中村伊知哉の発言 (内閣委員会)
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○参考人(中村伊知哉君) 慶應義塾大学、中村伊知哉と申します。よろしくどうぞお願いいたします。
この法案の提出に至るまで与野党にて様々な案が議論されてきたものと承知をしております。その結果、現行の法案は表現に対する規制色が弱くて幾つかの懸念事項はありますものの、表現の自由と安全、安心の確保とのバランスが図られる方向に落ち着いたものと存じます。
インターネットや携帯の利用の安全、安心を確保するためには、民間でのフィルタリング等への取組、それから技術の開発、情報リテラシー教育の充実といった施策を進めることが重要であります。表現に介入するような規制というのはできれば避けるべきであって、最後の手段と考えます。しかし、今、日本を覆う不安感を除去するために、最低限の法的な措置を導入するのもやむを得ないという考え方も理解できる状況にあります。そうした立場から、一枚お配りしたペーパーに沿って本法案への考え方を申し上げます。
まず第一に基本的考え方ですが、まずインターネットは便利で楽しい手段であるということを共有すべきだということであります。
なぜ青少年はネットや携帯を使うのか。それは、いじめや有害情報にアクセスをするためではありません。なぜ親は自分の小遣いを節約してまで高価な携帯を小学生の約三割、中学生の約六割に持たせるのか、それは子供を不安に陥れるためではありません。
先ごろ中高生に簡単なアンケートを取ってみました。携帯というのはあなたにとって何ですかということを聞いてみました。答えとしては、家族、守り神、命の次に大切なもの、体の一部、時には友達で時にはお母さん、そういった回答がありました。また、そのほかには、入院したときに友達がメールをしてくれてうれしかったとか、メールのやり取りがあったから不登校の子が少しでも中学校に来ることができたとか、個人情報の関係で連絡網が作れないからクラスの連絡は携帯のメールでしていますというような回答ばかりでありました。
また、ある携帯のサイトの青少年ユーザーからも声をもらってきました。携帯小説で本が大好きになりました。つらいのは一人だけじゃない、その言葉に私は救われました、だからこの言葉を教えてくれた携帯小説のサイトに感謝したいです。このサイトで自分を表現できて学校でも明るくなれた気がします。これが彼ら、彼女たちの日常です。親にとっても同じことで、私も中高生を持つ親ですけれども、携帯やインターネットのメールあるいはサイトでコミュニケーションが円滑になっている面もあります。
携帯やネットというのは、百害あって一利なしの酒、たばこと異なりまして、百利あって一害あるというものです。その一害のために百利をつぶしてはならず、百利をいかに大きくするかということをまず考えるべきだろうというふうに考えます。
次に、知財立国との取組との整合も求められます。政府は、コンテンツ産業を数少ない成長領域と見て発展を促しています。特に、携帯のコンテンツの産業は日本が世界をリードする分野であります。文化の面でとらえましても、その善しあしはともかくとして、最近の新しい表現文化は多くがネットや携帯から生まれてきています。こういう原動力は大切にすべきでしょう。
この法案がそうした取組と整合が取れているかどうかも問われるところです。こうした法案あるいは規制が経済社会にとってどういう効果や企業行動をもたらすのか、産業文化面での萎縮効果はないのかなど、いろいろときちんと検証すべきだろうというふうに考えます。さらに、こうした法案や施策が世界へどういうふうなメッセージを発することになるのかについても気を付けておくべきだろうと思います。
私は、かつてマサチューセッツ工科大学に所属をしておりました。今そこが中心となって百ドルのパソコン、安いパソコンを開発をして途上国のすべての子供がインターネットを使えるようにするという、そういうプロジェクトを進めています。この推進者であるネグロポンテ教授は、コンピューターという言葉は教育と同じ意味だと訴えて各国に働きかけています。学校を建設して、教師を雇って、教科書をそろえる代わりに、ネットワーク化されたコンピューターを与えるという、そういう考え方ですね。これに対して、最近日本から発信されているメッセージというのは随分後ろ向きではないかという声が海外の知人から寄せられています。我々はどのような情報社会をつくろうとしているのか、しっかりした理念を構築すべき段階にあると考えます。
