法務委員会
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会
会議録情報#0
平成二十一年四月九日(木曜日)
午前十時開会
─────────────
委員の異動
三月三十一日
辞任 補欠選任
相原久美子君 今野 東君
風間 直樹君 松浦 大悟君
塚田 一郎君 山崎 正昭君
四月八日
辞任 補欠選任
松浦 大悟君 外山 斎君
四月九日
辞任 補欠選任
外山 斎君 大島九州男君
─────────────
出席者は左のとおり。
委員長 澤 雄二君
理 事
千葉 景子君
松岡 徹君
松村 龍二君
木庭健太郎君
委 員
小川 敏夫君
大島九州男君
今野 東君
外山 斎君
前川 清成君
松野 信夫君
簗瀬 進君
青木 幹雄君
秋元 司君
丸山 和也君
山崎 正昭君
仁比 聡平君
近藤 正道君
国務大臣
法務大臣 森 英介君
副大臣
法務副大臣 佐藤 剛男君
大臣政務官
法務大臣政務官 早川 忠孝君
最高裁判所長官代理者
最高裁判所事務
総局刑事局長 小川 正持君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 一夫君
政府参考人
警察庁刑事局長 米田 壯君
法務大臣官房司
法法制部長 深山 卓也君
法務省刑事局長 大野恒太郎君
法務省入国管理
局長 西川 克行君
参考人
東京大学大学院
法学政治学研究
科教授 大澤 裕君
弁護士
國學院大學教授 四宮 啓君
共同通信社会部
編集委員 竹田 昌弘君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○法務及び司法行政等に関する調査
(裁判員制度実施をめぐる問題点に関する件)
(出入国管理法にいう「特別に在留を許可すべ
き事情」に関する件)
(偽造パスポートによる不法入国に対する法的
措置に関する件)
○政府参考人の出席要求に関する件
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この発言だけを見る →午前十時開会
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委員の異動
三月三十一日
辞任 補欠選任
相原久美子君 今野 東君
風間 直樹君 松浦 大悟君
塚田 一郎君 山崎 正昭君
四月八日
辞任 補欠選任
松浦 大悟君 外山 斎君
四月九日
辞任 補欠選任
外山 斎君 大島九州男君
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出席者は左のとおり。
委員長 澤 雄二君
理 事
千葉 景子君
松岡 徹君
松村 龍二君
木庭健太郎君
委 員
小川 敏夫君
大島九州男君
今野 東君
外山 斎君
前川 清成君
松野 信夫君
簗瀬 進君
青木 幹雄君
秋元 司君
丸山 和也君
山崎 正昭君
仁比 聡平君
近藤 正道君
国務大臣
法務大臣 森 英介君
副大臣
法務副大臣 佐藤 剛男君
大臣政務官
法務大臣政務官 早川 忠孝君
最高裁判所長官代理者
最高裁判所事務
総局刑事局長 小川 正持君
事務局側
常任委員会専門
員 山口 一夫君
政府参考人
警察庁刑事局長 米田 壯君
法務大臣官房司
法法制部長 深山 卓也君
法務省刑事局長 大野恒太郎君
法務省入国管理
局長 西川 克行君
参考人
東京大学大学院
法学政治学研究
科教授 大澤 裕君
弁護士
國學院大學教授 四宮 啓君
共同通信社会部
編集委員 竹田 昌弘君
─────────────
本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○法務及び司法行政等に関する調査
(裁判員制度実施をめぐる問題点に関する件)
(出入国管理法にいう「特別に在留を許可すべ
き事情」に関する件)
(偽造パスポートによる不法入国に対する法的
措置に関する件)
○政府参考人の出席要求に関する件
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澤
澤雄二#1
○委員長(澤雄二君) ただいまから法務委員会を開会をいたします。
委員の異動について御報告をいたします。
昨日までに、風間直樹君、相原久美子君及び塚田一郎君が委員を辞任され、その補欠として外山斎君、今野東君及び山崎正昭君が選任されました。
─────────────
この発言だけを見る →委員の異動について御報告をいたします。
昨日までに、風間直樹君、相原久美子君及び塚田一郎君が委員を辞任され、その補欠として外山斎君、今野東君及び山崎正昭君が選任されました。
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澤
澤雄二#2
○委員長(澤雄二君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
法務及び司法行政等に関する調査のため、本日の委員会に東京大学大学院法学政治学研究科教授大澤裕君、弁護士・國學院大學教授四宮啓君及び共同通信社会部編集委員竹田昌弘君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →法務及び司法行政等に関する調査のため、本日の委員会に東京大学大学院法学政治学研究科教授大澤裕君、弁護士・國學院大學教授四宮啓君及び共同通信社会部編集委員竹田昌弘君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
澤
澤
澤雄二#4
○委員長(澤雄二君) 法務及び司法行政等に関する調査を議題といたします。
本日は、三名の参考人から御意見を伺います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見を賜り、今後の調査の参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方について申し上げます。
まず、大澤参考人、続いて四宮参考人、竹田参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをしたいと思います。
それでは、大澤参考人からお願いいたします。大澤参考人。
この発言だけを見る →本日は、三名の参考人から御意見を伺います。
この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
参考人の皆様方から忌憚のない御意見を賜り、今後の調査の参考にしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
議事の進め方について申し上げます。
まず、大澤参考人、続いて四宮参考人、竹田参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをしたいと思います。
それでは、大澤参考人からお願いいたします。大澤参考人。
大
大澤裕#5
○参考人(大澤裕君) おはようございます。東京大学で刑事訴訟法を教えております大澤でございます。本日はどうぞよろしくお願いをいたします。
裁判員制度は、来月二十一日に施行が予定をされております。裁判員制度は、従来、ほぼ完全に法律専門家の手によって担われてまいりました我が国の司法に国民が直接参加する機会を開くという点で画期的な制度であり、また、刑事司法の在り方に改革を迫り、それを加速させる役割を果たしたという点でも有意義な制度であると考えております。施行を間近に控え、改めて様々な不安、問題点が指摘をされておりますが、本日は、今申し上げたような裁判員制度の積極的意義と密接にかかわる若干の点について意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、最も基本となる問題は、国民に多大な負担を掛けるにもかかわらず裁判員制度を導入することの目的でございます。この点について裁判員法の一条は、御案内のとおり、制度の目的として「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」ということを掲げております。しかし、この文言の言わんとするところは必ずしも明快とは言えません。
裁判員制度が仮に司法に対する国民の理解増進と信頼向上のための手段、あるいはもう少し言い方を変えると体験学習の場にすぎないのだとすれば、それは国民の多大の負担を正当化する理由としては薄弱であり、裁判員制度を重大事件の刑事裁判に導入するその理由もはっきりしなくなると思われます。
しかし、裁判員制度は、司法制度改革審議会の言葉を引用させていただけば、統治主体、権利主体である国民は、司法の運営に主体的、有意的に参加し、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない、そういう基本的な考え方から発した制度でございます。裁判員としての司法参加は、それ自体が主権者たる国民の公共的な責務という一面を有しているように思われます。
もとより、国民主権だから、あるいは民主主義だからといって、当然に国民の意思が司法に直接反映されなければならないということにはこれはなりません。多数者の意思を物差しとする民主主義と、法と証拠を物差しとし多数者意思によっても奪えない価値を守ろうとする司法との間には、これは解消することのできない緊張関係が存在するからであります。
しかし、司法も国家の作用であります以上、その存立の淵源は主権者である国民にたどられるはずであり、そのような国民は、司法の成果を受益するというだけではなく、司法がその本来の機能を十全に果たす上で必要とする場合には自らそれを担う責務を負っている、そのように言えるかと思われます。裁判員制度はまさにそのような責務が現実のものとなった制度であり、それゆえに国民主権、民主主義の原理と結び付いた重要な価値が見出されると考えられます。
そして、国民にこのような公共的な責務を果たすことが求められるのは、それにふさわしく、その必要がある領域でなければならないと思われます。刑事裁判は、従来においても法律専門家の努力によって国民の信頼を得てきたと言えますが、専門家だけの閉ざされた世界における努力の反面として、過度に精緻化をし、国民から分かりにくい部分を持つようになっていたとも思われます。刑事裁判は、社会の安全と国民の権利という国民だれにもかかわる問題を扱う場であり、国民の関心を集める対象であると言えます。この点でそれが真に十分な機能を果たしていくためには、国民の理解に裏打ちをされた、そういう意味での信頼が不可欠であり、専門家のみにゆだねられた従来の刑事裁判には限界が現れつつあったということであるかと思われます。
また、先ほど申し上げたような事柄の性質上、専門家のみで担うことに限界があるという場合には、国民が責務を分担するのにふさわしい領域とも言えるように思われます。刑事裁判、その中でも重大事件のそれが対象とされたということは、それが国民の公共的責務とするのにふさわしく、その必要がある領域であったということであるかと思われます。その中には死刑事件等も含まれますが、そして死刑事件については特に判断の困難さと負担の大きさということが指摘されるところでありますけれども、これも死刑という究極の刑罰を国民の意思として存置するということを前提とする以上、その裏腹として担うべき国民の責任というべき側面があるように思われます。
裁判員が参加する裁判は、裁判員が主体的、実質的に関与できるよう、裁判員に分かりやすく負担の少ないものであることが求められます。従来の我が国の刑事裁判は、間隔を置いた公判と書面の多用を特色とし、公判の形骸化という批判を招くこともありました。これに対し、裁判員が参加する裁判は、争点を明確化し最適な証拠を用いて集中的に行われるということが必要不可欠であり、この点で裁判員制度は従来の公判審理の在り方に反省を迫り、公判の活性化ということに重要な役割を果たすものと言えます。
もっとも、裁判員が参加する裁判は、先ほど申し上げましたように、重大事件の刑事裁判でありますから、刑事訴訟法の第一条が規定しておりますように、被告人を始めとする個人の基本的人権の保障を全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正に実現する、そういうものでなければなりません。この点で、集中的な審理というものが、その反面として裁判の適正さを犠牲にした拙速な裁判に陥らないかということも問題となります。
御承知のとおり、集中的な審理ということはこれまでの刑事裁判においても理想とされておりましたが、その実現には様々な困難がありました。その理由の一つは、検察側と被告人・弁護人側との攻撃、防御の準備に大きな開きがあったということではないかと思われます。
起訴前の被疑者に国選弁護の制度が存在をしなかった、そのような下では、重大事件を含め、弁護人が選任され防御がスタートラインに着くのは起訴後のことであるということが多かったように思われます。また、起訴前の非常に詳細な捜査を通じ徹底した証拠収集を遂げた検察側に対し、被告人・弁護人側は、独自の証拠収集能力において劣っている上に、法律上、第一回公判期日前に検察側から開示を受け得る証拠というのは検察官が証拠調べ請求をする証拠に限られ、それ以外のいわゆる検察官手持ち証拠と言われるものについては開示は検察官の裁量にゆだねられておりました。このような状況の下でいたずらに審理を急ぐといたしますと、被告人・弁護人側の防御が追い付かず、まさに裁判の適正さが害されるおそれがあったと言わなければなりません。
しかし、司法制度改革を通じ、起訴前の被疑者に国選弁護制度が整備をされ、捜査から公判まで一貫した防御活動が可能となる、そのような制度が整えられました。また、第一回公判期日前に争点と証拠の整理を行う公判前整理手続というものが設けられ、その過程を通じて、第一回公判期日前に被告人・弁護人側が検察側から開示を受け得る証拠の範囲というものは大きく拡大をしました。具体的には、検察官が証拠調べ請求をする証拠に加え、検察官手持ち証拠のうちでも検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠、さらに、被告人・弁護人側からの主張の開示を受けた後については、そこで明らかにされた主張に関連する証拠について相当と認められる範囲で開示が受けられることとなりました。このような条件整備を前提にしても、なお集中的な審理によって裁判の適正さが損なわれるかどうかということがここでの問題かと思われます。
具体的な問題の一つは、検察官手持ち証拠の全面開示あるいはそれに準じるような制度が取られない限り証拠開示がなお不十分ではないかという点であります。しかし、証拠開示は防御の準備のための効用という側面があることはもちろんでありますが、それがもたらす弊害の側面にも留意が必要であるように思われます。
この点では、証人威迫や罪証隠滅を誘発するおそれというものが古くから指摘をされてきたところでございますが、さらに、我が国の捜査は広範かつ詳密であり、捜査を通じて収集され検察官の手元に集約をされるそのような証拠の中には、結果的に事件に無関係であるそのような情報や個人のプライバシーにかかわるデリケートな情報も少なからず含まれていると言われております。そのような手持ち証拠について、資料の性質や防御上の必要性を問うことなく一律に全面的な開示とすることには割り切り過ぎのところがあるように思われます。
また、捜査の過程では、犯罪事実を積極的に立証する、そのための証拠のほかに、被告人の弁解に備え、それを弾劾するための証拠も集められていると言われます。このような証拠まで先に全面開示をしてしまうということになりますと、そこから証拠のすき間をねらった弁解をする、そういうものが意図的に作出される、そういう危険が生じてくるように思われます。被告人の弁解は無数に考えられ、そのすべてに備えて逐一捜査を遂げておくということは不可能でありますから、弾劾目的の証拠まですべて開示対象とすることは、当事者主義の下での当事者の創意と努力の意味を失わせ、公判における当事者間の負担のバランスを失わせることにもなりかねないように思われます。
公判前整理手続における証拠開示制度は、これらの点を慎重に考慮した上、従前よりも開示される検察官手持ち証拠の範囲を拡大する形で立法されたものであり、バランスの取れた制度であるように思っております。
これに対し、全面開示の弊害を防止しつつ、証拠の開示請求を容易にし、また証拠の埋没を防止する、そのような方策として証拠の標目開示という提案がなされることもあります。しかし、標目は、証拠の内容が分かる程度まで記載内容を詳細にすれば、弊害の危険については証拠自体を開示するのと差がなくなってまいります。逆に、記載内容を限定すれば、証拠の内容が分からずその有用性が失われます。被告人・弁護人側が明確な防御方針を定めるということを前提に、開示請求に当たっての証拠の特定についての要求について柔軟な運用がなされれば、公判前整理手続が定める仕組みによって開示請求に大きな支障は生じないように思われます。
公判前整理手続に関連する具体的な問題のもう一つは、争点整理の過程において被告人・弁護人側にも主張の明示が求められ、争点整理後の証拠調べ請求は原則として許されないこととされている、この点で防御に不利益が生じないかという点であります。
