片山善博の発言 (総務委員会)

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○片山国務大臣 市民というのは、地方自治の分野での実定法には多分ないと思います。あるとすれば、市町村というのがあって、その市の住民のことを市民と呼ぶというのは、これは多分常識的だろうと思います。
 この市民という言葉がよく使われるのでありますが、私もこんな経験があるんです。知事をやっておりましたときに、私も市民という言葉をちょくちょく使っておりましたら、ある集会で参加者から質問がありまして、私は何とか町の住民なんですけれども、市民といったときに町民は入らないんでしょうかと言われて、なるほどそういうとらまえ方もあるのかと思ったんです。
 市民という言葉をどういう文脈で使っているかといいますと、これは、例えば英語で言うシチズンとかフランス語のシトワイヤンとか、多分そういうものの訳語として使っている嫌いがあるんだろうと思います。
 それはどういうことかといいますと、歴史的な経緯を言うと、人権の主体である、人権を持つ、人としての権利を持つ主体としての市民ということ、これはフランス革命以来の用語ではありますけれども、そういう考え方が色濃く反映しているんだろうと私は思います。これを我が国の実定法に置きかえて言えば、これは住民ということになります。ですから、住民ということを使ってもいいんだろうと思います。まあ、言葉を使う方の感性の問題かもしれません。
 それから、このたび、市民公益税制、こう言っていますが、これは先ほど来申しました市民ということの定義ともちろん関係はありますけれども、ここはむしろ、私は、従来の寄附税制といいますものは、どちらかというとやはり官に偏った、官に偏重した趣が強かったと思います。国とか国に関係のあるところに寄附した場合には非常に優遇がある。その他の、民間の公益的活動をしているところに寄附をしても、それは非常に厳格で、限定されていた。
 そうではなくて、もうお役所を介さないで、それこそ市民といいますか、民間から民間に必要な財源が流通して、そこで国民、住民にとって必要な公共的なサービスが充足される、こういうことを期待するのが新しい公益税制だろうと思うんです。そのときに、国家とか地方公共団体を介さないで、国民同士、市民同士、住民同士の間で必要な浄財がやりとりされる、そういうことを期待しているという意味であえて市民とつけたのではないか、これは私の推測でありますけれども、そんなふうにとらえております。

発言情報

speech_id: 117704601X00220110222_025

発言者: 片山善博

speaker_id: 18217

日付: 2011-02-22

院: 衆議院

会議名: 総務委員会