階猛の発言 (東日本大震災復興特別委員会)

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○階委員 おはようございます。民主党の階猛です。
 本日は、質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 もとより、国会議員は憲法四十三条で国民の代表でございますが、本日は、私の故郷でもあります岩手の代表としてもお話しさせていただければと思います。
 そこで、まず最初に、冒頭、岩手のすばらしさについて少し述べさせていただきたいと思います。
 今回、津波で甚大な被害をこうむった沿岸地域を初めとしまして、岩手県は本当に風光明媚で、海の幸、山の幸にも恵まれ、広大な自然、その中で人々がつつましくもまじめに暮らしている、そういう土地柄でございます。
 昔から偉大な政治家を輩出している土地でもあります。古くさかのぼれば、奥州藤原氏のころから東日本の政治の中心でございました。また、近代に入りますと、原敬さんを初めとして、東北、北海道では唯一、総理大臣を四人も輩出した県でもございます。(発言する者あり)
 今お話もありましたけれども、この復興特別委員会、復興基本法案をまさに審議しているところでございます。この復興という言葉は、関東大震災のときに、復旧ではなく復興を目指すんだ、そう語ったのが後藤新平、この方も岩手の人でございます。
 そういう偉大な人々を輩出した土地柄ではございますが、私は、もっと誇るべきことは、偉大な人よりも、それぞれの持ち場持ち場で、どんな苦境にあっても自分の使命を一生懸命果たそうとする、そういう人間が多いことだと思っております。
 先日のこの委員会でも、岩手の農協の会長さんがお見えになられまして、釜石市でございましたでしょうか、農協の金融課長さんのお話がありました。津波が来た、みんな逃げろ、おれが残って金庫に大事なものはしまっていく、そう言って、一人残って、金庫に重要書類を全部しまって、そして、最後に逃げようとしたところで津波に襲われたそうです。津波が去った後、職員たちが戻ってくると、金庫はきちんと重要書類もしまってあるような状況で閉められていた。しかし、どこを見渡してもかぎがありませんでした。津波に金庫のかぎが流されてしまったんだろうか、みんなあきらめておりましたところ、かぎがありました。どこにあったか。津波で命を落とされた金融課長さんの手の中にしっかりと握られていた。命をかけてまでも職責を果たす、そういう人間が岩手におります。
 私の目の前にいる黄川田委員長も、まさにそのようなお一人でございます。
 津波で御家族を失ったにもかかわらず、先日までは、総務委員会の筆頭理事として与野党交渉の先頭に立って、本当に法案の一つ一つをしっかり前に進めてきた、成立に導いてきた。どのようなお気持ちであったか。私は、余り周りには言っておりませんけれども、黄川田さんが空港の待合室で一人ぽつんと座っていた姿を今でも思い出します。黄川田さんは、御家族を亡くされて、よれよれのコートを着て、本当に憔悴し切った姿でありました。しかし、そういうことは全くおくびにも出さずに、きょうもしっかりこの委員会を運営されていらっしゃる。
 そういった岩手の人たちが、今も被災地では懸命に闘っている。これを全国の皆さんにもぜひ御認識いただいて、そして、細く長くで結構でございます、岩手を初め被災地の皆さんに……(発言する者あり)そうです。宮城も福島も、それ以外の県もそうです。ぜひ皆様の細く長い御支援をお願いしたいと思います。
 本題に入ります。
 そういった持ち場持ち場で責任を果たす人の中に、私は福島第一原発の吉田所長という方もいらっしゃったと思います。私は、東電社長らの意思に反しても海水注入を継続したこの吉田所長の判断は責められないと思います。総理の見解をお願いします。

発言情報

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発言者: 階猛

speaker_id: 32961

日付: 2011-05-31

院: 衆議院

会議名: 東日本大震災復興特別委員会