しかし、被告人・弁護人側からも主張と証拠が明らかにされない限り、争点、証拠の整理とそれに基づく審理計画の策定は不可能となります。また、争点整理をした後の新たな証拠調べ請求を無制限に認めるということになれば、審理計画を立てても無意味となり、裁判員が参加する裁判では裁判員に大きな負担を掛ける結果ともなりかねません。
もとより、検察側の主張と証拠が明らかにならないということであれば、被告人・弁護側において防御方針を定めるということはできず、その主張と証拠を明らかにすることもこれはできません。しかし、公判前整理手続において被告人・弁護人側から主張と証拠を明らかにすることが求められるのは、検察側の証明予定事実とそれを証明するための証拠の取調べ請求及び開示がなされ、さらに検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠について相当と認められる範囲での開示がなされた後のことであります。これらの開示を前提とすれば防御方針を定めることは決して不可能ではなく、この段階で主張と証拠を明らかにするということを求めても直ちに防御上の不利益をもたらすとは言えないように考えております。
もちろん、言われますように訴訟は生き物でありまして、公判前には予想もされなかった証言等が公判において出てくるということもあり得ます。そのような場合に新たな反証を認めないということは、これは明らかに不当です。しかし、争点整理後の証拠調べ請求の制限というのはあくまでも原則であり、やむを得ない事情がある場合、すなわち証拠調べ請求しなかったことに帰責事由がないと言い得るような場合には例外が認められ、新証拠の取調べ請求も認められることとなります。公判において予期せぬ事態が生じた場合というのは基本的にこれでカバーされると考えられます。
さらに、やむを得ない事由がない場合には証拠調べの請求権は失われますが、そのような証拠であっても裁判所の職権による取調べの可能性というのはなお残されております。処罰は犯罪事実に基づいてなされるべきで、訴訟のやり方がまずかったから、だから処罰されるという事態は、これはやはりあってはならないことだと思います。そのような事態には職権証拠調べの柔軟な対応によって対処し得るものと考えております。
以上、網羅的ではございませんが、意見を述べさせていただきました。
御清聴ありがとうございました。
この発言だけを見る →裁判員制度は、来月二十一日に施行が予定をされております。裁判員制度は、従来、ほぼ完全に法律専門家の手によって担われてまいりました我が国の司法に国民が直接参加する機会を開くという点で画期的な制度であり、また、刑事司法の在り方に改革を迫り、それを加速させる役割を果たしたという点でも有意義な制度であると考えております。施行を間近に控え、改めて様々な不安、問題点が指摘をされておりますが、本日は、今申し上げたような裁判員制度の積極的意義と密接にかかわる若干の点について意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、最も基本となる問題は、国民に多大な負担を掛けるにもかかわらず裁判員制度を導入することの目的でございます。この点について裁判員法の一条は、御案内のとおり、制度の目的として「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」ということを掲げております。しかし、この文言の言わんとするところは必ずしも明快とは言えません。
裁判員制度が仮に司法に対する国民の理解増進と信頼向上のための手段、あるいはもう少し言い方を変えると体験学習の場にすぎないのだとすれば、それは国民の多大の負担を正当化する理由としては薄弱であり、裁判員制度を重大事件の刑事裁判に導入するその理由もはっきりしなくなると思われます。
しかし、裁判員制度は、司法制度改革審議会の言葉を引用させていただけば、統治主体、権利主体である国民は、司法の運営に主体的、有意的に参加し、国民のための司法を国民自らが実現し支えなければならない、そういう基本的な考え方から発した制度でございます。裁判員としての司法参加は、それ自体が主権者たる国民の公共的な責務という一面を有しているように思われます。
もとより、国民主権だから、あるいは民主主義だからといって、当然に国民の意思が司法に直接反映されなければならないということにはこれはなりません。多数者の意思を物差しとする民主主義と、法と証拠を物差しとし多数者意思によっても奪えない価値を守ろうとする司法との間には、これは解消することのできない緊張関係が存在するからであります。
しかし、司法も国家の作用であります以上、その存立の淵源は主権者である国民にたどられるはずであり、そのような国民は、司法の成果を受益するというだけではなく、司法がその本来の機能を十全に果たす上で必要とする場合には自らそれを担う責務を負っている、そのように言えるかと思われます。裁判員制度はまさにそのような責務が現実のものとなった制度であり、それゆえに国民主権、民主主義の原理と結び付いた重要な価値が見出されると考えられます。
そして、国民にこのような公共的な責務を果たすことが求められるのは、それにふさわしく、その必要がある領域でなければならないと思われます。刑事裁判は、従来においても法律専門家の努力によって国民の信頼を得てきたと言えますが、専門家だけの閉ざされた世界における努力の反面として、過度に精緻化をし、国民から分かりにくい部分を持つようになっていたとも思われます。刑事裁判は、社会の安全と国民の権利という国民だれにもかかわる問題を扱う場であり、国民の関心を集める対象であると言えます。この点でそれが真に十分な機能を果たしていくためには、国民の理解に裏打ちをされた、そういう意味での信頼が不可欠であり、専門家のみにゆだねられた従来の刑事裁判には限界が現れつつあったということであるかと思われます。
また、先ほど申し上げたような事柄の性質上、専門家のみで担うことに限界があるという場合には、国民が責務を分担するのにふさわしい領域とも言えるように思われます。刑事裁判、その中でも重大事件のそれが対象とされたということは、それが国民の公共的責務とするのにふさわしく、その必要がある領域であったということであるかと思われます。その中には死刑事件等も含まれますが、そして死刑事件については特に判断の困難さと負担の大きさということが指摘されるところでありますけれども、これも死刑という究極の刑罰を国民の意思として存置するということを前提とする以上、その裏腹として担うべき国民の責任というべき側面があるように思われます。
裁判員が参加する裁判は、裁判員が主体的、実質的に関与できるよう、裁判員に分かりやすく負担の少ないものであることが求められます。従来の我が国の刑事裁判は、間隔を置いた公判と書面の多用を特色とし、公判の形骸化という批判を招くこともありました。これに対し、裁判員が参加する裁判は、争点を明確化し最適な証拠を用いて集中的に行われるということが必要不可欠であり、この点で裁判員制度は従来の公判審理の在り方に反省を迫り、公判の活性化ということに重要な役割を果たすものと言えます。
もっとも、裁判員が参加する裁判は、先ほど申し上げましたように、重大事件の刑事裁判でありますから、刑事訴訟法の第一条が規定しておりますように、被告人を始めとする個人の基本的人権の保障を全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正に実現する、そういうものでなければなりません。この点で、集中的な審理というものが、その反面として裁判の適正さを犠牲にした拙速な裁判に陥らないかということも問題となります。
御承知のとおり、集中的な審理ということはこれまでの刑事裁判においても理想とされておりましたが、その実現には様々な困難がありました。その理由の一つは、検察側と被告人・弁護人側との攻撃、防御の準備に大きな開きがあったということではないかと思われます。
起訴前の被疑者に国選弁護の制度が存在をしなかった、そのような下では、重大事件を含め、弁護人が選任され防御がスタートラインに着くのは起訴後のことであるということが多かったように思われます。また、起訴前の非常に詳細な捜査を通じ徹底した証拠収集を遂げた検察側に対し、被告人・弁護人側は、独自の証拠収集能力において劣っている上に、法律上、第一回公判期日前に検察側から開示を受け得る証拠というのは検察官が証拠調べ請求をする証拠に限られ、それ以外のいわゆる検察官手持ち証拠と言われるものについては開示は検察官の裁量にゆだねられておりました。このような状況の下でいたずらに審理を急ぐといたしますと、被告人・弁護人側の防御が追い付かず、まさに裁判の適正さが害されるおそれがあったと言わなければなりません。
しかし、司法制度改革を通じ、起訴前の被疑者に国選弁護制度が整備をされ、捜査から公判まで一貫した防御活動が可能となる、そのような制度が整えられました。また、第一回公判期日前に争点と証拠の整理を行う公判前整理手続というものが設けられ、その過程を通じて、第一回公判期日前に被告人・弁護人側が検察側から開示を受け得る証拠の範囲というものは大きく拡大をしました。具体的には、検察官が証拠調べ請求をする証拠に加え、検察官手持ち証拠のうちでも検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠、さらに、被告人・弁護人側からの主張の開示を受けた後については、そこで明らかにされた主張に関連する証拠について相当と認められる範囲で開示が受けられることとなりました。このような条件整備を前提にしても、なお集中的な審理によって裁判の適正さが損なわれるかどうかということがここでの問題かと思われます。
具体的な問題の一つは、検察官手持ち証拠の全面開示あるいはそれに準じるような制度が取られない限り証拠開示がなお不十分ではないかという点であります。しかし、証拠開示は防御の準備のための効用という側面があることはもちろんでありますが、それがもたらす弊害の側面にも留意が必要であるように思われます。
この点では、証人威迫や罪証隠滅を誘発するおそれというものが古くから指摘をされてきたところでございますが、さらに、我が国の捜査は広範かつ詳密であり、捜査を通じて収集され検察官の手元に集約をされるそのような証拠の中には、結果的に事件に無関係であるそのような情報や個人のプライバシーにかかわるデリケートな情報も少なからず含まれていると言われております。そのような手持ち証拠について、資料の性質や防御上の必要性を問うことなく一律に全面的な開示とすることには割り切り過ぎのところがあるように思われます。
また、捜査の過程では、犯罪事実を積極的に立証する、そのための証拠のほかに、被告人の弁解に備え、それを弾劾するための証拠も集められていると言われます。このような証拠まで先に全面開示をしてしまうということになりますと、そこから証拠のすき間をねらった弁解をする、そういうものが意図的に作出される、そういう危険が生じてくるように思われます。被告人の弁解は無数に考えられ、そのすべてに備えて逐一捜査を遂げておくということは不可能でありますから、弾劾目的の証拠まですべて開示対象とすることは、当事者主義の下での当事者の創意と努力の意味を失わせ、公判における当事者間の負担のバランスを失わせることにもなりかねないように思われます。
公判前整理手続における証拠開示制度は、これらの点を慎重に考慮した上、従前よりも開示される検察官手持ち証拠の範囲を拡大する形で立法されたものであり、バランスの取れた制度であるように思っております。
これに対し、全面開示の弊害を防止しつつ、証拠の開示請求を容易にし、また証拠の埋没を防止する、そのような方策として証拠の標目開示という提案がなされることもあります。しかし、標目は、証拠の内容が分かる程度まで記載内容を詳細にすれば、弊害の危険については証拠自体を開示するのと差がなくなってまいります。逆に、記載内容を限定すれば、証拠の内容が分からずその有用性が失われます。被告人・弁護人側が明確な防御方針を定めるということを前提に、開示請求に当たっての証拠の特定についての要求について柔軟な運用がなされれば、公判前整理手続が定める仕組みによって開示請求に大きな支障は生じないように思われます。
公判前整理手続に関連する具体的な問題のもう一つは、争点整理の過程において被告人・弁護人側にも主張の明示が求められ、争点整理後の証拠調べ請求は原則として許されないこととされている、この点で防御に不利益が生じないかという点であります。
しかし、被告人・弁護人側からも主張と証拠が明らかにされない限り、争点、証拠の整理とそれに基づく審理計画の策定は不可能となります。また、争点整理をした後の新たな証拠調べ請求を無制限に認めるということになれば、審理計画を立てても無意味となり、裁判員が参加する裁判では裁判員に大きな負担を掛ける結果ともなりかねません。
もとより、検察側の主張と証拠が明らかにならないということであれば、被告人・弁護側において防御方針を定めるということはできず、その主張と証拠を明らかにすることもこれはできません。しかし、公判前整理手続において被告人・弁護人側から主張と証拠を明らかにすることが求められるのは、検察側の証明予定事実とそれを証明するための証拠の取調べ請求及び開示がなされ、さらに検察官請求証拠の証明力を判断するのに必要な一定類型の証拠について相当と認められる範囲での開示がなされた後のことであります。これらの開示を前提とすれば防御方針を定めることは決して不可能ではなく、この段階で主張と証拠を明らかにするということを求めても直ちに防御上の不利益をもたらすとは言えないように考えております。
もちろん、言われますように訴訟は生き物でありまして、公判前には予想もされなかった証言等が公判において出てくるということもあり得ます。そのような場合に新たな反証を認めないということは、これは明らかに不当です。しかし、争点整理後の証拠調べ請求の制限というのはあくまでも原則であり、やむを得ない事情がある場合、すなわち証拠調べ請求しなかったことに帰責事由がないと言い得るような場合には例外が認められ、新証拠の取調べ請求も認められることとなります。公判において予期せぬ事態が生じた場合というのは基本的にこれでカバーされると考えられます。
さらに、やむを得ない事由がない場合には証拠調べの請求権は失われますが、そのような証拠であっても裁判所の職権による取調べの可能性というのはなお残されております。処罰は犯罪事実に基づいてなされるべきで、訴訟のやり方がまずかったから、だから処罰されるという事態は、これはやはりあってはならないことだと思います。そのような事態には職権証拠調べの柔軟な対応によって対処し得るものと考えております。
以上、網羅的ではございませんが、意見を述べさせていただきました。
御清聴ありがとうございました。
澤
四
四宮啓#7
○参考人(四宮啓君) 初めに、法務委員会で意見を述べる機会を与えていただきましたことを澤委員長始め皆様に感謝申し上げたいと思います。
私は、弁護士として、またこの裁判員制度の設計等にもかかわらせていただいたということから、今日、施行を前にして皆様に御意見を申し上げたいと思います。
今、大澤参考人からもお話がありましたが、施行が迫りますと、なぜ国民が参加をしなければならないのかという質問が、また声が大きくなってきたように思います。そこで、お手元に、私の場合レジュメと三枚のスライドを用意させていただきましたので、これに従って意見を述べさせていただきたいと思います。
まず初めに、なぜ裁判員制度が導入されたのかということでございます。今、大澤参考人からもありましたので、私の方では私なりの見方を申し上げたいと思いますが、まず一枚目のスライドでございます。
今度の司法制度改革、これはもう先生方十分に御理解賜っていることと思いますけれども、私なりに一言で申し上げれば、この社会をより自由でフェアでそして責任あるものにするために何をすべきかということで始まったものと理解をしております。そのために必要なのは、やはりルールであろうと。そのルールは、しかも知っているルール、つまり客観的で皆が作ったルール、つまりこの国会で作っていただく法律であります。そして、トラブルの解決も国民に見えるところで、見える形で解決する透明なプロセス、これは司法ということになろうかと思います。
そこで、法の支配というものを社会にあまねく行き渡らせるために今までの日本の司法制度を抜本的に見直したのが今度の司法制度改革であったと思います。
この法の支配というのは、よく言われておりますし、司法制度改革審議会の意見書にも書かれておりますけれども、個人が尊重される、そしてその尊重される個人が社会の在り方を決めていくという国民主権、こういうものを内容とするのだと言われておりました。
そこで、二枚目のスライドですが、その法の支配を実現するためにどのような仕組みをつくったらいいかということで今度の改革が行われておると理解をしております。
この法の支配の考え方から申しますと、一つ目のその内容である個人の尊重。これは言うなれば、トラブルに巻き込まれたときに国民は法を使ってその一人一人の権利を尊重していく。法を使う国民という言い方をさせていただいておりますが、そのために法テラスや知財高裁、裁判迅速化法などなど、日本の司法制度の仕組みをこの国会で変えていただきました。
