外務委員会
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会
会議録情報#0
平成二十三年四月二十七日(水曜日)
午前九時一分開議
出席委員
委員長 小平 忠正君
理事 吉良 州司君 理事 首藤 信彦君
理事 長島 昭久君 理事 西村智奈美君
理事 秋葉 賢也君 理事 小野寺五典君
理事 赤松 正雄君
浅野 貴博君 大泉ひろこ君
勝又恒一郎君 菊田真紀子君
阪口 直人君 高橋 英行君
道休誠一郎君 中津川博郷君
中野 譲君 萩原 仁君
浜本 宏君 早川久美子君
伴野 豊君 山尾志桜里君
山岡 達丸君 山花 郁夫君
河井 克行君 北村 茂男君
河野 太郎君 高村 正彦君
平沢 勝栄君 松本 純君
笠井 亮君 服部 良一君
…………………………………
外務大臣 松本 剛明君
内閣官房副長官 仙谷 由人君
外務副大臣 伴野 豊君
外務大臣政務官 菊田真紀子君
外務大臣政務官 山花 郁夫君
政府参考人
(宮内庁書陵部長) 岡 弘文君
政府参考人
(文化庁文化財部長) 関 裕行君
参考人
(慶應義塾大学名誉教授) 田代 和生君
参考人
(拓殖大学教授) 下條 正男君
参考人
(茨城大学名誉教授) 荒井 信一君
外務委員会専門員 細矢 隆義君
—————————————
委員の異動
四月二十七日
辞任 補欠選任
勝又恒一郎君 高橋 英行君
早川久美子君 山岡 達丸君
金田 勝年君 北村 茂男君
河野 太郎君 松本 純君
松野 博一君 平沢 勝栄君
同日
辞任 補欠選任
高橋 英行君 勝又恒一郎君
山岡 達丸君 早川久美子君
北村 茂男君 金田 勝年君
平沢 勝栄君 松野 博一君
松本 純君 河野 太郎君
—————————————
四月二十六日
社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)
社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)
日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件(第百七十六回国会条約第五号)
社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)
社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)
日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)
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この発言だけを見る →午前九時一分開議
出席委員
委員長 小平 忠正君
理事 吉良 州司君 理事 首藤 信彦君
理事 長島 昭久君 理事 西村智奈美君
理事 秋葉 賢也君 理事 小野寺五典君
理事 赤松 正雄君
浅野 貴博君 大泉ひろこ君
勝又恒一郎君 菊田真紀子君
阪口 直人君 高橋 英行君
道休誠一郎君 中津川博郷君
中野 譲君 萩原 仁君
浜本 宏君 早川久美子君
伴野 豊君 山尾志桜里君
山岡 達丸君 山花 郁夫君
河井 克行君 北村 茂男君
河野 太郎君 高村 正彦君
平沢 勝栄君 松本 純君
笠井 亮君 服部 良一君
…………………………………
外務大臣 松本 剛明君
内閣官房副長官 仙谷 由人君
外務副大臣 伴野 豊君
外務大臣政務官 菊田真紀子君
外務大臣政務官 山花 郁夫君
政府参考人
(宮内庁書陵部長) 岡 弘文君
政府参考人
(文化庁文化財部長) 関 裕行君
参考人
(慶應義塾大学名誉教授) 田代 和生君
参考人
(拓殖大学教授) 下條 正男君
参考人
(茨城大学名誉教授) 荒井 信一君
外務委員会専門員 細矢 隆義君
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委員の異動
四月二十七日
辞任 補欠選任
勝又恒一郎君 高橋 英行君
早川久美子君 山岡 達丸君
金田 勝年君 北村 茂男君
河野 太郎君 松本 純君
松野 博一君 平沢 勝栄君
同日
辞任 補欠選任
高橋 英行君 勝又恒一郎君
山岡 達丸君 早川久美子君
北村 茂男君 金田 勝年君
平沢 勝栄君 松野 博一君
松本 純君 河野 太郎君
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四月二十六日
社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)
社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)
日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
政府参考人出頭要求に関する件
図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件(第百七十六回国会条約第五号)
社会保障に関する日本国とブラジル連邦共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第五号)
社会保障に関する日本国とスイス連邦との間の協定の締結について承認を求めるの件(条約第六号)
日本国とインド共和国との間の包括的経済連携協定の締結について承認を求めるの件(条約第一八号)
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小
小平忠正#1
○小平委員長 これより会議を開きます。
第百七十六回国会提出、図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件を議題といたします。
本日は、本件審査のため、参考人として、慶應義塾大学名誉教授田代和生君、拓殖大学教授下條正男君、茨城大学名誉教授荒井信一君、以上三名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにしております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、田代参考人、下條参考人、荒井参考人の順序で、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないこととなっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、最初に田代参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →第百七十六回国会提出、図書に関する日本国政府と大韓民国政府との間の協定の締結について承認を求めるの件を議題といたします。
本日は、本件審査のため、参考人として、慶應義塾大学名誉教授田代和生君、拓殖大学教授下條正男君、茨城大学名誉教授荒井信一君、以上三名の方々に御出席をいただき、御意見を承ることにしております。
この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、田代参考人、下條参考人、荒井参考人の順序で、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることができないこととなっておりますので、あらかじめ御了承願います。
それでは、最初に田代参考人にお願いいたします。
田
田代和生#2
○田代参考人 おはようございます。田代です。
本日、宗家文書について説明してくれという御依頼が急にございまして、十分間で説明するのはとても無理なんですけれども、表などを交えながら、簡単に御説明いたします。
まず、宗家文書というのはどういうものかといいますと、江戸時代、対朝鮮外交、貿易を幕府から委託されました対馬藩宗家に伝わる記録文書類です。日本の古文書はもちろんのこと、朝鮮側の公文書もございまして、これは約一万点ほどございます。
江戸時代の日朝関係といえば、十二回の朝鮮通信使来日で知られておりますけれども、通常の日朝外交というのは、朝鮮釜山の倭館という日本人居留地で行われておりました。そのあり方というのは、鎖国と言われる江戸時代の常識を覆すものでありまして、実態を知る手がかりはすべて宗家文書によるしかありません。宗家は実務外交をこなすために記録の保管、整備に力を入れたことから、その数量は膨大な量になります。
お手元にお配りしました参考資料をごらんください。これから現在の宗家文庫、宗家文書の状況と韓国に伝わる保管本の状況について御説明いたします。
表の左側の方にありますA、B、Cというのは、江戸時代に保管、記録がつくられた場所ということになります。上から対馬の国元、Bが倭館、そして江戸藩邸です。各地で記録、保管、活用が進められましたが、江戸時代が終わりまして、さまざまな事情によって、現在、七カ所に分散されております。
右の方、上から三つ目のところに韓国国史編纂委員会というのがございます。ここに約二万八千点現存いたします。宗家文書が今現在どのぐらい存在するのかということにつきましては、対馬の保管本が不明なために、約十三万点という概数しかわかりませんけれども、韓国の保管本は二二%に相当いたします。この韓国本は、一九二六年、一九三八年の二回に分けて宗家から朝鮮総督府が購入したものです。総督府が買い上げて、文化事業の一環としてこれが伝わっております。一九八七年、果川というところに新庁舎ができまして、マイクロフィルム化でこれが公開されております。
今回、図書協定がありましたことから、宗家文書の原本を取り戻せるかどうか、あるいは引き渡しが可能かということについていろいろと議論があると思いますけれども、私は研究者の立場から申し上げたいと思います。
宗家文庫、特に韓国にあります宗家文庫は、日本にあるほかの本、朝鮮本とありようが異なってあります。これは、宗家文書の韓国へ渡った由来というのが、日本人の手によって朝鮮史を書きかえようという意図のもとで総督府が購入して置き去りになったものです。そういったことで、非常に事情が違っているということで、韓国側のこの資料に対する思い入れは非常に複雑なものがあると思います。
