2007-12-11
衆議院
井手政子
厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会
井手政子の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)
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○井手参考人 全国交通事故遺族の会の理事をしております井手と申します。会長である夫が体調不良で、本日は、会長代行ということで、私が臓器移植法改正について会の意見を述べさせていただきます。
初めに、若干、会について説明させていただきます。
全国交通事故遺族の会は、交通事故で娘を失った私たち夫婦が、被害者の心のケア、被害者の支援活動、事故防止活動、被害者の人権の回復を求めて平成三年につくりました自助グループでございます。被害者の自助グループとしては全国で初めての団体で、多くの遺族が会員となり、被害者の生命と人権を守るためにさまざまな活動を行うようになって、ことしで十六年になります。
そうした活動の中から、私たちの会では、脳死を人の死とすること、脳死臓器移植を国策として進めることに対し強い反対の意見を持っており、現在の臓器移植法改定についても断固反対の姿勢でおります。そのドナーというのは、ほとんど交通事故の被害者の人たちのことだと言っても構わないほど、移植用臓器の供給源として期待されているからです。
突然の交通事故とは、つい先ほどまで一緒に食事をし、話をして、笑い合っていた家族が、一瞬にしてもうこの世にはいないということです。大切な子供、夫、妻、親、兄弟を突然の交通事故で失った私たちは、皆パニック状態です。何も頭に入りません。テレビドラマか映画の中に入ってしまったようで、現実感がありません。内閣府の作成した犯罪被害者対策の基本計画にもこのことははっきりと述べられています。正常な判断が下せないと書かれているのは本当にそのとおりなのです。余りのショックで、記憶さえもなくしてしまう方もいます。
このような状態にある家族に、治療をやめ、脳死判定を促し、脳死を宣告し、臓器の摘出の承諾書を書かせる。脳死と言われても、私たち家族にとっては、何とか助けてほしい、先生どうにか助けてほしいと言ってすがりつくばかりの思いでいます。心臓はまだまだ動いているではないですか、体も温かいし、お小水も出ているし、汗もかいて、涙も流れています。手を握れば握り返してきます。とても死体とは思えません。生きているのです。
車に激突されて激しく傷ついた大切な家族から、全身麻酔をかけてまで臓器の摘出をしなければならないのでしょうか。事故で傷ついた上に、さらに傷つけることは私たちにはできません。混乱のきわみにある私たちに、さらに混乱することをさせるのはやめてください。本人の意思が不明な場合、家族の同意でオーケーの改正案、意思表示のできない小さな子供のかわりに、はっきりとノーと言っていない配偶者のかわりに、うっかりのんきにノーということを書き忘れた兄弟のかわりに、家族に臓器の摘出の承諾書を書かせないでください。被害者の家族に判断をゆだねることはしないでいただきたいんです。
脳死を死とする医学的な根拠というのは実は何もなく、脳死臓器移植を盛んに行っているアメリカ、イギリスでも、お手元の資料に添付しましたが、改めて脳死を人の死としてよいのか、社会的な合意を得ることが必要だと主張する学術者がふえていると聞いています。日本でも、最近、新聞報道にあるように、脳死と言われても長期間生存している人も少なくないのです。
脳死を死だというのは、移植を待っている患者さんがいるから、法律で脳死の人を死体扱いとしようというだけのことです。突然の犯罪被害に遭った者に、救済や支援ではなく、法律が死体であると引導を渡すなど、犯罪被害者基本法で保障した被害者の権利との整合性はどう図るつもりなんでしょうか。
まして、日本の救命医療は充実した状況ではありません。私の娘の場合も、事故後十分で基幹病院の船橋医療センターに搬送されました。意識はないものの、酸素マスクを外して起き上がってしまうほどでしたが、三時間ほどたって、頭痛を訴える娘に、医師は鎮痛剤を一本打ちました。そこが生死の分かれ目だったのに気がついたのは十二時間後、脳死状態になってからでした。脳死状態になってから、脳圧を下げる薬を点滴し、医師による回診が始まりました。こんなお粗末な医療が救命救急センター、脳死臓器移植の施設として認定を受けている病院でなされているのです。こうした経験をしている会員さんもたくさんいらっしゃいます。