もう一つの内容である国民主権ですけれども、これは言わば、直接トラブルに巻き込まれたわけではないけれども、私たちの社会で起こったこと、私たちの社会の正義が損なわれたときに、その回復に社会のメンバーとして一肌脱いでほしいという呼びかけであったと思います。これを私、法を担う国民というふうに言わせていただいておりますが、これが今日のテーマである裁判員制度であろうと思います。
しかし、法を使うにしろ担うにしろ、いずれも私たちは素人だと国民の皆さんはおっしゃるかもしれない。そのとおりだと思います。そこで、その国民をサポートする法律家も、質、量共に備えたものを国民の皆さんのそばに用意する、サポーターを用意する、それが法曹養成制度の抜本改革、つまり法科大学院の創設であったと理解をしております。
このように、法の支配を実現する新しい仕組みとして、今度の司法制度改革は有機的に関連付けられた一つの家のようなものだというふうに思っておりますし、この裁判員制度はその中でも極めて重要な柱の一つであると理解をしております。
裁判員制度は、もう一つ、刑事の仕組みを大きく変えるということ、これも大澤参考人から今お話がありました。どのような変化が起こっているかを三枚目のスライドで示させていただきました。
裁判員制度を導入するためにどうしても必要なものということで、この下の段、立法化と書きましたが、ここの制度が法律的に手当てをされております。被疑者段階からの弁護制度、国選弁護制度、それから公判前整理手続における検察官手持ち証拠の開示、そして裁判が始まってからは連日開廷するという要請であります。
ところが、平成十七年からこれらの制度は既に始まっておりますけれども、これ以外のものにも変化が始まっております。それが上の段、非立法化と書いたところの変化でございます。
まず、取調べの録画。これは全部の録画にはまだ至っておりませんけれども、一部ではございますが、検察、警察でそれぞれ始まっております。今まで透明化が全く行われていなかった部分への透明化が始まっていると理解をしております。
保釈。保釈もなかなか弁護士のサイドから見ますと十分に行われていないという理解が多うございました。しかし、少しずつ保釈を認めるケースが増えておりまして、それも公判前整理を有機的に行うために必要だという理解が裁判所の方にも広がっているということでございます。
公判が始まりましてからの証拠ですけれども、今までたくさんの調書と呼ばれている紙が使われておりました。しかし、裁判員が来ることをにらんで、原則として、人、証人や被告人から話を聞いて、調書が必要でなければそれを証拠としないという運用がかなり実務で広がってきております。その他、被告人の服装や私たち弁護士、検察官の法廷の技術などにも大きな今変化が訪れています。
立法化もしないのになぜこのような変化が始まっているかと。それは、私が見るところ、裁判員が来るからだと思います。裁判員、つまり国民は刑事裁判に何を求めるんだろうか、それはやはり透明でフェアでそして迅速なものということだと思います。そうすると、この国民が求めるものをやはり手続という面でも変えていかなければならない、そのような理由から私は大きな変化が既に始まっているのだと思います。この流れを是非前進させていきたいというふうに考えております。
三番目に、ではこれから円滑に施行するためにどうしたらいいか、どんな点に気を付けたらいいかという点ですが、模擬裁判がこれまでに六百件以上行われたと言われております。私は、この間の、まあこれは当たり前だといえば当たり前ですが、法曹三者が国民のために準備をしてきている、その努力には敬意を表したいと思います。
二点だけ申し上げたいと思います。
一つは、公判前整理手続の在り方であります。私自身も三件ほどこの手続を弁護士として経験をいたしました。今までになく証拠の開示が行われる、これは事実であります。検察官が裁判所の取調べ請求をしなかったものも我々が手にすることができるようになりました。しかし、それは十分かというと、弁護士の立場からすると必ずしもそうは言えない。
御案内のとおり、おととしから去年にかけて最高裁判所で証拠開示を促すような決定も出されております。しかし、私の経験でも、今も、その決定を経たからかもしれませんが、我々が求めるものについて不存在であるという回答が出ることが多うございます。このようにされてしまいますと、せっかくの証拠開示制度、つまり公判を充実した迅速なものにするためのおぜん立てとしての証拠開示制度、公判前整理手続、その実質が損なわれる場面があるように私は弁護士としては危惧をしております。そこで、できる限り、つまり裁判員が法廷に来てから混乱しないように、証拠開示制度を充実したものにしていただきたいということであります。
もう一点は、評議です。この評議の在り方についても裁判所の努力は大変なものがあったと思います。その成果が一つ報告として、「模擬裁判の成果と課題」という報告書にまとめられております。私が何件か傍聴したり、それから後で検証させていただいたものの中には、幾つかまだ問題があるように思います。
その一つは、裁判官の発言が多いケースもある。特に、評議の冒頭で陪席裁判官がたくさん発言をされますと、一つの方向性というようなものも見えてきてしまうおそれがないだろうかということであります。それから、裁判官の発言はやはり非常に重みがあります。裁判官の発言は、また国民から見れば、法律家としてルールを示しているのではないかと受け取られるおそれもあります。ルールを示しているのか、あるいは一判断者として意見を述べているのか、そこら辺の区別も私は大事ではないかというふうに思います。
どのようにやっていくべきかについては、この裁判所の報告書が言っているとおりであります。これまでの法律家が行ってきた専門的思考が裁判員の思考よりも正しいと考えることはできない、裁判員に裁判官と同じ思考回路を求めるのは相当でない、このテーマについて本当に意味するところの理解を共有することに留意しなければならない、このとおりだと思います。これは、要するに、裁判官に対してやはり姿勢、思考の枠組みの変革、意識変革を求めているのだと思います。裁判員は裁判官と違う考えを持っているからこそ来ていただく意味があるわけです。裁判員制度は、まさに裁判官とは違う考えを聞きたい、それがより良い裁判になるのだという考え方でできていると思います。その辺の裁判官の意識改革あるいは評議の運営の仕方については、なお一層の御尽力をいただきたいというふうに考えております。
それから、検証の在り方です。裁判員法は附則の九条で、施行後三年をめどに政府の検証を求めております。その検証も、司法制度の基盤としての役割をこの制度が十分に果たせるような方向で行うように求めております。
この検証は大変重要だと思います。何しろ、戦後初めて我が国が経験する国民参加の制度です。実は、何が一番良薬か、より良い制度にするための良い薬かといいますと、間違いなく裁判員を経験した人たちの意見であろうと思います。問題は、そういう意見をどのようにくみ上げ、どのように反映させるかということだと思います。この五年間の間の六百回に及ぶ模擬裁判について、法律専門家のいろいろな技術については私たち共有してきたつもりでございますけれども、模擬裁判員の声がどのくらい国民に届いていただろうか、これはやはり十分なものがあっただろうかという点については反省をする必要があると思います。もしその六百件の模擬裁判員の意見が国民に伝わっていたら、国民の不安も大分解消されていた部分もあるのではないかと思います。
その意味でも、これから実際に始まりましたらば、実際に経験した裁判員の皆さんの声を率直に聞く姿勢が法律専門家に求められていると思います。守秘義務が支障になるかもしれません。だとしたら、立法的な手当て等もお考えいただいて、守秘義務を、一番極端に言えば守秘義務を解除してでも制度のより良い定着のために国民の声を聞くという方向を考えていただければと思います。
じゃ、締めくくらせていただきますけれども、先ほど、この裁判員制度は国民主権の考えから生まれたのだと私なりの考えを申し上げました。だれでもより自由でフェアでそして責任ある社会を目指す、これについては異論がないのではないかと思います。問題は、こういう社会をどうやって手に入れるかだと思います。
裁判員制度は、だれかにつくってもらうのではなくて、自分たちでつくっていこう、できる範囲で、自分たちで、専門家と協力して、より自由でフェアでそして責任ある社会をつくろうという制度だと思います。裁判員制度がこのようなことを国民に呼びかけているのだと思います。
では、そのために何が今一番必要か。それは予定どおり施行していただくことです。法律と政令によって決められた予定どおりこの制度をスタートさせていただく、そのことがより自由でフェアで責任ある社会のための第一歩だと信じております。
どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →私は、弁護士として、またこの裁判員制度の設計等にもかかわらせていただいたということから、今日、施行を前にして皆様に御意見を申し上げたいと思います。
今、大澤参考人からもお話がありましたが、施行が迫りますと、なぜ国民が参加をしなければならないのかという質問が、また声が大きくなってきたように思います。そこで、お手元に、私の場合レジュメと三枚のスライドを用意させていただきましたので、これに従って意見を述べさせていただきたいと思います。
まず初めに、なぜ裁判員制度が導入されたのかということでございます。今、大澤参考人からもありましたので、私の方では私なりの見方を申し上げたいと思いますが、まず一枚目のスライドでございます。
今度の司法制度改革、これはもう先生方十分に御理解賜っていることと思いますけれども、私なりに一言で申し上げれば、この社会をより自由でフェアでそして責任あるものにするために何をすべきかということで始まったものと理解をしております。そのために必要なのは、やはりルールであろうと。そのルールは、しかも知っているルール、つまり客観的で皆が作ったルール、つまりこの国会で作っていただく法律であります。そして、トラブルの解決も国民に見えるところで、見える形で解決する透明なプロセス、これは司法ということになろうかと思います。
そこで、法の支配というものを社会にあまねく行き渡らせるために今までの日本の司法制度を抜本的に見直したのが今度の司法制度改革であったと思います。
この法の支配というのは、よく言われておりますし、司法制度改革審議会の意見書にも書かれておりますけれども、個人が尊重される、そしてその尊重される個人が社会の在り方を決めていくという国民主権、こういうものを内容とするのだと言われておりました。
そこで、二枚目のスライドですが、その法の支配を実現するためにどのような仕組みをつくったらいいかということで今度の改革が行われておると理解をしております。
この法の支配の考え方から申しますと、一つ目のその内容である個人の尊重。これは言うなれば、トラブルに巻き込まれたときに国民は法を使ってその一人一人の権利を尊重していく。法を使う国民という言い方をさせていただいておりますが、そのために法テラスや知財高裁、裁判迅速化法などなど、日本の司法制度の仕組みをこの国会で変えていただきました。
もう一つの内容である国民主権ですけれども、これは言わば、直接トラブルに巻き込まれたわけではないけれども、私たちの社会で起こったこと、私たちの社会の正義が損なわれたときに、その回復に社会のメンバーとして一肌脱いでほしいという呼びかけであったと思います。これを私、法を担う国民というふうに言わせていただいておりますが、これが今日のテーマである裁判員制度であろうと思います。
しかし、法を使うにしろ担うにしろ、いずれも私たちは素人だと国民の皆さんはおっしゃるかもしれない。そのとおりだと思います。そこで、その国民をサポートする法律家も、質、量共に備えたものを国民の皆さんのそばに用意する、サポーターを用意する、それが法曹養成制度の抜本改革、つまり法科大学院の創設であったと理解をしております。
このように、法の支配を実現する新しい仕組みとして、今度の司法制度改革は有機的に関連付けられた一つの家のようなものだというふうに思っておりますし、この裁判員制度はその中でも極めて重要な柱の一つであると理解をしております。
裁判員制度は、もう一つ、刑事の仕組みを大きく変えるということ、これも大澤参考人から今お話がありました。どのような変化が起こっているかを三枚目のスライドで示させていただきました。
裁判員制度を導入するためにどうしても必要なものということで、この下の段、立法化と書きましたが、ここの制度が法律的に手当てをされております。被疑者段階からの弁護制度、国選弁護制度、それから公判前整理手続における検察官手持ち証拠の開示、そして裁判が始まってからは連日開廷するという要請であります。
ところが、平成十七年からこれらの制度は既に始まっておりますけれども、これ以外のものにも変化が始まっております。それが上の段、非立法化と書いたところの変化でございます。
まず、取調べの録画。これは全部の録画にはまだ至っておりませんけれども、一部ではございますが、検察、警察でそれぞれ始まっております。今まで透明化が全く行われていなかった部分への透明化が始まっていると理解をしております。
保釈。保釈もなかなか弁護士のサイドから見ますと十分に行われていないという理解が多うございました。しかし、少しずつ保釈を認めるケースが増えておりまして、それも公判前整理を有機的に行うために必要だという理解が裁判所の方にも広がっているということでございます。
公判が始まりましてからの証拠ですけれども、今までたくさんの調書と呼ばれている紙が使われておりました。しかし、裁判員が来ることをにらんで、原則として、人、証人や被告人から話を聞いて、調書が必要でなければそれを証拠としないという運用がかなり実務で広がってきております。その他、被告人の服装や私たち弁護士、検察官の法廷の技術などにも大きな今変化が訪れています。
立法化もしないのになぜこのような変化が始まっているかと。それは、私が見るところ、裁判員が来るからだと思います。裁判員、つまり国民は刑事裁判に何を求めるんだろうか、それはやはり透明でフェアでそして迅速なものということだと思います。そうすると、この国民が求めるものをやはり手続という面でも変えていかなければならない、そのような理由から私は大きな変化が既に始まっているのだと思います。この流れを是非前進させていきたいというふうに考えております。
三番目に、ではこれから円滑に施行するためにどうしたらいいか、どんな点に気を付けたらいいかという点ですが、模擬裁判がこれまでに六百件以上行われたと言われております。私は、この間の、まあこれは当たり前だといえば当たり前ですが、法曹三者が国民のために準備をしてきている、その努力には敬意を表したいと思います。
二点だけ申し上げたいと思います。
一つは、公判前整理手続の在り方であります。私自身も三件ほどこの手続を弁護士として経験をいたしました。今までになく証拠の開示が行われる、これは事実であります。検察官が裁判所の取調べ請求をしなかったものも我々が手にすることができるようになりました。しかし、それは十分かというと、弁護士の立場からすると必ずしもそうは言えない。
御案内のとおり、おととしから去年にかけて最高裁判所で証拠開示を促すような決定も出されております。しかし、私の経験でも、今も、その決定を経たからかもしれませんが、我々が求めるものについて不存在であるという回答が出ることが多うございます。このようにされてしまいますと、せっかくの証拠開示制度、つまり公判を充実した迅速なものにするためのおぜん立てとしての証拠開示制度、公判前整理手続、その実質が損なわれる場面があるように私は弁護士としては危惧をしております。そこで、できる限り、つまり裁判員が法廷に来てから混乱しないように、証拠開示制度を充実したものにしていただきたいということであります。
もう一点は、評議です。この評議の在り方についても裁判所の努力は大変なものがあったと思います。その成果が一つ報告として、「模擬裁判の成果と課題」という報告書にまとめられております。私が何件か傍聴したり、それから後で検証させていただいたものの中には、幾つかまだ問題があるように思います。
その一つは、裁判官の発言が多いケースもある。特に、評議の冒頭で陪席裁判官がたくさん発言をされますと、一つの方向性というようなものも見えてきてしまうおそれがないだろうかということであります。それから、裁判官の発言はやはり非常に重みがあります。裁判官の発言は、また国民から見れば、法律家としてルールを示しているのではないかと受け取られるおそれもあります。ルールを示しているのか、あるいは一判断者として意見を述べているのか、そこら辺の区別も私は大事ではないかというふうに思います。
どのようにやっていくべきかについては、この裁判所の報告書が言っているとおりであります。これまでの法律家が行ってきた専門的思考が裁判員の思考よりも正しいと考えることはできない、裁判員に裁判官と同じ思考回路を求めるのは相当でない、このテーマについて本当に意味するところの理解を共有することに留意しなければならない、このとおりだと思います。これは、要するに、裁判官に対してやはり姿勢、思考の枠組みの変革、意識変革を求めているのだと思います。裁判員は裁判官と違う考えを持っているからこそ来ていただく意味があるわけです。裁判員制度は、まさに裁判官とは違う考えを聞きたい、それがより良い裁判になるのだという考え方でできていると思います。その辺の裁判官の意識改革あるいは評議の運営の仕方については、なお一層の御尽力をいただきたいというふうに考えております。