そのころ、日本の資料で韓国の歴史を見ることなど、タブーで非公開になっておりました。私たち日本人研究者は、一九七〇年代ごろからこの資料の貴重性を説きまして、長い間かけて、目録化、そして公開化を進めていただきました。
まず、この資料のことについて韓国側に何かを持ちかけるときは、日本人としてやるべきこと、大切にこれを保管管理していただいた韓国側に深い感謝と尊敬の念を抱くべきだと思っております。まずそこからスタートしていただかないと、再び非公開になる、これが研究者が最も恐れるところであります。
研究者にとりまして、何をやっていただきたいか。恐らくは、原本の取り返し、引き渡しというのは非常に難しいんじゃないかと思います。しかしながら、せっかくこういう機会があるのですから、何か学術資料の情報交換という形で、この宗家記録を日本と韓国との共有資料にできないかということを考えていました。幸いにも、宗家文書はマイクロフィルム化が七〇%進んでおります。これを一括して日本に提供していただける、これが研究者にとりまして望外の喜びであります。現在、この宗家文書へのアクセスは大変困難な状況にあります。しかるべき機関でこのマイクロフィルムを保管管理していただきますと、最も研究者がこれを望むところでございます。
日朝関係史の研究者は、かつての植民地時代の政策の負の遺産ともいうべきいろいろなものを抱えております。特にこの宗家文書は、韓国でいまだに十分に利用できない状態に置いてあります。この宗家文書、置き去りになっている日本の資料としては最大級のものです。しかし、その交渉の仕方を間違えますと、研究者は再びこの資料から遠ざけられてしまいます。
どうぞ、この協定を契機に文化交流を一層促進し、そしてアクセスがもっとできるように、特にお願いしたいことは、マイクロフィルムなどの複製資料によって、これに研究者がアクセスできるような環境を整えていただきたいということにあります。
以上です。拍手
この発言だけを見る →本日、宗家文書について説明してくれという御依頼が急にございまして、十分間で説明するのはとても無理なんですけれども、表などを交えながら、簡単に御説明いたします。
まず、宗家文書というのはどういうものかといいますと、江戸時代、対朝鮮外交、貿易を幕府から委託されました対馬藩宗家に伝わる記録文書類です。日本の古文書はもちろんのこと、朝鮮側の公文書もございまして、これは約一万点ほどございます。
江戸時代の日朝関係といえば、十二回の朝鮮通信使来日で知られておりますけれども、通常の日朝外交というのは、朝鮮釜山の倭館という日本人居留地で行われておりました。そのあり方というのは、鎖国と言われる江戸時代の常識を覆すものでありまして、実態を知る手がかりはすべて宗家文書によるしかありません。宗家は実務外交をこなすために記録の保管、整備に力を入れたことから、その数量は膨大な量になります。
お手元にお配りしました参考資料をごらんください。これから現在の宗家文庫、宗家文書の状況と韓国に伝わる保管本の状況について御説明いたします。
表の左側の方にありますA、B、Cというのは、江戸時代に保管、記録がつくられた場所ということになります。上から対馬の国元、Bが倭館、そして江戸藩邸です。各地で記録、保管、活用が進められましたが、江戸時代が終わりまして、さまざまな事情によって、現在、七カ所に分散されております。
右の方、上から三つ目のところに韓国国史編纂委員会というのがございます。ここに約二万八千点現存いたします。宗家文書が今現在どのぐらい存在するのかということにつきましては、対馬の保管本が不明なために、約十三万点という概数しかわかりませんけれども、韓国の保管本は二二%に相当いたします。この韓国本は、一九二六年、一九三八年の二回に分けて宗家から朝鮮総督府が購入したものです。総督府が買い上げて、文化事業の一環としてこれが伝わっております。一九八七年、果川というところに新庁舎ができまして、マイクロフィルム化でこれが公開されております。
今回、図書協定がありましたことから、宗家文書の原本を取り戻せるかどうか、あるいは引き渡しが可能かということについていろいろと議論があると思いますけれども、私は研究者の立場から申し上げたいと思います。
宗家文庫、特に韓国にあります宗家文庫は、日本にあるほかの本、朝鮮本とありようが異なってあります。これは、宗家文書の韓国へ渡った由来というのが、日本人の手によって朝鮮史を書きかえようという意図のもとで総督府が購入して置き去りになったものです。そういったことで、非常に事情が違っているということで、韓国側のこの資料に対する思い入れは非常に複雑なものがあると思います。
そのころ、日本の資料で韓国の歴史を見ることなど、タブーで非公開になっておりました。私たち日本人研究者は、一九七〇年代ごろからこの資料の貴重性を説きまして、長い間かけて、目録化、そして公開化を進めていただきました。
まず、この資料のことについて韓国側に何かを持ちかけるときは、日本人としてやるべきこと、大切にこれを保管管理していただいた韓国側に深い感謝と尊敬の念を抱くべきだと思っております。まずそこからスタートしていただかないと、再び非公開になる、これが研究者が最も恐れるところであります。
研究者にとりまして、何をやっていただきたいか。恐らくは、原本の取り返し、引き渡しというのは非常に難しいんじゃないかと思います。しかしながら、せっかくこういう機会があるのですから、何か学術資料の情報交換という形で、この宗家記録を日本と韓国との共有資料にできないかということを考えていました。幸いにも、宗家文書はマイクロフィルム化が七〇%進んでおります。これを一括して日本に提供していただける、これが研究者にとりまして望外の喜びであります。現在、この宗家文書へのアクセスは大変困難な状況にあります。しかるべき機関でこのマイクロフィルムを保管管理していただきますと、最も研究者がこれを望むところでございます。
日朝関係史の研究者は、かつての植民地時代の政策の負の遺産ともいうべきいろいろなものを抱えております。特にこの宗家文書は、韓国でいまだに十分に利用できない状態に置いてあります。この宗家文書、置き去りになっている日本の資料としては最大級のものです。しかし、その交渉の仕方を間違えますと、研究者は再びこの資料から遠ざけられてしまいます。
どうぞ、この協定を契機に文化交流を一層促進し、そしてアクセスがもっとできるように、特にお願いしたいことは、マイクロフィルムなどの複製資料によって、これに研究者がアクセスできるような環境を整えていただきたいということにあります。
以上です。拍手
小
下
下條正男#4
○下條参考人 遅くなりまして申しわけございません。拓殖大学の下條と申します。
今、田代先生の方から対馬家文書についてお話がありましたが、私は、朝鮮王室儀軌引き渡しの歴史的な背景について、つまり、対馬家文書をどうするかとか朝鮮王室儀軌をどうするかという問題ではなくて、その背後にある問題というものをお話をしておきたいと思います。
お手元の資料を、十分で非常に限られていますので早口でお話ししますが、一番から四番に分かれております。朝鮮王室儀軌等の引き渡しの課題、どういう課題があるのか。二番目は、文化財の引き渡しの根底にあるのが実は竹島問題だという実態、このことをここにお集まりの議員の皆様がどれだけ認識されておるのかどうか、これが非常に大きな問題です。それから三番目が、歴史認識と歴史事実の違い、これがどのようなものかということをやはり理解していただきたい。それから四番目、日韓の和解。これは、こういった問題の原点は竹島問題にあるわけですから、竹島が返還されてからこういった話し合いをしても構わないのではないかというふうに私は考えております。
その理由。まず一番、朝鮮王室儀軌、こういった引き渡しの前提として、既に二〇〇六年七月十四日、東京大学から朝鮮王朝実録というものがソウル大学に寄贈されております。それから、北関大捷碑、これは二〇〇五年十月に韓国を通じて、北朝鮮側に返されております。
こういった問題は、本来、起こるべくして起こったものではなく、起こされたものだ。なぜなら、一九六五年の六月二十二日、日韓は基本条約を締結しておりまして、そのとき文化財及び文化協力に関する日本国及び大韓民国との間の協定が結ばれておりまして、一応こういった問題は解決していたということ、一応区切りがついていたということです。そして今、韓国側は新たに、過去の清算であるとか未来志向の日韓関係、歴史の和解というような言葉を使いながら、文化財の返還、引き渡しではなくて返還を求めております。
なぜこのような状況になったのか。それは、二番目のところなんですね。一番目に、竹島の日条例というのが、二〇〇五年三月十六日に島根県議会によって制定されました。ここから竹島問題が浮上してまいります。顕在化してくるわけですね。
これは、今までの日本の外交が、こういった国家主権にかかわる問題にほとんど目をつぶってきた。皆さんここにブルーのリボンなんかつけておられますが、実際に今動いていませんね。北方領土もそうですね。尖閣に関しても何も言えないですね。竹島についても、極端に言うと、奪われたにもかかわらず、何も言ってきませんでした。つまり、効果的なことは何もできなかった。それが、竹島の日条例というものがあることによって大きな変化が出てきます。こういった対応は、日本よりも韓国の方がはるかに早いです。
というのは、竹島の日条例を制定するほぼ一週間前に、韓国側は、二番目のところ、二の二、対抗措置として、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものがつくられます。これは後に、二〇〇六年九月に東北アジア歴史財団となり、李明博政権になってから独島研究所設置です。これは二〇〇八年の八月ですが、七月、日本の中学校の学習指導要領解説書に竹島問題が記載されたということに対する対抗措置ですね。
そういった意味では、盧武鉉大統領、潘基文という外務大臣、彼と、李明博さん、すべて国策によってこういったことが行われているんです。そして、この文化財の引き渡し、返還もその運動の中の一つだということをまず御認識いただきたいと思います。
