環境委員会

2009-04-07 衆議院 全78発言

⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。

会議録情報#0
平成二十一年四月七日(火曜日)
    午前九時三十一分開議
 出席委員
   委員長 水野 賢一君
   理事 小野 晋也君 理事 北川 知克君
   理事 小杉  隆君 理事 土屋 品子君
   理事 西野あきら君 理事 岩國 哲人君
   理事 伴野  豊君 理事 江田 康幸君
      上野賢一郎君    小島 敏男君
      木挽  司君    近藤三津枝君
      坂井  学君    鈴木 俊一君
      高鳥 修一君    中川 泰宏君
      平田 耕一君    藤野真紀子君
      古川 禎久君    馬渡 龍治君
      山本ともひろ君    末松 義規君
      田島 一成君    田名部匡代君
      三日月大造君    吉田  泉君
      古屋 範子君
    …………………………………
   環境大臣         斉藤 鉄夫君
   環境副大臣        吉野 正芳君
   環境大臣政務官      古川 禎久君
   政府参考人
   (警察庁刑事局長)    米田  壯君
   政府参考人
   (財務省主計局次長)   木下 康司君
   政府参考人
   (環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部長)   谷津龍太郎君
   政府参考人
   (環境省総合環境政策局環境保健部長)       原  徳壽君
   環境委員会専門員     吉澤 秀明君
    —————————————
委員の異動
四月七日
 辞任         補欠選任
  あかま二郎君     高鳥 修一君
  船田  元君     平田 耕一君
  村井 宗明君     三日月大造君
同日
 辞任         補欠選任
  高鳥 修一君     あかま二郎君
  平田 耕一君     船田  元君
  三日月大造君     村井 宗明君
    —————————————
四月六日
 自然公園法及び自然環境保全法の一部を改正する法律案(内閣提出第六〇号)
は本委員会に付託された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 自然公園法及び自然環境保全法の一部を改正する法律案(内閣提出第六〇号)
 環境の基本施策に関する件
     ————◇—————
この発言だけを見る →
水野賢一#1
○水野委員長 これより会議を開きます。
 環境の基本施策に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、政府参考人として警察庁刑事局長米田壯君、財務省主計局次長木下康司君、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部長谷津龍太郎君及び環境省総合環境政策局環境保健部長原徳壽君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →
水野賢一#2
○水野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    —————————————
この発言だけを見る →
水野賢一#3
○水野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小野晋也君。
この発言だけを見る →
小野晋也#4
○小野(晋)委員 おはようございます。
 私は、実は次期の総選挙に出馬しないということを表明いたしております。したがいまして、この質問席に立たせていただくのも恐らくきょうが最後ということになるんだろうと思います。ぜひきょうは斉藤大臣と率直な意見交換をさせていただいて、きょうのこの質疑が環境行政関係者に対する遺言となる気持ちで行いたいと思いますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。
 まず、私の基本的な考え方を少し述べさせていただきたいと思うのでございますけれども、このごろ、百年に一度の危機という言葉がよく使われます。先日の江田委員の御質問でも、この百年に一度というまくら言葉を使われて質問を始められたことが記憶にあるわけでありますけれども、百年に一度というのは一体どういう意味であるかということをるる考えてみますと、小さな循環論的な意味での変化ではあり得ないということを意味していると解釈してよろしいんだろうと思うのですね。人類の歴史の中において非常に大きな変化がこれから起こってくる、それは恐らく文明次元における変化であろうというふうに考えるべき問題だと思うのであります。
