米本昌平の発言 (厚生労働委員会)
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○参考人(米本昌平君) 死一般の法的定義を一体おまえはどう考えるのがいいのかというような御質問だと思いますけれども、やはり基本は、死という言葉以外に法は決めるというのはなじまない。ですから、この三ページ目のヨーロッパの比較でございますけれども、それで直近になればなるほどルーチン化した医療現場の死の判定を手続として法に書き込むことが、ですから、もっと言いますと、それまでメディカルプロフェッションのスタンダードでありプラクティスのコードであった職業集団の倫理であったものを次々と立法府のルールにするということが実はヨーロッパでどんどん進んでおりまして、メディカルプロフェッションの独立性と立法府の権限というのは何度も揺り戻しがあります。
そのためには、やはり現在の日本の中では、少しこれは移植法から外れますけれども、生命倫理の非常に大きな問題を包括的に解決するためには、日本の場合もメディカルプロフェッションの身分団体としての法的な独立性、ですから、ちょうど日本でいいますと、弁護士法に弁護士会規定が明確にあるように、日本の医療現場にも医者集団の自治、それは医療のプラクティスを医者専門家集団として、社会の価値観のありどころを見ながら医療の現場のプラクティスを、実施手順を医者集団として責任を持って社会として調節していくということが現実だと思います。
どこまで法に繰り込むのかというのはこれは社会がお決めになることで、まさしくこういうところで法に書き込むか書き込まないかという議論だと、まさしくそういうことだと思いますけれども、私が申し上げたいのは、こういった政策の基盤になる比較研究が余りにも少なくて、私は脳死臨調以来ずっと同じことを申し上げているんですけれども、医学的に死と決まっているものを米本は何かごちょごちょ言うということで、ずっと少数派で来ております。私は、慎重派というよりは、脳死を前提とした移植医療というものが統治構造の全体の中でどういう問題の形として組み込むべき問題かということの全体像を分かる形で研究し、立法の基盤になるような情報提供するようなセクターが絶対に必要だろうというふうに思います。
ちょっと要求された、求められたお答えになっているかどうか分かりませんけれども、御勘弁いただきたいと思います。