交通事故の被害者が脳低体温療法の設備を備えた病院に運ばれ、障害を残したものの一命は取りとめたという話を聞きますと、移植法案がなかなか成立しなかったために、だからこそ生まれた技術。すべての医療施設で脳低体温療法が行われる日が来ることを願ってやみません。
助かる命とは、まず救命医療を必要とする側のことなのは明らかです。助かるはずの命を死なせて、その死んでいく生命から、命から臓器の提供を受ける。臓器不足、ドナー不足の解消を言う前に、救命医療の充実を図るべきです。
私の娘の話に戻りますが、四日後、私たちの必死な願いにもかかわらず心臓停止で亡くなりました。ある日突然事故で家族を失った私たちにとって、このみとりの四日間は、今後生きていく上で大きな支えとなりました。医療の現場で、助かる命と助ける命を比べてはならないと思います。
また、交通事故で亡くなった人には検視があります。遺族にとってはつらいことですが、検視というのは犯罪事実の証拠として非常に重要です。そのため、現行法でも、臓器の摘出よりも検視を優先すると明記されていますが、脳死状態で検視を行うのは事実上不可能だと脳死の家族をみとってきた私たちは痛感しています。人工呼吸器を初め多くの医療機器につながれた状態で、事故態様、衝突の具体的な様子、けがの状況、状態を調べることが本当にできるのでしょうか。
ここに「脳死のベッドサイド」という本があります。現行法が制定されたとき、脳死状態での検視についての注意事項を書いたものです。体の表面のどんな小さな傷も見逃してはならない、つめの中まで調べると書いてあります。しかし、脳死の人の体の向きを変えたりすると、血圧の変動、時には心臓がとまりそうになるなど、いろいろな変化が起こる場合があり、そのときには直ちに中止しろと書いてあります。中止した後は、その後どうしろとは書かれていません。
これまで、ドナーが犯罪被害者でいた場合、検視がどのように行われたか、検証委員会がありながら何の報告もされていません。お手元の厚生労働省作成の資料にも何の記述もありません。これでは、現行の臓器移植法の検視に関する規定が本当に守られているのか大変疑問に思っています。
もう一つ考えなくてはならないことは、臓器移植法案が施行されて十年間で臓器提供されたのが六十二例だったということ。ドナーカードが一億一千二百万枚、意思表示シールが三千百三十四万枚配布されているのに、記入されているのは六・一%、常時携帯されているのは二・六%にすぎません。
毎日、テレビ、ラジオで宣伝し、命の贈り物としてマスコミに取り上げられているのにふえないのはなぜか考えてみたことがあるでしょうか。私たちは、私たちの身の上に起きた交通事故が絶対ほかの方に起きないように若い人に街頭で日々訴えていますが、自分たちが事故で死ぬと考えている人は皆無でした。それと同じように、自分たちが臓器提供をする側になると考える若い人は少ないはずです。
他人事であれば、移植を望む患者さんが募金を集めて海外で移植をしなければならないのはおかしい、外国で助かっている命が日本で助からないのはおかしい、小さい子供たちも日本で臓器移植ができるようにすべきだと考えます。ほかの人に勧めても、自分のこととなると違うのです。こういう状態を社会的コンセンサスができているとは言わないのではないでしょうか。
刈り場を広げても、決して脳死からの臓器提供者がふえるとは思えません。刈り場を広げれば国民に著しい混乱の場を与えるだけです。特に医療現場の方に混乱を与えます。こんなに国民の建前と本音の違う法案はありません。
小児科学会も、小児の脳死判定、虐待児の問題、現場で解決しなければならない問題があって、全面解禁は困ると言っているではないですか。この十年間、移植推進側のしてきたことは、足りないから下さい、足りないから下さいと言ってきたことだけです。
国民の信頼をかち得るために、正確な情報の公開と疑問に対する説明、問題点の解決、相入れない部分の議論の積み重ねなど、建前と本音のギャップの部分をどう誠実に地道に埋めていこうという努力をしてきたか、その努力を怠ってきたことが、ふえない理由だと考えます。
私は、議員さんの役割は、国民の生と死にかかわる問題を、歴史に禍根を残さないように、脳死臨調等を設置し、本当の社会的コンセンサスができるまでさまざまな機会をとらえて誠実に議論を重ねていくべきだと考えます。大きく大きく国民全体に対する影響も考えて、慎重の上にも慎重であっていただきたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)