野村祐之の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)

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○野村参考人 社会的コンセンサスの問題なんですけれども、日常的に繰り返していることですと、伝統的に、大体常識ということであると思うんです。しかし、特にこの死の問題というのは、今でも日本に行くと、ホテルや何かでも四号室、九号室、つっつっとないわけですよね。それぐらい実は今までタブーであった。それが突然、この脳死という現実が起こったここ二十年間突きつけられたので、そもそもコンセンサスの土台がないんだと思うんです。
 ところが、大ざっぱな言い方になりますが、それこそ欧米ではキリスト教の伝統があります。キリスト教で思い出されるのは、まず十字架です。あれは死刑の道具です。そこで殺されているキリストのイメージです。そして、これは信仰の問題ですが、それは復活、永遠の命へとつながるという信仰があります。
 ですから、ある意味では、メメント・モリという言葉はこのごろ日本でも聞かれるようになりましたけれども、結局人間というのは死する存在であるということを忘れるなと。ですから、そういうところの前提がある中でのコンセンサスと、むしろ日本ではこれを機会にコンセンサスをつくっていかなければいけないんだと思います。
 残念ながら、今までのところでは、日本は世界でもまれな、少なくとも先進国で我々が経験している中では、死を前提とする文化、死を美化する文化。ですから、例えば武士道とは死ぬことと見つけたり、サラリーマンの間では平気で首切りだ、切腹物だと。それから、子供のいじめでよくある言葉が死ねという言葉だそうです。これは英語にできないのを御存じですか。英語では言えないんです。というのは、そういう発想自体があり得ないんです、殺すぞとは言えるけれども。というあたりですから、死を美化している。
 それから、先進国ではほとんど今死刑ということが、アメリカでも一部の州では反対です。ところが日本では、この前も三人ありましたし、その名前がさらされるというような、そして、悪いことをしたやつは死ねというような、何か死を前提とした文化自体がもう一回考え直されるときに来ているんじゃないか。
 これで最後にしますが、アメリカの人に言われて、どうしてアメリカまで移植に来なきゃいけなかったんだと。いや、日本では脳死のことが大変問題になっていると言ったら、そのお医者さんが、それはちょっと信じられないと言うんですね。こっちもむっとしました、日本人として真剣に考えていましたから。そして、どういうことですかと言ったら、いや、日本のことはよく知らないけれども、医療界では、日本が妊娠中絶が一年間に何十万あるということで有名で、よくもあの国はそんなふうに胎児を、子供を平気で殺すんだね、医者がよくそんなことをやるねと。ところが、片や、それから自殺の数も物すごく多いそうじゃないか、大体、毎週毎週五百人乗りのジャンボジェットが一機落ちている数の自殺者が出ている、なのに、自殺者に対して大胆な行動もとらず、それから三十何万という妊娠中絶に対しても積極的にあれせず、僕の学生の中にも悩んでいるのがおります、脳死の問題となると顕微鏡のようなミリ単位のあれする、日本は不思議な国だということを言われたんです。
 今、我々がこれを通してコンセンサス、それから幼児虐待の事実、そういったことを、これを通して真剣にこの社会がどうすべきか、そういう意味で、経済効率ではなくて生命効率、どれだけ命を支えるか。そのためには、経済、これはお金も必要でしょう。そうしたときに、世界から見直される、日本もやるじゃないか、学ぶところがあるじゃないかというような日本の品格の回復ができると思っております。

発言情報

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発言者: 野村祐之

speaker_id: 34846

日付: 2007-12-11

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会