 振り返りますと、人類の歴史上、多くの文明が盛衰を繰り返してまいりました。多くの文明が次々とその役割を果たしながら、人類社会を進化させてきたと評価することができるのであろうと思うのでございます。その歴史を振り返るときの教訓というものは、必ず何かの中心軸を持っていたということが言えるのだろうと思うのであります。
 つまり、何らかのものがその中心役を果たし、そこに経済ですとか社会のさまざまな要素、教育、いろいろなものを巻き込みながら新しい人類の文明社会を築き上げてきたというふうにとらえてまいりましたときに、私は、基本的にこれからは環境問題がグローバル社会における大きな文明転換の中心軸になる可能性をはらんでいる、こう評価していいと思うのであります。
 随分大時代がかってくるのでありますが、かつて孔子は、政をなすに徳をもってすれば、北辰、北極星ですね、北辰のその場にいて衆星のこれに向かうがごとしと言い、徳治政治を訴え、徳こそがその中心になるものだと語ったのでありますが、これは恐らく、小国寡民という当時の社会の中にあって言うことができた論なんだろうと思います。
 その後、活動エリアが拡大される中でどういうものが力を持ってきたかといえば、文明学者でありますところのアルビン・トフラー氏によれば、当初は武力である、軍事的な力を持ち戦争に勝てるところがその力をもって文明を動かしたという評価を行い、そしてその次には金力、経済力ですね、経済こそがその中心軸である。現代は何であるかというと、トフラー氏いわく、知恵であるというふうなことを言われるのであります。
 この知恵というものを軸に考えてまいりますときに、私はまた三つの基本的な要素が存在すると思うのであります。その一つは、多くの人が深刻に課題を共有できるということが条件として必要だと思いますね。二つ目には、普遍的な手段をもってその問題を解決する道筋が理解できる、そういうものをつくることができるという問題が二つ目にあります。それから三つ目には、その取り組みが一過性のものではない、その取り組みを継続的に行うことを通して蓄積的に世の中の変化を導くという要素を持っているということ、こういうふうなことが満たされるときに大きな文明転換が起こる、こういうふうな気持ちがいたしておるわけであります。
 そこで、先ほど提起いたしました環境の問題でございますけれども、まさに現代の時代において、いろいろ疑義を唱える方もまだ一部にはいますけれども、その深刻な問題認識という面で見ますならば、地球温暖化問題を中心とするこの大規模な環境問題が人類の存亡にかかわる問題だとかなり幅広く認識されているというので、第一条件を満たしておるわけであります。
 それから第二の条件として、その原因と結果の間を結びつけるものがかなり明瞭になってきていることを通して、例えば二酸化炭素排出量を減らしましょうといったような、具体的であり、しかも普遍性を伴うところの解決策が我々の前に提示されている問題がございます。
 それから第三点目に蓄積性の問題を述べましたけれども、この取り組みは、決してきょうこれに対策を打てばそれで終わるという問題ではなく、一年で終わる問題でもなく、十年かかり百年かかる、こういう長大な期間を想定しながら取り組まねばならないという意味での条件も満たすということから考えますと、まさに環境問題こそが、今人類が知恵を絞り、また、さまざまな努力を重ねながら、新しい文明の地平を切り開くための中心の軸として動いていく要素になってくる問題である、こういうふうな認識を持つことができるのではなかろうかと思うわけであります。
 その大きな時代の潮流の中にあって、大変化と言われる潮流の中にあってこそ、いろいろな経済問題が発生し、また、人の心の問題が発生し、さまざまな社会問題が発生する。すなわち、これら全体を巻き込みながら、環境問題が軸となりつつ、全世界的であり、また、総合的な課題の解決に立ち向かっていくことが二十一世紀の時代というものを特色づけるのではなかろうか、これが私自身の見解でございますけれども、この点、非常に見識深く、幅広く問題に取り組んでおられる斉藤大臣、いかなる御所見をお持ちになっておられるか、まずお尋ねをしたいと思うのであります。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#5
○斉藤国務大臣 小野委員とは平成五年初当選以来ずっと一緒に活動をしてまいりまして、当初は与野党分かれておりましたけれども、お互い宇宙の出身ということもあり、最初は宇宙の未来を考える会というのを超党派でつくって、まさに地球問題、環境問題を一緒に勉強してきた仲間として、次回の選挙には出馬されないということで、小野さんのような方が国会からいらっしゃらなくなるのは大変残念な、寂しい思いでございますけれども、今お話しになったような基本的な考え方で、今の環境問題がこれからの人類のあり方を考える上で軸になっていき、そこを中心に新たな文明を切り開いていかなくてはいけないのではないかという思いに私も一〇〇%同意でございます。
この発言だけを見る →
小野晋也#6
○小野(晋)委員 斉藤大臣からは国政を去るのは非常に残念だと、惜しまれながら去っていく幸せを今感じているところでございます。
