短に。
この発言だけを見る →僕は、幾ら基本法を変えたとしても、現場が変わらなければ、子供たちの意識が、そして親たちの意識が変わらなければ、何の教育基本法でもないと思うんですが、参考人の方々、手短に。
濱
濱野健#14
○参考人(濱野健君) これを伝えていく手段を変えるのもやはり教育基本法の中ですべきことではないでしょうか。それを含めて変わっていくべきだ、進んでいくべきだというふうに思いますが。
この発言だけを見る →加
加戸守行#15
○参考人(加戸守行君) 法律というのは学校の現場で全員が読んでいるわけじゃありません。学習指導要領もすべてマスターしているわけじゃありません。
ただ、基本的な、国が今、日本国民に求めようとしているもの、教育の現場で、という考え方が何らかの形で、例えば教育基本法で定められるということであるならば、それは時間は掛かるとしても学校現場に浸透していくだろう。浸透の手段は、今、濱野さんも言われたように、いろいろ方法があると思いますけれども、要するに日本国民共通の目標はここなんだよということはいろんなあるベースに伝わっていくということを私は思います。
この発言だけを見る →ただ、基本的な、国が今、日本国民に求めようとしているもの、教育の現場で、という考え方が何らかの形で、例えば教育基本法で定められるということであるならば、それは時間は掛かるとしても学校現場に浸透していくだろう。浸透の手段は、今、濱野さんも言われたように、いろいろ方法があると思いますけれども、要するに日本国民共通の目標はここなんだよということはいろんなあるベースに伝わっていくということを私は思います。
穂
穂坂邦夫#16
○参考人(穂坂邦夫君) そのとおりだと思うんです、委員の御意見だと思うんですが。
結局、教育行政と一般行政を分けているんですね。ですから、分けると、教育基本法の例えば心なんというものは、一般の地域だとか一般の住民だとか、そういうものが一緒にならないとなかなかできないんですね。今の、現実的には分けていますから、その辺のやっぱり問題点も整理をしていただいた方がいいのではないかと、こう思っています。
この発言だけを見る →結局、教育行政と一般行政を分けているんですね。ですから、分けると、教育基本法の例えば心なんというものは、一般の地域だとか一般の住民だとか、そういうものが一緒にならないとなかなかできないんですね。今の、現実的には分けていますから、その辺のやっぱり問題点も整理をしていただいた方がいいのではないかと、こう思っています。
大
大仁田厚#17
○大仁田厚君 戦後六十年たったわけです。確かに戦後、敗戦した、敗戦国だということを、戦争の悲惨さというのは忘れちゃいけないと思うんですけれども、新しい国づくりを目指すためにはやっぱり新しいものを打ち立てていかなきゃいけないと私は思っております。
そういった意味で、そういった意味でですよ、ワールドカップの、ワールドカップのときに三都主選手、三都主選手といえばやっぱり、代表選手の一人なんですけど、ブラジルから帰化した人ですよね、ブラジルからですよ。その選手が一人だけ、国旗掲揚されて君が代を鳴らしたときにこうやって。こういった習慣は確かに日本にはありません。だけど、だけどですよ、普通にですよ、普通に国旗掲揚させ、そして普通に国歌を歌えないこの国というのはどういうように思われますか。
この発言だけを見る →そういった意味で、そういった意味でですよ、ワールドカップの、ワールドカップのときに三都主選手、三都主選手といえばやっぱり、代表選手の一人なんですけど、ブラジルから帰化した人ですよね、ブラジルからですよ。その選手が一人だけ、国旗掲揚されて君が代を鳴らしたときにこうやって。こういった習慣は確かに日本にはありません。だけど、だけどですよ、普通にですよ、普通に国旗掲揚させ、そして普通に国歌を歌えないこの国というのはどういうように思われますか。
中
大
加
加戸守行#20
○参考人(加戸守行君) 悲しいかな、ある期間、国旗・国歌に対する反発アレルギーがあったことは事実でございまして、そのことの指導徹底に対するいろんな強烈な反応でびびってしまったという現場の空気がありました。それはやはり、自然の気持ちの中から国を愛する、それは国旗を愛する、国歌を愛する、諸外国の事例を見れば分かることですけど、日本という閉鎖社会の中でいるとそれがまかり通ってきたということは悲しい事態だったと思っています。
ただ、これだけ、今先生おっしゃいましたように、国際スポーツ大会等々で外国の人たちが自国の旗や歌をどんなに大切にしているかということをテレビの画面等を通じて日本国民がどんどん知っていくということは、大きな進歩だと私は思います。
この発言だけを見る →ただ、これだけ、今先生おっしゃいましたように、国際スポーツ大会等々で外国の人たちが自国の旗や歌をどんなに大切にしているかということをテレビの画面等を通じて日本国民がどんどん知っていくということは、大きな進歩だと私は思います。
穂
穂坂邦夫#21
○参考人(穂坂邦夫君) 埼玉県でもそういう事件が高校で起きましたが、要するに国家と政府、ガバメントとネーションという表現してどうか分かりません、そういうのを区別さえきちっとしていないんですね。それが、そういうところがやっぱり教育の中でするべきところが欠けているんではないかと思います。
この発言だけを見る →濱
濱野健#22
○参考人(濱野健君) 私ども品川区では、もちろんすべての学校で国旗掲揚し、そして国歌を歌うというふうになっております。
先ほどもお話がありましたように、一時期、こういうことに対してそれを忌避するような傾向がありましたけれども、今は品川区においてはないというふうに思っております。やはり、国というものを思い、そして思うというのは意識をし、その一員であるということを知るという、そういう一つの手段として重要なことじゃないかなと。