そういった中で、二〇〇六年九月から、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものが東北アジア歴史財団となりまして、戦略的テーマが変わります。竹島問題、それから日本海の呼称問題、これについては私はすべて論破してございます。それから東北工程、高句麗史問題ですね。
この高句麗史問題というのは、実は韓流ドラマと極めて深いかかわりがあります。皆さんもファンがいらっしゃるかと思うんですけれども、「朱蒙」とか「太王四神記」というのは、これは日本人あるいは韓国人を洗脳するためのドラマだということですね。つまり、高句麗というのは、歴史的には、韓国の領土でもありませんし、中国の領土でもありません。それを、自国の領土だということを主張するために使った、つくったものが、「朱蒙」であり「太王四神記」だということですね。そういう意味では、日本は一生懸命今協力しているわけですね。
この高句麗史問題というのは中国と韓国の間で盛んに、もう今はちょっと沈着していますけれども、中国側から見た日本側の動きは極めて不愉快な動きだと思います。
そういうこと、これも中国側、韓国側の主張には全く根拠がないということは既に明らかにしております。それは、そこに「拙稿」と書いてありますけれども、拓大の「海外事情」という雑誌の中で既に述べております。そのとき、もう既にこういう問題が起こるということで、大体、二〇〇三年、二〇〇四年、五年ぐらいの間で明らかにしております。
それから、慰安婦問題。これは、二〇〇七年、アメリカの下院とかカナダとかオランダで批判決議案が出されますね。この背後で動いていたのがやはり韓国側です。そして、東北アジア歴史財団もこういったところに深くかかわっています。歴史教科書問題、靖国参拝問題、白頭山問題、これはすべて韓国側、政府が行っているものです。
そういった中で、韓国は歴史NGO世界大会というものを開くのです。これは、世界各国の歴史NGO団体に対して、旅費と滞在費全部韓国持ちですね。ですから、大々的に人を集めてどういうことをやるか。その成果を、皆さんのお手元の資料、次のページのところに、この財団の理事長、鄭在貞、鄭さんという方なんですが、この方は非常に正直な方で、財団はどんな仕事をしたか、一番下のところですね。
その次には、政策をつくるのに一定部分の役割を果たしたと考えている、菅直人日本政府が八月十日、声明を出した、いわゆる談話ですね、一定の寄与をしたと。強制併合に関する談話の内容が十分ではないけれども、談話が出たということ自体は意味がある、当時日本政府は衆議院選挙を前にして支持率が下落していたし、政治的に相当難しいときであった、このようなときに日本政府を説得し、説得したんですよ、結局、菅総理の談話をつくり出したんだというふうに自負しています。
その中で、菅談話の核心内容というのは、韓国人の意思に反して植民地支配をした、これに対して痛切な反省と謝罪をするということ、それ以前になかったアクションプランも提示したが、その中の一部が、朝鮮総督府を経由して搬出された韓国の文化財を返還するということ、それから、サハリン強制徴用同胞を支援する、日本の中に散在する朝鮮人遺骨を戻すと。このことを仕込んだわけですね。
それがどうしてできたか。それが、去年の七月二十七日、両国の国会議員らが参席するシンポジウムをソウルで開いた、我が方からは日韓の議員代表、日本側からは渡部恒三さんが出て、そして両方が会ったんだ、でも、ほかには話していないんだと。私たちがあっせんしたものは、松下政経塾を通じてそのきっかけをつくった、政経塾というのは右派だ、日本を動かすには右派を攻略すべきだ、責任者を呼んできて講演をさせて、そしてついに百年、一緒に協力しようということにしたと。結局、松下政経塾出身の国会議員数十人いるが、その人々を皆呼んで、韓日の議員が集いを持つことになった、韓日百年の歴史に対する省察と未来ビジョンを一緒に議論した、こういったところから菅談話ができたと言っているんですね。
そして、ほかにしたことは何があるかというと、事業の実行の側面では、日本の歴史教科書の是正、それから日韓の市民団体を集めて、国内六十、日本四十ぐらいのNGOを一つにまとめて、そして、昨年八月に出されましたけれども、韓国の強制併合市民共同委員会というものをつくって、そして共同宣言文をつくったということを言っています。
つまり、こういった背景にあるんですね。ですから、この流れの中に朝鮮王室儀軌の問題が潜んでいるということになります。
そして、こういったことに対して、今お坊さんたちもいらっしゃいますが、実は前回ここに参加された、朝鮮王室儀軌早ければ来月末に戻ってくる、聯合ニュース、四月二十五日の配信です。これをごらんになりますと、一番下だと思うんですが、これは、自民党を除いた方、自民党以外は全部賛成するだろうということを予測して、下の方、還収委員会は、参議院で協定が最終批准されれば、五月中旬、日本で朝鮮王室儀軌還収のために努力した日本関係者など二百人余りを招請し、歓迎レセプションを開くんだということですね。ですから、この中にもこれに参加される方が多分いらっしゃるかもしれませんね。
そして、最後に、文化財還収運動の価値と成果を共有しながら、これからも日本国内のほかの文化財返還運動の開始点となるだろうというふうに述べております。つまり、ここが出発ですね。
しかし、問題は、竹島がなぜ韓国側によって奪われているのか。これは、日韓の国交正常化交渉のときに韓国側の外交カードとして使われたものです。歴史的根拠として見たときには、韓国側には竹島を領有する根拠というのは全くありません。にもかかわらず、日本側が何もしない間に韓国側がいろいろな手を打ってきているということ、そして、さまざまな歴史問題は、日本を封じ込めるための手段にすぎないということです。
そういったことから見ていくと、李承晩ラインで、実は、拿捕、抑留された人、この人たちが人質となって、在日韓国人の法的地位を与えるということ、文化財返還ということ、それから朝鮮半島に残してきた日本人の資産、それを全部ゼロにするということ、外交カードですね。しかし、拿捕、抑留された三千名はいまだに救済されていません、謝罪もされていません。
そういうことを考えていきますと、非常に大きな問題があるということを認識していただかなければならない。逆に言うと、下手なことをやると、つまり、竹島問題を解決しない状態でこれを続けていくということが、これから同じような問題が続々と出てくるということですね。そのことを御認識いただきたいと思います。
済みません、十分では話が十分にできませんが、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →今、田代先生の方から対馬家文書についてお話がありましたが、私は、朝鮮王室儀軌引き渡しの歴史的な背景について、つまり、対馬家文書をどうするかとか朝鮮王室儀軌をどうするかという問題ではなくて、その背後にある問題というものをお話をしておきたいと思います。
お手元の資料を、十分で非常に限られていますので早口でお話ししますが、一番から四番に分かれております。朝鮮王室儀軌等の引き渡しの課題、どういう課題があるのか。二番目は、文化財の引き渡しの根底にあるのが実は竹島問題だという実態、このことをここにお集まりの議員の皆様がどれだけ認識されておるのかどうか、これが非常に大きな問題です。それから三番目が、歴史認識と歴史事実の違い、これがどのようなものかということをやはり理解していただきたい。それから四番目、日韓の和解。これは、こういった問題の原点は竹島問題にあるわけですから、竹島が返還されてからこういった話し合いをしても構わないのではないかというふうに私は考えております。
その理由。まず一番、朝鮮王室儀軌、こういった引き渡しの前提として、既に二〇〇六年七月十四日、東京大学から朝鮮王朝実録というものがソウル大学に寄贈されております。それから、北関大捷碑、これは二〇〇五年十月に韓国を通じて、北朝鮮側に返されております。
こういった問題は、本来、起こるべくして起こったものではなく、起こされたものだ。なぜなら、一九六五年の六月二十二日、日韓は基本条約を締結しておりまして、そのとき文化財及び文化協力に関する日本国及び大韓民国との間の協定が結ばれておりまして、一応こういった問題は解決していたということ、一応区切りがついていたということです。そして今、韓国側は新たに、過去の清算であるとか未来志向の日韓関係、歴史の和解というような言葉を使いながら、文化財の返還、引き渡しではなくて返還を求めております。
なぜこのような状況になったのか。それは、二番目のところなんですね。一番目に、竹島の日条例というのが、二〇〇五年三月十六日に島根県議会によって制定されました。ここから竹島問題が浮上してまいります。顕在化してくるわけですね。
これは、今までの日本の外交が、こういった国家主権にかかわる問題にほとんど目をつぶってきた。皆さんここにブルーのリボンなんかつけておられますが、実際に今動いていませんね。北方領土もそうですね。尖閣に関しても何も言えないですね。竹島についても、極端に言うと、奪われたにもかかわらず、何も言ってきませんでした。つまり、効果的なことは何もできなかった。それが、竹島の日条例というものがあることによって大きな変化が出てきます。こういった対応は、日本よりも韓国の方がはるかに早いです。
というのは、竹島の日条例を制定するほぼ一週間前に、韓国側は、二番目のところ、二の二、対抗措置として、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものがつくられます。これは後に、二〇〇六年九月に東北アジア歴史財団となり、李明博政権になってから独島研究所設置です。これは二〇〇八年の八月ですが、七月、日本の中学校の学習指導要領解説書に竹島問題が記載されたということに対する対抗措置ですね。
そういった意味では、盧武鉉大統領、潘基文という外務大臣、彼と、李明博さん、すべて国策によってこういったことが行われているんです。そして、この文化財の引き渡し、返還もその運動の中の一つだということをまず御認識いただきたいと思います。
そういった中で、二〇〇六年九月から、東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団というものが東北アジア歴史財団となりまして、戦略的テーマが変わります。竹島問題、それから日本海の呼称問題、これについては私はすべて論破してございます。それから東北工程、高句麗史問題ですね。