 政治家というものは、やはりそのとき、場の中で、いかにみずからを尽くし、生きるかという職業なんだろうと私は思っております。ですから、この時代性の中にあって、一体いかなる振る舞いを行うことが最も国家のために役に立つのか、また、人類社会のための貢献をなし得るのか、そんな観点から考えるべき問題でありまして、ポストがいかなる権力を持つか、また、いかなる資金配分力を持つか、こういうふうな目先のことにとらわれるべきではない、これが私の信念でございまして、現状のこの日本政治の姿、日本社会の姿を見る中にあって、私は、政治家として選ぶべき道は在野の政治家である、こういう決意を持って去っていこうとしているわけでありますので、決してこれは後退ではなく前進である、こういうふうな御理解だけはお願い申し上げたいと思う次第なのであります。
 そこで、政治家論に少し触れさせていただきましたけれども、この時代に政治家というのは一体いかなる役割を果たすべきものであるのかということを考えてまいりましたときに、私は、大きく三つの役割を果たすことが極めて大事だと思うんですね。
 平常時、世の中が非常にうまく動いているときであると、それは機械的な意味合いの仕事を中心にする、また、儀礼的意味合いの仕事を中心にするような政治というものが大きく取り上げられるべきかもしれませんが、危機的な状況、百年に一度の危機と言われるような時代にあって政治家は何をなすべきか。そこで私は三点御指摘を申し上げたいと思うのであります。
 一つは何であるかというと、文明的視点ということを申し上げましたけれども、この文明的な変化が一体いかなる変化であり、我々はどこへ流れていこうとしているのか、また、その流れの中にあって、いかに国家や人類社会を誘導していくことができるのかというような意味での、文明に対する挑戦なのであります。この文明レベルの挑戦こそが政治の本質であり、与党と野党が国会で言い争っているような姿というのは微々たるものにすぎない。恐らくこれは、国民もそういう観点で今の日本政治を見ているんだろうと思うんですね。ですから、文明に対する研究、検討と、その議論を深める、これが必要なことだと思います。
 それから二つ目には、現実、現場の中からの具体的問題に我々がいかに答えていくかという問題にもっと真摯に取り組む必要があるだろうという気持ちがしてなりません。この点はまた後ほど詳しく述べさせていただくつもりでございますけれども、その現実の中にみずから身を投じながら、そこに持てる限りの知恵を尽くし、それを集積しながらこの国の未来のビジョンを描く、こういう具体的な仕事を進めていくというのが二つ目の課題であります。
 それから三つ目には、この文明の議論にしても、また、この国家ビジョンを描く作業にしても、ある意味では未来の問題を取り上げるわけでありまして、未来に一つの理想を描き夢をつくり上げる、こういうものと同時に現実というものが今あるわけであって、この現実と未来の理想というのは、当然のことながら大きなギャップをはらんでいるわけですね。そのギャップをはらんだものが実現されなかったら、この夢は虚言になってしまうんですね。
 それを具体的な実のものに変えていく役割を果たしているのは何だといえば、人なんですね。そこに人がいるから、理想に向かって挑戦し続ける人がいるからこそ、大きな夢を語って、それが現実に変わっていくことができる。つまり、その具体的な行動を起こす人を育成すること、これが政治に課せられた三つの基本条件であると私は認識をいたしておるのであります。
 非常に真摯に政治活動に取り組んでこられた斉藤大臣、こういう文明への挑戦、そして現実、現場の問題に対する解決への取り組み、そして人の育成、これが政治家の三条件だと思うのでありますが、御見解はいかがでございましょうか。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#7
○斉藤国務大臣 その三つの基本的な姿勢、資質、また方向性というのは、政治家の非常に重要な三つの資質である、また考え方であるというのは、私も同意をいたします。
 ただ、自分を振り返ったときに、努力をしているかということについては甚だ反省すべき点が多い、このように感じています。
この発言だけを見る →
小野晋也#8
○小野(晋)委員 そこで、先ほど三つの観点を挙げましたが、それぞれについて御質問したいと思うのであります。
 まず第一に、文明問題であります。
 私は、これまでの近代文明、十五世紀末からの大航海時代以降、西洋の文明というものが世界の中で非常に大きな影響力を示し、指導する立場をとり続けてきた、こういうふうな気持ちがするのでありますが、この西洋諸国が持った文明の一番の基本の問題というのは、人為的取り組みがその秩序を形成するに十分な力を持ち得るんだという、その思い込みにあったという気がしてならないんですね。だから、人が自然を壊す、人がいろいろな社会の設計を行う、それに従えば人間はすべて幸せになれるというふうなことを考えたわけでありますし、また、平和だって、そういう観点で設計すればちゃんと実現できるというふうに思い込んできたわけであります。
