小野晋也の発言 (環境委員会)
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○小野(晋)委員 そこで、先ほど三つの観点を挙げましたが、それぞれについて御質問したいと思うのであります。
まず第一に、文明問題であります。
私は、これまでの近代文明、十五世紀末からの大航海時代以降、西洋の文明というものが世界の中で非常に大きな影響力を示し、指導する立場をとり続けてきた、こういうふうな気持ちがするのでありますが、この西洋諸国が持った文明の一番の基本の問題というのは、人為的取り組みがその秩序を形成するに十分な力を持ち得るんだという、その思い込みにあったという気がしてならないんですね。だから、人が自然を壊す、人がいろいろな社会の設計を行う、それに従えば人間はすべて幸せになれるというふうなことを考えたわけでありますし、また、平和だって、そういう観点で設計すればちゃんと実現できるというふうに思い込んできたわけであります。
ある一定期間まではそういうものが非常に有効に働いた期間があったような気持ちが私はいたしますけれども、残念ながらこの近年の状況を見ますと、例えばイスラエル、パレスチナの問題にしたって、もう六十年を経て、あれだけ努力をしながらちっとも解決に向かっていないという現実があるわけでありますし、経済の格差問題にしても、これもなかなかその解決策が生まれてこない。
また、社会のさまざまな問題、特に心の問題をはらむような課題に関しては、全く無力と言っていいような状況が続いてきているということを考えますと、これまでの近代文明と言われたものの見直しが迫られている、それが先ほど言った百年に一回の大変化というものの特質ではなかろうかという気がしているわけでありますが、そんな点から見ましたときに、私は改めて、ある意味では東洋思想と言われるものかもしれないが、天地自然であり、天と言われるようなものをもっと尊重する思想というものを持っていくことが必要ではなかろうかと思うわけであります。
例えば、西郷南洲翁が遺訓として残した言葉の中に、人を相手にせず天を相手にせよ、天を相手にしておのれを尽くして人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。こういう言葉は非常に日本人に響く言葉だと私は思うわけであります。
この人為性というものを超える、例えば経済の問題にしても、経済合理性がすべてだみたいなことを今言われますけれども、人の心がどこに行ったんだと、今の経済の議論の中で。経世済民といえば、経は世を貫くたて糸ですね、世を貫くたて糸を通してこの世のすべての人を助けていこうというのが経済の語源のはずだったわけでありますが、そういう理念がどこかへ置き去りにされてしまい、ただ数字の上で、一株当たりの利益は幾らだとか、労働力一人当たりの生産性が幾らだとか、こういう基準ばかりで物事が図られている世界というのはやはり基本的に間違っているんだ、こういう認識を改めて持たねばならないのではなかろうかと思うのであります。
私は、そんな観点に立ったときに、改めて、天地自然に足場を置く文明社会の理解と構想が必要である、環境問題を軸にしてこういう構想が生まれてくるんだ、こういう視点を持っておるのでありますが、大臣の御所見をお聞かせいただきたいと存じます。