この高句麗史問題というのは、実は韓流ドラマと極めて深いかかわりがあります。皆さんもファンがいらっしゃるかと思うんですけれども、「朱蒙」とか「太王四神記」というのは、これは日本人あるいは韓国人を洗脳するためのドラマだということですね。つまり、高句麗というのは、歴史的には、韓国の領土でもありませんし、中国の領土でもありません。それを、自国の領土だということを主張するために使った、つくったものが、「朱蒙」であり「太王四神記」だということですね。そういう意味では、日本は一生懸命今協力しているわけですね。
この高句麗史問題というのは中国と韓国の間で盛んに、もう今はちょっと沈着していますけれども、中国側から見た日本側の動きは極めて不愉快な動きだと思います。
そういうこと、これも中国側、韓国側の主張には全く根拠がないということは既に明らかにしております。それは、そこに「拙稿」と書いてありますけれども、拓大の「海外事情」という雑誌の中で既に述べております。そのとき、もう既にこういう問題が起こるということで、大体、二〇〇三年、二〇〇四年、五年ぐらいの間で明らかにしております。
それから、慰安婦問題。これは、二〇〇七年、アメリカの下院とかカナダとかオランダで批判決議案が出されますね。この背後で動いていたのがやはり韓国側です。そして、東北アジア歴史財団もこういったところに深くかかわっています。歴史教科書問題、靖国参拝問題、白頭山問題、これはすべて韓国側、政府が行っているものです。
そういった中で、韓国は歴史NGO世界大会というものを開くのです。これは、世界各国の歴史NGO団体に対して、旅費と滞在費全部韓国持ちですね。ですから、大々的に人を集めてどういうことをやるか。その成果を、皆さんのお手元の資料、次のページのところに、この財団の理事長、鄭在貞、鄭さんという方なんですが、この方は非常に正直な方で、財団はどんな仕事をしたか、一番下のところですね。
その次には、政策をつくるのに一定部分の役割を果たしたと考えている、菅直人日本政府が八月十日、声明を出した、いわゆる談話ですね、一定の寄与をしたと。強制併合に関する談話の内容が十分ではないけれども、談話が出たということ自体は意味がある、当時日本政府は衆議院選挙を前にして支持率が下落していたし、政治的に相当難しいときであった、このようなときに日本政府を説得し、説得したんですよ、結局、菅総理の談話をつくり出したんだというふうに自負しています。
その中で、菅談話の核心内容というのは、韓国人の意思に反して植民地支配をした、これに対して痛切な反省と謝罪をするということ、それ以前になかったアクションプランも提示したが、その中の一部が、朝鮮総督府を経由して搬出された韓国の文化財を返還するということ、それから、サハリン強制徴用同胞を支援する、日本の中に散在する朝鮮人遺骨を戻すと。このことを仕込んだわけですね。
それがどうしてできたか。それが、去年の七月二十七日、両国の国会議員らが参席するシンポジウムをソウルで開いた、我が方からは日韓の議員代表、日本側からは渡部恒三さんが出て、そして両方が会ったんだ、でも、ほかには話していないんだと。私たちがあっせんしたものは、松下政経塾を通じてそのきっかけをつくった、政経塾というのは右派だ、日本を動かすには右派を攻略すべきだ、責任者を呼んできて講演をさせて、そしてついに百年、一緒に協力しようということにしたと。結局、松下政経塾出身の国会議員数十人いるが、その人々を皆呼んで、韓日の議員が集いを持つことになった、韓日百年の歴史に対する省察と未来ビジョンを一緒に議論した、こういったところから菅談話ができたと言っているんですね。
そして、ほかにしたことは何があるかというと、事業の実行の側面では、日本の歴史教科書の是正、それから日韓の市民団体を集めて、国内六十、日本四十ぐらいのNGOを一つにまとめて、そして、昨年八月に出されましたけれども、韓国の強制併合市民共同委員会というものをつくって、そして共同宣言文をつくったということを言っています。
つまり、こういった背景にあるんですね。ですから、この流れの中に朝鮮王室儀軌の問題が潜んでいるということになります。
そして、こういったことに対して、今お坊さんたちもいらっしゃいますが、実は前回ここに参加された、朝鮮王室儀軌早ければ来月末に戻ってくる、聯合ニュース、四月二十五日の配信です。これをごらんになりますと、一番下だと思うんですが、これは、自民党を除いた方、自民党以外は全部賛成するだろうということを予測して、下の方、還収委員会は、参議院で協定が最終批准されれば、五月中旬、日本で朝鮮王室儀軌還収のために努力した日本関係者など二百人余りを招請し、歓迎レセプションを開くんだということですね。ですから、この中にもこれに参加される方が多分いらっしゃるかもしれませんね。
そして、最後に、文化財還収運動の価値と成果を共有しながら、これからも日本国内のほかの文化財返還運動の開始点となるだろうというふうに述べております。つまり、ここが出発ですね。
しかし、問題は、竹島がなぜ韓国側によって奪われているのか。これは、日韓の国交正常化交渉のときに韓国側の外交カードとして使われたものです。歴史的根拠として見たときには、韓国側には竹島を領有する根拠というのは全くありません。にもかかわらず、日本側が何もしない間に韓国側がいろいろな手を打ってきているということ、そして、さまざまな歴史問題は、日本を封じ込めるための手段にすぎないということです。
そういったことから見ていくと、李承晩ラインで、実は、拿捕、抑留された人、この人たちが人質となって、在日韓国人の法的地位を与えるということ、文化財返還ということ、それから朝鮮半島に残してきた日本人の資産、それを全部ゼロにするということ、外交カードですね。しかし、拿捕、抑留された三千名はいまだに救済されていません、謝罪もされていません。
そういうことを考えていきますと、非常に大きな問題があるということを認識していただかなければならない。逆に言うと、下手なことをやると、つまり、竹島問題を解決しない状態でこれを続けていくということが、これから同じような問題が続々と出てくるということですね。そのことを御認識いただきたいと思います。
済みません、十分では話が十分にできませんが、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。拍手
小
荒
荒井信一#6
○荒井参考人 皆様おはようございます。
私は、歴史研究者として意見を申したいと思います。お手元に資料が回っていると思いますが、それに沿って申し上げたいというふうに思います。
まず最初に、朝鮮王室儀軌とは何かということなんですが、これは、王朝の正統性を維持し、伝えていくために、先例となるような儀礼を記録したものであるということであります。
その後の経過をその後にまとめております。
御承知のように、一九一〇年に韓国併合をいたしました。そのときに明治天皇が前韓国皇帝優遇に関する詔書というのを出しまして、そこで、朕はまさにその軌儀を定めということで、皇室典範等の法令にのっとる、それから、朝鮮の旧習をしんしゃくして、新たに日本の天皇制に編入された朝鮮の王公室の処遇というものを法制化するということを言うわけであります。
一九一六年に王公家軌範ということで審議が始まるわけですけれども、結局まとまらない。皇室典範に、皇族女子は王族または公族にお嫁に行っていいんだということだけを書き入れただけであります。
そしてその後、一九一九年に、廃位されました光武帝高宗という方が亡くなるわけですが、それを機会に朝鮮全土にわたって広範な独立運動が起こっております。
そして、この独立運動を経まして、その後、第二期では、むしろもっと積極的に天皇制の中に朝鮮の王公室を取り入れようということで、その問題が非常に大きくなってきます。これは直接的には、二〇年に李王世子李垠と日本の梨本宮方子の結婚ということが行われるわけです。そのときに、朝鮮の王家と日本の皇室の関係の調整が急務になってきます。
例えば、結婚すれば妊娠あるいは出産ということが予定されるわけですけれども、その妊娠のときに、例えば岩田帯を締めるのか締めないのか、こういう問題もあります。あるいは、お子さんが生まれた場合に、これを殿下と呼ぶのか呼ばないのか。こういうことは、小さい問題のようでありますけれども、当時としては大問題であったということは、その次に、宮内次官の話したこと、つまり、これはもう総理大臣も責任を持って解決しなきゃいけない問題だと言った資料を引用してございます。
そして、その中で朝鮮の旧習を参考にするために、一九二二年に朝鮮総督府が王室儀軌を宮内庁に、日本政府に寄進をする。そして、それを参考にして、一九二六年十二月一日に皇室令として王公家軌範というものが発布されるわけです。その後に宇垣一成という朝鮮総督の言葉をあれしてありますけれども、それをお読みになっていただければ、むしろ、朝鮮の王公室を天皇制の中に取り入れて、朝鮮の民衆との間に隔絶させなきゃいけない、そういう政策目標がよく書かれていると思います。
そこで、戦後でありますけれども、戦後は、皆さんもう御存じのことでありますが、一九六五年に日韓基本条約ができたときに文化財及び文化協力協定というものができて、ある一定の限度はありましたが、文化財を韓国へ引き渡します。それからもう一つは、日本国民が自発的な文化財寄贈をすることを勧奨するということもここでできるわけです。
そこで、現在ですが、二〇〇一年に情報公開法が施行されます。そして、宮内庁訓令第三号というもので、非現用資料、つまりこれは歴史資料のことなんですが、書陵部に移管されるわけです。歴史資料の公開はここで非常に困難になりますが、しかし、いろいろな動きの中で、次第に、制限つき公開の方向へ動いていって、この段階で初めて、王室儀軌が日本の宮内庁の中にあるということが確認されるわけです。それを受けて、韓国の儀軌返還運動が本格化しますし、あるいは、今言ったようなことの延長上で菅談話が行われ、貴重図書のお渡し、現在の図書協定に来たということであります。