 ある一定期間まではそういうものが非常に有効に働いた期間があったような気持ちが私はいたしますけれども、残念ながらこの近年の状況を見ますと、例えばイスラエル、パレスチナの問題にしたって、もう六十年を経て、あれだけ努力をしながらちっとも解決に向かっていないという現実があるわけでありますし、経済の格差問題にしても、これもなかなかその解決策が生まれてこない。
 また、社会のさまざまな問題、特に心の問題をはらむような課題に関しては、全く無力と言っていいような状況が続いてきているということを考えますと、これまでの近代文明と言われたものの見直しが迫られている、それが先ほど言った百年に一回の大変化というものの特質ではなかろうかという気がしているわけでありますが、そんな点から見ましたときに、私は改めて、ある意味では東洋思想と言われるものかもしれないが、天地自然であり、天と言われるようなものをもっと尊重する思想というものを持っていくことが必要ではなかろうかと思うわけであります。
 例えば、西郷南洲翁が遺訓として残した言葉の中に、人を相手にせず天を相手にせよ、天を相手にしておのれを尽くして人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。こういう言葉は非常に日本人に響く言葉だと私は思うわけであります。
 この人為性というものを超える、例えば経済の問題にしても、経済合理性がすべてだみたいなことを今言われますけれども、人の心がどこに行ったんだと、今の経済の議論の中で。経世済民といえば、経は世を貫くたて糸ですね、世を貫くたて糸を通してこの世のすべての人を助けていこうというのが経済の語源のはずだったわけでありますが、そういう理念がどこかへ置き去りにされてしまい、ただ数字の上で、一株当たりの利益は幾らだとか、労働力一人当たりの生産性が幾らだとか、こういう基準ばかりで物事が図られている世界というのはやはり基本的に間違っているんだ、こういう認識を改めて持たねばならないのではなかろうかと思うのであります。
 私は、そんな観点に立ったときに、改めて、天地自然に足場を置く文明社会の理解と構想が必要である、環境問題を軸にしてこういう構想が生まれてくるんだ、こういう視点を持っておるのでありますが、大臣の御所見をお聞かせいただきたいと存じます。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#9
○斉藤国務大臣 いわゆる西洋的な物の考え方、二元論的な考え方と東洋思想の考え方があって、現在の文明の行き詰まりは、一神教的な、また二元論的な物の考え方に原因があるのではないかということはよく私も理解をしております。
 であるならば、では東洋的な考え方をもとにいろいろな社会のシステムをつくっていく、政治を行っていくということも当然考えられるわけでございますけれども、まさに今この社会的な混乱の中でその試みがこれから行われていく、今は大きな転換点なんだろう、このように思っております。
 私自身は仏教徒でございますので、基本的には仏教の宇宙観というものを根底に持って、その上で環境問題をとらえていっておりますけれども、現実問題にそれを適用したときに、小野委員もそうです、私もそうですけれども、この西洋二元論的考え方に基づいた科学技術を勉強してきて、それを解決しようというその間にいろいろな矛盾を感じているということも確かで、これをどう乗り越えていくのかというのが、今、人類に課せられている課題なのではないかと思います。
この発言だけを見る →
小野晋也#10
○小野(晋)委員 大臣、深い見識からの御答弁ありがとうございます。
 ただ、私は、仏教徒ということも述べられた、科学技術者ということも述べられて、そこの根底に二元論があるということも述べられたけれども、これは人間がつくった観念でありまして、あくまで天地自然は一つなんです。天地自然というものに立ち向かうときに、キリスト教徒であろうと仏教徒であろうとイスラム教徒であろうと、その他さまざまな宗教、またいろいろな思想、信条を持たれる方々も、すべて天地自然は同じものなんですね。
 つまり、そこに原点を置いて考えれば、一党一派がどうだとか宗派がどうだとか、こういうことを超えた全人類共通の足場をつくることができる。そこにこそ地球時代の、この地球全体が一つになって動こうとする時代の基本思想が生まれるはずでありますし、その基本思想、もう一党一派に偏するような議論ばかりやるから常にそこに対立が生まれ、みずからの利害がどうだこうだというようなせせこましい議論をしてしまうのでありますが、もっとおおらかに、我々が生きている世界は一つである、この認識に立ってそこに生きていく人類の未来の絵を描くということが必要なんだろう、こんな文明観をこれから樹立することにまたお互い努力をしていかねばならない問題ではなかろうかという気がしているわけであります。