それから、検証の在り方です。裁判員法は附則の九条で、施行後三年をめどに政府の検証を求めております。その検証も、司法制度の基盤としての役割をこの制度が十分に果たせるような方向で行うように求めております。
この検証は大変重要だと思います。何しろ、戦後初めて我が国が経験する国民参加の制度です。実は、何が一番良薬か、より良い制度にするための良い薬かといいますと、間違いなく裁判員を経験した人たちの意見であろうと思います。問題は、そういう意見をどのようにくみ上げ、どのように反映させるかということだと思います。この五年間の間の六百回に及ぶ模擬裁判について、法律専門家のいろいろな技術については私たち共有してきたつもりでございますけれども、模擬裁判員の声がどのくらい国民に届いていただろうか、これはやはり十分なものがあっただろうかという点については反省をする必要があると思います。もしその六百件の模擬裁判員の意見が国民に伝わっていたら、国民の不安も大分解消されていた部分もあるのではないかと思います。
その意味でも、これから実際に始まりましたらば、実際に経験した裁判員の皆さんの声を率直に聞く姿勢が法律専門家に求められていると思います。守秘義務が支障になるかもしれません。だとしたら、立法的な手当て等もお考えいただいて、守秘義務を、一番極端に言えば守秘義務を解除してでも制度のより良い定着のために国民の声を聞くという方向を考えていただければと思います。
じゃ、締めくくらせていただきますけれども、先ほど、この裁判員制度は国民主権の考えから生まれたのだと私なりの考えを申し上げました。だれでもより自由でフェアでそして責任ある社会を目指す、これについては異論がないのではないかと思います。問題は、こういう社会をどうやって手に入れるかだと思います。
裁判員制度は、だれかにつくってもらうのではなくて、自分たちでつくっていこう、できる範囲で、自分たちで、専門家と協力して、より自由でフェアでそして責任ある社会をつくろうという制度だと思います。裁判員制度がこのようなことを国民に呼びかけているのだと思います。
では、そのために何が今一番必要か。それは予定どおり施行していただくことです。法律と政令によって決められた予定どおりこの制度をスタートさせていただく、そのことがより自由でフェアで責任ある社会のための第一歩だと信じております。
どうもありがとうございました。
澤
竹
竹田昌弘#9
○参考人(竹田昌弘君) いつもお世話になっております。本日はお招きいただき、ありがとうございました。慣れないものですから至らない点が多々あると存じますが、御容赦のほどをお願いいたします。事件や司法の取材を続けてきた記者の一人として意見を述べさせてもらいたいと思います。
お手元に資料をお配りしました。まず最初に見ていただきたいのは、レジュメの三ページ目にあります古い新聞記事であります。これは一九二八年、昭和三年十月一日の東京朝日新聞の朝刊であります。「民意司法に反映して 立憲政治初めて整ふ」、「官僚の裁判から 国民参与の裁判へ」と、こういう見出しになっております。これは日本で陪審制度が始まった日の新聞であります。
民意司法に反映とか官僚の裁判からといった制度の意義に関する辺りは、実は来月二十一日の朝刊の見出しにも使われるかもしれません。実に八十一年前と同じ見出しの新聞を作らなきゃいけないわけで、それに対して非常に深く考えております。
それでは、その制度の意義ということを考える意味で、レジュメの一ページに戻りまして、釈迦に説法ではございますが、立法府は有権者が選挙で皆さんの、議員の方を選ばれています。行政に対しては情報公開制度あるいは不服申立て制度などがあります。有権者がチェックすることができます。司法には最高裁判事の国民審査といったものがありますけれども、実質的にはほとんど専門家に任せきりでやってきたわけです。それが裁判員制度によって有権者が直接司法に参加するということを考えますと、やはり日本の民主主義を高めるという大きな意義が裁判員制度にはあるのではないかと考えております。
問題点多々あります。これからるる制度の問題点申し上げますけれども、ともかくは制度をスタートさせ運用していく中で問題点を逐一直しながら有権者にとっていい制度にしていくことが必要ではないかと思っております。そして、裁判員制度が刑事裁判で軌道に乗れば、行政訴訟であるとか民事訴訟の一部にも拡大していってこの国の民主主義をより高めていくという意義を実現されるのがいいのではないかと思っております。
それでは、裁判員制度の問題点というか課題を挙げていきますが、お手元にお配りしたもう一つの冊子は、共同通信の社会部がおととしの十一月からほぼ原則毎月一回連載記事を出しております。目次御覧になっていただけばお分かりのように、「制度誕生の軌跡」から「参加への不安」、あるいは「制度異議あり」、「評議の行方」、「イタリアの知恵」、「日本人との相性」、「死刑の判断」、「情報の壁」、「変わるか取り調べ」、「弁護人の仕事」、「沖縄の経験」、「検察官の仕事」、「コリアンの挑戦」、「裁判官の仕事」などなど、それぞれ裁判員制度の持つ課題を探るという趣旨でやってきました。
今日は、この取材結果などを基に少しお話をしたいと思います。取材したのは法曹三者の皆さん、現職、元職の方もとより、模擬裁判に参加された全国各地の有権者の方々、制度に反対されている方々、あるいは制度設計にかかわった方、起訴されたけれども無罪になった人、あるいは死刑執行に立ち会った人などにも取材をしております。
目次にあるように、裁判員制度と似た参審制度を採用しているイタリアであるとか、昨年から陪審裁判を始めています韓国、あるいは復帰まで陪審裁判をやっていた沖縄でも取材をしております。
第二部の「参加への不安」というのがあると思いますが、模擬裁判に参加された方の感想などを見てみますと、レジュメの一ページにあるように、重要な判断をする自信がないですとか、殺人など悲惨な事件の審理にかかわるのは嫌だとか、そういう心理的不安がいかに大きいかというのがよく分かりました。仕事に支障があるからなりたくないという人はさほど多くありません。そこにあるように、世論調査でも三〇%程度にとどまっております。問題は心理的不安ということになると思います。
では、それはどうすれば和らげることができるかというと、私は情報公開しかないと思っています。司法の情報は余りにも公開されてきませんでした。法律家の皆さん、この委員会たくさんいらっしゃいますので、これは釈迦に説法でございますが、連載の第八部の「情報の壁」でも詳しく書きましたけれども、裁判を傍聴しても、専門用語が多かったり証拠も要旨を述べるだけで内容がよく分かりません。民事訴訟に至っては、訴状や準備書面は陳述しますというだけで要旨さえも告げられませんので、刑事裁判以上に傍聴しても何も分かりません。かつては法廷でメモを取ることさえ、傍聴人はメモを取ることさえ許されず、裁判の確定記録は今もなかなか見ることができないという状況にあります。
また、模擬裁判に参加された方からは、とにかく量刑が難しい、懲役と言われても刑務所で何をやっているか僕らは分からないんだから判断できないよというような声も聞きました。刑事政策全体が有権者によく理解されていないということを感じたわけです。やはりもっと情報を公開していかないと、裁判員の方々、大変苦労なさるんではないかと思います。
模擬裁判においては、リアリティーがないという理由で死刑の適否を本格的に論議するケースはありませんでした。模擬裁判参加者の中には、死刑をどうするか判断する事件をやらされたらつらいなとか、自分たちが死刑を言い渡した人が執行されたら後味が悪いなというような感想を漏らされた方もおられました。死刑についても、刑場を始め執行の手順をすべて公開していただいて、その上で有権者に死刑の判断をゆだねていただきたいと思います。また、判断される方の心理的不安を考えますと、死刑判決だけは裁判員と裁判官の全員一致を要件とすることも検討すべきではないでしょうか。
そこに失業率と刑法犯認知件数、何か唐突に載せましたけれども、これは一九九〇年、失業率二・一%のころに刑法犯の認知件数が百六十三万件ですと。失業率が五・四%になった二〇〇三年には刑法犯の認知件数は二百八十五万件に達したと。要は、仕事に困って、仕事がなくなって金に困って犯罪に走るケースが実は犯罪のほとんどであります。
特殊な犯罪者、もちろんいるでしょうけれども、大半は有権者が十分理解可能な、あるいは場合によっては明日は我が身の被告人であります。こうした社会の現実も、これは私たちどんどん報道しなきゃならないのですが、政府や裁判所におかれましても、もっと犯罪の現状というものを例えば経済状況と絡めながら分かりやすくお伝えいただければなと思います。
先ほど四宮先生もおっしゃっておられましたけれども、これも心理的不安に関係しますが、守秘義務であります。
最高裁のホームページには、裁判の公正やその信頼を確保するとともに、評議で裁判員や裁判官が自由な意見を言えるようにするためですと説明されております。確かに、だれが何を言ったか明らかになりますとだれも何か意見を言えなくなってしまいますので、この最高裁の説明の後段部分はよく分かります。ただ、その前段の、裁判の公正やその信頼を確保するというのであれば、アメリカの陪審制度のように、裁判終了後、個人情報などを除いて守秘義務を課さなければ、評議の内容を検証することは可能です。これこそが裁判の公正や信頼の確保につながると思っています。
先日、中川財務大臣が辞任される原因となりましたもうろう会見というのがありました。その際、どうして記者は酔っ払っているのではないかと質問しないのかということで厳しく批判をされました。昔なら中継されるもの以外なかなか記者会見の詳細というのは読者には分からなかったんですけれども、最近はネットで会見は中継されておりますし、場合によると役所のホームページには詳報が載ったりしています。都合の悪いのはちょっと削っている役所も何かあるようですけれども、情報が公開されているわけです。そうすると、私たちも、なれ合うことなく読者、視聴者の目線できちんと質問をしないと、何だ報道機関、何やっているんだと、こういうふうに言われるわけです。民主社会においてはこうした情報公開こそが何よりも有権者の信頼を得る方策だと思います。
また、守秘義務に関して最高で懲役六か月の罰則がありますけれども、裁判官には罰則がありません。先週の衆議院の法務委員会で政府参考人は、裁判官には高度の職業倫理に基づく行動が期待できるとおっしゃっておられました。ただ、最近でも、職場にいる女性にストーカー行為をやったり、バスで隣り合わせになった女子大生の体を触ったりする裁判官が少数ながらいるわけであります。ちょうどこの裁判員制度導入を議論しておりました二〇〇一年二月ごろには、福岡高裁判事の妻の事件というのがございました。その際、福岡地検の次席検事が捜査情報を判事に流し、その判事の妻の証拠となる携帯電話が破棄されております。もちろん少数ではありますけれども、高度な職業倫理に基づく行動が期待できない人もいるわけであります。
それに、一回限りだからといって有権者には裁判員として高度な職業倫理が期待できないのでしょうか、上から目線で法律家の方々有権者を見下していないでしょうかということで、レジュメの一ページ、普通の人はばかか幼稚だというのが日本の司法制度の一種の前提となっているように思えると。イラストや漫画で制度を紹介し、無罪の推定さえ出てこない。刑事事件の容疑者になった人が自白調書を漫画でかかせてくださいと言い出したらどうなるか。ばかにするな、これは真剣な問題だ、まじめに仕事をしているんだと、こう検事に言われるだろうと。裁判員となる普通の人々は漫画や子供の絵本のような資料でないと理解できないと想定されているにもかかわらず、死刑とか無期懲役のような判断を強制されることの矛盾は大きいと。これは、コリン・P・A・ジョーンズさんという方が最近出された「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」という本に書かれております。
それから、裁判員制度反対派の方ですけれども、西野喜一さんという方が書かれた「裁判員制度の正体」には、義務教育修了だけを資格要件としてくじで無作為に選ばれた人たちのその場一回限りの判断が、専門的な資格と訓練があって何年もそういう仕事をやってきている裁判官の判断より最終的に常識的である、信頼できると思う人はいないのではないでしょうかと、こうお書きになっています。
結局は、法律家と有権者は違うんだという、これを上から目線とか私は呼んでいますけれども、あとこの冊子の中に、全国の弁護士会の会長さんに取材した結果を載せています。その中で、弁護士会長さんの中にははっきりと、市民の判断は信用できないからねとおっしゃる方もいらっしゃいました。こういう法律家の目線、上から目線ですが、これ本当に有権者がちゃんと判断できないのかといいますと、ここにちょっと書きましたけれども、昨年から始まった韓国の国民参与裁判。韓国は、日本国憲法と違って、憲法に裁判官による裁判を受ける権利というふうに明記されておりますので、裁判官と陪審員が別々に評議をやって結局は裁判官が判断するという制度になっておりますけれども、裁判官と陪審員の別々にやった評議の結果は実に五十九件のうち五十二件が一致しております。八八%、九〇%近くが一致しています。必ずしも専門家でなければ云々ということではないのではないかと思っています。
それに、裁判員法に例えば候補者の呼出し状などという言葉がありますけれども、これも非常に上から目線ではないかと思います。呼出し状をもらう有権者のことを考えて名付けられた名称なのかどうか非常に首をかしげております。
こういうことになりますと、評議に参加された裁判員の方が、どんなエリートか知らないけれども鼻持ちならない連中と評議なんかやってられるかと、こう思われる方も出てくるのではないかと心配しております。
連載の「裁判官の仕事」、「検察官の仕事」では、官僚手法と批判されてきた法律家の姿とともに、裁判員制度に向けて大きく変わりつつある法律家の姿を対比して書いております。もっともっと目線を下げていただければ、冒頭申し上げた民主主義を高めるという制度の意義も実現できるのではないかと考えております。
連載の「評議の行方」のところでは、模擬評議の様子をルポしておりますので、是非読んでいただければと思いますけれども、その際、罪に見合った刑を考えるべきで、犯罪被害者遺族の法廷証言に引きずられてはいけない、例えば天涯孤独の人が殺されたら遺族の法廷証言はないのだから不公平ではないかと言った裁判員役の方もいらっしゃいました。そこに載せました最高裁のアンケートでも、被害者の遺族が厳罰を求めて、裁判官は八〇%が考慮する、重くすると答えましたけれども、市民は実は半数の方がどちらでもないと。これはどういうことかと申しますと、生涯で一度、裁判員という公の立場で大事な仕事を果たそうとする有権者の真摯で冷静なお気持ちではないかと思っています。犯罪被害者の支援が非常に進みまして、裁判、公のはずの刑事裁判にやや私的な部分が持ち込まれているようなケースも散見されるのではないかと思っております。裁判員の方が公を意識して判断していただくことで、ここもまた少し影響があるのではないかと思っています。
お時間がなくなりました。
あと、少し載せましたのは、実は裁判官の方も予断を持っているよということで、三井昭さん、これ随分古い、一九八四年、死刑確定者の再審無罪が相次いでいたころに出た論文ですけれども、誤判が問題となった事件にはいわゆる重大事件が目立つ。どうしてなのかというと、裁判官も内心の圧力というものがあると。これは社会的に大きい重大な事件だ、軽々しく無罪にできないというように、普通の事件とは違った特別な意識が働く。それが内心の圧力となって証拠に対する判断に影響し、誤判を生み出すおそれがないとは言えないと、こう裁判官の方が書かれております。
裁判員の方から見ると、そもそも裁判員を務めること自体が大きなプレッシャーで、内心の圧力を感じられるかもしれませんけれども、感じると思いますけれども、事件の大小によっての違いは裁判官ほどではないのかなとも思ったりしています。
るる問題点を申し上げました。
ここにも書きましたけれども、裁判員制度を提言した司法制度改革審議会、委員十三人のうち法律家は六人にとどまっていました。非法律家が七人です。しかし、この制度の骨格を設計した裁判員制度・刑事検討会、ここは委員十一人のうち法律家以外は二人しかいらっしゃいません。つまり裁判員になれるのはこの方だけです。うち一人は今自治体の首長さんになられておりますので、実際は一人しか裁判員になれない。だから、裁判員になれない人が決めた制度の詳細であります。ですから、有権者の皆さんから選ばれた議会におきまして有権者のために十分配慮したものに修正していただくことが何よりも大切なのではないかと思います。
レジュメ最後に付けました。これは裁判員制度をめぐって事件報道による予断どうなのかということを言われまして、新聞協会の方で指針なども作って自主的な取組を続けています。これは共同通信の取組を、私たちの取組をまとめて書いたものです。今月号の「新聞研究」では朝毎読も含め各社の取組が紹介されていますので、是非お読みいただければと思っております。