私の意見でございますけれども、一つは、この王室儀軌の寄贈というものは、三・一独立運動で動揺した植民地統治、植民地支配の立て直しを図った内鮮融和政策、内地と朝鮮、植民地朝鮮を融和する一環として行われたものでありますから、その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります。
それから第二番目には、歴史資料の返還一般として考えてみますと、王室儀軌は五百年以上続いた朝鮮王朝研究の基本的資料であります。その史跡や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在して、大事にされています。そして、朝鮮の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、歴史資料などの文化財は、その成立した環境、背景に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります。
三は、現在、文化財について、国際的な動き、非常にいろいろな動きがあります。簡単に言えば、文化財というのは民族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する文化財、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に公開して、観客とそれから研究者、これが自由にアクセスできる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、返還された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理する。
あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、ことし協定ができて、イエール大学がペルーの大学に返還したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコの大学との協定で、例えば、イエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ペルーの研究者がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。
そういう意味で、王室儀軌の返還というものが、歴史資料の公開、それからアクセス、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の機会だというふうに私は考えております。
以上でございます。拍手
この発言だけを見る →私は、歴史研究者として意見を申したいと思います。お手元に資料が回っていると思いますが、それに沿って申し上げたいというふうに思います。
まず最初に、朝鮮王室儀軌とは何かということなんですが、これは、王朝の正統性を維持し、伝えていくために、先例となるような儀礼を記録したものであるということであります。
その後の経過をその後にまとめております。
御承知のように、一九一〇年に韓国併合をいたしました。そのときに明治天皇が前韓国皇帝優遇に関する詔書というのを出しまして、そこで、朕はまさにその軌儀を定めということで、皇室典範等の法令にのっとる、それから、朝鮮の旧習をしんしゃくして、新たに日本の天皇制に編入された朝鮮の王公室の処遇というものを法制化するということを言うわけであります。
一九一六年に王公家軌範ということで審議が始まるわけですけれども、結局まとまらない。皇室典範に、皇族女子は王族または公族にお嫁に行っていいんだということだけを書き入れただけであります。
そしてその後、一九一九年に、廃位されました光武帝高宗という方が亡くなるわけですが、それを機会に朝鮮全土にわたって広範な独立運動が起こっております。
そして、この独立運動を経まして、その後、第二期では、むしろもっと積極的に天皇制の中に朝鮮の王公室を取り入れようということで、その問題が非常に大きくなってきます。これは直接的には、二〇年に李王世子李垠と日本の梨本宮方子の結婚ということが行われるわけです。そのときに、朝鮮の王家と日本の皇室の関係の調整が急務になってきます。
例えば、結婚すれば妊娠あるいは出産ということが予定されるわけですけれども、その妊娠のときに、例えば岩田帯を締めるのか締めないのか、こういう問題もあります。あるいは、お子さんが生まれた場合に、これを殿下と呼ぶのか呼ばないのか。こういうことは、小さい問題のようでありますけれども、当時としては大問題であったということは、その次に、宮内次官の話したこと、つまり、これはもう総理大臣も責任を持って解決しなきゃいけない問題だと言った資料を引用してございます。
そして、その中で朝鮮の旧習を参考にするために、一九二二年に朝鮮総督府が王室儀軌を宮内庁に、日本政府に寄進をする。そして、それを参考にして、一九二六年十二月一日に皇室令として王公家軌範というものが発布されるわけです。その後に宇垣一成という朝鮮総督の言葉をあれしてありますけれども、それをお読みになっていただければ、むしろ、朝鮮の王公室を天皇制の中に取り入れて、朝鮮の民衆との間に隔絶させなきゃいけない、そういう政策目標がよく書かれていると思います。
そこで、戦後でありますけれども、戦後は、皆さんもう御存じのことでありますが、一九六五年に日韓基本条約ができたときに文化財及び文化協力協定というものができて、ある一定の限度はありましたが、文化財を韓国へ引き渡します。それからもう一つは、日本国民が自発的な文化財寄贈をすることを勧奨するということもここでできるわけです。
そこで、現在ですが、二〇〇一年に情報公開法が施行されます。そして、宮内庁訓令第三号というもので、非現用資料、つまりこれは歴史資料のことなんですが、書陵部に移管されるわけです。歴史資料の公開はここで非常に困難になりますが、しかし、いろいろな動きの中で、次第に、制限つき公開の方向へ動いていって、この段階で初めて、王室儀軌が日本の宮内庁の中にあるということが確認されるわけです。それを受けて、韓国の儀軌返還運動が本格化しますし、あるいは、今言ったようなことの延長上で菅談話が行われ、貴重図書のお渡し、現在の図書協定に来たということであります。
私の意見でございますけれども、一つは、この王室儀軌の寄贈というものは、三・一独立運動で動揺した植民地統治、植民地支配の立て直しを図った内鮮融和政策、内地と朝鮮、植民地朝鮮を融和する一環として行われたものでありますから、その返還は、植民地支配の清算に通じるものとして、韓国との和解と友好関係を一層増進させることになります。
それから第二番目には、歴史資料の返還一般として考えてみますと、王室儀軌は五百年以上続いた朝鮮王朝研究の基本的資料であります。その史跡や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在して、大事にされています。そして、朝鮮の人々の国や地域への誇りや帰属意識、そういうもののよりどころになっておるわけであります。つまり、歴史資料などの文化財は、その成立した環境、背景に置くことによってその真価が理解できるので、原産国に置くことが望ましいということであります。
三は、現在、文化財について、国際的な動き、非常にいろいろな動きがあります。簡単に言えば、文化財というのは民族または地域に固有のものでありますが、同時に、それが国際的に認知されることによって普遍的な価値を持つことができます。つまり、グローバル化の中で普遍的な価値を有する文化財、これは、観光資源としての国際性、それから経済的にも非常に重要なものに現在なりつつあります、世界的に。そのためには、基本的に公開して、観客とそれから研究者、これが自由にアクセスできる、自由な研究ができるというふうにしないといけない。所有権の移動にもかかわらず、返還された遺物等を、例えば、共同で巡回展示をやるとか、博物館を共同で管理する。
あるいは、最近のアメリカの例でいいますと、インカ帝国の秘宝をイエール大学が一九一二年に取得しております。これが、ことし協定ができて、イエール大学がペルーの大学に返還したわけですけれども、これは、イエール大学とクスコの大学との協定で、例えば、イエールの学生がクスコへ行ってフィールドワークをやるとか、あるいはクスコの、ペルーの研究者がイエール大学に来て研究をするとか、あるいは大事なものは複製をつくってイエール大学に置くとか、いろいろな工夫をやっているわけであります。
そういう意味で、王室儀軌の返還というものが、歴史資料の公開、それからアクセス、研究の自由の保障、こういうことに積極的に役立っていく、これは絶好の機会だというふうに私は考えております。
以上でございます。拍手
小
小
山
山尾志桜里#9
○山尾委員 おはようございます。民主党の山尾志桜里と申します。
本日は、参考人の皆様、お時間を割いていただいて、貴重な御提言をありがとうございました。
今回の日韓図書協定の議論に当たって、私としては、タイミングを失しない速やかな引き渡しが必要だと思っています。ただ一方で、これがあくまでもまさに引き渡しだということ、自主的で特別な個別の措置だということ、これをやはり国内でも対外的にもしっかりと確認していくことも重要なことだろうというふうに考えています。
この速やかな引き渡しということに関連をして田代先生にお伺いをしたいんですが、今回、引き渡しの議論になっているこの朝鮮王室儀軌、これは日本の研究者の方も当然研究の対象にされていると思います。こういった研究者の方々の今後の研究資料として利用していくためのフォローあるいはサポート、これを日本政府としてもしていかなければいけないと思うわけですが、具体的にどういったことがサポートとして考えられるんでしょうか。
この発言だけを見る →本日は、参考人の皆様、お時間を割いていただいて、貴重な御提言をありがとうございました。
今回の日韓図書協定の議論に当たって、私としては、タイミングを失しない速やかな引き渡しが必要だと思っています。ただ一方で、これがあくまでもまさに引き渡しだということ、自主的で特別な個別の措置だということ、これをやはり国内でも対外的にもしっかりと確認していくことも重要なことだろうというふうに考えています。