次に、民間の取組について、これは進んでいる面もあれば不十分な面もあります。
まず、フィルタリングの審査監視機関ですが、EMA、モバイルコンテンツ審査・運用監視機構、それからI―ROI、インターネット・コンテンツ審査監視機構といった複数の組織が立ち上がりました。ほかにも動きがあります。コンテンツ業界も健全化に向けて人員を強化するなどの対策に力を入れておりまして、利用者の関心も高まっているところです。
ただ、総務省によるフィルタリングサービス導入の要請ですとか、立法府における法案策定の動きなどがあるまでは民間の動きは鈍くて、努力も十全ではなかったと思います。この法案の議論が民間の対応を促した効果はあったと考えます。
私は、EMAの基準策定委員会に属しておりまして、I―ROIの理事も務めています。EMAでは、役所からもあるいは業界からも距離を置いて、フィルタリングの基準作りに着手をしたところです。こうした取組を見ておいていただきたいと存じます。
映画業界も放送業界も、自主規制機関が成果を上げています。放送は、放送法が各局に番組審議委員会をつくらせていますけれども、それに対する国の介入というものを避けて、民間の長年の努力で番組の健全化を保ってきました。ネットの安全についても、もしこの法案のスキームでスタートされるのであれば、それ以上の介入をできるだけ避けて、まずは民間にしっかりと運用をさせることが妥当だというふうに考えます。
次に、技術開発についてです。
フィルタリングに今強い光が当たっているんですけれども、フィルタリングは万能ではありません。現在の携帯のフィルタリングはきめも粗いです。運用の仕方次第では、大事なサイトも見られなくなります。また、本当の悪人というものはそうしたシステムをかいくぐることに頭を働かせるでしょう。言わば、フィルタリングというのは一手段であって、応急処置であります。もちろん、我々民間サイドも法規制を待つまでもなく、その性能向上あるいはサービスの充実に向けて努力をしていくこととしておりますけれども、それでもなお、そうした単一の技術や機能に全幅の信頼を寄せるのは危険かと存じます。そうしたものを法規制で何とかしようとするには限界があります。むしろ、そうした様々な技術を開発して改良をして普及をさせてそして試してという、そういったことを繰り返すことの方が大事だというふうに考えます。
また、そうした技術にもいろんなものがあります。例えば、違法、有害な言葉をネット上で自動検知するような、そういったプログラムの性能を上げて普及させることですとか、あるいは子供がアクセスしたサイトを親に通知してそれを親子で共有するような、そういったサービスを開発することですとか、子供向けの携帯、より良いものを開発していくことですとか、様々なアプローチが考えられますので、そういったことに力を入れていただきたいと存じます。
そして、最も大事なのは教育です。そして、最も取組が不十分なのも教育だと思います。情報リテラシー教育は学校現場でも試みられておりまして、三月に告示をされた義務教育の新学習指導要領でも情報モラルを身に付けることが規定されましたけれども、現状では先生方の対応にも限界があります。民間の専門家も少ないです。ネットの使い方を教えたり、ネットいじめへの対応法を教えたりする専門家を養成する必要があります。リテラシー講座を開いているe―ネットキャラバンのような取組を充実すべきだと思います。
教材も不足をしています。文部科学省が教員向けのガイドブックを作ったり、あるいは総務省が小学生向けのリテラシープログラムを作ったりしているんですけれども、十分に普及しているとは言えないと思います。私も、文部科学省や東京都とともに携帯利用の教本作りを行ったり、あるいは世田谷区の子供たちが自らネットの作法をかるたにするといった、そういう活動に携わったりしているんですけれども、まだ全国の面的な広がりとはなっていません。