報道に携わる私たちも、上から目線になることなく庶民の視線で取材を続けていかないと、やはり読者、視聴者の支持は得られないと、こう思っています。
私の申し上げたいことは以上であります。どうもありがとうございました。
この発言だけを見る →お手元に資料をお配りしました。まず最初に見ていただきたいのは、レジュメの三ページ目にあります古い新聞記事であります。これは一九二八年、昭和三年十月一日の東京朝日新聞の朝刊であります。「民意司法に反映して 立憲政治初めて整ふ」、「官僚の裁判から 国民参与の裁判へ」と、こういう見出しになっております。これは日本で陪審制度が始まった日の新聞であります。
民意司法に反映とか官僚の裁判からといった制度の意義に関する辺りは、実は来月二十一日の朝刊の見出しにも使われるかもしれません。実に八十一年前と同じ見出しの新聞を作らなきゃいけないわけで、それに対して非常に深く考えております。
それでは、その制度の意義ということを考える意味で、レジュメの一ページに戻りまして、釈迦に説法ではございますが、立法府は有権者が選挙で皆さんの、議員の方を選ばれています。行政に対しては情報公開制度あるいは不服申立て制度などがあります。有権者がチェックすることができます。司法には最高裁判事の国民審査といったものがありますけれども、実質的にはほとんど専門家に任せきりでやってきたわけです。それが裁判員制度によって有権者が直接司法に参加するということを考えますと、やはり日本の民主主義を高めるという大きな意義が裁判員制度にはあるのではないかと考えております。
問題点多々あります。これからるる制度の問題点申し上げますけれども、ともかくは制度をスタートさせ運用していく中で問題点を逐一直しながら有権者にとっていい制度にしていくことが必要ではないかと思っております。そして、裁判員制度が刑事裁判で軌道に乗れば、行政訴訟であるとか民事訴訟の一部にも拡大していってこの国の民主主義をより高めていくという意義を実現されるのがいいのではないかと思っております。
それでは、裁判員制度の問題点というか課題を挙げていきますが、お手元にお配りしたもう一つの冊子は、共同通信の社会部がおととしの十一月からほぼ原則毎月一回連載記事を出しております。目次御覧になっていただけばお分かりのように、「制度誕生の軌跡」から「参加への不安」、あるいは「制度異議あり」、「評議の行方」、「イタリアの知恵」、「日本人との相性」、「死刑の判断」、「情報の壁」、「変わるか取り調べ」、「弁護人の仕事」、「沖縄の経験」、「検察官の仕事」、「コリアンの挑戦」、「裁判官の仕事」などなど、それぞれ裁判員制度の持つ課題を探るという趣旨でやってきました。
今日は、この取材結果などを基に少しお話をしたいと思います。取材したのは法曹三者の皆さん、現職、元職の方もとより、模擬裁判に参加された全国各地の有権者の方々、制度に反対されている方々、あるいは制度設計にかかわった方、起訴されたけれども無罪になった人、あるいは死刑執行に立ち会った人などにも取材をしております。
目次にあるように、裁判員制度と似た参審制度を採用しているイタリアであるとか、昨年から陪審裁判を始めています韓国、あるいは復帰まで陪審裁判をやっていた沖縄でも取材をしております。
第二部の「参加への不安」というのがあると思いますが、模擬裁判に参加された方の感想などを見てみますと、レジュメの一ページにあるように、重要な判断をする自信がないですとか、殺人など悲惨な事件の審理にかかわるのは嫌だとか、そういう心理的不安がいかに大きいかというのがよく分かりました。仕事に支障があるからなりたくないという人はさほど多くありません。そこにあるように、世論調査でも三〇%程度にとどまっております。問題は心理的不安ということになると思います。
では、それはどうすれば和らげることができるかというと、私は情報公開しかないと思っています。司法の情報は余りにも公開されてきませんでした。法律家の皆さん、この委員会たくさんいらっしゃいますので、これは釈迦に説法でございますが、連載の第八部の「情報の壁」でも詳しく書きましたけれども、裁判を傍聴しても、専門用語が多かったり証拠も要旨を述べるだけで内容がよく分かりません。民事訴訟に至っては、訴状や準備書面は陳述しますというだけで要旨さえも告げられませんので、刑事裁判以上に傍聴しても何も分かりません。かつては法廷でメモを取ることさえ、傍聴人はメモを取ることさえ許されず、裁判の確定記録は今もなかなか見ることができないという状況にあります。
また、模擬裁判に参加された方からは、とにかく量刑が難しい、懲役と言われても刑務所で何をやっているか僕らは分からないんだから判断できないよというような声も聞きました。刑事政策全体が有権者によく理解されていないということを感じたわけです。やはりもっと情報を公開していかないと、裁判員の方々、大変苦労なさるんではないかと思います。
模擬裁判においては、リアリティーがないという理由で死刑の適否を本格的に論議するケースはありませんでした。模擬裁判参加者の中には、死刑をどうするか判断する事件をやらされたらつらいなとか、自分たちが死刑を言い渡した人が執行されたら後味が悪いなというような感想を漏らされた方もおられました。死刑についても、刑場を始め執行の手順をすべて公開していただいて、その上で有権者に死刑の判断をゆだねていただきたいと思います。また、判断される方の心理的不安を考えますと、死刑判決だけは裁判員と裁判官の全員一致を要件とすることも検討すべきではないでしょうか。
そこに失業率と刑法犯認知件数、何か唐突に載せましたけれども、これは一九九〇年、失業率二・一%のころに刑法犯の認知件数が百六十三万件ですと。失業率が五・四%になった二〇〇三年には刑法犯の認知件数は二百八十五万件に達したと。要は、仕事に困って、仕事がなくなって金に困って犯罪に走るケースが実は犯罪のほとんどであります。
特殊な犯罪者、もちろんいるでしょうけれども、大半は有権者が十分理解可能な、あるいは場合によっては明日は我が身の被告人であります。こうした社会の現実も、これは私たちどんどん報道しなきゃならないのですが、政府や裁判所におかれましても、もっと犯罪の現状というものを例えば経済状況と絡めながら分かりやすくお伝えいただければなと思います。
先ほど四宮先生もおっしゃっておられましたけれども、これも心理的不安に関係しますが、守秘義務であります。
最高裁のホームページには、裁判の公正やその信頼を確保するとともに、評議で裁判員や裁判官が自由な意見を言えるようにするためですと説明されております。確かに、だれが何を言ったか明らかになりますとだれも何か意見を言えなくなってしまいますので、この最高裁の説明の後段部分はよく分かります。ただ、その前段の、裁判の公正やその信頼を確保するというのであれば、アメリカの陪審制度のように、裁判終了後、個人情報などを除いて守秘義務を課さなければ、評議の内容を検証することは可能です。これこそが裁判の公正や信頼の確保につながると思っています。
先日、中川財務大臣が辞任される原因となりましたもうろう会見というのがありました。その際、どうして記者は酔っ払っているのではないかと質問しないのかということで厳しく批判をされました。昔なら中継されるもの以外なかなか記者会見の詳細というのは読者には分からなかったんですけれども、最近はネットで会見は中継されておりますし、場合によると役所のホームページには詳報が載ったりしています。都合の悪いのはちょっと削っている役所も何かあるようですけれども、情報が公開されているわけです。そうすると、私たちも、なれ合うことなく読者、視聴者の目線できちんと質問をしないと、何だ報道機関、何やっているんだと、こういうふうに言われるわけです。民主社会においてはこうした情報公開こそが何よりも有権者の信頼を得る方策だと思います。
また、守秘義務に関して最高で懲役六か月の罰則がありますけれども、裁判官には罰則がありません。先週の衆議院の法務委員会で政府参考人は、裁判官には高度の職業倫理に基づく行動が期待できるとおっしゃっておられました。ただ、最近でも、職場にいる女性にストーカー行為をやったり、バスで隣り合わせになった女子大生の体を触ったりする裁判官が少数ながらいるわけであります。ちょうどこの裁判員制度導入を議論しておりました二〇〇一年二月ごろには、福岡高裁判事の妻の事件というのがございました。その際、福岡地検の次席検事が捜査情報を判事に流し、その判事の妻の証拠となる携帯電話が破棄されております。もちろん少数ではありますけれども、高度な職業倫理に基づく行動が期待できない人もいるわけであります。
それに、一回限りだからといって有権者には裁判員として高度な職業倫理が期待できないのでしょうか、上から目線で法律家の方々有権者を見下していないでしょうかということで、レジュメの一ページ、普通の人はばかか幼稚だというのが日本の司法制度の一種の前提となっているように思えると。イラストや漫画で制度を紹介し、無罪の推定さえ出てこない。刑事事件の容疑者になった人が自白調書を漫画でかかせてくださいと言い出したらどうなるか。ばかにするな、これは真剣な問題だ、まじめに仕事をしているんだと、こう検事に言われるだろうと。裁判員となる普通の人々は漫画や子供の絵本のような資料でないと理解できないと想定されているにもかかわらず、死刑とか無期懲役のような判断を強制されることの矛盾は大きいと。これは、コリン・P・A・ジョーンズさんという方が最近出された「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」という本に書かれております。
それから、裁判員制度反対派の方ですけれども、西野喜一さんという方が書かれた「裁判員制度の正体」には、義務教育修了だけを資格要件としてくじで無作為に選ばれた人たちのその場一回限りの判断が、専門的な資格と訓練があって何年もそういう仕事をやってきている裁判官の判断より最終的に常識的である、信頼できると思う人はいないのではないでしょうかと、こうお書きになっています。
結局は、法律家と有権者は違うんだという、これを上から目線とか私は呼んでいますけれども、あとこの冊子の中に、全国の弁護士会の会長さんに取材した結果を載せています。その中で、弁護士会長さんの中にははっきりと、市民の判断は信用できないからねとおっしゃる方もいらっしゃいました。こういう法律家の目線、上から目線ですが、これ本当に有権者がちゃんと判断できないのかといいますと、ここにちょっと書きましたけれども、昨年から始まった韓国の国民参与裁判。韓国は、日本国憲法と違って、憲法に裁判官による裁判を受ける権利というふうに明記されておりますので、裁判官と陪審員が別々に評議をやって結局は裁判官が判断するという制度になっておりますけれども、裁判官と陪審員の別々にやった評議の結果は実に五十九件のうち五十二件が一致しております。八八%、九〇%近くが一致しています。必ずしも専門家でなければ云々ということではないのではないかと思っています。
それに、裁判員法に例えば候補者の呼出し状などという言葉がありますけれども、これも非常に上から目線ではないかと思います。呼出し状をもらう有権者のことを考えて名付けられた名称なのかどうか非常に首をかしげております。
こういうことになりますと、評議に参加された裁判員の方が、どんなエリートか知らないけれども鼻持ちならない連中と評議なんかやってられるかと、こう思われる方も出てくるのではないかと心配しております。
連載の「裁判官の仕事」、「検察官の仕事」では、官僚手法と批判されてきた法律家の姿とともに、裁判員制度に向けて大きく変わりつつある法律家の姿を対比して書いております。もっともっと目線を下げていただければ、冒頭申し上げた民主主義を高めるという制度の意義も実現できるのではないかと考えております。
連載の「評議の行方」のところでは、模擬評議の様子をルポしておりますので、是非読んでいただければと思いますけれども、その際、罪に見合った刑を考えるべきで、犯罪被害者遺族の法廷証言に引きずられてはいけない、例えば天涯孤独の人が殺されたら遺族の法廷証言はないのだから不公平ではないかと言った裁判員役の方もいらっしゃいました。そこに載せました最高裁のアンケートでも、被害者の遺族が厳罰を求めて、裁判官は八〇%が考慮する、重くすると答えましたけれども、市民は実は半数の方がどちらでもないと。これはどういうことかと申しますと、生涯で一度、裁判員という公の立場で大事な仕事を果たそうとする有権者の真摯で冷静なお気持ちではないかと思っています。犯罪被害者の支援が非常に進みまして、裁判、公のはずの刑事裁判にやや私的な部分が持ち込まれているようなケースも散見されるのではないかと思っております。裁判員の方が公を意識して判断していただくことで、ここもまた少し影響があるのではないかと思っています。
お時間がなくなりました。
あと、少し載せましたのは、実は裁判官の方も予断を持っているよということで、三井昭さん、これ随分古い、一九八四年、死刑確定者の再審無罪が相次いでいたころに出た論文ですけれども、誤判が問題となった事件にはいわゆる重大事件が目立つ。どうしてなのかというと、裁判官も内心の圧力というものがあると。これは社会的に大きい重大な事件だ、軽々しく無罪にできないというように、普通の事件とは違った特別な意識が働く。それが内心の圧力となって証拠に対する判断に影響し、誤判を生み出すおそれがないとは言えないと、こう裁判官の方が書かれております。
裁判員の方から見ると、そもそも裁判員を務めること自体が大きなプレッシャーで、内心の圧力を感じられるかもしれませんけれども、感じると思いますけれども、事件の大小によっての違いは裁判官ほどではないのかなとも思ったりしています。
るる問題点を申し上げました。
ここにも書きましたけれども、裁判員制度を提言した司法制度改革審議会、委員十三人のうち法律家は六人にとどまっていました。非法律家が七人です。しかし、この制度の骨格を設計した裁判員制度・刑事検討会、ここは委員十一人のうち法律家以外は二人しかいらっしゃいません。つまり裁判員になれるのはこの方だけです。うち一人は今自治体の首長さんになられておりますので、実際は一人しか裁判員になれない。だから、裁判員になれない人が決めた制度の詳細であります。ですから、有権者の皆さんから選ばれた議会におきまして有権者のために十分配慮したものに修正していただくことが何よりも大切なのではないかと思います。
レジュメ最後に付けました。これは裁判員制度をめぐって事件報道による予断どうなのかということを言われまして、新聞協会の方で指針なども作って自主的な取組を続けています。これは共同通信の取組を、私たちの取組をまとめて書いたものです。今月号の「新聞研究」では朝毎読も含め各社の取組が紹介されていますので、是非お読みいただければと思っております。
報道に携わる私たちも、上から目線になることなく庶民の視線で取材を続けていかないと、やはり読者、視聴者の支持は得られないと、こう思っています。
私の申し上げたいことは以上であります。どうもありがとうございました。
澤
千
千葉景子#11
○千葉景子君 民主党・新緑風会・国民新・日本の千葉景子でございます。
今日は、三人の参考人の皆さんに大変、改めて裁判員制度の意義を私も思い起こさせていただくそんな参考意見をちょうだいをして、心から御礼を申し上げたいと思います。
私も基本的には、この裁判員制度、あと一か月余りで施行されるということになりますけれども、基本的には賛成の立場で、是非実りあるものに育っていってほしいと、こう思っている一人でございます。
ただ、今日話を改めて伺って、この裁判員制度、司法制度改革を含めて、議論をさせていただいたときから施行に至る今日までの間、私たちは多少やるべきことを怠ってきた部分もあったのではないかな、こんな気がいたします。これからそれをしっかりとまた積み重ねて、多くの皆さんが主権者としてしっかりと社会を支えていく、そういう大きな役割を果たしていただけるような、そういう方向にしていかなければいけないというふうに思っております。
そこでなんですけれども、今、竹田参考人から私はお話を伺ったことが非常に印象深いんですけれども、上から目線というお話がございました。
この間、この裁判員制度の意義、これは大澤参考人からも四宮参考人からもお話をいただいて、私はほぼそのとおりだろうというふうに思っております。ただ、この間、どうもその本当の意味の意義、これをきちっと国民の皆さんに伝えていたのだろうか、どうも上から目線で、国民にとって大変なことなんだから、なるべくこれは、負担が少ないことなんだとか、あるいは簡単なことなんだとか楽なことなんだ、こういうことを強調余りにもし過ぎてきたのではないかというふうに思うんです。
むしろ、これは大変な国民として主権者として重いことなんだ、むしろそれをきちっと伝える、そして情報も、司法の情報というのを十分に伝えていく、こういうことによって、私は、この施行するまでの間で随分国民の皆さんの理解とかあるいは裁判員制度に対する思いというものがむしろもっと積極的な、変わってきたのではないかと、こんなふうに思うのですけれども。
その辺について、当初からこの裁判員制度に携わってきた四宮参考人、そして竹田参考人にも改めてこの辺の、この間の本当に裁判員制度を国民の皆さんとどうやって共有をしていくかという辺りの問題点というのはなかったのだろうか。確かに、何か本当に漫画本みたいのばっかりが出回ったような、そういう感じもいたします。その辺について御意見がございますればお聞かせいただきたいと思います。