この速やかな引き渡しということに関連をして田代先生にお伺いをしたいんですが、今回、引き渡しの議論になっているこの朝鮮王室儀軌、これは日本の研究者の方も当然研究の対象にされていると思います。こういった研究者の方々の今後の研究資料として利用していくためのフォローあるいはサポート、これを日本政府としてもしていかなければいけないと思うわけですが、具体的にどういったことがサポートとして考えられるんでしょうか。
田
田代和生#10
○田代参考人 お答えいたします。
私は日本史の方で、専門ではございませんけれども、朝鮮史の友人がたびたび言っております。この引き渡しに際しまして、必ず書誌学的なさまざまなデータを残していただきたいということ、そしていろいろな、画像的なものも含めまして、そういった複製も含めまして、そういったものを全部残していただければ、ほかにも写しというか王朝儀軌の複本というのはあるので、これが渡ってしまったので研究がもうとまってしまうということはないというふうに聞いております。これは私の研究ではなくて、ほかの研究者からの意見です。
この発言だけを見る →私は日本史の方で、専門ではございませんけれども、朝鮮史の友人がたびたび言っております。この引き渡しに際しまして、必ず書誌学的なさまざまなデータを残していただきたいということ、そしていろいろな、画像的なものも含めまして、そういった複製も含めまして、そういったものを全部残していただければ、ほかにも写しというか王朝儀軌の複本というのはあるので、これが渡ってしまったので研究がもうとまってしまうということはないというふうに聞いております。これは私の研究ではなくて、ほかの研究者からの意見です。
山
山尾志桜里#11
○山尾委員 ありがとうございます。
では、次に、まさに田代先生の御専門であります日本由来の対馬宗家文書、これが一部、二万八千冊程度が韓国の国史編纂委員会に保管をされているということを先ほど御説明もいただきました。それに関して、先生の方からは、これまでこういった資料に日本の研究者としてアクセスを求めていく中で、非常に困難な過程を経ながらも、恐らく、少しずつ解除を進めていただいたというような過程があったと思うんです。その相手方との交渉の過程ですとか、あるいはそれを踏まえて、現在はどういったアクセスが可能になっているのかということを少しお伺いできればと思います。
この発言だけを見る →では、次に、まさに田代先生の御専門であります日本由来の対馬宗家文書、これが一部、二万八千冊程度が韓国の国史編纂委員会に保管をされているということを先ほど御説明もいただきました。それに関して、先生の方からは、これまでこういった資料に日本の研究者としてアクセスを求めていく中で、非常に困難な過程を経ながらも、恐らく、少しずつ解除を進めていただいたというような過程があったと思うんです。その相手方との交渉の過程ですとか、あるいはそれを踏まえて、現在はどういったアクセスが可能になっているのかということを少しお伺いできればと思います。
田
田代和生#12
○田代参考人 私が最初に韓国に行きましたときに、この閲覧の権限は全部国史編纂委員会の委員長が持っておりました。その委員長がこれをお見せできない理由ということで申されたことは、朝鮮戦争が終わった後、私たちがソウルに戻ってきて見た光景というのを話していただきました。宗家文書が中庭に山のように積まれておりまして、今すぐにガソリンをかけて燃やす寸前になっていたということ、雨ざらしになっていた文書を一点一点手に抱えて、我々は倉庫に戻したという話。そしてこれが、日本人の手によって朝鮮史を書きかえようという意図のもとに、その材料として朝鮮総督府が購入した資料である、日本の資料である、向こうにとりましては、そういった敵のものの資料を大事に保管しなきゃならない、そういう矛盾、それがやはりあったということをお話しになりました。しかしながら、やはり歴史資料というのは大事なので、そのことに価値を見出した我々は、それを非公開の形にして、そしてかぎをかけて、とりあえずこれが学者の目にまだ映らないようにしていますということを申されました。
それで私たちは、長年、機会をかけまして、そうではない、この資料は、日本人にとっても重要だけれども、韓国側にとってもとても重要であると。つまり、交流史の資料というのは、日本のことだけを記録しているわけではなくて、韓国側のことも記録してある、したがって、両方にとって宝の山だということを申し上げました。
そのために、それでは、原本が大事なのでということで、かなりの部分をマイクロフィルム化いたしまして、それを公開する。しかしながら、このマイクロフィルムが限られて一日に二百枚しかプリントできないという厳しい条件にありますので、若手研究者が大変お金がかかって困っているということを何度も聞いております。私たちは、そういったことを改善していただければ非常に前を向いて日韓関係の文化交流が図られるのではないかというふうに考えております。
以上です。
この発言だけを見る →それで私たちは、長年、機会をかけまして、そうではない、この資料は、日本人にとっても重要だけれども、韓国側にとってもとても重要であると。つまり、交流史の資料というのは、日本のことだけを記録しているわけではなくて、韓国側のことも記録してある、したがって、両方にとって宝の山だということを申し上げました。
そのために、それでは、原本が大事なのでということで、かなりの部分をマイクロフィルム化いたしまして、それを公開する。しかしながら、このマイクロフィルムが限られて一日に二百枚しかプリントできないという厳しい条件にありますので、若手研究者が大変お金がかかって困っているということを何度も聞いております。私たちは、そういったことを改善していただければ非常に前を向いて日韓関係の文化交流が図られるのではないかというふうに考えております。
以上です。
山
山尾志桜里#13
○山尾委員 ありがとうございました。
さらに、今のことに関連をしてもう一つ、一歩進んでお伺いをしたいのは、先ほど田代先生は、こういった件は交渉の仕方を間違えるとよくない、研究者としても、今回のこういった協定の議論と相互という形で引き渡しを求めることが必ずしもいいこととは思われない、こういう趣旨の御発言をされたかと思います。
こういったことをもしした場合にどういった反応を想定されているのかを含めて、もう少しお話をいただければと思います。
この発言だけを見る →さらに、今のことに関連をしてもう一つ、一歩進んでお伺いをしたいのは、先ほど田代先生は、こういった件は交渉の仕方を間違えるとよくない、研究者としても、今回のこういった協定の議論と相互という形で引き渡しを求めることが必ずしもいいこととは思われない、こういう趣旨の御発言をされたかと思います。
こういったことをもしした場合にどういった反応を想定されているのかを含めて、もう少しお話をいただければと思います。
田
田代和生#14
○田代参考人 これは韓国側の感情の問題だと思うんです。対等に、こちらが本を渡すので向こうから渡していただきたい、そういう議論にはこれはならないと思うんです。つまり、置かれた状況、置き去りになった状況というのが状況なので、韓国側の宗家文書に対する思いがとても複雑だということが考えられます。
したがって、こちらからそういう形で外交交渉というところに臨みますと、必ず、それならばこれは非公開にしましょうということで、とりあえず別の場を設けてやりましょうという段階に多分行きますので、そうなりますと、私たち研究者は、本当に、何十年の苦労がすべて消えてしまうということになりますので、一番いい形で進める。ここに関心を持っていただいたことはとてもありがたいと思うんですけれども、やり方を間違えないように、ぜひ、韓国側の状況というもの、それからこの資料の由来をきちっとお調べになった上で先に進めていただきたいというふうに考えております。
この発言だけを見る →したがって、こちらからそういう形で外交交渉というところに臨みますと、必ず、それならばこれは非公開にしましょうということで、とりあえず別の場を設けてやりましょうという段階に多分行きますので、そうなりますと、私たち研究者は、本当に、何十年の苦労がすべて消えてしまうということになりますので、一番いい形で進める。ここに関心を持っていただいたことはとてもありがたいと思うんですけれども、やり方を間違えないように、ぜひ、韓国側の状況というもの、それからこの資料の由来をきちっとお調べになった上で先に進めていただきたいというふうに考えております。
山
山尾志桜里#15
○山尾委員 ありがとうございます。
そしてまた、田代先生は、日韓歴史共同研究委員会の委員としても御活動された御経験もおありと伺っています。歴史認識を異にする研究者の方と共同で研究をしていくということを通じて、特に、用いる文言を選択していく際の非常に敏感な議論も重ねてこられたことだと思います。
そういった御経験も踏まえてお伺いをしたいのが、私、冒頭に言い間違えまして大変失礼をいたしましたが、この協定文には引き渡しという文言があくまでも記載されている。ただ一方で、韓国側の発信を見ますと、返還という言葉を用いての発信がなされているという事実がある。これに対して、日本政府としては是正の申し入れをしていくべきではないか、こういうような議論もあると聞いています。この点に関して、先生のお考えをいただければと思います。
この発言だけを見る →そしてまた、田代先生は、日韓歴史共同研究委員会の委員としても御活動された御経験もおありと伺っています。歴史認識を異にする研究者の方と共同で研究をしていくということを通じて、特に、用いる文言を選択していく際の非常に敏感な議論も重ねてこられたことだと思います。
そういった御経験も踏まえてお伺いをしたいのが、私、冒頭に言い間違えまして大変失礼をいたしましたが、この協定文には引き渡しという文言があくまでも記載されている。ただ一方で、韓国側の発信を見ますと、返還という言葉を用いての発信がなされているという事実がある。これに対して、日本政府としては是正の申し入れをしていくべきではないか、こういうような議論もあると聞いています。この点に関して、先生のお考えをいただければと思います。
田
山
山尾志桜里#17
○山尾委員 ありがとうございました。
