穂坂邦夫の発言 (教育基本法に関する特別委員会)
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○参考人(穂坂邦夫君) 前志木市長の穂坂邦夫です。今、NPO法人地方自立政策研究所というのを主宰をしております。
私は、基礎的自治体の立場から申し上げたいと思うんです。
最初にちょっと簡単に自己紹介しておきますが、私は、県の職員、町の職員、市議会議員、県議会議員、市長というふうに、地方自治に職員から合わせますと三十九年、議員だけでも三十四年間やっておりました。最後に市長、一期四年で辞めたわけでありますが、別に悪いことしたわけじゃありませんが、ちょうどもう区切りだなと思って辞めた次第ですが。
そのときに、市長になりまして、簡単にできると思った二十五人学級あるいはホームスタディー制度、これらを日本で初めて市長のときに教育委員会と協力してやったわけでありますが、別に四十人から、いろいろ財源を捻出してやるという、そういう試みをしたわけでありますが、別にその少人数学級がいいとか悪いとかという論議をすることは、まだ十年先、十五年先でなければ分かりませんので言うことはありませんが、ただ、それらが自由にできなかった。非常にあっちこっちの壁にぶち当たって、かなり最後は強引に、何でもかんでもやると、ペナルティーを科すんだったらペナルティーを科してくれと、そこまで言って初めて実施できた。そういう経験から、今の教育行政、特に義務教育行政というのは何だろう、そんなふうに思いました。
そういうところから、二点にわたって申し上げたいと思うんですが、一点は、教育行政における地方公共団体の役割、その実態でありますが、まず一点は、先ほど首長の話も出ましたが、実態的には支配しているんですね。それは、さっきもお話があったように、一つは予算編成権を持っている。あれこれ言ってきても、嫌なことはお金がないから駄目だと言えばそれで済んじゃいますから、そういう支配権の一つが予算の編成権を持つ、要するに財源を持っているということです。
もう一つは、教育委員会の委員の指名権を持っていますから、気に食わない教育委員は、大体議会にかけなければいいわけですから、そういう二つの形から、どうしても、まあ裏に隠れてといいますか、そういう実態的支配権を持っているという現実があるということをまず理解をしていただきたいと思うんです。
さらには、そうありながら、首長、誠にいい立場でありまして、都合の悪いことが何か起きると、教育委員会は独立しているから責任ありませんよと、それは教育長なり教育委員会に聞いてください、そういうふうに責任回避ができますから、誠にある意味では都合のいい、うまくいったときには首長の手柄にもなるだろうと思うんです。そういうことを実感をしておりました。これが一つは地方公共団体の役割であります。実態でもあります。
それから二つ目なんですが、じゃ市町村教育委員会はどうだろう、こういうふうに申し上げますと、これはもう御承知のように、教育行政、これを担う唯一の機関だというふうに思っています。しかし、今度もいろいろ国の方でも大変お考えのようでありますが、もう動線が長い。文科省から都道府県教育委員会へ行って、それが今度は市町村教育委員会に行って学校に行きますから、物すごい動線が長くて、マニュアル化をしないとなかなか国の意思も伝わらないという、そういうことを私は実感をしております。まあ、遠い指揮官がいて、都道府県の指導、助言も受けますから、ある意味ではそれらも混在をした形で指導、助言、まあ簡単に言えば命令ですが、そういうものが入ってきますので、そういう現実にあるということが一点でもあります。
特に、指導、助言というのの実態は、教育行政にかかわっている人たちは教育の専門家が多いからまじめな方が多いんですね。首長は何だとかこうだとか言いますが、案外、教育関係者というのは従順で、一つの出た指導、助言の言葉が現場に着くともう実態的に命令になっている。有無を言わせない。ほとんど、ですから教育委員会が意見を言うというのは、都道府県の場合、私が県議会の議長もやりましたが、ほとんどありませんね。市町村もほとんどそうです。そういう意味では、受動的機関になってしまっている。ですから、言うこともマニュアル化をするし、報告をすることもマニュアル化をしてしまう。大体、機械の部品を作るんじゃなくて子供をつくるわけですから、できるだけ私はマニュアル化をしないような、そういう実態に近づくことがいいのではないか、こう思っております。
さらに、こういうことになってきますから、どこに原因があるか。ほかにもあります。一つは、責任者が不在です。私もよく市民に聞かれたんです。市長は何か責任あるんですかと言うから、別にありませんよと、教育委員会は独立していますからと。ああそうと。それでは、教育長というのは責任者ですか。あの人は事務局長ですよ。教育委員長というと、これは座長さんですから、もちろん政治的中立性、特定の意見から中立性を守る、そういう形の上で合議制が取られているわけでありますが、何せ小中学校の執行機関持っているわけですから、そういう意味では、その無責任体制といいますか、責任者がいるのは唯一学校現場の校長だけ、こういうことになっております。
さらに、レーマンコントロール、これらも形骸化をしているところが多い。それはなぜかといいますと、五人で、市町村の場合ですね、町村の場合には三人というところがありますが、専門のスタッフと常勤の教育長と、ほかの委員さん非常勤で、大体月一回か二回の原則会議ですから、教育長がこういうふうにやってよろしいでしょうかと、ほとんどそれに反論することがないんですね。ですから、皆さんも議事録を見ていただければ分かりますが、教育委員会の議事録というのは非常に簡単です。ほとんどが了承とか、まあいいよとか、そういうことになります。ちょうちょうはっし議論をするというのは、理想論的にはありますが、現実的にはない、こんなふうに思っております。