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私も基本的には、この裁判員制度、あと一か月余りで施行されるということになりますけれども、基本的には賛成の立場で、是非実りあるものに育っていってほしいと、こう思っている一人でございます。
ただ、今日話を改めて伺って、この裁判員制度、司法制度改革を含めて、議論をさせていただいたときから施行に至る今日までの間、私たちは多少やるべきことを怠ってきた部分もあったのではないかな、こんな気がいたします。これからそれをしっかりとまた積み重ねて、多くの皆さんが主権者としてしっかりと社会を支えていく、そういう大きな役割を果たしていただけるような、そういう方向にしていかなければいけないというふうに思っております。
そこでなんですけれども、今、竹田参考人から私はお話を伺ったことが非常に印象深いんですけれども、上から目線というお話がございました。
この間、この裁判員制度の意義、これは大澤参考人からも四宮参考人からもお話をいただいて、私はほぼそのとおりだろうというふうに思っております。ただ、この間、どうもその本当の意味の意義、これをきちっと国民の皆さんに伝えていたのだろうか、どうも上から目線で、国民にとって大変なことなんだから、なるべくこれは、負担が少ないことなんだとか、あるいは簡単なことなんだとか楽なことなんだ、こういうことを強調余りにもし過ぎてきたのではないかというふうに思うんです。
むしろ、これは大変な国民として主権者として重いことなんだ、むしろそれをきちっと伝える、そして情報も、司法の情報というのを十分に伝えていく、こういうことによって、私は、この施行するまでの間で随分国民の皆さんの理解とかあるいは裁判員制度に対する思いというものがむしろもっと積極的な、変わってきたのではないかと、こんなふうに思うのですけれども。
その辺について、当初からこの裁判員制度に携わってきた四宮参考人、そして竹田参考人にも改めてこの辺の、この間の本当に裁判員制度を国民の皆さんとどうやって共有をしていくかという辺りの問題点というのはなかったのだろうか。確かに、何か本当に漫画本みたいのばっかりが出回ったような、そういう感じもいたします。その辺について御意見がございますればお聞かせいただきたいと思います。
澤
四
四宮啓#13
○参考人(四宮啓君) 御質問ありがとうございました。
私自身も、今までの広報、これはそれなりに一生懸命やってきてくれていたと思いますが、私の一番気になっていたのは、今、千葉先生御指摘の、いや、そんな難しいことじゃないんですよ、三日で終わるんですよというような部分です。必ずしもそういうものだと広報してきたわけではないとは思いますけれども、そこが大分強調されてきたというか独り歩きしてきた部分があったと思います。
今御指摘のとおり、これは実は大変なことなんですね。特に国民に一つの刑事裁判に参加をしていただいて判断をしていただくと、これは大変なことなんです。だから、むしろ大変だから来てくださいと言うべきであろうと思います。
なぜじゃ大変なのに来てもらうか。それは皆さんが主人公だからです。社会の主人公だからです。社会の一大事だから来てください、大変だけれどもやりがいのあるものにします、我々法律家はやりがいのある裁判をやりますから、来て御意見を下さいと言うべきだったと思います。
実は、これは、じゃ例えばアメリカなどで陪審員たちは最初からやりがいを感じてきているかというと、実はそうではないんですね。やはり日本のこのアンケートが示すのと同じようにやりたくない人が圧倒的に多いです。ですから、陪審裁判で選ばれてしまうと、もう天を仰いだりするわけです。しかし、それで陪審員の仕事が終わる、終わったときにどうなるかというと、非常にやりがいのある仕事であった、私たちは社会に対して責任を負っているということがよく分かった、私の残りの人生に大きな影響を与えるだろうと語る方が多いです。
そういう部分を、ですから、やってみないと分からない部分はあるのかもしれません。しかし、今、千葉先生御指摘のように、この制度の本当に重要な部分、そしてそれが私たち一人一人のこれからの人生にも私たちの社会にも大事なんだということをきっちり伝えていく必要があると私も思います。
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今御指摘のとおり、これは実は大変なことなんですね。特に国民に一つの刑事裁判に参加をしていただいて判断をしていただくと、これは大変なことなんです。だから、むしろ大変だから来てくださいと言うべきであろうと思います。
なぜじゃ大変なのに来てもらうか。それは皆さんが主人公だからです。社会の主人公だからです。社会の一大事だから来てください、大変だけれどもやりがいのあるものにします、我々法律家はやりがいのある裁判をやりますから、来て御意見を下さいと言うべきだったと思います。
実は、これは、じゃ例えばアメリカなどで陪審員たちは最初からやりがいを感じてきているかというと、実はそうではないんですね。やはり日本のこのアンケートが示すのと同じようにやりたくない人が圧倒的に多いです。ですから、陪審裁判で選ばれてしまうと、もう天を仰いだりするわけです。しかし、それで陪審員の仕事が終わる、終わったときにどうなるかというと、非常にやりがいのある仕事であった、私たちは社会に対して責任を負っているということがよく分かった、私の残りの人生に大きな影響を与えるだろうと語る方が多いです。
そういう部分を、ですから、やってみないと分からない部分はあるのかもしれません。しかし、今、千葉先生御指摘のように、この制度の本当に重要な部分、そしてそれが私たち一人一人のこれからの人生にも私たちの社会にも大事なんだということをきっちり伝えていく必要があると私も思います。
竹
竹田昌弘#14
○参考人(竹田昌弘君) 今、四宮先生おっしゃったとおりだと思います。連載では、実は、大変ですよ、大変ですよ、本当に大変ですよと次から次へと実は書いてきたので、易しいものというふうには書いてきておりません。それは先ほどの世論調査のお話、そこレジュメの一ページ目にありますように、実は心理的不安というのは非常に大きくて、物理的な問題よりもはるかに心理的不安が大きいと。しかしながら、その裁判所も政府においても、とにかく参加してもらうことをまず第一に考えて、いろいろ漫画、イラストもそうですけれども、内容について余りきちっと紹介されてこなかった。
例えば、今、四宮先生おっしゃったアメリカであろうが、私ども今イタリアと韓国の例を、あるいは沖縄の昔の例を記事にしましたけれども、アメリカ、イギリス、どこでもやっているわけです。かなりの国で市民は裁判に参加しているんですけれども、そういうことを紹介ほとんどしていないんですね。それはなぜかなと。分かりませんけれども、もしかすると裁判員制度の違いを余りに分かってもらうと困るからかどうか知りませんけれども、もっともっと海外の例も紹介しながら、今、四宮先生がおっしゃったように意義の部分を強調すれば、もう少し本当の意味での参加意識、意欲みたいなものも出てくるのではないかと。
最高検察庁がつい先ごろか何かまとめた統計では、実際に裁判の傍聴に来られたり模擬裁判に来られた方に聞くと、かなりの方が裁判員裁判に参加したいとお話になっているようですので、実際に本当に体験されればまた参加意欲みたいなものは全然違うのではないかと思います。
この発言だけを見る →例えば、今、四宮先生おっしゃったアメリカであろうが、私ども今イタリアと韓国の例を、あるいは沖縄の昔の例を記事にしましたけれども、アメリカ、イギリス、どこでもやっているわけです。かなりの国で市民は裁判に参加しているんですけれども、そういうことを紹介ほとんどしていないんですね。それはなぜかなと。分かりませんけれども、もしかすると裁判員制度の違いを余りに分かってもらうと困るからかどうか知りませんけれども、もっともっと海外の例も紹介しながら、今、四宮先生がおっしゃったように意義の部分を強調すれば、もう少し本当の意味での参加意識、意欲みたいなものも出てくるのではないかと。
最高検察庁がつい先ごろか何かまとめた統計では、実際に裁判の傍聴に来られたり模擬裁判に来られた方に聞くと、かなりの方が裁判員裁判に参加したいとお話になっているようですので、実際に本当に体験されればまた参加意欲みたいなものは全然違うのではないかと思います。
千
千葉景子#15
○千葉景子君 ありがとうございます。
ところで、今のように大変なことでは私もあると思うんですね。ただ、そうはいっても、やっぱり普通に生活をしている皆さんに過大な負担を掛けてはならないということで、できるだけ負担の軽減ということは考えていかなければいけない。しかし、それは一方において、今指摘をされているように、被告人の権利とか防御権、こういうものとある意味では相矛盾する部分があるのではないかと、こういう指摘もされて、これもなるほどという、本当に難しい問題だというふうに私は思っております。
そこで、大澤参考人、今日は大変分かりやすく整理をいただきまして、こういう問題について、例えば起訴前の国選弁護、こういうものが整備をされた、あるいは公判前整理手続の中で証拠の開示というのも大分進むようになったと、こういうお話がございました。私も随分変わってきたものだというふうには思います。
ただ、本当にそれだけでこの矛盾というのは解消されるのかというと、なかなか難しいところで、例えば保釈の問題とか、それから証拠開示も先ほど御説明がありましたのでそこはそう受け止めさせていただきますけれども、例えば取調べ状況を録音、録画するとか、そういう問題などもやはり防御権を保障する、片方ではできるだけ負担を軽減をする、こういうものを、相矛盾するところを解消する意味では重要なポイントではないかというふうに思うんですけれども、その辺りについて大澤参考人はどのように評価をされておられるでしょうか。
この発言だけを見る →ところで、今のように大変なことでは私もあると思うんですね。ただ、そうはいっても、やっぱり普通に生活をしている皆さんに過大な負担を掛けてはならないということで、できるだけ負担の軽減ということは考えていかなければいけない。しかし、それは一方において、今指摘をされているように、被告人の権利とか防御権、こういうものとある意味では相矛盾する部分があるのではないかと、こういう指摘もされて、これもなるほどという、本当に難しい問題だというふうに私は思っております。
そこで、大澤参考人、今日は大変分かりやすく整理をいただきまして、こういう問題について、例えば起訴前の国選弁護、こういうものが整備をされた、あるいは公判前整理手続の中で証拠の開示というのも大分進むようになったと、こういうお話がございました。私も随分変わってきたものだというふうには思います。
ただ、本当にそれだけでこの矛盾というのは解消されるのかというと、なかなか難しいところで、例えば保釈の問題とか、それから証拠開示も先ほど御説明がありましたのでそこはそう受け止めさせていただきますけれども、例えば取調べ状況を録音、録画するとか、そういう問題などもやはり防御権を保障する、片方ではできるだけ負担を軽減をする、こういうものを、相矛盾するところを解消する意味では重要なポイントではないかというふうに思うんですけれども、その辺りについて大澤参考人はどのように評価をされておられるでしょうか。
大
大澤裕#16
○参考人(大澤裕君) 御指摘のとおり、裁判が速くなるということによって、それが拙速になるということは非常に問題があるということだろうと思います。従来の刑事裁判の下、かつての刑事裁判では、やはり当事者の間の力関係というのが非常に大きく離れていたということで、その点なかなか難しく、現実にもその点で時間が掛かってきたという側面もあったのだろうと思います。そういう中でいろんな制度が整えられたということは先ほど申し上げたとおりです。
保釈につきましても、いろいろこれは実務的には御努力がされているところだと思います。逃亡又は罪証隠滅のおそれがあるときに勾留をするということは、これはまた致し方ない側面もあるわけで、その中で、本来保釈が権利となっているというところとその勾留の目的を害さないようにいかにバランスを取りながらやっていくかというところだと思います。特に逃亡のおそれについてはいろいろなまた方法というのもひょっとしたら考え得るのかもしれませんが、なかなか罪証隠滅のおそれをうまくコントロールする方法というのは難しいところがあるようにも思うわけです。
ただ、そういう中で、公判前整理手続というものが入って、主張と証拠の整理がされていくことによって罪証隠滅のおそれというものが従来よりもより具体的に判断しやすくなってきて、それが多少保釈が増える方向の判断につながっているのかなという認識はございます。その辺りは、更にそういう公判前整理手続等の実績も踏まえながら御努力をいただくのが望ましいのかというふうに思います。
それから、取調べ状況任意性の立証につきましては、これはなかなか従来からやはり経緯があって動かなかった問題でありますけれども、裁判員が一つの起爆剤となって、一部という形ではありますが、録画というものが運用されるようになるということでございます。
それは一部ということで、否認から自白に転じるという一番ポイントの部分がないというのは、これはおっしゃるとおりかもしれません。ただし、運用されているもので最後の調書を取るところが録画され、かつなぜ自白をしたのか、そのときの状況等も、これは不利益が出てもすべて録画するということになっておりますので、そういう意味では、取調べ過程の適正について手掛かりを残すという意味では大きな意味を持っていると思います。
もちろん、それだけでは弱いかもしれませんが、被疑者の国選弁護もあり、また取調べ状況の記録ということもあります。その辺りは弁護人の着実な御努力と併せていくと相当なところまでやれるのではないかという気もいたしております。
この発言だけを見る →保釈につきましても、いろいろこれは実務的には御努力がされているところだと思います。逃亡又は罪証隠滅のおそれがあるときに勾留をするということは、これはまた致し方ない側面もあるわけで、その中で、本来保釈が権利となっているというところとその勾留の目的を害さないようにいかにバランスを取りながらやっていくかというところだと思います。特に逃亡のおそれについてはいろいろなまた方法というのもひょっとしたら考え得るのかもしれませんが、なかなか罪証隠滅のおそれをうまくコントロールする方法というのは難しいところがあるようにも思うわけです。
ただ、そういう中で、公判前整理手続というものが入って、主張と証拠の整理がされていくことによって罪証隠滅のおそれというものが従来よりもより具体的に判断しやすくなってきて、それが多少保釈が増える方向の判断につながっているのかなという認識はございます。その辺りは、更にそういう公判前整理手続等の実績も踏まえながら御努力をいただくのが望ましいのかというふうに思います。
それから、取調べ状況任意性の立証につきましては、これはなかなか従来からやはり経緯があって動かなかった問題でありますけれども、裁判員が一つの起爆剤となって、一部という形ではありますが、録画というものが運用されるようになるということでございます。
それは一部ということで、否認から自白に転じるという一番ポイントの部分がないというのは、これはおっしゃるとおりかもしれません。ただし、運用されているもので最後の調書を取るところが録画され、かつなぜ自白をしたのか、そのときの状況等も、これは不利益が出てもすべて録画するということになっておりますので、そういう意味では、取調べ過程の適正について手掛かりを残すという意味では大きな意味を持っていると思います。
もちろん、それだけでは弱いかもしれませんが、被疑者の国選弁護もあり、また取調べ状況の記録ということもあります。その辺りは弁護人の着実な御努力と併せていくと相当なところまでやれるのではないかという気もいたしております。
千
千葉景子#17
○千葉景子君 もう余り時間がございませんので、あと一点聞かせていただきます。
皆さんにと思うんですけれども、改めてちょっと四宮参考人にお聞かせをいただきたいと思います。
先ほどもお話がありましたように、やっぱりこの裁判員制度、経験をした人がそれをいろんな形で社会に還元をし共有をしていくということが大変大事だというふうに思うので、それとの関連で守秘義務、この扱いについてはどんなふうにお考えなのか。そして、この制度はいずれにしても長い目で考えていく問題なんだろうと。どんなやっぱりこれが社会を変容させていくのだろうかな、そんなことも併せてお考えを聞かせていただければというふうに思っております。
この発言だけを見る →皆さんにと思うんですけれども、改めてちょっと四宮参考人にお聞かせをいただきたいと思います。
先ほどもお話がありましたように、やっぱりこの裁判員制度、経験をした人がそれをいろんな形で社会に還元をし共有をしていくということが大変大事だというふうに思うので、それとの関連で守秘義務、この扱いについてはどんなふうにお考えなのか。そして、この制度はいずれにしても長い目で考えていく問題なんだろうと。どんなやっぱりこれが社会を変容させていくのだろうかな、そんなことも併せてお考えを聞かせていただければというふうに思っております。