それでは、荒井参考人に一点お伺いをさせていただきたいと思います。
参考人からちょうだいしたこのペーパーの二枚目、理由の三というところに「諸国民相互の尊敬と理解のための国際交流」、これが今回の協定に賛成する理由の一つとして挙げられていると思います。
これは、先ほどのお話を聞かせていただき、さらに読ませていただくと、こういった文化財の所有権の移動を契機に、それがまさに共同管理につながったり、共同利用につながったり、こういう例もあらわれている、こんな御見解をいただきました。
少し具体的に、どんな例があるかということを教えていただければありがたいと思います。
この発言だけを見る →それでは、荒井参考人に一点お伺いをさせていただきたいと思います。
参考人からちょうだいしたこのペーパーの二枚目、理由の三というところに「諸国民相互の尊敬と理解のための国際交流」、これが今回の協定に賛成する理由の一つとして挙げられていると思います。
これは、先ほどのお話を聞かせていただき、さらに読ませていただくと、こういった文化財の所有権の移動を契機に、それがまさに共同管理につながったり、共同利用につながったり、こういう例もあらわれている、こんな御見解をいただきました。
少し具体的に、どんな例があるかということを教えていただければありがたいと思います。
荒
荒井信一#18
○荒井参考人 一番最新の例では、さっきちょっと申し上げましたけれども、アンデス山脈の山の上にマチュピチュという、これは大変有名な遺跡でありますけれども、ここを、一九一五年に、イエール大学の考古学者が、その後何回にも分けて発掘して、それ以来イエール大学に移っているわけです。
それで、それの返還というものが、返還運動はずっとあったんですけれども、二〇〇三年から本格的にペルーが動き出して、最後には、ペルーのガルシア大統領、それからアメリカのオバマ大統領も口をききまして、ことしの二月に返還協定ができたわけです。
それで、イエール大学は、もうかなり前から返還自体には賛成なんだけれども、実際にペルーに行って、それが自由に公開されないとか、あるいはアクセスが非常にできないとか、そういう問題があると困るということで、むしろここ二年くらいはその後どうするかということの相談で費やしてきたというのが実情であります。
そして、先ほど申し上げましたように、向こうの大学がちゃんとした博物館をつくって、そこへ収蔵する、その博物館の設計とかあるいは運営についてはイエール大学が援助するということ、それからもう一つは、相互に学生、研究者を受け入れて、そして共同研究あるいは学生のフィールドワーク等、これを一緒にやりましょうというふうなこと、そういうことを詳細に協定で決めたわけです。
それからもう一つは、先ほどもちょっと申し上げましたように、重要な遺物については、レプリカ、あるいはこれは破片その他というものもあるわけですけれども、そういうものについては詳細な資料を提供するということで、結局、一つの国際化のきっかけにむしろ返還というものがなっていった。
つまり、どっちの国が持つか、これは囲い込んで離さないという問題じゃないということがこの例で非常によく出てきているというふうに思います。一つの例でございます。
以上です。
この発言だけを見る →それで、それの返還というものが、返還運動はずっとあったんですけれども、二〇〇三年から本格的にペルーが動き出して、最後には、ペルーのガルシア大統領、それからアメリカのオバマ大統領も口をききまして、ことしの二月に返還協定ができたわけです。
それで、イエール大学は、もうかなり前から返還自体には賛成なんだけれども、実際にペルーに行って、それが自由に公開されないとか、あるいはアクセスが非常にできないとか、そういう問題があると困るということで、むしろここ二年くらいはその後どうするかということの相談で費やしてきたというのが実情であります。
そして、先ほど申し上げましたように、向こうの大学がちゃんとした博物館をつくって、そこへ収蔵する、その博物館の設計とかあるいは運営についてはイエール大学が援助するということ、それからもう一つは、相互に学生、研究者を受け入れて、そして共同研究あるいは学生のフィールドワーク等、これを一緒にやりましょうというふうなこと、そういうことを詳細に協定で決めたわけです。
それからもう一つは、先ほどもちょっと申し上げましたように、重要な遺物については、レプリカ、あるいはこれは破片その他というものもあるわけですけれども、そういうものについては詳細な資料を提供するということで、結局、一つの国際化のきっかけにむしろ返還というものがなっていった。
つまり、どっちの国が持つか、これは囲い込んで離さないという問題じゃないということがこの例で非常によく出てきているというふうに思います。一つの例でございます。
以上です。
山
山尾志桜里#19
○山尾委員 ありがとうございます。
それでは、最後になりますけれども、短い時間で済みません、一点、下條参考人にお伺いをしたいと思います。
先ほどお話を伺いまして、参考人の御意見として、竹島が返還されてからの議論であるべきではないか、こういう御趣旨で伺いました。さはさりながら、今回、この協定が、国内手続が進んでいく過程に今ある中で、こういった、もし今後この引き渡しが行われる場合に、このことが日韓基本条約の空洞化につながることを防がなきゃいけないという思いは私も持っているんですが、そのことについて、そういった、それを食いとめるための知恵をいただければありがたいなと思います。
この発言だけを見る →それでは、最後になりますけれども、短い時間で済みません、一点、下條参考人にお伺いをしたいと思います。
先ほどお話を伺いまして、参考人の御意見として、竹島が返還されてからの議論であるべきではないか、こういう御趣旨で伺いました。さはさりながら、今回、この協定が、国内手続が進んでいく過程に今ある中で、こういった、もし今後この引き渡しが行われる場合に、このことが日韓基本条約の空洞化につながることを防がなきゃいけないという思いは私も持っているんですが、そのことについて、そういった、それを食いとめるための知恵をいただければありがたいなと思います。
下
下條正男#20
○下條参考人 いい質問です。ちょっと、短い時間で本当に厳しいんですが。
きょうはこういう会をつくっていただきまして、非常にありがたいと思っております。多分、ここにいらっしゃる皆さんは、竹島問題とこんなに密接につながっているということは余り認識されなかったのではないか。ということは、戦後の日本の外交自体が、こういった国家主権にかかわる問題に対して余りにも無関心であった、事ここに及んでああだこうだという問題になってしまっている。これはやはり日本側が大きく反省をしなければいけないところです。
本はただ本にすぎないんです。ただし、問題は、朝鮮王室儀軌以外に、もっと多くの本が、どういう理由か、付録としてついていくわけです。そして、韓国側としては返還というふうに考えています。そして、これは、竹島問題から日本の領有権主張を排除する一つの手段というふうにとっていくと思います。
それから、田代先生も危惧されておりましたし、荒井先生もおっしゃっておられましたけれども、日韓は、一九六五年六月二十二日、基本条約を締結して文化財協定を結んでいるわけですから、お互いに文化財を使えるようにしていいわけです。もしこれを返さなかったら対馬家文書がどうだとか、あるいは中央図書館にもいっぱいあります、日本の本、中国の本、日本人が持ち込んだものです、そういったものも使えなくなるということは、文化財協定違反ですよね。そういったことをまず前面に出すということ。
それから、やはり竹島問題は、本当に日韓にとって、言ってみたら今の福島原発と同じです。これからずっと放射能を出し続けます。そういう意味では、この問題に対してはっきりけじめをつけること、そのことを約束して、引き渡すとか、お話をしていくこともこれから必要ではないかなと思います。これは、日本が独立国家として生きていく上の基本的なことです。もしこれができないと、多分、尖閣も北方領土も同じような状況になるということを御理解いただきたいと思います。
この発言だけを見る →きょうはこういう会をつくっていただきまして、非常にありがたいと思っております。多分、ここにいらっしゃる皆さんは、竹島問題とこんなに密接につながっているということは余り認識されなかったのではないか。ということは、戦後の日本の外交自体が、こういった国家主権にかかわる問題に対して余りにも無関心であった、事ここに及んでああだこうだという問題になってしまっている。これはやはり日本側が大きく反省をしなければいけないところです。
本はただ本にすぎないんです。ただし、問題は、朝鮮王室儀軌以外に、もっと多くの本が、どういう理由か、付録としてついていくわけです。そして、韓国側としては返還というふうに考えています。そして、これは、竹島問題から日本の領有権主張を排除する一つの手段というふうにとっていくと思います。
それから、田代先生も危惧されておりましたし、荒井先生もおっしゃっておられましたけれども、日韓は、一九六五年六月二十二日、基本条約を締結して文化財協定を結んでいるわけですから、お互いに文化財を使えるようにしていいわけです。もしこれを返さなかったら対馬家文書がどうだとか、あるいは中央図書館にもいっぱいあります、日本の本、中国の本、日本人が持ち込んだものです、そういったものも使えなくなるということは、文化財協定違反ですよね。そういったことをまず前面に出すということ。
それから、やはり竹島問題は、本当に日韓にとって、言ってみたら今の福島原発と同じです。これからずっと放射能を出し続けます。そういう意味では、この問題に対してはっきりけじめをつけること、そのことを約束して、引き渡すとか、お話をしていくこともこれから必要ではないかなと思います。これは、日本が独立国家として生きていく上の基本的なことです。もしこれができないと、多分、尖閣も北方領土も同じような状況になるということを御理解いただきたいと思います。
山
小
平
平沢勝栄#23
○平沢委員 自民党の平沢勝栄でございます。
三人の参考人の皆さんには、お忙しい中、有意義なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。