市町村の今度は立場に戻ってきますと、なかなかこれも難しくて、もう一点あるんです。これは教員が、皆さん御承知のように、県費負担教職員制度なんです。ですから、どうしても県からのお仕着せ人事といいますか、上級官庁から、指導官庁からの派遣人事になります。ですから、どうしても玉突き人事にならざるを得ない、こういう実態があります。
私は、鴻池さんが大臣のときに、そういうことから教育委員会の必置規定の廃止を国に提案をしたんです。もちろん教育委員会でも、今お二方参考人いますが、うまくいっているところもあると思うんです。しかし、うまくいっているところはもっとこれらを是正すればもっと良くなると思っているんです。ですから、そういう意味で必置規定の廃止を特区で申請したわけでありますが、別に今回の自殺等々の予見をしたわけじゃありませんが、やはりもっと実態に合った教育委員会制度というのを考えるもう時期に来たのではないか。事象面からの検証も必要ですが、私は制度面からの検証も必要なのではないか、こう思っております。
最後になりますが、自治体からの提言でありますが、私が実感した中で幾つか申し上げますと、一点は、やっぱり国はもう少し現実的な意味での末端の実施主体のそれぞれ裁量権、これはやっぱりある程度確保してもらった方がいいのではないか。もうはしの上げ下げまでがんじがらめですと、さっき言ったように、どっちもマニュアル化しちゃって、報告も命令もお互いにマニュアル化じゃなくちゃ通じないという、そういう不合理な関係が出てきております。これらが全体的な一つのお願いでもあります。
具体的には三点ありますが、一点は、さっきも出ましたが、私は、義務教育費は全額国が持っていいと思うんです。二分の一ということになっておりますが、この二分の一も交付税措置をしてあるわけでありますから、だったらもっと分かりやすく、交付税ではなくて全額国が国庫補助金としてきちんとしてもらった方がいい。しかも、できれば、さっき言った県費負担教職員制度で都道府県から市町村に来ますから、市町村には採用権、要するに任命権が全くありません。ですから、そういう意味では、もちろんこれは希望するところと希望しないところ、もちろんその自治体の大きさにもよるでしょうが、できるだけもっとシンプルにした方がいいのではないか、こう思っております。
いつかも中教審でも申し上げたんですが、いや、派遣制度というのはうまくいっている、こういう意見もありました。しかし、派遣制度の元が上級官庁じゃ、これはどうにもならないんですね。少しぐらい悪い先生が送られたって、この先生返しますという具合にはいきません。やっぱり、そんなこと言うとより悪い先生をおっ付けられる危険性がありますから、なかなかそういうわけにはいかないので。この辺も、やっぱり国庫負担を堅持していただくと同時に、もうちょっとシンプルにきちんとしてもらった方がいいのではないか。
さらに、国の場合にはモニターといいますか、検証制度が私はあってしかるべきだと思うんです。国が一つの責任を持つわけでありますから、しっかりやっているかと、それらをしっかり検証する、そういう制度は確立した方がいいと思うんですが。何もかも自由だとは思っていません。しかし、その前に縛っちゃっておいて、さあやれというと、なかなかそこに創造性や何かが実施主体に出てこない、こう思っております。
先ほど言ったレーマンコントロールでありますが、これらもたった五人じゃ無理だと思うんですね。私は今、例えば福祉の専門家なんかも必要なんです。そういう意味からすれば、新たな教育審議会、地方の教育審議会制度みたいなのをつくって、そこに十人から二十人ぐらいの委員さんが入ってやる。さらに、教育長が私は責任者となってもいいと思うんです。しかし、その教育長が余り横暴なことをされると困りますから、そういう新たな審議会に牽制機能を付与する、そういうチェックの方法だってあると思うんです。
首長も総括的な責任というのはあると思うんですね。もちろん、私は教育の直接現場に首長が、公選の首長が指揮権を振るうというのは良くないと思っています。ですから、それも国の義務化をしてもいいですし、法律化をしてもいいですし、あるいは地方にとっては条例が法律でありますから、それらで担保してもいいのではないか、こう思っております。やっぱり、レーマンコントロールというのは多様な意見の反映ですから、それらが実態的に形骸化しているというものはやはり避けなければいけないのではないか、改革をしなければいけないのではないかというふうに思っております。
この際、一言言っておきますが、私も県で長かったものですから思うんですが、地方自治体というと、どうしても市町村と公益機能を持っている都道府県は同じに取られやすいんですね。やっぱり、公益的機能を持っているところは教育の中でも限定を私はすべきだと思うんです、はっきり分けるべきだと思っています。この際、私は、県の立場ではありませんが、多少付け加えておきたいというふうに思っております。
最後でありますが、今申し上げましたけれども、やはり新たな教育委員会制度、教育委員会というものをもう一度見直して、国の様々な方針や何かもあるでしょう、それが実態的にやっぱり弾力化を持った形で地方に届けられる、守るべきものは国が守っていただく、やるべきところは実施主体が創意と工夫を持って頑張っていく、こういうやっぱりシンプルな形にしていただいた方がいいのではないかというふうに思っております。先ほど申し上げましたように、動線が余りにも長過ぎる、できるだけシンプルにした方がいいのではないかと、こう思っております。
どうもありがとうございました。