山内徳信の発言 (沖縄及び北方問題に関する特別委員会)
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○山内徳信君 私は社民党・護憲連合の山内徳信でございますが、今日はもう既に各政党の代表の方からたくさん、細かい質問までございましたから、私はちょっと角度を変えて、先生と文化論とかあるいは環境論とかあるいは沖縄の歴史について少し申し上げておきたいと思います。
最初に、この学園法案が衆議院から参議院へ送付されてまいりました。当初この構想が打ち上げられたときに、一体どうなるんだろうと、このことは。私は、琉球大学の敗戦後の建設に向けての動き、あるいは沖縄大学とか国際大学とか、そして北の名護市にできました、名桜大学ができるわけでございますが、そういう大学ができる背景には必ずいろんな人々の建設的な、あるいは将来への夢を含めた動きがありました。
沖縄といいますと、アメリカ軍の基地の七五%が現在もありまして、いつも基地問題で重苦しくて、沖縄の青少年たちも基地におびえ、米軍におびえておるという状況があるわけです。そういう状況の中で、重苦しさから解放され、やはり世界につながる、国際社会につながるようなそういう構想の学園の法案がついにできて、ここまで来て、今日はシドニー・ブレナー博士をお迎えをして、博士の構想だとかあるいは目的とかをこの場でお伺いできますことを私は沖北の委員の一人として大変感謝をしております。感激いっぱいでございます。
そういう感謝の言葉を申し上げてから、もう余り難しい質問はよしておきまして、今学園が立地しようとしておりますところは非常に自然の豊かな、山紫水明、非常に自然の残っておる恩納村でございます。そこに学園を建設をしていくということはある面では地の利を得ておると、こういうふうに思っております。
そこで、博士の研究されておる専門分野とは少し違うのかもしれませんが、沖縄はかつて琉球王国と言われたところです。その琉球王国の時代から今日まで、沖縄の人は世界に羽ばたいていって、世界の中心は琉球であると、沖縄であると。私は今でも読谷村の青年たちの新年の集いでは、世界の中心は読谷であると、こう言うんです。こういうことを申し上げるわけでありますが。
それで、そういう世界観を持っていた沖縄の象徴的な城は首里城でありますが、首里城を訪問された、あるいは観光として見学に行かれたことございますでしょうか、お伺いいたします。