先ほど、下條参考人のお話を聞いていまして、重要なことが二つありまして、一つは、鄭東北アジア歴史財団理事長、この方が、今回の菅談話について、いろいろと働きかけて説得したというようなことを言っているわけで、そもそも今回の日韓図書協定の発端となったのは、昨年八月十日の菅談話なんです。
このままあれしますと、菅談話というのは、日本政府が独自につくったものじゃなくて、後で仙谷さんが来られますけれども、仙谷さんたちが独自につくったものじゃなくて、韓国側からいろいろ働きかけをした、こういうふうに私は理解したんですけれども、それについて、まず下條参考人の御意見をお聞かせいただけますか。
この発言だけを見る →三人の参考人の皆さんには、お忙しい中、有意義なお話をいただきまして、本当にありがとうございました。
先ほど、下條参考人のお話を聞いていまして、重要なことが二つありまして、一つは、鄭東北アジア歴史財団理事長、この方が、今回の菅談話について、いろいろと働きかけて説得したというようなことを言っているわけで、そもそも今回の日韓図書協定の発端となったのは、昨年八月十日の菅談話なんです。
このままあれしますと、菅談話というのは、日本政府が独自につくったものじゃなくて、後で仙谷さんが来られますけれども、仙谷さんたちが独自につくったものじゃなくて、韓国側からいろいろ働きかけをした、こういうふうに私は理解したんですけれども、それについて、まず下條参考人の御意見をお聞かせいただけますか。
下
下條正男#24
○下條参考人 私自身、鄭さんにお会いしたわけではありませんが、これは韓国の「週刊朝鮮」という雑誌にも載っておりますし、インターネットでも公開されておるものですから、もしあれでしたら、鄭先生をお呼びして、実際にどういうことをお話ししたかぐらいをあれしてもいいのではないかなと思います。
私としては、やはりこういった日本の国家的な事業に関して、外国が容喙、くちばしを入れて、それに日本が従ったということになると、これはゆゆしき問題である、国家主権を侵されていることと変わりはないのではないかというふうに認識します。
この発言だけを見る →私としては、やはりこういった日本の国家的な事業に関して、外国が容喙、くちばしを入れて、それに日本が従ったということになると、これはゆゆしき問題である、国家主権を侵されていることと変わりはないのではないかというふうに認識します。
平
平沢勝栄#25
○平沢委員 では、参考人として鄭さんをこの委員会に呼ぶように、これは後で私がお願いします。
もう一つ、先ほどの下條参考人の御説の中で非常に興味があったのは、きょう韓国からお坊さんが来られていますけれども、その中で、李相根事務総長が、これが日本国内の他の文化財返還運動の開始点となるだろう、こういうふうに言ったという記事が出ているわけです。これは聯合ニュース。
今回のは始まりだということを言っているわけです、あちらにおられますけれども。要するに、いろいろな文化財があるでしょう、日本にもあります、韓国にもあります、今回はこれで終わりじゃなくて始まりだということを言っているわけで、もともとこの運動というのは、あの皆さん方、お坊さんたちも、私が外務委員長のとき、私のところにも来られました。それが発端で韓国は国会決議もしました。そして、韓国政府からの要請がありました。そもそも民間運動から始まっているんですよ。
それで、この前の委員会で私が言いましたように、日本で大事なことは世論に訴えることだ、そうすれば政府は動くというようなことも中央日報は書いているんです。ということになると、これからまたどんどん行ったら、そもそも日韓基本条約のときにすべて最終的に解決したというのはどうなるかということになってくると思うんですけれども、これについて、下條参考人の御意見をお聞かせください。
この発言だけを見る →もう一つ、先ほどの下條参考人の御説の中で非常に興味があったのは、きょう韓国からお坊さんが来られていますけれども、その中で、李相根事務総長が、これが日本国内の他の文化財返還運動の開始点となるだろう、こういうふうに言ったという記事が出ているわけです。これは聯合ニュース。
今回のは始まりだということを言っているわけです、あちらにおられますけれども。要するに、いろいろな文化財があるでしょう、日本にもあります、韓国にもあります、今回はこれで終わりじゃなくて始まりだということを言っているわけで、もともとこの運動というのは、あの皆さん方、お坊さんたちも、私が外務委員長のとき、私のところにも来られました。それが発端で韓国は国会決議もしました。そして、韓国政府からの要請がありました。そもそも民間運動から始まっているんですよ。
それで、この前の委員会で私が言いましたように、日本で大事なことは世論に訴えることだ、そうすれば政府は動くというようなことも中央日報は書いているんです。ということになると、これからまたどんどん行ったら、そもそも日韓基本条約のときにすべて最終的に解決したというのはどうなるかということになってくると思うんですけれども、これについて、下條参考人の御意見をお聞かせください。
下
下條正男#26
○下條参考人 それは、究極的には、竹島問題を封印する一つの手段として使っているということです。要するに、これを推進している東北アジア歴史財団の基本的な、設立趣旨、目的がそこにあるからです。
ですから、日韓基本条約等は一度全部チャラにして新たに締結していこう、そういう動きもないわけではありません。ただし、竹島問題が一番大きな問題だということだけは御認識いただきたいと思います。
この発言だけを見る →ですから、日韓基本条約等は一度全部チャラにして新たに締結していこう、そういう動きもないわけではありません。ただし、竹島問題が一番大きな問題だということだけは御認識いただきたいと思います。
平
平沢勝栄#27
○平沢委員 今回この日韓図書協定を結ぶことによって、日本側のとらえ方は、これによって未来志向とか友好親善が深まるとか、そういうようなとらえ方をしているんですけれども、これは協定、条約ですから、韓国側も同じとらえ方をしなければ意味がないわけです。
ですから、例えば、条約の中には、この協定の中に引き渡しと書いていますけれども、韓国側は、協定上は引き渡しと書いてあっても、これは返還だ、返還だと韓国の報道官は言っていますから、そもそも要するに理解が違うんですけれども、この問題について、日本側は友好親善につながると言っていますけれども、韓国側も同じ考えなのかどうかについて、荒井参考人。
この発言だけを見る →ですから、例えば、条約の中には、この協定の中に引き渡しと書いていますけれども、韓国側は、協定上は引き渡しと書いてあっても、これは返還だ、返還だと韓国の報道官は言っていますから、そもそも要するに理解が違うんですけれども、この問題について、日本側は友好親善につながると言っていますけれども、韓国側も同じ考えなのかどうかについて、荒井参考人。
荒
荒井信一#28
○荒井参考人 私は韓国側ではございませんのでちょっと説明はできませんけれども、ただ、申し上げたいのは、歴史的にいいますと、日韓基本条約の段階で、最終的に日本の植民地支配の清算の問題というのは解決しなかったわけです。特に基本条約の中に、一九一〇年、それからそれ以前に締結された条約はもはや無効であるという、「もはや無効」という言葉を使っているわけです。これを字義どおりに解釈すれば、併合条約が無効だったということになるわけですが、これについては日韓が全く別々の解釈を留保した。これは世界の条約史上、全くまれなんですね。それで、こういうぐあいで現在まで来ておりますので、その矛盾、対立というものがいろいろな問題にはね返って出てきているわけです。
それで、私がその点で、ちょっと先走るかもしれませんけれども、申し上げたいのは、その解釈を何とか統一できないか、あるいは近づけることはできないかということであります。これは、条約法に関する国際条約がございますが、これの規定でやりますとできるんですね。特に、具体的にはその後、村山談話とか、自民党も、橋本さん、小渕さんがいろいろ日韓の共同声明を出しました。つまり、政治的には、両者が植民地支配の解釈についてもかなり接近しているわけですね。
ですから、これを条約の解釈に反映させる。特に、「もはや無効」というこの大変まれな、別々な解釈を持つという事態がこれで修正されれば、無用な対立は回避できるんだというふうに考えております。
ちょっとそれましたけれども、以上です。
この発言だけを見る →それで、私がその点で、ちょっと先走るかもしれませんけれども、申し上げたいのは、その解釈を何とか統一できないか、あるいは近づけることはできないかということであります。これは、条約法に関する国際条約がございますが、これの規定でやりますとできるんですね。特に、具体的にはその後、村山談話とか、自民党も、橋本さん、小渕さんがいろいろ日韓の共同声明を出しました。つまり、政治的には、両者が植民地支配の解釈についてもかなり接近しているわけですね。
ですから、これを条約の解釈に反映させる。特に、「もはや無効」というこの大変まれな、別々な解釈を持つという事態がこれで修正されれば、無用な対立は回避できるんだというふうに考えております。
ちょっとそれましたけれども、以上です。
平
平沢勝栄#29
○平沢委員 先ほど下條参考人は、竹島問題がやはり最大の、日韓の間のいわばネックというか障害物だというようなことを言われました。やはり竹島問題が解決しない限り、日韓の友好親善といっても必ずこの問題が出てくるわけでございまして、そういう中で、今回、この日韓図書協定が結ばれようとしている。韓国側は、不法占拠の既成事実を強化しようとして、もう既に海洋科学基地の発注をしている。ですから、どんどん事実関係を強めている、不法占拠の事実を強めている。そして、近く国会の委員会も開かれるという予定になっていると。
今回この図書協定を結ぶことが、竹島問題に、韓国側が例えば自粛するとか自制するとか話し合いに応ずるとか、そういった方向に行く可能性というのはありますでしょうか、下條参考人。
この発言だけを見る →今回この図書協定を結ぶことが、竹島問題に、韓国側が例えば自粛するとか自制するとか話し合いに応ずるとか、そういった方向に行く可能性というのはありますでしょうか、下條参考人。