四
四宮啓#18
○参考人(四宮啓君) ありがとうございます。
御指摘のとおり、先ほど私も述べさせていただきましたが、裁判員の経験、これを社会で共有していくことが最もこの制度を良くしていくためにも必要だし、また一番の広報になると思います。いろいろ苦労して務めたけれどもすごくやりがいがあったよと言ってくれれば、まあ有名な女優さんを使うのも効果はあるかもしれませんけれども、そういった経験者の声が最もいい広報になるんだと思っています。
そのために考えなきゃいけないのは御指摘の守秘義務ですけれども、この守秘義務を導入することは、この制度を新たにつくる上では一つの通るべきところであったと私は思います。ただ、その本来の趣旨、つまりプライバシーですとかそれから自由な評議を確保するという点でいくと少し範囲が広いように私はずっと思っておりました。
例えば、アメリカの陪審員たちは守秘義務が先ほど御紹介ありましたように一切ないわけですけれども、じゃ、彼らはべらべらべらべらしゃべっているかというと、実はそうではないんですね。評議の中でだれが何を言ったかと、今回は日本の裁判員にも守秘義務のコアの部分ですけれども、そこは裁判員たちもしゃべらないです。なぜかというと、これをしゃべってしまうと、後から陪審員を務める国民が二の足を踏むからです。
裁判官の中からもそういう要請をする人もいることはいますけれども、そうだとすると、義務があろうとなかろうと、共に一つの目的に向かって仕事をした人たちの中で言っていいことと悪いことというのはおのずと分かる範囲があると思います。その範囲を破ったときには私は守秘義務に対して責任を問うのもやむを得ないと思いますけれども、それ以外の部分であれば、なるべく運用としては、守秘義務違反ということを問う運用は制限的に、謙抑的にしていく必要があると思います。
しかし、先ほど申し上げたように、評議の中の部分というのは、これはだれも検証ができませんので、スタートの時点ではそこもやはり検証対象に、いろいろな皆様のお知恵を絞っていただいて、その上で、法的なクリアをした上で検証の対象に是非してほしいというふうに思っております。
この発言だけを見る →御指摘のとおり、先ほど私も述べさせていただきましたが、裁判員の経験、これを社会で共有していくことが最もこの制度を良くしていくためにも必要だし、また一番の広報になると思います。いろいろ苦労して務めたけれどもすごくやりがいがあったよと言ってくれれば、まあ有名な女優さんを使うのも効果はあるかもしれませんけれども、そういった経験者の声が最もいい広報になるんだと思っています。
そのために考えなきゃいけないのは御指摘の守秘義務ですけれども、この守秘義務を導入することは、この制度を新たにつくる上では一つの通るべきところであったと私は思います。ただ、その本来の趣旨、つまりプライバシーですとかそれから自由な評議を確保するという点でいくと少し範囲が広いように私はずっと思っておりました。
例えば、アメリカの陪審員たちは守秘義務が先ほど御紹介ありましたように一切ないわけですけれども、じゃ、彼らはべらべらべらべらしゃべっているかというと、実はそうではないんですね。評議の中でだれが何を言ったかと、今回は日本の裁判員にも守秘義務のコアの部分ですけれども、そこは裁判員たちもしゃべらないです。なぜかというと、これをしゃべってしまうと、後から陪審員を務める国民が二の足を踏むからです。
裁判官の中からもそういう要請をする人もいることはいますけれども、そうだとすると、義務があろうとなかろうと、共に一つの目的に向かって仕事をした人たちの中で言っていいことと悪いことというのはおのずと分かる範囲があると思います。その範囲を破ったときには私は守秘義務に対して責任を問うのもやむを得ないと思いますけれども、それ以外の部分であれば、なるべく運用としては、守秘義務違反ということを問う運用は制限的に、謙抑的にしていく必要があると思います。
しかし、先ほど申し上げたように、評議の中の部分というのは、これはだれも検証ができませんので、スタートの時点ではそこもやはり検証対象に、いろいろな皆様のお知恵を絞っていただいて、その上で、法的なクリアをした上で検証の対象に是非してほしいというふうに思っております。
千
丸
丸山和也#20
○丸山和也君 自由民主党の丸山和也です。よろしくお願いします。
基本的に三名の参考人に同じようにお聞きしたいと思っていますけれども、先ほど竹田さんからの昭和三年のですか、新聞記事を見せられて、驚いたというか面白いなと思ったんですけれども。時代は違いますけれども、ほとんど今の裁判員制度を評価するというか、その意義を言っていることと全く同じことを言っているんですね、これ、八十年ぐらい前ですか。それで、いわゆる、眼目は従来の官僚裁判から革新して国民をして司法に参与せしめて民意を司法に反映すると、これが、ここでは立憲政治といいましたけれども、今では民主政治の発展につながるんだと、ほとんどうり二つと言って間違いないと思うんですね。
ところが、これは、しばらくやったけれども余り芳しくなくて、あるいは自然に衰退していって、事実上これ終わってしまったわけなんですけれども、この失敗というか、これが続かなかったこの歴史と、今回、裁判員制度が導入されてどう歩んでいくんだろうかということは非常に関心があるわけですね。やっぱり歴史はある意味で繰り返すということもありますし、それと、弁護士会あるいは法曹界の中でも、この裁判員制度は阻止しなきゃならないというかなりの意見の方もおられまして、ただもう制度としてはスタートしてしまうからこれは仕方ないけれども、スタートした後、それを検証する過程で廃止の方向に持っていくべきだという意見もかなりあるんですけれども、こういうことについて、裁判員制度はそもそも適用が刑事裁判の一部ですね、をスタートして、その後、全体に広げるのか、あるいは民事裁判にも適用するのか、こういうこともまだはっきりしないんですけれども、取りあえず一部分的にスタートするという、こういう非常にテスト的なスタートになっているんですけれども、こういうことと、戦前の歴史を踏まえて、かつてのやつがどうしてじゃ成功しなかったのか、今回はどういう希望があるのか、ここら辺、大澤参考人、四宮参考人、竹田参考人から簡潔にいただいたら、どういう感想を持っておられるかということで結構なんですけれども、御意見を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →基本的に三名の参考人に同じようにお聞きしたいと思っていますけれども、先ほど竹田さんからの昭和三年のですか、新聞記事を見せられて、驚いたというか面白いなと思ったんですけれども。時代は違いますけれども、ほとんど今の裁判員制度を評価するというか、その意義を言っていることと全く同じことを言っているんですね、これ、八十年ぐらい前ですか。それで、いわゆる、眼目は従来の官僚裁判から革新して国民をして司法に参与せしめて民意を司法に反映すると、これが、ここでは立憲政治といいましたけれども、今では民主政治の発展につながるんだと、ほとんどうり二つと言って間違いないと思うんですね。
ところが、これは、しばらくやったけれども余り芳しくなくて、あるいは自然に衰退していって、事実上これ終わってしまったわけなんですけれども、この失敗というか、これが続かなかったこの歴史と、今回、裁判員制度が導入されてどう歩んでいくんだろうかということは非常に関心があるわけですね。やっぱり歴史はある意味で繰り返すということもありますし、それと、弁護士会あるいは法曹界の中でも、この裁判員制度は阻止しなきゃならないというかなりの意見の方もおられまして、ただもう制度としてはスタートしてしまうからこれは仕方ないけれども、スタートした後、それを検証する過程で廃止の方向に持っていくべきだという意見もかなりあるんですけれども、こういうことについて、裁判員制度はそもそも適用が刑事裁判の一部ですね、をスタートして、その後、全体に広げるのか、あるいは民事裁判にも適用するのか、こういうこともまだはっきりしないんですけれども、取りあえず一部分的にスタートするという、こういう非常にテスト的なスタートになっているんですけれども、こういうことと、戦前の歴史を踏まえて、かつてのやつがどうしてじゃ成功しなかったのか、今回はどういう希望があるのか、ここら辺、大澤参考人、四宮参考人、竹田参考人から簡潔にいただいたら、どういう感想を持っておられるかということで結構なんですけれども、御意見を伺いたいと思います。
大
大澤裕#21
○参考人(大澤裕君) かつての陪審法でございますけれども、これについてはいろいろな研究等もございますが、なぜうまくいかなかったのかという点については、制度的にもいろいろな問題があったということが指摘をされておるところでございます。
一つは、これは放棄が認められるあるいは選択制になっているというようなところがございました。そういう状況の下で、放棄をしないあるいは選択をするということは、職業裁判官の裁判に対するある種の不信を意味するように取られかねない、被告人・弁護人側からはなかなか選びにくいというところがあったということが言われております。また、更新という制度がございまして、陪審の判断について問題があるというふうに考えた場合には、裁判官は、自分の判断をそのまますることはできませんが、陪審を改めてもう一度やり直すということができておりました。さらに、あと控訴審等がなくなるということもあったわけでございます。
そういう中で、陪審を選択するということが非常に難しいというか、心理的に選びにくいということがあった。それがもう一つ戦争の時期と重なったというようなこともあって、次第に振るわなくなった制度的な理由として一つ考えられるのではないかということが言われております。
したがって、この例というのが、今後国民参加がうまくいくかどうかということについて、直ちに何かここからうまくいかないのではないかというようなことはやや短絡的ではないかというふうに考えておる次第でございます。
この発言だけを見る →一つは、これは放棄が認められるあるいは選択制になっているというようなところがございました。そういう状況の下で、放棄をしないあるいは選択をするということは、職業裁判官の裁判に対するある種の不信を意味するように取られかねない、被告人・弁護人側からはなかなか選びにくいというところがあったということが言われております。また、更新という制度がございまして、陪審の判断について問題があるというふうに考えた場合には、裁判官は、自分の判断をそのまますることはできませんが、陪審を改めてもう一度やり直すということができておりました。さらに、あと控訴審等がなくなるということもあったわけでございます。
そういう中で、陪審を選択するということが非常に難しいというか、心理的に選びにくいということがあった。それがもう一つ戦争の時期と重なったというようなこともあって、次第に振るわなくなった制度的な理由として一つ考えられるのではないかということが言われております。
したがって、この例というのが、今後国民参加がうまくいくかどうかということについて、直ちに何かここからうまくいかないのではないかというようなことはやや短絡的ではないかというふうに考えておる次第でございます。
四
四宮啓#22
○参考人(四宮啓君) ありがとうございます。
実はこの陪審制、今一つ大澤参考人から制度の問題が指摘されましたけれども、私がもう一つ大きな原因と考えていますのは、社会の在り方、国の在り方です。
陪審法が施行された昭和三年、一九二八年ですけれども、それ以降、もうこれは皆様御案内のとおり、日本は軍国主義、戦争への道を走っていった。陪審法の誕生がその後の日本のあの軍国主義の時代と全く重なってしまったということが大変不幸なことだったと私は思っております。
今度の制度ですけれども、私が決定的に違うと思うのはやっぱり国民の意識です。
実は陪審法は戦後、戦争が終わったら復活するということが陪審法ノ停止ニ関スル法律という法律の附則に明記をされておりましたけれども、実は戦後六十年間、復活が果たされなかったわけですね。しかし、じゃ国会で全く議論がなかったかというと、実は、ここに市川房枝先生の肖像画がありますけれども、市川房枝先生が質問されるなど、年に一回ぐらいずつ国会で審議をされてきた経過があります。しかし、残念ながら、国民の関心を呼ぶところとはなりませんでした。また、それはまた無理もなかった面もあったかもしれません。しかし、今は、この時代は国民がやっぱり社会に参加していこうという意識が大変強くなってきていると思います。
ちょっと一つ戻りまして、陪審法の、さっきの、が停止になった理由ですけれども、実は陪審法だけが停止になったわけではありません。もうこれは先生方御案内のとおり、民主的な制度すべてが窒息をしたわけでして、陪審制だけが国民に向かないから、日本国民に向かないから停止をされたというのではないと私は思っております。
それで、日本の今の社会状況、国民の意識を考えますと、当時とは全く質が違っているというふうに思います。むしろ、今こそ日本の民主主義に最後埋まっていなかった民主主義のピース、立法、行政は埋められていました、しかし司法のだけは民主主義のピースが落ちていたわけで、そこにこれがはめ込まれることによって日本の民主主義は完成するというふうに思います。
この発言だけを見る →実はこの陪審制、今一つ大澤参考人から制度の問題が指摘されましたけれども、私がもう一つ大きな原因と考えていますのは、社会の在り方、国の在り方です。
陪審法が施行された昭和三年、一九二八年ですけれども、それ以降、もうこれは皆様御案内のとおり、日本は軍国主義、戦争への道を走っていった。陪審法の誕生がその後の日本のあの軍国主義の時代と全く重なってしまったということが大変不幸なことだったと私は思っております。
今度の制度ですけれども、私が決定的に違うと思うのはやっぱり国民の意識です。
実は陪審法は戦後、戦争が終わったら復活するということが陪審法ノ停止ニ関スル法律という法律の附則に明記をされておりましたけれども、実は戦後六十年間、復活が果たされなかったわけですね。しかし、じゃ国会で全く議論がなかったかというと、実は、ここに市川房枝先生の肖像画がありますけれども、市川房枝先生が質問されるなど、年に一回ぐらいずつ国会で審議をされてきた経過があります。しかし、残念ながら、国民の関心を呼ぶところとはなりませんでした。また、それはまた無理もなかった面もあったかもしれません。しかし、今は、この時代は国民がやっぱり社会に参加していこうという意識が大変強くなってきていると思います。
ちょっと一つ戻りまして、陪審法の、さっきの、が停止になった理由ですけれども、実は陪審法だけが停止になったわけではありません。もうこれは先生方御案内のとおり、民主的な制度すべてが窒息をしたわけでして、陪審制だけが国民に向かないから、日本国民に向かないから停止をされたというのではないと私は思っております。
それで、日本の今の社会状況、国民の意識を考えますと、当時とは全く質が違っているというふうに思います。むしろ、今こそ日本の民主主義に最後埋まっていなかった民主主義のピース、立法、行政は埋められていました、しかし司法のだけは民主主義のピースが落ちていたわけで、そこにこれがはめ込まれることによって日本の民主主義は完成するというふうに思います。
竹
竹田昌弘#23
○参考人(竹田昌弘君) 大澤先生、四宮先生おっしゃらなかったことで申し上げますと、まず、陪審制度はどうしてできたのかというのは、原敬さんという総理大臣もやられた方ですけれども、政友会のリーダーを務められていたときに日糖事件という、明治四十二年だったと思いますけれども、日糖事件というのがありました。その際、政友会の議員の方々は検察の厳しい取調べを受けて、贈収賄事件なんですけれども、厳しい取調べを受けました。その取調べを受けた議員の方から原敬さんが聞いて、検察というのは軍部に匹敵するぐらい怖いところだと、検察権力を放置していくと大変なことになるというふうに「原敬日記」などにその片りんが書かれております。
それから、翌年に大逆事件というのがありました。その際は、証拠調べもなく、皇室に対する罪ということでみんな有罪になっていきました。これに対しても原さんは非常に疑念を感じられました。その司法権力、検察権力あるいは裁判所、こういうものをチェックするというか、そういう権力が政治権力に上回らないようにするためには陪審制しかないということで陪審制を推進されたというふうに研究書などには書かれておりまして、私も読みかじっております。
その点、今回の裁判員制度は、四宮先生のこのチャートなんか分かりやすいと思いますけれども、実際のところはやはり法律家を増やして、自由主義、新自由主義がいいかどうかはともかくとしても、こういう非常に大きく変わる経済社会に対応していくことがまず、十年前、九八年ですかね、言われたころ、審議会をつくろうといったころに言っていた議論はそうだったかと思います。そのために法律家をとにかく増やすんだと、五万人にするんだと。
そのために、弁護士会、じゃ納得してもらうために何がいいのかといえば、長年日弁連の方で訴えられておられました法曹一元あるいは陪審・参審制度の導入というものも併せて検討しないと、やはり法曹の増員というのはなかなか実現しないのではないかという、この辺は政府・自民党のお知恵だったんではないかと思いますけれども、そういう経緯で成り立った制度であります。
