吉村剛太郎の発言 (予算委員会)

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○吉村剛太郎君 おはようございます。自由民主党の吉村剛太郎でございます。
 本日、こうやって冒頭に予算委員会で質疑させていただくこと、大変光栄至極でございますが、さきの通常国会では、私はここにトップバッターとして質問をさしていただいたわけでございますが、三日間、この席で座ったままで待たされました。しかし、本日はこうやって定時定刻に質問をできるということ、大変うれしく思っている次第でございます。
 まず冒頭、今回、麻生総理、総理に就任をされました。心からお祝いを申し上げたいと、このように思う次第でございます。あわせて、この度のノーベル賞で、物理学、化学の分野で合わせて四人の日本の方が受賞されました。日本国民にとっては大変うれしいことであると、このように思います。後ほど所見があれば総理からお伺いをしたいと、このように思う次第でございますが。
 まず今回、総理に就任をされましたが、私にとりましては、福岡県にとりまして七十二年ぶりの総理の誕生でございます。
 総理とは地元でしょっちゅう顔を合わせていろいろな冗談も含めて話し合っておりますが、今日こうやって総理とそして質疑者という形でお話をさせていただくということは私にとりましても大変感無量でございまして、よろしくお願いをしたいと、このように思います。
 七十二年前といいますと昭和十一年、昭和十一年の三月五日に、我が福岡が生みました広田弘毅という方が総理に就任をされました。昭和十一年三月五日といいますと、そのちょっと前に二・二六事件があったときでございます。そして、三日後の二月の二十九日に反乱兵士が帰順をいたしまして、その後、三月五日にこの広田弘毅に、まあ歴史上の人物ですから呼び捨てをさせていただきますが、大命が下った次第でございます。
 個人的なことを申し上げると大変恐縮でございますが、この広田弘毅は私の高校の大先輩でございます。その当時の中学修猷館の出身ということでございますが、そういう縁もありまして、現在私はふるさと福岡で広田弘毅顕彰会の会長をしておりまして、毎年五月に顕彰会を催させていただいておる次第でございます。
 広田弘毅の生き様、死に様についてはいろいろな文献がございまして、もう皆様方御存じのとおりだと、このように思っておりますが、たしか麻生総理のおじい様の吉田茂、これも歴史上の人物ですから呼び捨てさせていただきますが、外務省ではほぼ同時代、活躍された方ではないかなと、このように思っております。
 広田弘毅、組閣に際しまして、外務大臣に吉田茂をという意向があったやに聞いております。しかしながら、時の軍部、なかんずく陸軍が大変な反対をいたしまして、外務大臣に就任するということが実現しなかったわけでございます。その理由は、非常に自由主義的な考えを持った方であって、そのような傾向を持った者は閣内に入れないという陸軍の強い反対があったと、このようにお聞きしております。
 そのときの世界情勢、歴史を振り返りまして、やはり確固とした歴史観を持ちながら政治というものが行われなければならないと。特に混迷の時代は指針がありません。やはり、歴史をひもといて、その中から次の世代がどうあるべきかということを決めていかなければならないんではないかと、このように思いますときに、総理の、本当におじい様から薫陶を受けた歴史観というものを私は大変信頼もしておりますが、ここで国民の皆さん方に、その総理が持てる歴史観とそれからこの国がどうあるべきかという国家観、国民の方々に御披瀝をいただければと、このように思います。よろしくお願いします。

発言情報

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発言者: 吉村剛太郎

speaker_id: 408

日付: 2008-10-14

院: 参議院

会議名: 予算委員会