 次に、ビジョンの問題についてお話をさせていただきたいと思うのでありますが、そこでちょっと一つ御紹介申し上げたいのは、先日の永田町人間学講座でフランクルを取り上げて議論させていただきました。
 ビクトール・フランクルというのは、ウィーンに生まれられた精神科医であり心理学者であって、その人はユダヤ人だったものですからナチスの強制収容所に収容される。そこでみずから被収容者としての体験の中で、人間は何によって生きるのかということを探求された方でございます。その収容所の厳しい環境の中で、倒れいく人は倒れていった、生き残る人は生き残っていった。それが世俗、通俗の考え方とは全然違っていたというんですね。
 普通でいえばリーダーシップを振るい、大きな声でしゃべり、肉体的な体力もありそうな人間は生き残るだろうと思うのでありますが、収容所の中では全然違う。むしろ逆だったというんですよ。なよなよとして弱々しそうに見えた人の方が逆にその収容所で生き残った。それは何だ。みずから深い心の中に信ずるものを持つか持たないかだと。希望を未来に持てる人間は生き残った、希望を失った人間はたちまちにその厳しい環境の中で崩れていったということが書かれるわけであります。
 その議論を経て、人間には生きる意味こそがその人生の本質であるということを結論づけるわけでありますが、そこにこんな文章があります。
  ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
こういう言葉なんですね。
 これは少し解説が必要な文章なのかもしれませんが、私たちは、人生を生きるときに、自分の意思に基づいて周りが動いてくれなければその状況は異常であると判断する。それでこたえてくれない世の中であれば自分はもう生きている価値がないというふうに決めつける人がいて、その結果が、十一年続いた三万人を超える自殺の問題につながってきているんでしょう。
 しかし、フランクルは言うんですよ。そうじゃないんだ、人間が生きている意味というのは、周りのこの環境があなたに与えてくるものなんだ、周りの環境があなたに問いかけを常にしているんだと。
 いろいろな問題の姿をとることもあるんでしょう。いろいろな体験を通してそういう場面がつくられることもあるのでありましょうが、それに対してあなたがいかに答えるかということが問われている、その問題が生きるということなんだ、こういうふうに切りかえて考えていくべきなんだと。そうすると、この世に生まれてきたどんな人であれ、すべて周りの環境の中からあなたに求めるものがあるはずなんだ、どんな人であっても生きている意味のない人生などはないんだ、周りがあなたに意味を与えているのを気づかないだけじゃないか、どんな人であっても生きる価値のない人生などはないのだ、どんな人であっても生きる場所のない人生もないのだと。これがフランクルの思想の結論なんですね。
 だから、その問いかけ方を改めるべきなんだ。我々人類も、先ほど申し上げた文明の議論と相通ずるものが出てくるわけでありますけれども、人間がこういうふうに生きたいんだ、環境がこれではまずい、こういう議論ばかりやってきましたが、そうじゃない、地球という全体の中から人間がどうあるべきかということが逆に今問いかけられているんだ。この地球という、ガイア理論によれば一つの生き物だというふうに言われるわけでありますけれども、この地球というものが一人一人の人間に、一つ一つの国家に問いかけているんだ、あなたはこの地球の上でどういう責任を果たすつもりですかと。
 こういう観点に立ってこれからのビジョンを描き出していくということが必要でありますし、そこに人類がこれから新たな知恵を開いて、さらなる精神面を含めた大いなる成長に進んでいく基本的な考え方がある、こういうふうな気持ちがするのであります。これに対して大臣はどうお考えか。
 そして、この観点は、人間に対する非常に深い理解がなければ本当に生まれてこないんですね。人間はいかなるものであるのか、人間を取り巻く環境でいかに人間は生きていくべきものなのか。それはもう、数値でCO2濃度が幾らだとか亜硫酸ガス濃度が幾らだとか、こんな問題じゃないんですよ。もっと総合的で根本的な観点から人間いかに生きるべきかということに足場を置いて環境政策を考えないと、国民の魂に、人類の心に響く政策などはつくることができない。
 そんな観点からすると、これから環境省の中でも、ぜひ斉藤大臣を中心に、人間を学び合い、それをみずからのものにするというような動きをしていく必要があるのではないか。これは決して一党一派にかかわることじゃありません。もっと根本的な問題だと私は理解するのでありますが、御見解をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#11