子供の安全確保に最も責任が重いのは家庭です。しかし、親子でどのように学んでいけばよいのか、どのようにリスク管理あるいは危機対応すればよいのか、その手法が分からないのが実情だと思います。家庭内で携帯の使用ルールを設けている小中学生は四割程度だという、そういう調査結果もあります。これまでのいじめというのは学校の問題だったんですが、ネットいじめは家の中が問題になります。学校から家に逃げ込んでも、家のパソコンや携帯にそのいじめは入ってきますし、家の中からもいじめ情報を発信することができるわけです。しかし、何かまずいことがあっても、親に話をすると携帯を取り上げられるという恐怖があるのでなかなか子供は親に言わないという、そういう実情もあります。家の中が安全で安心に、そういう空間になるように考えていく必要があろうかと存じます。
こうしたこと以上に強調をしたいのは、より楽しく使いこなす、表現をするということです。抑制ではなくて促進することを進めたいと思います。デジタル技術の恩恵を最大限に子供たちに与えるための教育的な取組を強化したいというふうに思います。
私は、デジタル時代の子供の創造力や表現力をはぐくむためのNPO、CANVASという名前のNPOに五年前から携わっております。今日はオレンジ色のパンフレットを、このようなものをお配りいたしました。(資料提示)今日は詳しくは説明いたしませんけれども、このNPO法人が行っておりますのは、パソコンや携帯でアニメを作る、あるいは映画を作る、文章を書く、新聞を作る、そして音楽を作る、そのような表現で全国の相手あるいは海外の子供たちとコミュニケーションを取る、あるいは地域のニュースをブログなどで発信をする、そのような活動を通じまして表現をすること、コミュニケーションをすることの意味、大切さ、あるいはしきたり、さらには危険性などを学んでいくという、そういうものです。
これまで二百四十校ぐらいのワークショップを開催いたしまして、三万人ぐらいの子供たちが参加をしています。本来このような活動は行政あるいは教育現場が進めるべきものだと思いますが、まずは産学連携の形で、課外活動の形で今は進めています。学校の先生方、保護者、企業の方々、自治体、アーティスト、あるいは大学の研究者など、この分野に関心のある人たち五百人ぐらいが集まって活動しておりまして、ユネスコですとか海外の大学などとも連携をしています。
日本の子供たちはデジタルの技術で表現するのが上手です。デジタルの創造力とか表現力といったものは今後の国際競争力の源になるとも考えます。このような力を摘み取ってしまうのではなくて、どのようにして伸ばしていくのか、こうした教育的な活動をどのように支援していくのか、この法案に言うインターネットを適切に活用する能力をどのように育てていくのか、こうしたポジティブな方向の政策を考えることも重要だと思います。
次、三点目、法案のポイントであります。こうした考え方を踏まえまして法案について若干コメントを申し上げたいと存じます。
まず、評価できる点を三つ挙げます。第一に法案の題名です。これまでの幾つかの案に見られた有害情報の閲覧の防止といった禁止的で抑制的、規制色の強いものではなくて、利用できる環境の整備という前向きな施策となったことです。法案の内容も民間による安全確保への取組と教育の推進といったバランスの取れたものに落ち着いてきたこと、これは国会の英知を絞られた結果だというふうに考えます。
次に第三条、基本理念です。基本理念の第一項、「青少年自らが、主体的に情報通信機器を使い、インターネットにおいて流通する情報を適切に取捨選択して利用するとともに、適切にインターネットによる情報発信を行う能力を習得することを旨」とする。それから、第三項、「自由な表現活動の重要性及び多様な主体が世界に向け多様な表現活動を行うことができるインターネットの特性に配慮し、民間における自主的かつ主体的な取組が大きな役割を担い、国及び地方公共団体はこれを尊重することを旨」とする。
これはまさに先ほど申し上げたことを具現化していただいた条項だというふうに読みました。青少年の主体的な能力の習得ということと、民間の取組の尊重、この基本理念をしっかりと踏まえた施策を今後講じていただくとともに、これを損なうような国の介入を避けるということを願う次第です。
そして第十三条、教育の推進等です。学校、社会、家庭教育の推進、そして研究の支援について必要な施策を講ずるという規定であります。豊かな情報社会をつくるための研究あるいは活動を進めてきた私どもとしては、情報教育あるいは研究開発の充実といったポジティブな施策を進めるためのネット利用促進法ですとか支援法を求めてまいりました。この法案が成立するのであれば、そうした具体的な施策につながってくれることを期待いたします。