ちょっと余計なことでありますけれども、君が代が全員で歌えるためには、もう少し音程を下げるといいますか、音域を下げるということも少し考えていただきたい。ちょっとこれは横道にそれますが、このことは是非お考えいただきたいなというふうに思っております。
この発言だけを見る →先ほどもお話がありましたように、一時期、こういうことに対してそれを忌避するような傾向がありましたけれども、今は品川区においてはないというふうに思っております。やはり、国というものを思い、そして思うというのは意識をし、その一員であるということを知るという、そういう一つの手段として重要なことじゃないかなと。
ちょっと余計なことでありますけれども、君が代が全員で歌えるためには、もう少し音程を下げるといいますか、音域を下げるということも少し考えていただきたい。ちょっとこれは横道にそれますが、このことは是非お考えいただきたいなというふうに思っております。
大
大仁田厚#23
○大仁田厚君 いや、僕はこだわっているわけではないんです。ただ、それを意図的に学校の責任者が国旗を隠したりとか、意図的に国歌を歌わせないとかって、そんな国の進歩と発展があり得るのかなと僕は思います。そんな国でいいのかなって。
だってそうじゃないですか。僕らの存在理由って、僕らが存在しているというのはだれのおかげですか。やっぱりお父さん、お母さんのおかげじゃないですか。そしてまた、その先祖であるおじいちゃん、おばあちゃんがここまでおれたちの家族を養ってくれたからだと。その方々というのは戦争を体験しているわけです。悲惨な思いもしているんです。だけど、それでも自分たちが住んでいる国はこの日本である、そして日本国家というのは、国家であるということをちゃんと僕らに受け継いでくれたわけです。僕らの時代にそれをちゃんと受け継げないような、そういった教育改革だったら僕は必要ないと思いますよ。僕はそう思いますけど、まあそれはちょっと、手短にいかないと二十分しかないもので。
聞いておられる方、家族って何ですか。僕は、家族があって、家族があって、あっ、参考人の方々ね。家族があって……ヤジ
この発言だけを見る →だってそうじゃないですか。僕らの存在理由って、僕らが存在しているというのはだれのおかげですか。やっぱりお父さん、お母さんのおかげじゃないですか。そしてまた、その先祖であるおじいちゃん、おばあちゃんがここまでおれたちの家族を養ってくれたからだと。その方々というのは戦争を体験しているわけです。悲惨な思いもしているんです。だけど、それでも自分たちが住んでいる国はこの日本である、そして日本国家というのは、国家であるということをちゃんと僕らに受け継いでくれたわけです。僕らの時代にそれをちゃんと受け継げないような、そういった教育改革だったら僕は必要ないと思いますよ。僕はそう思いますけど、まあそれはちょっと、手短にいかないと二十分しかないもので。
聞いておられる方、家族って何ですか。僕は、家族があって、家族があって、あっ、参考人の方々ね。家族があって……ヤジ
中
大
中
大
大仁田厚#27
○大仁田厚君 参考人の方々……ヤジちょっと静かにしてくださいね。参考人の方々、僕は、僕はその家族が、家族が、どんなに学校の現場を変えても、その家族が基本的なものを取り戻さなければ何にもならないと思うんです。
だって今の時代って、今参考人の方々、今の時代って、親が、親が愛情を込めて子供をしかれない時代ですよ。愛情が、そしてまた愛情が伝わらない時代。愛情に対して、僕は別に暴力を振るうとか、親が暴力を振るうとかそういったものに賛成するつもりはありません。ただ、親の権限として、親の権限の範囲として子供を適切に指導するということは僕は必要なことだと思っています。
そういうことに対して、やっぱり家庭、学校と家庭の連携っていうものが物すごく重要な時代になってきていると思います。それに対してどう思われますか。
この発言だけを見る →だって今の時代って、今参考人の方々、今の時代って、親が、親が愛情を込めて子供をしかれない時代ですよ。愛情が、そしてまた愛情が伝わらない時代。愛情に対して、僕は別に暴力を振るうとか、親が暴力を振るうとかそういったものに賛成するつもりはありません。ただ、親の権限として、親の権限の範囲として子供を適切に指導するということは僕は必要なことだと思っています。
そういうことに対して、やっぱり家庭、学校と家庭の連携っていうものが物すごく重要な時代になってきていると思います。それに対してどう思われますか。
加
加戸守行#28
○参考人(加戸守行君) 常にいろいろな問題が起きると、家庭の責任か、学校の責任か、社会の責任か、いや三つともだという議論があります。どちらにウエートがあるかは別として、やはり先生おっしゃったように、子供は親の背中を見て育ちます。親の生き方を見て自分の生き方を決めます。そういった点の家庭教育の重要性というのは、教育と言わなくても、母親と、あるいは父親と子供との関係の中からいい関係が生ずれば、その人は立派な人間の人格の完成をするでしょう。そういった点で、先生のおっしゃるとおりだと思います。
この発言だけを見る →濱
濱野健#29
○参考人(濱野健君) 私も委員のお話のとおりだと思います。
一方で、先ほどちょっと申し上げたことでありますけれども、家庭の教育力あるいは養育力が下がっているというのは、これはもうまごうことなき事実だと思います。そういった意味で、私ども行政という立場から、これは親育てという言葉が適切かどうかは別でありますけれども、親がまず親としての自覚と、それからその行動を取っていただくようなことを仕掛けとしてつくっていくことが必要だというふうに思っています。
この発言だけを見る →一方で、先ほどちょっと申し上げたことでありますけれども、家庭の教育力あるいは養育力が下がっているというのは、これはもうまごうことなき事実だと思います。そういった意味で、私ども行政という立場から、これは親育てという言葉が適切かどうかは別でありますけれども、親がまず親としての自覚と、それからその行動を取っていただくようなことを仕掛けとしてつくっていくことが必要だというふうに思っています。