荒井信一の発言 (外務委員会)

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○荒井参考人 皆様おはようございます。
 私は、歴史研究者として意見を申したいと思います。お手元に資料が回っていると思いますが、それに沿って申し上げたいというふうに思います。
 まず最初に、朝鮮王室儀軌とは何かということなんですが、これは、王朝の正統性を維持し、伝えていくために、先例となるような儀礼を記録したものであるということであります。
 その後の経過をその後にまとめております。
 御承知のように、一九一〇年に韓国併合をいたしました。そのときに明治天皇が前韓国皇帝優遇に関する詔書というのを出しまして、そこで、朕はまさにその軌儀を定めということで、皇室典範等の法令にのっとる、それから、朝鮮の旧習をしんしゃくして、新たに日本の天皇制に編入された朝鮮の王公室の処遇というものを法制化するということを言うわけであります。
 一九一六年に王公家軌範ということで審議が始まるわけですけれども、結局まとまらない。皇室典範に、皇族女子は王族または公族にお嫁に行っていいんだということだけを書き入れただけであります。
 そしてその後、一九一九年に、廃位されました光武帝高宗という方が亡くなるわけですが、それを機会に朝鮮全土にわたって広範な独立運動が起こっております。
 そして、この独立運動を経まして、その後、第二期では、むしろもっと積極的に天皇制の中に朝鮮の王公室を取り入れようということで、その問題が非常に大きくなってきます。これは直接的には、二〇年に李王世子李垠と日本の梨本宮方子の結婚ということが行われるわけです。そのときに、朝鮮の王家と日本の皇室の関係の調整が急務になってきます。
 例えば、結婚すれば妊娠あるいは出産ということが予定されるわけですけれども、その妊娠のときに、例えば岩田帯を締めるのか締めないのか、こういう問題もあります。あるいは、お子さんが生まれた場合に、これを殿下と呼ぶのか呼ばないのか。こういうことは、小さい問題のようでありますけれども、当時としては大問題であったということは、その次に、宮内次官の話したこと、つまり、これはもう総理大臣も責任を持って解決しなきゃいけない問題だと言った資料を引用してございます。
 そして、その中で朝鮮の旧習を参考にするために、一九二二年に朝鮮総督府が王室儀軌を宮内庁に、日本政府に寄進をする。そして、それを参考にして、一九二六年十二月一日に皇室令として王公家軌範というものが発布されるわけです。その後に宇垣一成という朝鮮総督の言葉をあれしてありますけれども、それをお読みになっていただければ、むしろ、朝鮮の王公室を天皇制の中に取り入れて、朝鮮の民衆との間に隔絶させなきゃいけない、そういう政策目標がよく書かれていると思います。
 そこで、戦後でありますけれども、戦後は、皆さんもう御存じのことでありますが、一九六五年に日韓基本条約ができたときに文化財及び文化協力協定というものができて、ある一定の限度はありましたが、文化財を韓国へ引き渡します。それからもう一つは、日本国民が自発的な文化財寄贈をすることを勧奨するということもここでできるわけです。
 そこで、現在ですが、二〇〇一年に情報公開法が施行されます。そして、宮内庁訓令第三号というもので、非現用資料、つまりこれは歴史資料のことなんですが、書陵部に移管されるわけです。歴史資料の公開はここで非常に困難になりますが、しかし、いろいろな動きの中で、次第に、制限つき公開の方向へ動いていって、この段階で初めて、王室儀軌が日本の宮内庁の中にあるということが確認されるわけです。それを受けて、韓国の儀軌返還運動が本格化しますし、あるいは、今言ったようなことの延長上で菅談話が行われ、貴重図書のお渡し、現在の図書協定に来たということであります。
 私の意見でございますけれども、一つは、この王室儀軌の寄贈というものは、三・一独立運動で動揺した植民地統治、植民地支配の立て直しを図った内鮮融和政策、内地と朝鮮、植民地朝鮮を融和する一環として行われたものでありますから、その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります。
 それから第二番目には、歴史資料の返還一般として考えてみますと、王室儀軌は五百年以上続いた朝鮮王朝研究の基本的資料であります。その史跡や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在して、大事にされています。そして、朝鮮の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、歴史資料などの文化財は、その成立した環境、背景に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります。
 三は、現在、文化財について、国際的な動き、非常にいろいろな動きがあります。簡単に言えば、文化財というのは民族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する文化財、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に公開して、観客とそれから研究者、これが自由にアクセスできる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、返還された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理する。
 あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、ことし協定ができて、イエール大学がペルーの大学に返還したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコの大学との協定で、例えば、イエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ペルーの研究者がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。
 そういう意味で、王室儀軌の返還というものが、歴史資料の公開、それからアクセス、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の機会だというふうに私は考えております。
 以上でございます。(拍手)

発言情報

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発言者: 荒井信一

speaker_id: 8238

日付: 2011-04-27

院: 衆議院

会議名: 外務委員会