更に言いますと、第六条の保護者の責務、これを明記されたことも評価できます。買い与えて使わせているのは保護者です。子供に携帯を持たせる際に親がきちんと指導をしておくという必要があります。その子供を守る責任というものを企業や学校あるいは国や法規制に求める前に親の責務を社会として確認をしておくというのがよいというふうに思います。
最後に、懸念事項として今後の法運用に関して三つ申し上げたいと思います。
まず、第十二条の基本計画です。基本計画は今後、立法府や国民の手を離れて政府が策定をするということになります。その際に、基本理念の第一項や第三項が言うようなしっかりとした考え方の下で策定されるということを望みます。逆に、民間の取組を過度に縛ったり、あるいは法の趣旨を超える表現規制的な介入が行われたりすることがないように立法府として行政府をチェックしていただきたいと存じます。
次に、第二十四条のフィルタリング推進機関の登録というものです。私にはこの登録制度の法的効果が分かりません。第三十条において、登録された機関は支援を受けられるという記述があるんですけれども、その他の団体、事業者は登録制度なしに支援団体となっているということの比較からしますと、支援するために登録に係らしめる意味とも取れます。とすれば、当然国の関与を認めざるを得ないスキームでして、公正中立性が損なわれないかが懸念されるところであります。国の事務としてフィルタリング推進機関を指定する指定法人制度に比べると、民間の発意に基づく登録制度というのは随分法の趣旨にかなうと存じますけれども、運用上、国の関与がどの程度になってくるのかというのがなお論点が残るかと存じます。
最後に、法案決定のプロセスについてです。今回の法案は外から見ておりますと、何やらとても早い動きといいますか、早い調整のうちに提出されたように見えます。短い期間に様々な案が闘わされてこの案になってきたというふうに伺っております。また、附則には見直し条項も付いておりますので、今後の改定というのも視野に入っているものと承知をいたします。
しかしながら、表現の自由にかかわる法規制をそのような急速なプロセスで今後も進めていってよいのか、国民として一抹の不安を感じるところもあります。日本は戦後六十年、表現の自由を大切にして、例えば放送の番組規制も他国に比べて国の関与が薄い形で運用してきました。これからのネット社会の情報内容規制というのをどうするのか、どっしりした国民的な議論が必要になっているというふうに考えます。また、関係業界にとっても法規制というのは産業界を大きく左右します。日本市場の予見可能性あるいは透明性を確保するためにも、制度論議の予見可能性ですとか透明性というのは重要だと考えます。
現在、総務省情報通信審議会において情報通信法の論議が進められています。通信、放送の法体系を見直す作業でありまして、それには私も参画しています。その中で、コンテンツの規制、情報内容の規制をどうするかというのは非常に重要なテーマでありまして、表現の自由との関係でとても神経質かつ慎重に今論議をしています。この論議は二年前からスタートしておりまして、基本的にはウエブサイト等への情報には国が直接関与しない形での法体系を構築すべく議論をしつつ、さらに、数度にわたるパブリックコメントを募集して、幅広い関係者との意見交換を経て、なお二年程度の時間を掛けて検討をしようということになっています。政府で行っておりますようなこのような議論と国会での立法措置とがうまく整合の取れる形できちんと国民の意思が反映されるように今後も制度をおつくりいただければというふうに希望する次第です。
インターネットや携帯が普及してわずか十年余りです。その間にも技術やサービスは目覚ましい変化と進化を遂げております。日本の青少年は先端ユーザーで、大人の側が追い付いていない面があります。そのようにして情報社会を今後何世代も掛けて築いていくものだと存じます。世代を超えて、デジタル技術を使いながら、あるいは学びながら、時間を掛けて安全で安心な社会をつくり上げていくという社会としての覚悟が必要な状況にあると思います。
まずは、この法案が法律として施行されるのであれば、それでどのように民間や社会が対応していくのか、しかと見極めていただきたくお願い申し上げる次第です。
以上でございます。