2007-12-11
衆議院
町野朔
厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会
町野朔の発言 (厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会)
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○町野参考人 ちょっと、さらっとというのはなかなか難しい話でございます。
基本的に、脳死臨調は三本の柱がありました。一つは、脳死は人の死であるということ。もちろん、少数意見はありました。もう一つは、提供者の任意の提供で、つまり本人の意思に基づいて提供されること。三つ目が、臓器の公平な分配というものであったわけです。この三本の柱のもとに立って臓器移植法はつくられていると私は理解しております。そして、第一の問題、第二の問題、いずれもかなり非常に不明確になってきたのが臓器移植法だと思いますけれども、この第三のところ、これも今掘り崩されようとしていることは、私は妥当ではないというぐあいに思います。
しばしば言われることは、生きている人については親族への提供というのは大丈夫なのに、どうして死んだ人についてはそれができないのかというぐあいに言われます。しかし、これは話の順序が逆でございまして、生きている人については、実は臓器提供というのはなるべくやらない方がいい。禁忌といいますか、原則はだめだということです。そして、やむを得ない場合についてだけこれを提供を認めようと。どういうことかというと、臓器の提供がないというような場合がそうでございます。そのようなことで認めるわけですから、これが売買だとかそういうことになってはならない、他の経済的なインセンティブによって提供されるようなことがあってはならない、だから親族に限るのだというぐあいにされているわけでございます。ですから、最初から親族に提供する権利が生きている人にもあるわけではないのです。
したがって、これを死者の方に直ちに持ってくるということは議論として非常におかしなものがあると同時に、やはり生と死との境というのはこれぐらい大きなものだということを認識していただきたいというぐあいに私は思います。
ちなみに申し上げますと、幾つかの国、例えば韓国では、今のような脳死臓器移植の範囲に限ってですけれども、親族への提供ということを優先させるような趣旨のものがございます。しかし、これは必ずしも成功していないというぐあいに聞いております。