大澤裕の発言 (法務委員会)

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○参考人(大澤裕君) おはようございます。東京大学で刑事訴訟法を教えております大澤でございます。本日はどうぞよろしくお願いをいたします。
 裁判員制度は、来月二十一日に施行が予定をされております。裁判員制度は、従来、ほぼ完全に法律専門家の手によって担われてまいりました我が国の司法に国民が直接参加する機会を開くという点で画期的な制度であり、また、刑事司法の在り方に改革を迫り、それを加速させる役割を果たしたという点でも有意義な制度であると考えております。施行を間近に控え、改めて様々な不安、問題点が指摘をされておりますが、本日は、今申し上げたような裁判員制度の積極的意義と密接にかかわる若干の点について意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず、最も基本となる問題は、国民に多大な負担を掛けるにもかかわらず裁判員制度を導入することの目的でございます。この点について裁判員法の一条は、御案内のとおり、制度の目的として「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」ということを掲げております。しかし、この文言の言わんとするところは必ずしも明快とは言えません。
 裁判員制度が仮に司法に対する国民の理解増進と信頼向上のための手段、あるいはもう少し言い方を変えると体験学習の場にすぎないのだとすれば、それは国民の多大の負担を正当化する理由としては薄弱であり、裁判員制度を重大事件の刑事裁判に導入するその理由もはっきりしなくなると思われます。
 しかし、裁判員制度は、司法制度改革審議会の言葉を引用させていただけば、統治主体、権利主体である国民は、司法の運営に主体的、有意的に参加し、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない、そういう基本的な考え方から発した制度でございます。裁判員としての司法参加は、それ自体が主権者たる国民の公共的な責務という一面を有しているように思われます。
 もとより、国民主権だから、あるいは民主主義だからといって、当然に国民の意思が司法に直接反映されなければならないということにはこれはなりません。多数者の意思を物差しとする民主主義と、法と証拠を物差しとし多数者意思によっても奪えない価値を守ろうとする司法との間には、これは解消することのできない緊張関係が存在するからであります。
 しかし、司法も国家の作用であります以上、その存立の淵源は主権者である国民にたどられるはずであり、そのような国民は、司法の成果を受益するというだけではなく、司法がその本来の機能を十全に果たす上で必要とする場合には自らそれを担う責務を負っている、そのように言えるかと思われます。裁判員制度はまさにそのような責務が現実のものとなった制度であり、それゆえに国民主権、民主主義の原理と結び付いた重要な価値が見出されると考えられます。
 そして、国民にこのような公共的な責務を果たすことが求められるのは、それにふさわしく、その必要がある領域でなければならないと思われます。刑事裁判は、従来においても法律専門家の努力によって国民の信頼を得てきたと言えますが、専門家だけの閉ざされた世界における努力の反面として、過度に精緻化をし、国民から分かりにくい部分を持つようになっていたとも思われます。刑事裁判は、社会の安全と国民の権利という国民だれにもかかわる問題を扱う場であり、国民の関心を集める対象であると言えます。この点でそれが真に十分な機能を果たしていくためには、国民の理解に裏打ちをされた、そういう意味での信頼が不可欠であり、専門家のみにゆだねられた従来の刑事裁判には限界が現れつつあったということであるかと思われます。
 また、先ほど申し上げたような事柄の性質上、専門家のみで担うことに限界があるという場合には、国民が責務を分担するのにふさわしい領域とも言えるように思われます。刑事裁判、その中でも重大事件のそれが対象とされたということは、それが国民の公共的責務とするのにふさわしく、その必要がある領域であったということであるかと思われます。その中には死刑事件等も含まれますが、そして死刑事件については特に判断の困難さと負担の大きさということが指摘されるところでありますけれども、これも死刑という究極の刑罰を国民の意思として存置するということを前提とする以上、その裏腹として担うべき国民の責任というべき側面があるように思われます。