○斉藤国務大臣 まさに生きることの意味ではなく、生きることに何が求められているか、そこを問えというのは大変深い言葉で、そこに人間が環境の中で生きていることの本当の位置づけを見出さなくてはならないのではないか、そして、そこを根底に置いて環境政策ということを論じなければ魂に響く環境政策は打ち出せないのではないかというお話、フランクルの言葉を引いてのお話、非常に深い言葉なので、今すぐ私わかりました、理解いたしました、こういうお答えをするわけにはいきませんけれども、しっかりと考えていきたいと思います。
 私自身は、自分が生きることの意味は一体何なんだろうかというようなことをよく考えますけれども、その逆方向の考え方で、実は正直申し上げて大変ある意味でショッキングな刺激的な新しい考え方で、自分自身でしっかりちょっと考えてみたいと思います。
この発言だけを見る →
小野晋也#12
○小野(晋)委員 最後に、人の育成という問題を取り上げました。
 先ほども少し触れましたけれども、世の中で理想と現実にギャップがあるからだめだというふうなことを安易に語る人がいますが、これはとんでもない議論だと思うんですね。私たちが生きているということは、常に、みずからが理想を持つならば現実との間にギャップがあるのは当たり前のことであります。そのギャップが放置されないのはなぜかといえば、その理想と現実の間にその人間が身を横たえ、理想と現実をつなごうという努力をするから、その両者がつなぎ合わされ、現実を理想に向けて一歩でも近づけていくことができる、そこに人間の輝きがあると考えるのが私は本来の考え方であると思うのであります。
 そこで、私は、有為にして有徳なる人を育成するということも必要である、これが政治家として大きな仕事であると考える中で、「夢出せ、知恵出せ、元気出せ」という三つのスローガンを掲げる運動を展開いたしております。頭文字をとれば、ゆちげ運動というふうになるわけでありますが、その中で、基本的な精神を三つ取り上げております。
 一つは、私たちは困難を語るよりももっと多くの魅力的な夢を語ろう。今は困難ばかり語っていますけれども、夢を語ることができるのに夢を語ろうとしないのは、私は怠慢のきわみだと思っているんですね。どんな状況にあっても人間はみずからの生きる道を探ることができるわけでありまして、多くの夢を語るということが必要であります。
 二つ目は、私たちはお金で問題解決をするという発想ではなく、知恵によって問題解決を図っていこう。お金がないからできないというふうに言ってしまえば、もうそこで立ちどまってしまうんですね。そうじゃない、我々にはお金がなくても知恵がある、こういう決意を持つことが必要であります。
 それから三つ目には、私たちは法律、制度などによって状況を動かすのではなく、元気、誠意と情熱と言いかえておりますが、これによって人を動かし社会を動かしていこう。こういう観点に立てば、外部の環境がいかなるものであるかということを主原因としてできるできないを判断するのではなく、みずからの主体的意思においていかなる対応ができるか、周りのさまざまな問題について私はどうそれに答えることができるかというふうな視点を持つことができると思うのであります。
 環境行政がこれからの世の中を動かす中心軸となるためには、環境行政自身がこの発想を持たねばならない、こういう気持ちがするわけでありますが、御所見をお聞かせいただきたいと思います。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#13
○斉藤国務大臣 ゆちげ運動の基本的な考え方、私、オークツリーを毎回読ませていただいておりまして、その考えの深さと、あと本当に読んでびっくりするのは、小野さんの文章力のすごさ、確かさというのを感じておりますけれども、まさに夢と現実を結びつける、そこに政治家がいる、そのためにお金がないときにはあらゆる知恵を出しながら、元気を出しながら、夢、知恵、元気、政治家として本当に大事なことだと思います。
この発言だけを見る →
小野晋也#14
○小野(晋)委員 大臣、どうもありがとうございました。
 遺言は以上でございますが、最後にもう一言触れさせていただきます。
 最近私が気になっている言葉、これは中国の詩人であります陶淵明の言葉なんですね。帰りなんいざ、田園まさに荒れなんとす、何ぞ帰らざる。この詩をつくり、それで故郷に戻っていくんですね。官職を辞して故郷に戻る。この田園まさに荒れなんとすというのは、自分が戻ろうとするふるさとの田園が荒れているというふうに言葉では書いているけれども、実は、社会そのものが荒れているので、むしろその荒れた心をいやすために、またそれを取り戻すために私はふるさとに帰るんだと、これは後段の方を読むとそういう表現になってきているのであります。
 ならば、我々日本人は、日本の国は、どこへ今から戻ろうとするんでしょう。帰りなんいざ。どこに帰ろうとするのか。その帰ろうとするところを描き出していくことを通して、この現在の社会の混迷を私たちは終息させることができる、人々を幸せにすることができる、それを行えるのが環境省のこれからのとうといお仕事である、こういう気持ちがいたしますので、ぜひ皆さんのこれからますますの御活躍を心からお祈りして、遺言とさせていただきます。
