遠藤宣彦の発言 (厚生労働委員会)
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○遠藤(宣)委員 本当に、きょう、神に祈るような気持ち、あるいは神の前にたたずむような気持ちで私はここにおりますけれども、現実に今移植が受けられずに、そして死の定義というものが、中山先生おっしゃられましたけれども、さまざまな見方がある中で、現実に受けられずに亡くなっている方がいっぱいいらっしゃる。
そして問題は、これがきちっとした形で動いていないために、生体移植と海外に頼らざるを得ない。これは、我々、先進国の一員という自負がありますけれども、本当にこの部分においてこのままでいいのかという気持ちが私自身はしてなりません。そしてまた、今、世界の方に臓器移植で出ていく、しかし国内ではなかなかできない、こういったものが海外から一体どういうふうに見られているのか、そういうような気持ちが非常に強くございます。
今おっしゃられましたように、一人の人間の生、生きていくということを望むことは、同時に、一人の人間の死を待つことを意味するということがあるために、我々はどこか二の足を踏んでしまう。しかし現実に我々は政治家として、そして立法府として、今困っている人たちをどう救うかということが重要だと思います。今まで中山先生が長年やってこられたことを踏まえられまして、ぜひとも今回、成立に向けて皆様とすり合わせをした上で、御尽力いただきたいというふうに思います。
今、脳死のことについてもおっしゃられましたけれども、私自身は今回のことについていろいろ勉強させていただいた中で、たしか一九六八年、札幌医大の和田教授が日本初の心臓移植を実施された。そして、そのときに脳死判定が確実に行われたのか、あるいは患者が本当に移植を必要としていたのか、密室での移植にそういったことの疑惑が噴出して、あげくの果てに殺人罪で告発されてしまった。そして一九八四年、昭和五十九年、筑波大の岩崎医師、脳死ドナーから膵臓と腎臓の同時移植が施行されましたが、医師を中心とした第三者によって殺人罪の告発を受けた。
つまり、これから、死の定義とか非常にデリケートな問題に、医師を中心としたさまざまな方々がこの臓器移植法案に関係して携わっていくときに何が起きるのか。一つ間違えると裁判ざたになる、そして告発を受ける。臓器移植というものは、そもそも善意の臓器の提供者がいない限り絶対に成立をしない医療でありますけれども、臓器提供者がいても、さらに病院の医師の協力がなければ臓器提供にはつながりません。つまり、医師がこれをやっていくときに萎縮をしてしまう、厄介なことにかかわらなければいいということにならないようにすることが絶対の条件だと思うんですね。
私自身は父方の本家がずっと医者だったものですから、医者の話は聞きますけれども、私自身は法学部の出身です。法曹改革がございました。法曹改革で弁護士がこれから増加する。そして何が起きるかというと、訴訟の増加が起きる可能性がある。そんな中で、ちまたでは、一番ターゲットになるのは医療関係と消費者関係だろうというふうに言われています。栃木の産婦人科の訴訟だけでも、どれだけ医師に萎縮効果をもたらしてしまったか、そしてまた、ひいては医学の進歩に対して足かせになったかということがございます。
そんな中で、安心して医師が医療行為や臓器移植が行えて、そして多くの患者をためらいなく助けることができるように、訴訟の余地というものが極力ないように、つまり解釈の余地がないように、明確な基準で法律をつくるべきだと私自身は考えますけれども、今後の臓器移植と訴訟の関係についてどうあるべきか、その御見解を改めて伺いたいと思います。