 裁判員が参加する裁判は、裁判員が主体的、実質的に関与できるよう、裁判員に分かりやすく負担の少ないものであることが求められます。従来の我が国の刑事裁判は、間隔を置いた公判と書面の多用を特色とし、公判の形骸化という批判を招くこともありました。これに対し、裁判員が参加する裁判は、争点を明確化し最適な証拠を用いて集中的に行われるということが必要不可欠であり、この点で裁判員制度は従来の公判審理の在り方に反省を迫り、公判の活性化ということに重要な役割を果たすものと言えます。
 もっとも、裁判員が参加する裁判は、先ほど申し上げましたように、重大事件の刑事裁判でありますから、刑事訴訟法の第一条が規定しておりますように、被告人を始めとする個人の基本的人権の保障を全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正に実現する、そういうものでなければなりません。この点で、集中的な審理というものが、その反面として裁判の適正さを犠牲にした拙速な裁判に陥らないかということも問題となります。
 御承知のとおり、集中的な審理ということはこれまでの刑事裁判においても理想とされておりましたが、その実現には様々な困難がありました。その理由の一つは、検察側と被告人・弁護人側との攻撃、防御の準備に大きな開きがあったということではないかと思われます。
 起訴前の被疑者に国選弁護の制度が存在をしなかった、そのような下では、重大事件を含め、弁護人が選任され防御がスタートラインに着くのは起訴後のことであるということが多かったように思われます。また、起訴前の非常に詳細な捜査を通じ徹底した証拠収集を遂げた検察側に対し、被告人・弁護人側は、独自の証拠収集能力において劣っている上に、法律上、第一回公判期日前に検察側から開示を受け得る証拠というのは検察官が証拠調べ請求をする証拠に限られ、それ以外のいわゆる検察官手持ち証拠と言われるものについては開示は検察官の裁量にゆだねられておりました。このような状況の下でいたずらに審理を急ぐといたしますと、被告人・弁護人側の防御が追い付かず、まさに裁判の適正さが害されるおそれがあったと言わなければなりません。
 しかし、司法制度改革を通じ、起訴前の被疑者に国選弁護制度が整備をされ、捜査から公判まで一貫した防御活動が可能となる、そのような制度が整えられました。また、第一回公判期日前に争点と証拠の整理を行う公判前整理手続というものが設けられ、その過程を通じて、第一回公判期日前に被告人・弁護人側が検察側から開示を受け得る証拠の範囲というものは大きく拡大をしました。具体的には、検察官が証拠調べ請求をする証拠に加え、検察官手持ち証拠のうちでも検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠、さらに、被告人・弁護人側からの主張の開示を受けた後については、そこで明らかにされた主張に関連する証拠について相当と認められる範囲で開示が受けられることとなりました。このような条件整備を前提にしても、なお集中的な審理によって裁判の適正さが損なわれるかどうかということがここでの問題かと思われます。
 具体的な問題の一つは、検察官手持ち証拠の全面開示あるいはそれに準じるような制度が取られない限り証拠開示がなお不十分ではないかという点であります。しかし、証拠開示は防御の準備のための効用という側面があることはもちろんでありますが、それがもたらす弊害の側面にも留意が必要であるように思われます。
 この点では、証人威迫や罪証隠滅を誘発するおそれというものが古くから指摘をされてきたところでございますが、さらに、我が国の捜査は広範かつ詳密であり、捜査を通じて収集され検察官の手元に集約をされるそのような証拠の中には、結果的に事件に無関係であるそのような情報や個人のプライバシーにかかわるデリケートな情報も少なからず含まれていると言われております。そのような手持ち証拠について、資料の性質や防御上の必要性を問うことなく一律に全面的な開示とすることには割り切り過ぎのところがあるように思われます。
