和泉洋人の発言 (国土交通委員会)
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○政府参考人(和泉洋人君) ただいまの御指摘でございますが、おっしゃるように、平成十七年六月九日のこの委員会におきまして、当時、地域の需要に対応した公的賃貸住宅等の整備等に関する特別措置法と、こういった審議をしてございました。その際、輿石委員からそういった問題を指摘されまして、率直に言って、それまでほとんど我々はそういったことについて意を用いていなかったものでございますので、慌てて前の晩にいろいろ古文書を調べまして答弁したことを記憶してございます。
そのときの山本住宅局長の答弁でございますが、私の記憶では、事実関係を御報告した上で、かいつまんで申し上げますと、自分は住宅政策のプロだと思っておったが、この問題についてはほとんど知らなかった、ある意味では反省する、そういった事実を教えていただいて誠に感謝に堪えない、こういった答弁をさせていただいたと思っております。ちなみに私、当時住宅局の担当審議官で、この場におらずテレビでずっとそれを聞いておりました。
ちなみに、その経緯でございますが、もう輿石委員御案内のとおり、元々建設省の前身たる戦災復興院、ここが復興住宅という住宅対策を、予算補助をやっておりました。一方、当時の厚生省が引揚者向けの住宅をまたやっておったと。こういう中で、終戦直後の四百二十万戸の絶対的な住宅不足に対応して、言うなれば雨露しのぐ場所あるいは冬を越す場所、こういったものを造るために努力したわけでございますが、各々、昭和二十五年ぐらいになると、こういったものをもう恒久的な制度でやっていこうと、こういった機運が盛り上がりました。しかしながら、今委員御指摘のとおり、当時も縦割りでございまして、閣法では準備できず、当時の建設委員会と厚生委員会共に議員立法の準備をし、結果として建設委員会が厚生委員会との調整を十分せずに衆議院で成立し、その後、厚生委員会等の指摘を受けて一部修正し、最終的に衆議院に回付されて、当時、昭和二十六年の公営住宅法が成立したと記憶してございます。
当時はそういったやり取り聞かせていただきまして、ああ、そういった歴史的な事実があるんだということしか印象に残っていなかったわけでございますが、今改めて、そういったことがあった昭和二十六年以降五十八年たって再び、平成十三年にできた高齢者居住安定法、当時は国土交通省の専管でございましたが、そういったものをまあある意味では先祖返りみたいに厚生労働省との共管にすると、そういったことをお願いしてございまして、そういうことを考えると、単にそういった歴史的な事実があるということじゃなくて、当時のやり取り並びに今回の法改正で私どもがお願いしている事実を考えますと、相当重い事実があり、そういったことについての思いを深くして、仮にこういった法案が認められれば厚労省との協力においては真剣に対応しなくちゃならないと、こう考えております。