 ありがとうございました。
この発言だけを見る →
水野賢一#15
○水野委員長 次に、末松義規君。
この発言だけを見る →
末松義規#16
○末松委員 民主党の末松でございます。
 ただいまの小野晋也先生のお話に聞きほれておりまして、本当にすばらしい、こういった議論を国会でもっともっとやっていくことが我々日本を本当によくしていくもとになると思います。その意味で、今の小野晋也先生のお話に心からエールを送りたいと思います。
 もうちょっと言わせていただければ、小野先生はフランクルを引いて言われましたように、私ども人間というものがどこから来てどこに行くのか、こういう根本的な問いでございますし、我々のある意味での修行の場なのかもしれません、この三次元という世界が。そういった世界が、近代文明によって構成員の心が荒れてきた、その荒れてきたことが環境を荒らしていくというふうな形につながってきているんだろうと思います。そういった意味で、心がいやされないと、あるいは満たされないと環境も満たされない。同時に、その荒れた心が地球全体を荒らしてきたことによって、我々地球という生き物そのものが今度は人類の生存に対して危機的な状況になってきた、こういったことは一体化しているということでございます。
 そういったことを素直に感じながら、そして人間の幸せというものがいかにあるべきか、常にそこを我々政治家として考えていかなきゃいけないと思っているわけでございます。その非常に壮大なレベルと違って、私の質問は今度は極めて現実的な問題に移っていくわけでございます。そこは御容赦をいただきたいと思います。
 私、政治というものは人助けということを基本としておりますので、その中で、先ほど、ゆちげ運動というすばらしい運動を御提唱されておられましたけれども、元気が出せない人がいる。環境の健康被害によって元気が出せない方々に対して、我々社会がやはりそこはしっかりと助けていかなきゃいけない、そういった思いから、前回、茨城県の神栖の毒ガスの被害対策についてお聞きをしたわけでございます。
 そのときに大臣の方から、しっかりと、広島県の忠海の、国の従業員に対する救済と同レベルの救済をやっていくべきだというお考えが示されたことに対して、私は大変感動したわけでございます。その場で、感動しましたと申し上げました。そこを被害者の方々にお伝えしたら、非常に光が見えたということで大変喜んでいるわけでございます。そういったことを、私の政治家としての立場から言わせていただければ、それをきちんと今度は環境省全体として、あるいは政府全体として進めていっていただくことが必要だと思いますので、その観点から質問させていただきます。
 まず、ちょっと宿題になるんですけれども、歯の問題ですね。特にお子さんの歯が非常に大変になったということの御答弁の中で、事務方というか政府側から、しっかりとそこは一回調べてくださいと私の方で言ったら、これは原さんだったと思いますけれども、「臨床検討会あるいはそのワーキンググループの方に申して、的確な調査をしてみたいと思います。」と。そして私は「ありがとうございます。」と言ったのでございますけれども、その後どういうふうになっているか、お聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →
原徳壽#17
○原政府参考人 お答え申し上げます。
 前回の委員会で御指摘のありました歯への影響につきまして、平成二十一年度の第一回臨床検討会を開催する際に御議論をいただく予定にしております。
 現在、その開催に向けて、過去の健康手帳保持者からのさまざまな聞き取り調査の結果や、あるいは砒素による歯への影響事例の検索、それから動物実験結果の再調査などの準備を私どもで行っております。通常、第一回の検討会は毎年度五月ないし六月ごろに開催しておりまして、今年度につきましてもできるだけ早期の開催を目指して、私どもで調べたさまざまな結果についてお諮りをしていきたい、そのように考えております。
この発言だけを見る →
末松義規#18
○末松委員 五月、六月というのは、それまでにいろいろな準備を、調べるということですね、ちょっと改めて。
この発言だけを見る →
原徳壽#19
○原政府参考人 お答え申し上げます。
 過去にいろいろとさまざまな研究がございますので、そういう中にこういう砒素と歯の関係、影響があったのかどうか等々について、まず、会議を開きます前にやはり資料を準備しなければいけませんので、そういう意味で過去の事例あるいは神栖におけるいろいろな方々からの聞き取り、そういうような中で歯の問題があったかどうか、そういうのも今整理をして検討会に諮って、その結果、さらに細かく調査が必要であれば、その際にはそのように対応していきたい、そのように考えております。
この発言だけを見る →
末松義規#20
○末松委員 数週間前に現地調査を民主党で行いましたけれども、そのときにその問題を訴えられる方がおられましたので、その方にも、あるいはその方の関係を含めて一回現地に行っていただいて、ぜひそこでの聞き取り調査もやってください。お願いします。