ですから、その戦前の陪審とはおのずと制度の意義は違う。実際、有権者からの声というのが立法事実にあるかないかというのは先週の衆議院の法務委員会でも議論されておりましたけれども、そういう面ではないのかもしれませんけれども、成り立ちがちょっと陪審制とは違うというふうに考えております。
この発言だけを見る →それから、翌年に大逆事件というのがありました。その際は、証拠調べもなく、皇室に対する罪ということでみんな有罪になっていきました。これに対しても原さんは非常に疑念を感じられました。その司法権力、検察権力あるいは裁判所、こういうものをチェックするというか、そういう権力が政治権力に上回らないようにするためには陪審制しかないということで陪審制を推進されたというふうに研究書などには書かれておりまして、私も読みかじっております。
その点、今回の裁判員制度は、四宮先生のこのチャートなんか分かりやすいと思いますけれども、実際のところはやはり法律家を増やして、自由主義、新自由主義がいいかどうかはともかくとしても、こういう非常に大きく変わる経済社会に対応していくことがまず、十年前、九八年ですかね、言われたころ、審議会をつくろうといったころに言っていた議論はそうだったかと思います。そのために法律家をとにかく増やすんだと、五万人にするんだと。
そのために、弁護士会、じゃ納得してもらうために何がいいのかといえば、長年日弁連の方で訴えられておられました法曹一元あるいは陪審・参審制度の導入というものも併せて検討しないと、やはり法曹の増員というのはなかなか実現しないのではないかという、この辺は政府・自民党のお知恵だったんではないかと思いますけれども、そういう経緯で成り立った制度であります。
ですから、その戦前の陪審とはおのずと制度の意義は違う。実際、有権者からの声というのが立法事実にあるかないかというのは先週の衆議院の法務委員会でも議論されておりましたけれども、そういう面ではないのかもしれませんけれども、成り立ちがちょっと陪審制とは違うというふうに考えております。
丸
丸山和也#24
○丸山和也君 それでは、もう一点、いわゆる評議ということについて、先ほども参考人の何名かがおっしゃっていましたけど、これなかなか検証も難しいでしょうけど、実際、評議というのはかなり難しいと思うんですね。それで、私がその中で特にちょっと注目して、どうなるのかなと思う点があるんですけれども。
いわゆる職業裁判官と一般の陪審員との意見で、裁判官の意見にリードされるんじゃないかとか、あるいは、この制度はそもそも一般の陪審員を入れているんだからそちらの意見を立てるようにというと変ですけれども、もっと配慮しながらやらなきゃいかぬとか、それではしかしまともな裁判はできないんではないかとか、いろんなことが言われているんですけど、ここの、やはり法律の専門家として、そういう長年、知識、経験、まあ能力、これはいろいろであるでしょうけど、そういうのを持っている裁判官が評議の中でむしろそういうことを遠慮せずに積極的にどんどん発言した方がいいんじゃないかという気もするんですね。
それで、そこら辺の兼ね合いなんですけど、例えばこれ、あれですけれども、うちの中でも、もちろん戦前はそうでしょうし、戦後も、かつては主人というのは、お父さんが大体ここに住むと言えばこうで、こういう家を建てると言えばこうだとか、どういう仕事をする、どこに引っ越す、お父さんがどこの学校へ行けというと子供が行くとか、こういうおやじが全部決めていた。今は全くそれが決まらないというか、そうじゃなくて、子供は子供の意見を言う、奥さんは奥さん言う、みんなで話し合って決めていくんだみたいな家庭が多くなっているんじゃないかと思いますけれども。
しかし、やっぱり議論は真剣にしなきゃならぬと思うんですね、評議は。その中で裁判官が、どうなんですかね、余りリードしてはいけないみたいなことを言われる節もあるんですよね。そこら辺についてどういう姿勢で裁判官は、やっぱりおかしいと思ったらがんがん意見を言うべきであるという考えについてはどうでしょうか。とりわけ四宮参考人と竹田参考人にちょっとお聞きしたいんですけれども。
この発言だけを見る →いわゆる職業裁判官と一般の陪審員との意見で、裁判官の意見にリードされるんじゃないかとか、あるいは、この制度はそもそも一般の陪審員を入れているんだからそちらの意見を立てるようにというと変ですけれども、もっと配慮しながらやらなきゃいかぬとか、それではしかしまともな裁判はできないんではないかとか、いろんなことが言われているんですけど、ここの、やはり法律の専門家として、そういう長年、知識、経験、まあ能力、これはいろいろであるでしょうけど、そういうのを持っている裁判官が評議の中でむしろそういうことを遠慮せずに積極的にどんどん発言した方がいいんじゃないかという気もするんですね。
それで、そこら辺の兼ね合いなんですけど、例えばこれ、あれですけれども、うちの中でも、もちろん戦前はそうでしょうし、戦後も、かつては主人というのは、お父さんが大体ここに住むと言えばこうで、こういう家を建てると言えばこうだとか、どういう仕事をする、どこに引っ越す、お父さんがどこの学校へ行けというと子供が行くとか、こういうおやじが全部決めていた。今は全くそれが決まらないというか、そうじゃなくて、子供は子供の意見を言う、奥さんは奥さん言う、みんなで話し合って決めていくんだみたいな家庭が多くなっているんじゃないかと思いますけれども。
しかし、やっぱり議論は真剣にしなきゃならぬと思うんですね、評議は。その中で裁判官が、どうなんですかね、余りリードしてはいけないみたいなことを言われる節もあるんですよね。そこら辺についてどういう姿勢で裁判官は、やっぱりおかしいと思ったらがんがん意見を言うべきであるという考えについてはどうでしょうか。とりわけ四宮参考人と竹田参考人にちょっとお聞きしたいんですけれども。
四
四宮啓#25
○参考人(四宮啓君) ありがとうございます。
今度の制度は専門家と非専門家、専門家でない人がそれぞれの知恵を出し合っていいものにしようという制度ですので、今、丸山先生御指摘のとおり、裁判官がずっと沈黙していたのではこの制度の意味がないと思います。ですから、裁判官に期待されている役割は、まさに今も御指摘のとおり、法律専門家として法律の知識と裁判の経験があるということからの意見をやっぱり言うべきだと思います。しかし、そのこととは別に、裁判員はもうそれだけで裁判官を尊敬してしまっているわけです。やっぱり自分とは違う、裁判は、裁判官がやることは正しいのだというふうにどうしても思ってしまいます。ですから、兼ね合いが難しいですね。
だから、私、さっき申し上げたように、裁判官は、しかし裁判官の法律の知識と裁判の経験だけで正しい判断ができるわけではないということを自覚していただかなきゃいけない。また裁判員も、法律の知識と裁判の経験があればいい判断ができるのではないということを考えてもらわなきゃいけない。これは、最初からそういうつもりで来てくださいというのは私は無理だと思います。
じゃ、どうするかというと、これは法律家の役割、つまり検察官や弁護士、特に弁護士の役割が私、大事だと思いますけれども。裁判員の皆さんは選ばれてからいきなり評議室で評議をするわけじゃありません。法廷で証拠を見聞きするわけですね。弁論を見聞きする。その中で弁護士が繰り返し繰り返し何が一番大事なのか、ルールは何なのか、そして皆さんに期待されている役割は何なのか、皆さんの使命は何なのか、何をしたときに胸を張って裁判所を後にできるのかということを法廷で伝えることが一番大事だと思うんです。そうすれば多くの方々は、特に一回だけですので、正しいことをしようと思って来ていらっしゃると思います。そこが、そうして裁判官が評議では自分の役割をきちんとわきまえていただける、そうなればいい議論ができていくと私は思います。
この発言だけを見る →今度の制度は専門家と非専門家、専門家でない人がそれぞれの知恵を出し合っていいものにしようという制度ですので、今、丸山先生御指摘のとおり、裁判官がずっと沈黙していたのではこの制度の意味がないと思います。ですから、裁判官に期待されている役割は、まさに今も御指摘のとおり、法律専門家として法律の知識と裁判の経験があるということからの意見をやっぱり言うべきだと思います。しかし、そのこととは別に、裁判員はもうそれだけで裁判官を尊敬してしまっているわけです。やっぱり自分とは違う、裁判は、裁判官がやることは正しいのだというふうにどうしても思ってしまいます。ですから、兼ね合いが難しいですね。
だから、私、さっき申し上げたように、裁判官は、しかし裁判官の法律の知識と裁判の経験だけで正しい判断ができるわけではないということを自覚していただかなきゃいけない。また裁判員も、法律の知識と裁判の経験があればいい判断ができるのではないということを考えてもらわなきゃいけない。これは、最初からそういうつもりで来てくださいというのは私は無理だと思います。
じゃ、どうするかというと、これは法律家の役割、つまり検察官や弁護士、特に弁護士の役割が私、大事だと思いますけれども。裁判員の皆さんは選ばれてからいきなり評議室で評議をするわけじゃありません。法廷で証拠を見聞きするわけですね。弁論を見聞きする。その中で弁護士が繰り返し繰り返し何が一番大事なのか、ルールは何なのか、そして皆さんに期待されている役割は何なのか、皆さんの使命は何なのか、何をしたときに胸を張って裁判所を後にできるのかということを法廷で伝えることが一番大事だと思うんです。そうすれば多くの方々は、特に一回だけですので、正しいことをしようと思って来ていらっしゃると思います。そこが、そうして裁判官が評議では自分の役割をきちんとわきまえていただける、そうなればいい議論ができていくと私は思います。
竹
竹田昌弘#26
○参考人(竹田昌弘君) お配りしました冊子の十四ページ辺りから「評議の行方」というところで評議のルポを六回にわたってやっております。
その中で、実はこのとき裁判官の方はできるだけ殺意と正当防衛とか、これを、まあテーマの模擬裁判、評議ですけれども、説明せずにやられたわけです。そうすると、裁判員役の方の一人がどうしても殺意を認定するのを拒否するんですね。それはどうしてかというと、正当防衛とこれは両立しないと思っていて、殺意を認めてもそれからまた正当防衛の議論をするんですけれども、それがやっぱり、あえて裁判所の方は説明しなかったんで分からなかったんですね。そのためにかなり議論が続いたりしていました。
ですから、せっかくの争点を判断するために必要な説明はやはり裁判官の方からしないと、もしかするとちょっと時間も無駄があったり、ちょっと効率的じゃない評議になってしまうのかなと思いました。
それともう一つ、先ほどちょっと申しましたけれども、被害者、被害感情ですね、被害感情に対する考え方はやはり違います。裁判官と多分裁判員役やられた方は全然違っています。プロですので裁判官の方はたくさんのケースも御存じで、まあ相場観みたいなものはあるわけで、一方で報道がどんどんされるような事件だと何となく、さっきのあの元裁判官の論文ではありませんけれども、ちょっと意識されたりもされているんじゃないかなと思いますけれども。一方で、市民の方は非常に何というか冷静というかクールというか、いつも彼らはプライベートな世界に生きていて、その瞬間、公の世界に入っていったときに、やはりすごく冷静になられているのかなと。逆に裁判官の方というのはいつも公の席にいらっしゃって、法廷で非常に被害感情を強く訴えられたときに、実はそれは比較的私的なものなんですけれども、どの程度それを裁判で入れるかというのはかなり難しいところはあると思いますけれども、まあ受け入れられていると。公私の判断の思考回路が逆転しているのかなと思います。
ですから、そういう方々がお話しになっていい結論を出していくということでは、どちらかがリードするというのではなく、うまく相手を見て裁判官の方も話していかなきゃいけない。かなりの能力を裁判官の方は必要とされるのではないかなと思います。
この発言だけを見る →その中で、実はこのとき裁判官の方はできるだけ殺意と正当防衛とか、これを、まあテーマの模擬裁判、評議ですけれども、説明せずにやられたわけです。そうすると、裁判員役の方の一人がどうしても殺意を認定するのを拒否するんですね。それはどうしてかというと、正当防衛とこれは両立しないと思っていて、殺意を認めてもそれからまた正当防衛の議論をするんですけれども、それがやっぱり、あえて裁判所の方は説明しなかったんで分からなかったんですね。そのためにかなり議論が続いたりしていました。
ですから、せっかくの争点を判断するために必要な説明はやはり裁判官の方からしないと、もしかするとちょっと時間も無駄があったり、ちょっと効率的じゃない評議になってしまうのかなと思いました。
それともう一つ、先ほどちょっと申しましたけれども、被害者、被害感情ですね、被害感情に対する考え方はやはり違います。裁判官と多分裁判員役やられた方は全然違っています。プロですので裁判官の方はたくさんのケースも御存じで、まあ相場観みたいなものはあるわけで、一方で報道がどんどんされるような事件だと何となく、さっきのあの元裁判官の論文ではありませんけれども、ちょっと意識されたりもされているんじゃないかなと思いますけれども。一方で、市民の方は非常に何というか冷静というかクールというか、いつも彼らはプライベートな世界に生きていて、その瞬間、公の世界に入っていったときに、やはりすごく冷静になられているのかなと。逆に裁判官の方というのはいつも公の席にいらっしゃって、法廷で非常に被害感情を強く訴えられたときに、実はそれは比較的私的なものなんですけれども、どの程度それを裁判で入れるかというのはかなり難しいところはあると思いますけれども、まあ受け入れられていると。公私の判断の思考回路が逆転しているのかなと思います。
ですから、そういう方々がお話しになっていい結論を出していくということでは、どちらかがリードするというのではなく、うまく相手を見て裁判官の方も話していかなきゃいけない。かなりの能力を裁判官の方は必要とされるのではないかなと思います。
丸
木
木庭健太郎#28
○木庭健太郎君 公明党の木庭健太郎と申します。
三人の参考人の方々に、裁判員制度、五月から始まるわけであって、その前に貴重な御意見をいただきまして、改めて感謝を申し上げる次第でもございます。
いろんなお話がありましたが、まず一点は、守秘義務の在り方について参考人三名の方からそれぞれ御意見をもう一度整理して伺っておきたいなと思うわけです。
この守秘義務を課したことに関しては、その裁判員となる方の国民の負担という点とともに、やはりこれから裁判員を検証していくときの在り方の中でこの守秘義務という在り方がちょっと関連して少し、守秘義務を掛けているがゆえになかなか伝わりにくいというような意味があったり、いろんな意味があると思うんです。
したがって、様々な意見の中には、例えば守秘義務は公判期間中に限定して、公判終了後は解除すべきというような意見もあってみたり、また罰則もありますから、この罰則の問題については悪質な場合に限って適用すべきとか、様々な意見があります。
そこで、それぞれの参考人の方々に、この守秘義務の必要性、当然あるんですけれども、その必要性とともに範囲をどう考えるべきなのか、範囲の限定の問題を含めてお伺いしたいし、また罰則適用の在り方についてもそれぞれ御意見を伺いたい。
そしてもう一点は、これ裁判員制度を検証していくことになっていくわけでございますけれども、その制度検証に当たっては、せめて制度検証する場においては例えばこの守秘義務を外して忌憚のない意見を伺うことがこういう制度を今後も信頼し維持する上で大事ではないかという意見もあるわけであって、この辺も含めてそれぞれの参考人から御意見をいただければと思います。
この発言だけを見る →三人の参考人の方々に、裁判員制度、五月から始まるわけであって、その前に貴重な御意見をいただきまして、改めて感謝を申し上げる次第でもございます。
いろんなお話がありましたが、まず一点は、守秘義務の在り方について参考人三名の方からそれぞれ御意見をもう一度整理して伺っておきたいなと思うわけです。
この守秘義務を課したことに関しては、その裁判員となる方の国民の負担という点とともに、やはりこれから裁判員を検証していくときの在り方の中でこの守秘義務という在り方がちょっと関連して少し、守秘義務を掛けているがゆえになかなか伝わりにくいというような意味があったり、いろんな意味があると思うんです。
したがって、様々な意見の中には、例えば守秘義務は公判期間中に限定して、公判終了後は解除すべきというような意見もあってみたり、また罰則もありますから、この罰則の問題については悪質な場合に限って適用すべきとか、様々な意見があります。
そこで、それぞれの参考人の方々に、この守秘義務の必要性、当然あるんですけれども、その必要性とともに範囲をどう考えるべきなのか、範囲の限定の問題を含めてお伺いしたいし、また罰則適用の在り方についてもそれぞれ御意見を伺いたい。
そしてもう一点は、これ裁判員制度を検証していくことになっていくわけでございますけれども、その制度検証に当たっては、せめて制度検証する場においては例えばこの守秘義務を外して忌憚のない意見を伺うことがこういう制度を今後も信頼し維持する上で大事ではないかという意見もあるわけであって、この辺も含めてそれぞれの参考人から御意見をいただければと思います。
澤