 また、捜査の過程では、犯罪事実を積極的に立証する、そのための証拠のほかに、被告人の弁解に備え、それを弾劾するための証拠も集められていると言われます。このような証拠まで先に全面開示をしてしまうということになりますと、そこから証拠のすき間をねらった弁解をする、そういうものが意図的に作出される、そういう危険が生じてくるように思われます。被告人の弁解は無数に考えられ、そのすべてに備えて逐一捜査を遂げておくということは不可能でありますから、弾劾目的の証拠まですべて開示対象とすることは、当事者主義の下での当事者の創意と努力の意味を失わせ、公判における当事者間の負担のバランスを失わせることにもなりかねないように思われます。
 公判前整理手続における証拠開示制度は、これらの点を慎重に考慮した上、従前よりも開示される検察官手持ち証拠の範囲を拡大する形で立法されたものであり、バランスの取れた制度であるように思っております。
 これに対し、全面開示の弊害を防止しつつ、証拠の開示請求を容易にし、また証拠の埋没を防止する、そのような方策として証拠の標目開示という提案がなされることもあります。しかし、標目は、証拠の内容が分かる程度まで記載内容を詳細にすれば、弊害の危険については証拠自体を開示するのと差がなくなってまいります。逆に、記載内容を限定すれば、証拠の内容が分からずその有用性が失われます。被告人・弁護人側が明確な防御方針を定めるということを前提に、開示請求に当たっての証拠の特定についての要求について柔軟な運用がなされれば、公判前整理手続が定める仕組みによって開示請求に大きな支障は生じないように思われます。
 公判前整理手続に関連する具体的な問題のもう一つは、争点整理の過程において被告人・弁護人側にも主張の明示が求められ、争点整理後の証拠調べ請求は原則として許されないこととされている、この点で防御に不利益が生じないかという点であります。
 しかし、被告人・弁護人側からも主張と証拠が明らかにされない限り、争点、証拠の整理とそれに基づく審理計画の策定は不可能となります。また、争点整理をした後の新たな証拠調べ請求を無制限に認めるということになれば、審理計画を立てても無意味となり、裁判員が参加する裁判では裁判員に大きな負担を掛ける結果ともなりかねません。
 もとより、検察側の主張と証拠が明らかにならないということであれば、被告人・弁護側において防御方針を定めるということはできず、その主張と証拠を明らかにすることもこれはできません。しかし、公判前整理手続において被告人・弁護人側から主張と証拠を明らかにすることが求められるのは、検察側の証明予定事実とそれを証明するための証拠の取調べ請求及び開示がなされ、さらに検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠について相当と認められる範囲での開示がなされた後のことであります。これらの開示を前提とすれば防御方針を定めることは決して不可能ではなく、この段階で主張と証拠を明らかにするということを求めても直ちに防御上の不利益をもたらすとは言えないように考えております。
 もちろん、言われますように訴訟は生き物でありまして、公判前には予想もされなかった証言等が公判において出てくるということもあり得ます。そのような場合に新たな反証を認めないということは、これは明らかに不当です。しかし、争点整理後の証拠調べ請求の制限というのはあくまでも原則であり、やむを得ない事情がある場合、すなわち証拠調べ請求しなかったことに帰責事由がないと言い得るような場合には例外が認められ、新証拠の取調べ請求も認められることとなります。公判において予期せぬ事態が生じた場合というのは基本的にこれでカバーされると考えられます。
 さらに、やむを得ない事由がない場合には証拠調べの請求権は失われますが、そのような証拠であっても裁判所の職権による取調べの可能性というのはなお残されております。処罰は犯罪事実に基づいてなされるべきで、訴訟のやり方がまずかったから、だから処罰されるという事態は、これはやはりあってはならないことだと思います。そのような事態には職権証拠調べの柔軟な対応によって対処し得るものと考えております。
 以上、網羅的ではございませんが、意見を述べさせていただきました。
 御清聴ありがとうございました。

発言情報

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発言者: 大澤裕

speaker_id: 6515

日付: 2009-04-09

院: 参議院

会議名: 法務委員会