この発言だけを見る →
原徳壽#21
○原政府参考人 具体的にどの方かというのをまたお聞かせ願った上で、さまざまな健康相談等もやっておりますし、保健所等でも訪問等をやっておりますので、そういう中で対応していきたいと思っております。
この発言だけを見る →
末松義規#22
○末松委員 あと、警察の方がおられると思いますけれども、この原因について、そこは茨城県警とも協力していくんだというようなニュアンスの答弁をいただきましたけれども、その後、茨城県警の方あるいは警察の方でどういうふうに対応しているのか、お聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →
米田壯#23
○米田政府参考人 お尋ねの事件につきましては関係者から告訴が出されておりまして、これを受理して、捜査を進めております。
 告訴のうちの一つの業務上過失傷害につきましては、平成十八年十二月に検察庁に送付をしております。もう一方の殺人未遂罪でございますが、問題になっておる物質、ジフェニルアルシン酸、これが旧日本軍の毒ガスに由来する可能性があるということで、その関係の資料を広範に集めまして、また、現地に捜査員を派遣するなど、事情聴取にも努めてまいっております。
 その過程で、旧日本軍にこれを納入していたとされる民間会社あるいは終戦後払い下げを受けた可能性がある会社などに対する捜査も進めてまいりました。一方、現地にはコンクリート塊がございます。これの分析、鑑定、それからその中に異物も含まれております。その異物から犯人にたどり着けないかという捜査もしているところでございます。それから運搬手段につきまして、生コンクリート会社あるいは生コンミキサー会社、こういったところに対する捜査も進めているところでございます。
 現在、茨城県警において鋭意捜査を進めておりますが、現在までのところ、まだ被疑者の特定には至っておらないということでございます。
この発言だけを見る →
末松義規#24
○末松委員 そのことは前回も聞いたわけですけれども、警察庁の方から茨城県警の方には、国会でこういった議論があったということも含めて、何らかのお話をしていただいたんでしょうか。
この発言だけを見る →
米田壯#25
○米田政府参考人 茨城県警に対しましては、国会においても大変関心の高い問題であるということで、鋭意捜査を進めてくれるようにお願いしておりますが、県警の方は、そんなことを言われるまでもなく自分たちは一生懸命やっているということでございました。
この発言だけを見る →
末松義規#26
○末松委員 またこれについてはお聞きしますので、捜査の進捗状況はぜひお願いしたいと思います。
 そこで、大臣の方にお伺いします。
 忠海ですね、広島県の忠海、大臣の御地元でもございますが、そこで戦前から政府の工場で働いていた毒ガスの障害者に対する救済対策、これと同等の救済が与えられるべきだということで、そこで私も関係者の方から、及びそれ以外にも資料をいろいろといただいて、研究をしてみたんでございます。
 ちょっと私、驚いたのは、この忠海の、毒ガス被害者の救済の制度というのが一九六八年にできているんですね。これは、戦前からこういった問題が出てきたと思うんですけれども、一九四五年から二十三年ぐらいを経てようやく救済対策がなされている。その間にも、死亡された方もおられるし大変悩んだ方も、あるいは御苦労された方いろいろおられると思うんです。政治が、国民全体が厳しい状況だったんでそこまで余裕がなかったと言われればそうなのかもしれませんけれども、そういったことができる状況になったらすぐにやっていく、そこが必要なんだと思います。
 まずちょっと、これは大臣として部下の方にそういう形で同等の救済措置をとるように言っていただいたかどうか、そこは大臣から一言お願いしたいと思います。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#27
○斉藤国務大臣 実は基本的に今回のこの問題について、被害に遭われた皆さんが安心して治療にかかっていただけるように、大久野島の場合と実質的に同等の治療等の措置をいたしますという基本方針は既にございました。
 ということで、先ほど感動したと言っていただいたんですけれども、そう言っていただくのは大変ありがたいんですが、基本的にそういう方向で進んでいたと私は理解をしております。
 先日の末松委員の質問を受けて、改めてそういう基本的な方向で進むということを確認したところでございまして、当然そのように指示をしているところでございます。
この発言だけを見る →
末松義規#28
○末松委員 ちょっと今の御発言ですけれども、忠海での軍需工場の被害者救済、行政としてこの方向に行く、その方向性だということで確認させていただいてよろしいですね。
この発言だけを見る →
斉藤鉄夫#29
○斉藤国務大臣 そのとおりでございます。
この発言だけを見る →
← 戻る