遠藤宣彦の発言 (厚生労働委員会)

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○遠藤(宣)委員 おはようございます。自由民主党の遠藤宣彦でございます。
 本日は、このような機会をいただきましたこと、心からお礼を申し上げたいと思います。
 また私自身、国会議員として、このような緊張、そして責任を感じる場面というのはございません。と申しますのは、やはりこの法案は、人間の生と死という本当に人の尊厳にかかわる問題、しかしながら一方において、こうしている間に移植を受けられずに死んでいる人たちもいる、こういったときに、どのように私たちは考えるべきなのか、そんな思いが今募っております。
 そしてまた、私ごとでありますけれども、私はきょう誕生日を迎えました。誕生日に思うのは、自分が今命をいただいて、先祖がどういう思いで命を紡いできたのか。私は、大体毎年お墓参りに行くんですけれども、自分が誕生日を迎えたときに、自分の先祖、親は二人、おじいちゃん、おばあちゃんは四人、二がずっと掛かっていって、十代さかのぼると千人も先祖がいる、その間の一人でも何かあったら今私はいないんだ、そんな気持ちでいつも誕生日を迎えます。そうしたときに、今我々が命というものを持っている、その重大さを改めてかみしめる日にこういう機会をいただいたことを心から感謝したいと思います。
 そしてまた、この厚生労働委員会に私は今所属させていただいておりますけれども、どういう立場で考えるべきなのか。障害者やあるいはさまざまな厚生労働にかかわる人たち、自分がもしかしたらその立場になるかもしれない、ひょっとしたら障害を受けるかもしれない、そして今回の件についても、自分の家族が移植を必要とする人になるかもしれない、そういった立場に置きかえて今考えなければならない。
 とりわけ私自身は、親がおととしの暮れにがんで亡くなりました。人間が死んでいくのをみとったのは初めての経験でありました。そしてまた、私は今八歳の娘と十一カ月の息子がいます。子供の顔を見たときに、子供がもしも移植が受けられなくて死んでいく、そうしたときに親としてどんな気持ちになるんだろうか、あるいは自分の子供が脳死になって、そして提供するときにどんな気持ちになるんだろうか、そんな思いを持ったときに、いたたまれないといいますか、胸に迫るものが多々ございます。
 しかしながら、今現状、一九九七年に施行されて以来十一年以上がたちますけれども、ある資料によると、臓器の提供が八十一例ぐらい、年間十前後である。一方、アメリカでは年間七千例以上。国内の一万二千人以上の移植待機患者の大半は、今、日本では希望がかなえられないままに亡くなっている。
 もしも移植が可能であれば、そんな思いでみとっている方々がいっぱいいるということは、私たち、ある意味で立法の不作為というものが、殺人とは言いませんけれども、立法さえしてくれればという思いを持っている人たちにとっては、見殺しにされたという気持ちを持たれても仕方がない。だからこそ、今回、人間の生と死についてのいろいろな考えがあることを踏まえつつ、ぜひともそういった人たちに対しての救いの道を開くべきだというふうに考えております。
 昨今、WHOの勧告の動きや、あるいは本当に移植が受けられずに死んでいく人たちの悲鳴が聞こえてくる。今回、行政やあるいは立法の不作為と言われないようにするためにも待ったなしの状態だと私自身は認識をしておりますが、今まで長きの年月がかかった理由、あるいは現行法の問題点、そして、今回ぜひとも改正を急がなければならない理由も含めて、今回の臓器移植法の成立に向けた認識と決意についてお伺いをしたいと思います。よろしくお願いいたします。

発言情報

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発言者: 遠藤宣彦

speaker_id: 32627

日付: 2009-06-05

院: 衆議院

会議名: 厚生労働委員会